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不快感と面白さ

今から書くことはすべて推論である。(いままでもそうだったけど)


自分の描いている作品(小説や音楽、漫画等)が人気でないとき考えてしまうことは二つである。

それは単純に自分の作品が面白くないため、というのと技量が足りていないためというものである。


<大多数と少数>

自分の作品が面白くないとは、製作者の感性が視聴者に刺さらないということになる。

なおこれは自分が面白いと感じないものを製作者は作らないとしている。


「人それぞれ面白いと感じるものは異なり、製作者においてはそれが特殊であるがために少数派であるからして人気が出ない。」


しかしてこれは許容の問題でしかない。

製作者が人気であることを望まないのであればそれでいい。

だが多くの人は自分の好きだと思ったことに共感してもらいたいと願うために、不満になってしまうと思われる。


<不自然の除去>

技量が足りていないとは、作品が視聴者に対してわかりにくすぎるということであったり、不快であるということである。

音楽で言うのがわかりやすい、聞いたらすぐに逃げたくなるような曲。あるいは音楽理論におけるタブーなどだろう。

とにかく、不自然であり不快になる要素を孕んでいることが技量の不足を示す。


これにおいては人間に共通する不快とある層に対しては不快の二つがあるだろう。

後者においては好みの問題なので今回は考えない、というかこっちのほうが難しいだろう。


ゆえに今回は人間に共通する不快について考えてみる。


<共通不快>

どっかの哲学者がやっていそうな話題だ。


あらゆる作品やものに対して、あるいは人格に対して共通して人が不快に思うものがあるだろう。

私はそれを理解できないものとして考える。


つまり人は

「理解できないことに対して不快を感じる」

と私は考察した。


これを元にして小説を考えよう―という事が恐らく不快だろう。

その考察の原因に対して述べられないことは説明がなく、理解しがたい。

だから今不快に思った人がいるはずだ。


今のが不快の例である。


<不快の発生原因>

人が不快に感じるのは理解できないからと述べた。

ではどのようなことに対して人は難色を示すか。


1.説明不足

これは先ほどと同じ、説明の省略により理解することが困難な状況を言う。

なにもわからないのに進んでいきたいと感じないのが人の性である。


2.説明不能

いわば感性的すぎて、人によって異なる捉え方すぎて理解が効かない。

別のことを言えば主義の対立や唐突過ぎる感性的表現、意味不明なポエム。

一般的な話題の中に個人の主観が強すぎている。


3.流れの混沌

不自然な進行。予想とは異なりすぎて噛み合っていない状況。

つまり話の流れにおける矛盾が発生しているともいえる。

この矛盾とは論理によるものと、人の持ち合わせる感性への摩擦の二つがあるだろう。


これら以外にもあるだろう。

しかしてだいたいこれらに共通する性質が見えてくる。

それは論理の否定と根本的感性の否定。


<論理の否定、根本的感性の否定>

論理の否定とはその出来事に矛盾が存在すること、主張を証明できていないことである。

いわば言いたいことの説得力がない。押しつけがましいということだ。

自分がそれを好きな理由を説明できていないがために、ただ押し付けた形になってしまっている。

人は押し付けられると不機嫌になるものだ。


根本的感性の否定とは人間が一様に持つ感性を否定すること。

例えるのであれば不自然な音楽の進行をしてしまうことである。

人が楽しく感じやすい音の流れがあるように、カノン進行や王道進行など。

人が不快に感じやすい音の流れがある。

それは音楽だけでなく文学でも漫画でも同じだろう。


だいたいこれらの発生する要因は製作者のミスと無知にある。

製作者がわざわざ人を不快にさせるために作品を描くよりもそのことのほうが多いと思われる。


<作品のテンプレート>

ではどのような作品の構成ならば人は不快に感じないのか。

それは論理と同じだと考えよう。


作品とはいわば製作者の伝えたいことを示す手段である。

そのために様々な描写を組み立てているのだ。

ただその組み立て方が人を不快にするものだというのであれば伝わりにくい。


1.何を感じたか本当に伝えたいことはハッキリと描く。

2.理由をわかるように述べる。

3.流れは単調にしない。ずっと同じ音ばかり流れる音楽は聞けたものではない。人は変化に感動する。


とにかくわかりやすく、順番に則って描けばよい。

何かを説明するときと同じくして、誰でもわかるような言葉と簡単な論理構造で作品を描けばいい。


これに従えばその作品は不快にはならないだろう。

しかしこれが面白いということでない。


なぜならその描写において特別性がないのだ、製作者の描写が平凡過ぎてしまう。


つまり私は

「わかりやすさばかりに特化すればするほど、論文に近づき、作品性から離れてしまうために、その作品は平凡になってしまう」

と思える。


その論理構造や結論に魅力を感じるのであれば、それは作品の果たす役割ではない。


<物語に引き込む方法>

不快感とのバランスが重要としたが、それが最も重要なのは作品の冒頭だろう。

ここにおいて方法を考える。


1.疑問を投げかける、感情でうったえる

2.具体的な描写を想像させて世界の中に引き込む、魅力的な描写をする

3.特殊な設定や背景で驚かす

4.勢い、一発ギャグ


できるかぎり不快でないほうがいい。

一番最初から不快にされてしまえばその作品は観られない。


しかし不快になってしまっても視聴者の心を一気に惹きつけるために勝負する、というのもまたロマンがあり、面白くなることもある。


いわば物語の流れとは緩急であるため、最初にどうするか次にどうするかの流れに面白さがあればいい。


<面白さとは何か>

何かしらに触れたとき、強く心惹かれることがある。

それは大きく分けて二つ。

感情を揺さぶられるというものと、未知のことへの好奇心である。


物語とはいわば感情の揺さぶりを手段とする。それを用いて結論への説得力を深める。

対して技術とはその扱う手段において、今までになかったものを表現する。


特異な設定による物語はその二つを孕みながらも未知の結論を導く、よくある物語は視聴者の感情を操作することが目的であり発散をさせる。


よくある物語を用いて伝えたいことは、その結論もよくあるものにしかならず、未知にはならない。それに対してはつまらないが、そこにある表現に魅力を出せる。

特異な設定ならば逆であり、その設定が故の新しき疑問を投げかけ、斬新な物語を展開する。ゆえに結論は未知のものになる。(その特殊を含めた結論であるため)


しかして基本的な物語の流れというものは両者において同じであり、それは破られない。

なぜなら物語を不快にさせてしまうためだ。


<作品の方向性>

これらのことからわかることがある。

作品は不快感と設定と描写の調整によって形を変える。


いいかえれば

「作品において不快感の程度は土地であり、設定は社会であり、描写は暮らしのようなものである」

と言える。


土地の上に社会があり、その上に暮らしがある。

土地を無くしては人が生きられないように、不快感の程度によって作品は死んでしまう。


そしてさらに

「不快感と設定、描写は互いに束縛しあい、干渉する」

だろう。


その設定が不快であることによって面白くなることもあり、その描写が設定のせいでできない(時代の違い等)こともある。

また物語の流れの上でわざと読者を不快にさせて、のちに快感を与える手法は多い。


ゆえに不快感に従順すぎても作品の幅は広がらない。


<結論>

ここまでいろいろ書いてきたが、やはり納得いかない。

それは単純なことである。


「理論を用いて描かれた作品よりも、正直に感情的な作品のほうが人を惹きつける」


その感情が伝わるように考えられればいい。

と僕は思います。


これは完全に好みかもしれないけど。


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