サピエンマーレの回想[4]
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カラセン人の男性は眉を顰めてじっとこちらを見ている。
支配人の一人らしきこのカラセン人が短くはっきりと言った。
「立て!」
エッカルトはハッとして慌てて直立したがはずみで折角拾った眼鏡と本を再び取り落とし、眼鏡にいたっては両方のレンズが完全に割れた。
もう最悪だ。
このありさまを見て男性は半目になって黙ってこちらを見ていたが、痺れを切らしたように口を開いた。
「挨拶は無いのか? 名乗りもしないのか? 」
エッカルトはまたまたハッとして一歩前に出たがはずみで眼鏡を踏んでしまいフレームまでも使い物にならなくなったのを見て涙目で言った。
「こ、こんにちわ‥」
男性は眉を上げ、目を見開いて口を半分空けた。
しまった、挨拶って間違ったのかな?
「あの、私はエッカルト・シュミーデと言います。私、役に立ちます! 」
支配人らしき男性は待ての仕草で言った。
「俺はアルバターラ。王宮の総支配人だ。」
そして総支配人は召使いを呼んだ。
良く眺めると総支配人は絹のシャツと革製の上着でエッカルトが今まで衣服を見た限りで一番上等な服を着ていた。
まもなく奴隷が一抱えの大きさの箱を3つ重ねて持って入り、テーブルに置いて出て行った。
「シュミーデというのは聞き覚えがあるな。類まれな知恵者だと。間違いないなら、まあ座れ」
エッカルトが座ると総支配人はテーブルの箱を開けた。
大量の眼鏡が入っている。
「とりあえずは中古品だが、度が合うのを探して使っておけ。元の持ち主の事は何も考えるなよ」
支配人は箱を手で示してエッカルトに探すように促した。
「お前は運がいい。俺は求職者には滅多に会わないが、本を持ってきたと聞いたからな」
総支配人も本がお好きなのか。
エッカルトはカチャカチャと度の合う眼鏡を探しながら満面の笑みだ。
「こちらの本がお気に召したならお持ちください。これは魔術と石に宿っている波長が作用し合う仕組みをですね、カテゴリー別に詳しくせつめ」
「要らん。興味ない」
総支配人は食い気味に拒絶した。
エッカルトは一瞬がっかりした様子だったが本を渡さなくて良いのだと思いなおし、おまけにちょうど良い眼鏡が割と高級品だったのでまた満面の笑みを浮かべて眼鏡をかけた。
総支配人アルバターラはエッカルト・シュミーデの評判は知っているがちょっと評判と違うなと不安になってきた。
だがこの王宮で空前絶後の人材不足。
悪人でも無さそうであるし、渡したい仕事はいくらでもある。
「エッカルト・シュミーデ、王宮に書庫が3つあってな、王の意向で書庫を一つにしたいが整備されていなくてそのまま移動するとどこにどの書があるか判らなくなるんだ。その整備を任せたいんだが出来るかな?」
本好きの人間に王宮の蔵書を任せるだって?
なんて、なんて素晴らしい! これ以上の待遇があるだろうか!
「思っているよりゴチャゴチャだぞ? 王はもうこの無秩序な書庫に我慢ならんとご立腹なのだが整備出来る人間が居ない。明日から出来るなら部屋を用意してや‥‥」
「やります! はいもう今夜からでも大丈夫です! あ、食事は出ますか?」
エッカルトは食い気味で請け負った。
書庫はもう何処から手を付けてよいか判らないほど荒れた状態だったが少し見ただけでも希少本の所蔵が見て取れた。
エッカルトは目をキラキラさせてこの難しい労働をこなしていった。
書物をキレイに手入れしながら書き出し、分類し、並べ替え、はっきり言って全く時間が足らない。
生涯の仕事になりそうな量である。
アルバターラはうなだれて苦悩しているエッカルトに声をかけた。
「おいおいエッカルト・シュミーデ、もう参ってるのか? やると言ったのなら絶対やり遂げろよ。うん? 2棚ほど出来てるじゃないか。この目録は完璧だぞ」
エッカルトは仕事に苦悩してるのではないと言った。
「この作業は本当に幸せなのです。ただこの素晴らしい蔵書を読むには寿命が足らない事が判ったんです。途中で命が尽きるんです」
アルバターラはエッカルトの思わぬ貪欲なところに好感を持った。
翌日、アルバターラとともに黒衣の怪人が書庫に現れた。
このお方が王なのだと直ぐに判った。
エッカルトは急いで這い蹲って頭を下げたが、また眼鏡を床にぶつけてしまった。
レンズが割れたようだ。
「よい。頭を上げて余に顔を見せよ。アルバターラ、余が現場に来る必要があったのか?」
王は荒れた書庫の埃っぽさにイライラしているようだった。
アルバターラは恭しくかつ強く主張した。
「やはり現場をご覧になって頂いて納得されてからと思いまして。とてもとても大事な事なのですから」
王はふいっとエッカルトに顔を向けて不機嫌に言った。
「余の目はフシアナではないぞ。納得しているからさっさと済ませる」
なんと、王はエッカルトに近づいてきた。
「そなたに名づけを行う。ここの書物を読み切る寿命を得られるだろう。その代わり王宮大図書館をはよう機能させるように励むのだぞ」
「え? あ、ありがとうございますぅ!」
「黙れ! 『命ある限りお仕え申します』だけで良い」
「い、いいのちある‥‥」
「黙れ! 名付けてからだ! アルバターラ、貴様が余を連れてきたのに何を笑っておるのだ!」
アルバターラはすぐに真顔になった。
王は厳かにエッカルトに手をかざして明瞭な発音で名を呼んだ。
「たった今から其方は サピエンマーレ(知恵の海)と名乗るがよい」
エッカルトはなぜかすごく冷静に落ち着いて名づけを受けることが出来た。
「偉大な王よ、このサピエンマーレは命ある限りお仕え申します」
一瞬だがサピエンマーレにヒリヒリした痛みが身体を駆け巡ったのを感じた。
「うむ。居住区に帰る。一人で帰る」
と、偉大な王はさっさと部屋から出て行ってしまった。
アルバターラはサピエンマーレに笑顔で言った。
「もう眼鏡は必要ないな。さっさと働けよ、同志よ」




