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――そういえばラスメリナ王がウンノに『書状持って来てほしー』と言っていたぞ。なんでも、『あっれー、なんて書いたんだっけ。ヤバいこと書いてないか確認したいよー』だそうだ。
……翔のセリフをこのロゥさんがそのまま言うとなかなかの破壊力ね。
眉一つ動かす『ほしー』とか『ヤバい』なんて言われると、笑っていいのかスルーしていいのか、複雑な心境に陥る。
持っていたバッグの中に、母親が使いたがった化粧用品など細々した物もあった為、バッグ丸ごと肩にかけて皆いるらしい王の私室へと向かった。
途中食堂に寄ったら、アウランさんが「試作してみました」と、たまごのサンドイッチを持たせてくれた。調理しながらジェネが喜んで食べてくれた話をして、興味を持ったアウランさんにレシピを教えたのよね。といっても難しい料理ではないし、もともと腕のある人だからコレからどんどん美味しい料理が作れると思うのよね。こういうものだからって工夫してこなかった食事文化にも、変化が生まれそうだった。
「あっ……」
私室に続く回廊を歩いていたら女官のルネが私を見つけ、こわばった表情で柱の傍に立ち尽くしていた。
――そうか。ひょっとしてルネさんってば……。
目を逸らし、そわそわと落ち着かなげにしているルネさんに近づき、私は目の前に立った。
「ルネさん」
私の呼びかけに、覚悟を決めたのか目線をルネさんは合わせてくれた。
「サーラ……いえ、ウンノ様、でしたね。あの時は大変失礼を致しました。お立場を知らぬとはいえ、私のした事は到底許されるものでは……」
「あー! ダメダメ! そんなこと言わないでルネさん」
両膝を突いて、目上の者にする女性の正式な礼を取るルネさんに私は駆け寄って立たせる。いくらなんでもここまでされる理由はない。
「ね、ルネさん。あなたのお陰で私……ううん、皆が助かったのよ? 手紙を貰って、各方面に連絡することができた。あの手紙がなければあんな急に動かなかったと思うわ。本当にありがとう」
「ウンノ様……」
「様、それやめて? 私はそんな偉い立場じゃないし、第一あなたとお友達になりたいからそんな言葉遣いも止めて欲しいの……だめかな?」
ルネの手を両手でぎゅうっと握ってお願いをすると……一瞬息を飲んだ後、澄んだ薄茶の綺麗な瞳を瞬かせ固く結んだ口が緩み、「いいの、ですか?」と声を震わせた。
「もちろん! よろしく、ルネ」
「はい、ウンノさ……」
様、と言い掛けたので軽く睨むと、顔をほころばせてようやく「ウンノ」と呼んでくれた。私室にお茶を持って行く為に、私が使ったあの部屋でお湯を沸かしたところらしい。女官の仕事のアレコレを聞きながら一緒についていき、お湯を入れたポットや茶器を載せたワゴンを押し、私室へと入った。
「大体翔がいい加減だから悪いでしょ!」
「わ、それ言う? かーちゃんがそれ言っちゃうの?! いい加減の代名詞のかーちゃんがー!」
「うるさいうるさいデタラメ翔に言われたくないわ! 大体翔が説明するって決めてたじゃないのよっ」
「あー、えーとえーと……テヘッ」
「二十三の野郎がはにかんでも可愛くないわー!」
わーわーと言い合う目の前の光景に半歩後ずさったものの、奇妙な懐かしさが浮かぶ。いやこれ日本での日常風景だったしね……。
それを遠巻きに見ているのはマルちゃんとお父さん。大きなテーブルに座って言い争う二人を見てポカンとしていた。それからお父さんの横に座るのは、ジェネ。
うわぁ……やっぱりカッコいいわ。墨染めをされた詰襟の制服がジェネの精悍さをより際立たせ、その禁欲的な服の下に隠された厚い胸板や、軍規で定められた長袖の下の筋張った腕。ほんと長袖でよかった! 無意識ではあるけど随分と傷を付けてしまったから……って! ダメダメ! なんか余計な事まで思い出しちゃうわ!
脳裏に浮上してくるあれやこれやを振り払い、ジェネから視線を横に移動させる。
そのテーブルには騎士団の一番隊副隊長のセイベンさんやイル・メル・ジーンもいて……あれ? マルちゃんの隣に座る某時代劇の好々爺みたいな人は誰だろう?
「ねーちゃーん!!」
私をいち早く見つけた翔は、これ幸いと母親から逃げ出して私に抱き付いてきた。
「うわっ! 翔なにするのよー!」
「かーちゃんが苛めるんだ!」
「身に覚えありすぎるでしょ! 反省しなさい!」
思いっきり被害者の私に翔が泣きつくなどおかしな話だ。だけど今となってはジェネと出会えたのである意味感謝はしてる。内緒だけど。
「つーか僕ちょっとしたらラスメリナに戻んなきゃいけないんだよねー。アホな大臣がまたなんかやらかしたみたいでさー」
「やらかしたって……」
やらかしっぱなしの翔が王様って本当に大丈夫なのかな、ラスメリナの皆さん。ごめんなさいユーグさん、今度胃薬差し入れます。と、心の中で謝罪した。
「あ、翔子。……おめでと?」
「ちょ……!」
イタズラっぽくウインクした母親は、私の耳に口を寄せる。
「契約はできたのね?」
顔は微笑を崩さず、だけど声の調子は真剣だった。私が一回頷くと、ぽんと肩に手をあてて今度はちゃんと喜びを声に滲ませた。
「そう、良かった。あのね、ここにいる人達だけには翔子が精霊姫だって伝えるから。いくらなんでも王が知らないのはありえないでしょ?」
それはそうだ、よね? うん。ここにいる人達で私が知らないのは一人だけだけど、きっと両親の信頼置ける人物なのだろう。
少しふっくらした体つきで温厚そうなその人を見つめていたら、あちらも気付いたようで柔らかな笑みと共に立ち上がり、私に声を掛けた。
「アルゼルとリィンの娘、ですね? 初めてお目にかかります。私はダーリス・グイラン、この度再び宰相へと任が与えられました」
「えっ?! ダーリスさんって!」
「そうだよねーちゃん、『砦の一昼夜』の作戦考えた人だよ?」
聞き覚えのある名前に驚く私へ、翔が小説の名シーンを上げた。そもそも、『精霊姫と騎士の旅』という小説の舞台がまさにこのレーンの国であり、主人公の精霊姫と騎士ってのがこれまた自分の両親というんだから腰を抜かすどころではない。
騎士がいよいよ最後の戦いへ赴き、とある砦で起こるクライマックスシーンはあっと驚くような逆転劇が起こり、その筋書き通りに采配を振ったのがこのダーリス・グイランさんだ。……ん? グイラン?
「翔子、彼は元々宰相職にあったがあのベナムなどによって引退を余儀なくされたのだ。此度ダーリス殿にまた復帰していただく事になり……ああ、そうだ。翔子も知っているだろう? ロゥの父親だ」
わっ! なるほど!
父親が紹介してくれて、よく見れば目元が良く似ている。ロゥが線の細い体をしているので、パッと見気付かなかった。なるほど、だからデスクワークが得意なのね。
このダーリスさんはジェネを憂慮していて、それでロゥが「それならば」と父親の代わりとなって騎士団に入団した……そんないきさつがあったらしい。文官では側近になれないため、努力して。
しかし今回大量の処罰対象が出たため文官の方にも空きが出てしまい、出来れば内情に明るい有能な人材が……ということで、ロゥはダーリスさんの、父親の補佐官として就く事になったらしい。
一つだけ心配があるとすれば。
ジェネもロゥもハルも片付けられない人なんだよね……あの魔窟どうなるんだろ。いつか片付けをさせてもらいたいな。