二つに分割された日本国。互いに生き残りをかけ鮮烈な戦いがはじまる。
イデオロギーの対立は、おそらくは永久に解決しない問題であろう。これを片付けようとして日本を分割してしまったら?
誰もが一度は考えたことがあるであろう、この仮想世界を掘り下げてみたら、作者の頭の中ではこのような世界が展開された。
果たしてこれはただの妄想か、それとも現実に起こりえる仮想現実なのか、答えは読者にゆだねるが、本著によって、読者の想像力にほんの少しでも波風がたてられたなら、存外の喜びである。
この物語は全くの創作であり、登場する国名、団体及び人物等は、実在のものとは一切関わりのないことを、予めおことわりしておく。
(作者:岡村秀平)
「日本分割(下)」
先にフェンスを抜けた男二人と女一人は、陸軍兵士が負傷で動けなくなったため追跡不能となり、まんまと日本国内に逃げおおせたらしく、その後の消息は不明だった。
この事件は直ちに日本国内に報道され、政府関係者達も衝撃を持って事態を受け止めた。
政府関係者は一様に、潜入した不法入国者が、それぞれ自動拳銃を所持していたことに驚きを禁じ得なかったが、一番の驚きは、侵入者が手榴弾を携行していたことだった。
男女の遺体を確認したところ、日本国発行のパスポートと運転免許証を携行していたが、調べた結果それらは偽造されたものであることが判明した。
二人が所持していた自動拳銃は、旧ソ連製マカロフ拳銃を中国がコピーした「五九式拳銃」と認定された。また、使用された手榴弾についても、回収された破片から中国製の物と推定された。
最終的には二人の国籍は判明しなかったが、その他の所持品のほとんどは中国製であった。
この事件に関する報道は海外にも配信されたが、その報道に対し中国政府がわざわざコメントを挟んできた。
中国政府は、
「日本国政府は、射殺された二人の国籍は不明としているが、暗に中国人であることを示唆している。
しかし、本当にこの二名が東亜国から日本に密入国を図ったかどうかについては疑わしい。
見ようによっては、二人の若者を見せしめのため現場で射殺した後で、証拠隠滅のため拳銃を持たせた可能性もある。
現に日本国政府は、二人が所持していた拳銃や手榴弾は中国製だったと、あたかも我が国が裏で手を引いているかのような言いがかりをつけているが、我々は日本のヤクザが、中国製の拳銃や手榴弾を数多く所持している事実を知っている。」
と事件が日本によってねつ造された可能性について言及し、更に、
「これは水野政権の横暴が招いた悲劇であり、国際犯罪である。
もし仮に射殺された二人が中国人であることが確認されたならば、中国は日本国に対し、それなりの責任を取らせることを検討しなければならない。」
と非難した。
これに対し日本国政府は、
「射殺された二名をはじめ、侵入を図った五名全員が拳銃や手榴弾を使用した証拠を、日本政府は握っている。
もし必要となれば、我々は何時でもその証拠を開示する用意がある。」
と反論した。
警備能力に関する機密維持のため、一連の報道においては、日本政府はその探知方法や記録映像は公表していなかった。
日本国政府は、二人の遺体をDNA鑑定、要すればヒトゲノム解析技術を駆使して国籍を推定することにした。
解析の結果、二人は日本人である可能性が数パーセント程度、朝鮮人である可能性やその他の民族である可能性も一定程度残すものの、圧倒的可能性として漢民族系である傾向を示した。
ただしこの鑑定結果は公開されず、この解析作業自体秘密とされた。
また、偽造パスポートと運転免許証の鑑定も行われた。
鑑定の結果双方とも、かなり高度なレベルの技術を使用した偽造品であり、個人レベルでこの偽造パスポートや運転免許証を作ることは困難と推定された。
その後も警察当局は、日本国内に潜入した三人の密入国者の行方を追ったが、依然その行方は掴めなかった。
三人の行方どころが、今回の侵入事案の後、群馬県以外の国境線においても、光ファイバーセンサーによって、不法な越境行為とみなされる事案が続発した。
しかもそれらの越境は、群馬県で起きた事案とは、フェンスの突破の仕方が異なっていた。
群馬県の事案で、フェンスに何らかのセンサーが仕込まれていることを悟った侵入者たちは、対抗策を練ったのだろう。
後の事案では、フェンスを切断して通り抜けるのではなく、二メートルのフェンスに、はしごや脚立を立てかけてフェンスを越えていた。
フェンスを乗り越えるのに使用されたはしごや脚立は、国境線近くの農家や、住民が引っ越して空き家となった建物から盗まれたものが使用されるケースが多かった。
フェンスを切断する方法と違って、フェンスを乗り越えるのは、ほんの一分もあれば可能である。
これでは、光ファイバーセンサーが異変を検知し、最寄りの陸軍警備所に警報を発したとしても、兵士が現場に到着する前に侵入者はフェンスを乗り越え、逃げおおせてしまうのだ。兵士の到着どころか、監視用ドローンすら間に合わないこともあった。
以後、日本政府としては陸軍のみならず、警察力まで総動員して、不法侵入事案に対処することとなった。
「中国政府は、射殺された二名の国籍が中国人であると確認されたならば、日本に責任を取らせると言っているが、その意図はなんだろうか?」
総理大臣執務室で、官房長官の林信芳と国防大臣小宮義治を座らせ、水野総理は二人に疑問を投げかけた。
「中国は『二名の国籍が中国人であると確認されたならば』と言っていますが、中国にその確認をする手段があるのでしょうか?」
林官房長官は水野の問いかけに、更に疑問の上乗せをした。続けて、
「我々が、遺体の二人が中国人と断定したのは、DNA解析の結果によるものであり、それが可能となったのは、現に二人の検体があったからです。検体を持たない中国がどうやって確認するつもりでしょう?」
すると国防大臣の小宮が冗談半分、本音半分で「向うは、偽造パスポートや運転免許証の発行台帳を持っているのでしょう。」と口を挟んだ。
これに対し水野はわずかに苦笑し、
「二遺体が所持していたパスポートや運転免許証が偽造された疑いがあるとは公表しているが、偽造と断定したことも、そこに記載された氏名も公表はしていない。」
と、現時点で抱いている疑問を考察するための説明を捕捉した。
「もしこれが、全て中国政府の計画による行動であるとするなら、決して理由は発表できなくても、彼らは二遺体が中国人であることは確信できるのでは?」
林は、他の二人が最も考えたくなかった可能性を口にした。
水野と小宮の顔が一瞬にして曇った。
「一番考えたくない可能性だが、だとすると奴らの目的は何だ?」
水野の問いかけに小宮が
「破壊工作を目的としていたとするならば、潜入者は訓練された工作員ということになるのでしょうが、それにしては監視ドローンの映像や陸軍兵士の証言を総合的に判断した結果からは、決して手際のいい犯行だったとは言いかねます。それに射殺された二人が所持していた荷物が軽装過ぎます。」
と答えた。
射殺された二人はそれぞれ背中にバックパックを背負っていたが、二人とも中身は予備の拳銃の弾丸以外は、ちょっとした着替えと洗面道具、それとわずかな食糧程度であった。まるで近所の野山にハイキングにでも行く程度のいで立ちで、とてもではないが「どこかを爆破しようか」といった気配は伺えなかった。
「侵入者が投げたとされる手榴弾も、射殺された二人はもっていなかった。
手榴弾を投げた先頭の男も、二投目を投げなかったことから見ても、奴らが所持していた手榴弾は、最初の一発だけだったのかもしれません。
それに、癪に障ることですが、中国政府が言うとおり彼らが所持していた拳銃、マカロフのコピー品ですが、確かにこれは中国軍の正規ルートで入手しなくとも、裏社会では結構流通しているようです。
それに銃撃戦を交わした陸軍兵士の証言でも、奴らの射撃の腕前は決してプロレベルではなかったようです。最初に足を撃たれた兵士は、まさか相手が銃を所持しているとは思わずに最初から相手に対し接近し過ぎたようです。
兵士の証言からしても、奴らが特殊工作員であった可能背は低いのではないかと思います。」
小宮は、今度は国防大臣らしく、国防省としての見解を付け足した。
それ以外にも、武装工作員としては、男三人、女二人という構成も不自然である。
成功を期すならば、屈強な男の工作員のみで潜入するのが一般的な考え方だ。
「油断はできないが、どうやら今回は個人レベルの侵犯事案の可能背が高いようだな。」
水野がそう結論づけると、
「すると、中国政府の『日本に責任をとらせる。』という挑発的な発言の目的は何でしょうか?」
と、林官房長官はまた、疑問を振り出しに戻してしまった。
個人レベルとすると、所持していたパスポートや運転免許証はどうやって入手したのか?こちらの方はどう見ても個人レベルで作れるものではない。
誰もが思ったことだが、それを口にするとまた議論が堂々巡りになりそうで、三人ともあえてその疑問を口に出すのをためらっていたその時、水野の秘書が執務室のドアをノックした。
「国家公安委員長が見えられております。お通ししてよろしいでしょうか?」
秘書がお伺いをたてると、水野は「どうぞ。」と国家公安委員長の前田達夫を招き入れた。
「例の偽造パスポートと運転免許証に関して新たなことが判明しましたので、報告に参りました。」
前田はそう切り出すと、ちらりと林、小宮の方を見遣った。
「みんなで情報を共有しよう。」
水野はこの場にいる者達全員を信頼していた。そこで前田は報告を続けることにした。
「皆さんご存知のこととは思いますが、運転免許証の方はともかく、我が国のパスポートは偽造防止のため、極めて高精細な印刷技術やホログラムなど、世界最高水準の印刷技術を駆使しております。
今回密入国者が所持していた偽造パスポートですが、その印刷技術を詳細に解析した結果、過去のある事案と関連があるのではとの結論に至りました。」
「ある事案とは?」
前田が「ある事案」ともったいつけたところで、すかさず水野は答えを急かした。
「これまでに見つかっている偽ドル札です。
属に『スーパーノート』と呼ばれる、非常に精巧に作られた偽百ドル札で、このせいで、世界中で高額紙幣の使用が敬遠されるきっかけとなったシロ物です。何しろ簡単な識別機ならば本物と認定してしまうほど高度な技術が用いられておりますから。
皆さんご存知のようにパスポートの台紙には非常に高精細な印刷技術やホログラムなどが使われておりますが、人間の目だけならともかく通関の識別機を欺くほどのものとなると、そう簡単には印刷できるものではありません。
この点、スーバーノートは超高精度な凹版印刷技術が使用されており、今のところ正規品以外でこれほど高精細な印刷を可能とする物は、他には存在しておりません。」
前田は、今度はいっぺんに説明を終えた。
「スーパーノートと同レベルということは、作ったのは北朝鮮ということか?」
水野の問いかけに、前田は答えた。
「一般的にはそう信じられていますが、実のところスーパーノートを北朝鮮が作ったという証拠はありません。あくまでも可能性の話しです。
いずれにせよ、今回の偽パスポートや運転免許証は、国レベルの関与がなければできるものではありません。」
「仮に北朝鮮が作ったとして、では何故中国人密入国者がそのようなものを持っていたのか?北朝鮮と中国が結託しているということなのか?」
水野が発した疑問は、林や小宮も同感であった。
「北朝鮮が国ぐるみで犯罪に手を染めていることは昔から常識です。
公安で掴んでいる情報によれば、東亜国内では大量に流入した中国人や北朝鮮人がマフィア的犯罪組織を構築しており、このうち北朝鮮マフィアは、本国の直営状態にあるというのが実状のようです。」
前田の説明に三人は更に暗澹たる気持ちになった。
「ということは、中国人の密入国者が北朝鮮マフィアに金を払って偽の日本国のパスポートや運転免許証を作ってもらって、それを持って我が国に入り込んでいる可能性があるということか?
これほど精巧な偽パスポートや運転免許証を持っているなら、危険を冒しても、一旦日本国内に入り込んでしまえばあとはどうにでもなるという考えか?」
小宮は苦虫を嚙み潰したような顔でつぶやいた。
「これほど精巧な偽造パスポートや運転免許証が出回っているということは、これまで既に通関を通って日本に入り込んだ不法入国者がいるということを前提にしなければならないのかもしれない。」
もはや水野総理が国家分割に際して抱いた危惧は、現実問題として顕在化した。
これからは日本国内に潜り込んでいる不法入国者に対する対策をどう立てるかという検討を始めなければならない。
中国政府の狙いも案外単純なことではないか。
「中国の狙いは、第一義的には、尖閣諸島への上陸に対する我が国の抗議を封じ込めるための牽制であり、副次的には、日本国政府によって自国民が殺害されたというシナリオ作り上げ、これを口実として日本に対し何らかの条件を突きつけるつもりなのではないでしょうか。」
林官房長官が、一旦議論を締めくくるかのように、そこにいる全員の思いを代弁するような仮説を述べて、この日の情報共有作業は終った。
第二次の水野政権がスタートして以来、ことあるごとに中国や北朝鮮、それに、それまでは同盟国的な関係であったはずの韓国までもが、日本が侵略意図を持った危険な国家で、自分たちはその、日本からの侵略に対抗するため、軍事力を増強するのだというスタンスを、ことあるごとにアピールしていたが、そもそも自衛隊の時代から、日本国が持つ武器には、他国の侵略に使えるものなど存在していなかった。
なにより、元々日本には、中国や朝鮮半島を侵略しようとする意図など、毛の先ほどもなかったのである。にもかかわらず、日本を危険な侵略国家だというイメージを植え付けようとするこれらの国の真の意図は、言葉とは真逆で、日本を侵略することにあったとみることができる。
犯罪を企む者が、先ずは自らを犯罪の被害者だと主張することは、よくあることである。
韓国は、初代大統領李承晩政権時、戦後の混乱をついて日本固有の領土である竹島を占領した。それどころか、その余勢を買って、対馬まで分捕ろうと計画していたとの説がある。幸いこの計画を実行に移そうとしたタイミングをついて北朝鮮が韓国に侵攻したため、李承晩による対馬侵攻作戦はとん挫したと言われている。
北朝鮮は、領土の占領こそ行っていないが、かつては日本領土に対する不法上陸を繰り返しては、日本国民を拉致するという、正真正銘の侵略行為を繰り返している。
そして中国は、ついに尖閣諸島の侵攻に乗り出した。
国家分割まで、日本人は日本国憲法前文の文言のどおり、周辺諸国の信義を忠実に信頼してきたのだが、残念ながら日本国憲法の精神は周辺諸国にまでは波及してはいなかったのだ。
二十一世紀になって二十年以上たった今日にあってもなお、国際社会の常識は、常に自国の利益が最優先であり、そのため常に騙し合い、化かし合いを繰り返す。
そして、だます方が悪いのではなく、騙される方が馬鹿なのである。
歴史上、ほとんど国境というものを持ったことがない日本人は、このことがどうしても理解できなかった。
ところが国家分割によって、日本人のなかでも、とりわけお人好しの人達は、あっさりと日本を出て行った。そのおかげで、残った日本人は、少しは正常な判断が下しやすくなったようで、以前の日本ならば、今回のような中国政府の揺さぶりに対し、自らへりくだって、ことを穏便に済まそうとしたであろう。
しかし、新生日本国においては、今回の中国の報復宣言に同調するマスコミの意見もSNSでの一般国民の批判書き込みも起きなかった。
本来当たり前のことだが、殆どの国民は、中国の主張よりも日本国政府の見解を信用したのである。
六 クライシス
日本政府が公式に分割を承認して誕生した東亜国であったから、アメリカ合衆国も渋々、新しい独立国家として承認はした。
しかし、あからさまに中国を頼る東亜国の国家姿勢に関しては、どの国よりも警戒心を抱いていたこともあり、東亜国建国直後から、アメリカは東亜国に対しある注文を付けた。
その注文とは、簡単に言えば、東亜国は独立後も、日米安保条約によってアメリカに供与していた便宜を、日本領であった時と同様に図ることなどである。
なぜこのような注文が必要だったか。
もし仮に、東亜国が独立を機会に、同盟国としてのアメリカとの関係を完全に解消し、親中国となった場合、日本海におけるアメリカ軍の行動の自由に、大きな制約を生じる可能性があるからである。そうなった場合、イザというとき在韓米軍が孤立する恐れもある。
このため、当初アメリカ合衆国政府は、日米安保と同様の安全保障条約の締結を東亜国政府に対し求めたのであったが、これについては、東亜国政府、とりわけ誰よりも大統領である鷺山が断固として拒絶した。
このため、手を変えて暫定的な便宜供与を要求したのであったのだが、これが鷺山から見れば、半ば脅しのように映ったのである。
それに加えて、例のCIAによる暗殺計画のうわさである。
鷺山はこうした脅しが利き過ぎたのか、或いは被害妄想が肥大化して、既に精神を病んでしまったのか、かえって熱に浮かされたように、中国との軍事同盟に前のめりとなった。
おそらく世の中の誰も、その理由は理解できないことであったが、中国が主張する近代世界史観を心の底から信じていた鷺山は、いつしか日本列島を中国に差し出すことが、唯一日本人がその歴史的過ちを贖罪する道と信じるようになっていたのである。
このような鷺山の心情を、まともな精神科医が診たなら、正真正銘の精神疾患と診断されたろう。
ところが、まがりなりにも鷺山は東亜国の大統領であった。
中国政府がブラフ半分で示した中国‐東亜国間の安全保障条約、実態としては中国人民解放軍が東亜国の領土を好き勝手にしていいという条約を、国民議会に諮ることもなく、勝手に大統領権限と称して調印してしまったのだ。
これにはさしもの槙野も反対の意を唱えようと思った。ところが、この条約を反故にしたところで、今の東亜国の実力では、とてもではないがアメリカの圧力に抗する手段はない。
要するに、槙野には鷺山を諫めるだけの政治力も実力も持ち合わせてはいなかったのだ。
東亜国が中国と相互安全保障条約を結んだというニュースは、日本は勿論のことアメリカや西側諸国にも衝撃を与えた。
しばらくするとその締結手段が、東亜国憲法の規定では、実際の権能を有さない、単なる名誉職たる大統領が勝手に調印したものであり、東亜国憲法に定めるところの、国民議会での批准も行われておらず、従って国際条約としての有効性は疑わしいことが論ぜられた。
しかし、当の中国政府は一方的にこの条約が既に効力を持っているとして、なりふりかまわず実力行使にでた。
まずは中国海軍艦のミサイル駆逐艦及び補給艦合計9隻が、友好国親善訪問という美名の下、東亜国の首都である新潟州の新潟港、北海道の苫小牧港、そして争点となっている。沖縄県の那覇港に押し掛けてきた。
この頃既に日中間はかなりの緊張状態となってはいたが、まだ国政紛争に至るまでにはエスカレートしていなかった。
このため、新潟港と苫小牧港については、日本の主権の及ばない港でもあり、反対することはできなかったが、那覇港入港に関しては、那覇港は未だ日本国の港であるとして、入港を拒否する声明を出した。これに対し、中国政府は思いもよらない反論をした。
「中国海軍による那覇港の使用は、琉球国との間で交わした相互安全保障条約により保証されている。日本国に文句を言われる筋合いはまったくない。」
このとき日本政府は、はじめて真栄城知事、当時自らは、「真栄城琉球国臨時大統領」と名乗っていたのだが、その真栄城によって、中国政府との間に、東亜国との間に結んだのとほぼ同じ内容の安全保障に関する秘密条約が結ばれていることを知ることとなった。
これは日本国政府にとって、相当に衝撃的なことであった。
もはや、真栄城知事の独立宣言を見て見ぬふりをしている段階ではないことを、水野は悟った。
「ただちに真栄城知事に対し、刑法第七十七条『内乱罪』を適用し、逮捕拘束しよう。場合によっては刑法第八十一条『外患誘致罪』の適用も視野に入れなければならないだろう。
真栄城の周辺にいる者についても、真栄城に同調し、あくまで独立の方針を変更しないのなら、知事と同様逮捕拘束することになる。」
水野は宣言した。
そうなった場合、沖縄県民はどう動くのだろうか?まさか本気で独立運動に発展し、内乱状態になるのだろうか?
正直なところ日本国政府内において、そのあたりを正確に判断できる者は水野を含め誰もいなかった。
但し、現状において、事実上那覇基地内に凍結状態にされている陸海空軍航空機をいつまでもそのままにしているわけにはいかない。
それらの凍結を解除する為、水野は先ずは、空港関係者に対する対抗策を指示した。
今すぐ軍用機に対する管制業務を再開させなければ、管制官らを外患誘致罪で逮捕するという警告を発した。
さすがにこの効力はてきめんであった。
何しろ外患誘致罪は、有罪となった場合、量刑は「死刑」しかない。
勿論、外患誘致罪は、誘致した外国が日本に対して武力を行使しなければ成立しない犯罪であるが、今の情勢では中国が日本に対して武力を行使するのは時間の問題とみられた。
もし仮に海軍の哨戒任務や空軍のスクランブル任務を妨害する目的をもって航空管制官が管制業務をボイコットし、その結果中国軍が例えば尖閣諸島海域などで武力を行使した場合、日本国国土交通省の職員である航空管制官は、外患誘致罪の適用を受けることになるだろう。
従って、この警告は見方によっては、那覇空港の航空管制官に対する最後の降伏勧告でもあったのだ。
この警告に対し、ほとんどの者は素直に従う意志を示したが、東亜国に国籍を移した者は、当然のごとく日本軍機の管制業務をボイコットし続けたし、地元沖縄県出身の航空管制官の一部は琉球国への政治亡命を宣言するなどして抵抗の意志を示した。
ことによるとその者たちは、今後琉球国が本当に独立することを確信する、何らかの判断材料を持っていたのかもしれない。
那覇港を目指してきた中国の海軍艦艇はしかし、那覇港への強硬な入港はせずに、港外に仮泊した。
当時、日本国政府が真栄城知事を逮捕拘束する方針というニュースが流れたため、しばらく様子を見る作戦に転じた可能性も伺われた。
一方、北海道の苫小牧港と、新潟港に親善訪問の名目で入港したミサイル駆逐艦と補給艦6隻は、その後出港する気配もなく、何時までも岸壁を占拠し続けた。
それどころか、今度は苫小牧同様、北海道内の東亜国領土となっている千歳州の新千歳空港と新潟空港には、航空ショーへの友情参加という名目で、中国空軍機が続々と飛来しており、もはや先に鷺山が勝手に締結したという安全保障条約に基づく海、空軍の駐留とみなされる行動に出ていた。
那覇空港での航空管制官のサボタージュ活動は一応、概ね終息したのだが、肝心の首謀者である真栄城知事についての問題は、解決どころか、なお一層エスカレートする気配を見せていた。
日本政府としては、真栄城知事を内乱罪の容疑で逮捕する方針であるという情報は、沖縄県にも伝わっており、問題は何時、逮捕されるかという一点に注目が集まっていた。
そうした中、自然発生的というには少し不自然な形で、沖縄県庁前において真栄城知事の逮捕拘束に反対する集会が人を集めていた。
彼らが掲げる垂れ幕やプラカードには、堂々と「真栄城大統領の不当逮捕阻止!」や「真栄城琉球国大統領を護れ!」といったスローガンが堂々と書かれていた。
そうした垂れ幕やプラカードには、中国人が使う、いわゆる簡字体の文字やハングル文字のものが混ざっていて、集まっている者たちが、日本人だけではないことを暗に物語っていた。
そのうちデモで集まった者たちが県庁の入口を封鎖し始めた。
その目的は彼らが「大統領」と呼ぶ真栄城知事を逮捕させないための強硬策であったが、おかげで県庁は、県庁としての機能を果たせなくなったしまった。
同時に、県職員も県庁を出入りすることができなくなる異常事態となった。
当然県知事自身も出入りすることができなくなったのだが、密かに逮捕を恐れていた真栄城はこれ幸いに、県庁に籠城することにした。
更には親切なことに、食料はデモ隊が、毎食御馳走を周辺から調達しては差し入れてくれる。
県知事の他、真栄城に同調して、自らを琉球国副大統領と自称する副知事や、一部の県議会議員、同様に琉球国国民と名乗る県職員もこの籠城戦に加わった。
間もなくそれ以外の県職員は、県庁から脱出し、県庁内は完全に琉球国独立派によって占拠される形となった。
独立運動に関与していない県職員が県庁から出ると、県庁は機動隊によって包囲されるようになった。
日本政府の意向により、警察庁は沖縄県警本部に、真栄城知事以下、琉球国独立派の行政職員たち全員を、内乱罪の容疑で指名手配するよう指示が出されたからである。
これにより、県庁を取り囲んで真栄城知事逮捕を妨害するデモ隊に対しては刑法第一〇三条の「犯人蔵匿罪」が適用できるようになったが、沖縄県警は、ただちにはこれを適用せず様子を見ることにした。
様子を見る対象は、デモ隊ではなく、沖縄県民の反応であった。
沖縄県民の中には、確かに知事やデモ隊に賛同する者も大勢いた。
特に高齢者層ほど真栄城知事を支持する傾向が強く、太平洋戦争で沖縄県民が被った悲劇にこじつけて、独立の正当性を声高に叫ぶ者もあった。
本土の高齢者層と同様に、沖縄においても高齢者層は新聞やテレビ、ラジオなど旧来のマスメディアによる情報を信じる傾向にある。また、新聞に関しては、沖縄県は離島特有の事情が存在する。
沖縄県の新聞は、俗に「共産党機関紙よりも左寄り」と呼ばれる地元発行の二つのローカル紙がシェアの大半を占めている。
最近では、沖縄伝でも全国紙を購読することは可能となってはいるが、一部の新聞を除く全国紙の新聞は、毎朝航空便で空輸されるため、沖縄では全国紙の朝刊を朝に読むことはできない。
このため、実質的に沖縄県民は地元紙を選択せざるを得なくなるのだが、この新聞がかなり政治思想的に偏った編集方針で書かれるため、読者は知らず知らずのうちに、政治思想を特定方向に誘導されることになる。
一方で沖縄の若い年齢層は、これもまた本土と同様、既存のマスメディアから距離を置き、ネット社会に浸る層の比率が増えており、そうした若者は、沖縄県特有の左翼マスメディアによる呪縛から解き放たれ、偏りのない新たな価値観に目覚めた者が、時と共に多数を占めるようになっていた。
そのため、真栄城知事への支持についても、世代間でかなりの開きを生じていた。
新たな、そして公正な価値観に目覚めた若者たちは、真栄城知事の独立宣言や国籍の怪しいデモ隊を、割と冷めた目で見ていたのである。
「真栄城知事たちは、『琉球国として独立すれば、平和で誰にも支配されない、理想の国“ニイライカナイ”が実現する』みたいなことを言っているが、そんなことはあり得ない。
もしも防衛力も何も持たずに独立すれば、すぐに中国人民解放軍が占領しにやってくるだろう。
第一、真栄城知事は親中派で有名で、うわさでは中国共産党から活動資金をもらっているらしい。」
若者達はまた、県庁を取り囲む連中に対しても不信感を持っていた。
「県庁を取り囲んでいる者達のうち、本物の沖縄県民はごく一部で、大半は東亜国と、あとは中国文字とハングル文字を使う国から、バイト代をもらって来ている連中だ。
そのバイト代も中国共産党から出ているらしい。」
危機感を持った若者たちは、県庁の南にある奥武山公園で、独自の集会を持った。
過日、友好国親善訪問を口実に那覇港まで押し掛けた中国海軍の艦艇三隻が、一旦郊外で待機、仮泊したのには、沖縄における独立運動の動向を見定めるという目的があった。
そして、中国共産党政府が期待したとおり、真栄城知事らによる独立運動は火が付き、独立派による県庁の占拠という事態にまで発展した。
しかし、それ以後、彼らが期待したほどには、琉球国独立運動は盛り上がらなかった。
その理由は、どうやら中国の力では押さえつけることのできないネット社会にあるようだった。
これが中国国内であれば、御自慢のサイバー警察が、力任せに情報操作できるのであろうが、さすがに沖縄県内のネット社会にまで手を突っ込むわけにはいかなかった。
奥武山公園で広がる、真栄城知事による勝手な琉球国独立宣言に抗議し、知事のリコールを訴える集会が次第に参加者を増やしていくのを見届けた沖縄県警は、ある日ついに真栄城知事とその取り巻きを刑法第七十七条「内乱罪」の容疑で、及び県庁を占拠するデモ隊を、同法第百三条「犯人蔵匿罪」並びに同法第百三十条「住居侵入罪」の容疑で一斉逮捕に踏み切った。
これを見ていた中国政府は、国連人権理事会に対して、「日本政府による琉球国独立運動に対する弾圧であり、重大な人権侵害だ。」として提訴した。
正常な感覚の持ち主ならば、まるでブラックジョークのような中国の訴えであったが、なんと国連人権理事会は、この中国の訴えを受け、緊急総会での採決を経て、日本国政府に対し、独立運動に対する不当な弾圧を止めるよう勧告してきたのだった。
日本国政府は当然、この勧告に対し
「今回の琉球国独立運動は、事前に県民に諮ることなしに真栄城知事が独断で発表した、極めて非民主的なものであること及び琉球国独立宣言の背後には、真栄城知事と中国共産党政府との密約があり、正当な独立運動とは認められたいことにある。」
として、強く反論した。
二〇一八年に国連人権理事会からの脱退を表明しているアメリカ合衆国も、
「中国人のジョークのセンスはなかなかのものだが、本気ならば、先ずはチベット、ウイグル、内モンゴルを解放してから主張すべき。」
と日本の立場を擁護した。
これとは対照的に、それまで比較的に沈黙を保っていたロシアは、この時明確に琉球国の独立を封じた日本国の行為を批判する側に回った。日本政府は、正直この動きに面食らった。
ロシアはソ連を解体して以後も、様々な民族独立運動に悩まされているはずである。そのロシアがなぜ、真栄城の行為を肯定するような発言をするのか?
どうにかこうにか、真栄城の琉球国独立運動を押さえることに成功した水野政権であったのだが、ロシアのこのような反応には、少し引っかかるものを感じた。
ともあれ、こうした激しいやり取りの末、琉球国独立運動が沈静化の兆しを見せ始めると、那覇港外に居座っていた中国の親善艦隊は、ある晩ひっそりと錨を揚げ、その姿を消した。
但し、中国がそう簡単に沖縄奪取の野望を諦めるはずはなく、那覇港外を抜錨した中国艦艇三隻は母港に帰投するのではなく、沖縄本島沖を南下し、現在は東亜国の領土となっている沖縄本島南部、今は「南琉球州」と呼ばれる地域の州都、糸満市の糸満港港外に再び投錨した。
その目的は、食料や燃料の補給と乗員の休養であった。
南琉球州も、東亜国が中国と結んだ経済援助に関する協定に基づき、多くの中国人が入植しており、大型艦船が横付けできるよう、糸満港の港湾整備が急ピッチで進められていた。
かつて日本政府が普天間飛行場の代替え地として、辺野古地区の埋め立て工事を行おうとした際は、環境破壊を理由に、強硬に工事の中止を叫んだ人々が、今では大勢暮らしているこの地域であったが、中国政府主導で行われる港の新たな岸壁の埋め立てや浚渫工事は、これに伴う環境破壊など一切お構いなく勧められた。
この工事の目的は、一応ここに、東亜国が企画する中継ぎ貿易の一大拠点となる港を整備するためとされていたが、中国が全面支援という形で、急ピッチで工事を進める本当の目的は勿論、中国海軍の軍港とするためであった。
もしも琉球国の独立が成っていたならば、中国は労せずとも、那覇港という良港を手に入れることができていたであろう。
今回、那覇港入港を画策したのは、真栄城知事らによる独立運動を側面から支援する目的があったのだが、とりあえずその目論見は先送りとなった。
しかし、現在進めている糸満港の拡張工事が完成すれば、中国は東シナ海及び太平洋に対する一大足掛かりを築くことができる。その期間は、最短で約一年と見積もられていた。
当然中国のこうした動きは、日本とアメリカ政府を警戒させていた。
アメリカ政府は、日本政府が沖縄本島に東亜国の領土を認めたことを厳しく非難し、「本気で自国の領土を保全する気があるならば、具体的な対策を示せ。」と水野内閣に要求していた。
更に、同じころ尖閣諸島周辺海域では中国海軍艦艇が遊よくするようになっていた。
中国海警局の舟艇が相手であれば、海上保安庁も、せめて抗議の意思表示もできたのだが、相手が軍艦となると、もはや海上保安庁が対処する相手ではない。
順当な対抗策としては、日本海軍の艦艇を出動させるべきところであったが、ここで日本が海軍艦艇を出した場合、そのまま武力衝突にまでエスカレートする危険もある。
このため、水野は海軍艦艇の出動を思い止まざるをえなかった。
代りにようやく那覇基地から飛行が可能となった海軍のP-3Cに空軍のF-15Jを護衛に付けて、尖閣諸島の近海ぎりぎりのところまで飛ばしていたが、幾度となく中国海軍の艦載機Su-30による妨害を受けていた。
この監視活動はかなり危険を伴ったが、それすら止めてしまったら、「尖閣諸島を実行支配している。」とはもはや言えなくなってしまう。
水野は苦悩した。
自分はともかく、日本は、日本人は今、戦争というものをする覚悟があるのか?
今ここで中国との全面戦争になった場合、果たして勝算はあるのか?
アメリカ合衆国は、本当に日米安全保障条約に基づいて、日本を守ってくれるのか。
思えば疑問だらけである。
しかし、最後の疑問に関しては、水野はある信念に基づき、一つの答えを出した。
「日本人が自ら傷つくことなく、その暮らしの安寧を他国に求めるのは間違っている。」
日本人が一人も傷つくことなく、アメリカの兵隊が犠牲になる。そんなことなどあり得ないし、あったとするなら、それは間違いである。
日本国と、日本人としての尊厳は、何よりも日本人によって守らなければならない。
水野は腹を括ってた上で、ダグラス米大統領に電話をかけた。
水野は祖父や父を政治家に持つ、いわば世襲的政治家であったが、大学卒業後、そのまま政治家となったわけではない。当時外務大臣であった父の秘書となるまでの十年弱を一商社マンとして過ごし、その間かなりの年数をアメリカで過ごした。
また、大学生時代にワシントンに留学した経験があり、実は英語能力については、ほとんどネイティブであった。
このためよほど高度に専門的な話でもない限り、本当は通訳の世話になる必要はなかったのだが、しかしこれまでは、行政プロセス上の理由から外務省職員である専門の通訳を介してダグラス大統領との会話を交わしてきた。
しかし、この時とうとう水野は、直接会話でダグラスとの電話会談を決行した。
外務省の通訳を信用しない訳ではないのだが、この問題は誰にも聞かれたくないと水野は思ったからだった。
「ダニエル、今日は折り入って大事な話がある。」
「オーケイ、ケイゾウ、そろそろ電話があるころだと思っていたよ。」
「ということは、言いたいことも大体察しはついているのですかな?」
「当然、日米安保の履行についてだろ?」
「私は、二〇一四年に前の大統領との間で『尖閣諸島は日米安保の対象の範囲内』ということを、確認をしていることはご存知と思うが。」
「勿論知っているさ、ケイゾウ。しかしそれには一つの重大な条件が付いている・・・。」
「ええ、しかしそれは、尖閣諸島が日本国の施政下に置かれているということが条件になっているということは十分承知している。」
「で、現実問題尖閣諸島は日本の施政下にあると言えるのか?」
「私の立場では、施政下にあるとしか言いようがない。」
「ケイゾウ、私は今、政治家をやってはいるが、政治屋ではない。だから国民の票なんて、本当はどうでもいいんだ。もし大統領をクビになっても、元のファンドマネージャーに戻ってまた稼ぐさ。
いや、その方が今より稼げるかもしれない。
しかし、しかしケイゾウ・・・
ケイゾウとは、私が人生で持てた数少ない友達の一人だと思っている。
だから、私個人としてはケイゾウを助けたいと思っている。しかし、今の状況で日本人が何もせずに、アメリカ人が日本を護るために犠牲になるということはあり得ない。それは分かるだろう?」
「それは当然だ。」
「私は、ケイゾウとの友情を信じるから、全ては言わない。
しかし、できるならば、日本人が今、自らの手で日本を護るという覚悟を見せてくれ。
でなければ、私はとてもアメリカ合衆国国民を説得す方法を見つけることはできない。」
「分かったダニエル、その言葉で十分だ。
今日はすまなかった。遅い時間に。」そう言うと、水野は電話を切った。
時計は午後二時を少し回っていた。
アメリカの東部時間では午前一時過ぎということになる。
七 総理大臣の決意
電話を切った水野は直ちに官房長官の林と国防大臣の小宮を官邸に呼びつけた。
目的は、ダグラス米大統領との確認事項を伝え、善後策を練ることにあった。
因みに、水野はどのような時も、必ず官房長官である林を同席させた。
その理由は、一義的には自身の総理大臣としての行動の証人とするためと、その次には、情報共有であった。
市ヶ谷の防衛省から駆け付けた小宮を執務室に招き入れると、いつもなら、先ずは湯茶でインターバルをとるところを、手っ取り早く水野は、プライベートで置いている冷蔵庫から缶コーヒーを取り出し二人に渡すと、早速本題に入った。
「ついさっき、私はダグラス大統領と電話で話をした。これは非公式なものだ。
何故非公式か、それはとても公表できる話ではないからだ。
私は、ダグラス大統領と、日米安保条約に基づく米軍の応援が、尖閣諸島を含む現状において可能かどうか確認したかったのだが、結論から言うと、ダグラス大統領は、日本が自身で尖閣を護る覚悟を示さない限り不可能だと答えた。
これは当たり前のことだと思う。」
水野の、率直にして核心をついた説明に、予想していたこととはいえ、小宮も頭の中に鉛の塊がドスンと置かれたような気がした。
「つまり、日本が自国の力で自国領土を守り抜く姿勢を見せなければ、アメリカは手を貸さないということですね?」
小宮の再確認に、水野は静かに頷いた。
「これまで日本は、全面戦争となる事態を避けるため、一方的に中国の攻勢に対し譲歩してきました。
行ってみれば譲歩し続けて、とうとう譲る余地がなくなったというところでしょうか。かと言って、ここで今さら闘う意志を見せたところで、もし引っ込みがつかなくなったら、そのあとどうしたらいいのでしょうか?」
林官房長官が、またしても参会者の心の内を代弁した。
毎度のことながら林の発言は、いつも的確過ぎるほどに的確である。それが、例え他の参会者が口にしたくなかったことであったとしても、である。
全く林という男は、官房長官としてはこれ以上ない適性を備えているようであった。
「日本が本気で戦う意志をしめしたら、果たして中国は折れてくれるのだろうか?」
水野は想像してみた。
これはチキンレースなのか?それとも中国は、我が国と本気でことを構えるつもりなのか?
その判断は非常に難しかった。この判断を見誤れば、日本、いや世界中がとんでもないことになりかねない。
「小宮大臣、今さら改めて言うことではないかもしれないが、君は本気で採り得るオプションを考えてくれ。
言いたくはないがこの事態だ。場合によっては戦死者がでることも覚悟しなくてはならないだろう。」
水野の発言に、小宮は身震いがした。
戦争を覚悟しない政治は、本当の政治ではないのかもしれない。
小宮はこの時あらためて痛感した。
それは、日本が太平洋戦争以来、七十余年間、逃げ続けてきた問題だったのだろう。
市ヶ谷の国防省に戻った小宮は、軍の首脳部と作戦を練る前に、少し問題点を整理してみようと思った。
現段階では、中国海軍艦艇は尖閣諸島周辺海域を走り回っているが、今のところ揚陸艦などが上陸したという気配はない。
この判断の根拠となったのは、偵察衛星で撮影した衛星写真であり、尖閣諸島付近には海上保安庁の巡視船はおろか、海軍の哨戒機すら十分には近づけない状況となっている。
最初のつまずきは、真栄城知事の独立宣言と同時に仕組まれた、那覇空港における軍用機の航空管制業務ボイコットにあった。
海軍については、第5航空群の哨戒機が離陸できない間、とりあえず鹿屋の第一航空群所属機がカバーに入ったのだが、空軍機によるスクランブル任務が、しばらくの間行えなくなってしまった。
この間に、中国は空母「遼寧」と護衛の駆逐艦で編成する艦隊を尖閣諸島周辺海域に展開したのだ。
この時、尖閣諸島方面の哨戒任務に就いていた第一航空群所属のP-3C哨戒機が、遼寧から飛び立ったSu-30戦闘機のミサイル射撃レーダーによってロックオンされるという事件が生起した。
これは、国際法上も明確な違法行為であり、日本国は当然猛抗議したが、中国当局は事件そのものが日本によるでっち上げであり、中国の艦隊が東シナ海のどこを航行するかは、中国の主権の問題であり、日本が口を挟むことは許されないとの論評を発表した。
本来ならば、海軍の哨戒機がロックオンされた時、那覇基地からF-15J戦闘機をスクランブル発進させるべきところであったのだが、那覇空港の航空管制官によるサボタージュ活動のため、それはかなわなかった。
これは後付けの見方だが、日本国政府内では、ことによるとこの時、中国海軍の行動と航空管制官の間で連携がなされていたのではとの見方が出た。
ことの真偽はともかく、その後なんとか那覇空港のサボタージュ活動が収拾され、空軍のF-15Jが直掩機として飛べるようになったことで、海軍のP-3C哨戒機も尖閣諸島近海までは接近できるようになってはいたが、無用な緊張を避けるため、尖閣諸島の十二マイル(約二十二キロメートル)以内には近づかないよう、政府首脳部から軍に対し指示が出されていた。
このような状況は、ほんの数年前までは考えられないことであり、P-3Cの搭乗員にとっては屈辱的でさえあった。
もはや実質的には、尖閣諸島周辺海域の制海権も制空権も、中国に奪われたに等しい状況となっていたのだ。
日本政府は、国家を分割する以前は、周辺国との緊張が高まるたびに、偶発的衝突を避けるためと称して、譲歩を繰り返してきた。このため、相手が足を一歩踏み入れるたびに後退を繰り返してきたのだが、その結果が今の事態を招いたとも考えられた。
では、譲歩しなかったらどうなっていたか?これは、非常に難しい問題である。
おそらく、全く譲歩しなかったならば、どこかで必ず武力衝突は起きていたであろう。
だから、平和主義を国の基本とする日本としては、それはそれで正しい選択だったのかもしれない。
しかし、譲歩を続けていたならば、いずれは譲る余地がなくなるのは道理である。
「左翼リベラル派の者は、『それこそが日本国憲法の前文にある“平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して”の精神だ。』と言うかもしれない。しかし、国民の生命と財産を預かる責任ある政治家としては、そのような抽象論をあてにするわけにはいかない。」
中国軍の本音のところは分からない。
日本がこれまでの方針を翻し、強硬策に転換したとしても、それでも一歩も引かないかもしれない。その場合、高い確率で武力衝突に発展するだろう。
「もはや、我が国には譲歩する余地は無い。これ以上譲歩するならば、それこそ鷺山東亜国大統領の基本スタンスのとおり、日本国自体を差し出す羽目になる。
もう、既に我が国は、反攻に出る手立てを考える時期に差し掛かっている。
しかしそうなれば、おそらくは犠牲者が出ることになるであろう。
今回の問題は極めて重大な転換点になる。
無論、国を割ったこと自体が、重大な転換点ではあったが、思い直してみれば、国を割るような事態になる前に、もっとしっかりと覚悟を決めていたら、ひょっとしたらこんなことにはならなかったのかもしれない。」
そう思うと、小宮の胸中を一抹の空しさが通り抜けた。
しかしここで過去を悔いている暇はない。先ずは各軍のトップを集めて、可能なオプションを探り、その結果をなるべく早く水野首相に報告しなければならない。
「ここは、全力で武力行使の選択肢を考えよう。」
小宮は秘書に、統合参謀本部長及び三軍の参謀長を招集するよう命じた。
一方で、国防軍の制服組トップたちが大臣執務室に集まるまでの間、昨日まで自身が模索していたある解決手段についても、再検証してみた。
武力行使に発展させない方法は何かないものか?
小宮はここ数日間、いかにして中国との武力衝突のリスクを回避させるかについて、その手段を考え続けていた。
その考証のスタート地点は、なぜこのような事態に及んだかという視点であった。
そうしてある一つの、根本的な解決手段を考えついた。
「東亜国を方針転換できないものだろうか?」
小宮はこの時ぼんやりと、人的工作によって事態が解決する可能性が残されているのではとの考えに、掛けてみる気持ちになっていた。
国防大臣小宮義治の政治家としての経歴は、既に二十年を超えていた。
この間、散々、現在東亜国のリーダーや他の国会議員となっている者たちとわたり合ってきた。
残念ながらどの政治家たちも、とてもではないが、自らの方針を転換し、両国のため役立つ役を買って出てくれるような人物を思いつかなかった。
そんな中、一人の新人を思いついた。
民衆党の若手議員、「秋本隆」だった。
小宮は秋本と直接会話をかわしたことは ない。
しかし、秋本は、他の野党議員と違って打算や偏った政治的価値観では動かない、凛とした姿勢を感じていた。
それは、年齢こそ自分よりもだいぶ若いが、行きがかり上の流れで政界に入ってしまった自分と違って、自らの意志でエリート官僚としての身分をかなぐり捨てて政界にチャレンジしたという秋本のことを、尊敬すらしていたのだ。
何とか秋本君と接触できないものか?
何とはなしにチャンスを伺っていた小宮はある日、あるきっかけでそのチャンスを得、周囲には全く内緒で東亜国の秋本にコンタクトを取った。
といっても最初のアプローチはごく単純だった。
小宮は以前、何気なくSNS見ていて秋本隆のアカウントを見つけたことがあったのだが、当時秋本は民衆党の無役の一国会議員であり、小宮もたいして気に留めてはいなかった。
それが、今では秋本は、東亜国の首相官房付きという肩書を持つ重鎮となっている。
小宮はイチかバチか、素っ気ないふりをしてSNSで友達申請をしてみたところ、秋本はしかし、意外にあっさりと、小宮の申請を受け入れたのである。
そこで小宮はさりげなく秋本の身上を探ってみることにしたのだが、秋本は相手を宿敵日本国の国防大臣と知りつつ、まるで一般人のお友だち同士の会話のように、フランクに心情を吐露してきたのだ。
こうして二人の間には奇妙な友だち関係が出来上がった。
秋本は、西日本ではつとに名門である京都大学を優秀な成績で卒業し、国家公務員第Ⅰ種試験を突破して厚生労働省に入省した、言ってみれば西日本では絵に描いたようなエリートであったが、彼自身の生い立ちは、けっして順風満帆ではなかった。
秋本隆は、大阪市の小学校の教員であった父と、専業主婦の母との間に生まれたが、父は隆が中学二年生のとき、病に斃れた。
隆の二歳下と四歳下にそれぞれ妹と弟がいたが、元々公務員の家庭とはいえ、収入源を失った秋本の家庭は生活に困窮した。
「学問だけが財産や。」
母はことあるごとに隆にそう言って聞かせ、隆もまたその言葉を信じて、脇目もふらず勉学に勤しんだ。
隆は努力の甲斐あって、中学、高校を優秀な成績で卒業し、奨学金を得て、地元大阪に近い京都大学に進んだ。
学力的には十分に東京大学も狙えたのだが、妹や弟がいる手前、母への負担を考え京大を選択したのだ。
ところがこのことが、のちの秋本の人生に大きな影響を与えた。
国家公務員第Ⅰ種試験に合格した秋本は、理想に燃え、先ずは外務省をめざした。
そこに立ちはだかったのは、省庁枠の壁であった。
省庁にも何やら格付けというものがあり、トップクラスの外務省や財務省は、基本的には東大閥を優先し、しかも氏素性を選抜の要素に加えているきらいがあった。
秋本の願いはかなわなかった。そして、何とか厚生労働省に拾われることになるのだが、入省してみると、そこにも東大閥が存在したのだ。
彼らは東大卒とは言え、外務省や財務省からは、明らかに実力でふるい落とされた者たちであった。しかし、省内では東大卒を笠に着てふんぞり返っていた。
彼らのお決まりの文句はいつも
「財務の〇〇は俺の同期だから・・・」
とかであった。
秋本が日本国の体質に失望したのにも、それなりの訳があったのだ。
一方、日本国国防大臣の小宮もなかなかの苦労人であり、彼には、あまり人前では語らない変わった経歴があった。
小宮義治は、鹿児島県鹿児島市の左官職人の次男として生まれた。
父は腕のいい職人だったのだが、酒好きが祟って家計は楽ではなかった。
小宮は幼少のころから、学業は極めて優秀で、成績は常に学年のトップクラスであったのだが、酒好きの父に加え、実の兄が放蕩息子で家庭に大きな負担をかけていたため、大学進学もままならず、周囲が惜しむのを尻目に、海上自衛隊に最下級の二等海士として入隊した。
小宮が海上自衛官となったのには、彼なりの理由があった。
当時、自衛官の採用制度では、陸上自衛官は二年間を一任期、海上と航空自衛官は三年間を一任期とし、一任期を務めあげる毎に満期金といって、まとまった額のお金がもらえる制度となっていた。
小宮の実家がある鹿児島市から一番近いのは当時の国分市にある陸上自衛隊だったが、陸上自衛隊の一任期、二年間の満期金では、小宮が目標とする金額には少し足りない計算となった。このため小宮は海上自衛官を選んだのであった。
一任期が同じ三年間である航空自衛隊でもよかったが、鹿児島県には幾つか海上自衛隊の基地がある。
海上自衛隊の一任期三年間の満期金であれば、目標金額に達する。
加えて自衛隊は、基本的には衣食住が無料で、やろうと思えば、もらった給料をそのまま貯金できる。
そのように高校三年生のある日、鹿児島市内の某所で、自衛隊鹿児島地方連絡所の募集担当官にそそのかされた小宮は、それを実行に移したのだ。
「なあに、三浪したと思えばどうってことないさ。」
募集担当官の話しでは、アメリカでは、大学に入る学費を稼ぐため軍隊に入隊するのはごく一般的なことであり、満期除隊した軍人に対する進学の優遇制度まであるとのことで、小宮はうらやましく思った。
計画どおり海上自衛隊に入隊した小宮は、初志を貫徹した。
入隊以来、各教育課程を優秀な成績で修業し、部隊での勤務成績も優秀だった小宮であったから、一任期で任満除隊すると上司に申し出た時には、これ以上ないほどの引き留め工作に遭ったが、三年満期を迎えた年の三月、小宮はめでたく東京大学の合格通知を手にしていた。
初志のとおり東大に入学した小宮はその後、東大在学中に出会った某自民党大物代議士の娘と恋に落ちた。
それからも、様々紆余曲折があったが、いまはこうして、国防大臣という、思えばとんでもないほどの高みに上り詰めていたのだ。
そういった訳で小宮と秋本は、肚を割って付き合ってみれば、お互い共感を覚える部分も多く、年齢は小宮の方が二十才ほど上であったが、やがて二人は心から打ち解けた。
二人の、国境やイデオロギーを超えた友情が醸成されるにつれ、やり取りの内容は、次第に政治性を帯びていった。
ある日ついに小宮は、東亜国国会議員秋本隆との交流を水野総理に報告するとともに、彼を味方に引き入れるための下準備として、秘匿回線による通信ルートの設立を提案した。
この計画を水野は快く承認し、小宮は日本国国防省が設定した特別製VPNルーターを、迂回ルートで秋本の下へ送り届けたのである。
小宮に自衛隊での勤務経験があることは、ほとんど知られていなかった。
理由は、本人が積極的には自衛官の経験を話さなかったこともあるが、通常、陸、海、空士自衛官の満期除隊者は、自身がそのことを履歴書等に記載でもしない限り、自衛官としての経歴が表に出ることは無い。
さらに、東大卒のエリート政治家である小宮が、まさか自衛隊での勤務経験があるとは、誰も想像もしなかったからでもあった。
ところが、小宮に自衛官としての職歴があることを記憶していた人物が一人いた。
海上自衛隊当時海上幕僚長と呼称されていた海軍参謀長の川野敏和海軍大将である。
川野は元々固定翼哨戒機のパイロットであり、現役当時はP-2JやP-3Cに搭乗していた。
小宮が海上自衛隊鹿屋基地で、第一航空隊総務班員として勤務していた頃、川野は同じ第一航空隊飛行隊のパイロットだったのだが、雑務で総務班を訪れるたびに顔を合わせる小宮のことが印象に残っていた。
当時、小宮の階級は海士長で、総務で取り扱う膨大で様々な雑務を、文句ひとつ言わず、しかも確実に処理する為、総務班内でもかなり重宝されていた。
ところが、そんな貴重な戦力であった小宮士長が一任期で満期除隊するという噂は、飛行隊の川野の耳にも届いていた。
川野も惜しいことと思っていたが、その後「小宮士長は東大に入ったらしい。」との風の噂を耳にした。
周囲の者達は、その噂を半ば都市伝説のように受け流したが、川野だけは「小宮君ならば、それもあり得ること」と、一人納得していた。
それから十数年たった頃、小宮は妻の父の地盤を引き継ぐ形で、神奈川県の代議士となった。
国会議員となった小宮が、かつての小宮士長であったことに気付く者はほとんどいなかったが、当時横須賀市船越に所在する自衛艦隊司令部に勤務していた川野だけは、すぐにそのことに気が付いた。
ある年の年始に、横須賀市内で行われる賀詞交歓会の席上で、小宮代議士の背中を認めた川野は、いたずら心でそっと背後に近づき、小声で「小宮しちょう!」と昔の呼び名で声をかけた。
その時、隣りに居合わせた地元企業の会社役員は、『小宮市長じゃなくて小宮先生だろ。何を勘違いしているんだ、この自衛官は?』といぶかしく思ったが、呼びかけに振り返った小宮代議士は、川野の顔を認めるなり、満面の笑みを浮かべた。
「お久しぶりですね。まさか、こんなところでお会いできるなんて。」
小宮も、川野のことをよく覚えていたし、自衛官を退職した後もなんとなく、エリート幹部自衛官でありながら気さくで、海士長である自分にフランクに接してくれた、当時の川野二尉が、その後順当に階級を上げていくのを、政界から見守っていたのである。
それから、少し人気のないところに場所を移した二人は、しばらくの間、思い出話にふけった。
時は流れて、防衛族議員として着実に実力をつけた小宮は、防衛政務官、防衛省副大臣など、一貫して防衛省の重要ポストを歴任した後、新体制となった水野政権において、初代の国防大臣となった。
一方の川野も、その後も順調に自衛官としてのステップを上り詰めて、初代の国防海軍参謀長となっていたのであった。
二人の友情は、この後日本国を襲う、太平洋戦争以後最大の国家的危機において、極めて重要な意義を持つことになるのだが、二人がそれぞれ、同時に今のポストに就いたとき、まさかそこまでの事態に追い込まれるとは、賢明な二人にも、さすがに想像できてはいなかった。
統合参謀本部長や陸・空参謀長を交え、国防省オペレーションルームの脇の小会議室において、主要幹部のみの作戦会議が開かれていた。
会議の目的は、水野首相の命に応じ、今後日本として独自に採り得る軍事オプションを模索することであった。
但し作戦の細部まで煮詰めるのが目的ではなく、各軍の最高責任者があつまって、その覚悟や腹積もりを確認するのが、この日の目的であった。
「今の情勢で我が国が水上艦艇をこの海域に近づければ、いわゆる偶発的なきっかけから、全面的な水上戦闘に発展する可能性はかなり高いと思います。
水上戦闘に発展すれば、そのまま全面戦争へとエスカレートしかねません。
何しろ互いの艦隊が真っ向から対峙するのですから、お互い、引っ込みがつかなくなるでしょう。
互いに宣戦布告した状態ならいざ知らず、現段階ではまだ、国家間の全面戦争には至っておりません。しかし、敵の艦隊に対し、こちらも艦隊を並べれば、見かけ上も全面対決の構図が出来上がってしまいます。
そうなってしまったら、おそらくは互いに一歩も引けない状況となるでしょう。
それに、・・・」
「それに、何ですか?」
小宮は少し遠慮がちに質問した。
「大臣、海軍の責任者としてこのようなことを口に出すのは、非常に気が引けるのですが、今、わが国が水上部隊を出動させ、尖閣周辺海域に向かわせたとして、もし仮に全面戦争にエスカレートした場合、最悪我が艦隊は全滅する恐れがあります。」
「まさか、そんなことあり得るのか?
海上自衛隊時代から、我が国の水上艦部隊は、相当な実力組織ではなかったのか?」
小宮の今度の質問には、もはや遠慮の気配は無かった。川野海軍参謀長は、そんな小宮の反応を見て、逆に心強く思った。
もはや小宮士長と川野2尉ではない。
ここからは真っ向勝負である。
「我が海軍の水上部隊を現場海域に近づけると、結果的にはその正確な位置を中国側に確実に捕捉されてしまうでしょう。
そうなると、最悪、我々がこれまでその開発を侮っていた中国のASBM(Anti-Ship Ballistic Missile:対艦弾道ミサイル)に、狙い撃ちされる恐れがあります。
中国が開発しているASBMは、今のところその大気圏再突入体の目標探知能力や誘導能力においてなお、不明な点もありますが、仮にカタログデータどおりだとしますと、かなり危険な武器です。
今のところこのASBMに対処するには、BMD能力、つまり弾道ミサイル防御能力が必要とされていますが、中国が発射するASBMの数にもよりますが、仮に飽和攻撃的に多数のASBMを打ち込まれた場合、現在の我が国のイージス艦のBMD能力だけで艦隊全体をカバーできる保証がありません。
何しろ、BMDは一度に一つの目標にしか対処できませんから。
それに、BMD能力を持つイージス艦を全て艦隊に随伴させるのも危険です。
それでは日本海がもぬけの殻となってしまいます。
もっと早くイージス・アショアが完成していれば良かったのですが。」
川野が、未だに完成の目処が立たないイージス・アショア計画の未完成を嘆いた。
小宮は、実力的には世界のトップクラスと信じていた日本海軍の、現実の脆弱性に少なからずショックを受けていた。
それでも、何某か希望が持てるオプションを引き出したい。だから少し辛辣な言葉も、つい口をついて出てしまった。
「それでは、今まで何のために多額の予算を割いて、高価な水上艦艇を整備してきたのか分からないな。」
小宮は少し嫌味を込めてぼやいた。これを受けて川野が、海軍という組織の実情を簡単にレクチャーした。
「水上艦艇というものは、例えは適切でないかもしれませんが、言ってみれば『見せ金』のようなものです。
平時においては、水上艦艇は海上に浮かべるだけで絶大なプレゼンス効果を発揮します。この点は、港を出ると姿を消してしまう潜水艦とは真逆ですが、しかし水上艦艇は、実際に戦争となった時には、現代戦においてはよほど海上優位が確立されない限り、実際には使えない代物です。本気で水上打撃戦を行うためには、相手の手の届かない位置から攻撃が可能な、完全なスタンドオフ能力が必要ですが、そのためにはアメリカ海軍のように攻撃型空母が必要なのです。
水上艦が搭載する対艦ミサイルで敵海軍艦艇を攻撃するということは、言ってみれば長槍を持った相手に、短刀で挑みかかるようなものです。」
「長年に亘って、国として実際の戦争というものから目をそらしてきた付けが回ったと言うことか」小宮はため息交じりにそうこぼした。
そこに空軍参謀長の高橋空軍大将が割って入った。
「単に中国の海上兵力を撃退することが目的ならば、F-2戦闘機からの対艦ミサイル攻撃が最も有効な攻撃手段かと思いますが。」
「最終的な対抗策としては当然、その選択肢はありだが、最初から航空機によるミサイル攻撃は、全面戦争へのエスカレートを免れないだろう。
何とかその手前で、警告程度に抑える手段は無いか?」
小宮は悩まし気な表情を作り、更なる解決手段の提案を促した。
川野がそれに答える。
「水上部隊が敵の脅威下の海域を航行するとき、最も警戒するのは敵潜水艦の脅威でしょう。
当然中国も、我らの潜水艦の脅威には十分警戒していると考えます。
しかし、残念ながら、ここに一つ大きな問題があります。
沖縄周辺の海域は比較的に深度が浅いため、我が国の潜水艦が得意とする待ち伏せ攻撃には、若干不利な要素があります。」
ここで、川野は一呼吸おいて小宮や他の参会者の反応を見た。
「その不利な要素とは?」
小宮が続きを促す。
「沖縄周辺海域は、水深が浅く比較的にフラットな海底で、潜水艦戦を行うにはあまり適していません。
このような条件は、潜水艦を探知する側にとっては好都合なのですが、攻撃を仕掛ける側にとっては当然不利となります。」
「攻撃をしかける潜水艦が探知される可能性が高いということか?」
小宮は少し眉間にしわを寄せて聞き返した。
「そのとおりです。
我が国の潜水艦ならば、おそらくは敵空母も確実に仕留められるとは思います。しかし、一度攻撃をしかけて、その後相手が全力で対潜捜索を行ったならば、確実に逃げ切れるという保証はありません。」
川野は、今では軍人と呼ばれるようになった自身のプライドにかけて、できればネガティブなことは発言したくはなかったが、そこは小宮義治という人間を信じ、正直な状況判断を述べた。
「しかし、アメリカは実行支配下にあることを示さなければ手は貸さないと言っている。
何とか、国土防衛の気概を示す手段は無いのか?」
「私はパイロットですが、優秀なサブマリーナを何人も知っています。
彼らは、他の海軍軍人の何者よりも誇り高く、プロフェッショナルです。
やれと命じられれば、危険を承知で任務をやり遂げるでしょう。
だから、それを命じるならば、命じる側の覚悟が必要です。
日本は今、果たしてその覚悟はあるのでしょうか?」
川野がここまで意見を述べたところで、統合参謀長である三浦陸軍大将が少し気をもんだ。
「川野、少し言葉を選べ。」
すると小宮が三浦統合参謀長を制した。
「いいんだ。状況が状況なだけに、忌憚のない意見が聞きたい。
我々は今、七〇数年前と同じことを決断しようとしているのかもしれない。
生きて帰れないかもしれない命令を下すということの重みを、我々は逃げずに受け受け止めなくてはならない。」
すると三浦は小宮大臣に軽く頭を下げ、心の内を吐露した。
「大臣、失礼ですがここにいる者は皆、あなたが自衛官としての経歴があることを知っています。
川野君が教えてくれましたから。
・・・
私は、あなたに自衛官としての経歴があって本当に良かったと思っています。
我々は今、部下の命を天秤にかけようとしています。
勿論今までも何度か同じようなことはありました。しかし今回は圧倒的にリスクの方が高い状況にあります。
私もかつて、PKO派遣などでリスクを背負った状況で部下を送り出した経験があります。
その時は正直言って、『政治家は自衛官の命を本当に大事に思っているのか?』という思いがありました。
こんな時、大臣が自衛官の立場を少しでも理解してくれている思えることは、せめてもの救いです。」
統合参謀長の言葉に、小宮は答えた。
「自衛官の経歴といってもたったの三年で、しかもその間は殆ど総務係として雑用しかやっていませんよ。
でも、やはりあの経験は良かったと思っています。たかが三年でしたが、私にとっては何物にも代えがたい三年でしたから。」
小宮の言葉は少し意味深であった。
小宮は自衛官生活の三年間、ひたすら学力の維持向上を目指し、仕事の合間、周りの同世代の者が遊んでいる時間も、寸暇を惜しんで受験勉強を続けた。
その三年間の生活は彼の人生の中で一番厳しい時期であった。
限界ぎりぎりで過ごす日々は、人を研ぎ澄ます。彼は海上自衛隊で過ごした三年間を、日々克明に記憶していた。
また、小宮が自衛官だった昭和五〇年代は、世界中がソビエト共産党による世界の赤化を警戒していた時代でもあった。
小宮が勤務していた第一航空隊も、東シナ海から日本海にかけて、日々ソ連海軍の潜水艦や水上艦を捜索、監視する任務を遂行していて、川野達搭乗員は常にピリピリとしていた。小宮には、今もあの頃の緊張感が鮮烈に記憶に焼き付いていたのだ。
時には、小宮は監視任務から帰投した搭乗員が「監視任務で接近したソ連の駆逐艦に大砲を向けられた時はゾッとしたよ。」という話を聞かされて、『もし本当に撃たれたら、この人たちはもう帰ってこれないんだ。』と、最悪のケースを想像した。
あの頃の思いが今、小宮の脳裏を横切った。
『自分は今、戦地に部下を送り込む話をしている。あの頃、何処か他人事のように、それを命じる者を批判的に見ていたのに、今まさに自分がその立場に立たされている。』
小宮は改めて自分が置かれている立場を実感した。
潜水艦一隻に乗っているのは約七〇名、決して少ない数ではない。しかも水上艦ならまだ、撃沈された後も助かる可能性もあるが、潜水艦の場合、撃沈されたら先ず総員絶望的である。
「七〇名の命を懸けてまで、この任務は遂行しなければならないものなのか?」
小宮は苦悩した。
希望的観測としては、尖閣諸島周辺海域に日本が潜水艦を展開させたとの情報を流せば、ひょっとすると中国海軍の空母機動部隊も引き上げることを期待できるかもしれない。
しかし、引き上げてくれなかった場合、潜水艦はアクションを起こさなければならない。
この場合、潜水艦の秘匿性が逆に仇となる。
水中に潜む潜水艦に対し、上級司令部が小まめにその企図を伝えるのは、今の時代にあってもかなり難しいのである。
このため潜水艦部隊は、出港の前に、基本的な作戦計画が、細部に至るまで詳細に伝えられる。
出港後は、潜水艦艦長は前もって指示された計画を基に独自の判断で艦を動かすのだ。
ただし、全く通信手段が無い訳でもなく、VLF電波を使った水中での無線通信や、指向性の強い電波を使った衛星通信などの通信手段はあるものの、これらを行いうには、潜水艦が海面近くに浮上せねばならず、その場合潜水艦は、被探知のリスクを冒さなければならない。
このため、潜水艦は一度洋上に出たならば、緊急事態や不測の事態以外は、帰港まで陸上司令部とコンタクトをとらないことを基本としている。
では、もし仮に「尖閣諸島周辺を航行する中国艦隊を威圧する目的で行動せよ。」と命令した場合、その艦長は、自らの存在をアピールするため、その存在を敵にさらすことになるだろう。しかし、一度その存在場所をさらしてしまったら、次に本当に攻撃する必要が生じた場合、その成功率が低下してしまう。
反対に、最初から攻撃を前提とするならば、その艦の艦長は、攻撃の瞬間まで身を隠すため、中国艦隊に対する威圧効果を発揮することはできない。
理想的には、最初は中国艦隊に対する威圧の効果を期するため、その存在をさりげなくアピールし、それでも中国艦隊が撤退しない場合、展開した潜水艦に新たな命令を発し、一旦、完全に身を隠した後、攻撃に転じさせるという作戦が理想かもしれない。
しかし、その場合、中国艦隊の行動を客観的に知る術のない潜水艦に代わって、その動向を把握し、その情報を潜水艦に伝えてやらなければならないのだが、情報を受け取る側の潜水艦は、そのたびリスクを背負わなければならないことになる。
また、尖閣諸島周辺の海域においては、攻撃後自艦の被探知の可能性を考慮する必要が生じる。
一応、小宮は、海軍参謀本部作戦部長からそのようなレクチャーを施されていた。
そのこと自体は、三十数年前の思い出を掻き立てられるようで、少しだけ心が沸き立つ思いもしたが、すぐに現実がそのノスタルジックな思いを押し込めた。
「現状において潜水艦部隊に出動の命令を下すということは、七十何年か前、『お国のため』と称して特攻を命じた者達と、何ら変わらないではないか。」
小宮は自らの職務を放り出したい気持ちになった。
「一億の国民のために、七十人の乗員に死んでくれという。
これは決して損得勘定で片付けられる問題ではない。」
翌日、小宮はついにある作戦を思いついた。
その作戦は、潜水艦を用いる。
そしてその方法は、リスクを可能な限り回避しつつ、効果を最大限発揮する方法である。
それは、僅かながら海軍を知る小宮ならではの発想であった。
任務を帯びた水上艦隊が展開する作戦エリアに、敵潜水艦が出現したとなれば、勝手に現場を離れるわけにはいかない水上艦は、命がけでも敵潜水艦を見つけて、これを叩かなければならない。
しかし、水上艦が目的地である作戦エリアに進出する場合、その移動中に敵潜水艦が待ち伏せしていることを探知したとしても、その潜水艦が原子力潜水艦でない限り、無理してその潜水艦を探知・攻撃しなくとも、潜水艦による脅威を避けるためだけなら、手っ取り早くスピードを上げて、そのエリアを離脱すればよい。
ということは、潜水艦にしてみれば、仮にその待ち伏せが暴露したとしても、敵水上艦艇の作戦エリア内で敵水上艦を攻撃する場合に比べ、自艦が攻撃を受けるリスクを減らすことが期待できるのである。
一方で海軍艦艇は、例え何処でどのような海上作戦を展開しようとも、最終的には母港に帰るときがやってくる。
そこで中国艦隊が、その母港と尖閣諸島周辺の作戦エリア間を進出・帰投する際に通る航路の途中に、故意に日本海軍の潜水艦の存在を晒させ、オペレーションエリアに展開する敵艦艇を心理的に圧迫しようとする作戦である。
オペレーションエリアに長期間展開した艦艇は燃料や糧食を消耗したうえ、精神的にも「無事に母港に帰りたい。」という意識が平常心を上回りがちになる傾向がある。
つまりもっとも脆い状態となるのである。そこにきて潜水艦脅威という心理的プレッシャーをかけることで、あわよくば中国艦隊の自主的な撤収を期待しようというのである。
その上で、それでも中国艦隊が尖閣諸島周辺の作戦エリアから引き揚げなかった場合は、今度は日本海軍潜水艦の持てる性能をフルに発揮して、作戦エリア内で不法行為を働く敵水上艦艇に対し攻撃を加えるという作戦である。
この作戦であれば、潜水艦が負うリスクは、最終的に尖閣諸島周辺海域において中国水上艦艇を攻撃する際の一回に限定することが期待できるし、命令伝達手段さえ確保されていれば、両方の作戦を一艦で完結することも可能である。そうなれば、その分潜水艦乗員が負う延べのリスクも減らすことができる。
小宮は早速関係者を招集し、自信のアイデアを提案したところ、日本が現在採りえる最良の作戦として賛同を得ることができた。
これを受け、早速日本海軍作戦本部は、小宮国防大臣の提案をベースとした作戦計画を練り上げることとなった。
日本の情報収集衛星が、黄海海上を航行する中国海軍の最新鋭空母「山東」を捉えたとき、日本海軍作戦部は、やがて「山東」が任務を帯びて、現在尖閣諸島の北方海域で防空任務に就いている中国海軍初の空母「遼寧」と交代する為、南下してくるとにらんだ。
今なら、彼らが任務交代のため移動する途中の警戒態勢は、オペレーションエリアのそれよりは緩いものと推測した。
そこで日本海軍作戦本部は、まず、第一段階の作戦を発動した。
「山東」が南下してくるなら、日本海軍の潜水艦一隻をもって、「山東」の行先となる尖閣諸島周辺の作戦海域までの航路の途中で待ち伏せさせ、「山東」に対し潜水艦が待ち伏せていることをさりげなく悟らせる作戦である。
その気になれば、潜水艦の安全と引き換えに「山東」そのものを、その場で撃沈することも可能であろう。しかし事態はまだそこまでエスカレートしていない。ここは脅すだけでいい。
「山東」を脅すことができれば、青島や上海を母港とする中国海軍艦艇にとってはかなりのプレッシャーとなることが期待できる。
問題はその時期である。国防省の情報本部は全力を挙げてその兆候を探ることにした。
そのようなとき九州南部において、日本国にとって大打撃となる事件が唐突に発生した。
水中に潜む潜水艦に作戦指令などの情報を伝達する唯一の方法であるVLF電波を、日本でただ一か所、送信している宮崎県えびの市にある、海軍のVLF送信所が、何者かによって襲撃されたのである。
尖閣諸島に中国海軍の兵員が上陸して以来、日本国内では不測の事態に備えるべくその警戒レベルを、平時としては最大限度に引き上げていた。
その警戒活動は、日本唯一のVLF電波送信施設であるえびの送信所に対する警戒態勢も例外ではなかった。
送信所内の警戒任務については、地元えびの市に駐屯する陸軍第二四歩兵連隊の兵士が交代で二四時間警戒に当たっていた。
ところが、憲法や法律が改正された後も、軍隊は、国境警備と法律による命令で活動できる場合を除き、軍隊はその敷地外での警戒任務が行えなかったのである。
このため送信所内の警備はできても、フェンスの外側までは、軍隊の抑止力を及ぼすことは許されなかったのだが、今回はそこを突かれてしまった。
送信所のフェンス外側から、全長二キロメートルにも及ぶ日本一巨大なアンテナを支える、高さ二〇〇メートル以上もある鉄塔の基部を、ロケット砲により破壊されたのであった。
これにより、VLF電波を日本海軍は送信できなくなってしまった。
復旧には、どんなに急いでも数ヶ月は必要と見積もられた。
これでもう、水中に潜む潜水艦に、VLF電波を使って指令を届けることはできなくなってしまった。
攻撃に使われたのは、旧ソ連製のRPG-7か、その派生型と分析された。
犯行を行った者は、例の群馬県でフェンスを突破した者であろうか、いや、彼ら以外にも実は大勢の者の侵入を、政府当局は既に許してしまっている。
もはや、犯人がいつどうやって日本国内に入り込んだかを追求することには意味はない。もっと言えば、このような破壊工作を目的とした侵入者は既に、日本国内に大勢潜り込んでいるに違いない。
それよりも、差し迫った問題は、潜水艦に対する作戦指令を、今後どうやって行うかだ。
今後、行動中の潜水艦に作戦指令等を届けようとする場合は、実質衛星通信に頼るしか、手段はなくなったのだが、衛星通信を行うためには、アンテナを水上に露頂させなければならず、対潜脅威の高い海域でこれをやるには、リスクが伴う。
オプションとしては、作戦に投入する潜水艦を増やすことが考えられる。
しかし、投入する潜水艦を二隻に増やせば、危機にさらす人員の数も、七〇名から倍の一四〇名となってしまう。
小宮の心は益々暗くなった。
それでも作戦は行わなくてはならない。
今回の作戦の最終的な目的は、尖閣諸島周辺近海に展開する中国海軍を追い払い、魚釣島に上陸し、実効支配の裏付けとして、魚釣島に手を加えようとしている者達を、島から追い出すことにあった。
当初一隻で完結する予定であった潜水艦の投入隻数を一隻増やした上で、作戦の骨子は出来上がった。
小宮は総理官邸に水野総理を訪ねた。目的は勿論、VLF送信所の破壊により一部を修正した作戦計画の説明である。
今回の作戦の目的は、日中両国軍の全面的な衝突を避けつつ、潜水艦が持つプレゼンス能力によって、現在尖閣諸島とその周辺に展開している中国海軍の艦隊を、できることなら撤退に追い込むことであるが、例えそこまでに至らなくとも、少なくとも日本国が尖閣諸島を自国領土として、実力をもって守る意志があるというところを示すことにあった。
総理官邸における作戦計画の骨子説明は、絶対に情報漏洩が許されないことから、参集範囲は例によって、水野首相と小宮の他は、林官房長官だけである。
小宮が一通り説明を終えた後で、水野総理が最も関心を示したのは、この作戦が日中の全面戦争に発展する可能性についてであった。
水野は何としてでも全面戦争となることは回避したいと考えており、その点については他の二名もまた同意である。
従って、日本海軍の潜水艦によって中国艦隊を威圧し、かつ自国の国土防衛意思を示すのが、現在日本が採り得る最も有効な作戦であると目されることは確認された。
しかし、我が国が先に手出しをすることは無いにしても、仮に中国が先制して武力行使に踏み切った場合、これに応戦すれば、そのまま全面戦争に発展する可能性はゼロではない。
中国が日本との戦争に踏み切るとしたら、その意思決定に影響を及ぼすと考えられる要素は何か。
それは幾つかある。
重要な要素の一つは勿論アメリカである。
アメリカ合衆国はこれまで何度か、尖閣諸島が日本の施政下にある限り、同諸島は日米安保条約に基づく防衛義務の範囲内に含まれるとのコメントを出している。
これは、裏を返すならば、尖閣諸島が日本の施政下にあると認められなくなった場合には、当然のことながら、日米安保条約の対象外となることを意味していると理解できる。
また、これまでダグラス大統領は水野総理との電話会談においても、実力で自国の国土得あると主張する尖閣諸島を防衛する意思を示せと言ってきている。
もしアメリカが尖閣諸島をめぐる日中間の争いに介入することが明白になれば、おそらくは、中国は日本との全面戦争には踏み切らないだろう。
だがもし、考えたくない事態だが、アメリカが介入に二の足を踏んだ場合どうなるか?
ダグラス大統領は残念ながら、アメリカ国内においては盤石な国民の支持を得ているとは言い難い状況にある。
いくら水野との一対一の電話会談で、介入を約束したとしても、二人の友情とアメリカ国内世論は別物である。
事によっては「日本の無人島を防衛するためにアメリカ兵が血を流すな。」との世論が巻き起こることも予想される。
いや、冷静に考えてみたら、日本の無人島を護るためにアメリカ兵が戦争をする方がよほど不自然である。
ここで考えなければならないのは、可能性の問題として、例えダグラスにその意思があったとしても、アメリカ国内世論に押されて、米軍の派兵に踏み切れなくなる事態であろう。
もう一つ考慮すべきなのが、ロシアの出方である。
確かにこのところ、中国とロシアの関係は蜜月とまでは言えないにしても、かつてお互いを仮想敵国とみなしていた頃からすると、両国の関係はかなり接近していると見なしてよい。
さらには、以前、沖縄県知事真栄城朝健を逮捕交流した際、ロシアは中国側に同調するコメントを出している。
日本と中国が全面対決の危機を迎えたとき、果たしてロシアはどう動くのか?
太平洋戦争末期、当時はソ連と呼ばれていたロシアは弱り切った状態の日本に対し、不可侵条約を一方的に破って襲ってきた歴史がある。
今回もロシアの動きには注意する必要があるだろう。
そうなると、考えられる最悪の事態とは、ロシアを後ろ盾に、アメリカが出てこないと踏んだ中国が武力攻勢をかけてくることである。
場合によってはこれに、北朝鮮や韓国が乗っかってくる可能性もある。そうなれば日本は致命的なダメージを負いかない。
「中国との全面戦争は何としてでも回避しなければならない。」
水野はうなった。
今ここで選択し得るオプションは、具体的にはたったの二つである。
つまり、潜水艦を使って、日本が戦後初めて、独立国家の威信をかけて武力による国土防衛の決意を示すか、それともこれまでと同じように、敗戦国の負い目を言い訳に、譲歩の歴史を繰り返すのか。
しかし、今ここで譲歩すれば、尖閣諸島が取られることは勿論のこと、次には沖縄が狙われることは明白であり、それどころか東亜国の主要各港に押し掛けている中国軍艦艇の振る舞いが示す通り、東亜国が中国の属国となり、次には日本国の主権すら危なくなるだろう。
もはや譲歩はできない。
幸いにもアメリカは今の時点では、自国防衛の意図を行動で示せば日米安全保障条約に沿って介入すると言ってくれている。
水野は選択肢の第一案、つまり潜水艦による作戦計画を実行に移すことを決意した。
しかし、自国の国運を他国であるアメリカの軍事介入に任せきりにするわけにはいかない。
「今できる、全ての手段を打たなければならない。」
では他に何ができるか。
気になるのはロシアの動きである。
参会者は中国の立場に立って考えてみることにした。
日本の後ろ盾として、アメリカの強力な軍事力があるように、中国にとっても味方がいる方が心強い。
この場合、中国の味方となり得るのは韓国・北朝鮮と、何よりもロシアの存在であろう。
「総理、今回の一連の事象に関して、私は、ロシアはそれほど過敏には反応していないように感じられますが。」
それまで無言で座っていた林官房長官が口を開いた。
「確かに。」
水野はうなずいた。
ロシアはたとえ我が国が分裂して、今日の朝鮮半島と同じようになったとしても、それを自国の国益とはとらえていないのかもしれない。
実際、朝鮮半島が南北に分断されたとき、北側部分を押さえた黒幕はソビエト連邦であった。
しかし、その後の朝鮮戦争では、最も犠牲を強いられる地上戦を中国義勇軍が担ったせいか、休戦後はその利権を中国が一手に収めてしまっていた。
日本が二つに分裂し、新たに東亜国が誕生した今日においても、ロシアは冷静な判断として、この新国家が優先してロシアに便宜を提供でもしてくれない限り、特にメリットはないと考えているのかもしれない。
実際に、東亜国は中国との間で様々な便宜供与に関する契約を取り交わしていたが、ロシアに対しては、ほとんどそれらしいオファーは無かった。
確かに今のロシアの経済力では、他国に援助を施す余裕は無いことは明らかだったが、ロシアにしてみれば、新たに誕生した東亜国が、少なくとも友好国として最低限度の配慮を示してくれることを期待していたのだろうが、残念ながら東亜国のリーダーはこの観点を欠いていたようだ。
そして、ロシアには何の相談もなく、ルーピー鷺山は、中国と軍事同盟を結んでしまった。
ロシアとしては、東亜国が中国と軍事同盟を結んでいる現状で、日本との関係を絶ってまで東亜国に肩入れしても、それは単に中国に利するだけと判断している節がある。
ロシアと中国との微妙な関係を見れば、東亜国の中でロシアが中国と仲良く同居できるともおもえない。
「だとすると真栄城の独立騒ぎの時、中国に歩調を合わせて揺さぶりをかけてきたのは何故なんでしょうか。
まさか、日露戦争に対する敵討ちとも思えませんし。」
確かに、ロシアは今回の一連の出来事に対して、一貫して日本国に対する批難の立場と、新国家建国への賛同の意志を示してはいる。ところが、冷静にロシアが示した態度を検証した場合、明らかに中国のそれとは一線を画する部分があった。
ロシアは、新国家「東亜細亜友愛共和国」を積極的に承認するとの方針は、割と早期に打ち出してはいた。しかしその後の態度が、中国が積極的に新大統領となると目される鷺山や首相候補の槙野への特使を派遣したのとは違って、ロシアは新国家のリーダーと目される政治家へのアプローチは極めて消極的だったのである。
また、中国が新国家建国後、積極的な経済交流の可能性を打ちだしていたのに対し、ロシアにはこうした動きが、少なくとも表面的には見受けられなかった。
ロシアも一応は、というよりも表向きは日本国の分裂を歓迎し、新国家建国後は新国家の承認を積極的に行う姿勢を見せていたのは間違いなかった。
但し、純粋にビジネスライクで考えた場合、領土的野心を根強く抱いていた中国とは違い、太平洋側ならまだしも、主として日本海に面し、地勢的にはあまり利用価値ない新国家の領土に対しては、さほど高い関心を持っているようには見受けられなかった。
なるほど一九九一年末、ソビエト連邦が崩壊して以降、新生ロシアは、何も社会主義をソビエト連邦から継承しようとしていたわけではない。
確かにソビエト連邦崩壊後も、ロシアはソ連時代に築き上げた軍事大国としての威信を可能な限り維持しつつ、一方では積極的に市場経済を導入し、最終的には西側諸国に比肩するような経済大国を目指してきたと評価できるほどに、冷戦解消後のロシアは、絶えず資本主義国家としての成長に努力し続けてきたのであった。
持てる強大な軍事力を背景に、新国家を隷属させることは、今のロシアならばある程度容易であるかもしれない。しかし、屈服させた新国家が、すんなりと自国に対して友好国となり、これとの交易によってロシアに利益をもたらしてくれる見込みがあるならともかく、屈服させたものの、経済力も貧弱で、地勢的にもあまり利用価値があるとは言えないような国では、いかに、かつては拡張主義に走っていたロシアと言えども、それほど魅力的な国には映らなかったのも頷ける。
かと言って、日本列島に誕生する新国家が、みすみす中国の属国となることを、指をくわえて見ているのも面白くはないという心持ちなのかもしれない。
こうした経緯からか、今回の日本対中国のエスカレーションに際しても、ロシア大統領ミハイル・プーシキンは、中国海軍の沖縄本島接近に対しても、特に積極的に関与する姿勢は見せていなかったのだった。
林の助言により、水野は改めてロシアとの関係を見直してみた。
そもそも、水野はこれまで、周囲からは「ロシアに媚びている!」と非難されつつも、プーシキンロシア大統領と緊密な関係を築くなど、歴代日本国首相の中でも飛びぬけてロシアとの関係改善に尽力してきた首相であった。
これまで、そうした水野の努力は、具体的な形としては何も結実したものはなかったのだが、ここにきて水野は、これまでの自身の努力の成果を、今のこの一点に賭けてみる気になった。
一旦秘密会議を打ち切った水野は、すぐさまプーシキンに電話をかけた。
電話口でプーシキンは、さすがは元KGBエージェントらしくドライにこう言った。
「ケイゾウ、私の期待に応えて、電話をくれてありがとう。
もしも、君が私に連絡をくれなかったら、多分、私はすねてたよ。
私は欲深で、そのくせケチで疑り深い奴より、気のいい正直者の方が好きだ。
この次は、じっくりとビジネスの話をしよう。」
そう言って、短く日ロ首脳の電話会談は終った。
翌日プーシキンロシア大統領は、中国、国家主席に対して「我が国は、ひたすら世界に平穏の日が訪れることを願っている。その願いを妨げる者は、神のみこころに背く敵とみなさざるをえない。」とだけ、外交電報という形で伝えた中国に伝えるとともに同文のメッセージを全世界に向け発信した。
当然、このメッセージは、直ちに中国国家主席嵩陳彬のもとに届けられた。
中国国家はこれまで、本来の漢民族の支配地域を遥かに超えて、内モンゴルやチベット、新疆ウイグル自治区にまで、武力をもって侵攻し支配下に置いていたのだが、その目的は単に、領土的野心ばかりではなく、裏の目的としては、漢民族が簡単には倒し得ない他民族に対する緩衝地帯を築くためと言われている。
特に漢民族本来の支配地域の北西部に位置する新疆ウイグル地区を制圧した目的の主たるものは、ロシア帝国の拡張政策に対抗する為だったとされている。
このように今の漢民族による中国政府の心理の根底には、ロシア帝国に対する恐れがあると分析される。
その実態は、ロシアがかつて共産主義国家ソビエト連邦であったときも、同じ共産主義を標榜していたはずの毛沢東率いる共産中国政府は、決してその教条に従わず、つまり共産主義世界の実践段階として、両国を統合しようとは望まなかった。
それはやはり、深層心理としてロシアという大国を、中国政府は恐れていたからなのであろう。
そうした意味において、中国政府は今回、東亜国の独立にともない、東亜国に対する覇権を拡張する一方で、常にロシアの出方を警戒していた。
ロシアが自分の味方に付くか、それともある日、「俺にも分け前をよこせ。」と言ってかみついてくるか。
実はそうしたロシアの反応を、中国政府は常に気にしていたのである。
中国政府首脳部の、今回の東亜国取り込みに関する政策立案に際しても、常にロシアが味方する場合と敵に回る場合の両パターンを想定して計画を進めてきていた。
そしてここしばらくは、中国政府首脳部としては「ロシア政府は我々の邪魔はしない。」と、楽観視する空気となっていた。
そこに来て、プーシキンのこの電報の持つ意味は大きかった。
「我々が武力行使によって日本国の領土を獲得した場合、ロシアはいい顔をしないかもしれない。」
こうした不安が、中国政府内にも芽生えていたのは確かであった。
一方で、アメリカのダグラス大統領も、実は水面下で重要な役割を果たそうとしていた。
ダグラスも、尖閣諸島を中国が侵略してきた場合、米日安全保障条約に基づいてアメリカ軍を派兵することに対し、国内に反対する世論が巻き起こることは当然想像していた。
そこで、議会に対して工作を施した。
基本的にアメリカ議会は、当たり前のことだが米国民代表の集まりなので、利害の判断は国民の立場に根差す。このため時として国際政治的な立場からすると、方向性を見誤ることもある。
そのためダグラスは、前もって米国連邦議会が、尖閣諸島に対する派兵反対を打ち出した場合に備え、その説得方法を考えていたのである。
その説得方法とはこうである。
「尖閣は確かに太平洋の西の端にあるただの小さな無人の島々である。
しかしこの島々は言ってみれば今、皆さんが住む家の基礎の柱の一本である。尖閣諸島に中国軍が上陸するということは、その皆さんの大切な住宅の基礎の柱に一つがいの白アリが住み着くということである。
今、この島々が中国の手に落ちた場合、次に飲み込まれるのは日本であり、日本がシロアリに食い尽くされれば、次の標的はグアム島であり、ハワイ諸島であり、最終的にはカリフォルニアになる。
そうやって気が付けば、国民の皆さんの大切な家々はシロアリに食い尽くされることになる。」と。
情報収集衛星から送られてくる衛星写真を分析していた、国防省情報部、情報解析課の情報分析官主査三田隆之は、ここ最近のある変化に気付いた。
注目した写真は、中国の青島にある軍港の写真である。
青島は、古くから中国の軍事拠点であり、中国海軍の北方艦隊の母港でもある。
最近の注目株は、何よりも中国にとって一番の御自慢であり、かつ虎の子でもある空母群であったが、先月上旬、公試運転か、もしくは慣熟訓練と思われる黄海での短期間の航海を行った後、中国海軍東海艦隊の母港青島に入港して以来、特に変わった兆候は確認できていなかった。
中国の最新鋭空母「山東」が、建造港である大連から、青島に回航されて以来、情報分析官の主な関心事は、ひたすら「山東」の上に注がれた。
ところが、三田は別な部分に関心を持った。
海軍基地のある青島市内は、元々人口密集地であり、以前は車両の駐車スペースもほとんど無いに等しい状態であった。
それがここ数年のうちに、次第に岸壁付近が整備され始め、少し小奇麗な街に変貌していた。
三田はこれまで、変貌していく青島の街並みにも注目していたのである。
ここしばらくの変化としては、青島港の周辺に明らかに車の駐車場が増えていた。そして、その駐車場と目される場所が、この数日のうちに、急速に車両で埋められていたのであった。
元々三田は海軍軍人であり海上自衛隊当時、初級幹部と呼ばれる3尉、2尉の頃までは艦艇勤務をしていた。
このため遠い日の船乗りの経験から、あることに気が付いたのである。
一回の行動期間が一か月、二か月に及ぶ長期行動をする艦艇は、母港に停泊している期間は、乗員は必要最小限度しか艦艇に残っていない。
このため艦外居住を許可されている乗員は自宅や保養先にいるため、必然的に港周辺の乗員用駐車場に泊まっている車の数も少なくなる。
艦艇が出港するときは、乗員は全員が乗り込むため、港周辺の駐車場は車で埋まることになる。
「最近の中国海軍では、日本の海軍と同じように、乗員も自動車通勤者が多いに違いない。
もしそうであるならばこれは、『山東』が近々出港する兆候と見ることができるのではないか。
今尖閣諸島の北方海域に陣取る『遼寧』はそろそろ無寄港状態で二ヶ月を過しているから、今回の『山東』の出港は『遼寧』との任務交代の可能性が高い。」
三田はこのように結論付け、早速上司に報告した。
日本国海軍の潜水艦「しんりゅう」は上海の東方、公海上であって中国領海の接続水域にさしかかるギリギリのラインに沈座した。
沈座とは、潜水艦が海底に着底し、推進力など全ての動きを止めて居座ることである。
接続水域内に入らなかったのは、後々なにがあっても、国際法上で非難される可能性を減らす為であったが、付近の水深を考えても、このあたりが接近できるギリギリのラインであると考えたからでもある。
昨年度末に就役した「しんりゅう」は、三週間前、対馬海峡での監視任務を命ぜられその任務に就いていたとき、その命令を受け取った。
通信手段は「しんりゅう」が監視任務に就いた後、突如として起きたえびのVLF送信所の爆破事件によって、変更を余儀なくされていた。
定時連絡の時間に予定通りVLF電波を受信できなかったため、次なる手段として衛星通信用アンテナを露頂させた。
「しんりゅう」は衛星通信を通じて得た情報で、えびのVLF送信所が攻撃されたことを知ったのであった。
えびのVLF送信所が攻撃されたということは、敵が我が国の潜水艦オペレーションに対して、重大な決意をもって何かを仕掛けようとしているというサインであろうと、「しんりゅう」艦長の塚田中佐は感じ取った。
塚田が受け取った命令によれば、行動海域は上海の東海上だという。
この海域が潜水艦にとっては、余り有り難くない海域であることは、潜水艦艦長としては、一見偉そうであって、実は余り名誉とは言えない四隻目の艦長職を仰せつかっていた塚田としては、悩ましいほどにその任務の困難さを感じとっていた。
潜水艦に限らず、海上自衛隊時代から艦長という職は、軍事組織的には最終到達点ではなく、通関点でしかない。
艦長という職務は、あくまで一艦の長であるが、戦争においては、一艦が全ての戦闘の責任を負うわけではなく、複数の艦艇を指揮する艦隊の指揮官が必要であり、さらに、各艦隊が行う戦闘を指揮する軍の司令官が必要となる。そして最終的には戦争を指揮する、国家の指導者が必要となるのである。
艦長が即、国家戦略を担うわけではないが、個艦の艦長は将来、より大きな部隊の指揮官となることを期待されて、一連の人材育成プログラムの中で、艦長職を命ぜられるのだが、潜水艦の艦長職は、通常は二回、多くてもせいぜい三回である。
潜水艦艦長の上の職は潜水隊司令であるが、潜水艦艦長を三回やっても司令に上がれない者は、通常は他の職域に配置転換されるのがお決まりのパターンであった。
ところが塚田は異例の四回目である。
それには訳があって、塚田は三回目の艦長の時、指揮する潜水艦が、塚田自身の過失には因らない、少し大きな事故を起こしたのである。
杓子定規な人事ならば、彼のサブマリーナとしてのキャリアはそこで終わったかもしれない。
しかし、塚田という人材を惜しんだのが他でもない、今の海軍参謀長の川野であった。
川野は、ある年に行われた海上自衛隊演習の事後研究会において、演習期間中に実施された実艦的対潜訓練と呼ばれる、実際の潜水艦を仮想標的とした水上艦艇部隊の対潜訓練で、標的役となった艦の艦長である塚田二佐が研究会の席上で陳述した、自艦の行動理由に大いに関心を掻き立てられたことがあった。
塚田は「そうりゅう」型潜水艦の持つ静粛性と低音響反射性能を正しく理解し、演習においても、巧みに水上部隊の裏をかき、変幻自在に水上部隊に対する仮想攻撃に成功していたのであった。
そのようなこともあり、不可抗力的な事故によってサブマリーナとしてのキャリアを失いかけていた塚田に対し、当時海上幕僚副長であった川野は、もう一度リベンジの機会を与えようとしたのだった。
「この任務は大きなリスクを伴う。しかし、川野大将に拾ってもらった恩を、何とか返したい。なにより今の国難を解決するための重大な役目を自分に預けてくれたのだ。
ここは何としてでも任務を完遂し、無事に乗員を連れて帰りたい。」
塚田は固く心に誓いつつ、静かにその時を待った。
日本国の情報収集衛星は、中国海軍の最新鋭空母「山東」が、昨日早朝、母港である青島を出港したのを捉えていた。
情報本部の見立てでは、おそらくは尖閣諸島の北方海域に展開し、搭載艦上戦闘機によるエアカバーの任務に就いている「遼寧」と任務を交代するものと推測された。
ならば「山東」は、ほぼ間違いなくこの海域を通過するに違いない。
こうした海軍作戦本部の見立てに沿って、この作戦は立てられている。
「しんりゅう」艦長塚田中佐は神に祈った。
普段は殆ど信仰心というものを持たない塚田であったが、自身が預かるこの「しんりゅう」という潜水艦の、本来の名前「神龍」に込められた「念」を思った。
「このフネは『龍の神』なんだ。きっと、神の御加護があるに決まってる。
南下してくる『山東』と、必ず会敵できる。あとは、自分の力次第だが、それでもきっと、神の助けはあるだろう。」
潜水艦内では、無駄な動きは一切禁止である。このため、自身の意図の伝達は、極力食事時間を使った。
士官室で食事をしながら、なるべく抑えたトーンで、部下である各級指揮官に方針を伝えた。
「対馬海峡を発った後、最後に受け取った情報では、日本国政府が軍に下した命令は、『海上警備行動』どまりで、そのあと『防衛出動』が令されたという情報は入っていない。
まあ、自衛隊から軍隊になったのに合わせて、命令の呼び方も変更途中で、発令している暇が無いのかもしれんが、とにかく今の段階では、我々が仮に首尾よく目標を捕まえたとしても、攻撃はできん。
ただし、黙って目の前を通過させることもできん。
我々の任務は、ここで『山東』に、我々が待ち伏せていることを察知させなければならない。」
一緒に食事しながら艦長の話しを聞いていた船務長が、思わず食べ物の代わりに固唾を呑み込んだ。
「艦長、具体的にはどうするのですか?」
船務長の質問に艦長はそっけないそぶりで答える。
「なぁに、簡単なことだ。我々が普段、それをやったら、絶対怒られるようなへまをすればいい。
『山東』はおそらくは単艦ではなく、護衛の艦艇を引き連れているだろう。
常識的に考えるならば、彼らも対潜警戒をしながら走ってるだろうから、我々は中層あたりの深度をうろついて、わざと探知されればいい。」
「だったら簡単ですね。」
いつも楽天的な水雷長が、さも納得したように言葉を挟んだ。これに対し艦長の塚田は、ピクリと右の眉毛を動かし、「問題はその後だ。」
そういうと、今度は水雷長以上に楽天的な表情をつくりながら、
「現時点では、中国と我が国は交戦状態には至っていない。
しかし、彼らにとって空母は虎の子だ。その虎の子を護るため、奴らがこちらを探知したら、ひょっとすると攻撃してくるかもしれない。」
飽くまでそっけなく、そして恐ろしい内容の艦長の言葉に、さすがの水雷長の顔もひきつる。
他の幹部たちも、途端に食欲がなくなったようで、食事の手が止まってしまっていた。
艦長が話を続ける。
「今回の任務は、敵空母に対して『潜水艦が狙っているぞ!』ということを分からせることにある。従って、確実に相手に探知される必要がある。
探知されたことが確実と判断されたならば、後は全力で逃げるだけだ。
但し、みんな理解していると思うが、この海域は水深が浅いうえフラットで、隠れる場所もあまりない。
だから一旦探知されたら、確実に逃げ切れるという保証は、正直言って無い。
ただし悲観的になることもない。相手がこちらを探知したことが確実になったら、後は普段の訓練どおりの行動に移ればいいだけだ。
落ち着いて普段通りに対処すればいい。『曹士』、じゃなかったな、『下士官兵』にも普段どおり各自の持ち場を護るように伝えてくれ。」
自衛隊から海軍になり、階級呼称も変わったことで、色々と用語も変わって、煩わしい時もある。
塚田はこんな時でも、そんなことまで言い間違えないほど落ち着いていた。そして、その安定感が、部下たちの平常心を保つ役にも立っていた。
塚田艦長だけが食事を完食し、幹部全員に対し、それぞれ腹案を練っておくよう指示すると、先にテーブルを立った。
残された幹部たちは、残った食事を無理やり喉に押し込むと、士官室係の水兵がテーブルを片付ける間も惜しんで、作戦会議に移った。
その時は意外と早く来た。
士官室で塚田艦長が部下である士官たちに作戦の概要を説明して五時間ほどたった二十二時頃、ワッチと呼ばれる当直任務に就いている水測員が、船体に装備されている聴音装置で水上艦のソーナー(水中音波探知機)が発する探信音を聴知した。
「敵、探信音聴知!」
当直水測員が短く報告する。
探信音を聴知したと言っても、その発信源からはまだ相当な距離がある。
単純な理論から言っても、水中の潜水艦は、水上艦が発信するソーナーの探信音を、発信元である水上艦の二倍の距離で聴知し得るが、実際には水中の音波の伝搬条件により、それ以上の距離で先制的に敵の存在を知ることができるのである。
早速、「しんりゅう」は海底を離れ深度を上げた。
短信音が聞こえ始めてしばらく経ってから、スクリュー音も聞こえ始める。
音源は四隻以上で、うち一つは四軸推進と解析された。おそらくは「山東」であろう。
「しんりゅう」のクルー全員に緊張が走る。
既に沈座状態から海底を離れた時点で、総員に戦闘配置が下令されている。
ただし、潜水艦では戦闘配置だからといって激しく動き回ったりはしない。
物音一つ立てず、必要な者以外は声も発しない。
艦内は夜間照明のため、全ての物も人も、赤い闇に沈んで、まるで幽霊船のようである。
静寂の中、水測員の水上目標に関する報告だけが伝えられる。
水上目標は合計五隻。
中央に四軸の大型艦と周囲を二軸の艦艇が取り囲んでおり、そのうちの先頭艦のみが探信音を発しているようである。
水上艦から発せられた探信音は、平坦な海底にぶつかった場合、その反響音が発信元である水上艦に戻ることは無い。
ところが、水中に潜水艦などの物体が存在し、その物体に探信音がぶつかると、その反響音の一部が、発信源である水上艦に戻ることになる。
水上艦は、この目標からはね返った反響音を頼りに、捜索目標の方位や距離を探るのだが、「そうりゅう」型潜水艦は、この反響音を極力小さくするため、船体には吸音タイルと呼ばれるラバータイルが貼り付けてある。
更に船体上面の構造は、最近のステルス水上艦のように全体的に傾斜をつけてあり、ソーナーの探信音をなるべく浅い角度で反射させるように工夫されている。
このように「そうりゅう」型潜水艦は、言わば水中のステルス艦のようになっており、このため水上艦から発せられた探信音が発信元方向に反射する確率を低減している。
このように「しんりゅう」も、ソーナーの反響音を低減させるための工夫を凝らしている分、逆に探知してもらうためには、その間合いを詰めなくてはならない。
艦隊の進路は、今「しんりゅう」が潜む位置よりも少し大陸側を通る見通しであった。
このため「しんりゅう」も場所を移す必要があった。
「前進・半速、新針路二八〇度、ヨーソロー。」
艦長が艦を少し西側に進めるよう命じた。
探信音は徐々に強くなる。
「敵の探信音の変化に注意!」
数時間前の陽気なふるまいとは打って変わって、戦闘配置の哨戒長である水雷長が的確に指示を出す。
しばらくすると、敵水上艦の探信音が明らかに「しんりゅう」の船体をヒットし始めた。この状況ならば、ほどなく敵の水上艦のこちらの存在に気が付くかもしれない。
「しんりゅう」としては、今が我慢のしどころであった。
すると、今まで探信音を発していなかった、「山東」と思われる大型艦を囲んでいた残りの三艦も一斉に探信音を発信し始め、艦隊の後方についていた艦が進路を左に転じて増速した。
どうやら明らかに我を探知したようである。こうなれば、後は逃げるのみである。
「しんりゅう」は反転すると深度を下げた。ただし、速力はそのままである。
増速してスクリューの回転音を大きくすれば、その分探知される確率も高まるし、敵のホーミング魚雷に追尾される恐れもある。
「しんりゅう」は海底のギリギリをゆっくり進みながら様子を伺った。
敵の艦隊は増速したようである。
おそらくは、日本が通常動力型しかもっていないことを理解したうえで、高速で一気に通り抜けようという作戦であろう。
こちらに向かっていた護衛の艦艇は、その後も接近を続けている。
距離は不正確ではあるが、数マイル程度は離れているようで、こちらの位置を掴んでいるかどうかは分からない。
ただ、相変わらず激しく探信音を撃ち続けている。
探信音を発し続けるのには大きく二つ目的がある。
勿論潜水艦を探し出すことが主たる目的であるが、一方では潜水艦に対する威嚇、牽制という目的もある。
そうこうするうち、「山東」と思われる大型艦を中核とした艦隊が「しんりゅう」の待ち伏せエリアを離脱しかけた頃、「しんりゅう」のほんの数百メートル後方に六回、物体の着水音がした。
数秒後、水中爆発が六回起き、衝撃波が「しんりゅう」にも伝わった。
おそらくは中国海軍の八七式二五〇ミリ対潜ロケットであろう。命中は勿論、至近弾でもなかったが、安全な水域まで逃げ切ったならば、一応被害調査を実施する必要があるだろう。
攻撃はこの一回のみであり、おそらくはこちらの動きを封じ込めるための牽制的な攻撃であったろうが、それにしてもいきなり実弾を使用してきたのには、改めて驚かされた。
やはり中国は、本気で日本との武力対決を辞さない覚悟のようである。
短魚雷を発射してこなかったのは、おそらくこちらの正確な位置を掴んでいなかったことと、確実にこちらを仕留めるよりも、潜水艦脅威下の海域から「山東」をなるべく早く離脱させることに重点を置いたからであろう。
それにしても、対潜ロケットの威力も馬鹿にはならない。
情報によれば八七式二五〇ミリ対潜ロケットの射程は五〇〇〇メートルということである。
今回はたまたまヒットしなかったが、もし当たっていたら、おそらくは無事では済まされなかったであろう。
少したって余裕ができた塚田が、改めて周りを見回すと、発令所にいた者達は皆、総じて顔を引きつらせていた。
中国大陸に続く大陸棚の、危険な浅深度海域を脱して日中中間線を越えたところで、衛星通信用アンテナを露頂させた「しんりゅう」は、任務の成功と、艦、乗員総員の無事を報告した。
これで「しんりゅう」は、その目的を果たした。
あとは中国海軍側が、この警告の意味を理解するかどうかだ
「しんりゅう」が「山東」を待ち伏せしていたころ、尖閣諸島近海の上空では、日本政府が最も恐れていた事態が発生していた。
既に尖閣諸島周辺海域は中国艦艇に包囲され、とてもではないが海上保安庁の巡視船が接近できる状況ではなくなっていた。
ここで、本来ならば海上自衛隊改め、日本海軍ご自慢の水上部隊の登場となるべきところであったのだが、水上部隊を出せば、中国海軍との全面対決になるのではと考えた日本国政府は、水上部隊を出さなかった。
しかし、このままなし崩し的に中国の実効支配を認めてしまえば、日本政府が頼みとするアメリカも、「日米安保の適用範囲は、日本国の施政権が及んでいること」という条件から外れてしまう。
そうならないための、せめてものアピールとして、海軍は那覇基地からP-3C哨戒機を申し訳程度に飛ばしていたし、空軍は中国海軍が尖閣諸島周辺に航空機を飛ばすたび、律義にスクランブル発進を行っていた。
スクランブル発進任務に就く空軍パイロットの士気はすこぶる高かった。
彼らは空軍としての意気を示すため、ほとんど毎日、多い時には日に数回離陸しては、尖閣諸島周辺空域を飛行する航空機に対する警告活動を繰り返した。
この日は、スクランブルをかけた対象は、尖閣諸島近海に陣取る水上艦艇から発艦したヘリコプターに対してであった。
このようなスクランブル任務は殆ど常態化している。このため空軍のパイロットも少し油断していた。
スクランブル任務は通常二機一チームで行われる。
一機は警戒する位置に就き、もう一機が対象機に対する警告などを行う。
この時も、セオリー通りの飛行任務をこなしていたが、その時、後方で警戒任務に就いていたF-15J戦闘機が、背後から何者かにロックオンされた。
コクピット内ではけたたましくミサイル射撃用レーダー電波を捉えた警報が鳴り、パイロットの中村大尉が背後を確認しようとしたとき、機体後部にR-77空対空ミサイルが直撃した。
少し遅れて宮古島にある第53警戒隊が敵機の接近を知らせる緊急通報を送ってきたが、時すでに遅しであった。
ミサイルを発射したのは、空母「遼寧」から飛び立ったスホーイ30(Su-30)戦闘機であった。
スホーイは、「遼寧」を発艦後、低空で接近したものと思われる。ヘリコプターに警告を発していたもう一機のF-15Jは直ちに反撃に移ろうとした。ところが攻撃を仕掛けてきた二機のスホーイは、目的は達したとばかりに、一目散に北に向きを変えて飛び去ろうとしていた。
残されたF-15Jのパイロット加藤少佐は追撃したかったが、撃墜されたF-15Jのパイロット中村大尉のことが気になった。
そこで加藤はスホーイの追撃を諦め、中村大尉のF-15Jが墜落したと思われる地点をしばらく旋回してみたが、ついに中村大尉の姿を発見することはできなかった。
ほどなく燃料も乏しくなり、加藤少佐は断腸の思いで現場空域を離れた。
この一件はたちまち大問題となった。
日本国政府は直ちに中国政府に対して猛抗議したが、中国側は日本空軍のF-15Jを撃墜した理由について、呆れるようなコメントを発表した。
尖閣諸島北方の公海上にいた「遼寧」に対し、日本空軍のF-15J二機が異常接近してきたため、自衛手段として、そのうちの一機を撃墜したと発表したのだ。
まるで一九八〇年代に大ヒットした、アメリカ海軍ジェット戦闘機が主役と言われたあの映画のストーリーの悪質な盗用である。
この一件で、中国の本気度が認識された。
F-15Jを撃墜した理由はおそらく、連日日本空軍が繰り返すスクランブル活動を止めさせるためだろう。
そのためには、ためらいもなく相手国の戦闘機を、無警告で後ろから撃ったのである。
もはや、日本側が争いを避けようとして懐柔策を練ったとしても無駄であることは明らかとなった。
墜落した中村大尉の行方については、その後、海軍のP-3Cが空軍のF-15Jによるエアカバーの下、可能な限り捜索を行ったが、ついに発見には至らなかった。
この事件を受けて、日本国政府も腹を括った。
「もはやトラブルは避けようもない。我が国がこれ以上実力行使をためらっても、結果的には中国に対し譲歩を迫られるだけである。」
水野総理は決断した。
潜水艦による作戦の第二弾として、尖閣に向かわせる日本海軍第一潜水艦隊の潜水艦「かいりゅう」に対しては、「必要ならば対象を撃沈せよ。」そのように命ずるよう、水野は小宮に言明した。
このように事態が激しく動く中、三日前に呉のSバースを出港した「かいりゅう」は南西諸島の東沿いを南下し、沖縄本島の南方海域で、衛星通信を介して「尖閣諸島に上陸するなど明確な敵対行為を行う対象艦艇を認めた場合は、これを撃沈せよ。」との最終的な指令を受け取り、潜航状態のまま、尖閣諸島近海まで進出した。
時間を少し巻き戻す。
「かいりゅう」は「しんりゅう」の前年度に完成した「そうりゅう」型潜水艦であり、就役から二年たって、練度は最高潮に達していた。
艦長の的場中佐は、「しんりゅう」艦長の塚田とは、防衛大学校の二年後輩であったが、誰よりも塚田を尊敬し慕う、熱血のサブマリーナであった。
また、海軍参謀長の川野大将が海上幕僚監部の防衛部長だったころ、一部員として仕えたこともある。
的場に白羽の矢を充てたのは、実は川野であった。
勿論「かいりゅう」の出撃は、指揮系統上は潜水艦隊司令官の指揮系統に従った命令であったのだが、今回の任務は危険が大きすぎる。
もしも最悪の事態となれば、出撃を命じた指揮官は重い十字架を背負うことになるだろう。
川野は、今回の作戦の結果がたとえどうなろうとも、その責任を自分一人で背負う覚悟でいた。
そこで今回の尖閣諸島における作戦の実行者を選定するにあたり、「しんりゅう」の的場の名前を候補に挙げたところ、潜水艦隊司令部は人的なスケジュールも艦の状態も最適であると回答したのである。
危険な任務を担うことになる的場の部下たちには申し訳ないが、誰かが請け負わされる任務である。危険だが、日本国の運命を担う仕事でもある。
川野は自身の自衛官、改め海軍軍人としての地位も何もかも捨てさる覚悟で、艦長を選ぶつもりだった。本来ならば川野が最も高く評価するサブマリーナである塚田中佐を選びたかったのだが、「しんりゅう」の塚田が対馬方面に出ている以上、この任務を託せられるのは、川野には的場以外思いつかなかった。
川野には、呉まで出向く時間的余裕は無かった。そこで「かいりゅう」艦長の的場中佐は同艦船務長兼副長の夏目と共に急きょ、陸軍のオスプレイによって、早朝に呉教育隊のヘリポートを発ち市ヶ谷のヘリポートまで運ばれた。
市ヶ谷A棟のオペレーションルームで、手っ取り早く作戦内容のレクチャーを受けた「かいりゅう」の二名は、市ヶ谷での滞在時間僅か二時間、昼食をとる暇もなく再び、オスプレイで呉まで送り返された。
市ヶ谷のヘリポートを発つ前、海軍参謀長自ら「差し入れだ。」といって、市ヶ谷ヘリポート近くにあるスターバックスの軽食セットを自ら買い求めて、手渡してくれたのが的場の心を打った。
八 海 戦
「かいりゅう」はその日の夕刻、呉市の観光地にもなっている、「潜水艦が見える公園」Sバースを緊急出港した。
見送ったのは、緊急出港を告げられた乗員の家族だけだった。
「かいりゅう」の乗員は、出港まで艦が何の目的で、何処に向かうか知らされていなかったが、ただならぬ事情であることは、誰もが感じ取っていたし、「直ちに後顧の憂いがある者は、遠慮なく出港までに申し出よ。」という通達が乗員総員に出されており、これを受けた乗員も、直感的に腹を括らざるを得なかった。
中には、近日中に妻が出産予定の者もいたが、彼はそのことを、誰にも話すことなく艦に乗り込んだ。
出港時の航海計画は、副長でもある船務長が航路計画を簡単に作っていた。
市ヶ谷のオペレーションルームにおいて、えびのVLF送信所が襲撃されたことを知らされた的場と副長の夏目は、通信に関する不安を抱えていた。
沖縄の南方海域に達するまでは衛星通信を使うという。しかし、衛星通信は敵艦艇が遊よくする中で使用するのは危険である。
川野海軍参謀長のあたふたとした状況説明の中で、ただ一言、しかしこれだけは忘れるなといいながら、「行動中、VLFの待ち受け時間になって、もし可能ならばVLFの受信を試みろ。
今、方法は言えないが、我々は全力でVLFの復旧を目指す。」と、中途半端なことを言った。
えびのVLF送信所がやられたという情報は的場も聞いていた。しかもあの施設は、一旦壊されたならば、そう簡単に復旧はできないと、二年前、えびの送信所を見学した際、そこの所長が、そのように説明していたのを思い出した。
「どうやって復旧するのだろうか?」
的場はいぶかしく思ったが、今はかつての上司である川野の言葉を信じるしかない。
予定航路を南西進し沖縄本島の南方海域に達したところで、計画どおり衛星通信アンテナを上げた「かいりゅう」は、恐ろしい情報を入手することとなった。
上海の東方海上で「山東」を待ち伏せていた塚田先輩の「しんりゅう」が、いきなり中国海軍の対潜爆雷攻撃を受けたというのである。
更には、スクランブル発進した空軍のF-15Jが、中国のスホーイに撃墜され、パイロットが行方不明という。
そして、「尖閣諸島に上陸するなど明確な敵対行為を行う対象艦艇を認めた場合は、これを撃沈せよ。」という明確な戦闘命令を受け取ったのだ。
どうやら、「寸止め」的作戦は効きそうもない。的場はそう認識した。
潜航した状態で「かいりゅう」は、尖閣諸島近海まで隠密裏に肉薄した。
しかし、潜航した状態では、情報収集に使える手段は、えびのVLF送信所が破壊された今では、実質的に相手が発するスクリュー音のみであり、それだけでは攻撃目標の選択に必要な水上部隊の展開状況が殆どつかめなかった。
かと言って潜望鏡を上げるのも危険すぎる。
艦長の的場は、藁にもすがる気持ちで、市ヶ谷で指示されたとおり、予定された時間にVLFアンテナを上げてみた。
アンテナを上げると言ってもVLF電波は水中に到達する為、水上に露出させる必要はない。海面の少し下まで上げれば、VLF電波を受信することができる。
これならば、仮に近くに敵の水上艦がいたとしても、アンテナをレーダーで探知される恐れはないのである。
すると確かに、現在は使用できないはずのVLF電波が受信できたのである。
通信文の内容も確かに「かいりゅう」に宛てたものであった。
しかし、何処からどうやってこの電波を送っているのか?
えびのVLF送信所が攻撃された直後、日本海軍システム通信隊群の、ある地方部隊指揮官が一つの提案をした。
彼の前配置は「えびのVLF送信所長」であった。
彼は送信所長時代に、陸上の送信施設の脆弱性に注目し、今回のような事態に際しバックアップする案を考察していたのである。
その案とは、米海軍が持つ空飛ぶVLF送信施設、E-6マーキュリーを購入することであった。
E-6マーキュリーは機体内にVLF送信器をはじめ、衛星通信システムなど、緊急時に水中に潜む潜水艦に対し、指令を伝えるための装置一式を搭載した四発ジェットの大型機であり、機体後部には、全長六キロメートルにも及ぶワイヤー状のアンテナを装備し、潜航中の潜水艦にVLF電波を送ることができるようになっている。
ただし、機体を購入するとした場合、仮に売買契約が直ちに完了したとしても、受領した航空機を自力で運用できるようにするには、どう頑張っても相当な日数を要してしまう。
そこで海軍作戦本部が考えた手段は、E-6マーキュリーをリース契約することであった。
交渉に関しては、水野首相が直接ダグラス大統領に掛け合った。
契約した内容とは、機体をリースするとともに、搭乗員については、現職の米海軍軍人を雇うわけにもいかないため、退役した軍人を急きょ高給で雇い入れることであった。
アメリカ海軍では、一般的な軍人は五年ごとの任期制であるため、割と若い退役軍人が数多く存在する。
このため、えびの送信所が攻撃された僅か三日後には、全ての契約を取り付け、四日目にはE-6マーキュリー一機が、ハワイ経由で横田基地に飛来していた。
こうした努力が奏功して、「かいりゅう」は望みどおり、尖閣諸島周辺海域における中国海軍の展開状況に関する情報を手に入れることができた。
勿論その中で攻撃条件や攻撃目標の優先順位も指示されていた。
情報によれば尖閣諸島の北方海域には「遼寧」と任務交代した「山東」と、これを護衛する駆逐艦三隻、フリゲート艦三隻で編成されたいわゆる「山東」空母群があり、尖閣諸島周辺には揚陸艦とこれを護衛する駆逐艦三隻、フリゲート艦四隻が遊よくしていた。
「かいりゅう」はこれらの艦艇のうち、既に尖閣諸島の一二マイル以内、すなわち日本の領海を現に侵犯中の揚陸艦及び駆逐艦などの中から、最終的に尖閣諸島最大の島である魚釣島に、物資を陸揚げするためのエアクッション艇を発進させている071型揚陸艦、所属部隊からおそらくは「沂蒙山」に狙いを定めた。
「沂蒙山」は島の東海岸に極めて接近しており、今まさに、我が国に対する侵略行為を実行している真っ最中であった。
これは国際法に照らし合わせても十分に攻撃対象として大義名分が立つ相手である。「かいりゅう」は「沂蒙山」に対し、最新式の18式長魚雷一本を発射した。
18式長魚雷は2018年に正式採用された最新式の潜水艦搭載用長魚雷で、これまでの89式長魚雷に比べ、速力や静粛性が向上している上、対魚雷対策に対する欺瞞、回避能力も格段に向上している。
推進力はウォータージェット推進であり、速力は最大で60ノット(時速110キロメートル)以上の可変式で、速度を落とす代わりに静粛モードで目標に隠密裏に接近することができる。
18式魚雷が十分に目標に接近し、魚雷自体が持つアクティブ/パッシブセンサーの有効範囲に入ったところで、有線誘導用ワイヤーを切断し、最大速力で目標に突入する。
必要ならば命中まで有線誘導も可能で、このため命中の直前で、発射艦の操作により魚雷を自爆させたり、故意に目標を外したりすることもできるようになっている。
こうした機能も備えているため、作戦開始の前に、攻撃目標を直撃させず、直前に自爆させて警告を発するのみに抑える案も考慮されたが、別の理由でこの案は見送られていた。
その理由は、後に述べる。
「かいりゅう」が「沂蒙山」を捕捉したのは、実に一〇マイル(約十八キロメートル)以上離れた遠距離であった。
そして、魚雷攻撃を決行したのはそれより数マイル目標に近づいた地点である。
この距離は、太平洋戦争当時の潜水艦からの攻撃距離に比べると、ゆうに一〇倍以上の距離に相当する。
このような遠距離で目標を識別し、その位置を特定するための手段は、全て音響に頼っている。
現代の最先端の潜水艦は、どこの国のものでも、非常に鋭敏な水中マイクともいえるソーナーシステムを持っている。
日本海軍の潜水艦も、当然のことながらこうした機能を備えており、かつ、平時においても訓練や哨戒行動中に実際に収拾した水上を航走する各国艦艇のスクリュー音は、国籍や確認した艦艇の型式別に、戦術データとして記録、保存するようにしている。
保存された各艦のデータは、帰港後海軍の潜水艦隊司令部に報告される。
こうして海上自衛隊当時からこれまで、地道な情報収集活動は続けられてきたが、こうした積年の研鑽によって、分類、蓄積された膨大な情報は、貴重かつ高精度なデータベースとなって海軍のデータ中枢に収蔵されている。
それらのデータのうち、戦術データとして特に重要なものが、個々の潜水艦に搭載されているコンピューターにも収められている。
このため、実際の潜水艦の戦闘においても、聴取した水上艦船のスクリュー音は自艦のコンピューターに保存されたデータと比較され、目標が特定されるのだ。
目標の音が聞こえれば、従来の潜水艦でもその音源の到来方向は掴むことができたが、その距離まではつかめなかった。
このため、目標の距離を知るためには、ある程度の時間、継続してスクリュー音を聴取し続け、移動していく目標の方位変化を基に距離を推測するか、さもなければ短時間潜望鏡を上げて、目視により目標までの距離を測るしかなかった。
ところが、「そうりゅう」型ベースの最新型潜水艦である「かいりゅう」は、船体の広範囲に取り付けられたパッシブソーナーアレーによって、短時間、目標のスクリュー音を聴取することで、その距離と運動を正確に判定することが可能となっていたのである。
このような能力から、「かいりゅう」は、目標の捕捉から攻撃に至るまで、一度も潜望鏡を上げることなく実行した。
少し余裕があれば、一度くらいは潜望鏡を上げたかもしれない。
しかし「かいりゅう」はそれをあえてしなかった。
その理由はこの海域の水深にあった。
尖閣諸島周辺海域を含む東シナ海北西海域は水深がとても浅い。
この条件では、せっかくの日本潜水艦の強みである深々度潜航能力が発揮できない。
また、水中の潜水艦の姿をマスクしてくれる、水温差により生じる水温躍層によるシャドーゾーンの発生が、あまり期待できないのである。
一方、最近の対潜水艦対策の傾向として、潜水艦の特に潜望鏡を対象とした、短い波長電波を使ったレーダーが水上艦に搭載される傾向にあり、例え短時間でも潜望鏡を上げることのリスクは増大している。
もし仮に短時間でも、敵艦のレーダーに潜望鏡を探知された場合、その探知場所を中心に、たちまち対潜包囲網が形成されてしまう危険があるのである。
このため潜水艦は、本気で敵艦を撃沈しようとする場合、自艦が探知されるのは勿論のこと、その存在の可能性を伺われることすら避ける必要があるのだ。
潜水艦はよく海の忍者に例えられるが、それはまさしく潜水艦の実態を表した表現である。
潜水艦は基本的には、敵艦と面と向かって対峙することはない。
あくまで、存在するかしないか分からないところに、その戦略上の最大効果が発揮されるのである。
従って、潜水艦は例え大まかにでも、その存在位置を知られてはならないのである。
理想的には、スナイパーによる狙撃のように、撃たれた側が、何処から撃たれたのか全く分からないように攻撃するのが理想といえる。
このため潜水艦が目標に対して魚雷攻撃を企図した場合、現代ではよほどのことでもない限り、自艦から直撃コースで目標に対して魚雷を発射することは無い。
もし直撃コースで狙った場合、魚雷を打たれた側から見れば、魚雷が向かってくる方位の先に、魚雷を発射した潜水艦が存在することになるからだ。
少し前まで魚雷の航走距離は、長くても数キロメートル程度であったから、魚雷の到来方向と有効射程のサークルの交わる範囲以内に敵潜水艦が存在したことになるのだ。
これは、潜水艦側にしてみれば、極めて厳しい条件である。
このため現代の潜水艦は、魚雷を発射する際、発射音をなるべく小さくすると同時に、目標まで、迂回コースを辿るようにしている。迂回させるためには有線誘導が有効である。
現代の潜水艦発射の魚雷は、最大数十キロも伸びる極細のワイヤーが備わっており、発射後は潜水艦から電気信号によって、迂回させながら目標近くまで誘導するようになっている。
この方法を使えば、潜水艦は自艦が存在する方位とは全く違った方向から目標を攻撃することが可能となるのである。
魚雷を撃たれた側は、魚雷の接近音に気が付いたとしても、その魚雷を発射した潜水艦がどの方角にいるのかは、掴めないことになる。
では、潜水艦に対抗する側の対応、つまり対潜戦術にはどのようなものがあるかというと、これには幾つかのオプションがある。
仮に広範囲な海域のどこかに潜水艦の存在が疑われるといった場合であれば、先ずは、固定翼又は回転翼の哨戒機が優先的に投入される。その理由は、航空機が持つスピードと広域性にある。
現代の海上戦闘においては、潜水艦から魚雷が発射された場合も、最初は潜水艦の存在位置を知ることは極めて困難である。
このため、過去に潜水艦が存在したと思われる地点を中心に、時間経過と潜水艦が出し得る速力を勘案して、周囲にソノブイと呼ばれる水中マイクを、一定の距離、間隔で、かなり広い範囲を取り巻くように敷設する。
ソノブイは、バッテリーの続く限り水中で拾った音声を電波に変えて送信続け、その電波を、ソノブイを敷設した哨戒機で受信する。
もしもソノブイが音を拾っている間に、近くを潜水艦が通過したとすると、その航走音は、リアルタイムで電波にのせて送信され、その電波を受信した哨戒機は、その航走音を受信したソノブイの周囲に、前よりも小さい範囲にソノブイを撒く。つまり、捜索の範囲を狭めるのである。
このような手順を繰り返し、最終的に潜水艦の存在位置を局限し、とどめに短魚雷を投下する。
しかし、この対潜戦術は非常に時間がかかってしまうため、潜水艦に狙われる身である水上艦の場合、このような悠長な戦術はとっていられない。
そこで哨戒ヘリを搭載している水上艦の場合は、ただちにこれを発艦させ、対潜捜索にあたらせることになる。
米国製で日本海軍も運用するSH-60シリーズの哨戒用ヘリコプターは、機体の底面部にディッピングソーナーと呼ばれる吊り下げ式のソーナーを備えており、潜水艦が潜むと思われる海域にホバーリングして、このディッピングソーナーを直接水中に吊下し、水中に潜む潜水艦の音を聴知したり、探信音を発して積極的に捜索を行ったりすることができる。
同時に、駆逐艦など船体にソーナーを装備する水上艦艇は、自ら探信音を発して、積極的に敵潜水艦を探すことになる。
ただし、現代の水上艦対潜水艦の直接対決においては、第二次世界大戦当時の潜水艦が登場する映画のように、駆逐艦がそのソーナーで直接潜水艦を探知できることはほとんどないのが実態である。
「かいりゅう」は、日本国の艦艇としては太平洋戦争以後初めて、敵国艦艇に対して実装魚雷を発射した。
ウォータージェット推進の18式魚雷は殆ど音もなく発射管を出て行った。
僅かに曳いているキャビテーションの泡の後ろに、ごく細いワイヤーが続いている。
発射された18式魚雷は大きく右に旋回した。結果として魚雷は標的である揚陸艦の北方から攻撃することになる。
18式魚雷は静かに、目標の北側に回り込み、魚雷自体のセンサーが目標を掴むと、一直線に「沂蒙山」に突入した。といっても船体には直接突入せず、その下、つまり艦底に回り込みそこで爆発した。
だから、船体が爆発するとかでもなく、一瞬「沂蒙山」の周囲の海面が白く濁ったかと思うと、その次の瞬間には山のようにように海面が盛り上がり、盛り上がった海面の頂上で、二万トンちかい「沂蒙山」の船体が真っ二つに折れた。
その後、盛り上がった海面は、今度はすり鉢状にくぼんで、二つに折れた船体はあっという間にVの字になって沈み始めた。
「沂蒙山」に、果たして何人の人員が乗っていたかは分からないが、もはや生き残った者達の幸運を祈るのみである。
一分とたたない間に、辺り一面は大パニックとなった。
とりあえず「沂蒙山」の周囲にいた艦艇は、一斉に生存者の救援活動に走る。
「かいりゅう」艦長の的場が狙ったのは、これだった。
もし、標的の攻撃を寸止めにしていたら、次の瞬間には周囲にいた艦艇が一斉に対潜捜索に取り組むはずである。
そうなった場合、水深が浅くフラットな海底地形のこの海域では、逃げ切れる可能性は極めて低くなる。そのリスクを極力引き下げるため、敵艦艇の人員には気の毒だが、実力を行使せざるを得なかったのである。
もしも、F-15Jを撃墜したり、「しんりゅう」を無警告で爆雷攻撃したりしていなければ、おそらくは、「かいりゅう」の攻撃も寸止めで終わっていたであろう。
しかし、魚雷をヒットさせなければ、遠慮なしに攻撃することを決めている中国海軍の、この対潜包囲網を突破する自信は、さすがの的場艦長にも無い。
「沂蒙山」撃沈はやむを得ない判断だったのだと、的場は自分に言い聞かせていた。
その海域にいた水上艦が一斉に探信音を打ち始める。途端に水中は吐き気を催すほどの金属音に満たされた。
これだけ各艦がバラバラに探信音を打っていたのでは、おそらくどの艦も、正確に自艦が発した探信音の反響音を捉えることはできないだろう。
そのうち海上にいる駆逐艦やフリゲート艦は対潜ロケット弾を乱射し始めた。
これは、次に狙われるのが自艦ではないかという恐怖心から起きた、牽制的攻撃と思われたが、照準は全てまちまちで、中国海軍がこちらの動きを把握していないことは、「かいりゅう」から見れば明白であった。
これだけたくさんの水上艦が、ソーナーの探信音を発しながら走り回り、挙句に対潜ロケット弾を乱射したのでは、とてもではないが効果的な対潜捜索などできるはずもない。
因みに、ソーナーはたまにクジラなど大型水中生物を潜水艦と見誤ることがある。
そしてこの海域にはザトウクジラが割と多く生息している。
クジラを潜水艦と見誤った場合でも、冷静に解析すれば誤探知と分かるはずだし、ひょっとすると味方の艦艇を潜水艦と御認識したのかもしれないが、とうとう駆逐艦の一艦が、短魚雷を発射した。
対潜水艦用短魚雷は設定次第だが、深度調定により水上艦に当たらないように設定できるようになってはいるのだが、それでも近距離に味方水上艦艇が存在する場合、その使用には細心の注意が必要となる。
予感は的中した。
短魚雷発射の際の深度設定ミスなのか、ソブレメンヌイ級駆逐艦から発射された短魚雷が、浅深度において水上艦を誤探知し、突入して爆発した。
これにより中国海軍の虎の子である蘭州級駆逐艦が一隻、大破してしまった。
そうした状況を確認しながら、的場はこの分なら無事にこの海域を離脱できるかもしれない。
そのような希望的観測を持ったほんの少しの後、「かいりゅう」に忍び寄る水上艦のスクリュー音を聴知した。
やみくもに走ってきた江衛型フリゲートの一艦だった。
更にその数秒後、「かいりゅう」の頭上近くに物体の着水音が伝わった。
「対潜ロケット弾だ!」
コンソールに就いていた水測員は極度の緊張で気を失いそうになりながら叫んだ。
その次の瞬間、衝撃波が「かいりゅう」の船体を揺さぶった。
旧式の江衛型フリゲートには、とてもではないが、日本海軍の最新型潜水艦を探知できる能力は無い。
ここまで来たのは、本当に偶然であったろう。そして、やみくもに撃った対潜ロケット弾の一発が、偶然「かいりゅう」の後部にヒットしたのである。
「かいりゅう」は幸いにも、船体自体に対する大きなダメージは無かった。ただし、一個しかないスクリューが回らなくなってしまった。
どうやらスクリューとシャフト、おまけに舵にもダメージを負ったようである。
なによりも切実なのは、大切な推進力を失ってしまったことだ。
的場はすかさず、着底させることを決意した。
水中に留まっていても、推進力が無ければ逃げる術は無い。
ここはおとなしくやり過ごすしかない。
「艦から油類は流出しているだろうか?」
的場は被害状況を急いで確認するよう、部下に命じた。
もし油類が流出していたら、間もなく頭上に山ほど対潜ロケット弾が降り注がれるに違いない。
被害状況の確認が終わる前に各部から人員の状況を報告してきた。
対潜ロケット弾の衝撃で転倒して骨折などの負傷を負った者が三名ほど出たが、深刻な重傷者はいないとのことだった。
次の報告では、推進器系統に深刻なダメージを負い、復旧はほぼ絶望的とのことだった。
更には、推進軸に大きな力が加わったためゆがみを生じ、このため後部に浸水が始まっており、応急班の見立てではこの浸水を止めることは不可能とのことであった。
このため的場艦長は、止むなく後部区画の閉鎖を部下に命じた。
このまま後部区画が満水となれば、仮に無事に敵をやり過したとしても、再び浮上することは難しいかもしれない。
ただ、燃料の流出は無く、多少の潤滑油程度は流出したと思われるが、希望的観測としては、目立った油類流出の可能性は低いと見積もられた。
後は運を天にまかせて、敵に見つからないように祈るばかりである。
海上にいる中国海軍艦艇は、丸一日間、被雷による行方不明者の捜索を兼ねて、尖閣諸島周辺海域での捜索活動を続けた。
ただし、日本海軍の潜水艦による再攻撃を恐れて、広域での捜索は行わなくなったのも「かいりゅう」にとって幸いした。
他方で、中国海軍首脳部は、尖閣諸島周辺海域における対潜掃討作戦の成果は、じきに日本政府自ら発表するだろうと踏んでいた。
案の定、当日夜、日本国内の報道機関は、一斉に尖閣諸島周辺海域において潜水艦一隻が消息不明となったと報じた。
この報道に、中国政府も一時は、「揚陸艦の仇はとった。」との機運に浸ったが、間もなくその認識を改めざるを得ない状況となった。
アメリカ合衆国大統領、ダニエル・ダグラスが、尖閣諸島周辺海域におけるF-15J撃墜事案と「かいりゅう」消息不明事案をうけて、緊急の演説を行ったのだ。
その内容は、
「日本政府は、尖閣諸島における自国の主権を守るため、明確な行動をおこし、その成果を上げることに成功したが、残念なことに、その代償として、世界の自由と平和を愛する戦士の血が流された。
この事態に、名誉あるアメリカ合衆国は答えなければならない。」
というものであった。
また、同時にダニエル大統領は東亜国に対して、極めてショッキングな警告を発した。
「東亜国に駐留する中国軍は、日本国内に駐留するアメリカ軍に対し重大な脅威となっている。
偽物である中国との安全保障条約をただちに破棄することを強く勧告する。
さもなければ、東亜国は、我が国とは敵対関係となることを覚悟しなければならない。
今後もし我が国が米日安全保障条約に基づき中国と武力衝突の事態に発展した場合、東亜国は我が国からの武力攻撃も覚悟しなければならない。」
これは事実上、アメリカ合衆国が発した、東亜国に対する最後通牒に等しいものと理解された。
このメッセージは、同時に世界にも配信されたため、当然のことながら中国政府首脳の耳にもはいった。
中国政府は少し焦りを覚えた。
一方で、アメリカのこうした動きとは無関係に、尖閣諸島海域に展開していた中国海軍艦艇の間には動揺が広がっていった。
「沂蒙山」を撃沈した潜水艦は、その後に行った水上艦艇による対潜兵器のめくら撃ちで撃沈できたかもしれない。
しかし日本の潜水艦は一隻ではない可能性もある。
こうしている間にも、次は自艦が狙われるのではないか?そういった恐怖感が艦隊全体を包んでいったのである。
一度恐怖に囚われると、人は急に安全な場所に逃げ込みたい衝動に駆られる、つまり艦艇であれば母港に帰りたいと考えるようになるのである。
そう思ったとき、「山東」とその護衛艦隊は、進出時に日本潜水艦に待ち伏せされたことを思い出した。
「帰り道を襲われるのではないか?」
恐怖に駆られた尖閣諸島周辺海域に展開していた東海艦隊を中心とする中国艦隊は、最後には、中国政府の命令も聞かぬまま現場海域を離脱してしまった。
艦隊が母港である上海に至る航海は、進路の周辺に対潜ロケットを乱射しながら、さながら石橋をたたいて渡るかのような行程となったが、これによって最も被害を被ったのは、海中生物であったろう。
おそらくは何頭かのクジラが、とばっちりを被るはめとなった。
尖閣諸島の東方約二〇マイル(約三七キロメートル)付近の海底に着底していた「かいりゅう」は、じっとその時を待っていた。
既に推進力を失っているため、スクリューを回すための電力を考慮する必要が無くなった分、船体に備えられたリチウムイオン電池の電力には十分な余裕があった。
このため海上での脅威が完全に去ったと判断されるまで、ひたすら海底に息をひそめていたのである。
これより三日前、日本海軍の潜水艦救難艦「ちはや」が母港である呉港を出港していた。そして、尖閣諸島周辺海域から中国海軍艦艇が離れるのを確認すると、護衛に二隻の駆逐艦を伴ってこの海域に進出した。
水中で接近する艦船のスクリュー音を聴知した「かいりゅう」は、これを友軍のものと識別し、浮上を決意した。
しかし、心配したとおり後部区画が満水となっていたためうまくバランスがとれない。やむなく浮上を諦め、遭難信号を発信するラジオブイを射出した。
それから半日後、「かいりゅう」の乗組員は、全員無事「ちはや」艦内の潜水艦乗員用居住区において体を休めることができた。
九 策 略
尖閣諸島における、おそらくは後に「海戦」と呼ばれる出来事で、大きく変化した情勢を受け、水野総理は緊急の閣僚会議を開いた。ただし、この閣僚会議は、実は各閣僚の情報共有的な場であり、水野の本当の目的は、その後にやるつもりの、例の四者会議であった。
その四者とは水野と、官房長官の林、公安委員長の三浦、それに国防大臣の小宮の四人である。
水野は会議の冒頭、いきなり本音をぶち上げた。
「いまここでやるべきことは、中国軍の封じ込めである。
中国は現在、北海道の苫小牧港。新潟港、それに沖縄の糸満港沖合に駆逐艦六隻と補給艦三隻を居座らせている。
加えて、千歳空港、秋田空港、新潟空港、更には石川県の小松空港にまで、航空ショーの展示協力とか白々しいことを言いながら戦闘機を五十機以上も配置している。
これらは我が国にとって深刻な脅威となっているのは無論だが、アメリカにとっても、在日米軍の保全上も、またアメリカ国家としての大陸間弾道弾ミサイル防衛構想上も大きな脅威になっている。
もはや一刻も猶予はない。直ちに東亜国から中国軍を追い出さなければならない。
そのためには、建国以来これまで、全く愚かなことしかやっていない東亜国の動きに対し、何らかの抑制策を施す必要があると思う。」
水野の言葉には、もはや遠慮は無いようであった。
これを受け、小宮が提案する。
「解決策として最も有効と思われる手段は、現在中国が派兵の根拠としている安全保障条約を無効化することだと思います。」
いきなりの、解決策の提案に、その場にいた全員が、思わず前のめりとなった。
「それはそうだが、そんなことが可能なのか?」
当たり前すぎることだが、水野が尋ねた。
「秋本隆にクーデターを起こさせるのです。それしかありません。」
小宮が提案したが、その提案を聞いた参会者には、更に疑問が増えていった。
小宮は必死でそれに答えた。
「もはや東亜国政府は統治能力を失っています。
鷺山と槙野の二人を押さえることができれば、秋本が臨時政府を立ち上げることは可能だと思います。」
「失礼とは思うが、そんなことが、国防大臣は可能だと思うのか?」
水野の質問に、小宮の右の口角が少し上がった。
「可能だと思います。何しろ私には、クーデター実行の最適任者について心当たりがありますから。
ただ、そのあとが問題です。」
「なんだ、その問題とは?」
「クーデターによって樹立した臨時政府を、はたしてアメリカや他の国々が承認してくれるでしょうか?
我が国も含め、近代的民主主義国家は基本的にはクーデターや革命によって樹立された政権を承認しないのが基本です。
仮に秋本がクーデターを成功させたとしても、果たしてアメリカはこれを承認するでしょうか?」
「前の大統領だったならば、承認は難しかったかもしれない。しかし、ダグラス大統領なら承認してくれるだろう。勿論私も承認してくれるよう説得する。
何しろ、アメリカ合衆国政府も、本音では事態の鎮静化を願っているのだ。
それに、クーデターというならば、そもそも鷺山が、東亜国憲法の規定を無視して、独断で安全保障条約を締結したこと自体がクーデターのようなものだ。」
「なるほど確かにそのとおりですね。元々今回中国が派兵の根拠としている両国の安全保障条約事態が無効であり、違法行為を働いたのは鷺山で、槙野は消極的ながらもその共犯者ということですね。
それならば秋本議員を説得しやすくなる。」
小宮はそのあと水野と、東亜国内でのクーデター工作の細部を詰めた後、国防省に戻った。
執務室のデスクに就くとすぐに、東亜国の秋本隆議員にあてて秘匿メールを打った。
文面には、「クーデター」という言葉はあえて使わなかったが、秋本が何らかの形で鷺山と槙野から政権を奪い、鷺山が一人で勝手に中国と結んだ安全保障条約を破棄させることを期待するとの内容だった。
このメールを受信した秋本は、その文面から、直ちに解決策を悟った。
方法はただ一つ、武力を行使してでも、政権を鷺山と槙野から奪い取ることである。
それが立派なクーデターであることは、秋本にも十分理解できていた。
しかし、今これをやらなければ、東亜国は間違いなく崩壊する、いや、東亜国どころか日本国も含め、このままでは第3次世界大戦に結びつきかねない。
秋本は覚悟を決めた。
計画を実行するには、当然協力者が必要となる。
政治権力を別にすれば、今この国で力を持っているのは警察権力である。
計画のメンバーを揃えるため、警察官や武装警察隊、それに何より重要な役割を担うであろう大統領警護隊のメンバーを味方に着けたければならない。
小宮からのメールには、キーパーソンとなる者の名前も書かれていた。
その人物は秋本もよく知る人物である。なるほど彼の協力を得られれば、クーデターは可能かもしれない。しかし、問題もある。
今では東亜国内に多数配員されている警察官にあっては、今では結構な数の元在日韓国・朝鮮人や建国後に移民として国籍を得た者も多く入っている。
そのため、全員を味方にすることは期待できない。
秋本は小宮が示唆した人物、大統領警護隊長官で、元は陸上自衛隊のエリート隊員であった中田智志に密談を持ち掛けた。
中田は元々、防衛大学校出身で、陸上自衛隊ではエリートコースを歩んでいた。
スタイル的には正義感が強い熱血漢であったのだが、ただ、純粋なリベラル思想が祟り、国家分割に至る過程の中で政府批判をしてしまったため、出世コースを外された過去があった。
しかし、国家分割に至った頃、最後に勤務した統合幕僚監部においては、防衛副大臣であった小宮義治とは良い関係を続けていた。
ただし、国家分割の際には、その直前に左遷させられたことと、新国家で自身の理想を実現したいという思いから、小宮に対し別れの言葉を告げていた。
小宮はそんな中田を惜しいとは思ったが、心のどこかでは、東亜国が将来道を誤った時、何らかの形で力になってくれるのではと期待もしていた。
大統領警護隊は、鷺山大統領のごり押しで編成された武装組織であったが、その隊員は、国家分割前の元警察官と元自衛官であった者で占められていた。
中田以下の大統領警護隊員は、別に鷺山に忠誠を尽くしているというわけではなかった。
ただ東亜国内には武器の取り扱い経験がある者が、少なかったため、東亜国建国後警察官や地方公務員となっていた者から選抜して配員されたのであった。
彼らは国家分割時に新国家を選択した者たちであったが、その動機の根底にあったのは、秋本と同じような、本来のリベラル思想であった。
従って、今東亜国が置かれているような状況を決して良かれとは思っていなかったのである。
更には、彼らは他の平均的な東亜国民に比べれば、政治や国際情勢に関しては、よりニュートラルで正しい知識を持っており、東亜国が今のような統治不能な状態となった元凶についても、正しく分析する力を持っていた。
だから中田も、秋本のコンタクトに対しても、その意図するところに、すぐに察しがついた。
中田は、すぐに秋本に対し、同志となり得る者をリストアップすると伝えた。
秋本が心配したのは、大統領警護隊よりも人数が多く、武装も強力な武装警察隊と、今ではかなり大勢の外国出身者が入り込んで、一部が海外マフィアと結託していると言われている警察庁、特に末端の警察官の反応であった。
このうち、武装警察隊に関しては、末端の隊員には、警察官同様結構な人数の外国出身者が入っていたが、トップは元自衛官や警察官がおさえており、かつ下位階級の隊員についても、一般の警察官と違って、職務遂行上一般の国民やマフィア組織と絡むこともないうえ、外国出身の隊員についても、勤務態度はまじめな者が多かった。
このため、大統領警護隊長官の中田の見立てでは、トップを説得できれば、決起の際には、逆に警察内の不穏分子を押さえる役目を持たせることも可能と結論付けた。
警察ついては、警察庁幹部やマフィア組織とつながっていないまともな警察官たちは、建国当初、武装した犯罪者に丸腰で対峙させられたことで、政府の、特に民社党系出身閣僚を恨んでいる者も多くいるため、仮にクーデターに反対でも、武力を行使してまで抵抗する者は出ないのではと予測された。
中田は、秋本と別れた後、早速クーデター計画の協力者リストの作成に当たると共に、信頼のおける部下たちを中心に大統領警護隊内部の説得を始めた。
この説得は意外と簡単であった。もはや大統領警護隊員に、真剣に鷺山大統領を警護しようなどと思っている者は誰一人いなかった。いや、最初からそのような者は存在しなかったのかもしれない。
それどころか、説得を始めたとたん、ほとんどの者が「待ってました。」、「誰もやらなきゃ自分がやろうと思っていました。」と言う者が続出した。
大統領警護隊内はこうして意見をまとめることに成功した。
次に、武装警察隊の説得である。
武装警察隊は武装警察隊で、別な事情で不満が爆発しようとしていた。
原因は、先日ダグラス大統領が発した警告にあった。
ダグラス大統領が本気ならば、東亜国がアメリカと戦争となるとすれば、実際にその矢面に立たされるのは、自分たち武装警察隊となることは、ほぼ確実である。
そんなことなど全くの想定外の事態であったし、第一武装警備隊の基幹要員のうち、かなりの部分を占める隊員は元自衛官であり、自衛官であった頃は、米軍との共同訓練に参加した経験を持つ者も多くいた。
そうした者たちにとっては、「なぜ、自分たちがアメリカ軍と戦争しなければならないんだ?」との気持ちが生まれるのは自然の流れであり、そうした原因を作った鷺山に対しては、恨みこそあれ鷺山を護ろうなどという気運は、かけらも存在しなかったのである。
そのような思いは、警察庁幹部についても同じであり、鷺山の愚かな政策方針によって、これまで沢山の同僚や部下を殉職させてきた警察庁幹部たちは、いつかこの仇をとりたいとさえ考えていた。
そうした中、武装警察隊総監の深田武が東亜国警察庁長官の中村芳夫のもとを訪れたのは、大統領警護隊長官中田智志の説得を受けた僅か一時間後だった。
東亜国警察庁長官は、政治主導という考え方から、警察官僚ではなく国会議員が充てられている。
また、大統領の直轄である大統警護隊とは違って、武装警察隊は多分に形式的なものであるが、警察庁長官の配下に置かれている形となっていた。
このため、深田は中村の腹の内を探り、できることなら味方につけたいと考えたのだ。
そうしないと、もしクーデターを起こしたときに、長官が自分たちを「謀反人」として逮捕拘束の命令を発した場合、武装警察隊内はともかく、警察組織においては、一斉にクーデター派を抑え込む方向に動く可能性がある。
そうなった場合、深田が大統領警護隊長官の中田と謀った密約では、武装警察隊が強力な武力を行使して警察組織を抑え込みにかかることになっていたが、それでは最悪、流血自体にも発展しかねない。
もし仮に警察庁長官である中村芳夫がこちら側についてくれたならば、少なくとも大きな流血事態は回避できる可能性がある。
警察庁長官の中村芳夫は警察官僚出身であったが、官僚時代、庁内の出世レースに敗れ政界に身を転じた経緯があった。
政界を目指すざす際、自民党に入るという選択肢もあったが、その頃政権与党の自民党内では、既に有力な警察官僚出身の先輩議員の先生方が大勢控えていため、目先を変えて、当時勢いをつけていた民衆党を選択したのだ。
この選択は見事に的中し、次に行われた衆議院総選挙では、比例区で見事当選を果たし、先輩方と並ぶ「先生」と呼ばれる地位に就くことができた。
その後は、警察官僚出身の民衆党国会議員として、自民党政権たたきの役回りで、民衆党政権獲得の一助となったうえ、自身もメディアへの露出により知名度を得ることに成功した。
しかし、民衆党が政権を追われると共に、鳴かず飛ばずのまま、何とか国会議員の職を維持していたが、東亜国建国の機に、その経歴を買われ、現在の職に就いていたのである。
深田の見立てでは、中村はそれほどイデオロギー的に偏った傾向はない。どちらかというと日和見的傾向が強い人物である。
クーデター計画など打ち明けなくとも、さりげなく現在東亜国の置かれている状況や、どうすれば今の危機的状況を回避できるか、中村の考えを引き出す形で話を持ち掛ければ、案外自ら決断を下すのではと期待した。
深田が中村のもとを訪れると、中村がほんの一時間ほど前に首相官房付の秋本議員の訪問を受けたという。
一瞬深田は、秋本議員がクーデター計画を中村に打ち明けたのかと勘繰ったが、中村の口ぶりでは、どうやら秋本議員も深田自身と同じ考えだったようで、クーデターの話しはしていないようだ。
秋本はどうやら中村の腹の内を探りに来たらしい。
考えてみれば、秋本の中村も、国家分割前から同じ国会議員であり、議員としては中村の方が大分先輩である。
秋本も先輩議員である中村芳夫という人間については、多分自分以上に知っていたのかもしれない。
秋本が自分のもとを訪れたという話を先に切り出した中村を前に、深田は自身の用向きを一旦保留にし、中村に、秋本の訪問の目的を聞いてみることにした。
すると、中村は意外にあっさりと秋本が伝えたという情報の内容をしゃべった。
「秋本君が、政権内部に不穏な動きがある。ひょっとするとクーデターかもしれないと言うんだ。
そりゃ大変だと俺が言ったら、秋本君なんて言ったと思う?」中村が逆に聞いてきた。
「で、何とおっしゃったんですか?」深田は調子を合わせて聞き返す。
「秋本君が言うには、現在我が国で公式に武器を所持しているのは大統領警護隊と警察組織だけだ。
もしもその警察組織がクーデターを起こしたら防ぎようがない。だから直ちに、一時的にでも全警察官から武器を取り上げてくれって言うんだよ。」
深田はドキッとした。
『なるほど、さすがの策士だ。』
深田は顔にこそ出さなかったが、内心では感心するとともに、全ての状況を理解した。「ところで、君の用向きは何だ?」
中村が当たり前の質問をする。
すかさず深田は作戦を変更した。
「長官、実はそのことなんですが、・・・私のところにもその情報が入って参りまして、そのことで報告を兼ね相談に参ったわけであります。」
そういうと深田はいぶかしく頭を下げた。
「そうか、君のところにも話が来ているということは、どうやら、まんざらガセネタでもなさそうだな。」
「では、警察官から武器を取り上げるのですか?」
深田が探りを入れると中村は、「私も今それを悩んでいたところだ。君はどう思う?」と、深田の意見を訊いてきた。
ここは博奕である。
どうする?深田は一瞬悩んだが、賭けに出た。深田がこれまで見てきた中村という人物は、多分にあまのじゃく的なところがある。
「現在、我が国はアメリカから武力行使の脅しを受けています。
これに対抗できるのは、我が武装警察隊しかいません。
それに現在の乱れた治安状況で警察官から武器を取り上げるのはいかがなものかと。」
そこで言葉を切って中村の反応を伺った。
すると案の定中村は、少し上体をのけ反らせながら、
「相変わらず君は何も分かっておらんな、米国の脅しなんて、あんなものブラフに決まってるだろう。
今のご時世に、一方的な武力行使など、国際的な批判を考えればできる訳ないじゃないか。それに、もしも本当にアメリカが攻めてきたら、君ら武装警察隊の力じゃ、正直言って屁のツッパリにもならんだろう。
それよりも、武器を持った奴がクーデターを起こす方がよっぽど怖い。
警察官だって、ちょっと前までは丸腰でやってたんだ。一時的に武器を取り上げても、大して変わりはないだろう。
よし、決めた。
ここは素直に後輩の秋本君の言うとおり従った方が安全だろう。」
中村が一気にまくしたてた後、深田はあえて「ですが長官・・・」と、言葉を挟むそぶりをした。
すると中村はたたみかけるように、
「もう決めたことだ、すぐにも通達を出すから、お前のところもおとなしく従え。
でないとお前もクーデター容疑で逮捕するぞ!」
そういうとワハハと高笑いした。
深田は「承知しました。」とうやうやしく頭を下げ、長官室を退室した。
通路に出た深田は、中村が自分に対してはなった「相変わらず君は・・・」という言葉を思い出して苦笑した。
『相変わらず何も分かっていないのはあなたの方ですよ、長官』
心の中でそうつぶやくと、深田は自分のオフィスが入る武装警察隊庁舎に戻った。
庁舎に戻ると、中田大統領警護隊長官が再び自分を訪ねてきた。
中田は少し血相を変えている。理由は深田が中村警察庁長官のところへ行っていたと、深田の秘書から聞かされていたからだ。
深田の顔を見た中田は、申し訳なさそうに
「今、秋本議員が私のところをおとずれて、中村警察庁長官に、警察官の武装を解除するよう申し入れをしてきたと言うんだ。
まさか君は中村長官に、クーデター計画を打ち明けたりしていないよな。」
中田の焦った顔が少しおかしくなり、深田は不躾ながら少しだけ笑ってしまった。
「いや、危なかったですよ、正直言えば。
しかしご心配なく。
まあ、けがの功名と言うか、瓢箪から駒と言うか、とにかく思いがけなくうまくいったと思います。」
翌日、中村の宣言どおり、東亜国全警察官の拳銃を、一旦武器庫に返却し、施錠せよ。
その鍵は各州警察本部長自ら管理せよとの趣旨の通達が出された。
この通達は、一次的には東亜国各州の警察本部長に出されたものであり、武装警察隊は総監指示により、これに準じた措置を採れと記されていた。
これは、深読みをするならば、万が一アメリカが攻めてきた場合、抵抗できなかったことが後に問題視された時の予防線であるようにも読み取れた。
「相変わらず小ズルいな。」とも思ったが、これはかえって好都合である。
もちろん深田としては、最初から警察庁長官の意向に従う気は無かったのだが。
通達が出されて二日以内に、措置の完了が各州警察本部長から報告された。
武装警察隊の武器類の封印処置については、実施中ということで報告しておいて、深田は中田に対し、真の意味での「準備完了を報告した。」
こうして全ての準備が整ったことが、最終的に秋本隆の基に報告されると、即座に秋本はクーデター計画の決行を指示した。
実行計画書は既に必要な各所に届いている。そこで、あまり待ちすぎると、それらがどこからか漏れる恐れもある。
クーデターは、警察官の武装解除完了が報告され、中村警察庁長官が見当違いに一安心した深夜に決行された。
先ずは大統領警護隊が就寝中の鷺山大統領夫妻を大統領府内の私室に幽閉した。
同時に武装警察隊が、槙野首相や、他の閣僚を拘束した。その閣僚の中には中村警察庁長官も含まれていた。
東亜国各州警察本部内では事態を静観するところが殆どで、末端の警察官の中には騒ぎ出す者もいくらか出たが、直ぐに沈静化した。
クーデターは成功した。
槙野はおとなしく引き下がった。
鷺山は最後まで「こんなことをして何になる。我々が掲げたユートピアは人類の希望の国になるはずだ。
こんなことして、人類はまた百年後戻りだぞ!」と叫んだが、もはや誰も耳は貸さなかった。
東亜国内のマスメディアを使って、東亜国の全権掌握と新政権樹立を全世界に表明した秋本は、直ちにアメリカ合衆国の勧告を無条件に受け入れ、前政権が中国との間に締結していた安全保障条約が不正な手段で結ばれたものであり、新政権の下では無効である旨を世界に対し宣言した。
結果的には、でき過ぎな程の無血のクーデターとなった。
このことは、新政権樹立を宣言した秋本にとっては、有利に作用した。
つまり国際世論としては、平和的なクーデターとしてすんなりと受け止める土壌づくりに役立ったのである。
水野の、事前の根回しもあって、アメリカ合衆国をはじめ、EUやイギリスなど先進諸国もすんなりと東亜国における政権の交代を肯定した。
当然中国政府は、東亜国新政府の不承認と、一方的な安全保障条約の無効宣言は不当なものと主張したものの、先にロシアからはしごを外されたこともあり、東亜国侵出計画が大きく躓いてしまった。
そこに持ってきて、アメリカ合衆国大統領のダニエル・ダグラスが、中国にとっては極めて厳しい内容の宣告を行ったのである。
ダニエルは中国の主席に対し、「今後、これ以上南西諸島を超えるような行動に出た場合、我が国との全面的な対決を覚悟する必要がある。」と。
加えて、東亜国新首相秋本隆が発した東亜国、中国総合安全保障条約の無効宣言により、東亜国の各港に居座っていた中国艦艇を威圧すべく、日本国海軍とアメリカ海軍艦艇による連合艦隊が、それらの港を包囲した。
また、東亜国各地域における中国軍に対するこれまでの、ほとんど無制限であった便宜供与も停止された。
これにより、中国軍は東亜国に留まる法的根拠を失った形となった。
そもそもは、国際条約を名誉職的な大統領が単独で調印し、批准すら行われていないという異常な条件下で機能していた安全保障条約であったから、その白紙撤回は国際的な常識に照らし合わせても何ら非難されるべき点は見いだせなかったのである。
北海道の苫小牧港、新潟港、そして沖縄の糸満港沖合に粘っていた中国軍艦艇も、ついに撤収を余儀なくされた。
このようなことから、中国政府は、事態のエスカレートが最終的に行きつく米国との直接対決に対する不安もあり、東亜国からの軍事力の引き上げに踏み切らざるを得なくなってしまった。
こうして、日本対中国の全面戦争と、それが引き金となり引き起こされる可能性のあった米国対中国の全面戦争の危機は回避された。
東亜国の新首相の座に就いた秋本は幽閉した鷺山大統領のリコールを臨時国民議会に発議し、圧倒的多数をもって可決された。
こうして鷺山は大統領の座から引きずり降ろされた。同時に彼は中国政府に対し政治亡命の申請を行ったが、中国政府はこれを拒絶し、行き場を失った鷺山は、国家を外国に売り渡そうとした罪で訴追された。
日本国と東亜国との国境線では、未だあちこちで東亜国民の日本国への亡命申請者が多発していたが、一時期のように過激な行動出る越境希望者はかなり減少し、落ち着きを取り戻し始めていた。
国境を警備する警察官や国防軍の兵士は亡命希望者の身元確認作業に追われ続けた。
このままでは、東亜国は不法入国者と東亜国の政府関係者及び治安維持にあたる警察官以外の国民は、全ていなくなるのではという勢いであった。
これでは中国との全面戦争を回避できたとしても、日本列島内に外国人の、それもあまり素性の良くない者による、国家が出来てしまう。
日本国の水野首相は、東亜国新首相秋本と協議し、東亜国治安維持のための日本軍派兵を決定した。
目的は、非合法的に入国した外国人を国外に退去させることである。
この時点で言う非合法とは、鷺山と前政府によって定めらえた移民審査基準をパスした者も含まれていた。秋本は政権奪取後、旧移民審査基準を無効としたからである。
ほどなくして東亜国内には、臨時入国管理局外国人収容施設が乱立し、東亜国建国後に流入した外国人であふれ返った。
当分の間、外国人の移送問題で混乱することは避けられそうもなかったが、内政的には安定化への道筋はおぼろげながら見え始めていた。
まだ明るい未来とまでは言えないが、東亜国にも少しはまともな未来が見えてきたのかもしれない。
秋本は、とりあえず国名の変更から取り組まねばと考えていた。
「こんどこそ、日本民族主体の基に、真に自由な国をつくりたい。」
秋本の心には、密かな野望が芽生えていた。
(完)
私の処女作「暁の湊」を書き上げた直ぐ後は、もう二度と小説の執筆にチャレンジしようなどとは考えなかった。ところが不思議なもので、「暁の湊」の出版が実現すると、またムズムズと不思議な感覚が蘇ってきた。
この、一種の欲求にも似た感覚を満足させるべく、気の向くまま無責任に手掛けたのが今回の作品である。
世間には、派手な戦闘アクションもののストーリーも氾濫しているが、現実には今の国際情勢の中で、先進国による正面切っての武力衝突というものはなかなか起こりえないと私は考える。もしそんなことになったなら、それはそのまま世界の滅亡に直結するであろう。
だから、実際に考えられる範囲内においてこのストーリー構成してある。それでも、もしこの小説のように日本が分割することになれば、それこそ日本中で悲劇が起きることは想像に難くない。
人が人のみが持つ英知によって、平和な世界を構築していくことを、私は真摯に願いこの小説を書いた。
本著が誰かの、何かの役に、ほんの少しでも立つことを願いつつ最後の「Enter」キーをたたく。