愛姫(めごひめ) 3
「わしの髪の事など今は関係ないじゃろう。それよりも百合丸、正直に申せ。真の理由はなんだ。そもそもなぜにおまえらは大奥へ忍び込んだのだ」
余三郎は他の三人と違って少しは反省の色を浮かべている百合丸に目を向けた。
「その……なんと言うか……」
百合丸は言いにくそうに言葉をつまらせて視線を逸らした。
「武家の妻たる者の心構えを……その……大奥の者たちから御教授してもらおうかと……」
「天下の大奥ですものねぇ、礼儀作法は必須の事でしょうから教えてもらうなら一番かも」
「妻の心構え?……百合丸、おまえどこぞの武士の所にでも嫁ぎたいのか? 相手は誰だ? 一目惚れでもしたのか?」
カチン、ビシュッ!
居合い抜きで引き抜かれた百合丸の刀が余三郎の耳の薄皮を削いだ。
「な……何をする、百合丸。いま避けなければ確実にわしの目に刺さっておったぞ!?」
「殿。蚊がおったのじゃ、他意はない」
殺気を孕んだ目でそう言われたところで納得できるはずもない。
「あらあら。目を刺されそうになったのですか? お魚の目刺しなら夕飯のおかずに出来たのに残念ですわねぇ」
「食うのか? 目刺しされたら、わし食べられるのか!?」
「殿。食べるのなら、霧を食べて」
「霧、おまえもおまえで何を言っている? 意味を分かって言っているのか八歳児!?」
「叔父上はモテるのう。こんな可愛いらしい幼女と凛々しい美少女の両方に好かれて」
「す、好かれ!? せ、せ、せ、拙者は別に殿の事など、な、なんとも思っておりまないでござりましゅるっ!」
「百合丸、姫の戯言を本気にしてムキになるな」
「あらあら、私だけ仲間外れは寂しいわねぇ。私も殿は大好きなんですよ」
「なんと。叔父上はこのようなボインバインにも好かれておるのか! ところでそなたお役目はなんなのじゃ?」
「お役目? う~ん……。私がここで働くようになったのは母が大奥で殿の乳母をしていた縁があったからなので、そういう繋がりで考えますと、やっていることは女中ですけれど役職としては私も殿の乳母ということになるのかしら」
「おぉ乳母であるか。つまり、そなたは乳で奉仕するのだな? それだけ乳が大きければさぞ立派な勤めを果たすことであろう。見事に適材適所だな叔父上!」
「あらあらまぁまぁ。乳で奉仕だなんて……挟んで擦るとか、かしら? 照れちゃうわぁ」
「照れてないで否定して下さい菊花さん。乳母のお仕事にそんな役目なんて無いですよ」
「むむっ、これは思わぬ伏兵でござる!」
「強敵、なの」
「おぬしら二人も本気にするな。って、話が逸れ過ぎだ。今はそんな事を話しておる場合では――」
「ところで先ほどから気になっておるのじゃが、なにやら楽しげな太鼓と笛の音が聞こえるのう」
「――場合では、ないんですけどねぇ姫様? 真面目にわしの話を聞く気はありますか? というか、聞いてくだされ!」
喋っている途中で愛姫に話を被せられて余三郎の顔が怒りで引きつった。
「そうそう。今日は丁度お餅祭りなんですよ姫様」
菊花は苦虫を噛んだような顔をしている余三郎を横目に見ながらも、愛姫が興味を引く方へと話を向けた。
「お餅祭り? はて、聞いた事のない行事じゃな」
「姫。少しはわしの話を――」
「杵柄神社ってのがこの近くにありましてね、そこの神様が御降臨された日を祝うお祭りなんですの」
「おぉ、地元の神の祭りか。それは楽しそうじゃのう」
余三郎の説教など気にも掛けず、はやくもその小さい尻がうずうずと浮きかけている愛姫。
「……行かせませんよ? 姫」
「一番の見物は紅白の餅を境内から撒かれる事ですわね。去年もそれで食費がかなり助かりました」
「よしっ! 行くぞ。百合丸、霧。妾をその杵柄神社に案内せい!」
「お餅! 行くなの!」
「殿、すまぬ。姫の命令には逆らえぬ」
「嘘だ! 餅だろ! おまえら餅が欲しいだけだろう!?」
「そうまで言うのなら行くのを止めるでござるが、そうすると年に一度しかないお腹いっぱい餅を食べれる日を指を咥えて見逃す事になりましょう……殿は本当にそれで良いでござるか?」
「ぐううっ……」
命の懸かった事案が進行している状況でこの件の当事者らを祭りになど行かせたくはないが、食い物をタダで貰える機会を失していいのかと問われれば、それも見逃せない大事ではある。
打ち首にされる未来か、飢え死にする未来か、どちらかを選べと神に選択を強いられているような窮地で、余三郎が答えるのを躊躇っていると、
「まぁまぁ良いじゃありませんか殿。姫様はずっと籠の中の鳥のようにお城の中で育ってきたんですもの。外の世界を見たいと思うのはとても自然な気持ちだと思いますよ」
「しかし……」
「ウリ丸ちゃん。いいから行ってきなさいな。殿には私からちゃんと言っておくから」
「き、菊花さん!?」
いっぱい(お餅を)拾ってくるのよ。と言いながら抜け目なく百合丸に風呂敷を預ける菊花。
「心得た菊花殿。感謝する」
「三人とも人攫いには気をつけるのよぉ~」
「うむっ! では行ってくるのじゃ!」
余三郎がこれ以上何かを言い出さないうちにと、三人は逃げる兎のような素早さで家から出て行った。
「菊花さん……なぜ」
なぜ三人が出て行くのを援護したのかと、うらめしそうな目で菊花を睨むと、菊花はそんな視線など笑顔で受け流した。
「いいじゃないですか。あの子たちが遊んでいる間に殿は殿でやるべきことがあるでしょ?」
「やるべきこと?」
「これから再度登城して愛姫がお城に戻れるように手配をしておかなきゃ。まさかそのまま愛姫を帰そうだなんて考えてませんよね?」
「そう考えておったのだが?」
余三郎がキョトンとした顔で首をかしげると菊花はわざとらしくため息を吐いた。
「将軍のたった一人の娘が居なくなったんですよ? 今頃城中ではこっそり大騒ぎですよね」
菊花の言う『こっそり大騒ぎ』という表現は妙に的を射ていた。
愛姫の失踪は幕府の未来に関わる大事件。
しかし、これは様々な意味において公に知られてはマズい出来事。
だから今頃は事実を知る一部の者たちだけが頭を抱えながら極秘裏に右へ左へと走り回っている事だろう。
「それは分かっておる。だからこそこれまでの事情をしっかと把握して一刻も早く愛姫を城に帰さねばならないのでは?」
「だからって馬鹿正直にのこのこと城に出向いて本当の事を言ってしまったら……。殿、切腹よ?」
「せ、切腹!?」
「当然でしょう? 事情はどうあれ将軍様のお世継ぎが出奔するのを手助けして、さらに一時的にでも自宅に匿った罪があるんですもの。この事が公になればそれくらいは覚悟しなきゃですわ」
「しかし。それはわしがやらかしたわけじゃ……」
「家臣がやらかしたことは主の責任です。当然ですわよね」
「ぐっ……」
菊花の言うことが一々もっともなので余三郎は言葉に詰まる。
「だから、そうならないためにも将軍のお兄さんにこっそり面会して内々に事を収めた方がよろしいんじゃないかしら? 将軍様だっていたずらにこれを大事にしたくないでしょうし、事情がきちんと伝われば、あとは勝手に手筈を整えて今回の騒動は全て内々に処理してくれますわよ」
「そ、そうか……。確かに菊花さんの言う通りだ」
余三郎は目からうろこが落ちたように目を大きく開けてポンと膝を打った。
「さぁ、殿は急いで将軍様との面会を手配をしてください。愛姫を帰す筋道が整うまでには暫くかかるでしょうし、それまでの間くらいは一大決心して城を出て来た愛姫に城下町見物くらいさせてあげても罰は当たらないでしょ?」
「うむむむ……。しかし、だからと言うてわざわざ祭りなどという人気の多い場所になど行かせなくとも……」
「そんな無粋な事を言っているようじゃ、お江戸で笑いものになっちゃいますよ。殿も覚えがあるんでしょ? 城を抜け出して城下町に出掛けた事の一度や二度くらい」
「うぅむ。確かにそうなのだが」
「ね?」
うまく菊花に言いくるめられて余三郎は渋々登城の準備にかかった。




