企みが動き出す
25
エイブルニアは涙でぐしゃぐしゃになりながら部屋に帰ってきたが、召使い達は王にお小言を言われたと解したようで、おずおずと着替えとお茶を差し出し何も言わずに下がって行った。
王の約束をすっぽかした事になってはしまったがなんの咎めも無かった。
もちろん後日お詫びに王の私室に赴いたが、そこには右半分の顔を引き攣らせてもなお穏やかな王の表情をみた。
「其方はすぐに顔に出るな。呼び付けた寝室に入って来なかった事は不問である。その代わり、中庭の四阿家の付近に樹木を植えたいので森でも山でも行って探してまいれ。鷹の目で良い樹を選んで来よ。」
命じられたエイブルニアはどんな樹をお望みかとは聞かなかった。
ランダの樹は桐のイメージだったからだ。
慎ましい白い花が咲く良い香りの樹だ。
オランジャの不義の相手のバジルーはセンクィーの街に1年ぶりに帰って来ていた。
去年まで王宮の妃だという赤毛のすこぶる好い女に通っていたがいきなり会えなくなってしまって不満は募っていた。
これでもう会わないと言うことなのだろうが、手切れ金も貰ってないしあんな上等な女にはもう相手をしてもらう機会など無いであろうし。
バジルーは諦めきれなかった。
王宮の牛小屋をうろついていると呼び止められた。
「だんな、だんな、バジルーのだんな」
薄い襤褸切れを被って安物のアクセサリーをジャラジャラと付けたロマの少女だった。
顔見知りだ。
「お前は王宮の底辺召使の小娘じゃないか。例の別嬪はどうしてる?」
耳飾りと頭飾りをシャランと言わせて少女は顔を上げて大げさな身振りで言った。
「底辺は余計だよ。あたいは役に立つから王宮で働けるんだ。まあもう、追い出されちまったんだけどさ。それよりだんな、アンタ殺されるよ。早いとこ地方に隠れた方がいいよ」
バジルーは当然命を狙われる心当たりがある。
王の妃の一人と密通したら縛り首、良くて打ち首、悪くて火あぶりだ。
「バレたのか。もっと上手くやれば良かった。地方に出るったって関所をどうやって通過すりゃ良いんだ」
「それなら、あたいに付いてくりゃ間違いないよ。あたいの芸人団は地方を回るから団に紛れて移動すりゃいいよ」
バジルーは元々流れ者なので旅は慣れているし苦にならない。
ロマの元召使の話に乗ることにした。
「万事、あたいに任せときなよ。その代わりだんなは地方を出てもあたいらと一緒にいておくれよ。黙っていなくなったらだんなは終わりだよ」
バジルーはいち早く王都から脱出したくてソワソワしながら言った。
「わかったよ。しばらく厄介になるさ。お前、名前なんだったっけ?」
ロマの元召使はニッコリ笑ってはしゃいだ。
「じゃあしばらく一緒だね。このディル様に付いてきな。」
エイブルニア妃はこの季節、大勢の王宮の妃や召使たちの慰めに芸人団を抱えてもらえる大口顧客だ。
バジルーは芸人団の地方ドサ回りに付いていき、一回りしてセンクィーに帰ってきた。
酒や女を買う金は貰えなかったが食べる物と寝る屋根には困らなかった旅生活だった。
しかしもう退屈で既に限界が来ていた。
芸人団の色っぽい女たちは金持ちしか相手にしないのでバジルーなど見向きもされない。
仕方なく小娘のディルを口説こうとしたが、なんとディルは男だった。
王宮では女の方が楽な仕事が手に入るので子供なのを良いことに少女に身を窶してオランジャ妃の女中の召使として雇われていた。
がめつい癖に一生懸命働くなどしない者たちの集団なので子供といえどそういう傾向が染みついてしまうのだろう。
そう言うバジルーも他人を笑える労働意識でもないのだ。
牛飼いの仕事でも牛の放牧時間はのんびり寝ていられるし羊のように毛を刈る必要も無いし小屋の掃除もする必要は無いからやっているだけだった。
飢えの心配のないドサ回りであっても酒代は稼がなければならない。
やはり王都は実入りが良いので1年の旅回りの憂さを晴らしたい。
とりあえず金を奪えそうな身なりの良い者はいないものか。
バジルーは飢えた野犬の目つきで通りをジロジロと見まわしていた。
「王都でお尋ね者だってのを忘れてるのか? 騒ぎを起こさない方がいいよ」
ディルが忠告した。
女装を解いてアクセサリーも薄布も外して野良着を着たディルは地味などこにでもいるような男の子だった。
ディルは自分の腹を探って大きめの銀粒を20個ほどを取り出すと革の小銭袋と一緒にバジルーの前で振って見せた。
バジルーはとびきりの笑顔で「ふんふん、やーやーやー。ディル、文句ばっかり言ってたが悪かった。口癖みたいなもんでな。恩に着るよ。おめぇは最高だよ」
ディルは伸ばしたバジルーの手を除けてすぐに腹に仕舞おうとしたらバジルーが大声で怒鳴った。
「この! ちょっと物わかり良くしてたら調子に乗って、俺を舐めると痛い目に会うぞ!」
ディルは全く動じることなく冷たく言い放った。
「僕におとなしく従ってればこれ以上無いくらい良い目が見られるんだがね。僕は別にお前じゃなくてもいいんだ。もうちょっと大人しいヤツを選べば良かったよ」
バジルーはせせら笑って言った。
「せいぜい小銭を恵んで下さる程度で偉そうに言うなよ。俺を使いたいって話ならもう少しまとまった銭を用意するんだな」
ディルはニッコリ微笑んだがその目には侮蔑と見下しが混ざっていたのをバジルーは気が付かない。
「出世払いにしてくれよ」
バジルーは現時点で銭が手に入らならと興味を失い、さっきの銀粒を巻き上げることを考えた。
「ガキのお前が出世? そりゃだいぶ待たされそうだがこっちのテントでゆっくり話を聞こうじゃねぇか」
ディルが被せ気味に言った。
「出世はお前がするんだよ」
バジルーは子供のたわ言だと思いつつも儲け話のニオイに真顔になったがすぐにニヤついてディルの腕をつかんで芸の小道具が置いてあるテントに引き込んだ。
「俺が? 流れ者から御大尽になれるのかい? ははは。まさか芸人団に正式に雇うって話ならこのテントの中でじっくり聞きたいな」
言うや否やバジルーはディルの首をつかんで締め付けた。
いや、締め付けたバジルーの手からディルはスルリと抜けだした。
まるで魔法のようだ。
バジルーは焦ってディルのこめかみを殴りつけた。
骨が折れる音がしてバジルーはすぐにディルの腹の銭を探ろうと考えたが激痛が走ったのはバジルーの右手の中指だった。
ディルにその中指を強くつかまれてバジルーは悲鳴を上げた。
今度はディルがせせら笑った。
「お前みたいなろくでもない男をどこ主が雇うってんだ? まあでもお前は運は良い奴だ」
バジルーの顎からコリッと音がし、バジルーの叫び声は止まった。
バジルーの下顎がだらしなく顔からぶら下がっている。
バジルーは大量の汗をかき涎と鼻水と涙で真っ赤な顔を濡らしていた。
ディルは気の毒そうな顔をしながらバジルーの顎を撫でた。
「お前みたいな頭が弱くて、怠け者で、酒飲みで、腕っぷしは子供に偉そうにする程度なのに乱暴者で、病的に女好きのダメ男にピッタリの仕事があるんだよ」
そしてディルはバジルーの右手首を捻り上げると同時に下顎を押し上げた。
コキッ‥
バジルーは怒涛のような激痛が急に止んで、はぁはぁと深く粗い息をしていた。
猛烈にディルへの怒りが襲ったがまた同じ目にあわされたらと思うと睨みつけていた目も逸らした。
下を向いていたバジルーに布巾が差し出され、差し出し主は無邪気な笑顔を見せていた。
「ねえバジルー、王になりたくないか?」




