ドーズ家とイーライ[2]
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イーライはエイブルニアの近くまで部屋の奥に移動した。
(ああ、やはりこの娘は女たちの中で一番美しい。)
ドーズ家の家族は美形一家であり、亡くなった夫人はよほどの美女であったに違いない。
アルチバルト当主があの妖艶な現夫人に見向きもせぬほどなのだから、生きているうちに会って眼福に預かりたかったものだ。
次女のエイブルニアは不機嫌で気難しく領地内でも「鷹の目のイブリン」という二つ名があった。
遠目の視力が素晴らしく、長い手足を使い女だてらに大弓を引く女射者なのである。
イーライはこの娘に興味を持っていた。いや、まだ子供なのだが惹かれていたと言っていい。
相手は貴族であり、イーライは生涯修行の魔術師であるので何か目当てがあるわけではないが純粋にエイブルニアと親しくしたいと思った。
「姉上のご婚約おめでとうございます」
少々唐突だが会話のきっかけには親族の慶事が良い。
だがエイブルニアはにこりともせず、なんなら目もきちんと合わせず定型文が赤い唇から紡がれた。
「ありがとうございます。大魔術師様のご活躍とご無事をいつも祈っております」
ドーズ家でもてはやされている身のイーライはエイブルニアのたとえ余所行きでも笑顔を望んでいたのに期待を外され少し驚いた。
「あなたにも良いお縁談しがあるのですか? 相手の男は幸運なことです」
この歳で二つ名を持つようなじゃじゃ馬に相手などまだ無いのはわかっている。
「私のことはお構いなく。大魔術師様には少しも関係ありません。あちらに菓子が運ばれたようです。どうぞ召し上がってきてください。美味しいですよ」
取り付く島もない返事にまた驚いた。
こうまで言われてはエイブルニアの傍にいる理由は一つもなくイーライは菓子を食べに行った。
ナンニアが愛らしい笑顔で菓子を勧めてきた。
「妹が失礼を? イブリンはパーティが嫌いなのですが、父は無理やり出席するように命令したし、ステープノがからかったので機嫌が悪いのです。一番下の小さい妹には優しいのですが、誰にでも愛想のない子なのです。お許しくださいましね」
イーライは今まで従順な女というもののどこが良いのか判らなかったが、なるほど従順ならこっぴどく追い払われたり傷つくことがない。
従順な女も良いものだと思った。
ここはエイブルニアと意地でも親しく語り合う仲になってやろうではないか。
美味な菓子を味わっているとドーズ家の末娘が菓子を求めて近づいてきた。
金鎖のようにキラキラ光る髪に夏の空のような青い瞳の5歳になるアルチバルトの三女、アグニシュ・マナドーズである。
幼いアグニシュの傍に、20代後半・・いや、30代かという歳の卑しからぬ雰囲気の女がいるが、これは誰だろう。
ただの子守りか世話係なら気にも留めないが、見るからに階級が低い女ではない。
アグニシュが成長し、少し歳を取ればこんな感じかと思うほど似ているので親戚筋の女か。
が、今はとりあえずエイブルニアに近づくために、彼女が可愛がっている妹であるアグニシュに懐いてもらわねばならない。
アグニシュは素直で明朗で幸せな子供で小さな魔術で喜ばせてくれるイーライはアグニシュのお気に入りとなった。
件の傍仕えの女はアグニシュの世話係で平民の女であった。
上流婦人のような雰囲気と召し物や装身具が贅沢なしつらえなのは当主アルチバルドの愛人であるからだろう。
情報源は長女ナンニアであり、彼女はこの妹の傍仕えの婦人ギィゼル・マナブレッシャ嬢をひどく嫌っていた。
あれからエイブルニアとは少し打ち解けた話が出来るようにはなった。
やはりアグニシュに懐かれていることと、モニーシュやナンニアにある程度の距離を置いた付き合い方をしているのが良かったようだ。
ただ会うたびに(こいつ何時までオーセンにいるんだ?)と言いたげな眼差しで挨拶されるので気に入られているというには程遠い。
ナンニアは結婚間近の潔癖さで継母のモニーシュ夫人とブレッシャ嬢を軽蔑しているようだった。
父親には何とも感じていない所がやはりまだ子供である。
さらに年下のエイブルニアは違う意見のようだ。
「モニーシュ叔母様にしろ、ギィにしろ、父が全部悪いのです」
エイブルニアの話によるとアルチバルドは夫人に首ったけでありモニーシュをあくまで愛しい妻の妹という接し方で、現在も捨て置いているのである。
モニーシュ・マナナンドバルはアルチバルドから「不憫なので勝手に愛人を作りなさい」と言われたがそれでも数年はアルチバルドに尽くそうとしていた。
モニーシュは他のどこに嫁いだとしてもドーズ家の準夫人に勝る立場は無いので今の立場を守るためにドーズ家当主と実姉であるドーズ夫人に仕えることに何も疑問に思っていなかったのである。
ドーズ夫人の数回の妊娠で夫人が十分に動けない時に代わりに領内の管理や接客や行事の運営をし、アルチバルトから感謝も受けていたがそれだけの事だった。
アグニシュが生まれると夫人はいよいよ起き上がれなくなり、オーセン領の奥方の役割をほぼモニーシュがこなしていたがアルチバルドに寝室に呼ばれるどころかお茶や食事も同席を許されなかった。
夫人が亡くなった時はアルチバルドに声をかけることも許されず口を噤んでいたら、ある日アルチバルトから渋々といった態度で婚姻契約書の署名を命じられ、結婚の儀式もお披露目もなくドーズ夫人が受け継ぐ宝石も譲られることはなく新たにモニーシュが発注して揃えなければならなかった。
モニーシュは今までに十分打ちのめされていたのでこの仕打ちを屈辱的に考えることはあまりなかった。
ドーズ夫人として彼の隣に立つ機会が増える、抜かりなくオーセン領を運営すれば彼は喜ぶだろうくらいの考えであった。
「父にとってモニーシュ叔母様もアグニシュも母の命を奪われた元凶のように思っているのでしょう。いえ、父もその考えが馬鹿々々しい事は理解しているのですが。でも叔母への態度はあまりにも不当です」
ある日アルチバルトは初夏の祭りの帰りにあった「女神くじ引き」の客寄せで働くギィゼル・マナブレッシャを見るなり、連れ帰ってしまったのだ。
ギィゼルは亡き夫人によく似ていた。
女神くじ引きとはくじを買い、当たると女神に見立てた女性からキスがもらえるという云わば占いである。
女神役は美女であり、幸運と女神のキスをあわよくばそれ以上のものを手に入れようと男たちが小銭を使う。
大概はハズレだがハズレでも女神は男たちの肩や頬に触ってもっとくじを買うように甘く囁くのである。
ギィゼルは稀な美女であるが平民の女である。
美貌ゆえに親が大物を釣り上げようと獲物を選んでいる間に若さを浪費した典型的な老嬢だ。
連れ歩くにふさわしい女にするために金は惜しまず教養や振る舞いなど貴族の素養を叩き込みようやく外に出せるレベルになった。
アグニシュがギィゼルに懐いたためアルチバルトはアグニシュの世話係としてギィゼルをモニーシュ夫人に紹介した。
モニーシュ・ドーズは亡き姉によく似たギィゼルに会ったその日からアグニシュの世話を任せ、アルチバルトから離れ、他のアルチバルトの子供たちとの交流も断ち、仕事以外は私的な館で複数の優しく気の利いた男たちと過ごすようになった。
「ナンニアが叔母になぜ苦言できるのかが判りません。ナンニアの嫁ぎ先はナンニアに満足していて望まれて嫁ぐのが当然と思っているのです。ギィも容姿が美しければくじ女神にも貴族の愛人にも普通になるものです。それをなぜお針子やパン粉ね女でいなければならないでしょうか? 本当にナンニアは夢見がちだと思いましたわ。父はアグニシュにあまり会いたがりません。アグニシュが私たちの中で一番母に似ているので母を思い出して辛いというのです。でも母によく似たギィは常に傍に置いています。まあ、私は父の矛盾には興味ありませんしギィのお陰でアグニシュが寂しがらず捻くれず我がままにもならずに育っているので彼女には感謝しかありません。ナンニアと違って」
イーライは改めてモニーシュ・ドーズに同情を寄せた。