序章1
陽は子を見守る穏やかさを取り戻す中、地面の茶色い部分は殻が剥けたような緑色に染まり始める。辺りには、背中を押してほしそうに大きく膨れた蕾がぶら下がっている。どこを見ても、役者が顔色を変え始めている。名残惜しいと風が肌をかすめると少し寒い。それに、この巨木の根元にはほとんど陽が当たらないから、なおさら寒い。唯一暖かいものと言えば、自分の体温とその体温で暖められた地面くらいだ。
温もりが少ないのにもかかわらず、ここに小一時間座っている。それは、巨木の根と根の間にもたれかかる様に座っていて安易には動けないからだろうか、ここに来る度に落ち着いてしまい、動きたくなくなるからだろうか。そんな不思議な巨木の周りに自分しかいない。自分の呼吸と葉が擦れ合う音しかしない。それは俺をとても寂しい気持ちにさせる。意図もなく発した言葉は、誰のもとにも届かずに、風に流れて行ってしまうように感じる。だからか、言葉を零したくなる。
「俺は、」
その巨木からは何も返ってこないと分かっているのに、話しかけたくなる、感情を流したくなる。
「分かってる。だけど、どうしようもないこともあるよな。」
辺りには誰もいない。ただ、巨木の周りには広大な森がある。巨大な湖と、中世を思い出させるような建物が目の前の拓けた道の奥にある。ただそれだけ。
青年が見上げると、巨木は返事をするかのように枝を震わせた。露になった青年のその目には、黒い包帯のような眼帯をぐるりと巻き付けている。濃紺色の髪に良く映える色白だ。余裕がある長袖に比べて、長ズボンはぴったりとしている。いくら陽射しが出ているとはいえ、今の季節に外に出るような恰好ではない。ブランケットや羽織るものが一つはほしいところだろう。
「探させたな。」
彼は、正面の道から来た、黒い青年に話しかけた。その黒い青年は髪はおろか、瞳も肌もすべて黒い。唯一明るいとしたら彼の服の色だ。(それでも使われている色は深緑や濃紺だが。)
その彼は眼帯の青年をじっと見ている。表情の変化はあまりない。
「もし、ひいても治してくれるだろう?」
黒髪の彼は怪訝な顔をした。
「スラサ様。」
重い唇を開けて発した言葉はそれだけだった。眼帯の、濃紺色の髪の青年、スラサはその真剣なまなざしに苦笑いで返した。
「すまない。風邪はひかない方が一番だな。」
黒髪の青年はスラサに濃い灰色のガウンを手渡した。
黒髪の青年は医療に携わるものなのだろう。
「ありがとう。」
スラサは立ち上がると、それを受け取って羽織った。
「朝食。」
「ああ。戻ろうか。」
黒髪の青年は、スラサを呼びに来たようだ。
スラサは巨木を見上げた。何かを告げたように見えた。
黒髪の青年を連れて、巨木の下を去った。
ここはもう少し暖かくなれば絶好のお昼寝スポットになる。きっとスラサはそれを心待ちにしているだろう。