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凡人/非日常


 俺という人間に、果たして価値はあるのだろうか?


 全身を襲う激痛と、圧倒的な非現実に意識は支配されているのに、ふと、そんな事を思った。


「嗚呼・・・・・・、可哀想な子。私と目が合わなければ、私の邪魔をしなければ、こんな所で死なずに済んだのに」


 額から流れ落ちる紅い液体で殆ど前は見えないが、その女が笑っていることだけは、妙にはっきりと分かる。


 そうだ。俺はこの女に、この()()に、殺されかけてたんだっけ。


 女性とは思えない・・・・・・いや、人のものとは思えない人外の膂力で、俺は壁に叩きつけられたのだ。

 全身を走る味わった事のない衝撃。

 衝撃のあまりろくに吸えない息。

 口一杯に広がった鉄の味。

 どれもこれも、この圧倒的な非現実を、絶望的なまでに現実として、文字通り骨身に染みさせた。


「でも、悪いのはやっぱり、ア・ナ・タ。だってそうでしょ? ご飯を食べなきゃ死んじゃうのは私達だって同じなのよ? なのにあんなに美味しそうな女の子を、私から取り上げちゃうんだもの!」


舞台女優にでもなったつもりなのか、身振り手振りを交えて大袈裟に講釈を垂れる目の前の女は、酷く楽しそうだ。

・・・・・・けど、そんなこ事はもう、どうでも良い。早く殺してくれ。

きっと今が、一番気持ち良く死ねる。


「ねぇ、ねぇ、どんな気分? 女の子を助けて自分が殺されるのって。悲劇のヒーローみたいな気持ち? それとも超後悔?」


そんなの、決まってる。


「人生最高の気分だよ」

「はぁ?」


女は訳が分からないとでも言いた気に首を傾げたが、その疑問に答えてやる義務も、気力も無い。


「・・・まあ良いわ。どの道、あの子は()()()()()()()し」

「っ!?」


なん、だと・・・?


「だって、ムカつくんだもの。可愛くて細くて手足が長くて髪は綺麗で、化粧もしてないのに肌は真っ白! ムカつくムカつくムカつく! ああ、苛々するっ! クソビッチがっ!」


女は自分の頭を掻きむしりながら、耳が痛くなるような金切り声で罵詈雑言を吐き散らす。

だが、その内容はもう俺の頭には入って来ない。


 この女は、「また食べに行く」と言ったのか?

 じゃあ、俺のした事は? 命を懸けても、たった一度すら()()()を守れないのか?


「あなただって、あの子が可愛いから助けたんでしょ? もし殺されそうになってるのが私みたいなブスだったら、きっと助けなかったわよね? ねぇっ! ねぇっ!?」

「・・・・・・ははっ。何だ、それ」


 意識が朦朧としているせいか、女の言葉もイマイチ頭に入って来ない。

 只々、これ以上無いほど乾いた笑いだけが口から漏れる。


「何を笑ってるの? 私の顔がそんなに可笑しい? あの子と比べて笑ってるの? ねぇっ!? そうなんでしょっ!?」

 

・・・・・・まあ、そりゃそうだよな。 一度逃げた奴は、一生逃げ続ける。

今だって、俺は結局、死ぬ事で現実から逃げようとしてるだけなんだ。


「・・・・・・もう良いわ。そんなに死にたいなら、今すぐ食べてあげる」


嗚呼、くそ・・・。本当に、下らなくてつまらない、悔いしか残らない人生だったな。


「それじゃ、ちょっと遅めの晩御飯になっちゃったけどぉ。頂きまぁす!」


女がそう叫んだ瞬間、俺の目の前に突如、大口を開けた()()が出現する。


とっくに死ぬ覚悟は出来たつもりだったが、その極彩色の鱗は不明瞭な視界でも否応無く生理的な嫌悪を覚えさせた。


「っ・・・・・・!」


 目の前の恐怖が直視出来ず、固く目を瞑った、その時・・・・・・、


「がっかりだわ」


 雪解け水のように冷たく透き通った声が、聞こえた。


「ぎぃああああああああああああっ!?」

「・・・・・・え?」


突如、化物女が耳をつんざくような悲鳴をあげる。

恐る恐る目を見開くと、女の左腕が付け根から切り落とされ、どばどばと明らかに致死量を超える血が零れ落ちていた。

切り落とされた腕は鱗がびっしりと生え、いつの間にか目の前に落ちていた大蛇の首と繋がっている。


「珍しく見込みがありそうだと思ったのだけど、とんだ勘違いだったみたいね」

「うわっ!?」


突如、へたり込む俺の頭上から再びあの声が降って来たかと思えば、首元に悪寒を伴った冷たい感触が走る。

こ、これは、刀?


「私、才能の無い人は嫌いよ」

「さ、才能?」


 只でさえ混乱している頭に意味の分からない言葉。

 だが、俺は半ばパニックに陥りながらも、不思議と、その声に聞き入ってしまう。


「なっ、何なのあんたっ!?」

「五月蝿いわよ爬虫類。私は今彼と話しているの。大人しく死んでなさい」 


 首筋に触れる刃と同じくらい冷たく鋭い、少女の声音。

 だけど、何故だろうか。

強い言葉に反して、酷く寂しげな響きに聞こえた。


「まあ良いわ。あなた、()()が見えているのよね?」


首筋から冷たい感触が消える。

その正体だったものが目の前にかざされ、俺は改めて息を飲んだ。

その、あまりの美しさに。



「氷の、刀?」

「! ・・・・・・へぇ。そこまではっきりと見・・・なら、少しは・・・・・」

「・・・・・・な、にを?」


 やばい。いよいよ意識が遠のいてきた・・・。

 俺を救ってくれた誰かの言葉も、曖昧にしか聞き取れない。


「いつまで無視してんのよぉっ!? このアバズレがぁっ!」

「・・・・・・少し待ってなさい。アレを片付けて来るから」


辛うじて聞き取れたその言葉と、その人の凛とした、けれどやはりどこか寂しげに見える後ろ姿を最後に、俺の意識は途切れた。


++++++


圧倒的な非日常に蹂躙されたあの出来事の数時間前、俺、宇治峰勇気(うじみね ゆうき)は、いつも通り、今年の春に入学を果たした池ノ城高校に登校していた。

 家を出るギリギリまで寝ていたせいで髪はボサボサ。慌てて顔だけ洗った時に見た鏡の中には、いつも通りの冴えない自分が居て、朝からテンションはだだ下がりだ。


「おはようございまーす。向井先生」


 ほんの少し先の未来で死にかけるとも知らず、俺は校門の前に立つ女教師に暢気な声で朝の挨拶をする。


「おう、宇治峰か。おはよう。今日は珍しく早いな」


校門の前で毎朝律儀に生徒の服装をチェックしている体育教師の向井は、女性にしては男勝りな口調で挨拶を返して来た。一言多いのもいつもの事だ。


「酷いな~。俺、一回も遅刻した事無いっすよ」


苦笑いで適当に返事をしながら、俺は彼女の前を通り過ぎようとする。


「待て、宇治峰。そのシャツの着方はなんだ? 私に喧嘩を売っているのか?」

「へ?」


何のことやら? という顔をして、自分の首から下を見下ろす俺の後頭部に、ストンッ、と、軽い衝撃が走った。


「いてっ」

「アホ。ボタン全部掛け違えてる」


そう言いながら、再び手刀を振りかざす向井から俺は一歩後ずさり、大袈裟に手を振って追撃を阻止しようと慌てふためいて見せる。


「ちょっ、ストップストップ!? 珍しく早起きしたから寝ぼけて掛け違えちゃったんですって! すぐ直しますから!」

「はぁ・・・・・・。まったく、お前はどうにも抜けているというか、鈍臭いというか」


苦笑しながら呆れる向井を尻目に、俺はシャツのボタンを直しながら足早に昇降口へと向かう。


「そ、それじゃ、失礼しまーす・・・・・・」

「おう。慌てて階段で転けるなよ」

「はーい」


何の変哲も無い、平和な日常。

凡人の俺にふさわしい、つまらない日常。

この日常を惰性で維持する為に、今日も今日とて、俺は笑う。


++++++


わざわざいつもより早起きして学校に来たのは、別に今日から規則正しい生活をしようとか思ったわけではなく、普通に日直だったからだ。

・・・・・・そして、慣れない早起きに寝ぼけた頭は、今日が普通の日直じゃないことを忘れていた。


「おはよう。祐輝」

「あ、美・・・・・・茶月。早いな」


教室のドアを開けた瞬間、世界が色付いた。


茶月美友(さつき みゆ)。俺の幼馴染みにして、学校一・・・・いや、世界一の美少女。


「・・・・・・その呼び方、嫌だって言った」


高校に入ってから始めた名字呼びに、美友は露骨に顔をしかめる。


日本人の父と、フランス人の母を持つ彼女は、どちらかと言えば日本人寄りの顔だが、くっきりとした目鼻立ちや、色素の薄い髪と肌は母親によく似ていた。

 それでいて体は日本人らしく小柄で、細く長い脚は一人だけスカートの丈が違うんじゃないかと疑うレベル。まあ言ってみれば、両親の良いとこ取りハーフだ。そりゃ可愛くなる。

その証拠に、しかめっ面をしていても全然怖くない。むしろ何だその可愛い顔。低血圧なんだから朝からドキドキさせないでくれる? うっかり死ぬよ俺。


「祐輝、聞いてる?」

「あ、ああ。聞いてるよ。でもほら。俺達ももう高校生だしさ、幼馴染みだからって名前で呼び合うのも、何か、恥ずかしいだろ? 他の奴らに冷やかされるのも面倒だし」


俺は美友と目を合わせないようにしながら、思い付いた言い訳を並べ立てる。


「私は他の人にどう思われても気にしない」

「っ・・・・・・。まあ、お前はそうだよな」

「祐輝・・・・・・」


思わず、苦笑が漏れた。

何が思わずだ。そうしたら美友が傷つくって、知ってる癖に。


「ははっ。そんな顔すんなって。ほら、()()普通っていうか、凡人だからさ。他人の目とかも必要以上に気にしちゃうんだよ」


誤魔化すように笑い直しながらも、俺はまた、美友が求めていないと分かっている言葉を口にする。

遠回しに、俺とお前は、お前たちはもう、違う世界の住人だと告げる。


「・・・・・・そんな事無い。昔の祐輝は、もっと」

「美友、ここにいたのか」


美友が何か言いかけたその時、ドアの方から、低くよく通る少年の声が、彼女の名を呼ぶ。


「智志?」

「・・・・・・麻生先輩」


声のした方を振り返ると、ギターケースを背負う長身の眼鏡イケメンが立っていた。


「祐輝も居たのか。おはよう」

「おはよう、ございます」


俺は目を逸らしながら、ぎこちない挨拶を返す。

・・・・・・本当に、今日はツいて無い。


「はぁ・・・・・・。それはそうと、美友。今日は朝練の日だぞ。こんな所で何をしてる?」


 落胆するようにため息を吐くこの眼鏡イケメンは、麻生智志(あそう さとし)

 俺と美友の幼馴染みで、一つ年上の先輩だ。

 そして、美友と同じ軽音楽部のバンドメンバー。担当は確かベース。

 ちなみに美友はボーカルギターだ。


「今日は日直の子が体調悪くて休んでるから、代わりに私が出なきゃいけないって、昨日メンバーのトークルームに送った」

「トークルーム? ああ、あの緑のやつか」

「先輩、まだスマホまともに使えないのかよ・・・・・・」


成績優秀、スポーツ万能。見た目も少女漫画に出てくるヒーローその物なこのパーペキ幼馴染みは、家が神社なせいか妙なところでアナログだ。


「そういう流行り物の使い方を教えてくれる奴が、最近はうちに遊びに来ないからな?」

「茶月に聞けば良いでしょ。いっつも一緒に居るんだから。俺は誰かさん達と違って凡人なんでね。勉強に付いて行くのに精一杯で、遊んでる暇なんか無いんですよ」

「・・・・・・そうか」


無表情で何を考えてるか分からないとよく言われる智志は、今もいつも通りの仏頂面だが、幼馴染みの俺や美友には、雰囲気だけで何となく何を考えてるのか見当がつく。

・・・・・・もっとも、見当がついたところで、俺はどうせ目を逸らすんだが。今みたいに。


「・・・・・・夜中までパソコンで遊んでるくせに」

「何で知ってんだよ!?」


と、俺と智志が気まずくなりかけたところで、後ろから美友にチクりと刺される。


「祐輝のお姉さんが言ってた」

「あの行き遅れ・・・・・・」


幼馴染みとは本当に厄介なもので、本人がどれだけ隠したいことでも簡単に周囲、主に家族からバラされる。・・・・・・というか、マジであの万年独り身女絶対許さねぇ。


「あ、あれは別に遊んでるわけじゃない。それより、朝練あるんだろ? 残りは俺がやっとくから、二人とも行ってこいよ」

「けど・・・・・・」

「元々、日直の仕事なんて大した量じゃないし、一人で十分だよ。それより、ヴォーカルがいなきゃバンドの練習が始まんないだろ?」


俺は貼り付けたような笑みのまま、美友の返事を待たずプリント整理を始める。


「・・・・・・分かった。ありがとう」

「すまんな。祐輝」


美友と智志。

幼馴染みの俺から見ても、お似合いのカップルにしか見えない二人の背中を見送りながら、俺は心にも無い言葉を、空っぽの笑顔で投げかける。


「良いってば。バンド、頑張れよ」


これ以上、頑張ってなど欲しくはない。

これ以上、遠くに行かないでくれと、願ってやまない。

これ以上、俺の視界で、輝かないでくれ。


「・・・・・・なんて、言う度胸も、もう俺には無いんだけどな。ははっ」


独りきりになった教室に、乾いた笑いが響く。

誰も居ない場所が、今の俺の唯一の居場所だった。


++++++


 昼休み。

 俺はいつも通り、鞄から弁当を取り出してせっせと昼食の準備を整えていく。ちなみに自作だ。

あの口の軽い姉は、一応仕事はしているらしく家に金は入れているが、家事は全く出来ない。ついでに男も出来ない。ざまぁみろ。


「ウジちゃん! 食堂行こうや!」


と、俺が内心で姉への怨嗟を唱えていると、前の席からいつものお誘いがかかる。


「はいはい。席は?」

「いつも通りよろしく!」

「あいよ。俺は今日も弁当だけど、サニーは?」

「オムライス買ってくるわ!」


 サニー、こと前の席の佐々井明正(ささい あきまさ)とは、入学した時からの付き合いだ。

 出席番号順で席が前後なこともあり、クラスでも一番よく話す。

 服を着崩していたり、髪の毛をワックスでバッチリセットしていたりと、ぱっと見はヤンキーぽい彼だが、誰とでも気さくに話せる明るい性格や、意外と真面目に勉強してたりする所が好感を呼び、クラスでも屈指の人気者だ。

顔も少し尖った感じだが整っている。智志とはベクトルは違うが、それでもやはり俺とは正反対な人種だな。


「宇治峰と佐々井、今日も食堂? じゃあ私も行こうかな」

「あ、じゃあ俺もー。てか、ウジちゃんどうせ食堂行くのに、いっつも弁当だよな」

「ちょっと待てってお前ら! 俺まだ次の授業の課題終わってないんだよ!」 


 サニーが俺を食堂に誘うのを合図に、クラスのあちこちから声が上がる。

 いずれもクラスカーストの上位に位置する目立つ連中だ。たまたま席がサニーと近くて運良く一番最初に声をかけられたお陰で、地味な俺も自然とこのグループで昼休みを過ごすようになった。


「・・・・・・祐輝」

「ん? ああ、茶月。どうした?」


と、俺が席を立った所で、美友が後ろから話しかけて来る。

その瞬間、サニーを中心に集まっていたグループの連中が、にわかに色めき立った。


 茶月美友は人気者を通り越して、もはや神聖視すらされつつある存在だ。

 確かに彼女の美貌は高校生になってより洗練され、幼さや可愛さが大人の美しさに変じつつある。幼馴染みでなければ、俺も近寄りがたいと感じていただろう。

本人も集団行動が苦手な気質ゆえ、グループでつるんでいる時は基本的に近づいて来ないのだが、今日は何かが違うようだ。


「今度のライブ。日程決まった。来れる?」

「っ! ・・・・・・そっか、頑張れよ」

「見に来て、くれる?」

「・・・・・・考えとく」

「うん。待ってる」


言いたい事だけ言うと、美友は自分の席にとことこ戻り、弁当を広げ始めた。・・・・・・はぁ。こっちの苦労も知らないで。


「な、なぁ、ウジちゃん? 前から思ってたけど、茶月とどんな関係なん? 同中って言ってたけど」


サニーは何でも無い風を装いながら問いかけて来たが、全く装えていない。美友の事が気になって仕方が無いといった感じだ。

 まあ、馬鹿正直にこうして詮索してくるのはサニーくらいだが、他の連中も考えていることは似たような物だろう・・・・・・。

だから、俺はこういう時の為に用意していた言葉を、用意していた顔で口にする。

ごく自然に、無意味に。

よく見てろサニー。作り笑いってのは、こうやるんだよ。


「家が近いから知り合いってだけだよ。うちの町内マジ高齢化半端なくて、同年代の子供も少なかったから、たまに一緒に遊んでたり。まあ、茶月は見たまんまお嬢様だから、あんま話とか合わなかったけど」

「へ、へぇ~。そっかそっか!」



相変わらず顔に考えてることが出まくりなサニーは、俺の言葉を聞いて安心したのか、肩の力を緩める。他の連中も同様だ。

まったくもって、下らない。それ以前に、こんなやり取りには果てしなく意味が無い。

俺との関係がどうだろうと、どの道、お前らじゃ茶月美友には届かない。

何故なら、彼女には最も近くに、誰よりも相応しい相手がいるのだから。


「美友、いるか?」

「智志? どうしたの?」


 今朝と同じように、教室のドアから顔を覗かせた智志が、美友の名を呼ぶ。 

 その瞬間、今度は教室中がざわついた。


「今度のライブの事でミーティングをする。弁当を食べ終えたら部室に来てくれ」

「ん。分かった」

「じゃあ、後でな」


ごくごく自然なやり取りだが、ああして美友と自然に会話できる男子生徒は、この学校に智志しかいない。

基本的に美友はあまり口数が多くないし、加えて極度の人見知りだ。勇気を振り絞って話しかけた男子は何人か居たようだが、伝え聞く限り全員スルーという名の玉砕のもと散っていったらしい。

 ドンマイ、サニー(棒)。


「やっば! 麻生先輩マジやばい!」

「イケメン過ぎ」

「あのメガネになりたい」


こういう時の女子の反応は男子より露骨だ。一人おかしいのが混ざってる気がするが、まあ思春期の女子なんて大抵頭がおかしい。


「「「・・・・・・」」」

「メガネ、かけようかな・・・・・・」


そして、こういう時の男子の反応は大抵無言。勝てないと分かっているが、素直に負けを認められるほど器が成長していないのだ。一人おかしいのが混ざっているが、まあ思春期の男子なんて大抵頭がおかし。多分似合わないからやめとけ、サニー。


「ね、ねぇ、茶月さんて、麻生先輩と付き合ってるの?」

「「「っっっっっっ!!!!!!」」」


と、勇気ある女子が美友に確信を突く質問をする。当然、全員の注目が集まった。・・・・・・どうでも良いけど、いつになったら俺は昼飯にありつけるんだ? どいつもこいつもどんだけミーハーなんだよ。

因みに、俺がこの状況で落ち着いていられるのは、美友の答えを既に知っているからである。


「・・・・・・あなた、誰?」

「「「・・・・・・」」」


ですよねー・・・・・・。入学して既に二ヶ月以上。今は六月の半ばだ。にも関わらず、美友はクラスメイトの、それも同性の名前すらろくに覚えていない。


「え、えっと・・・」

「私、部活行くから」


例の女子が何か言いあぐねていたが、美友は全く取り合わず、既に食べ終わったらしい小さな弁当箱を片付けて席を立つ。・・・・・・はぁ。まったくあいつは。


 俺は美友が教室を出たのを確認してから、何事も無かったように口を開く。


「サニー、そろそろ食堂行かないと、オムライス売り切れるんじゃない?」

「え? あ、本当だ! やっべ!」

「ねえ! 吉田さん!」

「う、宇治峰、くん?」


俺は美友にスルーされた女子の名を呼び、改めて笑顔を作る。


「これからサニー達と食堂行くんだけど、一緒に行かない?」

「え、でも、私お弁当・・・・・・」

「俺もだよ。だから皆が買いに行ってる間、この人数の席取り一人でするの大変でさ。良かったら手伝ってくれない? お礼にアイスかジュース奢るから。お願い!」


俺は顔の前で手を合わせ、懇願のポーズを取りながら苦笑してみせる。


「・・・・・・もう。分かったって。じゃあ行こ?」

「あざっす!」

「お、ウジちゃんナンパ成功? よっしゃ! これで心置きなくオムちゃん迎えに行けるわ~」

「サニーのオムちゃんはもう他の誰かの物かもしれないけどな」

「こっわ!? ウジちゃん怖い!」


「「「あははははっ」」」


 サニーの大袈裟なリアクションを見て、皆が笑う。

 これで良い。

 意地汚く美友と智志の視界に居座り続ける俺が出来ることは、せいぜいこの程度だ。


++++++


「サニー、今日は部活?」

「いや、今日は昨日の練習試合の振替で休み~。どしたん?」

「暇ならどっかで一緒に宿題やらないか? 終わったら適当に遊んでも良いし」


放課後のホームルームも終わり、皆が帰り支度をしてめいめいに席を立つ中、俺は珍しく自分からサニーに声をかけた。

今日は朝から何かと気疲れしたせいもあってか、憂さ晴らしがしたかったのかもしれない。

美友や智志に遊ぶ暇が無いと言ったその口で、クラスメイトを遊びに誘うとは、我ながら酷い自己矛盾だ。いや、ただの嘘つきか。

 そんな俺の虚しい自己嫌悪に気づいた様子も無く、サニーはいつも通り人好きのする笑顔で二つ返事を返してくれる。


「オケ。どこでやるよ? 図書館?」

「外かな。サニー図書館で静かにしてらんないだろ?」


適当な理由をこじつけたが、本当は校内に居たくないだけだ。

あいつらの居ない場所に、逃げたいだけだ。


「勉強してる時くらい黙るわ! 俺のこと何だと思ってんだよ?」


  お調子者。なんてな。


「はは。冗談だよ。小腹が空いたから、外でなんか食べながらが良いと思って」

「ああ。それはある。てか言ってたら普通に腹減ってきたわ」

「それな」


サニーとつるむようになって分かった事だが、カーストが上位のグループになればなるほど言語のレベルが下がる。大体、「それな」「ないわ」と言っていれば会話が成立する。

決して頭の悪い連中ばかりというわけでは無いのだが、その場のノリというか、空気を大切にしているからか、中身は空っぽの会話になりがちなのだ。


「んじゃ駅前のモールでいんじゃね? ゲーセンあるし」

「オッケー。じゃあ行くか」

「うぃ」


 二人して適当に喋りながら教室を後にする。・・・・・・背中に視線を感じたような気がしたが、敢えて無視した。

 何を問われても、どうせ答えなんて持ち合わせてはいなかったから。


++++++


「うっわ・・・・・・。カフェ激混みじゃね?」

「確かに・・・・・・」


 ショッピングモールの一階にある、学生でも入り易いオープンな雰囲気のチェーン店カフェ。

 俺たちが外で時間を潰す時は大抵ここなのだが、いつもは多少混んでいてもすぐ入れるその場所が、今日は完全に満席で、短い行列すら出来ていた。

しかも店内は八割が女性。残りの二割の男性は皆カップルの連れ合いだ。


「あ、コレのせいじゃね?」

「・・・なるほど」


サニーが指差した方を見ると、何やら「いちごフェア!」なるものをやってるらしく、確かにやたらとピンク色のメニューがディスプレイの中で目立っていた。客のテーブルの上もピンクだらけだ。ピンクだらけって、何だか、いかがわしい・・・・・・。


「ウジちゃん?」

「え? ああ、ごめんごめん。どうする? 少し待てば入れそうだけど、俺には男二人でこのピンクだらけの中に突入する勇気は無い」

「え? でも逆にオモロくね?」

「グッドラック」


 俺はピッと親指を立てて見せ、カフェに背を向けてスタスタと歩き出す。


「ちょいちょいちょいちょいっ!? ストップッミーウジちゃんっ! 流石に一人は無理だから! ロンリーいちごフェアは拷問すぎだから!」

「ストップじゃなくてウェイトな。でもロンリーいちごフェアは想像すると面白いから、今回は見逃してやるよ」

「何で上からなんだよっ!」

「はははっ」


サニーと過ごす他愛ない時間は、正直心地良かった。

上位カーストの連中特有の自尊心みたいな物を殆ど見せないし、美友や智志と居る時のような劣等感も、全く感じないとは言わないが、彼のちょっとアホでお調子者な気質故か、気にならない。

・・・・・・だけど、きっと今のこの関係は刹那的な物だ。

だからこそ、俺は笑える。


「てかどうするよ? モールで勉強出来そうなのとか、ここくらいしか無くね?」

「う~ん。駅の反対側のファミレスかな。あそこ安いし。多分近くにカラオケとか遊ぶとこも結構あった気がする」

「ああ! あっちな。でもあの辺最近なんかアブなくね?」

「・・・・・・そういえば、ホームルームで先生がそんな事言ってたな」


サニーに言われて、聞き流していた担任の言葉を思い返す。


なんでも最近、繁華街で意識不明の女性が発見される事件が多発しているとか。しかも、全員顔に大きな切り傷を付けられているらしい。

それと並行して、「精神喪失」と呼ばれる症状の患者が、病院に度々運び込まれているという話も聞いた。

 会話は問題なく出来、記憶もあるが、著しく感情表現が欠落して、寝たきりならぬ、()()()()()()()()()()。それが「精神喪失」だ。

 事件の被害者女性達も、これと同様の症状が出ているそうだ。

 そう言えば、ニュースでも取り沙汰されてたっけ。 ・・・・・・とは言え。


「別にそんな遅くまで遊ばないし、そもそも俺ら男だから関係ないだろ?」

「それな。んじゃ行くか!」


相変わらずの軽いノリで承諾し、サニーは駆けだす。流石にモールの店内を走る蛮勇は真似できず、あっという間に遠のく背中を早足で追いかけた。


俺が追いかける背中は、これくらいがちょうど良い。


++++++


「終わった~! あぁ疲れた。うちの学校の宿題マジで多すぎっ!」

「それな~」


サニーと適当な会話をしながら、遊び場を探して繁華街を歩く。

中学の頃とは比べ物にならない圧倒的な量の宿題を片付け終えた頃には日も暮れ、繁華街を照らす役目は夕焼けからネオンへと引き継がれていた。


「あ、やべっ!? ウジちゃん隠れろ!」

「へ? っておいっ!?」


何を見て焦ったのか、サニーは強引に俺の腕を引いて路地に連れ込み、口の前に人差し指を立てるという古風なジェスチャーをしている。

 ・・・・・・どうでも良いけど、男同士で路地裏で密着とか怪しさ満点トキメキ零点なイベントはマジで勘弁して下さいお願いします。


(ウジちゃん! ほらあれ、向井じゃね?)


俺が居心地の悪さに顔を顰めていると、サニーは大通りの一点を指差し、語義を強めて囁くという無駄に器用な話し方で理由を説明した。


(・・・・・・見回りしてるっぽいな。学校の近くで夜遊びはやっぱまずいか。どうするサニー?)

(う~ん。しゃーない。今日は帰るか)

(だな。この路地を反対側に抜けて、駅まで戻ろう)

(おう。てか俺ら今スパイみたいじゃね? ミッションインポッシボー)

(スパイと言うより逃亡中の指名手配犯て感じだけどな。ほら、下らない事ばっか言ってないで、さっさと行くぞ)

(え~、スパイの方がカッコいいじゃん)


 ぶつくさ言いながらも、サニーは大人しく俺の後ろに付いてくる。

 この繁華街の喧騒の中で足音を殺しても、意味が無い上に逆に怪しいから普通に歩きなさい。


「そういえばさ、ウジちゃんて麻生先輩とも知り合いなんだよな?」

「何だよ唐突に・・・・・・。てか、声でかくなってるぞ」

「もう大分離れたし大丈夫っしょ。それよかさ、どうなのよ実際? やっぱあの二人って付き合ってんのかな?」

「知らないよ。昼も言ったけど、俺はもうあいつらとはつるんでないから」 


 緊張状態から脱した反動か、苛立ちが声に出てしまう。

勝てないと分かっているが、素直に負けを認められるほど器が成長していない。・・・・・・まったく、誰の事を言ってるんだか。


「そか~」

「そうだよ。だいた、い・・・・・・?」


噂をすれば影、なんて、悪い冗談を間に受けるつもりはないが、今俺の視線の先では現実に影がさしていた。

美友だ。大通りを挟んで反対側の路地に、美友とスーツを着た女が連れ立って入っていく。


「・・・・・・サニー。悪いけど、先に帰っててくれ」

「え? ウジちゃん?」

「急用が出来た。また明日!」

「えっ!? お、おう・・・・・・?」


釈然としていないサニーの声を背中で聞き流しながら、俺は駆け出していた。

体育以外でろくに運動なんてしない体は急なアクセルに軋みを上げているが、そんな事に構っていられないくらい、俺はどうしようもなく焦っていた。


「茶月っ!」


周囲の目を気にする余裕も無く、俺は大声であいつの名を呼ぶ。

 だが、まだ五十メートル近く距離がある上、繁華街の喧騒は荒波のごとく俺の声を飲み込んだ。


 ・・・・・・それでも、見てしまったのだ。美友をどこかに連れて行こうとしているスーツ姿の女の、異様を。 


 首筋の悍ましい極彩色の鱗と、ギョロリとした爬虫類のような瞳。一目でこの世ならざる化物だと悟った。


 これだけの距離で、どうしてそこまではっきりと視認出来たのか、自分でも分からない。もしかしたら目の錯覚かもしれない。と言うか普通に考えればそうだ。

だとしても、このまま放置するなんて選択肢は俺には無かった。

力が足りないのは思い知っている。その役目が俺に与えられた物じゃないことも・・・・・。

けど、守れないのはもう嫌だから。

俺があいつの、あいつらの世界から消えるだけなら構わない。

でも、俺の世界に色を与えてくれたあいつらが、俺の世界から居なくなるのは、もう耐えられない。


 だから、叫んだ。


「っ・・・・・・美友ーーーっ!!!」


 弾かれたように美友がこちらを振り向く。

 幸い、二人はまだ路地の入り口にいた。すぐ近くに人目もある。話をするなら今の内だ。


「はぁ、はぁ、な、何してるんだ? こんな所で」

「・・・・・・ふんっ」


 駆け寄った俺はどうにか息を整えて、まずは状況確認をしようと問いかける。

 だが、美友は何故かぷいっとそっぽを向いてしまう。


「あの、茶月さん?」

「っ!? もうっ! もうっ!!」

「え、えぇ?」


まともな言葉を発さず態度だけで謎の怒りを訴えてくる美友は、すこぶる超絶愛らしく、どうにか緊張感を保とうとするも、表情筋はそろそろ限界を迎えそうだ。やめろ。頼むからこれ以上悶えさせるな。さもないと俺が不審者になって捕まる。

・・・・・仕方ない。こうなったら美友は頑固だ。気は進まないがもう一方に水を向けるしかない。


「こ、こほん。えっと、お姉さんは、こいつを何処に連れて行こうとしてたんですか?」

「・・・・・・いえ、特に何処かへ、という事は。私はこういう者でして、彼女をスカウトしていたのですよ」


 例の女は俺の問いかけにしばし躊躇う表情を見せると、懐から名刺を差し出してきた。


「芸能事務所?」


女の名刺には勤めているとおぼしき会社名と、「野石舞歌(のいし まいか)という名前が印字されていた。


「はい。私はそこで女優やアイドルのマネージメントを勤めています。駅前でたまたま彼女を見かけた瞬間に光るものを感じまして、声を掛けさせて頂いた次第です」 


 なるほど。一応の筋は通っている。それに、珍しいことでも無い。

 美友は幼い頃からその圧倒的な可愛さ故に、街に出れば子役、アイドル、モデルとスカウトが絶えなかった。

 だが、幼い頃の美友は引っ込み思案で今以上に人見知りだった為、俺や智志が側に付いてそういう類の連中から遠ざけていたのだ。

それが今やギターヴォーカルとしてバンドを率いているのだから、世の中分からないものである。・・・・・・っと、そんな感慨にふけってる場合じゃ無いな。


「申し訳ないんですが、これからこいつと晩飯食べる予定なんで、また今度にしてもらえませんか? こいつにその気があれば、名刺の連絡先に電話させるんで」


そう言って、俺は使い慣れた作り笑いを浮かべつつ、内心では色々な意味での勇気を振り絞って美友の手を取り、それとなく俺の後ろ、大通り側に移動させる。

 美友はまだ拗ねているのか頰をほんのりと赤らめたままだったが、特に抵抗を見せずされるがままになった。


「・・・・・・ご飯の約束なんていつしたの」

「お、おいおい、さっき帰る前にしたじゃないか! まったく忘れっぽいやつだなぁもう!」


 しっかり後ろから刺してきやがったが。頼むから今だけは空気読んでくれ!!

「ふんっ」


お姫様はますますご機嫌斜めなご様子だが、黙っていてくれるなら今はそれだけでありがたい。


「じゃあ、そういうことで。俺たちはもう行くんで」


少々強引にだが、俺は話を切り上げて美友の背を押しながら大通りに出ようと女に背を向けた。


・・・・・だが、


「っ!?」


恐ろしく強い力で腕を掴まれ、危うく後ろに倒れかける。

 振りほどこうと前に体重をかけるも、女は全く微動だにしない。


「・・・・・・待ちなさい」


 明らかに先ほどまでとは違う底冷えするような声に慄きつつも、顔半分だけなんとか振り向く。

 ・・・・・すると、そこには極彩色の鱗と不気味な金眼を持つ、化物が立っていた。


「祐輝? どうしたの?」


 やはり、美友には見えていない。

 恐らく、俺以外の誰もこの女の異様が見えていない。

 でなければ、そもそも美友が大人しくついて行く筈も、周りがそれを放置する筈も無い。

 

 ・・・・・・俺だけだ。今、美友を守れるのは。


「・・・・・・茶月、先に帰っててくれ。俺はこの人と話をつけてから追いかけるよ」


 作り笑いは慣れていたつもりだが、右腕に感じる以上なまでの圧力と、二次元の世界にしか存在しないと思っていた()()と呼ばれるであろう背後の恐ろしい気配に、表情筋は引き攣り倒していた。

 それでも、今は笑う。

 今こそ、笑って見せる。


「? そ、それなら、私も一緒に・・・・・」


 流石に事態の異常性を感じ取ったらしく、美友は不安げな表情で再びこちらに来ようとする。

 ・・・・・その瞬間、背中に感じていた殺気が一瞬和らいだような気がしたが、代りに、もっと悍ましい気配が漂ってくる。まるで、舌なめずりでもするような。

 だめだ。不味い。

 これ以上この状況を長引かせてはいけない。そんな焦燥が、衝動になって俺を駆り立てた。


「いいから! 行け美友っ! 走れ!」

「っ!? ゆ、祐輝?」

「早くっ!!」

「う、うん」


 俺のあまりの剣幕に怯えたように、美友は駆け出した。

 だが、後ろ髪を引かれるように、一度だけこちらへ振り返る。

 だから俺は、笑った。

 引き攣った顔で。それでも、怯えなど微塵も滲ませぬよう精一杯の間抜けな顔で、笑った。

 

++++++


 ・・・・・そして、冒頭の非現実的な体験の後、時は現在に戻る。


「っぁ・・・・・・ん?」


 俺は後頭部に疼痛を覚え、わずかに意識が覚醒した。

 ・・・・・・えっと、俺、どうしたんだっけ?

 確か、美友を逃して、蛇女に壁に叩きつけられて、それから・・・・・・、


「目を覚ますのが遅いわよ。男のくせに随分とヤワなのね」

「え? えっ!?」


 ぼやけていた視界が徐々にクリアになって行くにつれ、俺はじわじわと冷や汗を流す。

 いつの間にか、上から俺の顔を覗き込むように見ている見知らぬ少女と、目が合ったのだ。

 あまりの至近距離に思わず飛び上がりそうになったが、体が全く言うことを聞かない。

 長い黒髪と、怜悧だが整った顔立ちの大和撫子然とした美少女だ。

 だ、誰だ・・・・・・? 

 と言うか、この後頭部に感じる痛みとは別の暖かくて柔らかい感触は?


「いてっ!?」

「誰が、いつ、その小汚い手で私に触れて良いと言ったのかしら? まったく、起きたそばから盛るなんて、とんだお猿さんね」


 俺が頭の下にある()()に手を伸ばそうとした途端、その手を思い切りはたかれた。絶妙に手の甲の硬い部分を当てられたせいで、超痛い。一瞬他の痛みを忘れかけたほどだ。

 だが、お陰で完全に目が覚めた。

 よく見れば、俺の手や足に包帯が巻かれている。見えないが、多分頭にも。

 この少女が俺を手当てしてくれたのは明白だ。

 それに、彼女の声には聞き覚えがある。


「あ、あんた、さっき助けてくれた人だよな? その、ありがとう。手当ても含めて。けど・・・・・この状況はどういう?」


 上から俺の顔を覗き込む彼女の顔と、後頭部の温もりを帯びた柔らかい感触。

 この二つが指し示す解は、ただ一つ。


 そう、膝枕だ。


 いやいやいや。ちょっと待て。待ってください。何が、「そう」だよ。カッコつけて誤魔化そうとしたけど無理だろこれ。どう考えてもおいし・・・・・・いやおかしいだろこの状況!?

 だが、動揺を隠せない俺とは対照的に、彼女は涼しい顔で淡々と言葉を紡ぐ。


「どうもこうも無いわ。後頭部に傷がある人間を、硬いベンチや地面に寝かせるわけにはいかないでしょう? 頭を打ったせいで、そんな事も分からなくなったの? それとも、元々頭が悪いのかしら」

「そ、そりゃどうも」


 な、何だこいつ・・・・・・。綺麗な顔してめちゃくちゃ口悪いな。絶対友達いないだろ。

 まあ、化物が相手とはいえ不甲斐なくやられてた俺を助けてくれたんだし、文句は言えないけど・・・・・・って、そうだ!


「あいつは!? あの蛇女はどうしっごふぅっ!?」


 あの化物がまだ美友を狙っている事実を思い出し、慌てて起き上がろうとした俺の腹に、いきなり激痛が走る。


「大人しく寝ていなさい。頭を打った直後はしばらく起き上がらない方が良いって、保健の授業で習ったでしょう? 貴方のような猿はどうせ得意科目なんて保健体育の保健くらいなのだから、使う予定も無い性知識ばかり増やしてないで少しは役に立つ知識も蓄えなさい」

「だ、だからって、怪我人の腹に刀の柄を叩き込まなくても良いだろ・・・・・・」 


 こいつ今どこから刀を出したんだ? いきなり目の前に現れたように見えたんだが?


「口で教えるより、体に教えた方が分かり易いでしょ。貴方みたいな単細胞生物は特に。それと、あの爬虫類は暫くは大人しくしてる筈だからご心配無く。誰かさんの治療を優先したせいで逃げられてしまったけど、あれだけのダメージを回復するにはかなりの時間が掛かるはずよ」

「そ、そうか。良かった・・・・・・ところで、今更だがその刀やあの化物はいったい何なんだ?」

「困ったわ。それを体に教えるにはあと数百発ほど貴方を殴らなくてはいけない・・・・・・」

「普通に口で教えてくれ。そして困ったと言いつつ振りかぶりながら楽しそうな顔をしているように見えるのは俺の気のせいか?」


 俺は見逃さなかった。口元を隠すように添えられた手の下でニヤリと曲がった唇を。・・・・・と言うか絶対わざと見せただろ。


「あら、頭だけじゃなくて目も悪くなったみたいね。仕方ないわ、治療しましょう。えい」

「うおぁっ!? 危なっ!? ってうおっ!?」


 こ、こいつ、躊躇なく目潰しをしようと・・・・・・、間一髪避けたけど。

 そして避けたせいでスベスベした太ももに頰が当たってドキッとしたけど。

 ちっ、仕方ないな。今回はこのスベスベに免じて引き分けという事にしといてやろう。


「死ね」

「何故わかった!?」


 くっ、こいつ、俺の心が読めるのか!?


「貴方のような本能で生きるエテ公が考える事なんてお見通しよ。その伸びた鼻の下が何センチか測って、貴方が助けたあの女の子に『さて、これは何の長さでしょう? ヒントは貴方をねちっこい目で見ている男の顔の一部です』というクイズを出してあげましょうか?」

「やめろ! それだけはやめてくれ!」


 美友にストーカー扱いされるくらいなら、社会的に死んだ方がマシだ!


「・・・・・・けど、一つだけ分からない事があるわ」

「は? 何だよ、いきなり」

「どうして貴方、あの子を助けたの?」

 

 心底不思議そうに首を傾げる彼女に、俺は当たり前の事を当たり前の顔で告げる。


「いや、どうしても何も、幼馴染・・・・知り合いの女の子が、あんな化物に路地裏へ連れ込まれそうになってたんだ。普通助けるだろ?」

「普通、あんな躊躇無くその化物がいる所に飛び込むかしら? しかも、女の子だけ逃して自分は残るなんて、どうかしてるわ」

「あの状況じゃそうするしかなかったんだよ。・・・・・・というか、さっきから聞いててどうも引っかかるんだが、あんたまさか、最初から全部見てたのか? だとしたら、どうして俺が投げ飛ばされる前に助けてくれなかったんだ?」

 

 厚かましい事を言っている自覚はあるが、俺はともかく美友が襲われると分かっていて傍観していたと言うのなら、黙っては居られない。

 

「助けられた分際で随分と偉そうな物言いね。余計な言葉を話さない分まだ猿の方がマシだわ。・・・・・とは言え、確かに見ていて放置した、と言うより、観察していたのは認めましょう。でも仕方がないでしょう? まさか無策であの状況に突っ込んで行くなんて思わなかったんだもの。貴方の慌てぶりからして、あの蛇女の異様が見えていたのは明らかだったし、私の刀と同じように、何らかの対抗手段を持っていると考えるのが普通でしょう?」

「うっ・・・・・・、そう言われてみれば、まあ、確かに」


 なるほど。彼女が何もしなかったんじゃ無く、俺が余計な事をしたのか・・・・・。と、再び後悔に打ちひしがれた物の、言葉の割に彼女は気にしていないのか、ケロリとした表情で話題を変える。


「一応聞くけど、貴方、()()()()()を見るのは今回が初めて?」

「は? 当たり前だろ。まさか、あんな気持ち悪い化物が他に何体もいるのか?」

「そういう意味では無くて、ああいう非科学的な存在を見るのは初めてなのかってこと」

「そりゃ初めてだよ。霊感とかも無いし。オカルトの類には縁が無い人生だ。・・・・・・いや、だった、か」

「・・・・・・なるほど。そういうケースもあるのね・・・・・・」


 何やら考え込む仕草をしたまま、毒舌少女は黙り込む。

 改めて見ると、彼女はちょっとその辺には居ないレベルの、壮絶な美人だった。

 凜とした恐ろしく整った顔立ちに、華奢ながら女性らしい主張をしている身体のライン。


 ・・・・・だが、その美麗な容姿以上に、醸し出す雰囲気があまりに()()()()だ。


 生で芸能人とか政治家に会ったことは無いが、所謂オーラというのは、今俺が彼女に感じているそれなのだろう。

 美友とはまた少し違うが、こうしてイレギュラーな事件でも無い限り、とても自分から話しかけようと思える人種じゃない。・・・・・・あ、それ以前に名前すら聞いてなかったな。


「なあ。あんた、名前はなんて言うんだ? ああ、俺は宇治峰って」

「いいわ。やっぱり説明は明日にしましょう」

「は?」


 俺の言葉を無視して、彼女は何やら一人で納得して頷く。


「さっきの貴方の質問。あの爬虫類や私の刀が何なのかって聞いたわね。体に教えてあげるにしても、今の状態でこれ以上ダメージを与えたら、流石に死ぬかもしれないし」

「いやだから普通に口で説明してくれよ! ・・・・・じゃなくて! 何を勝手に話を進めてるんだ!?」

「明日、特別に私の方から貴方を迎えに行ってあげるわ」

「迎え? ちょっと待て。いまいち話が飲み込めないんだが?」


 唐突に訳の分からない事を言い出す目の前の少女に、俺は只々困惑する事しか出来ない。


「それじゃあ、今日の所はゆっくり寝て、明日までにきちんと回復するのよ」

「え? ちょ、おまっ!? 何でまた刀を振りかぶって・・・・・がはぁっっ!?」


 てかこの傷明日までに回復とか絶対不可能だろ!!・・・・・と、叫ぶはずだった俺の喉は、無理やり押し出された大量の呼気によってまともな言葉を発する事が出来なくなっていた。


「おやすみなさい」


 そして、鳩尾(みぞおち)に走った激痛と、耳に残るやけに冷たい、けれど不思議と柔らかく響いた声音と共に、俺の意識は再び遠のいて行ったのだった・・・・・。


                  



      続

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