小さな恋敵
夜の帝都は、無数の灯りが星空よりもきらびやかに瞬いていた。
馬車の窓越しに流れる光の川に心が弾む。
だけど、何故か胸のざわめきは収まらなかった。
折角のリオン様のパーティなのに。
この日のために仕立てたドレスを、果たして気に入ってくださるのか。そんな不安が頭の奥でぐるぐると回る。
アンはそんなわたくしの気持ちを察したのか、何も言わずに手を握ってくれた。それだけで心が解きほぐされる。
「エリカお嬢様、見えてきましたよ」
アンが窓越しに建物を指差す。光の奔流の中に一際大きな宮殿が、帝都を統べる王のように鎮座していた。
——ザ・アルバトロス・コート
リオン様のおわす居城。
◇
馬車がエントランスへ滑り込むと、使用人に案内されたのは、奥まった廊下の先にある一室だった。
金色のタッセルが下げられたベルベットのカーテンで外界から隔てられた、リオン様がわたくしのために用意された専用の部屋。
テーブルにはわたくしが好む、星月の朝摘茶、南方の果実の砂糖漬けが宝石箱のような皿に盛られていた。彼の気遣いが、そっと伝わってくるようだ。
「お嬢様、ではお着替え失礼します。」
アンも流石に緊張しているのか、いつもより生真面目な口調でわたくしの背中の編み上げを解く。その指先は若干震えていた。
移動用の簡素なドレスから、今夜のパーティのための勝負服へと着替える。
柔らかな薄衣が、肩から滑り落ちると、部屋の空気がそっとわたくしの肌を撫でた。
アンのコルセットを締める手に力が入り、わたくしの胸元を限界まで強調していく。
「……んっ」
吐息が小さく漏れ、背中がピンと張った。
そのわずかな動きに2つの果実が弾むように震える。
アンの溜息が耳元をくすぐった。
そして、仕上げに引き紐を蝶々結びする瞬間、
「わぁ、エリカお姉さま! とってもお綺麗ですわ!」
と緊張感を断ち切るような、無邪気で可愛らしい声が部屋に飛び込んできた。
アンは驚き思わず手を離す。
引き手が宙を彷徨い、締まりかけていたコルセットの紐がシュルっと緩む。わたくしを締め上げていた圧力が弱まり、コルセットが身体から離れようとする。
「きゃ……っ!」
わたくしはとっさに胸元を手で隠し、気付いたアンが身体を寄せて遮るように立つ。
声のした方向を振り返ってみると、いつのまにか華奢な少女がドアの前に立っていた。
光をはじくようなボリュームのあるカールがかった髪と、ふんわりとした薄桃色のドレス。まるで天使のような出で立ち。
そう、この少女は。
「シャ、シャーリィ様!?」
わたくしは予期せぬ来訪者に声を上げた。
シャーリィ様は、クスクスと笑いながら歩み寄り、わたくしの姿をまじまじと見た。
「やっぱりこちらだったのね! 兄上様がエリカお姉様の部屋を教えてくれたの!」
(リオン様が……?)
彼女の口から彼が出てきたら、ドキッとしてしまった。
アンから聞いた『例の噂』が心の中で引きずっていたのに、今気づいた。肉親だからと思っても、胸の鼓動は正直だった。
——シャーリィ・フォン・リーデル
表向きはリオン様の妹。
だけど、血の繋がりがないことは帝都社交界の皆が知るところ。
二人が恋人のように振る舞っていたという噂が、わたくしの心を締め付ける。
シャーリィ様の視線がゆっくりとわたくしの身体に刺さる。アンが隠そうとしても隠しきれない、その隙間から覗くわたくしの膨らみへ焦点が合う。
すると、彼女の愛らしい瞳の輝きの奥に、肉食獣のような鋭さが迸り悪寒が走る。
一瞬の険しい表情がすっと戻り、甘く、くすぐるような声で囁いた。
「ふふっ、お姉さまのお身体……本当に素敵ね。 兄上様も夢中になってしまいますわね」
わたくしは何も言えなかった。喉が張り付き、呼吸すらままならない。
「では、また今夜のパーティで会いましょう。兄上様、きっとお姉さまを誰にも渡したくないと思うはずよ……ね?」
それだけ言うと、シャーリィ様は可愛らしい薄桃色のドレスの裾を翻し、花嵐のように去っていった。
ドスンと、ドアが閉められた音が響いた。
何も言えずにアンの顔を見つめると、彼女にはわたくしの顔が不安そうに映ったのでしょう。わたくしの肩を静かに抱き、落ち着いた声で、
「では、お嬢様。 お着替えの続きを」
と侍女としての姿勢を崩さないでくれた。その態度が頼もしい。
再びコルセットが締められ、ドレスの着付けが進んでいく。
(もし本当にリオン様が……シャーリィ様のことを……)
まだ部屋に漂うシャーリィ様の香水の匂いが、わたくしの胸に冷たい影を落とす。
——でも、
——あの熱い眼差し
応接間でわたくしの胸元を見つめた視線を思い出す。
あの時の彼の瞳は、間違いなくわたくしを欲していた。
(噂はどうであれ……リオン様とシャーリィ様は肉親。 きっと兄を取られたくないという可愛いやきもちですわ)
あの光景を思い出すと心のもやも晴れ、身体が熱くなった。
「お嬢様。 お着替えが完了致しました。」
いつのまにと、鏡を見る。
そこには、眩いばかりの白い花が咲いたような令嬢が映っていた。
この輝きはシャーリィ様にも負けていない、そう思えた。
そして、まるでタイミングを計ったかの様にドアをノックする音が聞こえた。
「エリカ様。畏れながら、お迎えに参上いたしました。 まもなく開宴の時刻となります」
リオン様の従者だ。アンに小さく頷くと、彼女がドアを開ける。
一瞬、わたくしを迎えた従者が言葉を失い、目の前で固まる。彼の顔は真っ赤に染まっていた。
「では、参りましょう」
わたくしが微笑みながら声をかけると、従者はハッとし、畏まった。
「し、失礼しました! あまりの御美しさに……。 では、こちらです」
従者が、黄金の様に輝く宮殿の催場へと案内する。
わたくしは光を纏ったドレスを翻し、力強く一歩を踏み出した。
——その道の先に希望があると信じて




