母なるオランジャ
18
王の私室で家探して角の捜索をしたいが身軽なフェゴムーシュが居なければ不可能である。
しかしフェゴムーシュはよりによってセンクィーから南東方向に遠く離れたアポラセン地方に向かっている途中であり、脚の速いフェゴムーシュになかなか追いつけないでいた。
リッテルメレの話では鳥や犬に特定の人物に文書を運ぶように仕込む事が出来ると言っていたが、その手段を駆使できるのはかなり先の話だ。
それでもエイブルニアは可愛がっている灰鷹をメッセンジャーにすべく躾始めた。
こうしてジリジリと時間が過ぎる間にオランジャが臨月で、早産も考えればいつ出産が始まっても不思議ではない。
幸い北の塔に眩いほど明かりが見えるのでサピエンマーレはまだ不死の業の研究に手こずっているようだ。
だがこれも王が短気を起こせば万事休すである。
流れ者のバジルーを殺さなければならないが簡単に出来ると思えたものの、他の地方に流れたのか、見つからない。
オランジャが出産したらすぐにその赤ん坊を攫ってどこかに預けて養育しなければならない。
これはフェゴムーシュと話し合って女児ならばイーセン地方の寺へ、男児ならばフェゴムーシュの伝手でザナルセン地方で子どもを欲しがっている家に預けると決めている。
エイブルニアは焦っても仕方ないのに焦っている。
仕方ないのだからと自分に言い聞かせながら落ち着いた振りをしているし、完璧に焦りを隠せている。
オランジャの出産が先か、フェゴムーシュの帰還が先か、王によるサピエンマーレの殺害が先か、それによって対応が変わってくるのだから冷静に行動しなければ。
もちろん正解はフェゴムーシュ、オランジャの順でサピエンマーレが無効である。
エイブルニアが早朝から灰鷹の「オキュルス」に躾をしていた。
動物や鳥を躾るのはエイブルニアの得意とする事である。
日が昇った直後の王宮の庭にいたのだが、召使の女が走って来るのを見た。
「エイブルニア様、荷運びの召使が『もうすぐ居住区特製のパイが焼き上がりますので是非おいでください』と伝えてほしいと」
伝言主の名はサンドラだという。
オランジャの女中のレキサンドラだ。
分娩が始まったと知らせてきたのだ。
もちろん急いで居住区へ行かねばならない。
そしてそのままアルバターラが信用している召使の実家に一旦フェゴムーシュが帰ってくるまで預ける事になっている。
見張りも蹴散らしてオランジャのいる南西の塔に駆け付けた。
なんと、レキサンドラがたった一人で助産をしていた。
エイブルニアはこの待遇に腹を立てた。
「なぜお前ひとりなの? もっと助け手を用意できないの?」
レキサンドラは大量の鍋一つ一つに水を張り、もうもうと湯を沸かしていた。
既に薄織の柔らかい布の山は出来ていた。
そして汗をかきつつも無表情は崩さない。
「お生まれになったお子様は貴方様が攫うのでしょう? 召使を口封じで殺して回られては困りますので、お産は貴方様に手伝っていただくことにしました」
そうだった‥‥。
どうも私は思い入れのある者には冷静になれないらしい。
急いで頭に頭巾を巻き、髪を中に全部仕舞って用意してあった強い酢と強い酒で手を拭いた。
助産は母のスザニアの時と愛馬の時の経験がある。
エイブルニアは常々助産スキルは未婚既婚問わずに婦人の嗜みとしたら良いと言って憚らない。
湯気の向こうからオランジゃの弱々しい声が聞こえた。
「サンドラ、いるの? あんまり離れないで。痛いのが続いてるの」
レキサンドラはお湯を抱えて寝台に戻った。
「ご主人様、エイブルニア様がいらしてます。前掛けを付けられたらお傍に居てもらえますので」
エイブルニアは急いで忘れていた前掛けを着て腰で紐を結んだ。
勉めて冷静に普段と変わりなく声をかけた。
「モーニン、オランジャ。気分はどう?」
なんて、間抜けな挨拶をしたんだろう!
オランジャは寝台に右向きに横になり、腹をさすっていた。
「イブリン、来てくれたのね。気分? まあ、悪くない気分だけど‥‥蜜酒を一杯ひっかけて愚痴を言い合う気分じゃないわね」
痛みに顔を歪ませて健気に軽口をたたくオランジャが愛おしくて可愛らしくてウッカリ抱きしめそうになる。
エイブルニアは2、3回無意味に両腕を空中に彷徨わせたが正気に返って寝台の傍に座り、オランジャの腕に手を乗せた。
ここは任せたとばかりにレキサンドラが忙しく奥に走って行った。
「オランジャ、アンタのあの女中が欲しいわ。」
エイブルニアはオランジャが羨ましい。
「ふふふ。サンドラ? 悪くない女でしょう? いいわよ。すべて上手く終わったらね。サンドラにはアンタの所に行くように言っとくわ」
もうエイブルニアは堪らない。
「嘘よ。もう一度考えましょう。多分王は今、赤ちゃんどころじゃないから」
少し痛みが引いたオランジャはイチゴ水を飲みたがったので飲ませていたら急に叫びを上げた。
「痛い! 痛ーい!」
始まったようである。




