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ネフィイルム  作者: ハニー・キルヴァ
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第一~十七章

 

第一章 目玉くれくれ女。

 

 トイレの花子さん。口裂け女。リカちゃん&メリーさん。どれも有名な怪談話だけど実はこの学校にも怪談話がある。それは目玉くれくれ女。くだらない名前だと思うかもしれないけれど子供が考えつく名前なんて大抵そんなものさ。想像がつきやすくてすごく解りやすい名前だと思わない? 内容はだいたいこんな感じーーー…

 どっぷりと日が暮れた夜中の二時頃。学校の屋上でこう呪文を唱えるんだ。

「青い目紅い目銀の目金の目。お前がほしいのどんな目だい? 」

 呪文なんてたいした代物でないけれど、とにかくこう三回繰り返す。するとどこからともなく声がする。

「私がほしいの… あなた… の目」ってね。

 声は大抵背中から聞こえてくるだろ? それで当然のように振り返る! っと!

 そこには髪の長い女が立っていて、まぁお決まり通りというか、名の通りというか、呪文を唱えた者の目をくりぬいてしまう、ということだ。

 そうそう女なんて気取って言うと成人した女性を想像してしまうかもしれないね。でも目玉くれくれ女はすごく若いんだ。

 どうして解るかって? それは簡単。だってこの学校の制服を着ていたんだもの。つまり目玉くれくれ女はこの学校の生徒というわけさ。

 この学校の生徒と聞いてピンきたら察しがいいよ。だいたい怪談には元となる事件や事故があるように目玉くれくれ女にも元となる事故、いや事件があるんだ。事件はそれほど昔の話ではないらしい。当時この学校の生徒だった女生徒が屋上から身を投げて自殺したんだ。

 え? よくある話でがっかりしたって? でもちょっと焦らずに聞いてほしい。この事件には恐ろしい展開というか結末がまっているんだから。

 自殺した女生徒は容姿端麗成績優秀。誰からも好かれる性格でよく耳にするイジメの問題もかった。でも僕はきっとひどいイジメを受けていたと思うんだけどね。とにかく当時としては自殺する理由は全く見当たらなかったらしい… いや、本当に彼女が身を投げたのか実際は不明だ。これが怪談話へと進化した一つの要因。なぜなら地面に横たわる彼女を見つけた生徒が先生を呼んで再び現場に戻ってみると、女生徒の姿はなく人が落ちた痕跡さえ見つからなかったんだから。

 消えた少女。現場で女生徒を発見した生徒は半狂乱になってそこいたと泣いて訴えたがなんの証拠もない。先生たちも困り果てたそうだ。でも飛び降りたとされる女生徒はそれ以来行方知れずで結局行方不明で片付けられたというわけだ。

 ほら、予想しなかったかなり怖い展開だろ? でも事件はまだまだこれで終わらない。怪談話へと決定的に進化させた要因。この話が本当に恐ろしいのはこれからだ。

 どこまでが真実か分からない。が、その後、この学校で飛び降り自殺が続いたんだー…

 女生徒と同じく自殺の原因は全くなく、ただ女生徒と違うのはその自殺した生徒がすべて男であること。そしてちゃんと発見されていること。そしてー この話のもっとも恐ろしいところ。目玉くれくれ女が目玉くれくれ女たる由来がここにある。

 なんと自殺したすべての男子生徒の目がえぐられて奇麗さっぱりなかったんだ。実はほんの二年ほど前にも自殺がありその生徒の目もやっぱりくりぬかれていたそうだ。かなり信憑性があるだろう? だって最後はつい最近の話だよ。信じられるかい? 怖くなったろう?

 飛び降り自殺した女生徒の怨念が男子生徒を死に追いやり、目をくり抜いたともっぱらの噂になった。その噂が学校の怪談話として語り継がれてきたと言うわけだ。

 そして最後に起きた二年前の事件以来。屋上への扉は厳重な鍵がついたものに変えられ、屋上へ行くことはできなくなったっと言うわけさ。

 これで怪談話は終わるけど今まで僕の話を聞いて気づいたことはない? 目玉くれくれ女はこの学校の制服を着た女って言ったよね? まるで僕が目玉くれくれ女を見たかのように… そう、もう気づいたよね。僕は見たんだ。目玉くれくれ女をーーーー


「まあ、これがこの学校で流行っている怪談話さ」

 僕は最近転校してきたばかりのタダシに得意げに話した。

「その事件って言うのはほんとうにあったのかい? 」

 タダシは恐る恐る訪ねる。

「ああ事件は本当らしいよ。ここの学校の卒業生が言ってたんだから間違いないよ」

「でも… それで本当にコウちゃんは確かめるの? 」

「ああ。今夜決行さ」

 そう僕は今夜その怪談話が真実か否か確かめる。いや、確かめさせられる。

「アキラ君と二人で行くんだよね? 」

 アキラ…… そう、アキラと一緒だ。アキラは学校ではふらつきの悪といっていい。喧嘩上等。喧嘩では中学生のくせに高校生にだって負けたことがない。僕も喧嘩にはよく付き合わされたが、僕が危なくなると必ずアキラが助けてくれた。まぁ、僕は半ば強制的に連れて行かれているので弱っちい僕が助けたれるのは当たり前といえば当たり前だ。

 そして不良にはお決まりのタバコ。よく体育館の裏でタバコを吸っている。先生に見つかっても特に気にする様子もない。誰もアキラには逆らえない……

 そう、アキラには誰も逆らえないんだ! 

「そうさ。アキラと二人なら何だって出来るんだぜ」

 僕は得意げに言った。でも内心は全く行きたくなかった。

「すごいや。明日ちゃんと聞かせてよコウちゃん」

「ああ。明日のお楽しみだ」

 タダシは大はしゃぎだったが僕は全く面白くなかった。顔では笑っていたが今夜本当に学校の屋上へ行くと思うと気分が重くて息苦しくなるほどだった。

 ああー 夜なんてこなければいいのにーーー


 



 第二章 アキラ


当然だがやっぱり夜は来てしまった。アキラが上機嫌で満面に笑みを浮かべながら言った。

「コウ今夜決行だ。あの怪談話が本物か確かめようと約束したの覚えてるよな? 」

「ああ… もちろん… 」

 忘れるはずがない。僕はその約束を無理矢理交わされて以来、この日が訪れるのをどれだけ恐れていたことか。たまにしか出ない大好きなケーキを食べてもしょっぱく感じたほどだ。先生に顔が青いけど大丈夫? って聞かれたけどさすがにその理由は言えなかった。

 先生とは僕たちを育ててくれている親代わりの人だ。アキラと僕は同じ家に住んでいる。キリスト系の孤児院「永遠の家族」という名の施設だ。

 そう僕たちは孤児だ。赤ん坊の頃に施設の前に捨てられ、誰に貰われることもなく十三になったこの年まで同じ施設うちで暮らしている。

 アキラは僕が捨てられる一週間前に捨てられていたらしく、同じ赤ん坊だったので同じ年ということで今まで育てられてきた。でも最近、というかかなり前からだが同い年ということを疑っている。

 なぜならアキラは十三歳にしてすでに身長が180センチちかくあり、体格もプロレスラーのみたいにがっしりとしていて、どんなに若く見積もっても十七,八歳くらいに見える。

 で、僕はどうかというと身長およそ130センチ(おまけで)。体格もあまりよくなく、どちらかと言えば痩せている。住んでいる環境、食べ物、詳しく言うならその量も変わらないというのにこの差は何なんのか。と、まあ、グチっては見たもののこの差は仕方がない。そもそも血のつながった兄弟というわけでもないし決定的なのは外人と比べているのから。

 そうアキラは僕から見れば外人。見た目ですぐわかる。アキラは金髪で目が蒼い。顔の彫りも深く鼻も高い。ギリシャ彫刻のような顔立ちで、僕が言うのも何だがかなりのイケメンだ。それに比べて僕の目は茶色で髪も茶褐色。

 でもまあ、それこそ自分で言うのも何だがまずい顔ではない。アキラほどではないが結構もてているし。とにかく僕は生粋の東洋人でアキラはバリバリの西洋人というわけだ。アキラは気性が荒くその体格からか怖いもの知らずで何事も恐れない。

 そうさ! 何も恐れないアキラはもちろん? 目玉くれくれ女も恐れない! でもそこまで恐れないのは問題だ。

「よし、学校はここから三十分。決行は夜中の一時半! いいな! 」

「ああ、分かった… 」

 僕は渋々答えた。俄然やる気のアキラはすっかり外出着に着替えて目をきらきらさせてベッドに横になった。対照的に僕はうつろな目で恐怖に青ざめながらベッドに入ることになった。あと三時間もしたらあの恐怖の場所へ行かなければならない。結局眠ることなどできるはずもなく決行時間となたーーーー……

「コウ、準備はいいか」

「ああ」(いいわけない)

「なんだ、しっかり起きているじゃないか。行く気満々だな」

「うん… もちろん… 」(そんなわけはない)

「よし! じゃあ行こう」

 アキラは乗り気ではない僕の手を引くと、あたりを見回しそっと窓からぬけ出した。外は真っ暗だ。月明かりもなくまるで空は一面に炭を垂らしらように黒かった。

 目玉くれくれ女が現れるのは夜中の二時。その時間に合わせたのだから暗いのは当然だが月まで顔を隠しているとは…… いやな予感がして仕方がない。僕はその暗さですでに縮こまっている。

 真っ暗な道をどう歩いたか覚えていない。走ったような気もする。とにかくアキラに手を引かれるままに進んだ。学校に着くとあらかじめ細工していた窓を開け、校舎内に入り込むと、一気に屋上へ上がるドアの前まで走った。

 ドアには鎖がぐるぐるに巻かれ南京錠でしっかりと施錠されている。それが最後の希望だった。アキラは特殊なでかいハサミで鎖を切ろうとしている。いったいどこで手に要れたのか? 万引きでもしたのだろうと僕は勘ぐっている。どうやら鎖も切れる専用の道具らしい。

 僕はアキラが鎖を壊している間、施設ではいい加減にしていたお祈りをした。アキラに見えないよう素早く胸で十字をきり両手を胸に組んで心の中でささやく。どうか鎖が切れませんようにと。でもそんな願いも虚しくあまりにあっさりと鎖はきれ、ガラガラと派手な音を立てながら地面に落ちた。やはり普段からしていないお祈りでは効果は薄いようだ。

「これだけ頑丈な鎖と鍵がかけられていたんじゃぁ、ねえ、無理だよね-」といって何事もなく口笛を吹いて去って行くはずが… 鎖が切れた瞬間のアキラの微笑みを僕は一生忘れないだろう。

 その結果ー… 今僕たちは屋上へ向かう階段を一歩一歩上っている。全く狂気の沙汰としか思えない。さすがにアキラも緊張しているのか、急に静かになった。ギュッギュッという靴の音がやけに響き階段がとてつもなく長く感じた。僕たちは一言も発することなく、ただ押し黙って階段を上り続けた。あまりに沈黙が続くとふとバベルの塔を思い出し、(僕はバベルの塔の中を歩いてるのか… )そう思った。

 人間が神に近づこうとして築き上げた塔。その行いが神の怒りに触れ、塔は壊されその時言語が錯乱し複数に分かれたという… 僕は今その言語そのものを忘れているようだった。この階段がバベルの塔だと言うのなら、待ち受ける結末は悲劇でしかないというのに…… 

 長い沈黙の終わりは屋上へ入る鉄の扉の前だった。目の前に現れた最後の鉄の扉を開けると突風がたたきつけるように吹き付けてきた。その時、僕は一瞬息をのんだ。

 風がタバコの煙のように形を作り、まるで大きな口を開けてくるガイコツのように見えたからだ。叫び声を上げるのも忘れて呆然と立ち尽くす僕の肩をアキラがぽんとたたいた。

「おい、大丈夫か! コウ? 」

「えっ? ああ」

 アキラは平然としている。アキラには僕と同じものが見えなかったようだ。いやそれよりも僕の恐怖心が見せた幻だったと思う方が自然だ。

「よし。もう少し奥へ行った方がいいだろ」

 アキラは僕の肩に腕を回し歩き始めた。冷たい風が吹き付け髪がゆらゆらと揺れる。なんだか全く別世界にいるように感じた。ある程度進んだときアキラが意を決したように言った。

「じゃあ始めるぞ」

 僕は生唾を飲み込んで答えた。

「や、やろう」

 その声は少しほんとうに少しだが震えていた。アキラはうなずき例の呪文を発した。

「青い目紅い目銀の目金の目。お前がほしいのどんな目だい? 」

 一回目もちろん何も起きない。

「青い目紅い目銀の目金の目。お前がほしいのどんな目だい? 」

 二回目まだもちろん何も起きない。いよいよ三回目だ。僕は身構えた。どこかアキラも緊張している気がする。

「青い目紅い目銀の目金の目。お前がほしいのどんな目だい? 」

 三回目! するとー… やっぱり何も起きなかった。

 僕は安堵の表情を浮かべほっと息をなで下ろした。

「アキラやっぱり何も起きないね」

 さっきまでの空元気はどこへやら。僕はにやりと笑ってアキラに言った。アキラは残念そうに舌打ちをして悪態を付いた。

「けっ俺だってな! はじめから信じてないんだよ! 怪談話なんてよ」

 僕はその滑稽な態度を見て思わず吹き出した。始めこそアキラは怒っていたが結局二人で大笑いしていた。僕はすぐにでも立ち去りたかったが、アキラはタバコを取り出すと「一服させてくれ」と笑って言うので、仕方なく二人で屋上に寝転がり真っ黒な夜空を眺めた。するとアキラがタバコをふかしながらなにか思い詰めたような目をしてぼそりと言った。

「俺、この退屈な世界を壊してしまたいと時々思うんだよ」

「え!? 」

 いきなりの破壊宣言? どんなカミングアウトだ。でも全く理解しがたいわけではない。自分のためとは分かっているがやりたくもない勉強して好きでもない学校へ通う。そんな日々が実際退屈でたまらない時がある。どうせならゲームのような世界をリアルに体感してみたい。魔法や技を駆使して戦いにまみれる世界。今流行の異世界転生。チート能力全開の転生者なんて面白うそうだ。そう思った瞬間、あ、僕、中二病にかかってる、と思いながらも

「ああ… 分からないでもないよ」

と冷静に答えた。

「ここへくれば何かおもしろいことが起きると思ったんだ」

「おもしろいこと…? 」

「そうさ、だってそうだろ? 目をくりぬかれた男子生徒の遺体は確かにあった。でも、それじゃあ、あの女生徒の遺体はどこへいったんだ? 」

 そんなこと言われても… 返事に困る僕の顔を見ながらアキラは続けた。

「俺、思うんだ。きっとあの女生徒は異世界へいったんじゃないかってな」

「異世界…? 」

「そうさ。この現実世界とはまた違った世界だ」

 アキラがこんなに夢想家だったなんて正直驚いた。続けて当たり前のように言った。

「さあ、これで最後の一本だ」 

 って、まだ吸うのか? 一本ではないのか? 一服とは一本吸うという意味ではなかったらしい。今すぐにでもこの場から離れたいのに! 

 でもそんな僕の思いとは裏腹にアキラはなごり惜しそうに最後のタバコにゆっくりと火を付けた。ぼうーっとタバコの火が提灯の明かりのように淡く燃えたとき、屋上の飛び降り防止で張られた1メートルほどの高さがある金網の外で同じように白い何かがぼうーと現れた。思わず僕はよくお土産屋で目にする台についているボタンを押すとぴょこんと立ち上がる人形みたいにすくっと立ち上がった。

「何だ? どうしたコウ? 」

「あれ… あれ… 」

 うまく説明できず言葉にならない。

「お、おいアキラあれなんだ? 」

 ま、まさか。悪い予感がする。僕は声を震わせながら声と同じように震える指で白い物体を差した。白い物体は妖しい光を放ち徐々に広がっていく。その時アキラの口からタバコがぽたりと落ちた。

「お、お、おい、あ、あれ、あれ、あれ… 」

 がらにもなくアキラの声が震えている。でもそれもそのはず。なんと広がった白い物体から人が現れたのだ! まるで操り人形みたいに手足をブラブラと揺らしながらこちらを見ている。その格好、着ている服。僕たちと同じ制服だ!

 そう、あの女生徒が空中に立っているんだ。長い髪で顔を隠してはいるがその奥で猫のように目が光っている。口も見える。ぱくぱくと動いている。でも何を言っているのかは解らない。女生徒はゆっくりと手を挙げると僕に向かって指を指した。

「うわあぁぁああああーーーー!!! 」

 アキラも飛び起き僕たちは悲鳴を上げて走り出した。

 走れ! 走るんだ。僕はよろけながらも必死で走り、転んでしまうと今度は犬のように這いつくばって何とか扉のノブに手をかけた。でもその瞬間、

「うっ 」

 体に電気が走ったようにしびれた。そして一瞬にして体が硬直してしまった。ピクリとも動かない。まるで体が石のようだ。するとアキラが顔をこわばらせながら言った。

「何してる! 早く開けろ! 逃げないと目をえぐられるぞ! 」

「わ、わかってるよ… でも… 手が… 手が… 」

 決して焦っているわけではない。どうにも体が言うことをきいてくれない。アキラに伝えようにも顔が凍り付いたように硬くなり口もうまく開けない。

「早くしろ!!! 」

 アキラがせき立てる。僕は渾身の力を込め首をゆっくりと左右に振って合図した。

「出来ない… アキラ… 助けて… 」

 そのとき足が勝手に動き出した。

 なんだ? どうした? 勝手に動くな! 必死に自分の足に言い聞かせ足に力を入れる。でも足はぶるぶると震えながら僕の命令に激しく抵抗する。

 お前のご主人様は僕だろ! でも足は主人の言うことを全く無視してぐるりと百八十度回転しゾンビのようにずるずると進み始めた。僕はぞっとした。

 やめろ! そっちはだめだ! あろうことか僕の足は女生徒に向かって歩いている。

「バカ! コウ! 何やってる! そっちに行ってどうする!! 」

 アキラが罵声を浴びせる。もちろん僕だって分かっている。でも抵抗できない。わめき散らすアキラの姿が声がどんどん遠ざかっていく。額から汗が噴き出し歯ががちがちとなった。それでも歩みは止まらない。すでに普通に歩く速度で進んでいる。そして一歩一歩確実に女生徒に近づいている。

 歩みは駆け足となり全力疾走と変わらぬスピードになった。目の前に飛び降り防止で張られた金網が迫る。すると僕は鍛え上げられた兵士のようにあっという間に金網をよじ登った。もう完全に体の自由がきかなくなっていた。

「ああ、あ… あ… 」

 人生の中でこれほどの恐怖を味わったことはない。額から滝のように流れる汗が口に飛び込み、まつげをつたって目の中にも入ったが、見開いた目を閉じることはできない。痛みも恐怖でかき消されていた。

 そして僕は女生徒の前でピタリと止まった。ふっと風が吹き付ける。

 さ、寒い。いや、痛い? 冷凍庫に無理矢理詰め込まれたか、真冬の雪山に裸で立たされているみたいだ。(経験はもちろんないけど)足下からは風がビュービューと吹き付け、女生徒の髪が蛇のように踊っていた。恐怖におののく僕を見て女生徒はにやりと笑った。こんなに近いのに顔がはっきりと見えない。すると女生徒はゆっくりと手を伸ばし低く冷たい声で言った。

「あなた… の目… ほしい… 」

 女生徒は鉄のように固くなった僕の顔に手を伸ばす。その白い指が僕の顔に、いや、目に迫ってきた。人差し指と親指が僕の眼球をつかむ。眼をくりぬかれる。そう覚悟した瞬間、

「やめろー! 」

 凄まじい叫び声と共にアキラが突っ込んできた。

「アキラ!!! 」

 一瞬、金縛りが解けた僕はアキラに手を伸ばした。

「コウ!! 」

 アキラの手が僕の手をつかんだ瞬間、目の前が真っ白になり僕は意識を失った。




第三章 ノア


「うう、熱い… 」

 体が動かせない。指先一つ動かこそうとするだけで全身に激痛が走る。猛烈な炎で焼かれているように体中が熱い。熱いからだろうか。額から大量の汗が滝のように流れている。中途半端な量じゃない。汗がしみて目が痛む。痛む腕を無理矢理動かし、何とか額の汗を拭うと腕に大量の汗がびっしょりとついた。ねっとりと汗が糸を引いている。

 額から腕に納豆のように伸びる汗はぱっと見美しい木綿糸のようだった。

「汗? でも赤い… 」

 頭が混乱する。その真っ赤な汗を見つめているうちにだんだんと恐怖が押し寄せてきた。

「汗? いや違う」

 そう、汗なんかじゃない。それはどくどく流れる僕自身の血だった。血だと理解しその半端無い血の量を見たとたん一瞬にして世界がぐるりと回った。こんな大量の血を見たのはホラー映画で見たあのとき以来だ。

「ううううぅぅぅ… ああぁぁぁ… 」

 恐怖と痛みで頭が混乱して言葉にならない。自分でも理解できないうめき声を出していた。すると突然思い出したように右目に激痛が走った。

 僕は震える手でおそるおそる右目をさわってみた。異様な違和感。なにかおかいしい。

「ん? 何だこれは… 」

 指が入っていく。まるで大きなちくわの穴に指を入れているみたいだ。

「うえっ」

 吐き気がこみ上げて何度も嘔吐した。脳みそに虫がはんでいるように頭がかゆく体の震えが止まらない。僕のすぐ下に地震源があるのではないかと思うほど体中が震えた。突っ込んだ指がなかなか抜けない。あるべきものがないことがこんなに恐ろしいとは… このとき初めて知った。

「うえっ うっ そんな… 」

 喉を詰まらせながらゆっくりと指を引き抜くと血がべっとりとついていた。改めて思った。

 僕は女生徒の幽霊に目をくりぬかれた。そして屋上から突き落とされたんだ。あの高さから落ちてまだ生きているとはよほど頑丈かしぶとく出来ているいらしい。でももう終わりだ。意識がだんだん薄れていく。

 もう、痛みも感じない… そうか… 僕はこのまま死んでしまうのか… リアルな死が頭をよぎった。でも自分でも変だと思うくらいまるで瞑想する殉教者のように落ち着いていた。

 すると、

「うっうっうっ… 」

 隣で今にも途絶えそうな弱い息づかいがした。

「な… なんだ。誰か… いるのか…? 」

 体は動かない。それでも少しだけ首が動いた。すると三日月型のぼやけた視界にうっすらと何かか横たわっているのが見えた。

「なんだろう。動物… いやいやでかすぎるだろ。 えっ人! 」

 横たわる物体の正体が分かったとたん僕は驚き、

「ぎゃぁーー 」

 まるで冒険映画で出てくる古くさいミイラとか、腐乱した遺体を見て叫ぶ俳優のようにたまらず叫んだ。でもそこに横たわっているのはもちろんミイラでも腐乱した遺体でもない。はっきりとせず、まだぼんやりとだが僕にはわかる。霧のように霞む視界に横たわっていたのは、今にも事切れそうなアキラだった。しかも両目がない。洞窟みたいにぼんやりと、でもぽっかりと黒い穴が二つ開いている。

「アキラ! アキラ! 」

 僕は半狂乱になってわめき散らした。あのまま逃げていればアキラはこんな目に遭わずにすんだのに、僕の為にアキラはこんな悲惨な姿になってしまったんだ。

 アキラに申し訳なく歯が欠けるのではないかと思うくらい食いしばると突然背中に異様な気配を感じた。風邪のひきはじめみたいに背中がゾクゾクとする。一瞬あの女生徒を見たときのような緊張感と恐怖が蘇りどきまきした。すると、

「ノア」

 頭の上で声がした。

「人だ。人がいる」

 助けが来たに違いない。アキラも僕も助かるかもしれない。そう思と先ほどの落ち着きはどこへやら。恐ろしいまでの不安がどばっと押し寄せてきた。

 死という恐怖が!

「た、助けてくれ! 」

 僕はあらん限りの力を込めて叫んだ。でも声の主は問いかけに全く反応しない。声が届いていないのか。いや、そんなはずはない。でも返事どころか気配さえ感じない。まるで幽霊に話しかけているみたいだ。

「早く… 誰か」

 おびただしい出血が地面を真っ赤に染めていく。血が足りない。船酔いしたように気持ち悪く頭がくらくらする。空がくるくると回り水晶玉を通したように景色がぐにゃりと歪んできた。

 やっぱり… 僕は死ぬのか… 意識がかすんでぼんやりとしてきた。

「た、たす… けて、くれ…ーー 」

 一瞬声が途絶えると、もう一言も発することが出来なくなっていた。まぶたを閉じることもできない。小さな灰色の虫が目玉に止まった。でももう痛みもかゆみも感じない。視界を遮る霧はさらに深くなり景色がぼやけ、水面に広がる波紋のようにぐにゃぐにゃ揺れた。

 生きた屍。今の僕にこれほどぴったりの表現はないだろう。僕は皮肉を込めにやりと笑った。そのときこの悲惨な状況を喜ぶように大歓声がわいた。まるで大劇場で一流のミュージカルを見た観客が絶賛しているような騒ぎだ。

「おおおー ノアよ。ノアの末裔。ノアの子らよ」

「ノアの子よ! 我らに救いをーー!! 」

「ノアの子よ! 我がメシアよ! 」

「おおおおー ノアよ。我らがメシアよ! 我らに救いを! 我らに方舟を! 」

 喜んでいる。僕の、僕たちの死を喜んでいるのか。苦しみと悔しさで頭がどうにかなりそうになった。どうして。なぜ助けてくれない。死にたくないよ。僕は小さな子供みたいに恥じらいもなく、顔をくしゃくしゃにして血の涙を流しながらすすり泣いた。すると小さな子供をあやすように男が言った。

「さあ、今は眠れ。次に目覚めたときお前はメシアの運命を課せられる」

 そのとたん、うっすらと感じていた僅かな光が突然闇に包まれた。

「い、やだ… ねむり… たくな… い…ーー 」

 僕は絞り出すように弱々しく呟いた。どんどん小さくなる声。でも声の主が遠ざかっているわけじゃない。遠ざかっているのは僕の意識。強い眠気に襲われてとても意識をたもてない。薄れていく意識の中で脳裏に焼き付いたあの言葉がくり返しくり返し頭を巡った。


ーーノア。メシアーー


「間違いない。この二人だ。神の山より来たる者。光を失う二人の幼子。そう黒の石に刻まれし予言。闇の黙示録 予言の書 第一章三節。

(巨大な角を持つ 悪しき黒き幼い雄山羊は 両の目の光を闇に捧げ 強大な力を得るだろう。美しい角を持つ 優しき白き幼い雄山羊は 右の目を闇に 左の目は光を残し 絶大なる力を得るだろう)

 今まさに我々目の前に両目を失った幼い子供と、右目を失った幼き子供がいるではないか。ついに我々はメシアを迎えたのだ! 見よ! あの光る山! あれこそ神が祝福された山! 黒い石に記してあるとおりだ! 」

「こんな年端もいかぬ子が死界の運命を? 我々に方舟をもたらすのか? 」

「無礼な口をきくなベイルよ。黙示録にあるとおりではないか。メシアは幼子であると。この子供たちが死界の運命を握っている。我々に方舟をもたらすのだ」

「幼子か。しかしこの二人はあまりにも体格が違うが… 」

「私はこの場所を正確に調べたがここはおよそ十二から十五の年を過ごした者が住まう学舎なのだ。黙示録に示された光景を見れば、二人が運命の子であることに疑う余地はない」

「そうか… 確かに疑う余地はない… 」

「お、おい見ろ! 」

「どうした、銀の目が震えているぞ! 」

「信じられない。やはりこの子達には何かあるのか? 」

「ア、ア、ア… 」

「お、おい! タームー・ダーが喋ろうとしている! 」

「馬鹿な! 信じられん。死神が口をきくなんてありえないことだ! 」

「ア… アアアア…ーー 」

「何か伝えたいのか? 」

「いや、ただ叫んでいるのではないか」

「どちらにしても異常なことだ。死神が言葉を、それが一言であっても発することはありえない! 何かが起きるまえぶれに違いない。やはりノアの末裔であるこの子供達がメシアに違いない! おおおノアよ。偉大なるメシアよ! 」

「いや、まだ分からないぞ。サーダ! 」

「そうだやってみないといけない。サーダよ。早く始めよう」

「そうだサーダ。命がつきる前に始めないと。このままでは死んでしまうぞ! 」

「おおそうだ。よし。ではすぐに始める。さあ移植するのだ。死神の目を! 」


第四章 右目


 死の直前に見たアキラの顔。くり抜かれた二つの穴は深い井戸でも見ているようだった。あれからどれくらい時間が過ぎたのか。僕を深い眠りから目覚めさせたのは節だった白い指。そしてあの忌まわしい声だったーー


「骨? 指? 来るな… こっちに来るな…… 」

 身動きができない。必死に頭を振る。でも白い指はゆっくりと迫ってくる。

「やめろ… やめてくれ… 」

 ぐりっ、ずずずっ… 人差し指が右目の眼球の上にそして親指が眼球の下に、皮膚を押し込みながらゆっくりと入り込んでくる。体が動かない。このまま成り行きに身を委ねるしかないのか。ぐぐっーー 白い指はついに眼球をしっかりとつかんだ。そのとき、

『移植するのだ! 死神の目を! 』

「や、やめてくれ!ーー 」

 僕は自分の叫び声に驚き目を覚ました。そのとたんひどい寒気がした。

「さ、寒い? 」

 思わず体を抱きしめた。みると一糸まとわず生まれたままの姿だった。でも恥ずかしがっている場合じゃなかった。

 冬でもないのに寒くてたまらない。決して裸だからと言うわけではなさそうだ。ガチガチと歯をならしなしながら両腕で体を包み込んだ。頭ははっきりとせず常に乗り物酔いをしているように吐き気がこみ上げてくる。立ち上がろうにも頭がくらくらしてすぐ座り込んでしまう。熱っぽく体がだるい。まるで重い病気にかかってしまった気分だ。

 無意識に膝を抱え込み両手で強く体をこすり上げた。そして気がついた。寒いのは背中。雪が乗っているように背中が重く冷たい。そして異様な背中の冷たさは異様な気配へと変わった。

「何かいるのか? 」

 辺りを見回す。でも目の前が真っ暗で何も見えない。まるで外灯のない真夜中の道を明かりひとつを持たず歩いているみたいだ。あの忌まわしい声。そして目覚めた直後に現れた暗闇。こんな恐怖味わったことがない。僕は息苦しくなり顔をかきむしった。その時ざらっとしたものが手に当たった。

「なんだ? これは? 」

 丁寧に頭を触ってみると目に何かが巻かれていることに気が付いた。それは包帯だった。頭にかけてぐるりと巻かれている。真っ暗なのは包帯が巻かれているせいだ。でも目に痛みはない。誰かが手当をしてくれたみたいだ。

 吐き気や目眩が治る気配はなかったが、我慢してゆっくりと包帯をほどきはじめた。気分は悪いが体に痛みはない。くりぬかれた目。アキラの無残な姿。謎の男の声。そして激しい痛み。あれは夢だったのか。一瞬真剣にそう考えた。けれど、

「おかしい。なんか右目が… 」

 包帯を取り終えてすぐ右目に異様な違和感を感じた。言いようのない不安を覚えすぐさま右目を閉じると背中に感じていた寒気が少しやわらいだ。

「見にくい… いやだ…… なんなんだよ…… 」

 僕は恐怖で半泣きになりながら乱暴に左目をごしごしとこすりあげた。すると見慣れた風景が少しずつ見えてきた。

「あれ ここは? どこ」

 あたりはすっかり日が暮れていた。見たこともない森の中にいる。でも何かはっきりしない。まるで油絵で描かれた森を見ているようだ。その瞬間僕ははっと思い出した。

「そうだ! アキラは! アキラはどこだ! 」

 僕は右目を押さえたままちどり足でふらふらと辺りを探し回った。でもアキラの姿は見あたらなない。両目を失ったアキラはかなり重傷のはず。とてもひとりで動けるはずがない。恐怖と不安がどっと押し寄せてきた。

「どこだ? どこにいるんだ? アキラー! 」

 胸が張り裂けんばかりに叫んだとたん、

【ズキリ】まるで恐怖に答えるように右目に鈍い痛みが走った。

「ううっ」

 気持ち悪さと痛みに耐えられず、よろめきながら右目を瞬きすると瞬きに合わせてパッ、パッと背中の寒気が強くなった。

 きっと背中の寒気の正体はこの右目にある。僕はまだしっかり開かない右目を少しだけ開けて背中を見た。何かがぼんやりと見えている。はっきりとは見えないが真っ黒い何かが確かにいる。

「なんだろう… なにか! ううっ… 」

 僕は気持ち悪くなりたまらず足下に吐いた。前屈みになってよたよたと歩きながら再び右目を固く閉じた。不意に記憶がよみがえる。確か右目は女生徒にくり抜かれた。でも今はおぼつかないまでも右目はしっかりとある。

「どうして? 」

 口に手を当て考え込んだとたん、はっと息をのんだ。

「移植… 死神の目…ーー 」

 おぼろげな意識の中で聞いたあの言葉がぱっと浮かび上がった。

「まさか! 僕の目は! 」

 このままでは何も始まらない。このうやむやな状況を打開するにはこの右目を開くしかない。背中に感じる異様な気配。なにかいるのなら右目を開いたとき、その得体の知れない物が見えるかもしれない。すると不意にアキラの言葉が頭をよぎった。

(あの女生徒は異世界にいったんじゃないかーー… )異世界か。どっちにしてもろくな世界じゃないような気がする。でも開くしかない。僕は恐怖を必死に押さえ込んだ。

「開けるんだ… 開けるんだ… 目を… 右目を」

 そしてゆっくりと深呼吸するとゆっくりと右目を開いた。十秒ほとたつと目が慣れてきたのか。信じられない光景が見えてきた。

「い、異世界… 」

 見慣れた景色に灰色の世界がダブって見える。まるで二つの世界が混ざり合ったかのようだ。目眩と吐き気はひどさを増し僕は再び足下に吐いた。

「片目を閉じなければ… 」

 不意にそう思い左目を閉じた。そのとたん二つの世界は一つになり目の前に灰色の世界が現れた。

「こ、これは… なんてことだーー 」

 森はその姿をひとかけらも残すことなく消えさり、変わりに現れたのはごつごつとした灰色の岩また岩。地面にも小さな灰色の石がびっしりと敷き詰められている。明るくも暗くもない。昼も夜もないと言った感じだ。それでも見慣れたものも目にすることができた。

「あれはフクロウかな? カラスもいる? 」

 様々な鳥たちが空中で静止している。ただし鳥と言っても普通の鳥ではない。体が灰色で目玉も灰色。とても命がある生き物とは思えない。

「作り物? ぬいぐるみ? 」

 でもぬいぐるみじゃなかった。しばらくすると灰色の鳥が一斉に飛びたったからだ。でも羽ばたく音は全く聞こえない。無音で灰色の空を飛び回っている。足下にもよく目にした虫たちがゴニョゴニョとはいずり回っていた。地面を這うものもいれば空中を這っているものもいる。とにかく同じなのは全体が灰色であることだ。この世界を簡単に述べるなら荒れ果てた灰色の世界。ただひとつ空には金色の巨大な玉が浮いていた。光こそ放たないが月によく似ている。この世界で唯一色を持つ石だろうか。巨大な金色の玉を見つめているとふと気がついた。

「目眩とおう吐がおさまっている」

 重い風邪がようやく治ったような感覚だ。しかし背中には変わらず、いや前にもまして冷たい不気味な気配を感じていた。

「何かいる。間違いなく何かいる。黒く大きい何かが! 僕をじっと見ている! 」

 でも怖くて振り返ることができない。目があった瞬間、僕はこの大きな黒い影に食われてしまうんじゃないか。そんな言いようのない恐怖に支配していた。


第五章 メシアは独り


 全く色を持たない灰色の世界。消えることのない背中に感じる不気味な気配に怯えていると突然背中で声がした。

「ノアよ。ノアの息子よ」

 思わずびくりと肩があがった。

「誰? 」

 おそるおそる振り向いた僕は驚き絶句した。そして数秒後わっと声を上げた。

 それはあまりに巨大な男だった。

 きっとこの時の僕はホラー映画で、遠目から殺人鬼を見ている被害者のような顔をしていたに違いない。いや、血走った目、逆立った髪、一見すれば僕自身が殺人鬼のような顔だったかもしれない。声を上げた後はとにかく恐ろしくてどうしていいか分からなかった。

「長よ、見てみろ。この子は震えている。この子が本当に方舟をもたらすのか」

 また後ろから一人現れた。

「可能性はある。死神の目を移植してもこの子は死んでいない。そうだろう? 」

「そうだ。アキラと同じくこの子も資格を持つ者」

 いつの間にか四人の大男が僕を取り囲むように立っていた。僕は自分が裸だったと気づき、恥ずかしさのあまり慌てて座り込んで膝を腕で抱きしめた。

 それにしてもこの大男達はどこからわいてでたんだろう。四人はまるで暗闇を切り裂いて現れたかのようだった。それにこの声聞き覚えがある。

 僕はまじまじと四人を観察した。

 背丈は四人ともにゆうに三メートルはあろうという巨人。フードに灰色の十字架が刻まれたマントで全身を隠し、背中にバカでかい鎌を背負っている。それでもその巨大さを除けば姿形は人間と変わりないようだ。

 マントではっきりと顔は見えないがフクロウのようにうっすらと目が不気味に光っている。色はそれぞれ違い、紅、黄そして青色だった。でも一人だけは目の色を確認できなかった。その大男は他の大男よりも深くフードを被り目を影の奥に隠していたからだ。

 男の目の色が気になりフードの奥をのぞき込もうとすると一瞬何とも言えない悪寒が走り、無数の氷柱を体中に突き刺されたような感覚に襲われた。これが本当の恐怖と言うものか。無理矢理に死を押しつけられたみたいだ。脂汗が吹き出し口を押さえても首が左右に小刻みに揺れ歯がガチガチとなった。するとフードの奥から冷たい声がした。

「アキラにも死神の目は移植され両の目は確かにアキラのものとなった。そしてこの子にも片方の死神の目は問題なく移植され右の目は確かにこの子のものとなった。予言通りメシアは二人のどちらかで間違いないだろう」

「長よ。どうするのか」

「うむベイルよ。この子はお前に任せよう。この子は特別だ。死界と人間界二つの世界を自由に行き来することができる。そしてーー 」

 何か言いかけて長と呼ばれる巨人は一瞬口をつぐみ天を仰いだ。

「なぜ神はこのような存在をメシアに選ぼうというのか… いずれにせよベイル。お前が判断するのだ」

「うむそうしよう。そして長よ。もしこの子にメシアの資格が無いと判断すればどうするのか? 」

 ベイルと呼ばれる巨人は僕を見下ろし険しい顔つきで睨み付けた。

「ベイルよ。予言は誤らず。この子が候補であることは間違いない。お前はこの子に知りうる全てを教える。メシアでないのなら“天運なる戦い”がこの子を殺す。メシアは一人」

 そう言いなつと男はばさりとマントをなびかせ僕の顔を覆った。そしてマントが消え去ると同時に長と呼ばれる男も消えていた。残りの二人の巨人もマントをひるがえし捨て台詞を残して消え去った。


ーーメシアは一人ーー


第六章 ガンタン


 突然目の前に現れた四人の巨人は不気味なメッセージを残し暗闇に消え去った。後に残されたのは僕とベイルと呼ばれる巨人だけだった。

 静か、あまりにも静かな全ての音がどこかへ吸収されたような空間。無意味に思えるほどの静けさが辺りを支配していた。残された巨人が僕をじっと見つめている。巨人は平静を装っているようにも見えた。すると何を思ったのか巨人が突然僕の腕をつかんだ。

「ギャーッ! 」

 あまりに強く握るので僕はあまりの痛みに顔を歪ませ悲鳴をあげた。

「なんともろいのか? まだ年端もいかぬ子供。幼い、あまりに幼い。か細く小さい」

 巨人がその手に力を込める。みしみしと骨がきしむ音がした。

「痛い! 離して! 腕が折れる! 」

 でも巨人は腕を放そうとはしない。

「私が軽く殴るだけでその体を破壊し命を奪うも容易。心も未熟。未熟さ故の無知がその表情に表れている。あらん限りの不安をその目にさらげだしている」

 巨人は僕の目をのぞき込むとようやく腕を放した。痛みが消え去り僕は安堵の表情を浮かべた。すると巨人は意外な言葉を口にした。

「だが無理もない。訳も分からぬままに死神の目を移植され、その命が危険にさらされているのだから… 」

 すると何ともいえない空気が僕と巨人の間を包み込んだ。数分か、いや僕にはそれが数時間にも感じた。巨人も同じ気持ちだったのかもしれない。そんな雰囲気を打ち消すかのように巨人が切り出した

「さあ、とりあえずこれを羽織るがいい」

 巨人は自らのマントから小さめのマントを取り出して僕に渡した。僕は改めて一糸まとわぬ自分の姿に恥ずかしさを覚え、奪い取るようにマントを受け取り羽織った。

 肌触りは皮に似ているが素材は石で出来ているようだった。でも冷たさは感じない。極限まで薄く削った未知の石は、石なのに固くもなくまた柔らかいというわけでもなく、ゴムのように伸び縮みした。それにすごく軽い。まるで空気を羽織っているようだった。色は灰色で巨人と同じくフードが付いていた。すると巨人は僕にフードを被せながら言った。

「名前は何というのだ? 」

 僕はまだ少し痛む腕をさすりながらフード越しに巨人を見つめた。巨人たちの会話でアキラと僕がどういった立場であるかは少しは理解している。やはりアキラも僕と同じくこの灰色の異世界にきてしまった。今は巨人の機嫌を損ねず無難にやり過ごしたほうがいい。

 僕は眉間にしわを寄せながら弱々しく答えた。

「コウです… 」

「コウ? 呼びやすくていい名だ。私はベイルだ。ベイルと呼んでくれていい」

「ベイル… 」

 一瞬何ともいえない、まるでぐつぐつと煮え立つお湯のように、訳の変わらない感情がぼこぼことわき出した。まるで思い人でも見るように目をそらすことなくベイルを見つめた。

 ベイル… これがこの巨人の名前…

 すると礼儀だろうか。ベイルは灰色の十字架が刻まれたフードを脱いでその顔を見せた。ベイルの顔を見た僕はそのあまりの美しさに一瞬息をのんだ。

 年は若く見た目二十三、四と思える。計算されたかのように美しく整った顔立ち。絹のように美しい黄色の髪(金色に近い色だ)が、さらさらと川のように波打っている。眼球は美しい黄色。トパーズをはめ込んだようなその瞳はキラキラと輝いていた。その目に威圧感や敵意は感じられなかった。むしろ安らぎを感じるほどだった。

「ベイル… 」

 地獄からの使者。逆らおうものならすぐさま拳を振るい相手を支配しようとする怪物。つい先ほどまでそう思っていた怪物。それがなんてフレンドリーなんだろう。いつの間にか体の震えは止まっていた。ベイルの不思議な瞳のせいか。それとも意外ともいえる紳士的な態度が落ち着かせてくれたのかもしれない。

 すると突然ズンっと重い音がして灰色の土埃が目の前に舞った。ベイルが僕の前で片膝を付いてしゃがんだからだ。さすがの巨人もかがめば僕の視線とそんなに変わることは無い。するとベイルは瞬きすることなく僕の目をのぞき込んで言った。

「コウ、寂しくはないのか? 」

 予想もしなかったベイルの質問に僕は驚き心がぐらりと揺らいだ。張り詰めた緊張の糸がプツリと切れ、目に涙がたまり灰色の風景がぐにゃりと歪んだ。ごまかしようのない気持ちが源泉のように湧き出しどうにも止められない。気がつくと僕は叫んでいた。

「寂しい… 寂しい! 帰りたい家に帰りたいよ! 」

 泣きじゃくり、どうしていいのか分からず膝を抱えて座り込んでしまった。これからどうなってしまうのか。不安が僕を押しつぶそうとする。重圧に耐えられず腕の隙間からちらりと見ると申し訳なそうにしているベイルの顔が見えた。

「コウ… 」

 哀れみの表情を浮かべながらベイルが大きな手を僕の頭に乗せた。僕の頭はまるでハンドボールみたいにすっぽりと手の中に入り込んでしまった。

「やはいりお前には無理だ。とてもメシアには… 」

 思いもしないベイルの言葉に僕はたじろいだ。

 助かるのか? 帰れるのか? 

 いや、待てよ。最悪な展開もある。もしかしたら必要ないと判断された僕はあっさりと殺されてしまうかもしれない。でもその不安はベイルの言葉で払いのけられた。

「コウ、返してやろう。お前の世界へ」

「ほんとうに! 」

 僕はうれしさのあまり飛び上がって喜んだ。でも同時にアキラに申し訳ないという気持ちでいっぱいになった。それでも今は帰りたかった。弱虫、卑怯者、裏切り者。どんなに酷い言葉を浴びせられても家へ帰りたかった。

「しかしコウ。お前のその目が変わることはない。故にこの世界ことを知る必要がある」

「目… この世界? 」

「そうだ。この世界でお前が気になっていること、どんなことででもいい。いってみろ」

 今一番気になるのはこの右目だけどいきなり本題に入って恐ろしい事実を知ってしまうのは嫌だったので、足下をはんでいる灰色の生き物について聞いてみた。

「これは、この、灰色の生き物たちはこの世界の生き物なの? 」

「いや、この生き物たちは“死界”の生き物ではない。全てお前たち人間界の生き物だ」

「死界? 死界ってこの世界の呼び名? 」

「そうだ。この世界を我々は“死界”と呼んでいる」

「そう… 」

 僕は死界というこの世界の名前に変な親近感を覚えぞっとした。どこかで聞いたことがあるような不思議な感覚を覚えた。そして不気味な名前はこの世界にぴったりだと思った。

 僕は再び灰色の虫に目を移して言った。

「こんな灰色の生物、人間の世界では見たことないんだけど」

 するとベイルは軽く笑い足下をはっている虫をいきなり踏みつぶした。

「わあ、なんてことするの! 僕の国には一寸の虫にも五分の魂ってことわざがあってね。無意味に命をとるもんじゃないよ」

 僕がびっくりしてそう言うとベイルは更に笑って言った。

「落ち着けコウよ。よく見てみろ」

 ベイルが足をどけると灰色の虫たちは何事もないように地面をはっていた。

「これどういうこと? 」

 驚く僕にベイルは言った。

「コウこの虫をつかんでみろ」

「あんまり虫は好きじゃないんだけど… 」

 僕は気乗りしないままちょうど目の前の空中をはっていた灰色の虫をつかもうと手をかけた。ところが、

「あれ? 」

 何度掴もうとしても虫は僕の手をすり抜けてしまう。手の上に乗ったところで掴もうと待ち構えてみたが手の上をはんでいるのに感触がない。

「これは… 」

「そうだ。掴もうと掴めない。これはこの虫の魂なのだ」

「魂? 」

「そうだ。死界では、人間界のありとあり得る魂が生き写しとなって現れる。もちろん人間も例外ではない。そして死界では魂に“触れることはできない”のだ」

「そうか… 」

 ここは森の中。だから鳥や虫たちの姿、つまり魂が多い。そして魂だけに音を一切出さない。鳥の羽ばたきが聞こえないのも這いずり回る虫に触れないのもそのためだ。空中に浮かぶ鳥や虫は木にとまっているか木を這んでいるんだ。

 納得した僕は灰色の虫を、いや虫の魂が動く様を見つめてふんふんとうなずいた。すると突然虫たちが目の前からぱっといなくなった。まるで手品師が檻に入ったライオンを消え去るかのような早業だ。

「ベイル虫たちが消えて無くなったよ」

 焦る僕にベイルは言った。

「そうだ。死界では一定の時間が経つと魂が変わる。どこでどう人間の世界と繋がるか分からない。ごくまれにだか突然目の前に大量の人間の魂が現れることもある」

「そうなの」

 僕はよく分からず適当に返事をした。するとベイルは自分の黄色の目を差して言った。

「そして、お前が帰るにはどうすればよいのか。答えはそこにある」

「えっ… 」

 僕は考えた。死界に生身の人間が来ることはできない。死界に来るには死界のなにかを持っつ必要があるんじゃないか。僕は今死界の物を持っている。いや、身につけている。

 そう死神の目だ。ただ恐ろしいのはそう考えると僕は死界の目を返す事になることになり、それはつまりーー 僕は嫌な考えを押しやり勇気を出して切り出した。

「ベイル。僕の目… 僕の右目を… 」

 するとベイルは「そうだ」と言ったふうにうなずき言った。

「コウよ。その右目はお前の物ではない。それは死界の者である死神の物。つまりその目は“死神の目”だ」

「死界? 死神の目! 僕の目が、死神の目に!? 」

 心臓がどくどくと激しく鼓動を打ち始めた。するとベイルがマントの奥からなにかを取り出し言った。

「さあ、コウよ。これを付けろ」

「これは? 」

 僕はベイルの行動に不審を抱きながらも、差し出された物を受け取った。

 ベイルが僕に渡した特別なアイテムそれは眼帯だったーー

 肌触りも素材も色もマントと一緒のようだ。形は栗をひっくり返したような逆三角形。表面は美しい唐草模様で縁取られ中央にはベイルのフードと同じく灰色の十字架が刻まれていた。

 僕は早速それを身に付けようと頭に巻きつけた。すると眼帯はまるで生き物のように、例えるならヒルのようにピタリと張り付いてきたので、僕は驚き目を隠す寸前で止めた。

「なんだこれ! 本当に安全な物なの? 」

 眼帯を目から離したままベイルを見た。

「もちろん安全だ。それは片方の目を隠す物」

 そう眼帯だ。そう言えば左目を閉じたままどれくらい経ったのか。左目を閉じているのを忘れてしまうほどだった。

「ガンタンだね」

 僕は目帯をまじまじと見つめていった。

「ガンタン? そうか。コウがそう呼びたいのならそう呼べばいい」

 ベイルはその呼び方が気に入ったのか僕の顔を見てにやりと笑った。そんな僕も昔から眼帯をガンタンと呼ぶのは方言のなまりだと承知していたので同じようににやりと笑った。

 すると拍子に手がゆるみ手からガンタンが離れてしまった。そして、

【バシ】ガンタンは待っていましたと言わんばかりにピタリと右目に張り付いた。その直後だった。一瞬空がぐるりと回り景色がぐにゃりと歪んだ。それは僕がベイルの顔を見て、ベイルが笑ったのを見て、僕が笑い、そしてガンタンが張り付いた。その瞬間だった。

 気がつくと僕は呆然と立ち尽くしていた。ベイルの姿が見あたらない。こつ然と姿を消してしまった。いや、消えたと言うよりも始めから存在していなかったみたいだ。そして何より僕が驚いたのは、

「ここどこ! 」

 目の前に広がるのは砂漠。遠くに町はらしき建物が見える。今僕はある石像物の上に立っている。ちらりと横を見てここがどこなのかはっきりと判った。見えたのはピラミッド。そう僕はエジプトにいる。そしてスフィンクスの頭の上にいたのだ。

「これどういうこと? 」

 僕は戸惑った。目に巻かれた包帯をほどきそこで異様な気配を感じて右目を開いた。そして死界に来た。来た、行った。一体どっち? とにかく死界で四人の巨人と会い今まで巨人の一人であるベイルと話していた、はずだ…ーー

 でも今僕はスフィンクスの頭の上でピラミッドを見ている。あまりに贅沢すぎる観光だ。とてもではないがツアーには組めないだろう。いやそんな呑気な事を言っている場合じゃない。どうやってここから降りたらいいの? いや違う。そんな問題じゃない。頭がパニクった。

「ううううう」

 僕は頭をかきむしり両手で顔をおおうった。その瞬間はっと息をのんだ。手に何かがあたる。その瞬間、凍りでも押しつけられたようにさっと背中が冷たくなった。

「ガンタンだ」

 僕はガンタンを付けている。ガンタンで隠しているのは右の目。そう、死神の目を隠している。指先の感触からガンタンの十字架の彫り込みがはっきりと分かる。ベイルがくれたガンタンに間違いない。やはり僕は死界にいた。つい先ほどまでベイルと話していた。ガンタンで隠したのは右の目。右目は死神の目でつまりは死界の物。左目は僕が住む人間界の物。

 よく考えれば難しいことじゃない。ベイルがくれたガンタンは死界と人間界を“完全に分け隔てる”ことができるアイテムだったんだ。つまり右目をガンタンで隠し続ければ、何事もなかったように今までと同じく普通の生活に戻ることができる。目玉をくり抜かれるわけじゃなかったんだ。

「そうだ! 間違いない! やったぞ! 僕は解放された! 」

 僕は雄叫びをあげた。幸い今は真夜中。僕の雄叫びを聞いているエジプト人はいないようだ。

 きっと死界は遙か昔から存在していたに違いない。地球というものができたときから二つの世界は存在し人間と巨人は違う場所で同じ時間に存在していたんだ。でもいまだかつてベイルのような巨人が現れた事は聞いたことがない。死界へ人間が行けないのと同じく、死界の者が人間界に来ることは出来ない。

「死界の住人が人間界に来ることはできない! 」

 僕は罰当たりにもスフィンクスの頭の上で飛び跳ねて喜んだ。その直後だった。

「うっ」

 グラリと体が揺れた。着ていたマントが体をぐいぐいと締め付ける。まるで巨大なアナコンダにぐるりを体を巻き付けられているようだ。

「な、何だ? 」

 顔を押さえる。激しい目眩と吐き気。キズから目覚めた直後に襲われた体の不調。全く同じだった。おぼつかない足取りでふらふらと歩く。しかもこの不調はあの時とは比べものにならないほど酷い。激しい頭痛も合わさりもう立っていることも困難になってきた。

 意識がぼんやりとし脂汗がにじみ出ててきた。まるで高い山にいるみたいに酸素が薄く感じる。でもそれは酸素が薄くなってきたわけじゃない。自己呼吸が困難になっているんだ。

「まずい息が… できない… 」

 水面に顔を出す鯉のようにパクパクと口を開くと息苦しさに耐えきれず首を掻きむしった。

「ガンタン… ガンタンを… 」

 プルプルと震える指でガンタンを掴む。はっきりしない意識の中僕は何とか最後の力を振り絞りガンタンで左目を、人間界の目を隠した。そしてその直後意識を失った。


第七章 死神


「コウ! コウ! 」

 誰かが僕を呼んでいる。聞き覚えのある声だ。

「ベイル… 」

 僕はかすれる声で小さく呟いた。気がつくとベイルの胸の中で赤ん坊のようにうずくまっていた。まだ体が思うように動かせない。目を半開きにしてうっすらと笑みを浮かるとベイルが申し訳なそうに唇を噛んで言った。

「すまなかったコウ。このようなことになるとは」

「僕は… どうなったの」

「これは予想だが… 」

 ベイルはガンタンを指でなぞりながら言った。

「これ(目帯)は死界の物。通常死界の物を人間界に持ち込むことはできない。逆もまた同じ。ガンタンとコートはコウが身に付けることで例外的に人間界に持ち込むことができた」

「なるほど… 」

 ぼーとしながら僕はうなずいた。

「私にもどのような結果になるか分からなかった。これが果たして人間界へ行けるのかどうか。そしてもしそれが可能になったとき、身に付けていた者にどのような効果が現れるかも未知数だった」

 ベイルは落胆したように頭を左右に振った。

「やはり死界の物は人間界には適さない。死界へ帰ろうとあがいた結果だろう。だがこれはお前には必要な物だった。本来これは“右目ではなく左目”を隠すのに必要だったのだ。私はそれを逆に使用することが可能ではないかと考えたのだ」

「左目… ひだ… り… 」

 言いかけて僕はぎょっとした。それはベイルの後ろにあまりに異質で不気味な物体を見たからだ。左目、つまりガンタンで人間の目を隠すことによって、僕は正真正銘本物の死界に来たのだ。ベイルが言うとおりガンタンの本来の目的は僕を死界の住人にするの為に必要だったようだ。

「こんな事って… 」

 まだ目眩や嘔吐に悩まされた方がいい。今すぐガンタンを回して右目を隠してしまいたい。無意識に手がガンタンに伸びた。でもそんなことそしたら今度こそ命を落としてしまうかもしれない。僕は伸びる右手を左手で制止した。ベイルは怯える僕を落ち着かせようと大きな手で背中を何度もさすってくれた。

「分かっている。見えているのだろう。お前が見ようとしても見られなかった者。そして感じようとしなくても感じていた者。大丈夫だ。怯えることはない。これは“死神”だ」

「死神? 」

 ベイルの影にぴったりと寄り添そっている。これが、

「死神」

 寄りそっていると言うよりも影と同化している。影そのものが死神といってもいい。死神はベイルと同じように足まで伸びるフードがついた黒いマントを頭からすっぽりと被っている。やっぱりフードには灰色の十字架が刻まれていた。

 フードから除いている顔は僕がよく知る死神そのものだった。体も骨なのかどうか分からない。でも今の僕にそんな疑問はわいてこなかった。それより背中に感じているこのまがまがしい気配。そうだ間違いなく僕の背中にも死神がついているのだ。

 こんなものがついていると思うとぞっとしないわけにはいかなかった。初めて死界に来たときに感じていた異様な気配が死神のものだと今はっきりと分かった。僕はベイルから離れてゆっくりと立ち上がった。

 死神は不気味だけど特に悪さをするわけでもなさそうだ。気分も良くなり僕はようやく落ち着きふーと深い溜息を吐いた。すると少しばかり元気が戻った僕を見てベイルが言った。

「コウ紹介しよう。私の死神ドーシー・ダーだ」

「ドーシー・ダー? 死神にも名前があるの? 」

「いや、あるというか。死神は一切喋らないし意思表示もしない。だから契約者が勝手に名前を付ける。死神! では誰の死神か分からないだろ? 死神は喋らなくとも声は聞こえるらしいのだ。まあ、さだかではないがな」

「契約者? 」

「そう契約者だ。そして気づいているとおりお前にも死神がついている。死界にいる限りお前は常に死神と共にある」

「常に一緒… 」

「そうだ。常に離れない。お前の契約者。そしてお前の目の提供者。名前はゲーター・ダーだ」

「ゲーター・ダー… 」

 僕はなぜかその名前になつかしさを覚えた。何か大切な友の名を聞いたような奇妙な感覚に襲われた。でもそれはほんの一瞬ですぐに嫌な気分になった。ベイルと同じく僕の影にもおぞましいもの入り込んでいる。振り向けばそこに奴はいるのだ。

 僕は恐る恐る振り返った。同時に何とも言いがたい悪寒のようなものが体に絡みついてきた。軽く身震いするとぶつぶつと鳥肌が立った。分かってはいたけどそこに立っていたのは紛れもなく死神だった。

 近くで見る死神は大きかった。身長はゆうに三メートルを超えている。マントを頭からすっぽりとかぶった風貌。一見するとベイルの死神と何ら変わりはない。でもベイルの死神とはあからさまな違いがあった。それは目だ。

 ベイルの死神には目球がなくぽっかりと穴が開いている。でも僕の死神ゲーター・ダーには左目に目球がある。まるで深い井戸に映し出された月のようにぼんやりとでもしっかりと光っている。紅い光。燃えさかる炎のようだ。

 僕は紅い目に吸い込まれるようにゲーター・ダーを見つめた。ゲーター・ダーも僕を見ている。まるで何か言いたげだ。何故か漠然とそう思った。


第八章 完全なる帰還


 時間がたつにつれてようやく目も体も死界に慣れたようだ。すっかり気分が良くなった僕にベイルは神妙な面持ちで話し始めた。

「コウ、覚えているか。我々の会話を」

「うん、少しは… 」

 僕は沈んだ顔で答えた。

「予言の書。メシア。方舟。お前も少しは理解しているだろう。我々はお前たちに死界の運命をゆだねることになった。そうだコウ。お前にとってあまりに理不尽であまりに一方的だが。このままではお前は“天運なる戦い”にのぞまなければない」

「天運なる戦い? 」

「そうだメシアを選ぶ偉大なる戦いそれが天運なる戦いだ。戦いによってお前はメシアとなるかもしれない。死界にいる限りお前はこの戦いを避けて通ることはできないのだ」

 僕は何も言わなかった。いや、言えなかった。それはアキラとの戦いであることは明らかだった。アキラと戦えるはずがない。暗い表情の僕を見て哀れむようにベイルは続けた。

「こうなった以上とにかく今は私と共にいるのが賢明だ。我々はこのまま天運なる戦いに備える短い旅を続ける。もしかしたらその中でお前が無事に帰れる方法が見つかるかもしれない」

「帰る方法… 」

 僕はどこまでも続く灰色の水平線を見つめた。するとしばらくしてベイルは左手で胸に十字をきり静かに目を閉じて祈りでも捧げるように何か呟いた。それは神聖なる儀式をおごそかに行っているようにも見えた。そしてゆっくりと目を開けたベイルは静かに言った。

「とにかく今は天運なる戦いに備えるしかない。お前にその気がないと長に感づかれてはまずい。あくまでも戦う意思があると思わせた方がいい」

 僕はうまく考えを整理できぬままこくりとうなずいた。

 ベイルは本当に僕を帰す気があるんだろうか。最初から最後まで僕を天運なる戦いに向かわせるための計画じゃないのか。そんな思いが頭をよぎった。でも今はどうしようもない。この灰色の不毛の地で今頼りなるのはベイルしかいないのだから。

 僕はあきらめてベイルの申し入れを受け入れるしかなかった。灰色の砂が混じった風がほほを打ち付ける。死神。死界。死がいくつもつくこの不吉な灰色の世界で僕はこの先生き残ることができるのだろうか。悲観的な考えと悲惨な最期が頭をよぎって、死界に来てから慣れてしまった嘔吐を何度も繰り返した。


第九章 ネフィイルム族


 天運なる戦い。その恐ろしい戦いの話を聞いてから僕はベイルとある場所を目指して歩いている。ばかげているがアキラとの戦いに備える旅をしているのだ。もうどれくらい歩いたのか。目的地に着く時間を聞いても、ベイルはどうでもいいとばかりに首を横に振るだけだった。

 死界では時間の概念がない。ベイルにとって時を刻むことなんてどうでもいいことなのだ。なぜかはベイルという生き物を知れば自ずと分かってくる。

 到着にかかる時間は分からないが行き先は教えてくれた。行き先といっても立ち寄るだけでほとんど素通りするらしい。目指す目的地は“ネフィルム族の郷”。

 ネフィルム族とは死界の住人の呼び名だ。死界は人間界のように異なった人種はいない。また固有の土地や家を持たず、一つの民族、一つの土地しか存在しない。だから民族紛争や土地を巡る争いなど一切ない。聖書で言うなら人間は神が創造された。初めての人間はアダムとエヴァだ。定説では猿から進化したということになる。それでは何もない灰色の不毛の地でネフィルム族はどうして生まれたのか。

「ねえ、ベイル。ネフィイルム族はどこから来たの? 」

 するとベイルは国を代表するオリンピック選手のように、威厳を持ってネフィルム族出生の話しを始めた。

「我々ネフィルム族は聖霊と人間との間に生まれし子供。人間種族と似て似なる種族。人間族は多くの時をかけて不完全となった。しかし我々は違う。“あの時より”時が止まったからだ。つまり我々は完全であったアダムに限りなく近いのだ」

 アダム? 聖書に登場するネフィイルムも人間と聖霊の子供。この世界は聖書に深く関わっているみたいだ。それじゃネフィルム族は神が創造されたことになる。もしかしたら死界特有の神が存在するのかもしれない。それより気になったのは、

「あの時? 」

「あの時。そう、あの時だ。あの時から我々は死界に来てしまった! 我々は間違いを犯したのだ! しかし! 今こそその間違いをただす時がきた! 」

 ベイルは怒りに体を震わせた。握った拳がブルブルと激しく揺れ黄の目がぎらぎらと怒りの炎に燃えている。雰囲気から察するにあの時とは死界と人間界を分け隔てた出来事で、何か重要な意味を持っていそうだ。気にはなったが今はとても聞ける雰囲気じゃなかった。

 あの時が何かはよく分からないが完全な人間という言葉にはピンときた。初めて見たときからそうだけど、ベイルの顔を見ているとまんざらでもないと分かる。ベイルの美しさの特徴。それは僕たち人間にはあり得ないものだ。

 普通の人間は左右を比べると必ず非対称になるけど、僕が見る限りベイルは全く左右対象だ。目も耳も腕も足の長さも大きさもきっと全く一緒に違いない。それがネフィルム族を美しくさせている理由の一つだと思った。美しく逞しい聖霊の子、ネフィルム族。僕は好奇心と探求心いっぱいの中二病の中学生だ。すぐさまベイルに質問をなげかけた。

「ネフィルム族は年をとらないの? 」

「我々には人間の血も流れている。完全に近いが完全ではない。我々も人間と同じようにエヴァから生まれる」

 ネフィルム族は聖書と同じく男をアダム女をエヴァと呼ぶようだ。なんだか格好がいいので僕も同じように呼ぶことにした。

「ネフィルム族にも幼少期もあるが一定の時期になると年をとらなくなる。それはもっとも体が充実したときだ」

「年をとらない? じゃあ病気や怪我は? 」

「我々に病気はない。怪我も本来持つ治癒力で直すことが可能だ」

「年もとらず、病気もなく、怪我も治るのであればネフィルム族は不死ってこと!? 」

 ベイルたちネフィルム族が時間の流れに鈍感なのはこのためだ。ネフィルム族にとって時間は永遠なのだ。僕は終わりのない先を考えてくらくらして吐きそうになった。

「言ったように我々は完全に近いが完全ではない。死を避けることはできない。我々も死ぬのだ。治癒能力の限界を超えれば治癒しきれずに死に至る。首をはねられれば即死。故に“戦い”に負ければ死ぬのだ」

「戦い…? 」

 永遠に使える時間を持ちながらそれを平然とドブに捨ててしまうネフィルム族。理解しがたい民族だ。僕はこの旅でネフィルム族をどこまで理解できるんだろうか…ーー


第十章 バーベルの石板


 たいした会話もなく黙々と歩いていると突然ベイルがマントをごそごそとまさぐりはじめおもむろに石の板を取りだした。

「コウ。これは何だと思う? 」

 自慢げに石の板を横や縦に傾けたながら見せるベイルは、まるでお正月にお年玉を渡す父親のようにどこか威厳がありなにか楽しそうだった。ベイルの誇らしげな顔とは違い、僕は特に特徴のない石の板を見て首をひねった。

 大きさは縦三十センチ。横二十センチ位。厚みは2センチほどだろうか。色は当たり前のように灰色だけど表面は何かで磨かれたようにつるつるで鏡のようだった。鏡面に僕の顔が少しだけゆがんで写っている。

 久しぶりにというか死界に来て初めて自分の顔を見た。死神の紅い目をしている顔はやっぱり異様で自分でないみたいだった。でもぱっとしない顔立ちはそのままだったので、どうせならネフィルム族のように顔全体が綺麗になればいいのにと内心思った。

「これ鏡でしょう。紅い目になった僕の顔を見せたかったの? 」

 するとベイルはふふんと鼻で笑うと、石の版に手を当て聞いたこともない言語でしゃべった。

「ヤーイー 」

 すると磨かれた石の版の表面に灰色の砂が泉のようにわきだし、うねうねとうねりながら砂で描かれた精密な地図になった。地図は石の板から十センチほど浮き上がり、平面図ではあるが凹凸があり立体的に見える。よくSF映画で見るフォログラム映像を見ている感じだ。時折風に吹かれゆらゆらと揺れている。

「凄いやベイル! どうやったの? 」

 興奮する僕にベイルは言った。

「これはバーベルの石板。この石には様々な情報が書き込まれている」

「石版? 情報? 」

「そう、情報だ。コウ。お前達人間はいつまでバベルに取りつかれているのだ? 」

「バベル? 」

「そう、バベルだ」

 旧約聖書に出てくるバベルのことだろうか。人間が神に近づこうとして築きあげたバベルの塔。結果神の怒りに触れ塔は破壊されその時言語が錯乱され、いくつもの言語が生まれたという。不意に学校の屋上を登っていた時のことを思い出し考えた。あのバベルだろうか。

「言語は一つがいいに決まっているだろう。互いを分かり合うには話すのが一番だ。すでに神の怒りは解かれているのではないか? なぜ言語を一つにしない? 」

 確かに言われてみればその通りだ。でも今更どうしようもない。僕はだんまりを決め込んだ。

「だが… しかし」

 ベイルは意味ありげに僕を見た。

「我々もお前達の不可解な行動に興味を持ちその愚かな行為の真似をしてみたくなったのだ。元々死界には昔ながらの言語がひとつだけ存在する。だがそれとは別に簡単だがこの石版に死界特有の文字、“死語”を創り情報を埋め込んだのだ。見ての通り文字だけではなく絵も埋め込むことが出来る」

「へ~ 」

 僕が感心しているとベイルは得意げに続けた。

「郷には“バーベルの石塔”と呼ばれる巨大な石塔がある。そこに初めてこの石の能力を知り文字を作ることに興味を持ったネフィルム族が、基本となる条件を決めてバーベルに書き込んだのだ」

「条件? 」

「そうだ。それは二十五からなる死語を創り、登録し、単語を創れるようにしたこと。石版の裏に書かれているのがその二十五の死語だ」

 言われるとおり石版の裏にはエジプトのピラミッドに描かれている象形文字のような、二十五の文字がほられていた。ちなみにダーの文字はシャレコウベによく似た絵文字だ。

「一から発音はこうだ。一、「ダー」。二、「アー」。三、「べー」。四、「イー」。五、「ヤー」。六、「トー」。七、「ウー」。九、「ビー」。十、「ブー」。十一、「キー」。十二、「ルー」。十三、「エー」。十四、「ター」。十五、「デー」。十六、「バー」。十七、「リー」。十八、「ムー」。十九、「シー」。二十、「スー」。二十一、「ナー」。二十二、「クー」。二十三、「カー」。二十四、「ラー」。二十五、「サー」。石版から出た死語を指せば発音は石版から発せられるので忘れても大丈夫だ。語尾をのばすのは自由でいい。文字をつなげるのも・で区切るのも自由。簡単だろう? 」

 確かにシンプルだと思った。文字を組みあせていけばどんな単語でも作れそうだ。ベイルは石版の文字をなぞりながら続けた。

「そして基本の二十五の死語を選び、組み合わせ、このバーベルの石塔から切り出された石版に固有の単語を登録するのだ」

「へーどうやるの? 」

「組み合わせて創った単語を指しながらその読み方意味を発すれば登録される。区切りは「・(てん)」と発すればいい。ではまずサームーと発っしてみろ。これは登録という意味。そしてそうだな。まずは私が先ほど発した言葉ヤーイー、これは地図という意味だがヤーイーと死語を差し発音しながら違う意味の言葉を発してみろ」

 ベイルから渡された石版は想像以上に軽く指一本で持つこともできた。僕は石板を両手に抱えながらベイルの言った通りにしてみた。

「サームー(登録) 」

 すると石板に砂がにじみ出しグルグルと回り始め登録された二十五の死語が浮き出てきた。死語は石板から三十センチほど浮いたまま保っている。そこで石版に浮かび上がった文字から、二文字を選び再び言われたとおりやってみた。

「ヤーイー 死神」

 でも石版はうんともすんともいわず文字は砂の渦に飲み込まれた。

「つまりヤーイーはすでに地図で登録しているので死神という意味はつけられないという訳だ。ではコウ。何でもいいから死語を選び何か意味のある言葉を発してみろ」

 僕は随分迷ったあげくドー・バーの死語二文字を選び、

「ドーバー、石」

 と発してみた。結果は同じで何も起きなかった。

「それはドーバーが二文字の死語で違う意味の言葉が登録されているからだ。ではドーバーを差し、トーサーと発してみろ。トーサーは(検索)という意味だ」

 そこで僕は言われたとおりやってみた。すると石版から砂がにじみ出し渦となって中から文字が現れた。ドーバーの文字の下にユウキと浮かび上がった。

「ドーバーは勇気だ」

 勇気。今の僕にもっとも必要な心情だと思った。僕はしばらく考えると改めて石板に文字を書いてみた。アー・トー・ジー三つの死語を選び、

「アート・ジー、同情」と発した。

 すると石版が一瞬ひかり砂がにじみ出てきた。砂は水をかけれらたように固まり文字を崩すことなく保ちながら石版からスーと浮き出した。石版から二センチは浮いているだろうか。しばらくすると文字はお湯に入れられた氷みたいにゆっくり溶けて元の砂に戻り、風に飛ばされて消えてしまった。

「同情か。ネフィルム族が嫌う言葉。誰も登録しないはずだ。とにかく今のが登録された証だ」

 ベイルの素っ気ない態度に少しカチンと来たが自分が創った言葉が死界の言葉になったのが何となく嬉しかった。消えた文字を見つめているとふと死神の名前が頭に浮かんだ。

「もしかして僕の死神。ゲーター・ダーってのは意味があるの? 」

「そうだ。ゲーターは運命、ダーは死神。故に全ての死神の名前の最後には必ずダーが付く」

 運命の死神か… 僕の死神にはぴったりの名前だ。するとベイルは再びヤーイーと言って地図を浮かび上がらせた。

「今この位置にいる。郷に行くにはこの砂の海ムー・シーを渡らなければならない。ここには石魚せきぎょがいる」

「ムー・シー、石魚? 」

 石版で調べるとムーは砂、シーは海だった。石魚というからには体が石のウロコか何かで覆われているんじゃないだろうか。どちらにしても堅そうな魚だ。

「石魚は額に鋭い角を持っている。この砂の海は一気に駆け抜けないと危険だ」

「どうしても砂の海を渡らなければならないの? 」

「そうだ。どうあっても渡らねばらない。なぜなら郷にある路デーバー・ダー(死神の路)を通らなければならないからだ」

「デーバー・ダー? 死神の路… 」

 ベイルが指さした地図を見て僕はごくりとつばを飲み込んだ。ムー・シーは円になって郷を取り巻くように流れている。つまり郷はムー・シーの円の中心にあるわけだ。

「なぜネフィルム族はこんなところに郷を造ったの? 」

「知りたければこの地図を見ろ」

 ベイルが地図の上で人差し指と親指ですっと広げると地図の広域がさっと広がった。

「ここに線が引かれているのが分かるか? 」

 確かにムー・シーの先で石版の端から端まで一直線に線が引かれていた。

「ああ分かるよ」

 するとベイルは人差し指でさっと地図を上に上げた。平面図だった地図はすっと浮かび上がり立体図となって現れた。

「見ての通りこの線は断崖絶壁だ。高さ数千メートルはあるだろう。さすがに我々もこの崖を飛び降りることは不可能だ」

 さらにベイルは地球儀みたいな物体を出して説明を始めた。

「死界は丸い。丸い地に我々は立っている。このようにこの地は半球体に一回り小さな半球体がちょうど半分に合わされできている。崖は円でつながっている。つまり始まりも終わりもなく、この世界はこの崖によって二つに別けられているのだ」

「二つ? 」

「そうだ。崖下の世界は灰色の世界ではなく黒い世界。黒死界こくしかいと呼ばれている。黒い風、黒い砂、黒い地。土地一帯が暗い影に覆われているのだ。我々はその世界を死神の世界だと考えている。つまり大きな半球体が死界。小さな半球体は黒死界というわけだ」

「死神の世界? 」

「そうだ。そして我々の目的地は黒死界にある。そして黒死界へ通ずるただひとつの路、デーバー・ダーは郷にしかない。故にムー・シーを渡るしかないのだ」

 死神の土地。黒い土地黒死界。そこに何があるというのだろう。考え込む僕にベイルが言った。

「コウ。黒死界よりまずはムー・シーだ。ここをこえなければ始まらない」

 ベイルが言うとおり今はまず石魚がいるというムー・シーだ。屈強なネフィルム族が危険という石魚。襲われたら僕などひとたまりもないだろう。

「コウ、どうだ。渡ることができると思うか」

 普通なら無理、というところだが僕は大丈夫だと思った。その理由のひとつは僕の体力だ。ガンタンで左目をかくして死界に来てから体力がすさまじく増している。ちなみに残念ながら体格は変わらず小さいままだった。

 そのことに気付いた僕は体力の限界を走ることで試してみた。結果今なら百メートルを六,七秒で走ることができる。それに腕力が上がった事も分かる。五十キロ以上はあると思われる大きな石を軽々と持ち上げることが出来たからだ。

 僕は力を確かめるように握り拳をつくりベイルに言った。

「ベイル。僕ここへ来てからすごく体力が上がってるんだ。死神の目がそうさせているのかな? 」

「なんだって? 」

「走る速度も腕力も驚くほど上がっているんだよ」

「そうか… それでいきなり走ったりしていたのか。おかしな奴だとは思ったが… 」

 思っていたのか! その場で言えばいいのに。まあそう思われても仕方がないけど。するとベイルはあごに手を当てしばらく考えると何か嬉しそうに言った。

「死神の目に強靱な体を作る力はない。そもそもまだお前は目の力を出していない。私が思うにそれは魂の強さではないか」

「魂の強さ? 」

「そうだ。その強さゆえ普通の人間ではたえられない目の移植にもたえ、死界に長くいることで体が本来あるべき力を徐々に引き出しているのだろう」

「そんなこと… 」

「いや、まだまだお前は強くなるかもしれないぞコウ! やはりお前にはメシアになるべき資格があるのだ! 」

 ベイルは僕の背中をばんと叩くとまるで子供のようにゲラゲラと笑った。

 僕だって強くなれるのは嬉しい。でもここは人間界ではなくて死界。僕は複雑な心境だった。

 僕は死界の環境に慣れてしまっているんじゃ? 僕が変わっていくーー 一抹の不安を覚えた。そんな僕の気持ちを知ってか。ベイルは僕を励まそうとしたらしく、

「お前は運命の子。メシアとなる宿命を背負いし子だ。神はお前を見放したりしないだろう。心配するな! 今のお前ならムー・シーは問題なく渡ることができるさ」

 そう言ってさらに馬鹿笑いした。でも僕にはその言葉がひどく皮肉めいたものに聞こえた。そもそもベイルは僕の心配を理解していない。ムー・シーを無事渡れるかどうかなんてどうでもいい。変わっていく自分が… 体だけではなく心まで変わってしまったら… そう思うと不安でたまらないのに。  

 それに僕は運命の闘いなど望んでいない。神は見放さないって言ったけど戦う意志がない僕を逆に死界の神は見捨てるんじゃないか。でも神の逆鱗に触れムー・シーで命を失ったならそれはそれで楽になるかもしれない。自分が自分でなくなってしまうくらいならいっそ砂の海で消えてしまったほうがーー… 

「だめだ! だめだ! 」

 僕は乱暴に頭を振った。帰るんだ。きっと手はある。そうだ。今ここで悩んでも仕方がない。どのみち逃げ場はないんだ。とにかくムー・シーに向かうことにしよう。


第十一章 石魚 ヴー


 ゴーゴーと風が吹き付ける。何も無い死界でも風は吹くのだ。それはムー・シー(砂の海)に近づいている証拠だとベイルは言った。風は強くなり目を開くのも辛くなってきた。するとベイルが僕をすっと自分の後ろに移動させた。

「私の後ろで歩くといい」

 目をしょぼつかせている僕を見かねたベイルは、自ら壁となって風から守ってくれたのだ。お陰で歩きやすくなり移動するスピードもかなり速くなった。強風で前の見えない僕はベイルの足だけを見て歩いた。すると突然ベイルがぴたりと止まった。ドンという衝撃ともに顔が上を向く。

「どうしたのベイル? いきなり止まらないでよ」

 おでこをさすりながら文句を言うと直立不動のままベイルが言った。

「ムー・シーが見えてきたぞ」

「え? 」

 僕は慌ててベイルの腕の隙間に頭を突っ込んだ。すると小さな灰色の石がぴょんぴょんと飛び跳ねているのが見えた。

「ああ、あれがムー・シー? 」

「そうだ。あれがムー・シー。砂の海だ」

「じゃあ、あの灰色の石みたいなのが石魚か」

「そうだ。近くに行けば分かる」

 ベイルは腕をゆっくりあげるとムー・シーを指さした。

「ムー・シー… 砂の海か」

 それからしばらして砂の海を目の当たりにした僕はその迫力に圧倒され心の底から恐怖した。

 考えが甘かった。ムー^シーは少しばかり増した体力で容易にわたれるような海ではなかった。本当に神頼みでもしなければ渡れそうにない。となれば戦いを望まない僕は死界の神に見放され砂の海のもくず… となるのか。

 唇をふるわせ立ちつくす僕をムー・シーは強大な体をぐねぐねとうねらせながらあざ笑っているかのように見えた。ごりごりと砂がこすれあう音がこう言っている。

『許可書はいらない。渡りたければ渡ればいい』と。

 押しつけられる威圧感。でも僕は負けない。拳を強く握るとムー・シーを睨みつけた。砂が波打って流れている。幅は思ったより狭く見た感じた。五百メートルもないだろうか。そう思うと海と言うより巨大な川と言った感じだ。

 ムー・シーはネフィルム族の郷をおおうように円を描いて流れている。つまり始まりも終わりもない。永遠に流れる波に乗って数え切れない数の石魚がトビウオのように跳ねながら泳いでいた。

 石魚の大きさは頭から尾ビレまでおよそ三十センチ。たいして大きくはない。想像した通りウロコが灰色の石で覆われていた。目は見あたらない。ヒレはするどくとがっていて鋭利な刃物のようだ。額にはユニコーンのような鋭い角が一本生えていた。

「もしあの角に指されたら大変だ。致命傷になりかねない」

 頼り無い僕の言葉にベイルは薄笑いを浮かべていった。

「あんなちびな石魚は問題ない。問題はムー・シーの主ヴーだ」

「主? ヴー? 」

 僕は驚いた。ベイルの言い方からするとかなり手強そうだ。だがベイルは自信に満ちた態度で堂々と言った。

「だが必ず現れとるも限らない。まあ主と言ってもただでかいだけだ。心配することはない」

 いやいやでかいというだけでも十分心配に値するだろう。ネフィイルム族の思考はやはりおかしい。小さな石魚でも大量に突っ込まれてぶつかりでもしたら大怪我をすることは間違いない。いや、あれだけの数。命を落としてもおかしくない。それなのにさらにでかいなんて… 

 僕はどうしてよいか分からず途方に暮れた。ベイルは一体どうやってムー・シーを渡るんだろう。とても泳いで渡えるとは思えない。

「ベイル、この海をどうやって渡るの? まさか泳ぐ気じゃぁないよね? 」

「バカを言うな! 」

 ベイルは豪快に笑った。

「ほらもうすぐ現れる。デーバー(路)・シー(海)。海の路が! 」

「海の路? 」

 僕が首をかしげた瞬間!

【ゴゴゴゴゴゴゴゴーーー!! 】すさまじい爆音が鳴り響き砂が空高く舞い上がった。石魚が無造作に散らばり雨のようにムー・シーに降りそそいでいる。海が二つに割れ幅二メートルほどの路が現れたのだ。路の両端に砂のカーテンがそびえ立っている。旧約聖書でモーゼがエジプトからイスラエルの民を救う際、海を割って見せたそれに似ているんじゃないかと僕は思った。

「これがデーバー・シー… 海の路… 」

 そして息をのんだ瞬間、

【ドバアアア!!! 】【バシャアアンン!!! 】砂のカーテンが激しくぶつかり合った。互いに重なり合い、もみくちゃになった砂のカーテンと共に、デーバー・シーは消え去り元の荒々しい海へと戻った。

「見ての通りデーバー・シーは時間と共に消えていく。その時間内に通り抜けられなければ束縛の死が待っている。事実この海の中で生きながらにして永遠にさ迷っているネフィルム族もいる。一度のまれたら最後、二度と出ることは出来ない」

 致命傷が無い限り死ぬことがないネフィルム族。まさに生き地獄。僕は気分が悪くなり頭を押さえてうつむいた。

「ベイル… 僕はどうしてもこの砂の海を渡らなければならないの? 」

 ぽつりと呟くとベイルは僕の背中に手をおいて言った。

「それがお前の運命だらかだ」

「運命… 」

「そうだ。やはりそれは運命。お前は天運なる戦いを生き抜きメシアとなる運命なのだ」

 僕は驚いて思わず叫んだ。

「違う。僕はアキラとは戦わない! ありえない! 」

「確かに… お前の気持ちは分かる。しかしお前が帰るには天運なる戦いに勝つしかない」

「なんだって? 」

「私もここへくるまでいろいろと考えた。お前が帰るにはどうしたらよいかと」

 僕は不安な表情を隠す事なく話のいきさつを見守った。

「そして出した答え。それはお前がメシアとなることだ」

「メシアに… 」

「そうだ。メシアは特別な目を持つ。その力は誰にも分からない。が、しかし! その目はお前のどのような願いも叶えてくれるはずだ」

「どんな願いも? 」

「そうだ。そしてメシアの目はきっとお前とアキラを自由にするだろう! 」

 ベイルは一国の大統領が国民に自らの持論を納得させるように堂々と言った。そして黄色の目を輝かせにやりと笑うと僕の頭に大きな手を置いた。

 ベイルを信じていいのか。でも辻褄は合っている… 気がしないでもない。ネフィルム族を救うことのができるほどの力なら僕とアキラ二人を人間界に返すなんてたやすいことじゃないだろうか。そしてそれしか手段がないのなら、もしそうならば、アキラも同じ事を考えているかもしれない。いや、そうに違いない。だったら僕もこの試練に、運命に立ち向かおう。

 あてにならない小さな希望が僕のわずかばかりの小さな勇気に火をつけた。


 ーー僕はメシアとなる試練を受けようーー


 天運なる戦いを受け入れた僕は消えてしまったデーバー・シーを眺めて考えた。

 見たところ路が現れていたのは三十秒ほどだった。海の幅が約五百メートル。つまり三十秒で五百を走りきらなければならない。でも今僕は百メートルを六,七秒で走ることができる事を考えれば無理な話ではない。危険な賭けだけどいざとなればガンタンを使って人間界に消えることだってできる。

 それに救いはまだある。デーバー・シーが一気に消えないことだ。端から順番に消えていく事を考えるともっと路が現れる時間は長くなるはず。可能な限り走りもしもの時はガンタンを使う。僕は勇気をふるい立たせて言った。

「よし、ベイル渡ろう。デーバー・シーを! 」

 態度を変えた僕を見たベイルは少し驚きながらも冷静に言った。

「大丈夫か? 渡りきることができるのか? 」

「うん。何とかなると思う。アキラもこの路を通ったんだろう。だから僕もいかなくちゃ」

「よく言ったコウ! それでこそメシアとなるべき運命の子だ! 」

 ベイルの顔が喜びできらめいている。ベイルの喜ばしい顔を見ていると僕は選択を間違ったのではとふと疑問がわいた。するとベイルは僕の疑いの種が大きく育つのを阻むようにすぐさま試練へと向かわせた。

「さあ、もうすぐ現れるぞ! コウ! 用意はいいか! 」

 ベイルが叫ぶ! いつでもいい。覚悟は出来ている! 

 爆音と共に砂のカーテンが引かれデーバー・シーが現れた。

「行くぞ!! 」

 同時に僕とベイルは砂のカーテンに飛び込んだ。


第十二章 ベイルの存在


「急げコウ! 遅れているぞ! 」

 誘導するベイルが振り向きざまに叫ぶ。僕は沈黙で答える。

 分かっている! 急がなければ! 砂のカーテンが閉まる前に!

 左右に広がる砂のカーテンを石魚が滝登りでもしているように登り、上まで辿り着くと行き場をなくし雨のように降り注ぐ。それを避けるだけで予測していないロスが発生していた。

 真っ逆さまに落ちてくる石魚は角をむき出しにして落ちてくる。空から無数の氷柱が落ちて来る様なものだ。当然全てを避けきることなど出来ず、角が体のあちらこちらを切り裂いた。

 激痛で顔が歪む。それでも走ることはやめてはいけない。ベイルは空から落ちてくる石魚を腕で振り払ったり巧みに体を動かしながらうまく避けていた。

 恐るべき身体能力だ。まだ一度も石魚からの傷を受けていない。後ろで見ているとよく分かる。たぶんベイルはネフィルム族の中でもかなりの使い手じゃないだろうか。ベイルの走る速度は増すばかりどんどん離されていく。デーバー・シーが途方もなく永く感じた。その時、

【ゴォーー!!! ドドドォー 】

 後ろでけたたましい音がした。振り返ると砂のカーテンがぶつかり合っていた。互いに絡み合い溶け合い消えて無くなっていく。ついにタイムリミットが来たのだ。追いかけるように路が消えていく。それは想像以上のスピードだった。

 やっぱり僕も旧約聖書に登場するエジプト軍のように海のもくずとなってしまうんじゃ。悪夢が頭をよぎる。すでにベイルの姿は見えない。このままでは砂の海で溺死してしまう。

「そんなのは嫌だ! 使うしかない! 」

 僕はガンタンに手を当てた。その時!

「たすけて… くれぇ… 」

 右の砂のカーテンからわずかな声がした。走りながらも無意識に視線が声のする方へうつる。その瞬間、

「ぎゃー!!! 」

 僕はおののき絶叫した。砂の中で人が、ネフィルム族がもがいていた。青白い死人のような顔。その目に精気はない。どれくらいこの砂の中に埋もれているんだろうか。気がつくと僕は手を伸ばしていた。でもネフィルム族は直ぐさま砂の中に消えてしまった。やはり一生、いや、永遠にこの砂の中をさ迷うんだ。僕はぞっとせずにはいられたかった。

「とにかくここから逃げよう」

 改めてガンタンに手をかけた。その瞬間、

【ドバァー 】

 大量の波しぶき、いや砂しぶきをまき散らしながら目の前を巨大な影が横切った。それは今までと明らかに違うサイズの石魚。ゆうに一メートルはあろうかという石魚が砂のカーテンをぶち破り現れたのだ。

「あ、危ない! 」

 迫り来る巨大な石魚に驚いた僕は頭に手を当て思わず目をつむってしまった。そのとき堅く巨大なトゲが顔のすれすれを横切った。

「し、しまった! 」

 なんと巨大な石魚はあろうことか、ゆうに四十センチは超えようという角にガンタンを引っかけたのだ。瞬間、二つの世界が絵の具を混ぜたようにぐるぐると混ざり合った。

「ぐわあー 」

 僕は悲鳴にも似た雄叫びを上げた。気持ちが悪い。吐きそうだ。立ちくらみがして真っ直ぐ走ることが出来ない。同時に頬に痛烈な痛みが走った。石魚の鋭利な刃物のようなヒレが頬をかすめていた。疲労が一気に襲い目の前がかすんでぼんやりする。

「もうダメだ」

 息が上がり、足がもつれ絡み合い、まるで骨がない生き物のようにくねくねとなりながら派手に転がった。顔が地面を滑ると灰色の砂が口にしこたま入ってきた。背中で砂がぶつかり合うすさまじい音がこだましている。僕はKO負けしたボクサーのように地面をなめながら悪態をついて泣いた。

「く、くそう… こんなところで… 」

 もう、終わった。どうしようもできない。そう思ったとき、

「うっ」

 腕がなにかに引っ張られ体が宙を浮いているような感覚。くにゃっと首が傾く。

 僕は竿にかかった魚のようにぐいと思い切りよく引き上げられた。恐怖の砂の海から僕は助けられた。でも考える必要もない。ベイルだ。ベイルが僕を助けに戻ったんだ。

 僕は米俵のようにベイルに抱え上げられそのままデーバー・シーを渡った。左目を閉じると出口はすぐにそこだった。

「助かった… 」

 僕は力なく小さく呟いた。ベイルはデーバー・シーを渡りきるとゆっくりと優しく僕を灰色の地面に寝かせた。がりがりと砂がこすれあう音が頭の遠くの方で聞こえていた。朦朧とする意識のまま振り向くと砂のカーテンは閉ざされデーバー・シーも消えていた。

「死の路が消えている… 」

 頬をぴくぴくとさせながら何とか死なずにすんだ、そう思った、その時だった。

【ガバア!! 】穏やかになったと思った砂の海から信じられないものが飛び出してきた。

「うわああああぁぁぁーー 」

 僕はありたっけの声で叫んだ。なんとそれは巨大な岩の固まり、いや、あの巨大な石魚ヴーだった。

『通行許可書は命でいただくぜ』そう言いいたげに不気味に巨大な口をぱくぱくさせている。ヤジリの用に鋭くとがった石の歯が無数に並んでいるが見えた。

 僕から奪ったガンタンが絡みついた螺旋状に伸びた角を突き出し、獲物を取りそこねた怒りをまき散らすように襲いかかる巨大石魚ヴー。あの角にえぐられたら一巻の終わり!

「ダメだ! やられる! 」

 恐怖で目をつむった。すると、

【グサッ】鈍い音がした。肉がえぐられる音。おそるおそる目を開けると灰色の地面が真っ赤に染まっている。ぽたりぽたりと血がしたたり落ち、灰色の地面に小さな血の池を作り出していた。見上げると僕を抱え込むようにして座っているベイルが笑っていた。

 灰色の地面を染めた真っ赤な血。それは僕のものではなくベイルのものだった。ベイルはとっさに僕を胸の中に抱え込み自らの肩にヴーの角を突き立てていた。

 ベイルは腕一本で石魚を乱暴に取り去ると角に絡みついたガンタンを手に取り僕に渡した。

「大丈夫か? 」

 ベイルが話しかける。でも僕は何も言えなかった。疲労による疲れからだろうか。いや、違う。僕はたくましいベイルの胸の中で何とも言えない心地よさを味わっていた。もし僕に父さんがいたらこんな感じだろうか? 

 僕はしばしこの心地よさを堪能せずにはいられなかった。ベイルは僕にとってーー……


第十三章 ネフィルム族の郷


 死界の風が顔面に吹き付ける。冷たくないのに冷たく感じた。二月に吹き付ける真冬の風のようにーー……


「もうネフィルム族の郷は目と鼻の先だ」

 ベイルは肩にできた丸くギザギザに破れたマントをさわりながら言った。

「そう… 」

 僕は体中に付いた傷を眺めながら力なく答えた。特に大きく付いた頬のキズはもう一生消えることは無いだろう。

「どうした頬のキズが痛むのか? 」

「いや。もう血も止まったし痛みもないよ」

「そうかそれならばよいのだが… 」

「それよりベイルこそ肩の傷は大丈夫? 」

「ああ、それなら心配はいらない。見てみろ」

 ベイルは穴の開いたマントの奥を見せてくれた。手で触ってみると傷はきれいさっぱり消えていた。ベイルはいつもマントで身を隠しているのでしっかりした服装は分からないが、マントの穴から見ると鎧かなにかを身につけているようだった。

「本当だ。すっかり奇麗に治っている。さすがはネフィルム族」

「うむ… そうだな… 」

 ほめたにもかかわらずベイルは何か後ろめたそうだった。

「しかしお前の頬のキズはもう消えそうにない。人間とはなんとはかなく弱いのか」

 ベイルは哀れむように僕の頬に指をなぞらした。僕は抵抗することなく指が頬を撫でる感触をただ静かに見守った。もうネフィルム族に感じる恐怖もも警戒もない。いや、ネフィルム族ではなくベイルにたいしてだ。ムー・シーを超えてからその思いは一段と強くなった。

 ネフィルム族ベイルへの思いがーー


「さあ、見えてきたぞ、コウ! あれがネフィルム族の郷だ」

 ベイルが遠くに見えてきた灰色の石塔を指差した。

「郷… あの灰色の塔が」

「そうだ。そしてあの石塔こそがバーベルの石塔」

「あれがバーベルの石塔か」

 始めマッチ棒のようだったバーベルの石塔はどんどん大きくなり、郷に着く頃には驚くべき大きさになっていた。

 幅十メートルはあるだろうか。高さに至ってはまるで見当が付かない。数百回建てのビルみたいだ。ベイルが持っていたバーベルの石板と同じく表面は美しく磨き上げられている。ただあちらこちらネフィルム族に削り取られて凸凹した箇所も多く見られた。

 そしてちょうど真ん中あたりだろうか。人の手形が付いていた。

「ベイルあの手形は何? 」

「これはバーベルの鍵。初めて石塔の能力に気付き掟を決めた者の手形だ」

「鍵か。じゃあこの手形の持ち主しかバーベルの基本的ルールをかえられない訳だ」

「その通り。そして掟は一生変わることはない」

「なぜ? 」

「手形の持ち主がこの世にいないからだ」

「この世に… いない」

 バーベルの掟は絶対的なものとなっていた。灰色の石塔は墓標とかし手形で名を刻んでいるようだった。僕はベイルの許可を得約十五センチ四方の石版を手に入れた。そしてムー・シーの出来事を思いだし胸を熱くしながら初めて自分の石版に言葉を書き入れた。

 きっとネフィイルム族が見ることが無いだろう言葉。

 サークー・ムーハー(父親)とーー……


 バーベルの塔を通り過ぎ郷に入った直後僕は何ともいいよう無い悪寒に襲われた。寒くもないのにがたがたと体が震える。

「どうしたのだコウ。何を震えている? 」

 心配になったベイルが僕の肩を抱いた。

「分からない。ただ体が勝手に震えるんだ」

 自分でもどうすることも出来ない。悪寒はやがてえい利な刃物で刺されているような感覚に変わった。

「これは… 視線? 誰かに見られている? 」

 背中に突き刺さるような視線を感じる。でも恐ろしくて振り向くことが出来ない。憎悪、敵意、あらゆる凶悪な憎しみを込めて見られると人はこんな風に感じるのかもしれない。

「もう耐えられそうにない… 」

 僕は背中に刺さった刃物が消えること願い恐る恐る振り返った。とたんに痛みは消え去った。背中に突き立てられたナイフはいとも簡単にぬきとられたようだ。

「誰だ! どこにいる」

 でも振り返った先に人影はなかった。勘違いだったのか。いや、そんなはずがない。それは一向に引くことのないこの冷や汗が物語っている。

 僕は荒い息を小刻みに吐きながらうつむいた。

「大丈夫かコウ。顔色がよくないぞ? 」

 ベイルが僕の顔をのぞき込む。

「大丈夫。きっと緊張しているんだ。だってたくさんのネフィイルム族に会うんだもの」

「そうか… それならばよいのだが」

 ベイルは少し怪訝そうに僕を見つめると後は何も言わなかった。

 僕が感じた殺気に満ちた視線。ベイルが感じなかったということは、やはりあの視線は僕に向けられたものに違いない。この郷に僕を心の底から憎む敵がいるのかもしれない。でもそれが誰かなど分かるはずもない。

 僕はいずれ敵として現れるかもしれないその視線の主を心にとどめ心の奥底に追いやった。落ち着きを取り戻した僕はぐるりと郷を見渡した。想像した通りと言うべきか。郷と言っても何もない。大きな灰色の岩を無数に集め、ただ座るだけに加工された石の椅子が無造作に置いてあるだけだった。

 何もない灰色の郷。でも何もなくても仕方がない。なぜなら何も必要としていないからだ。そもそも死界は暑くもなければ寒くもない。その荒れ果てた外観と違い常に過ごしやすく快適な気候に保たれている。

 そしてネフィルム族は食物をとらない。水も飲まない。つまり排泄もしない。便利といえば便利だがそれはそれで味気ない。食う必要がないのは完全に近い体だから、とは少し違うみたいだ。なぜなら僕も死界にいる間は食物も水も必要としないからだ。この世界がそうさせていると言っていい。空腹は体力の消耗を意味することになる。ネフィルム族は戦いとなればいつでも全力で戦えるということだ。

 それは今の僕にもいえることなんだろうか。天運なる戦い… アキラもこの灰色の空を見ながら同じ事を考えているんだろうか。

 僕とアキラはどうなるんだろうーー 天運なる戦いが重荷となって僕を苦しめた。軽い吐き気と頭痛に襲われげんなりしている僕に追い打ちをかけるように嫌な音が耳についてきた。

 ガチンガチンという金属音のような音。正確には石と石が重なっている音で、それは武器と武器ががち合う音だった。否応なしに戦いが頭をよぎってしまう。

 見た感じネフィルム族には共通の武器があるみたいだ。鋭く磨かれた半月状の形をした石。つまり鎌だ。鎌と言っても巨人であるネフィルム族が持つ鎌。とにかくでかい。刃の大きさでざっと二メートルはあろうかという代物だ。きれいな弧を描き文字通り三日月のようだ。

 僕は気分を変えネフィイルム族の郷で一番見てみたいと思っていたものを探してきょろきょろとあたりを見回した。でもお目当てのものは見あたらない。不思議だ。絶対にいないといけないものなのに。

「ベイル。エヴァはどこにいるの? 」

 そう、僕は興味本位から巨大な女性を見てみたかった。でもベイルは面倒くさそうな様子でなかなか答えようとしない。

「エヴァもベイルみたいに大きいんだよね」

 しつこく食い下がる僕にベイルはやれやれといった風でぶっきらぼうに答えた。

「いやエヴァはお前たち人間族とあまり変わらない」

 驚く僕にベイルはようやくエヴァについて詳しく話してくれた。

「エヴァはこの地に来てよりアダムと違いもとより不完全だった。不完全故に病気にもかかる。故にネフィイルム族であっても死界のエヴァは我々よりも早く亡くなるリスクが高いのだ。子供も一生の内に一度産むか産まないか。故にエヴァを産む確率が非常に高くアダムは皆無に等しい。私自身アダムの子供は見たことがない。結果エヴァは減り続け今死界にいるのは子供のエヴァが一人だけだ。それが最後のエヴァ、イリミヤだ」

 そうか。それならばネフィイルム族の数が増えないのは当然だ。始めエヴァがどれくらいの数いたか分からないけれど、そうなるときっと結婚も容易では無かったのだろう。

「それでベイルはエヴァと結婚できたの? 」

「結婚? ああエヴァに子供を産ませることか。残念ながらそれは叶わなかった」

「ああ。かわいそういに。ベイルはもてなかったんだね」

 僕は少し意地悪い顔でからかい混じりに言った。

「いや私にもつがいとなるエヴァはいた。妊娠もした。だが子供が産まれるというまさにその時病に倒れ神の元へ召されたのだ」

「えっ」

 僕は何も言えず絶句した。

「ほんの数十年前。もし産まれていればきっとお前と同じくらいの歳だ。これも運命だろう。ようやく授かった子供がいなくなり、同じ年頃のお前が来て、私はお前の世話役となった。お前は私の小さなエヴァの生まれ変わりかもしれない。もっともアダムでしかもメシア候補だがな」

 そう言ってベイルはごく自然に僕の頭に手を乗せた。その時胸の奥でわき上がった何とも例えようのない暖か気持ちに僕は戸惑った。

「さあエヴァの話はおしまいだ。とにかく郷を抜けよう」

 胸が熱くて苦しかった。僕は胸をわしづかみにして何も考えず押し黙って歩き続けた。でもしばらくして胸の苦しみが和らぐと、陰気に歩き続けるのが嫌になりすぐさま口を開いた。

「ねえベイル。郷にはどれくらいのネフィルム族がいるの? 」

 ベイルは何故か早く郷を抜け出したいようだったけれど、急ぎ足のまま僕の話しに付き合ってくれた。

「郷には約六百人のほどのネフィルム族がいる。というよりこの死界には郷のネフィルム族しか存在しない」

「六百人? 」

 六百人。その人数はネフィルム族にとって多いのだろうか少ないのだろうか。ほぼ不老不死であることを考えると人数が極端に少なくても不思議ではないと思ったが理由はそうではなかった。その理由をベイルは淡々と語ってくれた。

「最初から六百人だったわけではない。数が減ってしまったのだ」

「数が減った? どうして」

 眉をひそめる僕を見ながらベイルはしばらく黙り込んだ。言うべきか迷って言うかのように思えた。でもしばらくするとベイルは重い口を開いた。

「死神だ」

「死神? 」

「そうだ死神。死神との契約。その為にネフィルム族は数を減らした」

「契約… 」

 その時、

【ブワリ】突然の強風が灰色の土煙を巻き上げ一瞬にして辺りが見えなくなった。僕は咳払いをしながら土埃を振り払った。

「うん? あれは… 」

 舞い上がる土煙が目にしみる。目を細めるとその先に蜃気楼のように揺らめくネフィルム族の集団が立っていた。僕はごくりとつばを飲み込んだ。

 眉間に深いしわをよせ険しい顔つきでこちらをにらみつけながら、十五、六人ほどのネフィルム族の集団がゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。さすがに巨人がこれだけ揃うと壮大だ。小さな山が迫ってくるように思えた。

 ザクリ、ザクリと石が蹴散らされる音が近大きくなると同時に僕の鼓動も大きくなった。鼓動が張り裂けんばかりの大音量になったとき目の前が真っ暗になった。ネフィルム族の集団がいよいよ目の前に来たからだ。

 僕は恐ろしさをこらえて山を見上げるようにその集団を見た。三角形に並んだその集団の手前にひときわ大きなネフィルム族がいる。それにしてもこのネフィルム族ーー

 でかい! ベイルよりもでかい! 劣ったもの馬鹿にするような目でこちらを見ている。巨大なネフィルム族は僕をちらりと見ただけで、後は誰もいないかのように僕の前を通り過ぎ真っ直ぐベイルに向かって歩き出した。

 そしてベイルの前に立ちはだかりでんと構えると見下すような態度で不適な笑みを浮かべながら言った。

「臆病者の黄の目じゃないか。メシアを連れてご帰還か? 」

 でもベイルは誰もいないかのようにただ一点を見つめている。そして独り言でも言うように静かに言った。

「カシキヤ。お前も知っているだろう。ダー・バーダに行くには郷を通るしかない。すぐにでて行く」

「えっ」

 僕はさっとベイルを見た。ベイルは今大切なことを口にした。そう、それは次の目的地。

 僕は聞かずにはいられない。

「ダー・バーダって? 」

「ダー(死神)・バーダ(山)、死神の山だ」

「死神の山が次の目的地なの」

「そうだコウ。私達は黒死界にあるダー・バーダに行かなければならない」

 優しく僕を見つめたベイルにカシキヤと呼ばれた紅い目のネフィルム族が憎々しげに言った。

「くそ! なぜだ! なぜ長はメシア候補をお前のような臆病者に預けたのだ! 」

「臆病者? 」

 こんな屈辱にも決して怒ることなく平穏でいられるベイルに向かってなんて無礼な奴だ。カシキヤのベイルに対する態度が最初からおかしいと思ったが、やはりカシキヤはベイルをバカにしている。僕は言いようない怒りと苛立ちを覚えた。

「ベイル、なぜ好き勝手に言わせておくの!? 」

「いつものことだ。この目を選んでより言われ続けたこと。もうなれている」

「黄の目? なぜ黄の目が臆病なの? 」

 するとカシキヤがいやらしい笑みを浮かべながら言った。

「黄の目は自分を守る為の目。戦うための目ではない。ただ命が欲しいがためだけの目だ! なぜこのような目が存在するか分からない。このネフィルム族の恥さらしが! 」

「は、恥さらし? ベイルが恥さらしだって! 」

 言いようのない怒りが溶岩のようにふつふつとわき上がってきた。

「ぺっ 」

 カシキヤがベイルの足につばを吐きかけた瞬間、僕の我慢が限界に達した。

 僕は激しく怒り怒鳴り散らした。

「ベイルは臆病者じゃない! ベイルは立派なネフィルム族だ! 気高く、恐れを知らない最高のネフィルム族! そうだ! ベイルは僕の大切な… 僕の… 僕の… 大切なーー 」

 次の瞬間涙で灰色の世界がグニャリと歪んだ。まるでビー玉から死界をのぞき込んでいるみたいだ。なぜこんなに激怒したのか自分でも分からない。

 僕より遙かにでかく強いネフィルム族。その機嫌をそこねたらすぐさま殺されるかもしれない。しかも相手はベイルよりでかいネフィイルム族。

 いざとなればベイルが助けてくれるから? いや、そんな思いこの一瞬に考えつくはずもない。なのになぜ? その時ムー・シーでの出来事が頭をよぎったーー… 

 僕にとってベイルは何だ? この怒りは何なんだ? こんな危険を冒してまでなぜ怒っている。ふと我に返るとカシキヤが恐ろしい形相で僕をにらんでいた。

 やばい、やられる!? 僕はカシキヤの顔に自分のデスマスクを見た。

 助けて! ベイル! 心で叫びベイルを見た。でもベイルは何の行動をとるわけでもなくただ黙って僕を見ている。カシキヤが迫る。足下が黒く染められていく。僕の足が、胸が、そして体全体がカシキヤの大きな影で黒く染められていく。

 僕は恐怖で縮こまりまるで石地蔵のように固まった。本物の死に直面したとき人間はこうなるに違いない。冷や汗が流れゆっくりと唇に飛び込んだ。恐る恐る見上げるとカシキヤがはるか上から僕を見下ろしていた。

 永い沈黙が続く。一秒が十秒のように感じ、硬直した時間は進むことなくピタリと辺りの時を止めていた。唇が恐怖でぴくぴくと引きつる。次の瞬間カシキヤの目がカッと見開いた。

 もうだめだ! 殺される! 僕は頭を抱えこみ思わず目をつむった。

 その瞬間、ずどんと地響きがなり響いた。それはまるで目の前にバカでかい岩が落ちたかのようだった。すると、

「許してくれ。メシア候補よ。私のベイルへ対する無礼な態度を」

 目の前で声がした。それはもちろん岩ではない。紛れも無くカシキヤの声であり僕の前にしゃがみ込むカシキヤ本人だった。

 カシキヤはその巨体をくの字に折り曲げ片膝と片手の拳を地面につき僕に向かって深々と頭を下げている。誇り高きネフィルム族の男が今まさに僕の前に触れ伏せているのだ。

 僕はあっけにとられ戸惑いながら言った。

「いや、いいんだ。分かってくれれば… ベイルが臆病者ではないとーー 」

 その声は少し、ほんとに少しだが震えていた。


第十四章 死神の武器


 ネフィルム族の郷で出会ったカシキヤ。彼との出会いが僕とベイルの関係に微妙な変化をもたらした。そしてそれは僕にとって決して悪い結果にはならなかったーー……


 今僕たちはダー・バーダ(死神の山)に向かって歩いている。あの一件以来ベイルの僕を見る目が何か変わったように思える。ベイルはあの後僕に聞いた。

「あの屈強で頭を下げることを知らない誇り高きネフィルム族が、いとも容易くお前に頭を下げたのか分かるか? 」と。「メシア候補だから」と僕は答えた。

 それ以外に考えられない。よくよく考えればメシア候補である僕を殺せるはずがない。でもベイルは僕の答えが正しいとも間違っているとも言わず、何か意味ありげに笑っているだけだった。

 郷をでてからもう二時間は歩いただろうか。死界はムー・シーを境にして、死界、黒死界が険しい断崖絶壁で完全に二つの世界に隔てられている。ダー・バーダに向かうには郷の中にある黒死界にいたる唯一の路、デーバー・ダー(死神の路)を通って崖をやり過ごすしかない。デーバー・ダーはトンネルだ。下に向かって緩やかに掘られている。つまりムー・シーの下をくぐって崖をやり過ごすわけだ。

 普通トンネルを抜けるとまぶしい光を浴びて、ようやく出口にでたと安心するものだけどここでは違っていた。抜けた時は本当にトンネルを抜けたのかと思わず叫んでしまった。それほど黒死界は暗かった。世界全体が黒い影に覆われていると言っていい。

 灰色の死界は雲のかかった昼間という感じだったが黒死界は夜だ。それでも暗いトンネルで目が慣れていたおかげで全く景色が見えないというわけではなかった。

 気候は死界と同じく温暖で過ごしやすい。そしてやっぱり何もない。全く死界と同じだ。灰色ではなく黒い岩がごつごつと並び、遠くに真っ黒い山がそびえ立っていた。風に乗って細かい黒い砂が吹きつけてくる。常に黒い風が吹いている。

 ダー・バーダは遠かった。何もない黒い世界は灰色の死界より気が滅入った。そこでベイルは退屈しのぎに「七色の大陸」という、死界に伝わる伝説を話してくれた。おかげでダー・バーダへの道のりは思ったより退屈しなかった。でもダー・バーダへと向かう明確な理由を知ると気持ちがなえてしまった。

 ダー・バーダに向かう理由。それはアキラが向かっているからだ。メシア候補であるアキラは天運なる戦いに備え“武器を想像”しにダー・バーダに向かった。そしてもう一人のメシア候補である僕もアキラと同じく戦いに備えなくてはならない。頭にあの不吉な言葉がよみがえる。


ーーメシアは一人ーー


 僕がぼそりと呟くとベイルが語るように静かに言った。

「メシアは独り。我々は予言をこう解釈している。二人のメシア候補がネフィルム族のように誇りを持って戦い残った者、つまり天運なる戦いでの勝者がメシアになると。勝者は生き… 敗者は死ぬ。そしてメシアは我々を楽園へ導くと… 」

 敗者は… 死ぬ。でも、根拠のないあまりにうすっぺらな希望だがメシアの力を使えば僕たちは無事帰れるかもしない。ベイルも僕がそう願っているのは重々承知している。

 それなのに! 僕はうつむいたまま唇を噛んだ。言いようのない怒りがこみ上げてくる。わめき散らして走り出したい気分になった。嫌味のひとつでも言ってやろうとベイルを見ると、険しい顔で表情ひとつ変えることなくただ一点を見つめていた。その目は何処か寂しげだった。僕は言葉を忘れ寂しげなベイルを見つめた。

 沈黙が続いてどれくらいの時間が過ぎたのか。僕は長く続いた陰気な雰囲気を吹き飛ばそうと、ベイルが背中に背負っている、大きな大鎌を指さして言った。

「ベイルが想像した武器はその大きな鎌? 」

 するとベイルもこの重い空気を感じていたんだろうか。なにか変に明るい声で言った。

「いやコウよ。これは私の武器ではない。これは死神が持っていたものだ。契約したときに武器も継承する。私はまだ武器を想像していない。ゲーター・ダーをよく見てみろ。背中に同じ鎌を背負っているだろう」

 そしてやりと笑って僕の死神ゲーター・ダーを指さした。そう言われてみれば僕はあまりゲーター・ダーを見ていない。無視していたわけではないがやはり気味が悪い。それに喋るわけでもなく、地面から数センチ浮いているので足音も立てない死神は、慣れてくるとその存在さえ忘れてしまう。

 そこでよく見てみると確かにゲーター・ダーも背中に大きな鎌を背負っていた。するとゲーター・ダーが思わぬ行動をとった。

 マントからぬっと手を伸ばすと大鎌をつかんで僕に差し出したのだ。手は確かにマントから出ているが、マントはゆらゆらと揺れているだけで割れ目があるわけでもない。まるで穴を開けて手を出しているようだ。その手は死神らしくやっぱり骨だった。

「コウよ。ゲーター・ダーがお前に武器を渡すと言っている。持っていて損はない。受け取るがいい」

 いかにも重そうな大鎌を持って歩くのに抵抗はあったがゲーター・ダーに何を言っても仕方ないと思い大鎌を受け取った。ところが僕の予想に反し大鎌は恐ろしく軽くきしゃな僕にも難なく持つことができた。まるで空気のように軽い大鎌をまじまじと見つめながらベイルに言った。

「どうしてベイルは武器をつくらないの? 」

 するとベイルはバトン選手のように慣れた手つきで大鎌をぐるぐると回しながら言った。

「まず武器を作るには死神と契約をしなければならい。だいたいは契約後すぐに武器を想像する。しかし契約も武器も一度きり。一度想像したらその武器を永遠に使わなければならない。当然死神の契約も一度きりだ。武器はその者によって様々な形がある。他の者の武器をよく観察するのも大切だ」

「契約か… 契約は簡単に済むの? 」

ベイルは今度は鎌を八の字に回し始めた。

「契約は簡単だ。死神と戦い死神を認めさせればいいのだ」

「死神に自分を認めさせる…? 」

「我々は力を試したいと感じたときダー・バーダへゆく。つまり死神と対等に渡り合えると確信した時だ。力がない者は死神と戦うことさえ許されない。また滅多にないことだが中途半端に力がある者が死神に挑めば殺されてしまうこともある。この大鎌で首をはねられるのさ」

 ベイルが大鎌を顔の前に差し出してにやりと笑った。

「首を… 」

 不老不死のネフィルム族が数を減らした理由はここにあったのだ。ネフィルム族は仲間同士でも戦うがそれはスポーツのようなもので決して死には至らない。ではネフィルム族が死に至る理由。それはただ一つ。部外者による殺害しかない。

 ベイルは思いにふけるように鏡のように磨かれた大鎌に映った自分の顔をじっと見つめながら話を続けた。

「契約は死神に任せられる。死神も強い相手と契約したいと願っている。だから死神も相手をよく確かめて挑戦を受ける。気に入らなければ相手にしないか殺すか二つに一つ。そして契約のあかつきには証として、目と、その力を契約者に渡すのだ」

「力? 」

「そうだ力だ。死神の目には力が宿っている。目の色の違いによって力は変わる。この灰色の世界で唯一色を持つ二つの存在。それが天に輝く“永遠の金貨”。そして死神の目だ。今までに確認されたのは三色。紅、青、黄。紅は数秒間消える。黄は首をはねられない限りどのような傷でも短時間で治すことができる。青は瞬間移動。その目に焼き付けた場所へなら瞬時に移動ができる」

「死神の目にそんな力が? そう言えばベイルの目は黄だね」

「そうだ。これで分かっただろう? なぜ郷の者が私をバカにしたのか。黄の目は究極の治癒能力。つまり首を切られる以外のキズを短時間で完璧に治す。故に逃げることを嫌う誇り高きネフィルム族にはそぐわない、というわけだ」

 僕は思わず口をふさいだ。もう決して黄の目につい触れることはない。ベイルの事だ。卑怯者とされる黄の目を選んだのは何か深いわけがあるに違いない。

 するとあの時、巨大石魚に突かれた肩が治っていたのは、黄の目を持つベイルだからだったんだ。あれだけのキズ。普通のネフィルム族でもあっても簡単に直す事は出来なかっただろう。同時になぜ僕がベイルに安らぎや癒しを感じたのか分かった気がした。

 キズを治すというある意味慈悲の心がベイルさえも気づかずうちにその目に宿ってしまったんじゃないだろうか。ネフィルム族がもっとも嫌う思いやりという精神が…ーー

 そうなると僕が持っている死神の目は紅。つまり僕は今数秒消えることができる?

 僕はその能力を使ったことを想像してにやりとした。するとベイルは僕の気持ちを悟ったかのように逆ににやりと笑い返した。

「しかしコウよ。今お前はその力を使えない。通常は目を譲り受けた瞬間からその能力を理解し使えることができる。何も考える必要はない。自然と力は使えるようになる。しかしお前は特別だ。お前はダー・バーダで契約をしていない。目の力を使うにはダー・バーダに向かう必要がある。つまりお前の目的はダー・バーダで二つの武器を手に入れることだ」

「二つの武器… 」

 果たして紅い目は僕にとって有利に働くのだろうか。何にしてもダー・バーダに行きその能力を得たとき答えははっきりとするに違いない。

 僕はかすかな興奮を残し変わってゆくであろう自分の姿を想像しながらダー・バーダを目指して歩いた。


《死界の伝説 ーー七色の大陸ーー 》


 これはダー・バーダ(死神の山)に着く前に、ベイルから聞いた死界に伝わる伝説だ。


「コウ。お前は物語が好きだったな。ダー・バーダはまだまだ先だ。一つおもしろい話をしてやろう。死界に伝わる伝説。七色の大陸という話だ」

 

 まだネフィルム族が存在する前の話。大昔この世界は死界も黒死界もなくただひとつの世界であり、この土地を支配する完全なる神の民サン族はこの地をエデンと呼んでいた。そして果てしなく広がる無限な色で彩られた美しいエデンの大地は、七つの大陸によって別けられていた。

 ダー・バーダがあるこの赤の地を中心に取り巻くようにして六つの大陸があった。大陸はどれも細い石橋によってつながりそれらの土地にはそれぞれに一人の王がいた。

 赤の地サン族はすべての大陸の王。絶対王をこの地に置いて赤王と呼ばれ七大陸を支配した。赤王は残りの王を総称してロク王と呼んだ。そして大陸の色にちなみ王の頭に色をつけて呼んだ。それはつまりトル族の橙王、タール族の黄王、タイカ族の緑王、ダル族の青王、ケール族の藍王、そしてカダイ族の紫王であった。

 どの王も屈強で強靱であったが赤王が七大陸の絶対王でいられるのには理由があった。

 それは聖なる衣、聖なる剣、聖なる縦を所有していたからだ。神からの贈り物である三つの神器を持った赤王は絶対的な力で六大陸を支配していた。

 しかしある事件をきっかけに三つの神器は七つに分割されこの均衡は破られてしまった。力をなくした赤王は他の王の侵略を恐れすべての石橋を破壊した。そして七つに分割された神器はそれぞれの場所に永遠に眠り続けている。

 その一つ、赤の地神器が封印された大地こそダー・バーダ。そしてそれと同じく各大陸にも代表的な大地があり、それぞれの場所で眠っているのだーー………


 よし石版を使って分かりやすく説明してやろう。

「ベーイ・イーベ・バードーダー(七大陸の伝説)」

 ほら石版に映し出された地図を見ろ。お前が知る天体図のようだろう。遙か彼方神の目より見た図だ。これが死界七大陸。この中心のでかく丸い星、これが今立っている死界。周りを囲うようにして少し小さな丸い星。これが残りロク王が納める六大陸だ。

「バ・スームー(説明)」

 ほら、地図か浮かび上がり文字も浮き出て来た。北から東周りに説明するぞ。

 橙の王の陸に【沈黙の灰塔】黄の王の陸に【針の灰山】緑の王地に【死を呼ぶ灰森】青の王地に【灰色の湖】藍の王地に【永遠の灰道】紫の王地に【惨劇の割れ目】そしてコウが今歩いている地、絶対王が納める赤の地に【死神の山】というわけだ。

 色のない灰色の世界に色の名が付いた大陸なんて滑稽だろう? まあただの伝説だからネフィルム族の欲望が入っているのかもしれないな。そしてこの地こそ神器が封印された大地。その地を表す色をした一つの剣と、一つの盾、五つの鎧が隠されていてその防具と武器は恐ろしい魔物によって守られているそうだ。

「ヤーベー(次)」

 ほら、これが防具だ。こうして指を広げ拡大、つかむようにして回す。どうだ武器が回るので見やすいだろう。長さや厚さ装飾まで細かく見える。まあ、色は灰色だがな。ちなみにこの地、赤の地には盾。橙の地には兜。黄の地には手当、緑の地には胸当、青の地には腰当、藍の地には足当、紫の地には剣が隠されている。

 何だ、コウ。こういった話が好きらしいな。目が輝いているぞ。でもまだこれで終わりではない。最後が重要だ。 ・・・おいおい、そう、せかすな。ちゃんと教えてやる。これが最後だ。言ったように目にはそれぞれに能力、力がある。赤、青、黄の能力は説明したな?・・・

 そうだ、その通りだ。伝説ではさらに残り四つの目にも能力があるというのだ。驚くのも無理はない。私もこの話を聞いたときは興奮したものだ。そして最後はこう締めくくられている。

【勇者が残し神器。一つの剣、一つの盾、五つの防具を手にした者。死神の目なくともその七つの力を受け継ぐ。それは七色の目、全てを可能にする目である。そしてその目を持つものは全ての魂を解放するであろう】とーー………


 最後の浮かび上がった文字はベイルの大きな手でかき消された。石版からさらさらと風に舞う砂を見て僕は言った。

「冒険して大陸を探してみたら? 」

 するとベイルは首を横に振った。大陸への道はなく死界の端はなにもない。一直線に歩き続ければ結局元の場所に戻ってしまう。との事だった。つまりは伝説の通り赤王が石橋を破壊してしまったんだ。空に路が延びない限りその大陸には行けない。

「やっぱり伝説は伝説か」

 僕はがっかりした。でも僕がベイルの話に夢中になったのは間違いない。ただこの内容はかなりかいつまんで話している。詳しく話せばエデンを納める七色の防具を付けた絶対王が、神器である武器と防具を失い封印されるといった物語が事細かく説明してある。そこにはこの死界が灰色になった訳や、死神の目にまつわる話もありかなり壮大な物語だ。

 もしアキラと一緒に帰ることができたらこの話をしてあげようと僕は思った。


第十五章 ダー・バーダ ーー死神の目の能力ーー


【ズキリ、ズキリ】右目がうずく。まるで脈を打つように規則正しく痛みが走る。痛みはダー・バーダに近づくにつれ増していく。それでも耐えられないほどの痛みではないのが救いだった。痛みの感覚が二.三秒になると自分がネフィルム族に近づいた気がして、急に人間界に戻りたくなった。でも人間界へは戻れない。体調不良が死界にもどっても続き、下手をすれば死んでしまうからだ。

 ムー・シーでは両目を開いた数分で耐えきれない目眩と吐き気に襲われた。そう考えると人間界にいられるのはせいぜい四.五秒がいいところだ。もし帰るとするなら後一度が限度だろう。

 右目の痛みは僕に違う意味での苦痛を与えていた。死神の目が開花したとき、僕は正真正銘身も心も戦い好きで野蛮ネフィルム族になるんじゃないだろうか。そう思うのはふつふつとわき出す相反する隠しきれない強い思い。右目の痛みがよけいな不安をどんどん消し去っていることに喜びを覚えている。

 脚力も腕力もさらに強くなったのを感じる。なにより感じるのは死神の目から感じる超能力的な力。右目の痛みは同時に偉大な力の始まり。偉大なる力は僕の不安を鈍らせる。

「もう、どうでもいい… この力を手にいることができるのなら…ーー 」

 僕は今まさに人間ではあり得ない偉大なる力を得ようとしている。

 一瞬、恐ろしい思考が頭を巡った。支配、征服。死界の空気が、独特の世界が、僕の身も心も浸食しているんだろうか。

 僕は長くこの世界にいすぎたのかもしれない。溢れだす偉大な力が僕の疑問や不安をかき消していく。鉛筆で書かれた文字を消しゴムで消すように、糸もたやすく… あっさりとーー


 ーー欲望が不安に打ち勝ったーー


 僕はしばし自分を見失ない人間界に戻りたいという気持ちさえどこかに消えていた。ベイルは僕の異変に気づいたのかじっと僕を見すえて言った。

「コウよ。言っておくことがある」

「なんだい? ベイル」

 右目に確かな力を感じながら陽気に微笑む僕とは対照的に、ベイルの表情は僅かな苦悩を浮かべていた。

「死神は強い者と契約をしたがるがそれには理由がある」

 ベイルは僕の紅い右目をじっと見つめた。

「死神は契約を済ませることで、ある力を発生させることができるからだ」

「発生? 」

「そうだ。発生する力。それは力の入れ替え。または”力の覚醒”。つまり力の変化だ」

「力の入れ替え… 覚醒? 変化? 」

「力の入れ替え、それは能力が変化すること。契約時最初は誰もが紅い目から始まる。つまり変化とは紅い目の者が黄の目、または青い目へ変化すること。当然力も変化する」

「変化するだけ? 」

 僕は少し気落ちした。例えば新しい力を手に入れるとか、能力が一つ増えて二つ使えるのなら意味はあるけれど、ただ入れ替えるだけでは何の意味もないじゃないか。

「コウよ。重要なのは変化ではなくは覚醒」

 ベイルは重い口調でつづける。

「我々は一般に変化を紅、青、黄だけのものと考えている。この力は平均的に同等の力と考えているからだ。大切なのは覚醒なのだ」

「覚醒… 」

 僕は嫌な予感がした。

「それは新たな目へと進化すること。先ほど言ったとおり現在分かっているのは三色。つまり覚醒は三色より遙かに強い力へ進化することだ。覚醒をなしえた強者の目は三色を超えた新たな色を持つ可能性がある」

「新たな色… それは当然新たな力を手に入れると言うことだね」

「そう、そして今それは現実にある。三色以外に現れたのは“銀の目”」

「銀の目? 」

 一瞬背筋にさーっと冷たいものが走った。

「今銀の目を持つ者は死界に二人。一人は長サーダ。その特殊な目を持つ故にサーダはネフィルム族の長として認められている。そしてもう一人は…ーー 」

 ベイルは一瞬黙り込み数分沈黙すると神妙な面持ちで静かに口を開いた。

「それは銀の目の死神サーダー(最高)・ダー(死神)の目を移植した人間。アキラだ」

「アキラ…? 」

 例えようのない不安が押し寄せる。アキラとネフィルム族の長と呼ばれるサーダが持つ銀の目。銀の目の能力とは一体どんなものなのか。

「ベイル。銀の目の能力は? 」

 恐れを知らないネフィルム族であるベイルの顔に恐れと困惑の表情が現れた。

「銀の目の能力。それはーー 」

 ベイルが何か言いかけた時後ろで子供の声がした。

「この子がメシア候補なの? ベイル」

 それは五歳くらいの女の子だった。まるで精気のない灰色の目に長い髪をしたとても美しい少女だ。その目に活力はないがやはりネフィルム族は子供の頃からとても美しい。くっきりとした目鼻立ち。子供とは思えないほど大人っぽく見えた。

「イリミヤ。ここで何をしている? 」

「私ね。郷にいるときね。大きな岩に隠れて見ていたのよ。それでね。着いて来たのじゃない。だってね。興味があったんですもの。だってそうでしょう。メシアよ? 私たちを救ってくださる方かもしれないのよ? 」

 僕はイリミヤと呼ばれるあまりに無邪気なこの女の子を一瞬で好きになった。

「君の目は灰色なんだね」

「そうよ。だって私まだ死神と契約できないじゃない」

「死神と契約? 」

 そうか。ネフィルム族の目は死神の目によって色を持つのか。全くゼロの状態それが灰色。

 するとベイルはイリミヤの頭にぽんと手を置いて優しく言った。

「イリミヤ。お前はエヴァ。死神と契約は出来ない。お前は一生灰色の目だ」

 するとイリミヤはぷーとほっべたをふくらませすねて見せた。ベイルは取り繕うように少し咳払いをして言った。

「まあとにかくイリミヤ。確かにはコウはメシア候補だ」

 するとイリミヤの大きなかわいらしい灰色の目が少し輝いたように見えた。

「じゃあコウが金の目を手にて入れて方舟を呼び出すの? 」

「金の目? 」

 僕は思わず息をのんだ。金、明らかに銀より上だ。メシアが持つ目の色それが金なんだ。

 僕は銀の目を上回る存在に銀の目の能力も理解しないまま内心ほっとした。

「いや、イリミヤ。まだコウが金の目を手に入れるかは分からない。それに今近いのはアキラという人間だ」

 僕はベイルの言動に一瞬怒りを覚えた。

「ベイル! なぜ! まだそんなこと分からないじゃないか! 」

 ベイルは声を荒げた僕を見て少し驚いたようだったがしばらくするとその根拠を話始めた。

「なぜ死神が強い者と契約をしたがるのか。それは強い者と契約した方が目が覚醒する可能性が高いからだ。銀になるには覚醒しかない。銀の目を持つ以前からサーダは強かった。誰よりも強かった。そしてサーダと契約をした死神ムーサー(支配)・ダー(死神)。こいつがまた恐ろしく強い死神だったらしい」

「らしい? 何かあいまいだな」

 ベイルは深い息をふーと吐くと悔しそうな顔をして話し始めた。

「たくさんのネフィルム族がムーサー・ダーに挑んだが皆殺されてしまった。ほとんどの死神は契約者と認めない者は相手にしない。しかしムーサー・ダーは例外なく挑戦するネフィルム族全てを殺したらしい。だから証言する者はただ独り生き残ったはサーダのみ。ムーサー・ダーに認められたのがサーダだからだ… 」

 ムーサー(支配)・ダー(死神)。最強の死神に相応しい名前だ。そう認めながらも僕はいらだちを隠せなかった。もしムーサー・ダーと契約したのがベイルだったなら。そんな思いが心をよぎった。

「どうしてベイルはムーサー・ダーに挑戦しなかったの? 」

 するとベイルは決まり悪そうに言った。

「それはサーダの一行、十四人ほどのグループがダー・バーダに入ったとき。偶然見つけたのがムーサー・ダーだった。私はそのグループにいなかった。だからこの話もすべてサーダから聞いたものだ。あの時私も加わっていれば… とにかく私はムーサー・ダーと一戦交える前に終わってしまったということだ」

 ベイル悔しそうに唇をかみしめた。

「ムーサー・ダーの強さは本物だった。ある事件をきっかけにサーダは覚醒した。それはサーダの恋人サーミヤがまだ若いままに命を落としてしまったときだ」

「命を? 」

「そうだ。サーダとサーミヤが剣の練習をしていたときだ。サーダが誤ってサーミヤを刺してしまったのだ」

「なんだって? 」

 なんて悲惨な出来事だろう。愛する人をその手で殺めてしまうなんて。

「実は私も美しいサーミヤを愛していた。しかも悪いことにその時サーミヤに鎌を貸していたのは私だった。私はその苦痛からこの目を得ることを強く願った。そして願いは叶い黄の力を手に入れた。もしあの時黄の目を持っていたらサーミヤを助けられたからな」

「そうか。それでベイルは治癒能力のある黄の目を選んだんだ」

 ベイルはこくりとうなずいた。

「そしてその時銀の目サーダが誕生した。これは我々の推測だがネフィルム族、死神、お互い強くなければ覚醒はあり得ない。そしてどうやら覚醒は激しい怒りによって発生するらしい」

「強い者ほど覚醒する。つまり銀の目を持つアキラの方が紅い目の僕より強いと言うことか」

 僕は脱力感でいっぱいになった。

「そうだ。そして目の覚醒にも力とは別に順序があると言われている。それを考えるなら金に最も近いのは必然的に銀、ということになるわけだ」

「それでは僕には金の目の可能性はないということかーー 」

 金の目=メシア。それでは僕は何のためにここにいるんだろう。メシアはアキラで決まっているというのに。落胆する僕にベイルはぽんと肩を叩いて言った。

「早まるな。これは我々の想像でしかない。覚醒は複雑だ。全ては謎なのだ。それに予言によればメシアはどちらか独り。案ずるなコウよ。お前にも十分その資格はある。それにお前には黄の目のネフィルム族がついている。紅目と同等と言っても黄の目、青の目は変化でしか手に入らない。つまり郷の者たちは馬鹿にしていたが紅目より上位の目なのだ」

 究極の治癒能力を持つ黄の目。確かに便利な目だ。僕はその力を認めながらも、遠くに思うしかなった。ベイルはうつむく僕の背中を軽く叩いて言った。

「変化も好きな力を選べる訳ではない。“きっかけ”が必要だ。変化覚醒はその者の思いによるとも言われている。思いが強ければ変わるとーー しかしほとんどが変わることなく紅い目のままでで終わってしまうがほとんどだ。黄の目になれた私は幸運であり、私と知り合えたお前もまた幸運なのだ」

 ベイルの慰めも僕を元気づけるものとはならなかった。

 うなだれる僕の顔をイリミヤがかわいらしい灰色の目をくりくりとさせて眺めていた。


第十六章 闇の黙示録 ーー予言の書ーー


「ベイル。私もいっしょに行ってもいいわよね。だって私とても退屈なのよ」

「着いてきてしまったものはしかたない。いいだろうイリミヤ。しかしお前はダー・バーダには行けない。手前までだぞ。私が戻るまで山のふもとでおとなしく待っているのだ」

「もう、そんなこと分かっているわ。私が山に行ったら大変! あっという間に死神に首を飛ばされるじゃない」

 イリミヤはこうよ、と言わんばかりに小さな手を自分の首の前で何度も振って見せた。

 僕はかわいらしいイリミヤの行動を見ながら考えていた。覚醒によってのみ現れるという銀の目。ベイルの話では全ての死神は紅い目のはず。それではアキラの死神タームー・ダーはどうして銀の目をもっていたのか。そして名前から分かるとおり(最高)の死神と称されるタームー・ダーはなぜアキラと契約したのか。もっと屈強なネフィルム族の男を選ぶ方がいいんじゃないか。そもそも意思表示をしない死神がどうやってアキラを選んだのか。その問いかけにベイルは首を軽く振りながら答えた。

「なぜタームー・ダーが銀の目を持っていたのかは誰にも解らない。そして銀の目タームー・ダーは自らの意志でアキラを選んだ」

「なぜ? 死神には意志がないと言ったのに」

「確かに… しかし… 」

 ベイルは隠すことなく戸惑いをあらわにした。

「お前たちを見つけ、ドクター・ダルガが目を移植をしようとしたとき、信じられないが… 感情の持たない死神が言葉など発しない死神が喋ったのだ。アキラを指さしてアキラと」

「名前を呼んだの? 」

 そうか死神がアキラを指さしてアキラと呼んだからネフィイルム族はアキラの名を知ったんだ。でもそれはさらに不思議なことだ。誰も知り得ないアキラの名を死神はどうやって知っんだ? でもベイルはその疑問に答えることもなく、また悩むのは無駄だと言わんばかりにこう言った。

「とにかくあれは異常な事だ」

 そして首を大きく左右に振るだけだった。やはり死神と契約者には何か深い因縁のようなものがあるに違いない。銀の目タームー・ダーがアキラを選んだのもきっと深い理由があるんじゃないだろうか。そして長い沈黙の後ベイルは半ばやけっぱちにさらりと言った。

「とにかく偉大なる銀の眼を得たのはお前ではなくアキラだったのだ」

 ベイルに偉大とまで言わせる銀の目とは一体どんな能力なんだろう。

 でもベイルは銀の目の能力について決して喋ろうとはしなかった。なぜなら銀の目の能力については一切語るなというのが長であるサーダの命令だったからだ。

 敵となるかもしれない相手に力を知られることが戦いにおいて不利になるのは明白。しかも僕たちは武器を想像しに山に登る。相手の力を理解していればそれに対応した武器を創ることもできるかもしれない。サーダが秘密にしろと言うのは当然のことだ。

 ベイルは銀の目の能力について教えてくれなかったが金の目の能力について話してくれた。なぜなら金の目は死界になく伝説といわれる目であり、予言の書にのみ記されたメシアが持つ目だからだ。

 金の目にまつわる予言の書。それは驚く内容であり悪しき運命がこの書によってもたらされたものだと分かった。僕はこの書に呼ばれて死界にきたと言っても過言ではない。

 ベイルは予言の書について静かに語った。

「闇の黙示録予言の書 第一章三節。

(巨大な角を持つ 悪しき黒き幼い雄山羊は 両の目の光を闇に捧げ 強大な力を得るだろう。美しい角を持つ 優しき白き幼い雄山羊は 右の目を闇に 左の目は光を残し 絶大なる力を得るだろう)

 両の目に銀の目を移植した黒き幼い雄山羊。すなわちアキラ。右目に紅い目を移植した白き幼い雄山羊。つまりお前だ。コウ。我々は途方もない時間メシアを捜してきた」

 途方もない時間か……? 僕は気が遠くなりながらふと疑問に思った。

「もし移植が失敗していたら目を亡くした死神はどうなっていたの? 」

「契約者が死んでも死神が死んでもそれによってどちらかが死ぬことはない。つまり、今私がお前の死神ゲーター・ダーの首を落としてもお前が死ぬことはない。またその力を失うこともない。そしてコウが死んでもゲーター・ダーが死ぬことはない。コウが死にもし死神が生きていればその目は死神に再び戻る」

「案外軽い関係なんだ。てっきり一緒に死んでしまうと思った。力も消えないなんて」

「死神のことはほとんど分からない。しかし我々の考えでは死神はネフィルム族のためにあると思っている。もとより死神に存在価値などない。だいたい死神は目を持っていてもその力を使うことはできない。契約して初めて使えるのだ。しかも力を使えるのは契約者のみ。死神は契約者の影となりその後を永遠に追うだけだ」

 ここまで言われるとさすがに死神が可哀想に思えた。

「それじゃあどうしてベイルはいつまでも死神と一緒にいるの? 」

「確かに契約をすませ力の入れ替えをしてしまえば死神は不要だ。しかし武器を想像し本来死神が持っている大鎌を死神に渡せば強い味方になる。死神は契約者の命令は何でも受け入れる。逆に言えば契約後は契約者の命令なしには動かない。まあ、死神は用心棒みたいな者だ。別に悪さをするわけでもない。案外便利なのだ」

 僕は何か違和感を感じた。ベイルは死神が強い相手を探していると言ったが本当にそうだろうか。そう死神が言ったわけではない。

 僕には何か死神が契約者と一緒にいたくているように思えてならなかった。

 するとベイルは予言の続きを話し始めた。

「闇の黙示録 予言の書第一章一節にこうある。

(死界は戦いに腐敗する。雌山羊はもとより少ないが雄山羊も例外ではない。狩人は増え山羊は消え去る。しかし狩人もそれは望まない。救うは方舟のみ。それはノアの末裔である。ノアの子供である。方舟は楽園より来たる二人の雄山羊。光を失いし雄山羊。狩人と死界の雄山羊は手を取りメシアを求めるだろう)

 これから分かるとおり我々死神との契約によって数が減ってしまった。郷を見て分かったとおりもうネフィルム族の中に子供を産めるエヴァはいない。もう我々の力でその数を増やすことはできないのだ。そしてそれはなぜか死神にとってもよいことではないらしい。狩人とは死神のこと。そこで我々は死神に呼びかけた。すると感情がないと言われた彼らが我々の呼びかけに答えたというわけだ」

「でも喋らず感情のない死神が、どうやって目を提供すると意思表示したの? 」

「我々はこう言って山を回った。目を提供できる死神よ。山を下りてきてくれ、と。死神が山を下りることは決してない。つまり山のふもとにいた死神は志願した死神と考えていい」

「なるほど。そして山を下りたのがタームー・ダーとゲーター・ダーというわけだ」

「そうだ。しかし今回ばかりは皆が驚いた。まさに運命を感じた。銀の目を持つ死神が現れたのだからな」

 その時僕はふと重大な疑問に気づいた。

「おかしい! 」

 僕は死界に来るために目の移植をされた。ネフィルム族は人間界に行けない。魂に触れられない。つまり人間に触れることはできない。なのに…

「これはもしかして、この能力こそが? 」

 僕は頭を巡らせた。何か答えに近づいているように感じた。もう少し、もう少しで何かが分かる気がする。その時退屈しのぎと言わんばかりにイリミヤがしゃしゃり出てきた。

「それでね。これが重要なの。闇の黙示録 予言の書第一章二節よ。

(メシアは伝説の目を持つもの。それは天に神々しく輝く光。金である。メシアは方舟をもたらし楽園へと導く。幸せのうちに全てを収める者)

 そして闇の黙示録 予言の書第二章一節 来たるメシアの証

(メシアは幼子である。白く光り輝く神の山より来たるものである それこそがメシアとなり得る子らである)

 つまり方舟を用意するのは金の目をした人間なのよ。ああメシア様。きっとわたくしたちを救ってくださるのね。楽園に連れって行ってくださるのでしょう? 」

 イリミヤはかわいらしい小さな手を胸の前で組み慎ましく言って見せた。僕はその瞬間、糸が切れた凧のようにふっと疑問がどこかへ飛んでいった。

「イリミヤ。こんなに難しい予言をよく覚えているね」

「まあ、こんなこと、誰だって知っていることよ」

 僕にほめられたのがうれしかったのか。イリミヤは真っ赤な顔をしてはにかんだ。イリミヤの愛らしい屈託のない顔を見ると思わず頬がゆるんだが、僕はこの書である部分が気になった。

 楽園へと導くーー

 楽園、これは人間界のことじゃないだろうか。もし、人間界だとしたらーー 

 恐ろしい考えを頭の隅に追いやろうとしたが消えてはくれない。そしてその答えはベイルが怒りをあらわにして口にした“あの日”と関係があるのではないかと思えた。

 今やベイルと僕の関係は特別なものとなっている。あの日のことを聞いても怒ることはないだろう。僕はベイルの顔色をうかがいながら恐る恐る口を開いた。

「ベイル。僕ずっと気になっていたんだ。“あの日”ってなんのこと? 」

 するとベイルは怒ることもなく拍子抜けするほどあっさりと話し始めた。

「あの日… そうだあの日以来我々は死界にきた。お前はもう分かっているのだろう。それは人間界にある神の言葉にも記録として残っていることだ。そうだ我々の父は神を裏切った。天界でサタンについた者たち。血と肉をつけ地上に降り立ち人間の女と交わった者たちだ」

「やっぱり… 」

 でもベイルたちの話しで想像はついていた。旧約聖書にかかれている有名な事柄。そうあの日とは一夜にして地上が水没した“ノアの大洪水”に他ならない。

 聖書は真実なのか? でもそれを今の時点で自分に問いかけるのは愚問だ。この現状を考えれば何も不思議に思わない。目の前にある現実が真実なんだ。

 僕たちはかつて同じ土地に住んでいた。同じ民族といってもいい。全てが流されるその日まで僕たちは同じ地上にいたのだ。

 でも今は聖書に書かれていない事柄が起きている。死界、そこで生き続けるネフィルム族。でもこれもまた事実。ここから先は聖書に書かれていない真実だ。

「ノアの洪水。それが全てを流し去った。ノアの言葉を信じなかった堕落した愚かな人間たちも犠牲になったが、それは我々ネフィルム族も同じことだった。洪水で流された人間は全て死に絶えた。しかし我々ネフィルム族は違った。父なる聖霊の血がそうさせたのか。我々は死にきれなかった。そして我々は死界に飛ばされた。天と地の狭間。色のない灰色の世界。神は地上に我々をおくことを決して許さなかった」

 ベイルは両手を組み灰色の空を眺めた。

「我々にこの地をお与えになったのは神の御慈悲か。それとも罰なのか? 我々は考えた。しかしあの時、人間界でメシアが地上に現れたときその答えが出た。メシアがお生まれになったと同じ日。ダー・バーダの頂上にある巨大な石が二つに割れあの預言の書が現れたのだ。神は我々にも救いをもたらした。そこで我々は来るその日に備え郷を造りそこに全てのネフィルム族が集まるようにした。それ以来我々は探し続けていた。そしてついにその時がきたのだ」

 ベイルは胸で十字を切ると天高く拳を突き上げ叫んだ。

「二度目はない! 今度こそ我々は方舟に乗るのだ! そして楽園へ!! 」

 そこにたたずむのは僕の知るベイルではなくただ欲望に支配されたネフィルム族の姿だった。やはり。でもそうなると… ベイルを、いや、ネフィイルム族を魅了する楽園とは…?

 僕は改めてその答えを問いただそうとした。

「それじゃあ…ーー 」

 でも緊張からか。簡単な言葉なのにその続きとなる言葉が見つからない。するとベイルは悟ったように静かに言った。

「コウ我々が楽園と呼ぶ場所。それはお前たちの世界。そう、人間界だ」

 僕は愕然とした。想像はしていたが今はっきりとベイルから聞いたことで、確かなものとなった最悪の答えに恐怖さえ覚えた。もしネフィイルム族が人間界に来たら… 友人は? 世話になった施設の人たちは? いや、人間そのものは? そう思ったら叫んでいた。

「ダメだ! 人間界は僕たちの世界だ! ベイルやめてよ! 」

 するとベイルは子供にしつけをする親のように権威を示しながら堂々とした態度で言った。

「予言の書が現れたとき我々は皆同じ夢を見た。不思議だった。頭にくっきりと映像が流れたのだ。それは全くすべてのネフィイルム族が違う場所で全く同じ映像を見たのだ」

「映像…? 」

「そうだ。それは無限の色! 」

「無限の… 色? 」

「見たこともない色。美しかった。それが山であり木であり、川であり海であり、つまりは神が創られた豊かなる自然であることはすぐに解った。そして… 鳥、魂ではなく、その器の色を初めて目にし、人間、つまりお前たちを見てそこがお前たちの世界だと解ったのだ」

「それが映像で…? 」

「そうだ。これこそ楽園だ。この灰色の不毛の地とはあまりにかけ離れた美しい土地」

 ベイルまるで楽しい夢の話をしているようだった。

「我々は楽園に住みたい」

「でもそれは人間のものだよ」

 改めて僕が言うとベイルは叱りつけるように強い口調で言った。

「我々はお前たちの魂を見ることでお前たちの過去を見ているのだ! 」

「過去? 」

「そうだ。お前たちの忌むべき過去。土地、権力のために互いで争い殺し合う。女子供も容赦なくその手にかける残忍さ。自分が神になったかのように作り出した新しい器。そして神がお与えになった美しい自然を破壊し! その結果ーー… 神が創造された多くの魂が絶滅したことも知っている。我々は増えることなく消えてなくなる魂を幾度となく見てきた。それがお前たちの悪なる行いからなったことも知っている。我々は魂が魂を喰らい尽くす様をまざまざと見たのだ。神はお前たちの振る舞いに怒り絶望したのだ。だから我々に楽園をお与えにしようとされているのだ」

「うっ」

 僕は何も言えなくなってしまった。全くベイルの言うとおりじゃないか。戦争、遺伝子操作、自然破壊。いや、人間の愚かな行為はまだまだ数え切れないほどある。反論のしようがない。黙り込む僕をベイルは勝ち誇ったようにあごを軽く突き上げ見下ろした。

 僕はその目にベイルの本性を見た気がした。そしてネフィイルム族のはっきりとした目的を知った。ネフィルム族を魅了する方舟。そして楽園。その課程に絶対必要な支配者メシア。メシアにつながる天運なる戦い。

 僕は郷でザイルガが言った「なぜお前にメシア候補を預けたのだ」という言葉がずっと引っかかっていた。そのひとつの可能性を今見いだした。金の目は全てを支配する目。つまりメシアと行動を共にしたネフィルム族にもその恩恵が与えられるのはないだろうか。天運なる戦いはサーダとベイルの戦いでもあったのだ。

 初めてネフィルム族が僕の前に現れた時は四人。一人が長サーダ。そしてドクター・ダルガ。ダルガは目の移植に絶対必要だった。もう一人の青目はベデル。ベデルは瞬間移動の能力を使うサポート役だった。あの時突然現れあたり消えたりしたのはそのためだ。

 後からベイルにあの時のメンバーのことを聞いたとき話してくれた内容はこんな感じだったが、今回の役割でもっとも重要なのは最後の独り。つまりはベイル。

 ベイルは自分の詳しい役割については話さなかった。きっとベイルは預かったメシア候補の素質を吟味し、またメシアへと導く役目を担っていたに違いない。メシアに近い銀の目をもつアキラを長であるサーダが選ぶのは当然。つまりベイルは僕に賭けたんだ。ベイルは銀の目ではない子供を預かる事を承諾してこの仕事を引き受けたんだ。

 死界にとってメシア捜しは重要な任務。必要最小限で構成されたはず。そう考えればベイルの言動にも納得がいく。ベイルは始めからサーダを倒す為、そして全てを支配するためにこの任務に志願し計画を進めていたんじゃないだろうか。

 もちろんサーダも全てを承知の上でベイルに僕を預けた。これでベイルが僕に肩入れする理由がはっきりする。でもそうなるとガンタンを渡したあの時からすべてがベイルの計画通りということになってしまう。それはあまりに悲しい。これは一つの可能性に過ぎない。

 そう、ただの想像だ。

 でもそう考えるとベイルも案外めざとい。完全にサーダを裏切ったわけではない。自らの逃げ道を作っているように思える。銀の目の能力を話さないのがその証拠だ。内緒で教えることはできるはずなのに教えようとしない。

 とにかく、やはりというか。ネフィルム族は完全に信じられない。方舟があるのならなんとしても破壊しなければならない。人間界を守らなければならない。

 何を犠牲にしても。僕は改めて誓った。

 何を犠牲にしても…


第十七章 突然の暗殺者


 良いにせよ悪いにせよ、僕とベイルはさらに固い絆で結ばれた。ベイルは僕を鍛えて長であるサーダに一矢を報いるのが目的だろう。そう分かっていても今の僕にはベイルが必要だ。死界で唯一心を許せるネフィルム族。それなりの信頼をおいているし、その黄の目が持つ能力にだって一目置いている。敵ばかりの死界でもベイルがいてくれれば簡単に命を落とす事はないのだから…ーー


 後ろからイリミヤが長い髪をなびかせて飛行機のように両手を広げてついてくる。時折僕を追い越しては周りをくるくると回ってはしゃいでいる。かわいらしいイリミヤを見ているとこんな暗い世界でも心がなごんだ。唯一のネフィルム族の子供であるイリミヤ。本当に子供はイリミヤだけなのだろうか。

「ベイル。本当に死界の子供はイリミヤだけなの? 」

「コウよ。そもそもなぜ我々が方舟を求めているのか分かるか? 」

 今までの話を整理すると懸念されているのはエヴァがいないことだろうけど。それと方舟が関係あるんだろうか。僕は顔をしかめて無言で首を左右に振った。

「我々が方舟を求めるのはネフィルム族の絶滅を防ぐ為。つまりは数を増やす為でもある」

「増やす? 」

「そうだ。今現在実在するネフィルム族は六百人ほど。過ちで仲間が死なないとも限らない。死界には砂の海や更に危険な場所もあるからな」

「じゃあ、人間界に行って… 」

「そうだ。人間に我々の子を産んでもらうのだ」

「え!? 」

 なんと、ネフィルム族は祖先と同じく人間の女性との間に子供をもうけようとしている。サタンに荷担した聖霊と同じ過ちを。

「でもベイル。人間のエヴァではネフィルム族の不完全さが増してしまう」

「それも覚悟の上。しかし今事態は切迫している。そんなことも言っていられないのだ」

 ベイルは深い溜息をついた。イリミヤは可愛らしい灰色の目をくりくりとさせて僕の顔をのぞき込んだ。

 ああ、イリミヤ、この先もずっと一緒にいられたらいいのに。でもダー・バーダはもう目前。イリミヤとももうすぐお別れだ。僕は寂しい気持ちでいっぱいになった。まるで大切な家族と別れるような気分だった。

 僕はダー・バーダを目の前にして少し休むことにした。ベイルは猛反対した。少しでも早く山に登ると言って聞かなかった。でもがんとして譲らない僕の申し出におれたのか、目をつむって黙って座り込んだ。

 僕は決して疲れたわけではない。死界では今の僕でも超人だ。一定の速度なら何キロ歩いても疲れない。それでも休息を必要とした理由それは単純。イリミヤと離れてしまうのがつらかったからだ。

 僕はイリミヤに言いようない親しみを覚えていた。まるで家族のように。それはきっとイリミヤが子供であり僕より小さいこともあったからだろう。巨人であるネフィルム族は僕と違うと感じずにはいられない。でもそれも小さくなってしまえば対して僕と変わらない。整った容姿を除けばだがーー

 ネフィルム族は眠らない。なぜならその必要がないからだ。でも眠ることもある。それは決して疲れたわけではなく退屈だからということらしい。やることがないから眠るのだ。娯楽のようなものだとベイルは言った。

 ベイルはその娯楽の真最中。適当に起こしてくれと言うとごろんと横になった。死界にいる僕もネフィルム族と一緒で眠る必要がない。けれど僕の周りをキャッキャッ、キャッキャッとはしゃぎ回るイリミヤを見ていたら不思議と睡魔に襲われた。

 眠ってみたい。そんな気分になった。だんだんとまぶたが重くなりイリミヤの声が小さくなる。この感覚… 覚えがある… そうだ… 痛みで身動きがとれなかったとき… こんな風に眠くなった… んだ… そして僕は深い眠りに入った。ベイルと同じ娯楽の時間が来たようだーー……


「うう… ん… 痛い… 目が… 」

 寝言なのかうめき声なのか? それが自分で発している言葉だとは分かっている。

 熱い。たまらなく右目が熱い。頭の上に気配を感じる。誰かに手をかざされているみたいだ。

「あぁ、熱い! 」

 まるで目が燃えているようだ。痛みと共に眼球に文字が浮かび上がった。それが何かはすぐに理解できた。自然と頭の中に入ってくる。

「こ、これは! 」

 僕は薄い意識の中でいいよう無い興奮に胸をおどらせた。これは紛れもなく紅い目の能力。

 僕は今まさに死界で姿を完全に消し去っている。格好は寝たままだ。それは自分でもよく分かった。全ての状況が頭の中で再現されている。

 そして僕は目を開いたと同時に姿を現した。寝ている僕の顔を黒いマントに身を包んだ何者かがのぞき込んでいる。僕は朦朧とする意識の中でそばにあった大鎌を闇雲に振りまわした。大鎌は偶然マントをかすめパカリと開いた。

「その目は! 」

 僕はこめつきバッタのようにぴょんと飛び起きた。その瞬間、黒いマントはすっかり消えさった。僕が寝ていた頭付近に小さな短剣が突き刺さっている。もし消えていなかったら間違いなく短剣は頭を突き刺し、僕は大量に流れ出た血の海の中に横たわっていただろう。その時、

「きゃーー! 」

 大きな岩から悲鳴がこだました。

「イリミヤだ! 」

 僕は矢のごとく走り出した。悲鳴に驚き飛び起きたベイルもその後を追う。そこには両足を後ろに折り曲げてぺたんとしゃがみ込み、小さな体を抱え込みながら泣きじゃくるイリミヤの姿があった。

 近くに裂かれたマントが無造作に捨ててあり血の付いた短剣が地面に刺さっていた。それほど深くはないがイリミヤの頬に鋭利な刃物で切られたような跡がある。イリミヤは僕に気づくと首に飛びついてきた。

「くそ、あのマントの奴! もう一つ短剣を持っていたのか! 」

 逃げる最中この短剣でイリミヤを傷つけたんだ。イリミヤの頬についたキズをなでようとすると傷は直ぐに何事もなかったように綺麗に消え去った。

 でも僕の怒りは収まらない。僕ばかりかイリミヤまでも襲うとは。しかも寝込みを襲うとは、なんて卑劣なやり方だろう。

 僕は怒りでどうにかなりそうになった。でもベイルはこの状況をうまく飲み込めていない。

「コウ。何があったのだ? 」

「襲われた! 黒いマントの奴に寝込みを襲われたんだ! 」

「馬鹿な! お前はメシアかもしれないのだぞ! 死界の者は誰もが知っている。誰が襲うというのだ。しかもこの辺りにネフィルム族はいない。いるとすれば… そう考えられないがユダくらい… 」

「ユダ…? それはだれ? 」

 ベイルは困惑しながら喋り始めた。

「ネフィルム族の中には死界で暮らすことを願い楽園へいくことを拒んでいる者もいる。その者達はメシアを欲していない。その中でも特に強硬派なのがユダだ」

「ユダ… 裏切り者の名前」

 僕は旧約聖書に登場するユダを思い出した。

「ただしユダというのは一人の男の名であり組織の名でもある。つまりリーダーの本当の名前もその素顔も誰も知らない」

「名前も顔も…? 」

「そうだ。ユダは石で削りだしたドクロの面を常に付けている。初めてあったときからそうだった」

「じゃあ僕を襲ったのはユダなの」

「いやそれはない。お前は気付かなかったかもしれないがネフィルム族の郷にユダはいた。それに今回の任務もネフィルム族の絶滅を防ぐと言う理由ですでに納得している。やはりここいたのはお前と私とイリミヤだけだ」

 そう言うとベイルははっと何かに気づいたようにイリミヤを見た。そして考え深そうにしばらく黙り込むと不意に喋り始めた。

「死界は広い。全てのネフィルム族の数を把握したのもあの予言の黒い石が現れてからだ。ユダという男と会ったのもつい最近と言っていい。イリミヤはある日突然ふらっとやってきた。母は死に父は死神の契約に失敗して死んでしまったと言っていた。確かに子供が一人になるのは珍しいことではない。遠い過去にはよくあったことだ。子供でもネフィルム族ならば十分生きていけるので心配もない。それに子供は貴重だ。誰もが大切にする… 」

 ベイルは犯罪者でも見るようにイリミヤを見た。可哀想にか弱く可愛らしいイリミヤは僕の腕の中で子ウサギのようにぶるぶると震えている。優しくイリミヤを抱きしめるとイリミヤはうつむいていた顔をさっと僕に向けた。

 僕はイリミヤの可愛らしい目を見つめて言った。

「ベイル… 僕、見たんだ。マントの中を」

 イリミヤの顔が涙で美しくゆがんだ。瞳いっぱいに涙をため、怖いのかぶるぶると体を震わせている。ベイルは悔しそうに下唇をかんでうつむいた。

 僕はイリミヤを離しさっと立ち上がるとベイルをにらみ付けた。

「ベイル! いい加減にしろ! 芝居はよせ! 僕はすべ分かったぞ! 」

 僕の言葉にベイルは何がおきたのか理解できず戸惑っているようだった。

「僕は見たっていっているんだ! マントの中を! 」

「それがどうした? それでは犯人を見たのだろう? なぜ私が芝居をするのだ? お前はマントの中に私を見たとでも言うのか? 」

 ベイルは困惑している。

「違うよ。ベイルのわけがないだろう。僕が見たのは、そう、サーダだよ! 」

「サーダ? 何を言っている? コウ。サーダがどうやって… 仮にもサーダは長だ。いくらアキラに分があるといってもまだ決まっていないメシア候補を殺すはずがない」

「でも僕は確かに見た。マントの中に光る“銀の目”を! それにあれは絶対に子供じゃなかった。この死界に銀の目を持つのはたった二人。もちろんアキラのはずがない。そうなれば一人しかいない」

 するとベイルは目を見開き瞬き一つすることなく僕を見つめた。

「何を馬鹿なことを。長が、サーダがそのようなことするはずがない」

「邪魔者を消すなら今が一番楽だ。何の能力も持たない無防備な今がね。きっとサーダも予想外だったんだよ。僕がこんなに早く紅い目の能力を引き出すとはね! 」

「能力? 馬鹿な! 山に登らずに能力を得たのか? 」

 ベイルは驚きを隠せず唖然とした。

「そうでなければ僕は殺されていたよ。あの一瞬でガンタンを使えるはずがないだろう。紅い目で消えていなければとっくにあの世いきだった」

 そう言って僕は大げさに手を左右にあげた。明らかに動揺した様子のベイルはサーダの罪を取り次ぐろうことで精一杯といった感じだった。

「しかしどうやってサーダがお前を殺すというのだ。サーダはアキラに付きっきりのはずだ。今アキラから離れることは考えられない」

「分かっている。サーダはここにはいない」

「ではなぜ? 」

「能力だ。それこそが銀の目の能力! 」

 その瞬間ベイルの顔から血の気が引いた。まるで死人のようだ。

「そ、それは違う。ち、違うのだ。銀の目の能力はそんなものではない。それに考えてみろ? なぜイリミヤま… 」

「もういいよ! 」

 僕はベイルの醜い言い訳をきくのが嫌で大声で遮った。

「ベイルは銀の目の能力を話してはいけない。僕が能力を知ったらベイルが罰せられる。僕が銀の目の能力に気付かないようイリミヤがやったかのような芝居をしたんだろう? 僕がイリミヤを傷つけられないのを承知の上で!! 」

 ベイルが苦渋の表情を浮かべている。やはり僕の推理は正しいようだ。

「銀の目の能力。それはずばり自分の分身を創り出すことだ! 」

 僕は名探偵のように人差し指をベイルに向けた。

「そう幽体とでもいうべきか。幽体を実態レベルまで創り出すことができる。自分は姿を見せることなく幽体に攻撃をさせる。幽体は斬っても潰しても何度でも復元できる。つまり完全無敵な敵と戦うわけさ。だからネフィルム族が勝てるはずがない。僕を襲った銀の目は一瞬で僕の目の前から消え去った。そう考えたら答えはでたよ。ベイル! 」

 僕は勝ち誇った目でベイルをにらみつけた。ベイルは苦悩に満ちた表情で何度も違うと首を振った。でもその痛々しい姿がさらに僕の考えが正しいことを証明していた。



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