第1章
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「本当にすまない、アニーシャ…」
「お父様、そんな沈んだ顔をしないで下さいませ」
「しかし…」
あれよあれよとモントニール侯爵の元に嫁ぐ事が決まった当日、アニーシャは不安そうにこちらを見る両親と使用人一同に大丈夫、と微笑みかける。
「私も心配ですわ…アニーシャの事を…力を」
「よせ、カリーヌ」
アニーシャの母、カリーヌの言葉を遮るように険しい面持ちで言い放つと、モントニール侯爵から迎えとして送られた御者を一瞥して小さく呟く。
「お前の力は、お前の為に使いなさい」
「……はい、お父様」
しっかりと、力強く頷く娘に少し安堵したのか、先程より緊張の取れた顔でアニーシャを抱きしめる。
「いつでもお前の味方だ、アニーシャ」
「えぇ、ありがとう」
その意図するところを察したアニーシャは、そっと父の頬にキスをし、次いで母にも熱い抱擁を送る。
「では、お元気で」
顔にはおくびにも出さないが、少しばかりの威圧を浴びせる御者に向き直り、アニーシャはモントニール侯爵から送られた馬車に乗り込む。
長い旅の始まりだ。
「全く。馬車に揺れておるだけでつまらんのぅ」
「文句言わないで、リリア」
クライスベル領地から馬を走らせる事半日。
すっかり日も暮れて、辺りは夜の顔へと変わっていた。
「椅子もお主のいた小屋の物より硬いし。お陰で身体が痛いわ」
普段はアニーシャの髪の中に居るのに、物珍しさから馬車の椅子にいたリリアは、自分の行動を棚に上げて次から次へと文句を垂れていた。
しかし、確かにリリアが言う通り花嫁を乗せるにはいささか質素であるこの馬車は、外側はまだしも内側ですらも安っぽい造りをしている。
一目見て花嫁の馬車と感づかれ、襲撃されるのを恐れて外側は簡素にする事はままある。
しかし、花嫁ともなろう者を乗せる際には、せめてもと中は絢爛豪華にする場合が多い。
まして相手はモントニール侯爵。花嫁に馬車を用意すことくらい、造作もない事だろう。
つまりこれは、間接的に『お前の為に用意する馬車などない』と言われてるも同然の行いだ。
(あまり歓迎されてないのかしらね)
客観的に自身の境遇を分析したアニーシャは、小さく息を吐く。
ユリアス・ウェン・モントニール。それがアニーシャの夫となる男の名だ。隠居生活の長い彼女でも、勿論彼の事は知っている。
アズベラル大国を守る五つの侯爵家が一つ、モントニール侯爵は、最も歴史が浅いながらも、国王からの信頼もあついともっぱら噂だ。
しかし、信頼を勝ち取る為ならば手段を選ばない、とも。
そんな黒い噂も絶えない男の元に嫁がされる事は、通常の令嬢ならば大層悲しむ事だろう。けれど、アニーシャは違った。
(この結婚さえ上手くいけば、お父様もお母様もやっと怯えずに暮らせるわ)
遥か昔に居たという聖女にも引けを取らない、とまで揶揄される程高い魔力を有するアニーシャは、存在そのものが脅威だ。
両親は娘を心の底から愛していたが、反面、怯えてもいた。
魔力は人を癒す事が出来る。反対に、傷つける事も出来るのだ。それはすなわち、軍にも匹敵する力になる。
アニーシャは、それ程までに強い力を持っていた。
(恐らくモントニール侯爵は、私の力を取り込むため婚姻を結ばせた)
「何やら難しい顔をしておるな」
「……リリアと違って人間界には色々あるのよ」
「そうかい。人間というのは面倒なものじゃのう。してアニーシャ、気付いておるのか?」
リリアはくるりと一回転すると、愉しげに窓の外を見る。
アニーシャもそれにならって窓の外に目を向けた途端、突如として大きな爆音が外から鳴り響いた。
「な!?なに?!」
驚きのあまりよろめきそうになるが、ぐっと堪えて毅然と立つ。が、努力も虚しく更なる追撃をかけられる。
途端、ばんっ!と鈍い音を立てながら、馬車の扉がありえない動きで飛んで行った。
「っ!」
外から丸見えとなった馬車の内側で、驚きと、一体何が起こったのか全く理解できていないアニーシャは、爆風によって立った砂埃に噎せながらも、前方を見据える。
そこには、真っ暗闇の中を溶け込むような漆黒の長いローブを纏った3人の者達が、馬車の入口を囲うように立っていた。
「敵襲じゃな」
不穏な言葉とは裏腹に、リリアは愉快そうに笑った。