ドーズ家とイーライ[1]
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大陸がまだ一つであった時、竜は奥地に退けられ人が満ちていた。
大陸に一人の王が君臨してから崇められていた超人たちは忘れ去られ、人々は王の支配に甘んじて50余年の月日が流れた。
呪い王の時代である。
50年前、大魔術師とはいえただの人間だった呪い王は黒竜の角を携え竜の王に挑み、自分の女弟子に唆され打ち取り殺した。
呪いを吸い取るという黒竜の角は竜王の凄まじく強力な呪いに耐えられず砕け散り、大魔術師は吸い取りそびれた呪いを受けた。
竜王の呪いとは"身体が腐ったまま100日間苦しみ抜き狂気の中で息絶えよ"という恐ろしいものであった。
大魔術師は黒竜の角で呪いに耐え抜き、息絶えることなく老いることもなく受けた呪いを己の力の道筋として開き、王として力をふるって大地の支配者となった。
ただ身体や精神は竜王の呪いに蝕まれ右半身の腐った部分は治ることなくじくじくと腐ったままである。
呪いを受ける以前は自信にあふれ知恵と野心に輝き、劣等感を知らぬ者らしく無邪気な部分も残した見目好い魔術師であった。
修行経験が身についており酒もたしなみ程度、色宿も遠ざけ食事も質素に努めるという禁欲生活であったが、王となった現在は飲み喰らい好色な事限りない。
大陸の中心センクィー地方に立てた王宮に100人余の妃を住まわせ、妃でなくても目を付けた娘は連れ帰り弄び、飽きれば殺し飽きなければ無理やり妃としていた。
腐った右半身を洗い膿を吸い取らせるための柔らかい布を巻き、その上から蜜蝋を沁ませた布を巻いて覆い、さらにうえから蜜蝋を塗って傷を完全に覆っている。
腹立たしいことにこの処置中は嘔吐で胃の中が空になるほどの悪臭に耐えなければならなかった。
適当な女奴隷に皮手袋を3重にさせて処置させ、その皮手袋と洗い水と蜜蝋を塗った刷毛を燃やして始末させるところまで10人の女奴隷を使うが、4、5日経てば表面の蜜蝋までも腐ってまた同じ処置をしなければならなかった。
こんなことになった元凶の女弟子への恨みで気が狂ったように奴隷たちを虐待しては殺していたのですぐに王宮内は奴隷不足となる。
召使どもは王宮の人員確保に始終追われている始末であった。
呪い王が魔術師であったころ、大陸の南東にあるオーセン地方を治めていたドーズ家という豪族があった。
ドース家の家系は古く、血筋正しい家であった。
大魔術師イーライはドーズ家に滞在したことがあった。
屋敷のたたずまいは豪奢で上品。
もてなしは細やかで贅沢、これぞ貴族のもてなしであった。
そのような貴族たちでもイーライの才と知識、艶のある亜麻色の髪に灰色の瞳の美しさに魅せられた。
ドーズ家の主人から召使に至るまで男も女も大人も子供もイーライに夢中であった。
当主のアルチバルト・ドーズは典型的なお飾り当主だった。
長く安定した領地の統治を甘受して、自分の地位と社会的待遇に満足しているので善良で穏やかな当主を演じている。
しくじりさえしなければ領民たちが大好きな気前の良い領主なのである。
家令たちにも都合の良い人物だ。
アルチバルト・ドーズは死別した夫人であるスザニア・ドーズとの間に息子が1人、娘が3人いる。
オーセン地方からもう少し南にある薬草や薬製品を商う金持ちのナンドバル家の長女スザニア・マナナンドバルが嫁いだのである。
アルチバルトに見初められての事だが薬問屋の家としては思わぬ玉の輿であり、降ってわいたこの幸運をやや病弱な娘に託すのは心もとないと、嫁ぐときに準夫人としてスザニアと妹のモニーシュ・マナナンドバルと一緒に輿入れしており、現ドーズ夫人はその妹のほうである。
栗色の巻き毛の夫人モニーシュ・ドーズは美しく妖艶でイーライへ秋波をあからさまなほど送ってきていた。
亭主のアルチバルトは亡き夫人こそが本命であり、準夫人でなかったら再婚相手はモニーシュではなかっただろう。
そんな様子がイーライにも判るほどアルチバルトはモニーシュに無関心であった。
イーライはアルチバルトのモニーシュに対する冷たさに同情はするが自分へのあからさまな誘惑は迷惑であった。
イーライは魔術師として精は外には出さぬよう精進しているのだ。
アルチバルトの息子ステープノ・ドーズもこれまた絵に描いたようなドラ息子であるが、父親と違ってお行儀よく客間に座って挨拶をするより領地内の森や丘を馬で駆け回るほうを好んでいるようだ。
小作人の息子たちを従え狩りをしたり、作業小屋で従者たちと獲物を解体したり樽や車輪の手入れと称して騒ぎまくるのが楽しいらしい。
そんな平和で善良な男たちに比べて娘たちは政略結婚の戦が待っていた。
16歳の長女ナンニア・マナドーズはしとやかで小麦色の肌に豊かな小麦色の髪に牝牛のような黒い瞳の美少女であるが、すでに婚約が済んでいた。
「ザナルセン地方の地主の家に嫁ぎますの」
(この方との結婚だったら)とでも言いたげなうっとりと、しかし芯の強そうな眼差しでナンニアはイーライを見た。
「おめでとうございます。ザナルセンは西南の険しい山地。遠いですがここより暖かですね」
イーライはナンニアの熱いまなざしをかわすように当たり障りのない返事をした。
ナンニアは面持ち下を向いてこれまた当たり障りのない言葉を返した。
「山から宝石が出ますの。裕福な家ですから父は安心しております。もちろん、わたくしも」
一つ上の兄の子供っぽいステープノに比べてドーズ家の女たちは幼さを早く剥ぎ取られるようだ。
ナンニアも婚約済みの落ち着いた若婦人といった雰囲気である。
14歳の次女のエイブルニア・マナドーズは控えめに部屋の奥のベンチに座っていた。
かんざし一つだけの流れる長い漆黒のまっすぐな髪、茶色に緑色の虹彩が入った神秘的な瞳、シックで宝石の縫い付けもないくるぶしまでの白いドレスを纏い貴族の娘らしからぬ地味な装いだが、気難しそうな冷たい表情に赤い唇と知的な額に少し筋を見せ、なんとも気の強そうな娘である。
背が高く細身だが骨格がしっかりしており、大人びていて14歳だが20歳に見える。
石が縫いついていないドレスは反って軽やかで優雅である。