登城 1
「では。行ってきます」
「行ってくるです、なの」
登城用の裃に着替えた余三郎。
霧はその袴の端をちんまりと掴んで余三郎と一緒に家を出た。
幼女ながら霧も一応は猫柳家の家臣なので余三郎と同じように裃を着ている。
余三郎の供回りという身分での登城なので、腰にはきちんと刀を帯びていた。
霧が立花家を出るときに父から餞として贈られた脇差。
立花家伝来の家宝の一つで、銘は『縦一文字』と言うらしい。
本来ならば登城までの道中において腰に帯びるのは打刀であるべきなのだが、体の小さな霧だとこの脇差で十分に釣り合いが取れている。
「気をつけていってらっしゃい」
笑顔の菊花に見送られて家を出ると――、
「遅いですぞ。殿」
さっきから姿の見えなかった百合丸がしっかりと装束を整えて家の前で待っていた。
「来るのか? おぬしも」
そうなることがわかっていたとはいえ問わずにはいれない。
「当然でござろう。拙者は殿の身辺を警護する『お庭番』なのですぞ」
ぽん。と自分の胸を叩く百合丸。
余三郎は霧と百合丸を連れて登城する自身の姿を想像してげんなりとした。
この二人の歳はそれぞれ十二と八つ。どこからどう見ても童女と幼女だ。
余三郎は十六になっているので大人として扱われている身だが、その余三郎とて世間から本当の意味で一人前の大人として見てもらえているかと問われれば少々難がある。
実質全員子供としてみなされる三人が揃って登城すれば他の者からはどう見えるかを考えると……余三郎は頭が痛くなってきた。
お城の茶坊主にまた「ここは託児所ではありませぬぞ猫柳殿」と嫌味を言われる事間違いなし、だ。
「そもそも、今回は霧殿ですら行かれるのに私が留守居役になるのは納得ゆきませぬ!」
百合丸はなにがなんでも付いていくつもりらしい。そしてなぜか霧に対して挑戦的な目を向けている。
いつものように半分眠ったような目で百合丸を見返していた霧は――。
「ウリ丸。邪魔、なの」
余三郎には聞こえないほどの小さな声でぼそりと呟いた。
「……霧殿。今なんと申された?」
その問いかけに霧はふいっと顔を背けて、すぐさま余三郎の背中に隠れた。
「こら百合丸。霧が怖がっているじゃないか。だめだろう仲良くしなきゃ」
「で、ですが殿! 今のは霧殿が――」
顔を真っ赤にして言いかけたとき、余三郎の背中から顔を半分だけ出した霧がわざとらしく指先を唇にあてて笑う仕草をした。
「き、霧殿? それはあれか? 拙者に決闘を申し込んでいると解釈してよろしいのでござるか?」
百合丸が怒りでプルプルと震えながら手を刀の柄に置いた。
「こらぁ百合丸」
間延びした声とは裏腹に見事な足捌きで一瞬に百合丸へ詰め寄った余三郎が、刀に添えた百合丸の手首を押さえる。
「し、しかし殿! 今、霧殿が!」
半分涙目になって真剣に訴えるので、余三郎がやれやれと肩をすくめながら後ろに振り返ると、
「殿……霧、なんにもしてない、なの」
霧は捨てられた子犬のような目をして余三郎に無実を訴えた。
「う、嘘でござる! 霧殿は嘘を!」
「百合丸ぅー。なんでおまえは霧と仲が悪いんだ。霧はまだ八歳なんだぞ? もうちょっとお姉さんらしく霧の面倒をみてやってもいいくらいなのに……」
「と、殿は拙者よりも霧殿の言う事を信用するのでござるか……拙者と殿との繋がりは霧殿よりも薄いのでござるか……」
わなわなと体を震えさせた百合丸は鼻の穴がぷっくりと膨らませて、大泣きする寸前の様子をみせたものだから余三郎は困り果てて眉間を押さえた。
「信用するとかしないとかの話じゃない。年長者としての我慢をしろと言ってるんだ」
「だ、だって……」
ひっく。ひっく。としゃくり上げる百合丸から目を外すと、今度は自分の背後に隠れている霧と向き合って、その小さなおかっぱ頭をこつんと叩いた。
「霧もいい加減におし。あんまり百合丸をからかったらいけないよ」
思わぬお仕置きを喰らった霧は頭を押さえながら、普段は半分しか開いていない目を丸くして驚いた。
「殿……気づいてた? なの」
「わしを見くびるな。それくらいは気配でわかる。もうそんな事するんじゃないぞ」
たしなめるように少しだけ怖い顔をされたので、霧は「ごめんなさい、なの」と言いながら拗ねて頬を膨らませた。
現金なもので、今度は逆にぱぁぁっと百合丸の表情が晴れる。
「殿ぉ……」
もし百合丸がワンコだったとしたら、千切れんばかりに尾を振り回していたに違いない。
「家臣同士の諍いはお家断絶の元だ。二人はわしの家臣で、通い女中の菊花さんを除けばおぬしたち以外にわしには家臣はいないんだからちゃんと仲良くおし」
「は、はいっ!」
元気良く応える百合丸に対し、霧は――。
「それ無理、なの」
ぷくっと頬を膨らませたまま、そっけなく否定した。
「霧ぃ……」
聞き分けのない子供にもう一度辛抱強く仲良しの大切さを教えようとしたが、霧はいじけたまま「それに霧は殿の家臣じゃない、なの」と言ってぷいっと横を向いた。
「え? 家臣じゃないって……」
あまりの貧乏っぷりにとうとう八歳児すら猫柳家に愛想を尽かしたか。と余三郎が寂しそうに眉をひそめたのだが、霧は真反対の事を言い放った。
「霧は将来、殿の奥方になる。だから家臣じゃない、なの」
「なぁっ――!?」