婚約破棄の理由がわかりません
定番かつ、設定はふんわりです。生暖かくお読みください。
「カタリナ、婚約を解消しよう。」
見慣れた赤い髪の王子を、私は初めて見る人のように感じた。いつもの余裕のある笑みはそこにはなく、眉間には深いしわが刻まれている。
「なにか、私に不備がございましたでしょうか。」
声が震えそうになるのを押さえこみ、努めて冷静に問いかける。頭の中はどうしてという言葉でいっぱいだ。見返した髪と同じ色の瞳は苦しげに揺れて、吐息のように答えを返した。
「不備などない。」
ではなぜ。問いかけたいのに声が出ない。代わりにでたのは可愛げのない言葉だ。
「では、承知いたしかねます。私とアラン様の婚約は王家と侯爵家の間で交わされたもの。アラン様と私の間で簡単に破棄できるものではございません。」
アランが目を伏せたのを見て、私は胸が締め付けられる。本当ならこの人が望むなら、叶う限りなんでも叶えて差し上げたい方だ。ずっと大好きな赤い髪の王子様。婚約者に決まった時は舞い上がるような気がした。
「父上・・、陛下には事前に話してある。君が了解すれば良い、と言われている。」
体が震えた。そんな話が通るなら、私は一体今まで何を。
***
アランと初めて会ったのは9歳の時だ。同じような年ごろの貴族の娘達が集められたガーデンパーティーに両親とともに招待された。今思い返せば、当時10歳のアランの結婚相手を見定めるいくつかの集まりのひとつだった。
華やかな娘たちの間で、私はお世辞にも秀でているとは言いがたかった。髪も目は暗い茶色。顔立ちは整っていなくもないが、とりたてて目立つこともない。何より人見知りでなるべく話しかけられないように、母のやや後ろに隠れるように立っていた。
「君の名前はなんていうの?」
両親と礼儀正しく挨拶を交わした後、アランは私に問いかけた。正直、この時ばかりは両親の身分を恨んだ。王族がこういった集まりで、侯爵を無視するなとありえない。必然、私も話しかけられてしまう。人見知りの私に迷惑でしかなかった。
「か、カタリ、ナ・ロンバールとも、うし、ます。」
噛みながら、必死に名乗った。変な話し方になって、顔がゆで上がる。後ろにいるどこかの令嬢がこらえるように笑うのが聞こえた。
「カタリナ。僕はアラン。よろしくね。」
アランは、王族らしく柔らかく笑った。私はその笑顔にますます顔が赤くなり、もうなんだかわからなかった。とにもかくにも、目の前にいる同年代の男の子が輝いて見えた。
それからも、お茶会、夜会さまざまな集まりでアランと会うことになり、私はその度に嬉しさと恥ずかしさでいっぱいになりながら、なんとかやりすごしていた。
アランの婚約者にもし自分が選ばれたらと夢見ていなくもなかったが、なんとも儚い幻のようにしか感じられなかった。
「アラン王子の婚約者にカタリナが内定したよ。」
父の口からそう言われた時は、私は真っ赤になって狼狽した。うれしい事に間違いなかったが、自分が選ばれる理由がわからない。自分は身分こそそこそこだか、何とも目立つところのない令嬢だ。
「どうして。」
「理由は伺ってない。ただ身分のある者にとって、結婚は政治でもある。侯爵家と婚姻を結ぶのはバランスとして申し分ない。幾人かのそういう条件のご令嬢のなかでカタリナが選ばれたんだ。」
わかったようなわからないような説明に、いずれにしてもこれ以上は父からは聞けないことだけはわかった。
「わかりました。」
婚約者になったアランは、時々私のもとへ訪れるようになった。初めてやってくる日に顔を赤くしながら、落ち着きなく待つ私を母は叱った。
「落ち着きなさい。これから長いお付き合いになるのですから、そんなに慌てふためかないようにしなさい。」
長いお付き合いになるという言葉を聞いて、母の慌てるなとの言い付けとはうらはらに私はもっと落ち着かない気持ちになった。
やって来たアランはいつものようにとても優しい笑顔で、たわいもない話をしては帰って行った。けれど、私はそれだけで幸せいっぱいだった。
何度かの来訪のあと、母は自室に私を呼んだ。緩みがちな私の顔を母は冷ややかに見て言った。
「カタリナ。何度も遠回しに言ってきたつもりですが、伝わっていないようなので改めて言います。アラン殿下にあからさまに好意を見せるのをやめなさい。」
思いもよらず、私は目をしばたたいた。
「いいこと?今の王陛下に何人妻がいますか?」
冷水を浴びせられたような気持ちだった。王陛下には正王妃様とは別に5人の夫人がいらっしゃる。王族は何人妻を迎えても良いのだ。
「こんなことは言いたくないけれど、旦那様、あなたの父上にも愛人が何人もいます。男性とは一面そういうものなのです。王族の妻になるということは物語の男女のように一対一の恋愛をするのではなく、妻という役割を果たすということです。」
指先が冷たい気がして、なんとなく擦りあわせる。私が考えてもみなかったことだった。
「政略で決まった妻から、あまりに好意を見せられては男性は困惑します。むしろ何人他に女を迎えても問題ないと感じさせるほどの態度を見せなければなりません。」
「お、お母様。でも、でも私、アラン様が他の妻を迎えられるなんて嫌です。」
婚約が決まったことは夢のようだった。だが決まってしまえば、アランを独占したくてたまらなかった。心からの悲鳴のような訴えに、しかし母はにべもない。
「なりません。王族の妻たるもの、他の妻を迎えることに寛容でなければいけません。それができないならば、結婚そのものが無くなると胸に刻みなさい。」
泣いた。もうどうしようもなくアランが大好きなのに、他の女性を認めなければ結婚できないなんて。
それから私は、懸命に好意を押さえ込み、上辺の笑みを浮かべてアランに会うようになった。私の様子が変わったのに、初めのうちこそ心配そうにしていたアランも徐々に落ち着いて、「大人の」やりとりができていると思った。思っていたのだ。
正式な婚姻をあと半年に控えたある日、準備のため王城を訪れた私は、アランのもとへ立ち寄った。
そこで「婚約を解消しよう」と言われたのだ。
***
「君が了解すれば良い、と言われている。」
そんな。こんなに頑張ってきたのに。他の女性を妻に迎えたくなった?魅力の乏しい私には愛想がつきた?
「了解・・いたしかねます。」
絞り出すようにそれしか言えない。やっぱり私がアランのことが大好きなのを疎まれた?もっとはっきりと他の女性と関係しても良いといえばよかった?
「私に不備がないのであれば、理由がありません。他の女性に良い方がおられるなら、第2夫人としてお迎えになられれば良いのです。」
アランがこちらを睨みつけた。
「他の女性などいない!」
思ったより強い口調に私はたじろいだ。
「で、では理由がございません。これは政略結婚です。私のことがお嫌でも・・」
そこまで言って泣きそうになる。アランが私を嫌、そばに置くのも嫌ならありえるのかと、考えおよんでたまらなくなる。
でも私のことがそれほど嫌なら悲しいけれど、望みを叶えて上げたい。
「・・私のことがお嫌、なのでしたら・・」
そこから続けられない。目の前の赤い瞳から力が薄れて、アランは私から視線をそらした。
「嫌なのは君ではないのか。」
ささやくようにそう言った。私は驚いてアランをまじまじと見た。
「そんなこと、ありません。」
大好きなんです。それを言っていいか考えて、母の顔が思い浮かぶ。
「僕は、君が婚約者がいい。父に君でないと嫌だと言ったんだ。君の家柄も申し分ないし、君も喜んでくれているように思ってたんだ。」
初めて聞く話だった。アランが自分を望んでくれていたなんて。
だけど、とアランは苦しげに言葉をつなぐ。
「だんだんと、結婚が近づくにつれ君はよそよそしくなっていって。あまり笑わなくなった。」
息が止まる。そんな風に思われていたのか。
「結婚が嫌だなんて、そんなことありません。私、王族の婚約者としてちゃんとしようと思って・・。」
アランが怪訝な顔をする。
「どういうこと?」
私はたまらず、母の話を伝えた。アランは最初は驚いたように、だんだんと悲しそうな顔をして私の話を聞いてくれた。
「だ、だから私。」
「僕の父に6人の妻がいることは間違いないし、そのことを君にどうこう言うことはない。ただ、僕はカタリナを妻にしたいと思っていて、他の女性なんて考えたこともない。」
真摯に語る自分の想い人に、胸が熱くなる。
「君が向けてくれる気持ちや、くるくる変わる表情が僕はすごく嬉しいんだ。それに、そっけなくされるととても寂しい。」
こちらに向いている顔からは、嘘やごまかしのないアランの感情が伝わってくる。
「カタリナ、僕と結婚したいと思ってくれている?」
こわばっていた自分から、なにかが溶けて流れだしていく。頬は赤らみ、きっとゆるんでいる。目も潤んでいるし、自分はいまきっとみっともない顔だろう。それでも。
「はい。私、アラン様が大好きです。」
私の婚約者は珍しく顔を赤くして、ためらいがちに私をそっと抱き寄せた。私は恥ずかしくて、でも嬉しくてアランに笑顔を向けた。
お読みいただきありがとうございました。