イブリンの書斎[2]
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エイブルニアは冷静につぶやくように言った。
「馬糞女が身ごもるのはおそらく無理だ。だが諦めが悪そうだから何かやらかしそうだ。サピエンは気をつけておかないと咎めが及ぶやもしれんぞ」
サピエンマーレはハッとしたように訴えた。
「そのことなんだ。私に協力しろとは亜麻色の髪で灰色の瞳で白い肌の若い男を探して連れてこいと。オランジャが何を考えてるのかわからない…あ、いや解ってるんだが斜め上で」
オランジャは王の子供を孕む可能性が低いことを知っているのだ。
おそらく焦っているはずだ。
でっち上げてでもと考えているのだろう。
サピエンマーレが亜麻色の髪の男を引き入れたと判ればどれだけ怒りを買うことか。
アルバターラはサピエンマーレを失いたくない。
この男ほど博識な人間を知らない。
いや、探せばいるのかもしれないが何しろ良識がある。
エイブルニアは王が怒り狂うとは思わなかった。
なぜなら王は子供など欲しがっていないからだ。
我々を痛めつける口実にはするだろうから喜びこそすれ。
何れにせよオランジャ妃が破滅に向かってひた走っている事には変わりない。
自分が止めてもますますムキになるだけだ。
サピエンマーレが巻き込まれないようにオランジャと引き離さなければならない。
さて、どうするか。
エイブルニアは王にサピエンマーレに自分の仕事を手伝わせたいからオランジャの教育係から解いてほしいと頼んだ。
結局これしかない。
が、王からアッサリ却下された。
代わりのサピエンマーレの助手のリッテルメレを寄こしてきた。
他の方法を考えなければならない。
そう思っていた矢先にオランジャの懐妊の知らせが入った。
万事休すだ。
エイブルニアの書斎にアルバターラとリッテルメレ(「文字を吐き出す者」)がテーブルについていた。
「こんな時間だ。食事をしながら話そう」
通常は居間に食事を用意するのだがエイブルニアは居間に男性を入れない。
アルバターラの部屋は召使が入り浸っていて落ち着かない。
サピエンマーレの部屋は革紙、石板、木束、紙、金属板などあらゆる書物で居間も書斎も寝室もいっしょくただ。
リッテルメレも同じように書類や書き散らした文書で足の踏み場もない。
エイブルニアの書斎でインクのニオイを嗅ぎながらアルバターラは塩辛い鴨肉の燻製をひと齧りしてパンを頬張った。
王宮の食事は厨房から各部屋に運ばれてくる。
大抵はメインのシチューか肉料理とパンと蒸しジャガイモかスープの質素な食事である。
王宮での美食は王と王に召された妃がご相伴にあずかる時のみとなっている。
地方貴族や裕福な平民の方がよほど良い物を食べている。
今夜はエイブルニアの心づくしで燻製肉やナッツや菓子や上等なワインや蜜酒も並んでいる。
エイブルニアが用意した鹿や鴨の燻製肉は絶品だった。
アルバターラがニヤニヤしながら軽口をたたいた。
「イブリン、これはお前が捕ってきた肉か?」
エイブルニアの代わりにリッテルメレが答えた。
「5日前に仕留めてこられたのですよ。イブリン手ずから燻しておられました」
「我ながら美味くできた。もっと作っておけばよかったな」
エイブルニアも満足そうに言った。
冗談だったのに本当に自分で捕ってきたのか‥‥