秘密の抜け路 1
「殿。秘密の抜け路を探しましょう」
朝餉の支度の途中で菊花はまるで世間話をするようにそんな提案をした。
「秘密の抜け路?」
特にやることもないので竈の火の番をしていた余三郎が怪訝な顔で菊花を見上げる。
「昨晩母に相談したんですけどね。そしたら殿が考えた『愛姫を誰にも見つからないように大奥へこっそり帰して、その後は知らんぷり』の策が結局一番良いでしょうねって言っていたんですよ」
「まぁ、それしか手は無いだろうからなぁ……」
問題はそれを実行するための方法が思いつかないという事である。
「それでですね、大奥の裏方を取り仕切っている母が言うには江戸城には万一の事態に備えて城外へ脱出する『秘密の抜け路』があるそうなんです。今回はそこを逆に辿っていけば城の外から城内への侵入も可能だろうって」
「江戸城の内と外を繋ぐ秘密の通路が? ……さて、そんな話は聞いたこともないのだが、わしは一応あそこで生まれ育っているのだがのう」
「そりゃそうでしょう。将軍の息子だからって何でも知らされるわけじゃないですよ。知っているのは将軍本人だけ。お兄さんの亀宗様だって先代様が後継に指名した後に知らされたようですし」
「なるほど。確かにそれくらいに秘匿性がないと『秘密の抜け路』とは言わないのかもしれぬな。兄弟で家督を争って戦になったことは歴史上に何度もあることだ。……しかし、解せぬ」
「何がですか?」
「どうしてそのような秘中の秘を菊花さんの母が知っておるのです? いくら大奥の内で力があるといっても徳川の一族ではない身なのに」
「ですから母もその話を聞いたことがあるってだけで場所までは知らないんですよ。どこが入り口で、どこに繋がっているのかも分からないそうですわ」
「ふむぅ、つまりその話は大奥の中で出回っている噂の一つということですか。では、そんな抜け路が本当にあるのかどうかも疑わしいのではないですか?」
「それは大丈夫ですわ。秘密の抜け路は確実にあります」
菊花は自信満々に胸を張って、着物を押し上げている大きな胸をダプンと揺らした。
「なぜそう言い切れるのです?」
「亀宗様が先代から後継指名をされた後にその路の存在を教えてもらって、後継指名を受けて浮かれた亀宗様が『これは秘密なんじゃがな――』って、たいそう嬉しそうに色々と母に語ったそうですよ。情報の出元がこれ以上無いほどに確かですので間違いありません」
「兄者……」
余三郎はウッキウキに浮かれている亀宗の様子が目に見えるような気がして、思わず顔をしかめながら眉間を押さえた。
「ただ、先ほども言ったように抜け路がどこにあるのか分からないので誰かから聞き出すしかないですね」
「抜け路の場所を? いったい誰にこんな秘事を聞けと――」
二人が竈の前でコソコソと密談していると、
「ふわぁぁ~……。米の炊ける匂いで目が覚めるとういのは良いものじゃなぁ」
練り絹の肌襦袢が肩から落ちそうになっている愛姫が大きな欠伸をしながら余三郎の部屋から出てきた。
菊花が余三郎を見つめながらにっこりと笑った。
「あの方に聞けばよろしいのでは?」
朝餉を前にして余三郎は少々気が重かった。
猫柳家の今朝の献立は、雑穀入りの飯、目刺しを各一尾、そして余三郎が秘蔵していた最高級ワカメの味噌汁である。
これでも普段の猫柳家の基準で見ればやや贅沢な部類に入る朝餉なのだが、問題は上座に座っている愛姫がこれで満足してくれるかどうかである。
昨晩は神社で拾ってきた餅があったので取り繕うことができた。しかし頼みの綱だった餅はもう一かけらも残っていない。
しかたなく余三郎は普段猫柳家で出されている雑穀入りの飯を愛姫にも出す事にした。
余三郎は菊花が配膳し終えるのを緊張しながら待った。
なにしろ愛姫は白米のご飯しか口にしたことのない深窓の姫君。独特の匂いがある糅飯が嫌だと言われれば、余三郎は腰の刀を質に入れてでも白米を買いに行かねばならないところだ。
「さぁ、どうぞ愛姫様。先に箸をつけて下さいませ」
菊花に勧められて箸を持つ愛姫。
緊張で引き攣った顔で愛姫が飯を食うところを見ていた余三郎。だが、そんな余三郎の心配はすぐに霧散した。
愛姫は糅飯を一口頬張ると「食感が楽しい飯じゃな」と笑顔を見せて、意外なほどの好評を得ることが出来た。
ようやく余三郎はホッと胸を撫で下ろして、いつもより雑穀の割合が多い飯を口に入れた。




