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AI作文_仮題:銀河経済の興亡  作者: OZONE
第三章 火星標準戦争
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第一部 赤い標準

第三章 火星標準戦争

第一部 赤い標準


 火星の朝は、赤くない。


 少なくとも、基地の内側で暮らす者にとってはそうだった。火星の朝は、照明スケジュールの白色光で始まり、気圧制御弁の短い開閉音で整えられ、居住区の壁面に流れる企業ロゴの更新によって告げられる。外の砂嵐がどれほど赤くても、地下に掘られた都市の内部では、朝は規格化された光量と空調量の組み合わせにすぎない。


 桐生レイは、アレス・ロジスティクス社第三連絡基地の監査員宿泊室で目を覚ました。


 天井は低い。壁は薄い。ベッドの横には、酸素消費予測、外気圧、放射線量、連絡トンネル稼働率、輸送ポッド遅延率が並んでいる。火星では、目覚める前から数字が人間を見ている。


 レイは腕を上げた。


 手首には、薄い黒色の生命維持IDが巻かれている。正式名称はOXY-ID統合端末。だが、現場の者はただ「腕輪」と呼ぶ。月面時代のOXY腕輪を祖型とする端末であり、酸素残量だけではなく、所属企業、労働契約、居住区アクセス権、医療情報、支払い口座、緊急避難優先順位までを束ねている。


 腕輪は生きるための鍵だった。


 ただし、火星では鍵の形が基地ごとに違う。


 レイの端末には、企業連合監査機構の中立認証が入っている。理論上、彼は火星の主要企業基地すべてに入れる。理論上、と付ける必要があるのは、火星で最も頼りにならない言葉が「相互承認」だからだった。


 画面に今日の予定が表示される。


 《ヘリオス・ライフサポート社 酸素供給モジュール監査》

 《ノクティス・データリンク社 緊急ID読取互換性確認》

 《マルス・シェルターズ社 避難扉開放試験》

 《MARS-0管理局 旧式救難通信ログ照会》


 最後の予定だけが、薄い灰色で表示されていた。


 現代火星の業務端末は、古いものをそうやって扱う。消えてはいない。だが、主画面の光量を与えない。更新が遅く、認証形式が古く、現在の商用保険体系に接続していないものは、存在していても周辺へ追いやられる。


 レイは灰色の行を指で押した。


 《MARS-0管理局。担当技師:ユナ・サエキ。施設状態:限定稼働。商用救難網との統合率:二・七パーセント。推奨監査優先度:低》


 低。


 火星で低と表示されたものは、たいてい壊れるまで放置される。


 レイは洗面台に立ち、顔を洗った。水はほんの少し鉄の匂いがした。火星の再生水には、どの基地でもそれぞれの癖がある。アレス系は金属臭が強い。ヘリオス系は消毒剤の匂いが強い。ノクティス系は無臭に近いが、料金表示が細かい。


 水の匂いにまで企業の違いが出る。


 それが火星だった。


     *


 火星には、まだ政府がなかった。


 正確に言えば、火星憲章準備委員会という書類上の組織はある。各社の代表と地球・月面の旧公的機関から派遣された委員が、毎月一度、互いに責任を負わない議事録を作成している。しかし火星で実際に人を生かしているのは、憲章ではなく企業だった。


 酸素はヘリオス・ライフサポート社が作る。


 輸送はアレス・ロジスティクス社が動かす。


 IDと通信はノクティス・データリンク社が握る。


 居住区と避難シェルターはマルス・シェルターズ社が掘る。


 それぞれが自社規格を持ち、自社の安全基準を持ち、自社の事故免責条項を持っている。平時にはそれでよい。むしろ、その方が速い。投資判断も修理判断も、契約内で閉じる。互いの責任範囲が明確で、会計処理も容易になる。


 問題は、火星では平時と非常時の境界が薄いことだった。


 レイは、アレス第三基地の中央連絡廊を歩いた。通路の床には、赤い線、青い線、黄色い線が引かれている。赤は輸送ポッド行き。青は居住区。黄色は緊急退避路。さらに壁面には、企業ごとの通信タグが並んでいた。Ares-Link、Helios-O2、NoxGate、MarsShelter-Civic。すべてが接続しているように見える。


 見えるだけだ。


 レイは立ち止まり、黄色い退避路の接続標識を眺めた。


 《緊急時:OXY-Aresまたは相互認証済みOXY-IDを提示》


 相互認証済み。


 その一文が、彼の仕事の大半を生んでいる。


 どこまでが相互認証なのか。どの緊急度で認証を省略できるのか。酸素残量が閾値以下になった場合、企業契約は停止されるのか。未払い状態の労働者は隣接企業の避難区画に入れるのか。所属不明の子どもの医療データは読めるのか。負傷者のOXY-IDが破損していたら、扉は開くのか。


 規格表には、すべて答えがある。


 ただし、企業ごとに別の答えがある。


 レイは標識を撮影し、監査端末に記録した。評価欄に、いつもの文を入れる。


 《緊急時における生命維持アクセスの相互運用性に疑義。MARS-0相当の最低開放モードとの照合を推奨》


 何度書いたか分からない文だった。


 推奨。


 その語尾が弱いことも、彼は知っていた。


     *


 標準化監査官という職業は、火星では嫌われている。


 理由は単純だ。彼らは何も作らない。酸素を作らず、トンネルを掘らず、輸送ポッドを動かさず、通信塔を建てない。そのくせ、作られたものに対して、互換性が足りない、冗長性が薄い、緊急時の例外処理が危険だ、と言う。


 現場の技師から見れば、監査官は遅延の化身だった。


 経営側から見れば、監査官は利益率の低下だった。


 居住者から見れば、監査官は事故が起きた後に現れる人間だった。


 レイ自身、その評価を完全には否定できない。


 彼は理想家ではなかった。すべての規格を統一すれば火星が良くなる、などとは考えていない。企業が投資し、企業が基地を建て、企業がリスクを背負う以上、自社規格を持つのは当然だ。酸素カートリッジの接続部ひとつとっても、安全率、流量、圧力制御、フィルター素材、保守周期が違う。無理に統一すれば、かえって危険になる場合もある。


 だからレイの主張は狭い。


 平時の規格は違ってよい。


 商用サービスは競争してよい。


 料金も契約も各社が決めればよい。


 ただし、人が死ぬ瞬間だけは、同じ規格でなければならない。


 その線だけを引くために、彼は火星を回っている。


 朝の監査会議は、アレス第三基地のガラス張りの小会議室で行われた。ガラスといっても、本物のガラスではない。火星で透明な壁を作るには意味が必要で、ここでは「開かれた企業間協議」を演出する意味があった。


 テーブルには四社の担当者がいた。


 アレスの輸送管理官、ヘリオスの生命維持主任、ノクティスのID連携担当、マルス・シェルターズの避難設備責任者。


 そして、レイ。


 企業連合監査機構の席は、いつも端に置かれる。


 アレスの管理官が、最初に口を開いた。


「桐生監査官。今回の点検範囲は、第三連絡トンネルからヘリオス北酸素プラント、マルスD避難層まででよろしいですね」


「はい。加えて、ノクティスの緊急ID読取中継点も確認します」


 ノクティスの担当者が、わずかに眉を動かした。


「緊急IDは前回監査で適合判定を受けています」


「適合判定は、OXY-AresとOXY-Nox間の基本認証についてです。今回は、OXY-Luna Legacy、OXY-Civic、破損端末、未所属者の緊急読取を含めます」


「未所属者は、当社ネットワークの利用者ではありません」


「事故時には、所属を確認できない人間が発生します」


「それを標準運用に入れると、セキュリティ穴になります」


「標準運用ではなく、緊急運用です」


「緊急という言葉は便利です。たいていの規約違反は、それで始まる」


 ノクティス担当者の声は冷たかった。まだ若い男だが、目だけが年長者のように疲れている。自社規格の穴を認めることが、自分の評価に直結する立場なのだろう。


 レイは端末を閉じた。


「規約違反を防ぐための監査です。人命を拒否するためではありません」


 空気が少し硬くなった。


 ヘリオスの主任が、間に入るように咳払いした。


「酸素側としても、非認証カートリッジの接続には慎重にならざるを得ません。過去に逆流事故があります。古いOXY-Luna系は圧力制御が甘い」


「承知しています。だから全互換ではなく、最低流量の緊急接続だけを確認したい」


「最低流量でも、フィルター規格が違えば汚染リスクはあります」


「汚染リスクと窒息リスクを比較する必要があります」


「比較表は?」


「提出済みです」


「費用負担欄が空欄でした」


 レイは黙った。


 そこがいつも空欄になる。


 緊急時に誰でも開く扉。残高を見ない酸素。所属を問わない医療データ読取。壊れたIDでも通す避難プロトコル。


 それらは美しい文になる。


 だが、費用負担欄に名前を書かない限り、火星では実装されない。


 アレスの管理官が、ため息をついた。


「我々は監査に協力します。ただ、火星全域の標準化議論をこの基地だけで進めることはできません」


「分かっています」


「なら、今日の監査は既存契約の範囲内でお願いします」


 既存契約。


 その言葉は、火星で最も強い壁のひとつだった。


     *


 監査は、予定どおりには進まなかった。


 火星の予定は、たいてい外気圧と砂嵐と企業間調整によって削られる。


 午前十時二十三分、第三連絡トンネルの東側検査扉で、レイの中立認証が一度拒否された。理由は、ノクティス側中継点の証明書更新遅延。十一時五分、ヘリオスの緊急酸素カートリッジ接続試験で、OXY-Luna Legacy端末が警告停止した。理由は、旧月面式残高管理フィールドが火星式酸素使用権フィールドと衝突したため。十一時四十八分、マルスD避難層の医療情報読取試験で、負傷者模擬データが匿名化されすぎて搬送優先度を判定できなかった。


 どれも致命的ではない。


 平時なら、担当者が呼ばれ、例外コードが入力され、管理権限で上書きされる。


 レイはそのたびに記録した。


 《手動介入により通過可能。ただし無人・低通信・多重事故時の自動相互運用性は未確認》


 同じ文が増えていく。


 午後、彼は第三連絡トンネルの中央まで歩いた。


 そこは、アレス、ヘリオス、ノクティス、マルスの管理境界が重なる場所だった。床材が途中で変わる。照明色もわずかに変わる。壁面の配管には、企業ごとの色帯が巻かれている。赤、白、黒、灰。


 レイはその接合部に立ち、天井を見上げた。


 一本の配管が四つの管理台帳に分かれている。


 一本の避難経路が四つの契約に分かれている。


 一本の救難信号が四つの周波数に分かれている。


 火星は、接続された分断だった。


 同行していたアレスの若い技師が、気まずそうに言った。


「ここ、見た目ほど危なくないですよ。普段は問題ありません」


「普段は、そうでしょう」


「事故時も、中央管制がいれば開けられます」


「中央管制が生きていて、通信が通っていて、権限者がログインできて、どの企業の責任範囲か争っていなければ」


 技師は黙った。


 レイは責めるつもりはなかった。現場は悪意で作られていない。むしろ、各社の技師は真面目だ。自社の区画を守り、自社の基準を満たし、自社の事故を防ごうとしている。


 だから厄介だった。


 誰も殺すつもりがないまま、人が死ぬ構造ができる。


 レイは、境界部の写真を撮った。


 その時、腕輪が短く震えた。


 《旧式救難通信ログ照会予定。MARS-0管理局より到着確認》


 灰色の予定が、青に変わっていた。


     *


 MARS-0管理局は、火星の地図上では中心から外れた場所にある。


 実際には、そこがかつて中心だった。


 初期入植時代、まだ火星開発が国家と国際機関の事業だったころ、最初の緊急通信塔と避難指令系は、現在の企業基地群より少し南の地下岩盤に設置された。地殻が安定し、砂嵐の影響が比較的小さく、当時の着陸地点と旧研究棟の中間にあたる場所だった。


 その後、民間投資が入り、効率の良い鉱脈に近い基地、輸送に適した峡谷沿いの基地、氷資源に近いプラントが増えた。火星の中心は、資本とともに移動した。


 MARS-0だけが、古い場所に残された。


 レイは、アレスの小型車両で管理局へ向かった。地表走行ではなく、半地下の保守トンネルを使う。透明窓の外には、赤土ではなく、灰色のコンクリートと古い補強材が流れていく。ところどころに、旧地球暦の年号が刻まれていた。


 車両が停止すると、古い気密扉が現れた。


 扉には、企業ロゴがない。


 代わりに、色あせた標識が貼られている。


 《MARS-0 EMERGENCY MESH NODE》

 《どの居住区も、孤立しては生きられない》


 レイは、その文字をしばらく見た。


 企業ロゴのない扉は、火星では奇妙なほど裸に見える。


 インターホンが鳴る前に、扉が開いた。


 中から出てきたのは、作業服姿の女性だった。年齢はレイと同じくらいか、少し上。髪を短く切り、右耳の後ろに古い通信補助端子を付けている。端末を持つ手には、細かな傷があった。


「桐生レイ監査官?」


「はい。ユナ・サエキ技師ですか」


「技師兼管理者兼受付兼清掃担当」


 彼女はそう言って、手を差し出した。


「MARS-0管理局へようこそ。火星で一番古くて、一番予算の少ない緊急通信網です」


 レイは握手した。


「監査に来ました」


「知ってる。だいたい、監査か故障か見学者しか来ない。見学者はもう十年くらい来てないから、二択」


「故障ではありません」


「なら監査ね。残念。故障なら直せる」


 ユナの声には、軽さがあった。だが、目は軽くない。古い設備を守る人間の目だった。


 彼女はレイを中へ招いた。


 MARS-0管理局の内部は、現代火星の基地とは違っていた。壁面は古い白色パネルで、傷が多い。通路は狭く、天井配管がむき出しになっている。端末の半分は新しい補修部品で、残り半分は旧規格のまま残されていた。企業基地のような滑らかな広告画面はない。代わりに、通信ログ、気圧図、非常時避難線図、古い火星地図が壁に貼られている。


 レイは、壁の一角に目を止めた。


 そこには、古い接続図があった。


 Earth Elevator Root。


 Luna Civic Grid。


 Mars Emergency Mesh。


 Jovian Relay Prototype。


 文字のいくつかは薄れていたが、読めた。


 ユナが振り返る。


「珍しい?」


「今の火星地図では見ません」


「今の地図は、金の流れを書くから。これは、人が詰まったときの逃げ道を書いた地図」


「逃げ道」


「古い規格は遅い。でも、誰のものでもない。だから、誰にでも届く」


 レイはその言葉を、すぐには返せなかった。


 企業連合の会議で、誰のものでもないという言葉は、たいてい無責任と同義になる。所有者がいない。保守責任者がいない。費用負担者がいない。だから危険だ、と。


 だがユナは、まったく別の意味で言っていた。


 誰のものでもないから、誰にでも届く。


 火星では、古さが欠陥とは限らない。


     *


 MARS-0の主制御室は、地下深くにあった。


 部屋の中央には、円形の通信卓がある。現代的な立体投影ではなく、古い平面ディスプレイが複数並ぶ形式だった。表示は粗い。反応も遅い。だが、レイはすぐに気づいた。


 接続先が多い。


 アレス、ヘリオス、ノクティス、マルスだけではない。小規模採掘居住区、旧研究棟、休眠中の温室、廃棄予定の補給庫、独立労働者の仮設シェルター、保険対象外の修理区画。現代の商用救難網では低優先度に分類される場所が、MARS-0の地図ではまだ光っている。


「全部、生きているんですか」


「全部じゃない。三割は沈黙。二割は片方向。まともに双方向通信できるのは四割くらい」


「残り一割は?」


「何かが返ってくる。意味があるかは分からない」


 ユナは端末を操作した。


 画面に、ノイズのような波形が並んだ。


「商用網だと、こういうのは破棄される。署名が古い、発信元が不明、保険IDなし、帯域が低い、暗号強度が足りない。理由はいくらでもある」


「MARS-0では破棄しない?」


「破棄するほど容量がない。だから圧縮して残す」


「容量がないなら、普通は捨てるのでは」


「普通はね。でも、救難信号はあとから意味が分かることがある」


 ユナは一つのログを開いた。


 短い断続音。古い識別子。位置情報は曖昧。発信時刻は十七日前。


「これは?」


「ノイズ扱いで回ってきたもの。商用網では無効。MARS-0では低強度救難候補」


「場所は」


「第三連絡トンネル系。企業境界部」


 レイは画面を見た。


 今日、自分が立っていた場所に近い。


「誰かが発信した?」


「たぶん。手動じゃない。腕輪の旧式緊急層が、自動で吐いた信号だと思う」


「OXY-Luna Legacy?」


「それに近い。月面OXY-LIFE系の子孫。火星では互換性が低いけど、MARS-0は拾う」


 レイは背筋に冷たいものを感じた。


 十七日前。


 企業境界部。


 旧式緊急信号。


「この件、企業連合に通知しましたか」


「した。三回」


「回答は」


 ユナは、端末の別画面を開いた。


 《発信源不明。現行救難規格外。優先度低。監視継続》


 その文を、レイは何度も見たことがある。


 監視継続とは、まだ動かないという意味だった。


「現地確認は?」


「MARS-0管理局には、人員も車両もない。商用網に投げるしかない。でも商用網ではノイズ」


「今日の監査ルート上です」


「知ってる。だから呼んだ」


 レイはユナを見た。


「到着確認だけではなかったんですね」


「監査官は、正式に見たものを記録できる。私が騒いでも、古い通信屋の心配で終わる。でも、あなたが監査ログに入れれば、少しだけ重くなる」


「少しだけ」


「火星では、少し重くするのに何年もかかる」


 レイは画面に視線を戻した。


 ノイズ。


 低優先度。


 現行規格外。


 それらの言葉が、急に人間の声に聞こえた。


     *


 夕方、レイは第三連絡トンネル系の追加確認を申請した。


 アレスは難色を示した。監査予定外であり、ヘリオス側の作業許可が必要であり、ノクティスのID中継点を越えるには事前承認が必要であり、マルス・シェルターズの避難層は夜間保守に入る予定だった。


 すべて、もっともな理由だった。


 もっともな理由が四つ並ぶと、火星では誰も動けなくなる。


 レイは、申請理由欄に文を入力した。


 《MARS-0低強度救難候補ログと現地監査対象区域が近接。現行商用網で無効処理された旧式OXY緊急層の相互運用性確認を要する》


 返答は早かった。


 《緊急性不明。翌定例監査に編入を推奨》


 翌定例監査。


 二週間後だった。


 レイは端末を閉じ、ユナを見た。


「現地に行く方法は」


「正式には、再申請」


「非正式には」


「MARS-0の保守経路がある。古い。狭い。企業境界の下を通る。今は点検用で、人間が通ることは推奨されない」


「推奨されないだけですか」


「禁止ではない。禁止する主体が消えたから」


 ユナは、壁の古い鍵箱を開けた。


 中には、物理キーがあった。


 火星で物理キーを見る機会は少ない。現代の扉はすべてOXY-IDと企業認証で動く。物理キーは、認証網が落ちたときの最後の手段として残されているだけだ。


 ユナは一本を取り出した。


「監査官として来る?」


「監査官として行きます」


「なら、記録を切らないで」


「もちろん」


「違う。自分のためじゃない。あとで、行ったことをなかったことにされないため」


 レイは頷いた。


 彼は端末の常時記録を起動した。


 画面に、赤い点が灯る。


 記録中。


 火星でその赤い点は、ときに酸素残量より頼りになる。


     *


 保守経路は、旧時代の匂いがした。


 油、金属、乾いた埃、古い樹脂。現代の基地は匂いを管理する。居住者の不安を減らすため、企業ごとに空調の香りさえ標準化されている。だが、MARS-0の保守経路には、そうした管理が届いていない。


 通路は狭く、二人が横に並ぶのがやっとだった。壁面には旧式のケーブル束が走り、ところどころ新しい補修材で固定されている。足元の標識には、旧地球暦と火星入植暦が併記されていた。


 ユナが前を歩く。


「ここは、初期入植時代の避難線。企業基地ができる前、居住区同士を最低限つなぐために掘られた」


「今の地図には載っていません」


「載せると、誰が保守費を払うか聞かれる」


「聞かれるべきでは」


「聞かれるべき。でも、答えが出るまで閉鎖される。閉鎖されたら、いざというとき使えない」


 レイは何も言わなかった。


 正しさには順番がある。


 彼は標準化監査官として、その順番をよく知っているつもりだった。だが、この古い通路では、順番そのものが違っていた。まず残す。次に直す。最後に責任を決める。現代火星の企業論理とは逆だった。


 しばらく進むと、壁面の通信端末が点滅していた。


 ユナが膝をつき、古いケーブルを接続する。


「ここから先が、第三連絡トンネル系の下。上はアレスとヘリオスの境界。さらに東がノクティス管理のID中継点」


「MARS-0ログの位置は」


「誤差が大きい。半径二百メートルくらい」


「広いですね」


「古いから」


 ユナは端末を叩いた。


 粗い地図に、薄い光点が表示される。


「でも、同じ信号がもう一回出てる」


 レイは画面を覗き込んだ。


 時刻は、三分前。


 発信源は、少し移動しているように見えた。


「人がいる?」


「腕輪だけが動いている可能性もある」


「腕輪だけ?」


「輸送ポッドの貨物に紛れた端末、廃棄品、作業服。いろいろある」


 ユナの声は冷静だった。


 だが、次の瞬間、別の波形が出た。


 短い三連信号。


 ユナの表情が変わった。


「これは手動」


「救難?」


「古い形式なら、そう」


 レイは端末を開き、企業連合へ緊急照会を送った。


 《MARS-0手動救難候補信号を確認。第三連絡トンネル系境界部。現地確認中。商用救難網への再転送を要請》


 数十秒後、返信。


 《現行救難署名なし。誤報可能性。発信源特定後に再申請》


 ユナが笑った。


 笑いではなく、息が漏れただけだった。


「発信源を特定するために救難網が必要なのに、発信源を特定しないと救難網が動かない」


 レイは、画面を見つめた。


 彼はこれまで、その種の矛盾を何度も報告書に書いてきた。だが、報告書の中の矛盾は静かだった。今、矛盾は三連信号の形で鳴っている。


「行きましょう」


 ユナは頷いた。


     *


 彼らが辿り着いたのは、旧保守経路と現行連絡トンネルの間にある細い点検室だった。


 点検室の上部には、気密ハッチがある。その向こうが、企業境界部の補助層にあたる。通常なら、ノクティスIDとアレス保守権限、ヘリオス生命維持承認が必要になる場所だ。


 MARS-0側からは、物理キーで開いた。


 ハッチの隙間から、冷たい空気が流れ込んだ。


 ユナが携帯センサーを差し込む。


「気圧、低い。酸素分圧も落ちてる。でも即死域じゃない」


「人は?」


「熱源……二つ。いや、三つ。ひとつは弱い」


 レイは喉が乾くのを感じた。


「開けます」


「待って。開けた瞬間、こちら側の気圧も引かれる。簡易シールを張る」


 ユナが手早く作業した。古い保守袋から膜材を取り出し、ハッチ周囲に貼る。現代の企業標準品ではない。だが、動いた。


 ハッチが開く。


 中は暗かった。


 ライトを向けると、狭い補助層の床に人が倒れていた。作業服はヘリオス系。もう一人はアレスの輸送補助員。奥に、小さな影がうずくまっている。


 子どもだった。


 レイは一瞬、判断が遅れた。


 なぜ子どもがここにいる。


 火星の企業境界部は、子どものいる場所ではない。


 ユナが先に動いた。


「意識確認。あなた、聞こえる?」


 子どもが顔を上げた。十歳くらいに見える。目が乾き、唇が青い。手首には、古いOXY-Civic端末が巻かれていた。画面は割れている。


「扉が……開かなかった」


 声は細かった。


 レイは端末をかざした。


 補助層の奥には、避難扉がある。マルス・シェルターズ管理。機械状態は正常。気密も維持。だが、認証表示は赤だった。


 《ID規格不適合》

 《所属企業未確認》

 《避難優先順位判定不可》


 レイの視界が狭くなる。


 この文を、彼は知っている。


 監査表の中で、何度も見た文だ。


 ここでは、それが扉になっていた。


「開放要請を送ります」


 レイは自分の中立認証で扉にアクセスした。


 拒否。


 《管理権限不足》


 アレス経由で要請。


 保留。


 ヘリオス酸素緊急接続要請。


 保留。


 ノクティスID一時読取要請。


 認証中。


 マルス避難層開放要請。


 応答なし。


 ユナが負傷者に酸素を当てながら言った。


「何分?」


「この子は、あと七分。奥の二人は、酸素投与すれば持つ」


「扉は」


「企業承認待ち」


「待てない」


 レイは、扉の横にある古い端子を見た。


 MARS-0互換ポート。


 現代設備の端に、ほとんど使われない灰色の差込口が残っている。


「これで開きますか」


 ユナは一瞬だけ見た。


「開く可能性はある。非常時最低開放モード。ただし、今のマルス扉で使うと監査ログに残る」


「残してください」


「権限は?」


「監査官権限では足りません」


「なら」


 ユナは、自分の古い端末を差し込んだ。


「MARS-0管理者権限で試す」


 扉の表示が揺れた。


 《旧式緊急プロトコル検出》

 《現行規格外》

 《管理者確認を要請》


 レイの端末に、確認画面が出た。


 《企業連合監査官による旧式緊急プロトコル使用確認》

 《本操作は、商用契約外生命維持アクセスを発生させる可能性があります》

 《費用負担未確定》

 《責任主体未確定》

 《続行しますか》


 続行。


 レイは迷わず押した。


 扉は、すぐには開かなかった。


 数秒、長い沈黙があった。


 そして、古い駆動音が鳴った。


 避難扉が、指一本分だけ動いた。


 ユナが肩を入れる。レイも押した。気圧差で重い。内側から補助機構が動き、ようやく人が通れる幅が開いた。


 子どもを先に通す。


 次に負傷者。


 最後に、レイとユナ。


 扉の向こうは、マルスD避難層の副室だった。照明は暗いが、気圧は安定している。空気が濃く感じる。


 子どもが床に座り込み、泣き出した。


 レイは壁に手をついた。


 腕輪が震えている。


 企業連合からの通知が、次々に入っていた。


 《未承認緊急開放を検出》

 《マルス・シェルターズ管理区画への非契約者侵入》

 《ヘリオス酸素使用権限外消費》

 《ノクティスID読取異常》

 《監査官権限逸脱の可能性》


 通知は正しい。


 すべて正しい。


 だが、床の上で子どもが泣いている。


 レイは、初めてはっきりと思った。


 正しい規格だけでは、人は救えない。


     *


 救助そのものは、小さな事案として処理されかけた。


 死亡者はいない。負傷者は三名。原因は、非標準補助層への誤進入、旧式OXY-Civic端末の破損、境界部気圧低下、マルス避難扉の認証不一致。企業連合の初期報告書は、事案をこう分類した。


 《軽微な生命維持接続不全》


 レイは、その文を見たとき、端末を持つ手に力が入った。


 軽微。


 月面のG-17事故でも使われた言葉だと、彼は知っている。あの時、白瀬ユウという監査補助員が「人がいるなら軽微ではない」と記録した。その記録がOXY-LIFEを生んだ。第2章の公的資料は、火星の標準化監査官研修にも入っている。


 だが、研修に入っていても、言葉は繰り返される。


 制度は、過去の痛みを引用しながら、同じ痛みを別の欄に移す。


 レイは報告書の差戻し欄に入力した。


 《人員閉じ込め、OXY-ID規格不適合、避難扉正常拒否、旧式救難信号の商用網不受理、MARS-0による非契約者救出を含む。軽微分類は不適切》


 送信。


 数分後、上席から呼び出しが来た。


     *


 企業連合監査機構の火星支部長室は、ノクティス管理棟の上層にあった。


 壁は黒に近い灰色で、窓には地表の映像が映っている。実際の窓ではない。火星の外を見せるためのスクリーンだ。赤い地平線の向こうに、遠くの通信塔が立っている。


 支部長の名は、槇島トウゴ。元アレスの法務担当で、現在は中立監査機構に出向している。火星では、誰も完全には中立ではない。中立とは、複数の利害に少しずつ借りがあるという意味だった。


 槇島は、レイの報告書を読んでいた。


「桐生君。君の行動で三人が助かったことは、まず確認しておく」


「はい」


「そのうえで、手続きは問題だらけだ」


「承知しています」


「MARS-0管理者権限を、現行商用避難層に接続した。マルスの承認前に扉を開けた。ヘリオス酸素を非契約者に流した。ノクティスIDを未認証状態で通過させた。アレス管理境界の保守経路を予定外使用した」


「はい」


「全部、事故調査案件だ」


「事故調査してください」


 槇島の眉が動いた。


「君を処分するための調査になる可能性もある」


「それも記録に残ります」


「強い言い方だな」


「弱い言い方では、軽微になります」


 室内が静かになった。


 槇島は、椅子の背にもたれた。


「月面の資料を読んだか」


「OXY-LIFE関連は」


「なら分かるだろう。あの制度が通ったのは、月面で死者が出なかったからではない。死者が出なかったにもかかわらず、死にかけた記録を消せなかったからだ」


「今回も、消すべきではありません」


「消すとは言っていない。分類を調整すると言っている」


「同じです」


 槇島は、少しだけ笑った。


 疲れた笑いだった。


「若い監査官は、同じという言葉を使いたがる。だが、実務では同じではない。消す、分類する、保留する、注記する、別紙に回す。全部違う」


「結果として、次の扉が開かないなら同じです」


 レイは、自分の声が硬くなっているのを感じた。


 槇島は、報告書を閉じた。


「君は何を求める」


「今回の事案を、生命維持相互運用性重大インシデントとして扱うこと。MARS-0ログの商用網不受理を原因に含めること。OXY-ID規格不適合による避難扉拒否を、設備正常ではなく設計不全として扱うこと。火星企業連合に、緊急共通層の検討会を設置させること」


「大きい」


「人が閉じ込められました」


「死者は出ていない」


「死者が出るまで待つ必要はありません」


 槇島は答えなかった。


 スクリーンの赤い地平線だけが動いている。


 しばらくして、彼は言った。


「ノクティスが動く」


「分かっています」


「ヴァイス・ケイロンも出てくる」


 その名前を聞いた瞬間、レイは表情を変えないようにした。


 ヴァイス・ケイロン。


 ノクティス・データリンク社火星圏標準戦略部長。火星でID規格の話をするなら、避けて通れない人物だ。彼は事故を起こす人間ではない。事故の後に、最も合理的な標準案を持って現れる人間だった。


 槇島は続けた。


「彼は今回の件を、自社ID統合の材料にする。MARS-0ではなく、NoxGate統合救難網こそ必要だと言うだろう」


「それで助かるなら、検討すべきです」


「本気で言っているのか」


「規格は、企業名ではなく機能で判断すべきです」


「では、NoxGateが火星全域の生命維持IDを握ることになっても?」


 レイは黙った。


 その沈黙を、槇島は見逃さなかった。


「標準化は中立ではない。どの規格を採用するかは、誰の権力を公共に見せるかという話だ」


「だから、最低共通層が必要です」


「MARS-0を基礎に?」


「MARS-0そのものでは古い。ですが、誰のものでもない層が必要です」


 槇島は端末に何かを入力した。


「分かった。君の報告書を、差戻しではなく、重大インシデント予備評価に回す」


 レイは息を止めた。


「ただし、君は当面、この件の担当から外れる可能性がある」


「なぜですか」


「当事者になったからだ」


 それは正しい。


 レイは扉を開けた。記録者であると同時に、事案の実行者になった。


 標準化監査官としては、弱点になる。


 だが、あの子どもを前にして、扉を開けない記録者でいることはできなかった。


「担当から外されても、記録は残りますか」


「残す」


「分類名は」


 槇島は、少し迷った。


 そして言った。


「第三連絡トンネル境界部生命維持相互運用性インシデント。暫定重大」


 暫定。


 重大。


 火星では、それだけでも扉が少し動く。


     *


 その夜、レイはMARS-0管理局へ戻った。


 ユナは通信卓の前に座り、救助ログを整理していた。古い画面には、三人の生体データ、扉開放ログ、酸素投与量、MARS-0信号の波形、企業連合への送信履歴が並んでいる。


「重大になった?」


「暫定重大」


「火星らしい」


「ええ」


 レイは椅子に座った。


 疲労が遅れて来た。体が重い。腕輪の酸素消費グラフが少し上がっている。緊張と移動で、消費量が増えたのだろう。


 ユナは、一枚の古い写真を机に置いた。


 初期火星入植者たちが、通信塔の前に並んでいる。古い宇宙服。ぎこちない笑顔。背後に、まだ企業ロゴのない赤い地平線。


「MARS-0を作った人たち?」


「一部。全員ではない。名前が分からない人もいる」


「記録がないんですか」


「あるはずだった。でも、移管のたびに欠けた。国家から国際機関へ、国際機関から火星準備委員会へ、そこから企業連合へ。価値がないと判断された添付資料から消えていく」


 ユナは、写真の端を指でなぞった。


「古い規格が残るのは、強いからじゃない。誰かが捨てる書類の中から拾い続けたから」


「なぜ続けるんですか」


「たまに鳴るから」


「ノイズが?」


「声が」


 レイは、今日の三連信号を思い出した。


 古い形式。低強度。現行規格外。


 だが、確かに人がいた。


 ユナは言った。


「商用網は速い。綺麗で、安全で、認証も強い。必要なものだと思う。でも、そこに入れない声がある。古い腕輪、壊れた端末、契約外の居住者、境界に落ちた作業員。そういう声は、最新規格に向かって叫んでも、署名が違うって返される」


「MARS-0は拾う」


「拾うだけ。助ける力は、もうほとんどない」


「今日、助けました」


「今日だけね」


 ユナは苦笑した。


「次は、企業側が旧式ポートを塞ぐかもしれない。安全上の理由で。責任範囲を明確にするために。費用負担を整理するために。言葉はいくらでもある」


 レイは、扉の確認画面を思い出した。


 費用負担未確定。


 責任主体未確定。


 続行しますか。


 今日、彼は続行を押した。


 だが、火星全体でそれを押せる制度はまだない。


「作ります」


 レイは言った。


 ユナが顔を上げる。


「何を」


「事故時だけの共通層を。企業規格を全部消すのではなく、人が死ぬ瞬間だけ同じ動作をする層を」


「名前は?」


 レイは少し考えた。


 MARS-0は古い。


 だが、捨てるべきではない。


 新しいものにする必要がある。ただし、どこかの企業名ではない名前で。


「MARS-COMMON」


 口に出した瞬間、その言葉はまだ空っぽだった。


 仕様もない。費用負担もない。保守主体もない。企業連合が認める保証もない。


 だが、文になった。


 月面でOXY-LIFEが最初に文になったように。


 軌道エレベーターでAST-COMMON Layerが最初に文になったように。


 制度は、最初から制度として存在しない。


 誰かが、まだ弱い文を書くところから始まる。


 ユナは、通信卓の古いキーボードを引き寄せた。


「議事録に残す?」


「まだ議事録ではありません」


「じゃあ、作業メモ」


「作業メモで」


 ユナは入力した。


 《MARS-COMMON preliminary note》

 《目的:企業規格を横断する最低緊急接続層》

 《原則:誰の規格でもないため、誰にでも届く》


 レイは、その文を見た。


 誰の規格でもないため、誰にでも届く。


 それは、弱い文だった。


 だが、今日の火星では、その弱さだけが三人を通した。


     *


 翌朝、火星企業連合の臨時通知が全基地に流れた。


 《第三連絡トンネル境界部における生命維持相互運用性インシデントについて、臨時標準化会議を招集する》


 出席者一覧には、主要企業の名が並んでいる。


 アレス・ロジスティクス。


 ヘリオス・ライフサポート。


 ノクティス・データリンク。


 マルス・シェルターズ。


 MARS-0管理局。


 企業連合監査機構。


 そして、ノクティス側代表の欄に、その名前があった。


 ヴァイス・ケイロン。


 レイは、通知を閉じなかった。


 火星の標準戦争が始まる。


 それは、どの企業が勝つかを決める会議ではない。


 少なくとも、レイはそうしないつもりだった。


 これは、扉が誰を拒むかを決める戦争だ。


 酸素が誰の口に届くかを決める戦争だ。


 ノイズとして捨てられた声を、救難信号として扱えるかを決める戦争だ。


 レイは、腕輪の表示を見た。


 OXY-IDは正常。


 所属、企業連合監査機構。


 権限、限定。


 状態、審査中。


 彼は小さく息を吐いた。


 限定で十分だ。


 審査中で十分だ。


 扉が一度でも開いたなら、次は、その開き方を規格にする。


 火星の朝は、赤くない。


 それでも、地表のどこかで砂が動いている。基地の壁の外で、赤い粒子が通信塔に当たり、古いアンテナを震わせ、まだ誰のものでもない低い信号を運んでいる。


 MARS-0の画面の隅で、小さな光点がまた一つ点いた。


 ユナがそれを見て、短く言った。


「また、声」


 レイは立ち上がった。


 まだ会議は始まっていない。


 だが、火星はすでに鳴っている。



 記録は、まだ規格ではない。だが火星では、記録されなかったものから順に死んでいく。レイはその事実だけを、次の会議へ持っていくことにした。


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