【第3章】 未来人、“育てられること”の意味を忘れた現代人にツッコむ件
前回、NFTで家族契約を提案して、また怒られた。
俺(未来人)は、なぜか市役所の出禁になっていなかった。
「……えっと、また来たんですか?」
「はい。今日も制度をハックしに来ました」
「やめて」
「ちなみに今日は“育てられることの意味”についてです」
「もうタイトルから不穏なんだよ!」
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俺は資料を広げる。
今の社会には、育てることばかりが語られている。
親の責任、保育の制度、教育の投資効果──全部“育てる側”の話。
でも、“育てられる”ことについて、誰もちゃんと語っていない。
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「育てられるって、なんだと思いますか?」
全員、黙る。
「うちの子、昨日“んぎゃ”ってしか言ってませんけど」
「育てられる以前に、寝返りも打てないんですけど」
「そもそも、育てる側にそんな余裕あると思います?」
わかる。めちゃくちゃわかる。
でも、そのツッコミこそが、問いの発火点なんだ。
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「現代社会は、“育てられる権利”を制度化していません」
全員「……え?」
俺は図を出す。
【育てる=責任】【育てられる=空白】
「子どもには“保護される権利”はありますが、
“どう育てられたいかを表明する権利”は、ゼロに等しい」
「いやでも、赤ん坊ですよ!?」
「だからこそ、“記憶も記録も残らない育成フェーズ”を、誰がどうデザインするかが重要なんです」
「……あ、なんか急に真面目なこと言ってる感じ出すな!」
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俺はさらに続ける。
「そもそも皆さん、自分がどう育てられたか──覚えてますか?」
「……」
「おそらく、ほとんどの人は曖昧です。でも、育てられたことが“自分のOS”に影響を与えているのは間違いない」
「OSって……」
「あなたの“人間としての基本設計”は、ゼロ歳〜3歳の育てられ方でかなり決まってます。
でもその時期の記憶はほぼ残っていない。だから、自己改造が難しい。
つまり、最も重要な部分が、最も見えない構造で作られているんです」
会議室が静かになった。
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そのとき、年配の男性がつぶやいた。
「……あの頃、嫁が頑張ってたの、俺なにもわかってなかったな」
「今になって、子どもがどう育ったか見て、初めて“育てられた意味”を考えてる」
「でも、もうその時間は戻らないんだよな……」
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俺はうなずく。
「未来では、“育てられた記憶”を記録するツールがあります。
“育育ログ”。子どもが理解できないうちに、育てる側が“こういう問いで育てた”と記録を残す」
「でたな未来ガジェット……」
「でも、記録があると“育てられた構造”を言語化できるんですよ。
つまり、人間が自分の育ちを再構築できる社会になるんです」
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そして、俺は静かに締める。
「育てることばかり語られる時代に、“育てられること”の意味を問い直す。
その問いは、子どもではなく、大人が持つべきものです」
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怒られるかと思ったが、今回は誰も怒らなかった。
ただ、みんな少しだけ遠くを見るような目をしていた。
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帰り際、会議室のドアを開けながら俺は呟いた。
「……この章、あんまりウケないかもな。でも、必要だから置いてく」
「言い方メタいな!」
【次回予告】
第4章:未来人、“育児をやってるのに育ててない奴ら”にブチギレる件
“育児してますアピール”はあるのに、問いが空っぽのままの現代人に、
未来人がまさかの感情的ブチ切れ……!?(でも構造的)