夜伽話 霧
布団の上に座った彼女らは自然と車座になって、それぞれ一枚づつ掛け布団を羽織っている。
百合丸が何やら興奮しているように見えるのは、おそらく余三郎が普段使っている布団を選んで被っているからだろう。
ハフハフと犬のように息を荒げている百合丸が再び危うい事を言い出す前に愛姫は急いで霧へ話を向けることにした。
「して、霧はどういった縁で叔父上の家臣になったのだ?」
すると霧は意外なことを告白して愛姫を驚かせた。
「霧がここに来ることになったのは、姫様の父上、将軍様のおかげ、なの」
「妾の父上が?」
霧は頷いた。
「将軍様が霧を赦してくれたから、霧、殺されなくて済んだ、なの」
「赦すって……いったいどういうことじゃ? 霧は何か悪いことをしたのか?」
霧は首を横に振る。
「霧は忌み子、なの」
「『忌み子』?」
「昔、高名な修験者が託宣を出した、なの。『戦によって統べられたこの世は戦を知る者が居なくなった時節において将軍家に仇成す者が現れる』って」
「それは妾も耳にしたことがあるのぅ。確かその託宣の続きは『二つの鶴が世を乱し、再びこの世を乱世に墜とすであろう』というものじゃったな。けれどそれが霧となんの関係があるのじゃ?」
霧は暫くの間黙っていたが、やがて女の子座りをしていた膝を立てて二人の前で着物の裾を捲って見せた。
「ここと……ここ、なの。見て」
霧が指差した左右の内腿が青白い月明かりに照らされる。文字も読めないくらいの弱々しい光だったが、そこには片足を上げた鶴にしか見えない痣がはっきりと浮いていた。
霧の内腿の付け根にある痣は鏡で映したかのように左右が逆になった対称の柄で、痣としてはやや大きなものだった。
「ううむ……鶴、鶴じゃな」
「見事なまでに鶴、鶴でござるな」
「父様は霧のこれを見て……殺すしかないと仰った。なの」
二人は目を見開いて息を呑んだ。
「母様はこの子の責任ではないと庇ってくれた。なの」
「当然でござる。こんなのは本人がどうこうできることではござらぬ」
「その通りじゃ。馬鹿馬鹿しい」
「そもそも、どうして馬鹿正直にそんな託宣なんかを信じて自分の娘を殺すなどと言い出すのじゃ。両親が黙っておれば済む話ではないか」
「それは、無理。立花家は託宣を出した宗派の家臣が多い。霧を取り上げた産婆もそこの宗派の人。秘密にしていてもすぐに知れていたはず、なの」
「宗教絡みか……それは面倒じゃの」
「父様にはどうすることもできなかった。けど、母様のお嘆きになる姿を見て、霧の処遇を将軍様に任せる事にした、なの」
「おぉ、そういう流れで妾の父上に繋がってくるのか」
将軍家に謀反の疑いをかけられる前に霧を『処分』しようと主張する家臣たちに対して、霧の両親は『この子が七つの歳を迎えたらご公儀に事の次第を伝えて将軍様の判断を仰ぐ』と約束して納得させ(この時代の子供は大きくなる前に病気などで死亡することが多かった)、それまで霧は家臣たちから隠されるように屋敷の奥でひっそりと育てられたらしい。
そして、幸か不幸か無事に七つの歳を迎えた霧は将軍亀宗の前に連れてこられた。
「将軍様は霧を助けてくれた。将軍様は霧を片手で抱き上げて『先日わしの弟の余三郎が猫柳という旗本の家を継いだのだが、そこならば大兵を養えるほどの知行は無い。この子は余三郎に預けるとしよう。いくら託宣の忌み子であっても扇動する兵がいないのでは幕府に仇成すことはできまい。ましてや、かように可愛らしい幼子がこの小さな手でこのわしを殺せるものか』と豪快に笑った、なの」
「ほぉ、そんなことを……。暇があれば体を鍛えてばかりいる退屈な父上じゃが、たまには良いことをするの」
「霧、感謝してる、なの」
霧はぺこりと愛姫に頭を下げた。
「感謝するのは妾へじゃないぞ。ましてや父上でもない。霧が感謝するのは叔父上じゃ。たとえ父上が霧を召し抱えるよう推挙しても猫柳家の当主である叔父上が云と言わねばこうしてここにいることもできなかったはずじゃ」
「うむ。そうだ、拙者らは殿に命を救われている。恩を感じずにはおられぬよ。照れくさくて言えぬがな」
「霧、殿には恩なんて感じていない」
「なんじゃと!?」
「霧殿。さすがにそれは恩知らずでござる」
「そうじゃない。霧は恩ではなく愛を感じてる。霧、身も心も殿のもの、なの」
「あ、あぁ……。なるほどのぅ」
「霧殿! それは狡い。せ、拙者だって……その、同じじゃ」
「ちなみに、霧はウリ丸も本当は嫌いじゃない」
「なんと!?」
余三郎を取り合って日頃からケンカをしている霧の口から以外過ぎる言葉が出て百合丸は思わず目を剥いた。
「霧、わかってる、なの。ウリ丸は霧が姫様にこのお礼を言えるようにわざわざ自分の身の上話を始めた、なの。そういう流れになるふうに話を持っていった、なの」
「べ、べつに拙者はそのようなことは、考えてなど……」
年下だと侮っていた霧に己がやっていた事を完全に見透かされていた百合丸は照れくささで火照った顔を思いっきり逸らした。
逸らした先にあった愛姫の顔が『ふ~ん?』って言っているかのようにニヨニヨしていて余計に恥ずかしかった。
「ウリ丸は不器用だけど、わりと優しいから好き、なの。だから正妻は霧で、ウリ丸が側女になってもいい。……特別に許す、なの」
「なんで拙者が側女なのだ! 拙者こそが殿の……その……せ、正妻にと……」
「恥ずかしがっているくらいなら、正妻の座は霧に譲るべき」
「恥ずかしがってなどおらぬ!」
「まぁまぁ二人とも。しかしあれじゃな、叔父上はもてもてじゃな」
「姫様は? 殿のことは好きじゃない、なの?」
「妾か?……う~ん、妾にとって叔父上は叔父上じゃから、特別に意識したことは一度もないのぅ。叔父と姪が夫婦になるのは法的に問題はないのじゃが……妾と叔父上では家格が絶望的に違い過ぎる。そもそも将軍の娘である妾は自分で嫁ぎ先を決められぬわ」
「愛姫かわいそう。なの」
「霧殿。そういうふうに言うでない」
「よいよい、分かっておるのじゃ。けれど正直申して妾はおぬしらが羨ましい。このように好いた相手と共に暮らせるのがの」
「でも、ウチは貧乏、なの」
「なんとか飢え死にせずに済む程度の生活でござるがな」
「それでも心は満たされていよう?」
「……うん」
「それは……相違ござらぬ、な」
「ほらの、今日みたいにちょっと城の外に出ただけで大事になる妾なぞより、おぬしらのほうがよほど幸せじゃ」




