鯛とか鮪とか鰹とか小エビとか
「あら、あなた達こんなところにいたの?」
猫探しのついでに秘密の抜け路探しもしていた青太郎たちが古茶阿寺の近くで後ろからやけに色香の立つ声をかけられた。
百合丸たちが振り向くと民家二軒ほど離れた辻から菊花が微笑みながら手を振っていた。
「おぉ、菊花殿であったか。外で会うとあれでござるな、なぜ拙者たちが遊女に声をかけられたのかと、つい身構えてしまうでござるな」
「ひどいわねぇ」
そう言って笑う菊花は胸をたゆんたゆんと揺らしながら四人の方に近づいて来た。
「うむむ……外での菊姐さん、お色気妖怪、なの。家の中ではそう感じないのに。原因は不明、なの」
「あれではないのか? 家の中では座っておることが多いが外では普通に歩くから、歩いた弾みで巨大な乳がポヨンポヨンとするからじゃろう」
少女たちがやや嫉妬の混じった目で菊花を眺めながら冷静に分析している一方で、フンスフンスと鼻息を荒くしている思春期真っ盛りの少年がいる。
「な、なんだい。あのおっぱ、いや、あの色っぽいお姉さんは。あんたらの知り合いかい?」
「我らが猫柳家の裏の支配者、通い女中の菊花殿でござるよ」
「菊花? もしやかわら版の乳番付でずっと東の横綱になっておる『乳弁天』の菊花さん!?」
「むむ? 菊花殿は『乳弁天』と呼ばれているのでござるか」
「いやぁねぇウリ丸ちゃんたら。面と向かってそんなことは言わないでよ、恥ずかしいわ」
皆の前に来て立ち止まる菊花。恥ずかしそうに頬に手をあてているその姿が無駄に色っぽくて、凶悪とも言える色香に中てられた通りすがりの男たちが思わず前屈みになっている。若い僧が多くて町の人たちからは『元気で暑苦しい若僧どもの巣』と言われている古茶阿寺の坊さんたちなんかは、ある部分が元気になり過ぎて苦しそうに蹲っていた。
「あなたが猫探しをしている青太郎さん? 話は昨晩聞いたわ。私は菊花、ウリ丸ちゃんたちと仲良くしてあげてね」
「そ、それはもう!」
青太郎は目を菊花の胸に張り付かせたまま、まるで激流の下に置いた鹿威しのようにカコンカコンと何度も頷いた。ただし頷いている間も視線はずっと胸に釘付けになっている。
胸を見られることに慣れている菊花は青太郎の視線を特に不快に思うことも無くゆっくりと青太郎を見つめて、その後に猫柳家の三人娘を見比べた。
そして――、
「あなた達、この子を虐めちゃだめよ?」
真面目な表情で百合丸たちに注意した。
「へ? なんで拙者たちの方に言うでござるか」
「霧たち、か弱い女の子。注意するなら年上で男の子のあっち、なの」
「まったくじゃ。心外じゃのう」
不平を鳴らす三人とは対照的に青太郎は「おぉ、乳だけではなくて度量も大きいのだな、さすが『乳弁天』の菊花さんだよ」と感動している。
けれど青太郎は知らなかった。いつも微笑んでいる物腰の柔らかい菊花がなぜ『乳菩薩』と呼ばれずに『乳弁天』と呼ばれるようになっているのかを。
母のように慈悲深い菩薩と違って、弁天という女神は気性が荒くてけっこう怖い女神なのである。
菊花は、さっきから無遠慮に胸ばかり凝視している青太郎をちらりと横目に見ると、
「この子に注意? ふふっ、そんな必要はないでしょ?」
菊花は二つ名の弁天らしく辛辣な言葉を笑顔のまま吐き出し始めた。
「だって、あなた達を海の生き物に例えるとしたら、鯛とか鮪とか鰹よ。そしてこの子はせいぜい小エビ。こんなにもはっきりと食べる側と食べられる側に分かれていたらどっちに注意をするかなんて悩むまでもないでしょ。というか、もう食べ物を買わせたの?」
菊花は百合丸たちが持っているおにぎりの包みを見て目をきゅっと細める。
「だめよ、そういうのはもうちょっと仲良くなってからになさい」
「ち、違うでござる。これは青太郎が自主的に……って、こんな風に言ったら本当に虐めっ子の言い訳みたいに聞こえて、なんだか嫌でござるな」
「でも今回は本当。霧たちまだ何も要求してない、なの」
「おぬしら、もうちょっと仲良くなってからにしろだとか。今回は本当だとか。まだ何もとか。会話の内容にいちいち引っかかるところがあるのじゃが、普段からいったい何をやっておるのじゃ……」
若干引き気味な愛姫にそんなツッコミを入れられて、色々と思い当たる節のある百合丸たちは何も聞こえなかったフリをして聞き流した。
「とにかく、こんな小エビみたいな子にキツいことしちゃだめですよ。わかりましたか?」
渋々と「分かった、なの」「元々そんなつもりはないでござるが了承した」と二人が頷いている横で青太郎が愕然とした顔で「小エビ? え? 私は小エビなのかい?」と独り言を呟いていた。
猫探しの四人と合流した菊花は、向かう方向が同じと言うことでその後もしばらく彼女らに付き添って歩いた。
「そういえば、梵貞寺のほうはもう見て来たの? 殿が昨日あれした寺のほう」
「一番に見て来たでござるが、怪しいところは無かったでござる」
「あら、残念だったわね」
「そういえば、なぜ梵貞寺の僧らはあんなピチピチの小さな服を着ているんだろうね?」
「開祖のお坊さんが編み出した精神修行だと聞いたことがあるでござるよ」
「どんな精神が鍛えられるのかは不明、なの」
「あんな服を着ることが修行になるのかい?」
「拙者が聞いた話では、昔々、あの寺の開祖の坊さんが新しい修行方法を模索していたある日、小さな袋の中に無理やり体を入れて抜けなくなったらしいでござるよ。で、ピッチピチに体が拘束されている状態がいかにも非日常的で、開祖の坊さんはそれで新しい世界を発見したらしいでござる」
「ピチピチの服を着て新しい世界に目覚めるのかぁ……。あまり知りたくはない感覚だなぁ」
青太郎たちが梵貞寺の話で盛り上がっているところ、愛姫はさりげなく歩みを遅くして三人から離れると、後ろについてきていた菊花にそっと体を寄せた。
「ずっと尾行していたお主がわざわざ姿を見せたということは、母上から何か知らせがあったのか?」
「はい。上様が姫様を心配するあまり自ら出馬すると言い始めたのでそろそろ潮時かと。今晩にも大奥から迎えの駕籠を向かわせるそうです」
「なんじゃ。たった二泊三日で妾の城下町見物の旅は終わりか。名残惜しいのぅ」
「またいつでもいらして下さい姫様。けれど、今度は上様の許しを得て来てくださいませね。ああ見えて私どもの主は気が小そぉございますから」
「そうじゃな。次からはそうしよう」
クスクスと笑う二人はまだ愛姫が無難に大奥へと帰れるものだと信じていた。




