大番頭雷蔵 3
株とは誰もが欲しがる金の成る木。しかも数が限られている貴重なもの。
それを確実に手に入れるには競争相手を蹴落として確実に自分の手に入るようにあらゆる手立てを講じておかねばならない。
雷蔵は今の段階で狐屋が動かせる金の量と使える人脈を頭の中で整理してみた。
株を誰に預けるかは幕府の役人たちの合議によって決まる。
本気で株を獲りにいこうとするなら合議に参加する役人たちを賄賂で囲むのが定石だが、参加者全員に鼻薬を嗅がせても合議の外側にいるはずの権力者たちに横槍を入れられてひっくり返される事もある。
たった一つだけの株。
これを得るには金と人脈をどう活かすかで決まる。商人としての腕の見せ所だ。
『事が事だ。打てる手は全て打たなければ……』
雷蔵は仄暗い闘志を心の中で燃え上がらせた。
「増山屋さんの事は心配だけどね。雷蔵さん、あんたも体には気をつけるんだよ。この狐屋はもうあんたなしじゃどうにもならないからねぇ」
お都留に声を掛けられて顔を元に戻した雷蔵にはもう黒い陰はない。
「あぁ、それは大丈夫さ。お都留さんのこさえてくれる飯は天下一品だ。毎日美味い飯を食えているんだから病の方が尻を端折って逃げてくってもんだ」
雷蔵は春の木漏れ日のような爽やかさで白い歯を光らせた。
「やだよぉもう、相変わらず口が上手いねぇ」
「おっと、こうしちゃいられない。そろそろ仕事に戻らなければ。お都留さん客間に茶を二つお願いしますよ」
「あいよ!」
炊ぎ場を出て客間へと足を急がせる。
以前ならこういった裏方の策謀めいた根回しは今は亡き主人が請け負っていた仕事なのだけれど、まさかあの青太郎にこれをやらせるわけにいかない。
忙しい。毎日が本当に忙しい。
かなり疲れが溜まっているのを自覚する。
己の体が二つあれば……と思うものの、こういった類の仕事をそつなくこなせるほど知略に富んだ使用人は狐屋の奉公人の中に見あたらない。
『人が欲しい』
雷蔵は餓えた獣が血肉を求めるが如く、有能な人材を欲していた。
肝が据わり、目端の利く者。そして雇い主を裏切らない誠意のある者。
先の二つを兼ね備えた者くらいならなんとか探せないこともない。
実際、雷蔵が極道の使い走りをしていた頃にそういった者たちと知り合っている。
同じ極道の仲間はもちろん、神主や坊主、漁師、芸人など。生業は人それぞれだが、もし今の世が戦国時代なら各々が名のある武将になれそうな奴らだ。
……だが、そういう奴らほど危険極まりない。
己の才能を自覚している者は野心も相応に大きいのだ。
仲間にしたは良いが、うかとしていれば内側から狐屋を喰われてしまう。
前の主人は雷蔵を得てひどく喜んだ。
「おまえは私に買われて良かったと喜んでいるようだが、私はおまえ以上に喜んでいるんだよ。そう言っても今のおまえじゃ、私がどれほど喜んでいるか分からないだろうがねぇ」
まだ警戒心を解かない雷蔵の小さな頭を撫でながら、先代は苦笑いをしていた。
確かにその時の雷蔵は『そんなはずがねぇや。やくざ者を相手に商売をするほど肝の太い狐屋さんがあっしみたいな子供相手にお世辞なんて……』と思っていたのだが、狐屋を支える身になった今ではその言葉の真意が身に沁みて分かってきた。
なるほど人の世は難しい。
『本当に欲しい人材とは簡単に出会えないように出来ているようだ』
雷蔵がそんなことをうつらうつらと考えているうちに客間の前に来た。
『さて、またこれから一仕事』
雷蔵は他所に向いて弛んでいた気を引き締めると、キレのある相貌をふんわり緩めて商人の貌になった。
「貌に険を乗せるのは侍に任せておけば良い。我ら商人は心の下に険を隠すのが良し」
前の主人はそう雷蔵に教えてくれた。
笑顔は交渉事の基本であり、真髄であり、極意である。
そんな旧主の教えをきっちりと守りながら雷蔵は両膝を揃えて床につく。
「失礼します」
つ、つつーっ。
中に声を掛けて、一拍の間を置いてから、雷蔵は作法のお手本のように流麗な所作で襖を開けた。




