大魔術師とアドナル[1]
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大陸がまだひとつであったとき、初めに竜があった。
次に熱い火の力。
また次に水の力、そして生命の力、次に怪力で巨躯のトリマ、さらに偉大な知恵の魔術師ザイオンがあった。
この竜の大地に人間が満ちた。
まだ大地には足りぬものがあまたあった。
薄明のこの大地にうごめく人影。
岩だらけの荒れ地に蹲る男が弱々しく、また怒りを抑えているかのようにつぶやいた。
「これがお前の答えか‥‥」
膝をついている男の後方の岩からのそりと細い枯れ木のような人影がのぞいた。
その人影から女の声がした。
お許しを
愛しいお師匠様
わたくしはもうどうしようもないほど心がねじくれ歪んでしまったのです
師匠と呼ばれた男から凄まじい音が放たれた。
怒りの唸りであった。
絶望の咆哮であった。
「私はお前に間違いなくザイオンの才を見た。だから反吐を催すその顔に耐えて魔術を教え導いてやった礼がこれか 」
女が岩陰から離れ男に近づいて行った。
背が高く、異常なほど痩せていたが女とわかる媚のある歩き方だ。
影から現れ女の容貌がさらされた。
おぞましい‥‥。
額の位置に顎があり、眉間の口から涎が流れ、その下の鼻も穴が上方に二つ穿たれただけ。
顎の位置にある二つの金色の瞳は爛々と光っている。
「さかしまの子」
まだ満ち足りていない大地には不安定な血の異形が稀に産まれることがある。
腕が左右逆に付いていたり、腕に脚が生えていたり、手首から足が付いていたり、これらはさかしまの子と呼ばれ忌み嫌われる。
この女は顔のパーツが上下逆になっており、一層醜い。
まさに吐き気を催す容姿であった。
イーライ様
わたくしの慈悲深いお師匠様
わたくしをお憎みなさいませ
わたくしは貴方様に唾を吐かれ足蹴にされる者
膝をついて蹲っていたイーライと呼ばれる男がゆっくりと顔を上げた。
顔の右半分は溶けじくじくと汁を滴らせ、腐った布をまとった胸にあばら骨を覗かせていた。
酸を浴びたように溶け始めている。
額には1本の黒い角が生えており、悪魔さながらの異形はすでに人間ではない。
「おのれ…アドナル! 狂ったさかしまの忌み女めぇ!」
まだ若く長身で美丈夫の大魔術師イーライは竜から人間が住む土地を奪うために戦っている時にアドナルを拾った。
アドナルの生来の名前は「ランダ」といった。
顔がさかさまなのを当てつけてランダをさかさまにアドナルと呼ばれるようになったのだ。
アドナルのように忌み子のために人間が作った物にあまり触れずに生活していると魔術を受け入れやすい体質となる。
イーライはアドナルに憐れみを示し、これ以上虐げられぬように魔女として生きていけるようにと弟子とし、魔術を仕込んだ。
アドナルはイーライに気に入られようと必死に扱きに堪え、教えを吸収し片腕と呼ばれるまでになった。
イーライも竜追いにアドナルを使い、竜の住処は人間の村や町に置き換えられていった。
竜のことはあまり知られていないがイーライは比較的知識は多い。
まず、いくつか明確に種類がいる。
赤みがかった小ぶりの種類は凶暴だがさほど強くはなく油断さえしなければ仕留められる。
白っぽくて巨大な種類と黒く角がありつやつやと光っている種類は人語を解する。
この2種類は追いだしはしても殺してはならない。
死の間際に強力な呪いを吐くからである。
白いタイプの竜は数も少なく森の奥や谷にいるので滅多に住処がかち合わないので恐れることはないが、黒い角竜は殺してしまうと解けない呪いをかけられてしまうのでかなり危険で「呪い竜」とよばれている。
呪い竜は額に1本角が生えており、角に呪いの力が満ちている。
殺された途端にこの角の力が敵にぶちまけられ、逃れられない呪いを背負うことになる。
万が一殺してしまわなければならなくなったら止めはアドナルにさせなければならない。
必ず呪いはアドナルに引き受けさせなければ。
彼女はわきまえており、心得ている。
犠牲は付きものなのだ。
私が犠牲になるわけにはいかない。
そのために憐れみをかけ魔術を身に着けさせたのだ。
彼女は喜んで私の代わりに呪いを引き受けるはずだ。
そう! 命令しなくても喜んで!
だが今、イーライに何が起こっている?