若獅子の変心
従者が巨大な両開きの扉、その金細工の取っ手に手をかける。まだ彼の耳はほんのり赤く、わたくしの前で緊張しているのか動きがぎこちない。
ギィィ、と重厚な扉が開かれていく。
華やかな音楽と、大勢のざわめきが漏れる。
金属一枚に隔たれた、その先に待っているものは。
わたくしはそっと手のひらを握った。
「エリカ・フィオレッタ・白月侯爵令嬢のご入場——」
従者の凛とした声と共に、重厚な扉が左右に開かれる。
その瞬間、わたくしの視界に飛び込んできたのは、目が眩むほどの絢爛豪華な光景。
天井を埋め尽くす魔導光を放つシャンデリア。
あちらこちらで交わされるグラスの音と、管弦楽の調べ。色鮮やかなドレスを纏った貴婦人たちの高い声と、紳士たちの低い笑いがこだまする。
帝国の粋を集めた、リオン様にふさわしい華やかな宴が扉の奥で繰り広げられていた。
わたくしは、その喧騒を切り裂くように敷かれた赤い絨毯の上へ堂々と足を踏み出した。
シャンデリアの光が、純白のドレスに包まれたわたくしの身体を照らす。夜明けの光を織り込んだかのような純白のシルクが、天の川の様に輝く。
一歩踏み出す度に、幾重にも重なるフリルが白い花が咲いたように揺れた。
わたくしの存在に気づいた貴族たちが、会話を止めてこちらを振り返った。ざわめきが波のように引いていき、音楽だけが残される。
——視線が刺さる
数百の瞳が、一斉にわたくしを射抜く。
紳士たちのねっとりとした視線が肌にまとわりついた。
大胆に開いたデコルテから谷間を覗き込むように。
コルセットで絞り上げられた二つの膨らみの柔らかさや弾力を確かめるかのように。
身体を値踏みされる感覚に、背筋が総毛立つ。
そこへ、追い打ちをかけるように今度は貴婦人たちの冷徹な視線が襲った。
髪の結い方、ドレスの生地、歩きの所作。
彼女たちは扇子で口元を隠しながら、鋭利な刃物のような瞳でわたくしを解剖し、一つでも粗を見つけようと目を光らせている。
男の欲情と女の嫉妬。
華やかな社交界の裏側に生々しい感情がひしめているのが現実だった。だから、わたくしはそんな貴族たちを一蹴するように微笑みを向ける。
わたくしは会場の中央まで歩を進めると、周りを囲む貴族たちを見渡す。
そして、絹の感触を指先で確かめながら純白のスカートの両端をそっと摘み上げ、ドレスに隠れた左足を半歩後ろへ滑らせる。震えそうになる膝に鞭を打ち、背筋に意識を張り詰めた。
そのまま、ゆっくりと腰を落としていく。
時間を忘れたかの様に、優雅に、緩やかに。
摘み上げられたスカートが扇状に大きく広がり、床一面に純白の満開の華を咲かせた。
「今宵、帝国の栄えある皆様にご参集いただきましたこと、心より感謝申し上げます」
身体を起こすと同時に、ふわりとドレスの裾が舞い戻る。 完璧な所作。
歴史ある白月家の令嬢としての誇りを、まざまざと見せつける。リオン様の隣に立つのに相応しいと、周りに誇示するかのように。
一瞬、誰も言葉を発せなかった。
徐々にざわめきが、会場の端から端へと広がっていく。
賞賛も不満も困惑も入り混じっている声が、小雨のように降り注ぐ。
その時だった。
入り口の扉脇に控えていた従者が、凛とした声を放った。
「静粛に!! 我が主、リオン・ヴァン・アルブレオ公爵閣下ご入場——」
その声が合図となり、すべての視線が、再び入口へと釘付けになる。
(あぁ……リオン様)
わたくしもまた、微かな期待と、秘めた淡い恋心とともに、彼を待ち構えた。
シャンデリアの魔導光が、その開いた空間からまっすぐ差し込む。そこに立っているのは、帝国の未来を背負う若き獅子。
すらりと伸びた長身に、漆黒の長い上着は腰でぴたりと絞られ、膝まで裾が揺れる。肩には銀糸で繊細に描かれた刺繍が光を受けて淡く煌めき、胸元には小さな勲章が誇らしげに並んでいた。
室内なのに風を受けたかのように銀髪が靡き、銀の瞳が周囲を見下ろす。
その圧倒的な存在感の前では、いかに名家の貴族たちといえど、ただ一介の群衆のように無言で立ち尽くすしかなかった。
(流石はリオン様……今宵も完璧な美しさですわ。)
皇位継承権5位、けれど、そのオーラは皇帝を思わせるものだった。
リオン様は各貴族たちに短い挨拶を交わしながらゆっくりとこちらに向かってくる。会場の重い静寂をさらに引き延ばす。
わたくしはそんな彼の一挙手一投足を熱い瞳で見つめていた。自然と震える指先を胸元の白絹の縁に添えてしまう。どんなに着飾ったとしても、彼の前ではただ乙女の様に振る舞うしか出来ない。
あいにく、銀の瞳がわたくしを捉えることは叶わなかった。
そして、ついにリオン様がわたくしの前に立ち止まってくれた。周囲の光や音も遠ざかり、わたくしは彼の顔を見るだけで精一杯だった。
「レディ・エリカ、今宵もお美しい。 この広間に置かれた花々も、君の輝きの前ではまるで草木のようだ。 ようこそ、我が宮殿へ」
「あぁ、リオン様……。 恐れ入ります。」
リオン様の優しい微笑みに、わたくしは恐縮して身を屈める。胸元が震え、彼の瞳に映ったのを感じて、頬が赤くなる。それは、ほんの一瞬のことで、すぐにわたくしの髪飾りに視線は移った。
彼の顔の曇りに緊張で気づかず。
リオン様はわたくしの手を取り、会場の中央へとエスコートしてくれた。
彼の登場で静まり返っていた広間も、わたくしたちの様子で少しづつ再びざわめく。
先ほど、わたくしに生々しい感情をぶつけたのを忘れたのか、それともリオン様の庇護に入るのを予感したのか、何かの期待感を伴う興奮の様に思えた。
従者が「静粛に」と叫ぼうとしたのをリオン様は手で静止した。言葉を使わずとも、彼が見渡すだけで騒がしい貴族たちは静まる。
リオン様の言葉を聞きたい、そう思わせるだけのカリスマ性がある。
「集いし、我らの帝国を支える柱たる皆々様。 今宵は、私、リオン・ヴァン・アルブレオが催したささやかな宴にご参列いただき、心より感謝申し上げる」
そして、彼は隣のわたくしを見つめながら続ける。
「さて、この場に私の婚約者、エリカ・フィオレッタ・白月嬢を迎えている。 皆様方も薄々お気づきかもしれないが、私達は古の約定に基づき成婚を果たすことになっている」
(あぁ・・・・・・ついに言ってくださいましたのね)
その言葉は、何よりもわたくしが待ち望んだもの。目を閉じて言葉の意味を噛みしめる。貴族たちからも、祝福と羨望のような吐息が漏れ出した。
リオン様とわたくし、エリカの成婚の瞬間、だけど。
——彼の表情から微笑みが消えていた
握った手が急速に冷たくなるのを感じる。
(え・・・・・・?)
急にリオン様の存在が遠くなったような気がした。
隣にいるというのに。いつの間にか握った手も解けていた。
「だが、その前に私から一つ、訂正と新たな決意を述べさせていただきたい」
その言葉は先程と打って代わり、感情が消えたような機械的なものに感じられた。
シャンデリアの魔導光が揺らぎ、リオン様の変調を察した貴族たちも戸惑いを隠せないようだった。
そして、
——リオン様の次の言葉が、わたくしの運命を激変させるのでした




