1 契約
調理場に戻った私は、アウランさん達が茹でておいてくれたジャガイモを前に戦闘を開始する。まずは皮を剥いて軽く潰したジャガイモに、塩で揉んでおいた胡瓜やサッと茹でた人参など入れたポテトサラダを作った。マヨネーズと塩コショウを入れて、隠し味に砂糖。
「ウンノ、どうして砂糖をいれるんだ?」
「あ、これはマヨネーズの酸味を柔らかくする為ですよ。私はこの方が好みなので」
あと植物油にローズマリーの枝とニンニクを香りが立ち上がるまで熱して取り出し、ザッと四つ切にしたジャガイモを投入。表面がキツネ色になったら取り出して塩振って完成。全部取り出したら、今度は下味付けて小麦粉つけた鶏肉を入れて、これまたいい色になるまで揚げて完成。ああ、いい香り!
あとはもう、焼くだけとか切るだけとか、そんな感じをどんどん提供する。こうやって出して行くのに次から次へと空の皿が運ばれてくるので、ものすごく目が回る忙しさだ。どんだけ食べるのー?!
「ちょっと何でそんなちっさな意地悪してるのよ!」
「うるさい! 俺はだな、やっと父親と名乗れたのに浸る間もないのだぞ!」
「それで彼に? かっわいそー! 娘に嫌われるわよ?」
「昔から目をかけていたアイツだがな、それとこれとでは別の話だ!」
「はいはい、まあいいから飲みなさいな」
――料理を各テーブルに運ぶ際、聞こえてくる声の方には向かわず離れた席にタンタンっと皿を置き、空いた皿を下げる。その間も相変わらず声は聞こえてきて……お、お父さんはお酒が入ると愚痴っぽくなるのかな? それをお母さんが宥めているようだ。ちょっと離れた場所でそのテーブルに目をやると、二人並んで座り、あっという間に空になる二つの杯に酌をするお母さんは――どことなく嬉しそうだった。 うん、お母さんにとっても二十三年振りの再会なんだよね。あの小説の内容が事実とするならば、それはそれは大恋愛で結ばれた仲なので、離れている間は……私には見せなかったけど辛かっただろうな。私だってジェネの姿が見えないだけで、こんなにも心細く思うんだから。
今はとにかく料理提供や空いた皿を下げる、汚れたテーブルを布巾で拭くなどのさながらホテルのバイキング会場のホール係のように、黙々と仕事をした。「座って一緒に飲んでなよ」と様々な人に言われたけど、今は動いている方が考えが紛れていい。
*****
「ショーコ」
沢山空いた皿を調理場に下げ、再び食堂に戻って何かすることがないかキョロキョロしていたら、突然後から腕を引かれた。
「きゃっ! わわっ、ジェネ!」
「こっちだ」
突然現れたジェネは驚く私に構わず腕を引っ張ってどこかへ連れて行こうとする。誰にも言わず場を離れる訳にもと戸惑っていたら、ジェネは遅れてきたハルに目配せをして「大丈夫だ」と私を安心させる。
「若、ごゆっくり」
ヒラヒラと手を振り、ハルは調理場へと消えて行った。――ナニをする気なんだろう? え、黄色い歓声が聞こえたよ?! えっ、ハルってば、ちょっと……?!
その様子を見ることもなく、私はジェネに引かれるまま付いて行った。
連れて行かれたのは魔窟。通称獣道を渡り、執務机の奥にある窓辺へと並んで立った。ジェネが窓を押して開け、「見てごらん」と私の視線を上へと導く。夜風がヒンヤリと私の頬を撫で、澄んだ空気を吸い込みながら私は夜空を見上げた。
「わあ、綺麗……」
この世界に来たばかりの頃は濃紺の空に浮かぶ十二個の光る球体に驚いたけど、今はそれぞれに特徴を備えていることも覚えた。
「ね、あの頂点に来ているのは何て言う名前なの?」
窓枠に手を掛け夜空を見上げた私の後ろから、ジェネは私が指差す同じ方向を見る。
「あれはラムダだ。一日を区切る目安になる。ラムダに始まり、トゥーラで終わる。それがこの世界の理だ。ショーコ、お前のお陰で再びこの美しいラムダをレーンに呼び戻す事ができた……礼をいう」
ジェネが私の肩に腕を回し優しく引き寄せた。トン、と背中を鍛えられた厚い胸に押され、それだけで私の鼓動は跳ね上がる。どぎまぎしながらも、ジェネに伝えたい気持ちを懸命に言葉へと乗せる。
「確かに大変だったけど……それは私だけじゃない、ジェネ達みんな、そう、みんなで頑張ったからよ。それに私は嬉しいの」
「嬉しい?」
「うん。色々な人に出会えて、色々な経験ができて。私、ちゃんと自立出来ていたかと思っていたけど、私が気づかなかっただけで皆に守られていたんだなって発見できたの。力を抜いて周りを見れば、険しいだけの世間じゃないんだなって。頼る相手がいるというのは、こんなにも心を強くするのね。――ねえ、ジェネ? 私が甘えたいなって思うのは、あなただけなの。あなたの傍で……甘えさせて?」
私の背後から前に回された筋が固い腕を軽く掴み、振り返るように見上げてジェネにお願いをする。するとジェネは何か眩しい物でも見たかの様にほんのり目を細めた。
「……そんな目をしながら可愛いこというな。俺もショーコの前では自然体になれる。こんなに気持ちが安らげるのは初めてだ。ただ……俺は欲深い。ショーコのすべてが欲しくなる」
肩を抱く力が一層強くなり、全てを求められる心地良さに全てを預けたい。
こんなにも私を欲してくれて、愛してくれて、満たしてくれる。
そう――契約の為ではなくただ単純に、私はジェネと深くなりたいんだ。私とジェネと、一つに。
もう……決めた。
「あの、その事なんですけど」
「なんだ?」
緊張感から口をついて出た掠れ声は自分でないような気がした。
「あっ、でも先にこっちを言わなきゃ!」
鼓動が激しく乱れ巡る血が熱いけれど、これだけは伝えなければ。
肩を抱くジェネの腕を外し、私からジェネの胸に回り込んで抱きつき顔を伏せ、勢いのまま口を動かした。
「私、ジェネが好き! 大好き! ――ずっとずっと、言いたかったのっ!」
ぎゅうっと頬をジェネの体に押し付け、厚くて手が回らない背中を抱き締めた。
「またこっちに戻れる方法あるんだって! 翔が私に方法教えてくれるって! だから……きゃあっ!」
抱き締めていたのは私だったはずなのに、逆に掻き抱かれてしまった。いつもならもう少し優しく抱き締めてくれるのに、この余裕の無さは……!
「ショーコ、ショーコ!」
「ちょっと、ジェネ! 苦しいよ」
「ショーコ……。この手、この体。離したくない。もう俺はショーコなしではいられない」
喉の奥から紡ぎだされるその言葉はとても苦しそうで、それはジェネの気持ちが強く込められていた。胸が熱くなった私からも、ぎゅうっとより一層抱き締める。
「ショーコ、愛してる」
体を屈めたジェネが耳元で熱っぽく囁き、熱い吐息と共に柔らかな何かが耳朶をなぞり上げた。
「ひゃっ」
背中がぞくりと震える。慌てて顔をあげると、ジェネが緩く弧を描いた目で私を見下ろしていた。その瞳の奥にはなにか熱い炎が見える。あぁ、ジェネは私を……。
『求めてくれる』の……?
「ね、ジェネ。お願いがあるんですけど」
ジェネは私の声に何かしらの決意が伝わったのか抱き締める手を緩め、向かい合っていた体を片膝をついて視線を合わせてくれた。しかし私としてはこれから伝える言葉を目を合わせてだなんて絶対無理! 俯いてぎゅうっと目を閉じて一気に口を開く。
「あの。ジェネ、あの……っ! 私と……し、してください、ませんかっ!」
明日にはすぐに続きを上げます!