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婚約破棄されたので悪役ヒロインはじめました  作者: ぴゅあぴゃあぴんく
婚約破棄編

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2/5

泡と乙女心

リオン様が帰られた後、時には息が詰まる貴族での生活の中で、唯一心が安らぐ時間がやってきました。


大理石の浴室に白い湯気が立ち込める。

浴槽に浮かぶ薔薇の花弁の甘い香りが、鼻をくすぐる。


「お嬢様失礼します」


侍女のアンが静かに傍らに立ち、コルセットの紐を緩める。息苦しさが一気に消えて、日々の責務からも解放された気分になる。わたくしの胸の膨らみも自由を喜ぶように弾んだ。


湯気に混じる蒸気が頬を撫で、湯の滴が胸や腰の曲線をそっと滑り落ちる。湯船にそっと身を沈めると、お湯が肌を優しく撫でて、思わず目を細める。


この瞬間、わたくしは白月家の令嬢でも誰かの目に縛られた存在でもない。


胸の柔らかさ、腰の丸み、指先で感じる湯の温もり。

すべてがわたくしだけのものだと思うと、自然と笑みがこぼれ、心も体も軽くなる。


「ねぇ、アン。 髪をお願いできる?」


「かしこまりました、お嬢様」


「ここでは畏まらなくていいのよ。誰も見てないんですから」


「ですが、それでも礼儀は守らねばなりません」


アンの頑固さに思わず笑ってしまう。


彼女とは長い付き合いで、時にはいい相談相手にもなってくれるのに。肩の力が抜けたこのひとときだからこそ、こんなふうに笑えるのかもしれない。


アンが白磁の小さな蓋付きボウルに、東方の香草を煮出した湯を注ぐ。ほのかな清涼感のある香気が立ち上がり、どこか懐かしさを感じる。


白月の血が異国の風景を呼び覚ましているのかもしれない。


「では、お嬢様。 失礼します」


まだ、硬さの抜けないアンに可笑しくなりながら、わたくしは湯船の縁に頭を預ける。彼女は慣れた手つきでわたくしの髪に香草湯をかけ、指先で丁寧にほぐす。


指通りの感触が心地よくて、わたくしはいつしか深い息を漏らし、自然と口を開いた。


「ねぇ、アン……応接間で二人きりになったとき、リオン様にパーティへお誘いいただいたの」


話題はもちろんリオン様。


この時侍女たちは外に出ていて、わたくしたちの会話は聞かれていない。本当なら口にすべきではないのかもしれないけれど、アンにならつい話したくなる。


「お嬢様、それは光栄なお誘いですね……」


「ふふ……実はね、今日は会いたいって思っていたの。 そしたら本当に来てくださって……まるで運命のようでしょう?」


言葉にしながら、自分でも頬がゆるむのがわかった。

胸の奥がくすぐったくなる。

けれど、ちらりと見たアンの表情はどこか浮かない。


彼女は口を開きかけては閉じ、そして、指を止めた。


湯の音だけが、静かに響く。


「……お嬢様」


「なあに、アン?」


「差し出がましいことを申し上げますが……リオン様のまわりで、最近少し気がかりな噂を耳にいたしました」


その声は、淡々としているようで冷たさを帯びていた。


「気がかりな噂?」


「公爵殿下が、華奢で可憐な……その、まだ幼さの残る女性をお好みだと。帝都では、そのお相手がシャーリィ様なのでは、と囁かれております」


「……シャーリィ様」



——シャーリィ・フォン・リーデル。



表向きはリオン様の妹。


だけど、血がつながっていないことは帝都の社交界では公然の秘密だった。


わたしくしも一度お会いしたけれど、まるで人形のように愛らしかったのを覚えている。


「き、兄妹ですものっ! 親しそうに見えて当然ですわ……」


「はい、ですが……リオン様と近しい侍女が、お二人がまるで恋人のように接していたのを目撃したとか」


「……!?」


恋人のように、その言葉が胸に突き刺さり、心臓がぎゅっと締めつけられる。口元が引きつるのを感じたけれど、湯気が隠してくれる事を祈った。


さらにアンは続ける。


「実は今日も……玄関で応対しているときに見えたのです。 公爵殿下の馬車にシャーリィ様が乗っているのを……」


「馬車に……?」


アンの言葉に、リオン様の背中越しに馬車の黒い影が揺れたのが脳裏をよぎった。


(まさか……あれがシャーリィ様だったの……!?)


胸のざわめきが、湯面に浮かぶ波紋のように広がる。

温められた身体が冷水を浴びたように強張った。


思わず目を閉じると、応接間での一瞬が蘇る。



——リオン様の銀の双眼がわたくしの胸元を捉えたのを



あのときの心臓の高鳴り、頬の熱、指先まで染みる羞恥の感覚が、また身体に浮かんでくる。


「だ、大丈夫ですわ、アン! 応接間でリオン様はわたくしの胸を熱く見つめていましたわ!!」


「お、お嬢様!?」


わたくしは思わず立ち上がり、アンに向かって胸を張って力説した。 彼女は驚きのあまり、目を丸くしてぽかんと見上げるばかりだった。


「そうと決まれば、今度の催しでリオン様を悩殺する、とっておきのドレスを仕立てますわ! 胸元も思い切り強調します!!」


わたくしの宣言に、アンはただ目を見開き口を半開きにしたまま固まっている。


そんな彼女の反応が面白くて、わたくしは吹き出してしまった。


(リオン様にふさわしい貴婦人レディになってみせますわ!)


湯の温もりと香草の香りに包まれながら、

わたくしは心の奥でそっと決意が膨らむ。


未来は輝いていると信じて疑いもしていなかった。



けれど、



——現実は、砂糖菓子のような乙女心みたいに甘くはありませんでした



湯面に揺れる光のきらめきに、微かに影が揺れていた。


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