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鞭と風

作者: 桐生甘太郎




秋口にやっと入った土曜の真昼に、白浜の流木みたいに私は布団に転がっていた。


昨晩は四時間しか眠れていない。世の中暮らしがまともに見える筈もないのに、私は全力でぶら下がる蛍光灯を見詰め、目を焼いている。


人は毒だ。いいや、人こそこの世の毒だ。


侵略者だ。破壊神だ。しかし皆、言い訳に早めに蛇口を捻り自らを許す。礼を言いもしない。ああ、なんと下らない生物に自分は産まれのだ。きっと、前世とやらで余程のやらかしをしたのだろう。


幼い頃は、自分の身体に神様が住まう力があった。学校帰りに公園で逆上がりをする時、林檎飴みたような星を蹴る真似をし〝神さま!〟と叫んだ。それを失くしていたと気付いたのは、今年の一月三日だ。昼過ぎにならぬよう早起きをして風呂に入り、行った日だ。




元日は炬燵で鍋を囲んだ者、くたびれながらも職務を全うした者、皆各々、本当に神に会いに来ている顔だった。目尻を緩めては、大して来もしない神社に見蕩れて参道を歩く。混んでいては神に祈れませんと、元日は仕事でしたと。艶やかな女達など真そうだ。彼女達はもう、衣装無しに神の前に出られない自分を知らない。


ああ、ありとあらゆるまやかしはなんと心を清めてくれる。本当の嘘偽りは誰の心も痛めつけない。そう思っているのは今の私だけだ。本堂へ向かう時の私は、見知らぬ娘をじっと見ないよう、鼻の下を伸ばして気を付けていただけであった。


階段を上がる私は、神の前だというのにこの後は冷蔵庫にあるプリンなぞ褒美になどと考えていた。僅かな賽銭を投げ入れ、いくらか心を沸き立たせた私は、両手を合わせてこう唱えた。


〝三が日ギリギリで、スミマセン。どうぞ今年も…〟


片目だけを閉じ顔色を窺う私は、失くしていたのだ。



私の頭を揺るがす程、外では風が吹いている。全てのベランダの物干し竿が、壁の中へガリガリガリガリと響いた。近所の家の雨戸が悲鳴を上げている。秋だからだ。


あと一週間もすれば、台風が続けざまにやってくるだろう。そう思い出した私は、身体を庇う身体の冷たさに憂鬱になった。


私は思い浮かべる。自分を攫おうとする風に何度も転びながら、顔の水をただ一人で払い続ける孤独を。なんの因果で。今日で辞めたいと、思いながら歩く。


その時私はハッと息を飲み、まずは自らの声を封じようとした。ソイツはこう囁いたのだ。


過ぎれば毒だ。水も、火も、風も。


信じまいとした。なぜって、水や火や風に罪があるとは思えない。自分で自分を汚したとも思えない。でも、毒かどうかで考えればそうだ。その通りだ。


山や海は、人からは恵みとして大切に大切にされている。その一方で、人は自分達が川を汚しているとか、山を禿させているとか口にする。でも、自然が自ら、汚されたなんて言ってはいない。海は、硫化水素と硫黄に満ちた時もあり、山はおこり続けた長い歴史を持つ。結局困っているのは、恵みが足りなくなった人だけだ。


なあんだ、悪いのも自分達だけだし、困っているのも自分達だけじゃないか。私は途方に暮れて笑いそうになった。でも笑わなかった。元の姿を失った山や、海の為だ。


風や水は、なぜ私に復讐しないのだ。なぜ私目掛けて切り倒された大木が飛んでこないのだ。ああ、でも、そんなのは決まっているじゃないか。


風や木は、孤独も言葉もないのだ。だから語ることはない。そうだ、そうではないか。風が心を気にするなら、同じく仲間の木や川の為にだって台風なんか起きない。水が言葉を知る事が出来るなら人を寄せつけないよういつも荒立つだろう。


彼らはじっとそこに居る。その間で私達人は、やれ恵みだ、これは毒だ、これは清らかだ、ここは汚れていると、勝手気ままに決めつけて自分達だけで右往左往していた。自分達の為に。


自分達は罪深いなんて余計な事を考えず、自分の取り分で満足出来ないのなら忘れたらいいじゃないか。立派な頭を持ちながらそんな弁えさえないのか。


人は、なんと我儘なのだ。なんと無礼千万な生物なのだ。


しかし私は、今も窓を揺らす風に詫びを言う気にはなれなかった。人間らしく捻くれていたのかもしれないし、出過ぎた言い方は嫌だったのかもしれない。


ともかく、森羅万象一つもこぼさず、過ぎれば毒なのだ。鞭を振るうのは人だけだ。そこまででぶつりと私が目を閉じると、暗闇に出た太陽のように、真っ黒な瞼に蛍光灯の影が映った。




ご辛抱を頂き有難うございました。

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