アドナルのさいなみ
23
夜更けに北の塔のサピエンマーレの研究室に王が来ていた。
王の目は血走り休息が必要なのが見て取れるのに眠ることも一人でいる事も拒否しているのだ。
角が足りぬなら手に入れる方法を提示せよ、余を一人にするな、なんとかせよと尋常ではない様子である。
夜に研究室に通ってきて3日めともなると王はブツブツと何か呟いているかと思えば悲鳴を上げて部屋を走り回ったりと奇行が表れてきた。
王は何かに恐怖しているように見えるがサピエンマーレも恐怖におびえる日々だ。
お師匠様、アドナルでございますよ
今宵もお会いしとうございました
「アドナルーー! 頼む、もう来ないでくれ‥‥余を許してくれ。気が狂いそうだ。もう気が済んだであろう?」
愛しいお師匠様、神に一番近いお方
おほほほ
なんとみっともない見下げ果てたご様子をお見せになるのです
気が済むなどございませぬが、今宵はもう居ぬことにいたしましょう
また明日お会いいたしましたら今度こそわたくしを抱いてくださいませ
ではまた明日の宵に参ります
くるなぁーー!
王が急に叫んだのでサピエンマーレの心臓は塔の高い天井まで跳ねた。
「サピエン、また彼奴が来たのだ。殺してやりたいが、もう既に死者なのだ。また明日来ると言いおった」
サピエンマーレは話が見えないがどうやら死者が祟って王の夢に立つらしい。
「王よ、明日来るのであれば本日はもう来ぬのでは? 今夜はそのままお休みになってはどうです? 明日までまだ2時間ほどありますし」
王は血走らせた目を見開いたかと思いきや床に頽れてしまった。
サピエンマーレはすぐに衛兵を呼んだが王が鼾をかいているのを聞いて、この姿を衛兵に見せて良いものかと思い直した。
と、しても非力な自分ではとても長身の王を運ぶことは出来ない。
サピエンマーレの懸念は当たり、目覚めた王は衛兵達を残らず殺した。
今夜、王は私室の寝室にいた。
とはいえとても一人では居られない。
昼間にエイブルニアを呼び出し夜間に居住区の寝室に来るように言っておいたからもうすぐ来るはずだ。
あの化け物にはエイブルニアを対峙させて退散すれば良いのだが。
今は何時だ? 早く来い。
王が待ち望んでいたエイブルニアが扉を叩いたのを聞き、すぐさま扉を開けた。
お師匠様‥‥お師匠様の愛しいアドナルでございますよ
まあ、お疲れのご様子‥‥わたくしが慰めて差し上げまする
「うわああああー! イブリン! イブリン! なぜ来ない! イブリーン!」
アドナルの額にある口がにぃーと裂け両端から涎が流れた。
王は思わず目を閉ざし、耳も両手で覆った。
王の叫び声は王の寝室の向かいの研究室にいるサピエンマーレにも、寝室に向かっていたエイブルニアにも届いた。
エイブルニアは走った。
いったい何が起こっているのか。
お師匠様、わたくしの膝に頭をお乗せください
くすくすっ
ああ、わたくしの涎がかからないように気を付けなくては
くっくっくっ
王はもう窓から飛び降りたくらいでは死ねない自身の命をどうやって終わらせられるか考え始めていた。
くすくすくすっ‥‥
その時、王の目の端に目映い物が映り込んだ。
目を向けると光に包まれた人影が現れた。
姿はよく見えなかったがシルエットはアドナルであった。
お師匠様! お師匠様! それはわたくしではありませぬ
お気を確かに‥‥そのアドナルは存在する者ではありませぬ
王は光の人影をまじまじと見て
「ア‥アドナルか? あああ、本当のアドナルだ! 私には解る。だがさっきまでいたお前は? いや、なんでもいいから傍に来てくれぇ」
光が近づいてきた。
王はそれを掴もう、しがみつこうと手を伸ばしたが触れることは出来なかった。
「頼む、頼む、頼む、アドナル、傍に。もっと」
お師匠様、懐かしのご主人様、なんとお痛わしい‥‥そのように苦しまれて
すべてわたくしのせいにございまする
あのアドナルはお師匠様が作り出した者でございます
お師匠様の後悔や自責のお気持ちが凝り固まった物でありまする
ご自身の代わりにお師匠様を責めるのでございます
「お前が居るのだからもうアレは出ないのか? いや、たとえ出てきてもお前さえ居れば何でもない物だ。お前が傍にいてくれれば」
お師匠様、罪深いわたくしですがもうすぐこの世に生まれ変わるのでございます
ですがその前にわたくしの最期の心残りの貴方様をお助けしたかった
貴方様をわたくしのこの世の絶望の道連れにしてしまいました
わたくしは生きていたくなかったくせに貴方様に忘れ去られるのが怖かったのです
わたくしをお忘れなきようにと、わたくしの深かった心の傷をほんの少し貴方様に負わせて
それが取り返しのつかぬ事になり、この罪の重さゆえに今の今まで転生もかないませんでした
もう貴方様のお姿を見る事も叶わぬ世に生まれると思うと、このような浅ましい魂魄の身でも貴方様をお助けしたかった
唾を吐かれようとお会いしたかったのです
王の心はもう魔術師イーライに戻っていた。
望めば叶わぬことなどこの世に無いと思っていたあの頃に。
「何を言う、アドナル。ずっと傍にいてくれるだろう?」




