二人の妃のレギオ[1]
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さらに月日が過ぎ今現在、黒髪のエイブルニアは呪い王の王宮に住む妃のうちの一人である。
呪いを受ける前のオーセン滞在時でも子供のくせに可愛げなくもまったく靡かなかった女である。
以前のよしみで王宮に来いと命令しても妃になるわけがないし、自害もいとわない勢いだったが金髪の妹アグニシュを人質にして無理やり娶ったのだ。
聡明で公明正大なエイブルニアはそれこそ王が以前に好意を寄せたよしみで妃たちの中でも特別で王の横暴が通用しない王宮の中でも唯一の存在である。
王妃と言ってよい立場であろう。
エイブルニアとあと数人のお気に入り以外は妃とも女奴隷とも曖昧な立場であった。
エイブルニアの物事の本質を見抜くところは時々だがかつての女弟子のアドナルを思わせる。
己の嗜好を切り離して物事を冷静に考えるところ。
日々起こる意に染まぬ事にことさら抗うことはないが絶対に受け入れないところ。
ああ!思い出すたびに憎しみがあふれ出す。
王は頭から無理やり憎い憎い女弟子を追い出した。
呪い王は性別に関わらず若い奴隷の中にレギオと呼ばれる「お気に入り」を作っていた。
もちろん、レギオになれば奴隷ではなくなる。
女であれば上級妃に、男であれば支配人にするのである。
普通、奴隷として連れてこられた者たちはもれなく自分の不幸に嘆きながら王のお召しにおびえて過ごしているのだが、最近王宮に来たお気に入りの女は積極的に王に媚びを売ってきた。
王はその女が王宮に来た時の様子を思い出す。
浅黒く垢が浮いた汚い女だったが目を引いたのは錆びて縺れた針金を頭に乗せていたからだ。
よく見るとそれは女の髪だったのだがあまりにも汚く目立っていて王の興を引いた。
よく洗え、髪は切るなと召使に命じてそのまま忘れてしまっていた。
その後王宮で朝日のような色の髪の色白の女がその汚かった女だと判りますます興をそそられた。
針金を丸めたような髪は赤みがかった美しいオレンジ色の縮れ毛が艶々と輝き、汚れて浅黒かった肌は雪花石膏のように透き通るような白い美肌である。
女の変わりように王はますます面白く、さらに磨きをかけようと思った。
「赤毛の女よ、名前は?」
女は話しかけられびっくりしたようだが言葉少なに答えた。
「リーテス」
王はもう少しで吹き出しそうになったが威厳保持のためにこらえた。
リーテス(いえ、もう結構)とは酷い。すこぶる愉快ではないか。
名付けた者を探し出して褒美をやりたいくらいだ。
「今からお前はオランジャと名乗るがいい。今夜召すからさらに汚れを落とすように」
レギオにしたばかりの女はポカンとして返事も忘れている。
久しぶりに愉快な午後だ。
その夜、オランジャはうるさいほど派手に着飾り寝室に連れてこられた。
オレンジ色の髪に瞳と同じ色のエメラルドをいくつもピンでさし真っ白の肌を白レースと宝石で飾りただでさえゴージャスな容姿が滑稽なほど派手で場違いである。
しかもオランジャは贅沢な宝飾品、高級な酒、絵画でしか見たことも無い果物や菓子に有頂天で悲壮感など全くなかった。
少し頭が弱いのかもしれぬと思わせるほどこの呪われた寝所で夢見るように瞳を輝かせていた。
「汚い物乞い女が女神のようになったではないか。お前を洗った召使に褒美をやらねばならんな」
王は久しぶりに上機嫌である。
「あれくらい汚い恰好をしないとかどわかされるか売られちまうんですよ。川に落ちて少しマシになった途端、結局ここに連れてこられましたけどね」
なるほど、これだけ美しく目立つ女が家姓も持たない底辺の身分で安く手に入るとなればどれだけ過酷な人生になるものなのか。
汚物を塗りたくった不潔な気狂い女は自衛のための演技だったのか。
なかなか知恵がまわるではないか。
しかし字も書けない読めない、言葉遣いもなんとかしなければ。
弟子を仕込む事より楽な躾だろう。
王は召使にオランジャを教育させ、成果を楽しむために頻繁に寝所に呼んだ。
エイブルニアは最近王宮で騒ぎが少ないことに気が付いていた。
新しく入ったお気に入りの娘のおかげで王の機嫌は良いらしい。
王のレギオの一人で大陸の南のカラセン地方から来たアルバターラという男がいる。
褐色の肌に黒い髪、闇を映したような黒い瞳、隆々とした体躯だが知恵も回るという欠点の少ない若者だった。
王宮に来た頃は厚手のぼろ布に裸足の辺境の野生児であった。
アルバターラ(白いサンダル)という名は足の裏だけ白かったため、王が名付けたのだ。
王宮に来たのは結構古く、もう38年ここにいる。
今では羊毛織の長衣に革製の上着と下履き、羊毛織のマントを折り目正しく着込んで誰が見ても召使頭の装いだった。
アルバターラは今の王宮の状態を報告するようにエイブルニアの個室の書斎に呼ばれていた。
王妃格だか大弓使いだか知らないがお高く留まって愛想の無い気に入らない女だった。
なんでこの女に膝をついて報告に来なければならないのか納得がいかないが、王がこの高飛車女よりお前は下だと言われては仕方なし。
それに妃たちを上手く宥め手当も平等に回してやったりなかなか有能な女だ。
妃にしろ、女奴隷にしろ、不満を言わせず下り物を分配するなど自分には絶対に出来ない仕事である。
気に入らないし、好きではないが憎むほどでも無いし手腕に対して膝くらいつこうというものだ。
「アルバターラ、私に様付けは要らない。膝まづく必要もない。貴方とは同期のようなもの。古参のお気に入り同士でしょう?まるで嫌味を聞いているよう。」
アルバターラはエイブルニアに睨まれ、不本意な言い訳を今から言わされると思う苛立たしさを表情から隠し切れなかった。
事の起こりは呪い王が気まぐれで召使いを殺したり奴隷を追い出したりするせいで王宮は常に人材不足なのである。
絶対的大陸王が治めているなどと言っても国運営は夢物語ではない実労働、マンパワーで成り立っているのだ。
王が目が届くのはせいぜい王宮内で地方は近衛や専門の支配人が営んでおり、領主から税や貢を吸い上げ反抗的な領主は廃し適当な領主を据えるというごく普通のことしかやっていない。
結果、中間管理職である支配人たちの負担が増していくので補充しなければならない。
だが、専門職ともなるとすぐに揃えられないのでエイブルニアも駆り出されているのだ。
王宮内の会計や妃たちの生活のために働くエイブルニアは王宮内外の情報不足のために確認や手配に漏れがあるのが悩みだ。
とうとう何かと情報を回すよう王に進言した。
エイブルニアに甘い王に定期的な報告を命じられたのはアルバターラだった。
むなしい抵抗だがアルバターラは王に、そんな手間を増やさないでほしいと願い出た。
「偉大な王よ、私は貴方様に仕えているのであってあの猛禽女のために時間をオートル川に捨てさせないでくださいませ。」
王の肉が正常な左側の顔に喜びを色が見て取れた。
元々この化け物は召使同士がいがみ合うのを見るのを好んでいるのだ。
だが化け物の返事はあおりや謀も無い率直なものだった。
「アレに『余計な気を回すな、全部アルバターラに任せよ』と言うのは容易いがそれでよいのか? アレは役に立つ女だ」
アルバターラは忙しく脳内で計算したが王の言い分が正しく、抵抗は間違っていた事を理解した。
続けて王はアルバターラを決定的に打ちのめした。
「それとな、身分や階級、序列は大事だ。予がいちいち決めるのが面倒なので曖昧になっているので勘違いしたようだな。お前はアレよりも下だ。アレが予に仕えるものの中で頂点だ。覚えておけ」
アルバターラは自身を買いかぶっていたようだ。
なんでも租つなくこなす自分と、視察に走り回るザナルセン出身のフェゴムーシュと言う騎士上がり男のどちらかがここでは一番だと。
フェゴもアルバターラが認めた男である。
「猛禽女などと‥‥お許しを‥‥」
王はハッキリにんまりと口角が上がった。
「良い。アレには黙っておいてやる。真摯に仕えよ。くっくっくっ」
エイブルニアに膝まづいて自分の靴を見ながらアルバターラは言った。
「エイブルニア様に真摯にお仕えするようにと王より言い遣っております。何なりとお申しつけを」
まだ開き直れないのか、最後の言葉は声が小さくなってしまった。
エイブルニアはシンプルな木製の机で束紙とペンを持ち、長身ゆえに大型の椅子に腰かけこちらをいぶかし気に見ていた。
「申しつけて良いなら聞いてもらいましょう。免礼・美句や敬称不要・対面着座・単刀直入・ざっくばらん。これが一番肝心ですが、訳のわからない配慮が効いた不正確な報告は不要です」
アルバターラは困った表情を貼り付けた顔を上げた。
エイブルニアは目を伏せアルバターラの表情を無視した。
「王の意向とは言え貴方の私への尊重は十分に‥‥ええい、まどろこしい! お前は気に入らんだろうが10年以上も同じ釜の飯を食べていたのに今更仕えろだの階級がどうのと、奴のただの遊びなのはわかっているだろ? 部屋に入ったらさっさと情報共有。終われば出て行ってせねばならないことの続きをやれば良い!」
膝まづいていたアルバターラは立ち上がった。
「気に入らんが完全同意だ」