99 セーラの体に眠っていた記憶1(今世の回想)
私のそれまでの人生は、とてもつまらなく淡々としたものでした。
毎日毎日、礼儀作法や勉学に励む日々。
自由に敷地から出ることも許されず、唯一の楽しみは二歳下の弟と遊ぶ時くらいでした。
けれど、あの日。彼と出会うことで私の人生は一変したのです。
五年前。
その日、保養地へ向かう予定だった私は侍女と二人、馬車に揺られていました。
年に一度だけ許される小旅行。弟と二人で思い切り羽を伸ばす予定でした。
そんな道中、なんの前触れもなく馬車が大きく揺れたのです。
「きゃー!!」
強い衝撃を受け痛い頭を支えながら辺りを見回すと、先ほどまで壁だったものが床に変わっていて、この馬車は横転したのだと気が付きました。
私の向かい側には、一緒に乗っていた侍女が倒れています。
「――しっかりして!」
頭を打ったのかもしれないので、早く救助して診てもらわなければ。
そう思いはしたけれど、ここからはしばらく出られそうにありません。
――野盗に襲われたのかしら……。
先ほどから、なにかと戦っているような声がずっと聞こえてきます。
この馬車を襲うなんて、命知らずな方もいたものだわ。そう思いながらも、こんな時は一歩も外へ出てはいけないときつく教え込まれていたので、私は息を潜めていました。
すぐに護衛によって野党は討伐されると思っていたけれど、外の声が次第に減っていきました。
ついには何も聞こえなくなり不審に思った私は、先ほどまで窓だった天窓を見上げました。
その時です。
「きゃっ!!」
天窓から見える空は、巨大な顔によって塞がれてしまいました。
緑色の醜い丸顔、図鑑でしか見たことがないけれど、間違いなくはあれは。
「オーガ……」
目が合った瞬間、にやりと笑ったオーガは馬車を大きく揺らし始めました。
震えながらもとっさに、侍女に覆いかぶさりました。
この場で私に出来ることは、息を殺しながら侍女がまた頭を打たないように保護するだけです。
馬車を襲っているということは、護衛は全滅。
後ろから遅れてきている弟が合流するには、まだ時間がかかるはずです。
絶望的に感じていると、外が再び騒がしくなりました。
人のようには思えないうめき声が何度もあがり、それは馬車を揺らしていたオーガにも及びました。
オーガの絶叫と共に再び天窓から空が見えるようになると、地面が大きく揺れオーガが倒れたのだと悟りました。
何が起きているのか分からず呆然と天窓を見上げていると、また何かが窓から私達を覗き込みました。
一瞬身を震わせましたが、今度は人だと分かりほっと息を吐きました。
味方かどうかも分からないのに、人というだけで安心してしまいました。
「おい!大丈夫か?」
「……はい。私は無事ですが、侍女が頭を打って……」
「頭をうったなら下手に動かさないほうがいいな。取り敢えず、お前だけでも引き上げてやるよ」
彼は細腕で軽々と私を引き上げて、外へ出してくれました。
私を救い出してくれた彼は、黒いぼさぼさの髪の毛を後ろで一本に束ね、グレーの瞳は右側が眼帯で隠れていました。
使い込まれた槍を携え、申し訳程度に急所を覆っただけの鎧を身に着けています。
一目で冒険者だと分かりました。
「助けて頂き、ありがとうございます。私は――、きゃっ……!!」
感謝の姿勢を取ると地面にオーガが倒れているのが見え、思わず後ずさりました。
辺りを見渡すとあちらこちらにオーガ倒れているのが見えます。
もう動かないと分かっていても、恐ろしい光景に目を覆いたくなりました。
「貴方様が全て倒されたのですか?」
「いや、数体は奴らが倒したようだ」
指を刺された方向に視線を向けると、護衛が倒れているのが見えました。
「私達の馬車を守るために……そんな……」
「おー、泣くな泣くな!泣いたって死人は生き返らないぞ」
「分かっています……けれど……」
「あーっ、もうっ!困った嬢ちゃんだな!」
彼はそう言うと、私を抱き寄せてしまいました。
――淑女に気安く触れるなんて……!
慌てて離れようとしましたが、力が強くてびくともしません。
「騒ぐな、少し落ち着け。こうすると安心するだろう?俺も昔は母親にこうされたもんだ」
優しく頭を撫でられると、本当に先ほどまでの不安な気持ちが和らいでしまいました。
「……お優しいお母様なのですね」
「ん……。まぁ、育ての親だけどな」
私とさほど年齢が変わらないように見えますが、オーガを容易く倒してしまえるなんて、幼い頃から苦労なさったのかもしれません。
「落ち着いたか?ちびっ子」
「ちっ……、ちびっ子ではありませんわ!私はもう十三歳です!」
「あ?俺と二歳しか違わなかったのか。それにしては小さ……いや、でかいな」
「どっ!どこに視線を向けていらっしゃいますの!貴方、先ほどから淑女に対して失礼ですわ……」
「ははははは!淑女?お前面白いこと言うな!気に入った!名前はなんて言うんだ?俺は――」
何が面白いのか私にはさっぱり分かりませんでしたが、彼は私を気に入ったようでこの後、保養地まで護衛をしてくれたのでした。
これが、失礼極まりない彼と私との出会いでした。




