二人の妃のレギオ[2]
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王がレギオに名付けを行う。
というより、名付けられた者をレギオと呼ぶのだ。
王が名付けを行うのはただ好んでするわけではない。
名付け子を支配するためだ。
王が名付け、名付け子が忠誠を誓えばそれでレギオとなる。
名付けられれば王の呪い先が特定できるので名付け子は王に服従するしかなくなるのだ。
「〇〇〇の名において」と詠唱されれば呪いから逃れる事も身代わりを立てることもできないのである。
ただし大抵の奴隷は王の名付け子になりたがる。
支配と服従とを引き換えにしても計り知れない見返りがある。
王の力のほんの一部だが与えられ、獣や竜に滅多に害されることはないし、もちろん不老となる。
むしろ王のお気に入りになりたくなかった人間はおそらくエイブルニアのみだろう。
王は一度レギオにした者はレギオから外すことはできない。
一度与えた名前を取り消すことはできないのだ。
レギオにした者が意に染まぬ時は死を与えるしかないのである。
かくして突然王の側近が消えることがあり、中には有能な者もいて支配人格のアルバターラやフェゴムーシュは人材補充に頭を抱えることになるのである。
赤毛の娘か‥‥特別手当を出さねば‥な。
エイブルニアは書斎部屋で王宮内の事柄を考え込んでいたら女奴隷が取次ぎにやってきた。
「エイブルニア様、薪屋の女将が参っております」
薪屋の女将と聞いてエイブルニアは廊下を駆けた。
「エイブルニア、無理を言ってごめんなさい」
薪積み部屋の前に白髪の老婦人がにっこりと微笑みながら待っていた。
今のエイブルニアにとって眩しい微笑みである。
「ようこそ、アグニシュ。部屋に行きましょう。お茶とお菓子があるわ」
アグニシュは決して恵まれた生活をしていない。
ドーズ家が没落しアグニシュとエイブルニアしか生き残っていない。
名家の体裁上、女当主アグニシュ・ドーズとして継いだが、かつての富は既に無い。
息子たちに薪を集めさせてエイブルニアのつてで王宮に納めて僅かな報酬を貰っている。
菓子など口にできない生活であるが、アグニシュはがっつく事無く上品に食べ、ゆっくりお茶を楽しんでいる。
この貧しい老女が自分の妹である事がエイブルニアには切なかった。
エイブルニアはいつも帰りにアグニシュに少なくない額の金粒の入った袋を持たせる。
この金はエイブルニアに定期的に入ってくる手当の一部である。
もちろん他の妃よりも当然多い手当であるが、妃達の日頃の憂さ晴らしのために劇団を呼んだり飲食会を行ったりするのに使われておりエイブルニア自身は弓の手入れくらいしか使っていない。
なのでアグニシュに渡す分は残るのである。
袋を受け取る時のアグニシュは心苦しそうな自虐の為屈辱的な表情をするが、実際にアグニシュやその息子たちの家族が暮らす糧はもう随分前からエイブルニアから受け取る金粒で賄われているのである。
アグニシュを見送って部屋に帰る途中に派手な朝日の色の縮れた髪をまとめずふわふわと垂らした女を見かけた。
アルバターラから聞いた王の興をひいた女だと見た眼で判った。
女がエイブルニア目掛けて近づいてくるので通り過ぎるのも憚られた。
「あのご婦人は妹様であらせられますか?」
挨拶をしてくると思っていたエイブルニアは一瞬虚をつかれた。
暑苦しい見た目とは違い涼やかな声音であった。
「そうです。よくご存じですね」
エイブルニアはこの女が何を考えているのか表情から探ってみた。
隠してはいるがうっすらと敵意を感じ警戒が必要だとそれとなく身構えた。
「エイブルニア妃の御妹御が経済的な無心に来るとの噂を聞いたからです」
身構えていたおかげで努めて冷静な態度でいられた。
ザっと力量を見てもこの女に劣ることはないと感じた余裕もあっただろう。
「フフフ。珍しい事ではないでしょう。妹はおくびにも出しませんが困っていることはわかっているのですから」
すると女も冷静な態度で問うてきた。
「それはお察ししますわ。私が不思議に思うのはエイブルニア様のお立場なら王宮からかなりの財を妹様に渡しても誰も咎める者はおりませんのに、どうしてそれをなさらないのか。たくさん渡すと妹様はすっかり姉上様をお忘れになってしまうのを恐れておいでなのですか?」
思わずエイブルニアは目を見開いてしまった。
なんて不躾な女だろう!
いや、噂の事もそうだが私の耳に入れないようにしているだけで皆がそのような事を思っているのか。
少し黙っていたら女は満足そうな笑みを浮かべた。
エイブルニアはワザと首を傾けながら嘲った。
「私が王宮の管財をしていることをご存じですか? 持ち出したりしたら今まできちんと合っていた帳簿が合わなくなってしまうではないですか。そんなことはできません。妹が私を忘れるとは? どういう意味なのか判りません。貴方がどなたかは存じませんが私が王の端下女であることが妹に恥ずかしいのではという意味ならば、それはありません。妹はいつも深く理解して労ってくれます」
王の端下女と聞いて女は怒りを隠せずエイブルニアを睨んだ。
「申し遅れました。王の妃でオランジャと申します。お見知りおきくださいますよう」
アルバターラの話で女の靴のサイズまで知っていたがうっかりしていたことに名前は知らなかった。
なかなか良い名だ。
「オランジャ殿、こちらこそよろしくお願いします。率直なお方と覚えておきます」
オランジャはますます強いまなざしを向けてくる。
大きな緑色の瞳で睨んでくると迫力がある。
挑むようにオランジャは言った。
「私は16歳まで両親に可愛がられ育ててもらいました。それがある日貸し馬屋の家に連れていかれ主と主の息子に手籠めにされ、女将に鞭で厭というほど引っぱたかれてやっとのことで家に帰ったら、『大事な可愛い娘や。おかげでタダで馬を貸して貰えたよ。父ちゃんの足が調子悪くてね、また頼むね』‥‥私は貸して貰ったという馬に乗って村を出てそのまま帰ってないのですよ。馬の糞と泥を念入りに身体に塗って物乞いをして。馬はすぐに取られてしまいましたが身体を汚していたので指一本触らせませんでした。でもいつまでそんなことが出来るか判りませんでしょう? ですからね、どうせ身体を差し出さねばならないなら高く高く売ってやると決めたのです。馬の借り賃と引き換えなんかじゃなくね。王宮なら上々だけれど、どうせなら妃の中の1番になってやると決めているのです」
飢え死に寸前で食べるものと引き換えならわからないでもないが馬の借り賃の代わりにとは理解できない‥‥がよくある話なのだろうなとエイブルニアはそれなりに同情した。
オランジャはさらに続けた。
「エイブルニア様、妃達の中で貴方様が一番お偉く立場がお強いと知りました。私は何を言っても何をしても許される立場が欲しいのです。それには王の一番の寵妃にならなければと思っております。そして今、王は私に夢中になっておられます」
エイブルニアにも話は読めてきた。
寵妃だか正妃だか知らないが目指してみるが良いが王がお前に惚れたりなぞするもんか。
王の心は昔から変わらないのだから。
「一番豪華な部屋をねだったらすぐに与えられました。宝物庫にある女性用の宝石は自由に私の部屋に持ち帰って良いとおっしゃいました。そして私を妃の中で一番大事な妃であると皆に知らしめてくださいませ。とおねだりいたしました。」
エイブルニアはオランジャの望むものになんの価値があるのかサッパリ判らなかった。
「王を恐れないのですか? 怒りをかうとは思わないのですか?」
「王は私に夢中なのです。何も恐れることはありません。王はおっしゃいました。妃であり、臣下である中で一番尊重されるべきはエイブルニア様であると! 2番目になれるように励めとおっしゃいました! 一度も同衾がない貴方様が家臣の頂点であると言われました。でも私は諦めません!」
エイブルニアは王の言葉を少しも意外に思わなかった。
「オランジャ殿、王は昔話が出来る女に避けられたくないからであって、寵だのは私に無いのです。古なじみであるのがズルいと言われればその通り。でも貴女は磨きが全然足りておりませんよ。苦手な読み書きに精進し、詩のひとつも作ってその美しい声で披露なさったら変わるやもしれません」
オランジャは白い絹のような肌を肩まで真っ赤にして震えだした。
言い過ぎたか?
構うものか、こやつが言った事も大概私に刺さっている。
アグニシュに纏まった資産を渡すともうエイブルニアを忘れ去り会いに来ないのではないかとオランジャは言った。
アグニシュは強く否定するだろうがオランジャのいうことは正しい。
王宮内の財に手をつけるのは厭だし、管財記録に誤魔化しを書くことも厭だができないことはない。
だが小出しにしないとアグニシュの浪費家の亭主が‥‥違うな。
やはりアグニシュに捨てられないためでしかない。
エイブルニアは忌々しい口をきいたオランジャを見て言った。
「私を気にせず貴方様のやり方で王にお仕えなさい」
オランジャは目をむいて叫んだ。
「言われなくともお前が絶対出来ないやり方でお前を超えてやるわ。見ているがいい! 鷹の目のイブリン! 男女のシスコンめ! ご清潔な御身のお手は弓弦引きでカチカチで撫でられても腫れ上がるだけと女奴隷どもが言っているのを知らないだろう!」
エイブルニアは思わずカッとなった。
「おだまり! こびりついた馬糞も取り切れないうちに宝石つけてはしゃぐんじゃない! お前程度の女ならすぐに見つけて連れてこれるんだ! お前と取り換えて王に差し出しても気が付かれないだろうよ」
お前程度と聞いてオランジャはいきり立って怒鳴った。
「私は王の子を産むわ! お前には逆立ちしても出来ないだろう? 世継ぎの母ともなればお前なんか私の足載せ台にしてやるわ」
エイブルニアはオランジャの想像も出来なかった発想に驚いた。
こやつ、頭がおかしい。
「王の子? 世継ぎだと? 正気か? 奴はもう90歳近いし既に人間でもない。あまたの女たちが過去も今もここにいるが子を身ごもったなぞ聞いたこともないぞ」
エイブルニアの呆れ声にオランジャはフッと不安の色を見せたが、もうオランジャは引き返せないのだ。
「イブリン、必ずお前の顔を踏んでやる」
その後オランジャは今まで行儀作法には熱心だったが見向きもしなかった読み書きを猛烈に習練しはじめた。
エイブルニアは貧しいアグニシュを少し裕福な老婦人にする程度の纏まった財を用意し始めた。