第10話:微かな光を求める話
少女は覚醒した。
それは、イロアス国王と側近フィデルが飛び立つ1時間前。まだ日は跨いでいない。
仰向けだったから、天井の、いつもの腐朽した梁が少女の目にまず入った。それを見てようやく、「ああ、気づかない内に寝ちゃってたんだ」と自分の状況を理解した。毛布を上から掛けていなかったから、気絶するように床についたのも分かった。疲労困憊のときに稀にあることで、特に、この国に来てからは度々あった。
朽ちた梁は当然ボロボロ。今にも崩れてきそうであり、その光景に少女はプイと目を逸らした。その何気ない行為は現実からの逃避も含んでいたかもしれない。あるいは、やや諦めの境地だったのかもしれない。ただ、少女の目の下には隈のようなものが薄っすらとできていて、栄養不足が原因か唇は荒れていた。そのことだけは確かであった。
少女が辛苦の時も、自然世界での現象は変わらない。人間とは独立して、自然界の法則は雄大に成立する。その法則の具体化を少女の前に表出させていた。屋根の僅かな隙間から幾つかの星々が瞬いていたのである。少女の目を反らした先にそれはあった。屋根の僅かな隙間ではあるが、家の中にまともな灯りが無かったから、星達は一層強く輝いているように思えた。
しかし、それを見ても少女は何も思わなかった。いや、何かを思おうとすらしなかった。星達がどんなに煌めいても、少女はその恩恵に与れないのである。それを自覚してしまうと、顔をくしゃくしゃにし、そこらにある瓦礫を投げて壊したくなった、壁を蹴り上げたくなった、ガラスを叩き割りたくなった。だから、何も考えない。それは悟りのようであり、最善手のように思っていた。
少女は立ち上がった。がらくた同然の木製のタンスに向かう。木製といっても既に腐りかけている。そこには母の大事な形見があった。一番上の引き出しを思いっきり引く。が、それが胸の上あたりにぶつかる。ゴンと音がして、やや鈍い痛みだけが体に響いた。
この些細な出来事は、いつもならどうってことなかった。いつもなら。だけど、もう、ダメだった。少女が星を鑑賞して浸るには、心身の余裕が必要だったのかもしれない。
少女は仰いで、口を半開きに。頬は下がり、皺が出る程強く閉じる目。頭が、ぽわぽわする。
笑い飛ばせ、私。笑え、笑え!、笑うんだ、笑顔、そしたら、ほら、星も、ね?、がんば……
いや。もうダメ。ダメ!、ダメだ、なんで、わ、私が……、なんで?、どうして?
もう、誰かに、いや、ダメだ、まだ、頑張ってる?、いや、違う、無理、頑張った
ダメ、ダメ!?、なんなの、私が、ダメ?、誰も、誰か、いや私!、なんで私?、私なの?
ママ、お母さん?、何か、ダメじゃない?、頑張った?、叱る?、あ、待って、行かないで!
料理して!遊んで!踊って!歌って!抱きしめて!撫でて!お話して!褒めて!声を聞かせて!
笑顔を向けて!顔を見せて!そばに居て!遠くからでも居て!どこでもいいから居て!!居て!
居て。居てよ……。息をして……。せめて、お化けでもいいから、出てきて……。
……好きして。大好きして。大大大好きして、お願い!お願いだから!お願いお願いお願い!!
いい子だよ。魔法も上手くなったよ。人助けもたくさんしたよ。何も欲しがらなかったよ。遊ば
なかったよ。言いつけ、守ったよ。だから、お願い。置いてかないで。
少女はもうどうしたらいいか分からなかった。そう思っている間も、雨のように溢れ出てくる涙は止まらない。嗚咽を何度も繰り返した。今はもう、そうするしかなかった。
縋りつく思いで、タンスの中から1つの金色のネックレス……少女が幼いときに母から貰った形見……を取り出した。それをぎゅっと握りしめる。
金色のそれはマチネーネックレスよりは少し長く、所々黒色にくすんでいた。エンドパーツは、指輪。輪の部分が大きくて、大人が嵌めようとしてもスルリと抜ける。
ネックレスのくすんだ部分は、その道の職人であれば容易に綺麗にできたが、少女はしなかった。母親に、「これは他の人に見せてはいけないよ」と言われたこともそうであるが、そのくすんだ部分すらも母親の面影が残っていると思うと、できなかった。あのときの思い出をそのままにしておきたかった。
「お母さん……」
少女はそう呟いて、また泣いた。
この泣いている理由は少女の過去にあるのだが、その話の詳細はまだしない。その代わりに、少女の居る世界、というよりも少女の居る宇宙と光についての話を少ししよう。
私達が居るこの世界とは別の世界に少女は居る。それを私は観測している。つまり、実在はしている。そうなると、虚構ではないのだから、地球とは大きく異なった世界があるのではないかと確率的には思う。虚構や架空であれば、地球と似た宇宙の論理を展開すればよいのである。
しかし、驚くべきことに、少女の居る世界も地球と大分似通っているのである。恒星との距離、自転や公転の周期、衛星の数、他の惑星の数、元素のような存在の割合。宇宙の年齢等の極一部の例外を除いて、殆ど全て類似している。
勿論、少女の居る「惑星での話」は異なる。魔法、異能、思想、学問、宗教、生活、歴史、地理……これらは文字通り別世界のものである。だから、私は思うのだ。「??????なのであれば、????????のではないか」と。完全に憶測にすぎないが。
その中の「思想」について触れると、少女の居る世界の人々はどうも「光」というものを重要視しているらしい。私たちの世界よりも遥かに重要視している。どの宗教も、天地開闢の話には必ず光が関係するし、太陽の光は勿論のこと月光すらも愛するし、光に関する魔法は人々から畏敬の念を持たれるし、極一部の地域では光を吸収するということで植物を嫌っている過激な思想まで存在する。逆に、闇は嫌われる。
サンスベリア王国(少女が滞在している国)のように、発展している国は光を求める情熱は薄れてきている(まるで、とある哲学者が「神は死んだ」と言ったように)。逆に、そうした国や地域以外ではこの傾向は顕著であると言える。
光は面白い存在である。
物体が目に見えるのは光のお陰である。この宇宙の中で一番速いのは光とされている。様々な意味合いで光は比喩に用いられる。しかし、人間には直接見えない物質の代表として光がある。そして、この世界の人々はその内面では「光」を求めている。例え光がどんなに微かなものだったとしても、人々がどんなに快楽を貪っていたとしても。
閑話休題
ふと、少女は1つのことを想い出した。涙の河を下るように、母との思い出を駆け巡っていた時である。木の床は既に染み込んでいた。
「このネックレスにある指輪に、月の光を集めてね。」
「ママ。あつめると、どうなるの?」
「ひ・み・つ。でもね、あなたの為になるということだけは確かよ。」
この時、少女はネックレスを貰った。ネックレスに付いている指輪で月の光を収集すると、その間だけ、輪の部分が淡い紫色に光る。その遊びが面白く、妙にはまった。が、いつの日か飽きて止めてしまって、現在に至る。少女は今までそのことを失念していた。
淡い紫色に光ること以外は何も起こらなかったから、幼い自分をあやすものだったかもしれない、と少女は思った。でもその指輪を見ると、不思議とあやすためだけの玩具ではないように思えた。
もしかしたら、もっと月の光を集めればいいのかもしれない
少女が縋れるものはもうそれしかなかった、それしかなかったのだ。ネックレスを首にかけ、玄関のドアを飛び出した。
少女もまた、光を求めていた。
*この小説はフィクションです。