御前沙汰 1
余三郎は幕閣のお偉方が揃う謁見の間で冷や汗を流しながら平伏していた。
上座に座る将軍亀宗は非常に不機嫌そうで「あ~~……う~……」と唸りっぱなし。
「亀宗様。此度の騒動は猫柳家家臣服部百合丸と、同じく立花霧の両名が愛姫様を大奥から連れ出したことが発端になっております。姫ご自身が所望していたとはいえ言語道断の暴挙であることは明白。後世への教訓とするためにもここは厳しい罰を下して然るべきかと」
「うるせぇ。黙れ」
亀宗が一睨みすると側用人の田沼はまるで狼に喉を食いちぎられた死体のように顔を青ざめさせて口を噤んだ。
亀宗は自分の前に居並ぶ者たちの顔を見回す。
正面でカタカタと震えながら平伏しているのは末弟の余三郎。
その左右に居並んでいるのは二十人ほどの臣たちで、右列には自分がまだ将軍後継者の一人でしかなかった頃から仕えている股肱の臣。左列は鶴宗などの親族たちだ。
全員がいわば亀宗の身内であり、今回の詮議に他家の者は呼んでいない。
正式な手続きを経た評定であれば間違いなく余三郎に切腹の沙汰が下る今回の件だが、愛姫自身が望んでやらかしたことであり、御台所もそれを黙認していたという裏事情や、思ってもいなかった謀反計画など、色々な要素が絡んできて政治的判断も必要な大事になってしまったため、将軍の意向が反映されやすい非公式な評定『御前沙汰』にて余三郎の詮議を行うことにした。
「余三郎」
「は、ははぁー!」
元より土下座している余三郎は畳に額を擦り付けてさらに体を低くした。
「おぬし、もう少しやりようはなかったのか? あ? わかっておるのか? 今日は朝からこの話題で江戸中が騒がしい。さっきわしの手元に城下で売られている読売が何枚か届いたのじゃが、今回の件をお前の謀反だと書いているものまである」
「そんな、滅相もない! わたくしは亀宗兄者と戦うくらいなら素手で毘沙門天に戦いを挑んだ方がまだ生き残る目があると思っているくらいでして!」
「馬鹿者、子供の頃の腕比べじゃないだから戦って勝ち目が有るとか無いとかの話をするな。ここはどれくらいわしに忠誠を誓っておるかを言葉を尽くして言い立てるところじゃ」
「はっ、申し訳ござらぬ!」
ずっと平伏したままダラダラと冷や汗を流し続ける余三郎の姿に、左右に居並ぶ幕閣たちが苦笑する。
そんな周囲の空気をどこか面白くなさそうに見ていた亀宗はゴキリと首を鳴らして話題を変えた。
「平左。わしの愛を狙っておった不届き者の行方はまだ分からぬか」
亀宗の問いにもう一人の側用人の城之内平左が「はっ!」と答えて頭を下げる。いかにも切れ者らしい空気を身に纏った神経質そうな男だ。
その平左の対面にいるのは弟の中で最も地高い地位にいる鶴宗。その鶴宗はなぜかこの詮議の始まりから居心地が悪そうにプルプルと頬肉を震わせている。
「愛姫様を狙っていた賊は『風神党』と自称しているならず者の集まりで、首領は風花という女盗賊です」
「そいつはもう捕まえてあるのか?」
「いえ、ただし愛姫の救出と保護を他家の大名から依頼された両替商『狐屋』の奉公人雷蔵がその女首領と交戦をし、重傷を負わせた状態で例の鍾乳洞の最深部に捨て置いたとの事。その後配下の者を使って調べさせましたところ、血痕は見つかりましたが死体は無かったの事です」
その報告に亀宗は顔をしかめたが、鶴宗はあからさまにホッとした表情で胸を撫で下ろしていた。
「くそっ、わしの愛を狙った賊はわし自身の手で殴り殺してやりたかったのだが見つからぬのなら是非もなしか。……して、愛を守っていた商人がいたとな? 狐屋とは耳になじみの無い屋号だが詳しく聞かせろ」
「はっ、日本橋の両替商狐屋の大番頭雷蔵。元は江戸の町を荒らす盗賊集団に拾われた男ですが狐屋の先代主人に買われた異色の経歴を持つ商人です。その出自から裏社会に顔が利くと一部では評判になっていたらしく、今回の件で彼の者に愛姫の捜索を依頼したのは上杉家、黒田家、山内家、その他の数家の旗本です」
「ふむ、そのような商人がいたとは知らなんだ。顔が見たい、すぐ呼び出せるか?」
「それが、賊との戦いが終わって愛姫様たちと合流する直前に壊れた吊り橋の崩落に巻き込まれて重傷を負い、現在療養中だそうです」
ずっと平伏したままそれを聞いていた余三郎は、伏せた顔に『やばい、わしのせいじゃ……』と冷や汗を浮かべた。
「そうか、ならば是非も無し。傷が癒えたらわしの前に来るように手配しておけ。あぁ、先に褒美だけでも送っておくが良い。彼の者に依頼を出して愛姫の身を案じてくれた諸大名にもな」
「はっ。そう申されると思いまして既に彼の者には幕府からの礼状に加え見舞金五十両を与えるよう関係部署に手配しました。また、この商人に愛姫の捜索と警護を依頼していた上杉家、黒田家、山内家、その他の旗本に対してはそれぞれに報奨金二十両を出しております」
「うむ、それくらいでいいだろう。褒美は多すぎても少なすぎてもどこかで角が立つ。いつもながら良い仕事っぷりじゃ平左」
「恐れ入ります」
平左は剃刀のように細い目をさらに細めて一礼すると、それ以上は何も言わずにそっと目を伏せて口を閉ざした。
「さて……功を賞したら、残るは罰のみじゃな。なぁ、余三郎?」
ひっ!? と小さく悲鳴を洩らした余三郎は人の身で可能な限界まで体を平たくして平伏する。まるで虎の敷物のように。
その姿がいかにも滑稽で失笑を洩らす音があちこちで聞こえた。
そんな空気の中、左側の家臣の列から膝を前に進めて余三郎を擁護する者があった。兄弟の中で一番の穏健派と言われ、亀宗将軍の治世で幕僚として政権中枢に参与している三男の月宗だ。
「兄者。今朝になって事の次第をわしも聞いたが、余三郎は今回の件に関して能動的に関わってはおりませぬ。相変わらずの運の悪さで巻き込まれただけ。まぁ、確かに兄者の言うように余三郎はもう少し上手な立ち回りをすれば良かったとわしも思います。けれどそういう事を含めて余三郎はまだまだ未熟者。こいつも今回の事で重々学んだことでしょうし、わしが後できつく説教もしておきますから、ここは兄弟の縁に免じて赦してやってもらえんでしょうか」
『月宗兄者……』
余三郎は平伏しながら横目で月宗を見て涙を流しそうになりながら感謝した。
それなりに発言力のある月宗が余三郎を擁護したことで、この場に居並ぶ家臣たちが一様に『あぁ、このまま有耶無耶にして終わりになるな』と予測して肩の力を抜き始めた。……が、
「余三郎を赦せと? わしの娘があわや殺されそうになっていたのに、何の処罰もなく赦せと? あ?」
愛姫を誰よりも愛している亀宗がそれで赦すはずが無かった。
亀宗のあまりの権幕の鋭さに全員の背筋がビッと真っ直ぐに伸びた。
「あ、いえ、別にわしは厳罰でもいいかなぁーって思ってますけどね?」
『つ、月宗兄者!?』
亀宗に睨まれた月宗はあっさり言葉を翻して保身に走った。
その流れに乗る形で余三郎に追い打ちをかける者が口を開いた。親族が座する左列で最も亀宗に近い場所にいる次男の鶴宗だ。
「そうですなぁ。余三郎には酷な話かもしれぬが、世慣れぬことも、未熟なことも、全ては己が器量が招いた結果。ここで兄弟の情を持ち出して有耶無耶にしたのではご政道は乱れ、世に正邪の区別がなくなってしまう。ここは心を鬼にして相応の罰を与えるべきでしょうなぁ」
鶴宗は先ほどまでは吹雪の中の小鹿のようにプルプルと震えていたくせに、下手人の身柄が押さえられていないと分かったあたりから普段どおりに嫌味な笑顔を浮かべるようになっていた。




