夜伽話 百合丸 1
先に話し始めたのは百合丸だった。
「拙者の母は桑名藩家老職にある父の元に輿入れした主筋の姫……に仕える腰元(侍女)でござった。あの、その、途中で何があったかはアレな感じなので省略して、結果として母は拙者を身籠ったでござるよ」
「あ、うん、省略じゃな。了解じゃ」
微妙に気恥ずかしくて目線を下げる二人。霧は「?」と小首を傾げている。
「拙者を生んだことで腰元から外された母上は屋敷の近くに家を賜って、母娘二人で慎ましく暮らしていたでござるよ。月に一度の頻度でやってくる父上は滅多に会えないこともあって無茶苦茶拙者を甘やかしてくれたでござる。そんな日々が拙者が八つになるくらいまで続いたでござる」
百合丸の声が段々と小さく低くなって、他の二人がぐっと顔を近づけた。
「ところが正式に輿入れした奥方様のほうは全く懐妊する気配が無くて、奥方様は父上の子を産んだ拙者の母上にその悋気をぶつけるようになったでござるよ」
「あー……青本(恋物語や人情話などが書かれた薄い冊子)にでも出て来そうなよくある展開じゃな」
「それが物語ではなくて我が身に起きたことでござるから洒落にならないでござるよ。日に日に奥方様の嫌がらせは悪質さが増して、拙者が九つの時にはとうとう毒を盛られて母上は殺されたのでござるから」
「なんと!」
「もちろんこのような事件は公には出来ぬでござるよ。話が拗れてしまえば見てみぬふりをしていたご公儀も動くことになるでござる。最悪桑名藩が改易される可能性さえあったでござる。だから母は病死ということになったでござるよ……。事件を公にできないゆえに殺害を首謀した奥方様は処罰することもできず、主筋から嫁いできた嫁であるがため父上から離縁を言い渡す事も出来ないままで……」
「ぬぬぬぬう……」
愛姫は身の内で膨れる怒りを無理やり押さえつけて呻き声を上げた。ここで怒りの声を上げてもどうにもならないと分かっているからだ。
「母上がいなくなった後も奥方様の悋気は止まることを知らず、このままでは拙者も同じ末路を辿りそうな様子だったので、拙者の身を案じた父は拙者をどこか養女に出そうとしたのでござるよ。……けれど服部家の妻は非常に嫉妬深い女だと有名になっていて、どこの家も利の無い騒動に巻き込まれるのを嫌って拙者を受け入れてはくれなかったそうでござる」
「ふぅむ。そこで叔父上の出番か」
「そうでござる。ちょうどその時に殿が猫柳家の家督を継いだので、父上はこれこそ天運とばかりに拙者をここに来させたのでござるよ」
「天運? どういうことじゃ」
「将軍家の血筋の者が新たに家を興したときは、普通だと諸大名は自分の子弟が重臣の子を近習として送り込んで、誼を結んで将来に備えるのでござるが……」
百合丸はそこで言いにくそうに口を閉ざした。
「なるほど。余三郎叔父上には芥子粒ほどの将来性も無いと諸大名に見限られて、誰も家臣を送り込んでこなかった。ということじゃな?」
愛姫が言いにくいことをずばりと言ってのけた。
「有体に言えばそうでござる。誰も猫柳家に自分の縁者を送り込もうとしていなかったので、父上は『猫柳ならば送られる近習が女児であっても断りはせんだろう。一人も家臣がおらんのでは恰好がつかぬからな』と、まぁそういうわけで拙者はここに連れてこられたのでござる」
百合丸は少しだけ自虐的に笑ったがその笑いには陰湿さが無くて、今ではもう気に病んではいないことがその表情から読み取れた。
「嫉妬深い奥方は拙者が服部家を出た後もあれこれと暗躍していたようでござるが、ここでの貧乏暮らしを伝え聞くと『妾から何かする手間はいらぬな。あやつは勝手に不幸になりおったわ』と大笑いして、拙者を狙うことを止めたそうでござる」
「あー……その、なんというか、皮肉にもここでの貧乏生活が百合丸を守っておるわけじゃな」
「ふふふ、そうでござるなぁ。殿が貧乏で良かったでござる」
余三郎が訊けば憮然としそうなことを言って百合丸たちは笑った。




