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坑道の底

 カキン! カキン!


 天からの光が一筋も差し込まぬ鍾乳洞の中でツルハシを振るう甲高い音が響いていた。


 鍾乳洞を照らしているのはおよそ半町(およそ55メートル)間隔で交互に置かれている松明と篝火かがりび。合わせて三十はある光源なのでそれなりの明るさはあるのだが、武家屋敷が四、五件建てられそうなくらいに広く棚田のように層の重なった鍾乳洞の中の全てを照らすには全然数が足らない。


 その中で一ヶ所だけ篝火が集中しているところがある。そこでは三十人ほどの男たちが集まって堅い岩肌にツルハシを打ち込んでいた。


 ぼわぼわと不安定に揺れる炎に照らし出された男たちの横顔はどれもやつれていて、目は落ち窪み、皮膚は土くれのような色をしていてまるで生気がない。


 彼らの両足には鉄の枷がつけられていて左右の足は太い鉄鎖で結ばれている。ツルハシを振るうために足を開くくらいならば問題ないが走ることは出来ない。そんなぎりぎりの長さだ。


 カキン! カキン!


 男たちがツルハシを振るう度に小さな火花が散る。

 ときおり頭の上から砂や小石が降ってくる。


 男たちは頭や肩に降り積もったそれらを払おうともせず……いや、払うための体力すら惜しんで、ただ黙々と掘り進んだ。


 岩肌と一緒に命をも削るような作業をつづけている彼らを少し離れたところから監視している男がいる。


 土佐者とさもの好みの長刀と高下駄を身につけた洒脱しゃだつな男で、つまらなそうな顔をしたまま床几に腰を降ろして働く男たちをぼんやりと眺めている。


 そして、監視をしている男をも含めた全体の様子を遥か上の層から見下ろしている者たちがいた。


「ほほう、随分と伸びたようじゃな」


 顔全体を頭巾で覆っている酒樽のようにずんぐりとした体形の男。まるで天守閣から城下町を見下ろしているような、そんな目つきで下層で働く男たちを眺めている。


 その後ろで片膝をつき、こうべを垂れている二十代半ばの女が感情の起伏を感じさせない平坦な声で応えた。


「はっ、外堀を越えるまでは難渋なんじゅう致しましたが運良くこの層をを新規に発見できましたので当初の予定よりも遙かに早く進むことが出来ました。一時は人手が足りなくなりましたが……」


「人手が?」


 二人の話を遮るように突然下層で騒ぎが起きた。


「もういやだ、こんなところで働かされるなんて聞いてねぇ! オラもうここを抜けるだぁ!」


 下層で働いていた男たちの中の一人が岩肌に背を向けて走り出した。


「ん、何事じゃ?」


「脱走でしょう。口入れ屋(くちいれや)(現代の職業安定所ような民間の斡旋業者)から回されてきた者のようですね」


 女は慌てたふうもなく淡々と応えた。


「なに? では、あやつは罪人じゃないのか」


 下層で働いている男たちは死刑を言い渡された罪人たちのはずだった。ここで働けば罪を(ゆる)される。その約束があるから脱走などするはずはないのだが……。


 頭巾の男がいぶかしげな声を上げて下層に目を戻すと、脱走を図った男は足につけられた枷の鎖を鳴らし転びそうになりながらも地上へと向かう通路を一心不乱に駆けている。


 広い鍾乳洞ではあるが、周囲の地面には無数の石筍せきじゅんが天に向かってその鋭い切っ先を突き出していて、あたかも剣山のようになっているので、地上に逃げるためには作業用に作られた幅一丈(約三メートル)の平らな通路を通るしかなかった。


「もういやだ! 家に帰るだー!」


 最下層を必死に走る脱走者を頭巾の男と共に見下ろしなら女は淡々と答えた。


御前ごぜんが手配して下さった罪人たちは半数以上が落盤事故や衰弱によって既に死んでおります。ですので足りなくなった人手を市井しせいから日雇い人足として雇いました」


「そのような者たちをここに入れて大丈夫なのか。この工事が終わって、地上に戻った奴らが誰かに喋ったらどうするのだ。もしこの計画が露見すれば、わ、わしは破滅じゃ!」


 頭巾の男が急に怯えだす。


「ご安心を。元より彼らを生きて地上に還すつもりはありませぬ。賃金も後払いということになっておりますゆえ、こちらとしては奴らがどれだけ死のうが痛くも痒くもございません」


「ほ!? ……ほほほっ」


 男が漏らした最初の一音は『驚き』。続く音は『感心』の入り交じった笑い声だった。


 最下層では脱走者の行く手に、長刀・高下駄の男がふらりと立ちはだかった。


 またか……。男はそんなウンザリした顔で握っていた刀を鞘から抜く。


「こ、こげなところで殺されてたまるかぁー!」


 元よりこうなることを覚悟していた人足は走りながら握っていたツルハシを振り上げて攻撃した――が、


「うぐっ!」


 振りかぶったツルハシが振り下ろされる前に高下駄の男は脱走者の隙だらけの腹に真っ直ぐな斬線を容易く刻み込んだ。


「し……死にたくねぇ。オラ、死にたくねぇだ……」


 目からぼろぼろと涙を落とし、口からは涎を糸ひかせ、ツルハシを振りかぶった姿勢のまま脱走者の動きの止まった。


 高下駄の男は無造作に脱走者に近づくと、面倒そうに足を上げて正面から蹴り飛ばした。


「うがっ!」


 蹴り飛ばされた脱走者の体は狭い通路から外れて、剣山のような石筍地帯の中に倒れてしまい、男は無数の石針に体を貫かれて無残な最期を迎えた。


「――っ! ひでぇことを……」


 今しがたまで彼と肩を並べて働いていた人足たちは仲間のあっけない最期を見せつけられて顔をしかめたが、血に濡れた長刀を持った男が彼らに苛立った目を向けると、慌てて岩肌に向き直って再びツルハシを振るい始めた。


 カキン! カキン!


「ほほほほっ、働かせるだけ働かせておいて用が済めば皆殺しか……酷いことをするのう」


 その一部始終を見下ろしていた頭巾の男がやや引きつった口調で呟く。


「お気に召しませぬか? 御前」


「いや、言ってみただけじゃ。やり方はそれで良い」

「はっ」


「で、いつ頃完成しそうなのじゃ?」

「あと七日もあれば」


「なるほどなるほど。それで、その次の計画に使うほうの人手の手配は済んでおるのか?」

「抜かりなく」


「ほっほっほ、小気味良い返事だ。おぬしの働きぶりには満足しておるぞ」

「有り難き幸せ」


 女は最初からずっと同じ姿勢のまま、淡々と応えた。


 頭巾の男が眼下で家畜のように働く男たちを眺めつつ、懐の中から異様に長い扇子を取り出してゆっくりと仰ぐ。


「ここが完成すれば天下は再び乱世に戻る。生まれた時から勝ち負けが決まっているような封建制度のつまらぬ世の中がくつがえされるのだ。楽しみだのう」


 頭巾の男の背後にいる女はそれに対して何もこたえなかった。


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