イブリンの書斎[1]
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朝も早くからアルバターラはエイブルニアの書斎にいた。
いつもポニーテールのエイブルニアも今日は簡単に後ろで髪を束ねただけだ。
書斎の出入り口にサピエンマーレ(知恵の海)という男が立っている。
王のレギオの一人でオランジャの教育係である。
「良かった。アルバターラ、この部屋は落ち着かない」
サピエンマーレに歓迎を受けたアルバターラはオランジャ絡みの何かが起きてると考えた。
サピエンマーレは言いにくそうにだが、はっきりと簡潔に言った。
「オランジャ妃が王の子を身ごもりたいから協力しろと。2回聞き直したから間違いない」
アルバターラは衝撃で言葉も出なかった。
だがエイブルニアは小さい溜息をついただけで驚きも興味も嫌悪も見せない。
美しいが相変わらずの冷たいまなざしだ。
「サピエン、この間廊下でその馬糞女に会った。私は王に可愛がられてる。どうだ、怖いか? という挨拶を受けた」
サピエンマーレは恐縮してエイブルニアに詫びた。
「新入り特有の思い上がりと無学特有の怖いもの知らずだよ。気にしないでくれるとありがたい」
エイブルニアは気にしていないとばかりに首を振った。
おや? と、アルバターラはエイブルニアを眺めた。
エイブルニアはそういう挑発や中傷は気にしない女だ。
だが今回は少し怒り気味である‥‥ということはオランジャ妃に脅威があるのか。
普通の女なら鷹の目のひとにらみで引き下がるし、だいたい口でエイブルニアに勝てる者などいない。
だがここにきて王の特別な存在という肩書が揺らいできたのか?
オランジャは手ごわい相手のようだ。
アルバターラは密かに胸躍らせた。
「馬糞女は王宮で一番お偉くなりたいんだそうだ。そのために王子か王女の母親になるんだと。王はこれからも死ぬつもりはないから世継ぎを欲しがるとは思えないんだが。さらに言えば子供を産んだからと言ってあの王が馬糞女を特別扱いするとも思えない。面白がって喜ぶかもしれないがな。王の心の時は止まっている。昔から、これからも変わることはない」
サピエンマーレはエイブルニアの自信に驚いた。
アルバターラはエイブルニアの傲慢さが面白くない。
だがこれくらい強気でなければ王宮財務官は務まらない。
王が名付けた「イブリン」の名で呼ぶ者はいまだ居ないのも自分と同列に思う者がいないからだろう。
エイブルニアは不思議そうに言った。
「イブリン? それは子供のころからのあだ名だよ。好きに呼べばよい。嫌いなあだ名じゃない。王の名付けは『ガスピス(氷を吐く者)』だ。王もその名で呼ばないし、聞かれなかったから言わなかっただけで隠してるわけじゃない。ヤツは利便のためだけに名付けただけでガスピスは使いたがらないから、そっちは呼ばないほうが良さそうだ」
サピエンマーレとアルバターラは初耳だった。
他に知っている者がいるだろうか?
元々エイブルニアは名家出身ではあるが、王宮で名付けをされた者で元の名を変わらず使っているのはエイブルニアだけだ。
やっぱり、やっぱり、やっぱり王の特別な女なのだと二人は知った。




