第一話 少年アリスは断固として登校拒否します!
「アリス。オマエ、明日から学院に通いな」
それは唐突な提案であった。
なんの脈絡もなく向けられたその声に、カチャカチャと台所で食器を洗っていた少年は手を止め、振り返る。
クセのない綺麗な黒髪に、色白で丸みのある小さな輪郭。
パッチリとした二重まぶたが愛らしく、より中性的な顔立ちを際立たせる。一見少女にさえ見間違えそうなベビーフェイスであるが、ひん曲げた眉と口がそれらを台無しにしていた。
「ア・レ・イ・スだ! アリス言うな」
「なんだ今更。いいじゃないか、可愛くて」
「だからヤなんだっつーの。あと今更じゃねえ。ずっと言ってる。アンタが聞く耳持たねぇだけで」
「相変わらず可愛い顔して可愛くないヤツだなぁ。聞き入れてほしければ、私に立派な男になったと認めさせることだな。ア、リ、ス」
ことさらに強められた語調に、アレイスはムッと更に目を尖らせて、食後のティータイムに興じる相手を睨みつける。
燃えるような赤いドレスに、夕焼けのように紅い髪。
はらりとドレスを通して見えるグラマラス体型は実に扇情的で、それでいて生けられた花のように奥ゆかしく、白磁のティーカップを摘む仕草が妙にサマになっている。
きっと、これが自分の義母でなければ、それなりに見惚れていたのかもしれないが、中身と実年齢を知ってしまえば、幻滅することは必至である。
「で、何でまたおれが学院に通わにゃならねーの?」
溜め息のあと、本題へ話を戻したアレイスに紅い魔女はニヤリと、琥珀色の瞳を妖しく細めた。
「なに、お前も今年で十六になるだろう? 義理とはいえ母親の身の上としては、そろそろドコかの学校に通わせてやるべきだと考えていたのさ」
「それで学院に通え、と?」
「そう。学院に通い、魔導の何たるかを学び、友を作り、見習いだったオマエは卒業とともにプロの魔導士になる。我ながらグッドアイディアだろ?」
聞こえの良いはずの言葉がどうにも胡散臭くて、アレイスは眉間にしわを寄せる。
怪しい。この極悪非道な人でなし魔女が、こんなヒトとしてまともな提案を持ちかけてくるなど、怪しいにもほどがある。
「……なにが目的だ?」
「人聞きが悪いな。私をなんだと思っている」
「偵察だっつって、息子を魔物の巣窟に蹴り飛ばすようなクソババアだと思ってるよ」
「はて、そんなことあったようななかったような……?」
ずずっ、と。
瞑目しながら紅茶をすする義母に、俄然アレイスは視線を鋭くさせる。
「そもそも明日から学院つっても、この時期に試験を行ってるトコもなければ、試験を受ける資格すらおれにはねぇぞ」
「その辺りは安心しろ。私の権力とコネを最大限活用して、コイツを手に入れた」
「これって……入学推薦状? しかも学院って、あのギルフォード魔導学院のことかよ!?」
ギルフォード帝国魔導学院。
魔導士を目指す者なら誰もが夢を見る、名門魔導学院。
大陸中は愚か、東西南北の海を越えた国々から魔導士の卵が集う、超激戦難関学校である。
「どうしてこんなもんが……」
「なァに。この学院を運営するギルマスとはちょっとした顔見知りでな。かわいい息子の話をしたら、二つ返事で快く受け入れてくれたよ」
その話を聞いて、アレイスの違和感はより大きくなった。
「……そりゃまたキナ臭ぇ話だな。ギルフォード学院と言やぁ、五大ギルドが運営する施設。そのなかでも大きな利益と収益を担っている有名どころだろ。それがこんな突発的な特例を、何の考えもなしに認めるってのは、どうにも考えられねぇ」
魔導組合とは簡単に言ってしまえば、国家魔導士資格を得た魔法使いたちの団体である。
二十年前に終結した大戦以降、彼ら魔導士は各々に軍事から慈善、教育から医療など、様々な運動を以て、大陸の安寧と秩序を維持してきた。
その中でも、五大ギルドと銘打たれたそれは、帝国からの援助や領土の一部を与り、数多の魔導組合を束ねる力を有する。
故に、彼らの事業には国家規模の責任が伴う。
それが何の調査もなく、何の姦計もなく、自分を招き入れようとするなど、アレイスには考えられなかった。
「相変わらず疑り深いヤツだなぁ。そんな生き方して疲れないか?」
「誰のせいだと思ってんだ」
口を開けば嘘八百の秘密主義。気に入らない物は燃やしてしまえという自己至上過激主義者。
人間の悪を濃縮したような彼女と共に生活していれば、人間不信になって当然であった。
「いいからさっさと教えろよ。アンタも、そのギルマスも、いったい何を企んでんだ?」
いい加減回りくどい。
アレイスは苛立ちも隠さず、魔女の向かいに腰掛けて詰め寄る。
真正面から注がれるアレイスの本気の苛立ちに、魔女はフフッとほくそ笑んだ。
「企みってほど難解な話じゃないさ、アリス。これは仕事だ」
「しごと?」
またしても、アレイスの眉間にしわが寄る。
「いいか。今や大陸全土に流通する魔導教育のほとんどは、そこのギルドをもとに発信されている。直営なのか代理なのか派生なのか。形式はそれぞれあるが、概ねノウハウは同じだ。そして今のご時世、魔導士のほとんどが学院や私塾施設出身者。つまり、この世の大半の魔導士は学校で学び、そのギルドから生産されていると言っても過言じゃあない」
いまや魔導士は世界に不可欠の存在だ。
あらゆる生活基盤は、彼らによって支えられている。
つまり、学院に入籍するひとりひとりは、運営ギルドにとって、かけがえのない商品なのだ。
丁寧に、大切に。その種の段階から選りすぐり、才能の果実が大きく瑞々しく実るために、より良質な肥料と、必要な資金をかける。
「それが昨今、学院出身の魔導士の質が落ちてるみたいでねぇ。まぁ大戦以降、魔物軍勢の動きもおとなしくなってきてるし、人間同士の戦争だって他国の内地に限られている。とはいえ、何かあった時に使い物にならないんじゃあ話にならん。特に帝国を代表する魔導学院ともあれば、そこに通うガキどもくらい、自衛手段のひとつやふたつ、身につけていて欲しいわけさ」
「あぁ、なるほど……そういうことか」
そこまで聞いて、アレイスは彼女の続く言葉を代弁した。
「とどのつまり──おれに学生どもに戦い方を教えろ、てことか」
その答えに「ご名答! さっすが私の息子。義理だけど」と年甲斐もなく彼女はウィンクをする。なんとも白々しい。
「魔導教育に力を注ぐギルド、質の落ちてきた学院出身の魔導士に、おれが学院へ呼ばれたこと。ここまで言われりゃあ、なんとなくはな」
要はこう言うことだ。
より良い魔導士育成のため、現場経験のある外部からの人材を引き入れた、と。
その人材として自分が選ばれた、と。
「が、解せねぇな。どうしておれなんだ? それこそアンタが講師としてでも出向けば、話は早いと思うんだけど?」
「まず第一に、ギルド固有の事業に傘下以外の他ギルドの魔導士が関与することは、極力避けられているからだ。色々と理由はあるが、要はパワーバランスと見栄の問題だな。力を有するギルドが、他のギルドの力を借りることでより強大になることを良く思わない輩もいるし、逆に他ギルドの力を借りることはそのギルドの信用問題にも関わる」
「五大ギルドともなれば、尚更だな」と補足してから、彼女は続ける。
「そして第二に、オマエがまがりなりにも【黄昏の魔女】と称えられたこの私、ディアナハート=クリストローゼの雑用係であるからだ」
「パシリ言うな」
不満顔のアレイスを前に、魔女はケラケラ笑った。
【黄昏の魔女】ディアナハート=クリストローゼ。
かつて世界を救った五人の英雄『大戦の五英雄』のひとりであり、その中でも最強と謳われる人物。
古今東西、種族を通り越して、彼女の名を知らぬ者はいないだろう。
「まぁそういうことで。オマエには私の仕事に三年間も付いてきた実績と経験がある。現場でしか養えない戦術勘、蓄えられた知識と鍛えられた知恵、それら戦場におけるオマエの実戦経験は同世代どころか、そこらのプロ魔導士にも負けはしないだろう」
「……で、そいつを学生諸君に叩きこんで来い、と?」
「そーゆーことであーる。立場上、正式なギルド登録もしていなければ、国家魔導士資格も持たないオマエであれば、さっき言ったギルド間の問題にも差し支えないしな」
そうひとしきり話を聞き終えたところで、アレイスは思考する。
確かに、話の筋や理屈としては通っている。
アレイスが生徒として紛れることで、講師よりも近い位置で生徒たちと接触を行い、入念な指導を行うこともできるだろう。
だが、と。
理屈として理解した上で、アレイスはひどく苦い顔を浮かべた。
──面倒臭すぎる。
「露骨に嫌そうな顔をするヤツだなぁ。何が不満なんだ?」
「全部だ。そもそも勝手にそんな仕事振られて、はいそうですかって頷くと思ったのかよ?」
「おもった」
「クソババア……ッ!」
苛立ちに歯を鳴らすも、アレイスはふぅっとひと息ついて、冷静になる。
「まずこの話、おれにメリットがまるでない。報酬つっても全部ギルド本部に回るわけだろ。学院でも何かを学べるわけでもねーし、それなのに卒業資格を得るまでの最低三年間は、学院に拘束されるわけだ」
全く馬鹿げた話である。
魔導士の質が落ちている? だから生徒たちに戦い方を教えてやってくれ?? そんなの知るか。
そんなのは本人たちの勝手だし、魔導講師の責任だ。
全く関係のない別ギルドの人間に要請するくらいなら、フリーの魔導士でも雇って、講師の入れ替えを繰り返せばいい。
「今更おれが学院に通うのも、そこで戦い方を教えるのも、全てが非効率的且つ非生産的なんだよ。それならおれはこれまで通り、アンタと一緒に世界を回る。その方がおれのためになる」
そうだ。少しでも早く、少しでも長く。
この魔女のように、この魔女の隣に立つことが何よりもの目標なのだ。
そのために貴重な時間を、無駄足を踏む時間など、自分にはない。
「まったく、オマエは自己中心的だなぁ。誰に似たんだか」
「アンタにだけは言われたくねーよ」
頑ななアレイスに「はぁ、わかったよ」と彼女はカップに入った紅茶を飲み干し、椅子の背もたれから腰を持ち上げた。
「頑固なオマエのことだ、何を言ってもダメだろうさ」
存外すんなり引き下がるもんだな。
そう、アレイスが拍子抜けしているところで、
「アリス」
アレイスの耳に、魔女の柔らかい呼びかけが届いた。
「ひとつ訂正するとだな。確かにオマエが学院に通うのは、より実戦的な魔導士を育成する手段としてだ。けれど、私が最初に言ったこともまた、私の願いでもあるんだよ」
紅い髪を垂らす、はだけた背中を見詰めるアレイスは、彼女の言葉を思い出す。
魔導の何たるかを学び、友を作り、立派なプロの魔導士になること。
彼女は確かに、そう口にしていた。
「私は最強の魔女だ。きっと私より強いヤツはいないだろう。そんな私の側にいれば、オマエもまた学べることはまだまだあるだろう」
だが、と彼女は付け足して、断言する。
「私には教えてやれないこともある。与えてやれないものがある。学院でしか学べないものがあり、オマエ自身にしか得ることの出来ないものもあるはずなんだよ、アリス」
珍しく真剣な様子で話す義母の助言に、アレイスは渋い顔をする。
彼女なりに、自分のことを思ってのことと言うことだろう。
──しかし、やはり考えは変わらなかった。
「……悪ぃけど、それでもやっぱりおれはアンタと一緒がいいよ。おれは、アンタみたいな魔導士を目指してるんだ」
「そうかい……なら、もうこの話は終わりだ」
そう言って、彼女はひとつ伸びをした後、アレイスが立っていた台所へ飲み干したカップ一式を持ち運ぶ。
口を開けば嘘八百、気に入らないものは燃やしてしまえという自己至上過激主義者。
そんな彼女と、こんな風に話せたのは、久々だった。
──何だか、親子って感じだな。
「あーあー、ったく。やっぱりマジメな話は好きじゃないねぇ~。アリス、ちょっくら町まで買い物に出てくれないか?」
「はぁ? なんでこんな時間におれが……」
「そう言うな。釣りはくれてやる」
「……ちっ、しゃーねーなぁ。わーったよ」
そう乱暴に、差し出された買い物のメモを受け取ったアレイスは、日の落ちる頃、近場の町へと繰り出したのだった。
──いまになって思えば、二人ともどうかしていたと思う。
すんなり突然の買い物を引き受けたことも、あの極悪非道な魔女と会話が成立していたことも。
あの魔女に言葉など通じない。思いつき、決めてしまえば、彼女は決行するのだ。
容赦なく、強制的に、無理や出来ないなどの声の一切は届かない。
それを疑わなかったアレイス自身も、詰めが甘かった。
そう──買い物を終えて帰ってきたアレイスは、燃えさかる我が家を見て、思ったのだ。
「うそ、だろ……?」
真っ赤に燃え立つ炎、ガラガラ音を立てて崩れる家屋、黒い煙がもくもくと赤い夜空に伸びている。
アレイスはしばらくの間、呆然と立ち尽くして、その光景を眺めていた。
「――……あ、あれは?」
真っ赤に染まった景色の中、その火元の野原に転がる物影を見つけた。
転がっていたのは、生活用品を詰めたバッグと先程見たばかりの推薦状の封書。
そして、重ね置かれた──二枚の手紙。
アレイスはそのうちの一枚に手を伸ばし、中身を確認した。
『ハッハァ、驚いたかアリス? 驚くはずだな。何せ買い物から帰ってきたら家が燃えてるんだものな。きっとオマエのことだ、理解が追い付かなくて呆然としていたのだろう? だが安心しろ。これは他でもない私の仕業だ。オマエが駄々をこねるもんだから、何を言っても無駄ならば、実力行使しかないだろう? これでオマエの帰る場所もなくなった。が、それも安心しろ。学院には寮もある。マザコンもこれを機に卒業することだな。PS.私はギルドを抜けることにした。しばらく自分探しのひとり旅をしたくなってな。だからギルド本部に連絡を取ったところで私の居場所は分からんし、私の保護下にあったお前も自動的にギルドを追放される形になるから、そのつもりでな。では愛する息子よ、せいぜい立派な男になれよ。 大好きなハートママより』
「は、はは……そーゆーことかよ……」
くしゃり、手紙を握り潰すアレイスの肩は震えていた。
あのババア、散々小難しい理屈を並べたかと思えば、本音はただバカンスに出たかっただけ、と……!
そのために、後ろから付いてきていたおれが邪魔だった、と。
だから、学院に通わせて自由の身を得ようと。そーゆーことか。
──メチャクチャだ。意味が分からない。
「──ふっっざけんなッ!!! あんのクソババアァァッッ!!!!」
赤く燃える夜空の下、身内に家を焼かれたアレイスの叫びが、虚しく響いた。
連載始めました!
これからより楽しく面白く!書いていけたらと思います! よろしくお願いします!
ちなみに、アレイスをアリスと呼ぶのは、『健太』を『ケンちゃん』って呼ぶような感覚だと思ってくださるとよろしいかと!