サピエンマーレの回想[1]
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センクィーの北側にある鍛冶屋の長男は天才という噂は長男が幼いころからある。
なにせ5歳で6か国語に精通し10歳で図面を引き、牽引式収獲機やら分銅式昇降機やらを発明してしまったのである。
鍛冶屋のオットーには最近嫁いできた若い後妻のイルマと先妻との間の二人の息子がいる。
長男のエッカルトと次男のフェルムで自慢の息子たちである。
エッカルトは神から貰ったとしか思えない頭脳の才ある子、フェルムは実直で努力家で家業の鍛冶職の修行に真摯に邁進している。
しかも筋は良い。
オットーは腕の良い鍛冶師で師匠としての威厳ある顔を持つ反面、単細胞の俗人であり、自分の安っぽい人格を自覚していた。
顧客から誉めそやされている手前、エッカルトへの愚痴は誰にも言えないが正直に言うとエッカルトの何処がそんなに良いのかわからない。
次男フェルムの方がよっぽど自分の希望に適った息子である。
愚痴はいくらでもある。
エッカルトに鍛冶の練習をさせると必ず怪我をするし、ひょろひょろと背ばかり高くて直ぐに腰を痛めてしまう。
未だ釣り針ひとつも満足に作れないし、鍛冶師としてでなくても絶望的に不器用なのだ。
こんな役に立たない息子は追い出してしまいたいくらいオットーは内心でエッカルトにイラついていた。
ただ世間体と、工房の評判が下がるのが怖いのと、自分の性格が未熟な事を判っているので誰にも愚痴れないでいる。
それに比べてフェルムは兄の輝きに隠れてしまって評価されていないのがおかしいくらい素晴らしい鍛冶の才能がある。
フェルムは鍛冶仕事を極めようとオットーに付いて精進し、もう一通りの道具の作製は任せられる。
オットーはナイフや剣などの業物は一流の腕だが、道具類の方は正直言ってフェルムの方が腕は上である。
特に鋏をフェルムに作らせると握り具合といい切れ味といい使いやすさといいセンクィーで一番良い腕なのは確信している。
ずんぐりむっくりして筋肉質な体型も好ましい。
将来工房を任せるとすればこの子に決まっている。
とはいえ、26歳になったエッカルトの名声は農家や漁師への画期的な発明の功績でますます高まり、オットーは焦っている。
フェルムも21歳だしそろそろ嫁を探して所帯を持たせて済し崩しに工房を継がせる既成事実を作りたいオットーであった。
しかし周りの娘どもはエッカルト目当てだ。
長身でひょろひょろに痩せた銀髪赤目で眼鏡必須のこの独身の息子は猪首でガッチリした弟よりも女受けが良い。
長男がいる限りフェルムに目を向ける女は居ないのが悩みの種だった。
フェルムは思慮深く努力家で頭も柔軟であるにも関わらず兄のエッカルトの考えていることはさっぱり判らなかった。
兄は鍛冶仕事に向いてないし職人になるような才がない。
第一、神から貰った頭脳を職人にするなんて神の怒りに触れるだろう。
我が家は裕福ではないが幸い自分と父と弟子たちが工房を支えており貧しくはない。
鍛冶仕事は任せられない兄は一見、我が家の穀つぶしに見えるが設計図面を請け負ったり翻訳や専門的知識の代筆などで結構な稼ぎがあり、一部を生活費にとイルマに渡している。
父が知らない事だ。
そして稼ぎのほとんどを高価な書籍の購入に使ってしまうため、手元に財貨は残らない。
稼ぎがないのに本を買うなど、簡易文字しか読めない父から見れば愚かにしか見えない。
フェルムは父が自分に工房を継がせようと考えていることは当然判っているし、自分もそのつもりで精進している。
頭の良い兄の事だから鍛冶工房を継ごうなどとは考えていないだろうと思うが、父は兄が何かの道具や魔術で工房を継ごうとしていると思っているのだ。フェルムは兄をかばって父の誤解を解こうとも思わないし、兄にそんな義理も無いと思っている。
すでに鍛冶師となって自信を持っている自分だが、少なからず兄に思うところがあるのだろうと客観的に考えていた。




