ナグサ先生は新作を書きました
ゴールデンウィーク目前の、ある春の日のことだった。
自宅一階にある畳張りの部屋で、俺と『先生』はテーブルを挟んで向かい合った。
「全ボツ」
数分の沈黙を破り、俺は『先生』へと短く告げる。
すると『先生』は、ただでさえ大きな瞳を限界までグリグリに見開いて、
「…………ぺゎ?」
日本人が漏らしたとは思えない独特の発声方法で鳴いた。
肩口辺りまでしかない明るい茶髪を雑にゴムでまとめただけの、化粧ッ気のない女だ。
先述の通り瞳は大きめ、そして鼻梁はスッと高く、変な声を紡いだ唇は小さめ。
輪郭はやや丸く、全体的に童顔ではあるが、十分に美人と呼べる顔立ちをしている。
少し化粧して着飾るだけで、いくらでも男が寄ってくるだろう。
しかし、この女に限ってはそんな一般の美意識は全く通用しないのである。
それはこの女の今の服装を見ればわかる。
今、彼女が着ているのは袖の短い明るい色合いのTシャツだった。
胸元にデカデカと『牛タン100g6000円』とプリントされている。高ェよ。
このTシャツをデザインしたヤツは何を思ってこの値段設定にしたんだよ……。
しかもこの女、顔は子供っぽいくせに体は無駄に発育がいい。
そのおかげで『牛タン100g』の文字だけ無駄に盛り上がって主張してきやがる。
視界に入れなきゃいいだけの話だが、残念ながらそうもいかない。
『先生』はこっちを凝視しつつ、テーブルに両手を突いて前のめりになっている。
当然、俺との相対距離はその分縮まって、彼女の顔と胸元がグンと迫っている。
そして今現在、俺は座布団の上にあぐらをかいており、咄嗟には動けない状況だった。
あまりに無防備な『先生』の顔と胸元に、俺の視線は吸い寄せられそうになる。
しかし、そんな下心は許されない。
彼女が許さないのではない。俺が俺自身を許さないのだ。
例え、生まれたときからお隣さん同士の幼馴染だったとしても。
例え、『先生』がどれだけ俺に気を許してくれていようとも。
そんなことは関係なく、今は真剣に『作品』について話すべき場面なのだから。
だから俺は『先生』から渡されたタブレットに目をやって、再確認する。
画面には、文字がびっしりと表示されている。
それが、今回『先生』が俺に試読を依頼してきた『新作』だった。
文字数にしておよそ一万文字。
その内容を改めてザッと流し見して、俺はもう一度告げる。
「うん、やっぱ全部ボツだな」
この俺――宇都宮晴のダメ出しに、
「…………ぴぇん」
『先生』――葛城凪沙は再び短く鳴いたのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
凪沙と俺は誕生日が同じで、歳は今は21で来月には22になる。
俺は大学生で、つい最近めでたく第一希望の就職先から内々定をもらえた。
一方で、凪沙は大学には通っていない。
別に女子大とか短期大とかを出たワケでもない。そもそも大学受験していないのだ。
だが、どこかの企業に就職しているということもない。
かといって、フリーターとか無職とか、そういったアレコレでもない。
葛城凪沙はラノベ作家だ。『ワスレナグサ』というペンネームで活動している。
高校卒業と同時に専業作家に舵を切った、人生バンジージャンプ勢でもある。
それでも、しっかりと四年間メシを食えている。
実家住まいである分、一人暮らしより楽ではあるだろうが、それでも大したものだ。
凪沙は、今までに五作品ほど世に出している。
いずれもバトルモノで、それぞれ評価は悪くないし、固定ファンもついている。
だがその五作品全て、残念ながら最後まで描けずに終わっていた。
一応、完結していないコミカライズが二作ほどあるが、原作単位では全滅だ。
最後の作品の最後の巻が出るのが再来月。
今はそっちの直しなどをしている凪沙だが、その合間に『新作』を書いてきた。
ついさっき、俺が読み終えた作品がそれだった。
中学一年の頃から、俺は凪沙の作品の最初の読者だった。
彼女が書いた作品を読んで感想を言うのがここ十年の俺の主な役割だったのだ。
おかげで、俺は出版関連の会社に就職することになってしまった。
その意味では、凪沙の存在は俺の人生に大きな影響を与えているといえる。
彼女に感謝はしているが、作品の感想はまた別の話だ。
俺のモットーは『是々非々』。いいものはいい。悪いものは悪い。それが全てだ。
「あのさ、なぐ」
「ふぇい……」
話しかけると、力ない声が返ってくる。しぼみきった風船から漏れる空気の音かな?
「ちょっと確認したいんだけどさ?」
「みょえい……」
次いで返されたのは『はい』から遠くかけ離れた声だった。
どんな震わせ方をしたらそんなけったいな発音になるんだよ、おまえの声帯。
「前に、相談受けたよな。『バトルモノはキツくなってきてる』って」
「むにぃ~……」
そろそろまともに返事してくれませんか、ワスレナグサ先生?
そう思い目の前からタブレットをどかすと、凪沙はテーブルに突っ伏していた。
こっちに大胆につむじを向ける凪沙が「むに、むにに……」と鳴いている。
この人、かれこれ十五分ほど日本語しゃべってないけど、もしかして母国語忘れた?
「その相談を受けた上でさ、俺がアイディアを提供したじゃん?」
「…………そだね」
やっとまともな返事があった。
テーブルに上体を投げ出したまま、凪沙は顔だけをこっちに向けてくる。
そこにあるのは、眉間に集中するしわと、キュッと細められた瞳。鋭くとんがった唇。
露骨に不満げなその顔つきから、今回の『新作』は自信作なのだと伝わってくる。
全ボツ判定をくらうとは夢にも思っていなかったようだ。
「そんなに面白くなかった?」
いつも通り、凪沙が最初にきいてくるのはそれだった。
とにもかくにも『面白いかどうか』。
それが凪沙と俺の間にある最初にして最大の評価ポイントであり、最優先事項だ。
「いや、面白かったよ」
だから俺は素直に答える。
今回の『新作』は面白かった。それは俺にとって確かな事実で、正しい評価だ。
「え~~~~」
しかし、凪沙は俺の返答がお気に召さなかったらしい。
眉間のしわはさらに深まり、瞳は線の如く、さらに頬まで膨らましてきた。
「ワケわかんない。面白かったなら何でボツなんだよぅ~」
顔だけこっちに向けたまま凪沙は両足をバタバタさせる。
この成人女性、リアクションがまるっきり十代前半なのである。
「ちゃんと説明するからバタ足はやめなさい。ホコリ立つでしょ」
「ぶ~!」
ブ~たれつつも、ちゃんとバタ足はやめてくれる凪沙。うむうむ、いい子だ。
「とりあえずこの『作品』について、なぐにいくつか聞きたいことがあるんだけど」
「何だよ~?」
不機嫌さを隠そうともしない凪沙だが、作者として会話には応じてくれる。
俺は、気になっている点を確認してみる。
「冒頭さ、高校の入学式当日の朝、主人公とヒロインが曲がり角でぶつかり合うよな」
「うん、ボーイミーツガールの王道でしょ!」
王道というか、もはや古典の部類に入るパターンのようにも思う。
だが、俺が確かめたいのはそこではない。
「何でヒロインがぶつかる直前に『ヴンッ!』って音と共にその場から消えるの?」
「え、ただの超高速移動だけど?」
ワスレナグサ先生は、こともなげにそう言い放ちやがった。
「そして主人公はその場に残ったヒロインの姿が残像であることに気づいて、すぐに表情を引き締めて壁に背をついて構えを取るワケだけど、何で?」
「相手の反応を見て只者ではないことを見抜いて、死角を減らすために壁に身を寄せたに決まってるじゃん。ちゃんと構えるときに、腰も落として重心も下げてるよ!」
構え方のコツについては別に聞いちゃいないっすよ、ワスレナグサ先生。
そうは思ったが口には出さず、ひとまず質問を続けることにする。
「次の場面で、主人公の構え方を見たヒロインが『その構えは、まさか……!』って何かに気づいて、持ってた学生鞄から暗器を持ちだすワケだけど――」
「そうそう、今回のヒロインね、暗器使いにしてみたんだ。見た目に個性がないのも、実は暗器使いとして敵の油断を誘うための擬態なんだよね!」
だんだんと、俺の問いかけに対する凪沙の返答が熱を帯び始める。
さっきまでの不機嫌さはどこへやら、瞳に明らかな活力の輝きが見えつつある。
「それに対して主人公が『暗器術……! もしや!?』とか、こっちも何か反応が奇妙なんだけど、これはどういうことでしょうか?」
「うん、実は主人公のお父さんがヒロインの家に伝わる暗器術の使い手に敗れた過去があってね、主人公は父親の仇を討つことを人生の目標にしてるんだ~!」
ワスレナグサ先生は、それはそれは楽しそうに主人公の設定を語った。
そこで、俺はさらに確認をしてみる。
「主人公、ただの高校生じゃないっけ?」
「え、見ての通り、ただの『戦国時代から代々伝えられてきた組み打ちを原型とする古流武術を伝える家に生まれ、幼少時から天賦の才の片鱗を垣間見せたことにより祖父から古流武術を叩きこまれて単身でヒグマを打倒できる実力を持った高校生』だよ?」
ただの人間凶器じゃねぇか!
そんなヤツが普通の高校生扱いされる国ってどこ? 日本じゃないのは確かだね!
「……じゃあ、ヒロインは?」
露骨に口数が増えている凪沙に、俺は今度は不安いっぱいにそう尋ねる。
「ヒロインも、ただの『風魔小太郎を初代とする忍びの家の末裔で、かつては日本政府非公認護衛機関『御庭番』の棟梁を務めたこともある暗器使いを父に持ち、自身が父に代わって『御庭番』棟梁に返り咲くことを目的に努力する普通の女の子』だよ」
すげぇな!
説明の九割が『普通』の反義語みたいになっていらっしゃるぜ、このヒロイン!
「……で、この先の展開は――」
「そりゃあもちろん、暗器使いであることがバレた以上、ヒロインの選択は『口封じ』一択だよね! 主人公もヒロインが放つ濃密な殺気を感じ取って自分を守るために古流武術で迎撃せざるを得なくなるから、そこからはもう、バチバチのバトルだよ!」
そっすね、バトルっすね。
しかもやたらスピード感に溢れつつ、しっかりと力強く色濃く描写されたバトル。
「ね。ね! どう? どう? 今回のバトル、どうだった? わたしとしてはすごくイイ感じに書けたと思ってるんだけど、どうだったかな!?」
凪沙は再びテーブルにズズイと乗り出し、俺に『牛タン100g』を突きつけてくる。
どうも『新作』の一番自信がある場面に差し掛かって、復活したようだ。
「あ~、うん、すごくよく書けてると思う」
そして、俺は素直にバトルのできの良さを認めた。
さすがにずっとバトルモノを書いてきただけあって、戦闘描写はレベルが高い。
次から次に多様な暗器を繰り出すヒロインと、それを一つ一つ攻略していく主人公。
刹那の思考が交差し合い、一瞬の動作が戦いを派手に彩る。
息をもつかせぬ戦いとはまさにこれだと確信してしまうような、派手な戦いだ。
そしてその中で、それぞれのキャラクターの個性まで、ちゃんと描き分けられている。
ヒロインは冷徹にして冷静、その緻密な戦闘思考は、精密機械の如し。
一方で、主人公は最初こそ迎撃目的だったが、やがて気持ちに火がついていく。
主人公は天性のバトルマニアであり、ヒロインとの戦闘を楽しみ始める。
その主人公の発する熱量に、冷徹な殺人マシーンだったヒロインも影響されていく。
だが、影響されていくのはヒロインだけではなかった。
二人の戦いは、街に潜む多くの強者に刺激を与え、それは大いなる戦いへと繋がる。
数多の謎。
数多の因縁。
数多の戦い。
数多の真実。
そして、最後の勝利者は、ただ一人――。
たった一万文字の中に、俺は確かに感じ取っていた。
途方もないバトル巨編の予感と、そこにどうしても抱いてしまう、強烈な期待。
「ああ、面白いよ。この話は面白い」
ワスレナグサ先生の荒い鼻息を浴びながら、俺は再びそれを認めた。
戦闘描写は巧みだし、キャラクターも立ってる上、セリフ回しにも光るものがある。
なにより、続きが気になって仕方がない。
だから俺はそれを素直に凪沙に伝えた。この作品は面白い、と。
「そうでしょ、そうでしょ~!」
凪沙は、満足げに腕組みをして何度もうなずく。
そこに俺は叩きつけた。
「だが、全ボツだ」
ピシッ、と、凪沙が満面の笑顔のまま石化硬直する。
彼女はこっちを睨みつけて「どして!?」と舌っ足らずな抗議を寄越してきた。
「何で、どして! どして全ボツなんだよぅ! 面白かったんでしょ!」
「そうだな、面白かったよ。……バトルモノとしては、な」
「ぷぇ?」
凪沙はきょと~んとなるが、この反応、こいつ、完全に忘れてやがる。
「あのなぁ、なぐ……」
額に手を当てつつ、俺は深々と息をついて目の前のバカに丁寧に説明してやった。
「おまえから『バトルモノはもうキツいかも』って相談を受けて、俺はアイディアを出したよな? 俺はおまえに、どんなアイディアを出したっけ?」
「え、それは――」
刹那の間を置かず、凪沙は即答する。
「ラブコメ書いてみたら、って」
「それが全ボツの理由だよ! この作品のどこがラブコメだ!?」
俺は叫んだ。ついに叫んだ。
ずっと言いたくて仕方がなかったことを、やっと吐き出すことができた。
「え~? ちゃんとボーイミーツガールできてるじゃ~ん?」
ところが、ワスレナグサ先生は納得がいってないようだった。
「……ちなみになぐ、このあとの展開は?」
「え? 二人の戦いを皮切りに、舞台となる街で実力者同士がバトルする裏バトルリーグが開始されて主人公とヒロインはそれに巻き込まれ、主人公は強者との戦いを求めて参加、ヒロインも裏バトルリーグの運営に『御庭番』が噛んでいることを知って参加して、お互いに勝ち進むも、途中で『御庭番』の裏切り者で主人公の父親を死に追いやった男が現れて裏バトルリーグをメチャクチャにして、主人公とヒロインは共闘してその男との決戦に及ぶんだけど、その最中に介入してきた第三勢力にヒロインの失踪した父親がいて、やがて世界の存亡をかけた『見えざる大戦』が勃発して――」
「ラブも、コメも、どこにもなぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!」
バトルじゃねぇか!
一からバトルで、十までバトルで、話の規模は指数関数インフレ万歳じゃねぇか!
「そんなことないよ? ちゃんと最後はヒロインが主人公を戦友と認めるよ?」
「友情じゃなくて恋を育めよ! ほしいのは甘酸っぱさで血の味じゃねぇんだよ!」
「え、じゃあ、このお話は……?」
「全ボツ」
「そんなァ~~~~!」
泣きそうな声を響かせる凪沙だったが、泣きたいのはこっちだよ。
あ~ぁ、やっぱりこうなったか……。
正直、この結末は半ば予想がついていた。
ずっとバトルモノに傾倒してきた凪沙はそもそも色恋沙汰に全く関心を持っていない。
彼氏を作ったことなど一度もないし、まず恋愛に関する知識が皆無だ。
子供の作り方も知らないと聞いたときなんか、めまいがしたぞ。
学生時代、授業中はずっとノートにバトル小説書いてたんだよな、この女……。
しかし、二十歳を超えてそれはマズいと思い、今回、俺はラブコメの執筆を提案した。
だけどやっぱ無理だったな、うん!
ああ、ワスレナグサ先生がいっぱしの恋愛知識を得られるのはいつになるのか。
……そして俺は、いつになったら告白できるのか。
長らく抱き続けた答えの出ない問いを反芻し、俺は自室の天井を仰いだ。
凪沙の抗議の声が、しばらく部屋を満たし続けていた。




