サピエンマーレの回想[2]
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エッカルト・シュミーデには計算外のことが起きていた。
エッカルトに野心が無いわけではない。
ただこの鍛冶工房の家で身を立たせることは幼少期にすでに諦めていた。
幸いなことに期待に応える優秀な弟がいてエッカルトは自分の立身への計画を進めることが出来た。
不肖の息子の自分のせいで父オットーを嘆かせることにならない事に本当に弟に感謝していた。
が、ここにきて困ったことが起きたのである。
うら若き継母のイルマがエッカルトに恋心を抱き熱い視線を送ってきたのである。
もちろんエッカルトは完全無視を決め込んで避けまくった。
これが逆効果になったのである。
イルマは思い詰めてしまい、食卓でさえ涙を潤ませてエッカルトを見つめるようになり、オットーを毛嫌いし始めたのである。
このままではオットーに要らぬ疑いを掛けられ家族の生活を台無しにしてしまう。
思い悩んだエッカルトは弟のフェルムに助けを求めた。
フェルムはエッカルトに呼び出されて離れにある本だらけのエッカルトのアテリアに居た。
気の利かない兄の事だから飲み物も出てこないだろうと、酒の弱い兄のためにエールを持参した。
案の定エッカルトは弟のために何も用意していなかった。
フェルムがさっさと本と図面と製図用具を整理してテーブルをきれいに拭ってるのを見るとさすがにエッカルトは恥ずかしくなり顔を赤らめフェルムに礼を言った。
フェルムはなぜ呼び出されたのか察しがついていたがいい歳をしていい加減にして欲しい。
継母に迫られたのは驚いただろうがアラサーにもなって逃げまわるしか出来ないとは。
事態が悪化するだけなのは神から貰ってない頭脳でも判る。
父のオットーにも一言いいたい。
師匠として尊敬するが、年頃の息子が二人いる家にろくすっぽ恋愛経験もない若い娘を嫁に貰うなんて、ナニ考えてるんだ。
イルマから見れば若い男の方が良く見えるのは解ってることだろう。
どっしり落ち着いた未亡人や仕事にかまけて行き遅れて現実を見据えた老嬢の方が良いだろうに。
少なくとも俺は老嬢が良かったよ。
なんの取柄もない普通の女を娶って若いというだけで喜んでる初老の男が父親だなんて、いい加減にしてほしい。
継母にいたっては、年上とはいえ息子に言い寄るとは。
しかも王子様顔のエッカルトにだ。
乙女か。
実家に返却される未来しか見えないがそれで良いのか?
出戻り女に世間は厳しいぞ。
エッカルトに「連れて逃げてほしい」ってどういうことだよ。
あるわけないだろ。
フェルムはエッカルトに向かって腹に力を込めて言った。
「本当に、本当に、いい加減にしてくれ!」
「ああ、あの‥フェルム、すまない。本当に‥‥いつもごめんなさい。出来の悪い兄さんをいつも助けてくれて感謝してるんだ」
こんな怒ったフェルムは見たことが無くてエッカルトはどっと冷や汗をかいていた。
フェルムは止まらない。
「出来が悪い? なんの嫌味だよ! 兄さんは頭が良すぎて何か大事な物を落っことしてきたんだろ」
フェルム、その通り。
おっしゃる通り、兄さんはポンコツなんです。
人が簡単にやっていることが私には出来ないんです。
「このままじゃ父さんに激怒されて家を追い出されてしまう。本当に困ってるし、イルマをどう対処したら良いか判らないんだよ」
エッカルトの視線はフェルムに縋った。
フェルムは表情は緩めないが口調は落ち着いてきた。
「その前に聞きたいんだけどエッケ、将来どうするんだ? まさか工房の親方を継ごうとかは思ってないだろ?」
エッカルトはフェルムの聡さに癒される。
そうそう、そういう話もこの子としたかったんだよ。
「思ってないよ。自分のポンコツぶりに気が付いた子供のころから家業を継ぐなんて考えてない。その‥‥シュミーデ工房の将来は君に任せたくて‥‥」
フェルムは躊躇せずきっぱり言った。
「それならもう家を出た方がいい。この家は俺が継ぐから。エッケは違う道で食べていけるんだし」
フェルムはむしろなぜ今まで家を出ずにいるのか、判らないと言った。
エッカルトは現実を投げつけられてモジモジと言い訳をした。
「計画してる事があって。この家を出ることは決定事項なんだけどこの本達を持っていきたいし、もう少し評判を高めてからにしたかったんだ。王宮で専属研究家になりたいんだよ」
フェルムはどうしてそれが家を出ない理由になるのか理解できなかった。
評判を集めるなんて家を出ても出来るだろうに。
エッカルトはもう少し言い訳した。
「だから、王宮に行ったら私みたいなポンコツは即処刑だろう? お役に立ちますよって評判があれば研究部門で採用があるかもだけど、即処刑ならもう君にも父さんにも弟子職人さんたちにも会えなくなるし‥‥なるべく長く一緒に暮らしたかったんだ」
言えば言うほどフェルムの目は珍獣を見る目つきになった。
「だったら王宮じゃなくて自分で請負仕事をして暮らせばいいじゃないか? 王宮から仕事を貰って顔を知ってもらうことも出来るんじゃないか? もうさっぱり意味わかんねぇよ」
エッカルトは何も言えなくなった。
「エッケ、本当の理由を言えよ。」
エッカルトは弟から受ける軽蔑を覚悟して白状した。
「まだ読めてない本があって‥‥読んでからって思ってたらズルズル時間がたっちゃって」
聞き終わらないうちにフェルムはスタスタと出口に向かった。
エッカルトは慌てて立ち上がった。
「待って、待って、フェぐっ! 」
エッカルトは躓いて倒れこみ、椅子の肘置きで鳩尾を強打してしまった。
ヒューヒューと座り込むエッカルトを置いてフェルムはさっさとアテリアから出てきてしまった。
ばかばかしい!




