「第4話」
1話及び2話、紛失。恐らく内容としては、約1000年前の重大な事件の詳細を書かれていたものと思われる。
3話は大部分が紛失。以下は辛うじて残った、3話の最後の文章である。歌であると思われるが、五七調で面白いため、遺しておく。
『民衆ノ踊リ』
踊れや踊れ 踊れや踊れ 踊れや踊れ 民衆よ
武器を手に取り 魔力を練れば 我らに勝つる 敵はなし
踊れや踊れ 踊れや踊れ 踊れや踊れ 村人よ
熊に猪 蛇、魔物 何も恐るる ことは無し
相対するは 所詮は人よ 比すれば怖い ものは無し
踊れや踊れ 踊れや踊れ 踊れや踊れ 町人よ
商、技術 職人は 税を取られて 金は無し
敵を囲めば 所詮は人よ さすれば怖い ものは無し
踊れや踊れ 踊れや踊れ 踊れや踊れ 敵対者
豚、牛、鶏に 穀潰し 食うては飲んで 眠るだけ
結局どれも いつかは死ぬさ 比しても違う ものは無し
権力者に 犯罪者 金取り人取り 命取り
結局どれも いつかは地獄 比しても違う ものは無し
踊れや踊れ 踊れや踊れ 踊れや踊れ 民衆よ
武器を手に取り 魔力を練れば 我らに勝つる 敵はなし
武器を手に取り 魔力を練りて 仇なす者を 屠るなり
我らの力で 打ち破れ!!
第4話
さて、少女の話に戻ろう。
彼女の心情と決断の様相を書く上で、3人の男を紹介しなければならない。
1人は義父として、1人は友として、1人は敵として、彼女に相対した。彼らは三者三様であったが、良くか悪くか、この物語の主人公の人生に多大な影響を与えた者たちである。
これから書くのは、少女が10歳の時。まだ、誰にも会っていない。
少女は覚醒した。
薄黄色の日差しが屋根の隙間から差し込んで、その眩しさに目が覚めた。
灯りの無い屋内の、特有の暗さに差し込む光。その鋭さと初夏特有の昼前の暑さ程鬱陶しいものは無い。少女も似たことを感じていたそうで、顔を歪め、面倒くさそうに上半身だけを起こした。
身体を起こすや否や
最悪だ……
と、少女はうずくまった。両の膝に、顔を埋める要領である。心臓はドクンドクンと煩く鳴っていた。お腹はぎゅるると音を立て、その気持ちの悪さは背筋にまで届いている。少女は冬の小動物のように震え、しかしそれを慰める者は誰も居らず、孤独に沈んでいた。
少女の現在居る場所は、いわゆる廃家であった。典型的な木造建築で、屋根は高く、暖炉があり、窓は鎧戸のようになっている。メルヘンチックな、そういう部屋に少女は居た。それだけ聞けば、かなり豪勢な邸宅のようにも思える。しかし実際は長年手入れされておらず、所々は朽ちかけ又は既に朽ちてしまっており、埃に塗れ、蔓が生え、偶に吹く北風を直に感じる程、其処此処に穴が空いているようであった。その隙間風は廃木材を撫で、時には叩いて、上下左右前後、床も壁も屋根も、柱さえも、そこで生じる木の独特な鳴りを、風が止むまで響かせていた。
健全な大人であれば子どもが住んで良い場所のようには全く思わないはずである。そういう所に少女は1人、誰の許可も得ることなく滞在していた。家の暗澹たる雰囲気がその隔絶された世界の明度を低下させ、孤独という概念がより強調され、静かな沈みは一層深まっていく。朽ちた家の静寂の中で、全体の運動としてはそういう様相を見せていた。
一旦、震える身体を落ち着かせようと、すぅっと鼻から息を吸いこんだ。長年手入れをしていない空き家の、朽ちた木の匂いはここでの日常を思い出させ、少女の頬を緩ませた。そして息を吐く。
その一連の行動の慣れは、少女がその「最悪」なことについて、何度も経験していることを物語っていた。
少女は走っていた、必死に走っていた。
はぁ……はぁ……と荒い息をあげ、孤独に走っていた。
靴も靴下も無く裸足。皮は既に擦り向け、その足裏は血で真紅に染まっている。少女が唯一身に付けている白いワンピースとのコントラストが、嫌に美しかった。
その光景は、拷問の呈を成しているようであった。が、それでも、痛みを堪えて、前に前にとその幼体を突き出すように走っていた。
痛い、辛い、苦しい、嫌だ、助けて……。
後ろから老若男女の苦しそうな声が聞こえてくるが、少女は振り返ることすらできない。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
時たま、精一杯に振っている腕で目元を拭った。彼女の口からは苦しい謝罪しかでなかった。
走っている場所はずっと一直線で幅は10メートルほど。遮蔽物は無く、平坦。果てが見えず、永遠に続いているようにも思えた。もし果てがあったとしてもどこに着くのか見当もつかず、この現実と思えない世界すらも、少女が孤独であると怯えさせるには十分だった。
「どのくらい走ったかな。もう、脚を止めていいかな。」と、少女はたまにペースを落とそうとする。その時、
バァギャゥギャァァァァァ!!!
と後ろで何かが鳴った。この世のものとは思えない、甲高くて不快な音。ギョッとして後ろを少しだけ見遣ると、家より2回りは大きい、鬼のような黒い化物がこちらをめがけて追いかけてきていた。その鳴き声であった。
無数の腕は幼い体躯を捕まえようと伸ばしてくる。顔は能面の般若を黒く塗りつぶしたようであり、口元だけが赤黒く染まっていた。こちらがそれに気づくと、にやっと笑った。
食べられちゃう……!
この世界には魔物が居て、一部のそれは子どもを食べてしまうという。だから夜の森には決して近づかないように躾されるのだが、少女は本能からそれを悟った。ただ、後ろから追いかけてくるそれはあまりに奇形で、魔物どころか生物とすら思えなかった。
化物を見遣ると直ぐに前を向いた。唇を血が出る程に噛み締め、
「うああああ」
と恐怖と共に一気に叫ぶ。そうすると、己に喝を入れることができて、腕をさらに振り、脚をより前に出せるようになる。それにつれて、スカートの裾がふわっと舞っている。走っているフォームは乱雑であるが、ペースは元に戻る。
体力は不思議と尽きることなく、しかしながら呼吸はゼェゼェと今にも倒れそうであった。
こんなもの拷問である他ない。
そして、ここからの展開もいつも同じだった。追いつかれたら終いの恐怖のレースは、しばらくすると突然終わりを告げる。少女が倒れるより前に飽きが来る。化物の飽きである。
黒い腕が糸のように枝分かれし、少女に少しずつ、そっと纏わりつく。少女は必死で気づかない。
それが大人の腕1本分の太さになると、幼子の力ではそれ以上前に行けなくなり、その時になってやっと、少女は自身が捕まったことに気づく。
同じペースで走っていたはずなのに!
バタバタと可愛らしい抵抗を見せるが、化物から見ると小動物のようであった。脚が地面から離れ、身体が浮く。腕と脚が拘束され、一切の抵抗ができなくなる。地面とどんどん離されていく。
少女はもう、化物の方を見るか目を瞑るしかなかった。化物の方を見ると、それはにやりと笑った。まるで、虫籠の虫を捕まえた少年のように。
先ほどより化物に近いからか、表情を変えるたび、ミキミキと鳴る音が聞こえた。体が震えそうになる。が、少女の身体をがっちりと捕まえている化物の腕はそれすらも許さない。
そっか、私を捕まえることを楽しんでいたんだ……。だからわざと同じペースに……。
化物と少女の身体能力の差から、私は遊ばれていたんだと幼いながら気づく。そして、とうとう化物の口の中に入れられる。周囲が段々と暗くなり、もう助からないと目をぎゅっと瞑る。しかし、最後の抵抗からか、声だけは出さなかった。
お父さん、お母さん、ごめんなさい……
そう心の中で呟く。
しばらくたっても、何も起きなかった。しかし、意識だけはここにある。そうして、恐る恐る瞼を開けると、そこはいつもの朽ちた木造の天井だった。
背中は汗でびっしょりと濡れ、白いワンピースがくっつき、少し透けていた。夢を思い出したくなくて、背中の汗は暑さのせいだと必死に首を横に振り、顔をうずめた。同時に、埃だらけの毛布を上から、身体を覆い隠すように被った。そして、埃だらけの敷き布(敷き布団の代わりにしていた)をぎゅっと握りしめた。その態勢が、数十分続いた。
この家では、表通りの人の声や車両の音が良く聞こえる。路地裏にあるが、建物の老朽化から、防音性は皆無だった。そして、少し耳を欹てると、商いのおっちゃんの活気のいい声や、トンテンカンと大工の音がしているのが分かる。あるいは、女同士の世間話、浮世話が聞こえる。足音や車両の音数も多く、そうした自然と聞こえてくる表通りの音たちが、もう既に人々が活発的になっている時間であることを伝えてくれる。そのいつも通りの音に安堵した。
取り敢えず、外に出よう
生きていくための「日課」をするべく、彼女はゆっくりと立ち上がった。玄関に向かうその足取りは重い。その物憂げな雰囲気はどうも、朽ちた家の鬱屈とした雰囲気のせいではなさそうだった。
廃家のリビングを出て、廊下へ。その床も所々穴が空いており、修繕よりも取り壊すことを優先せねばならない程、朽ちていた。そのことには目もくれず、少女は廊下に出て右手、焦げ茶色のドアの方に向かう。
少女は微かな光を求めて、その玄関のドアを開けた。