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リラティヴ・アブソリュート  作者: ヒノミサキ
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第六章 コーダ

第六章 コーダ



-1-



 絶対世界の中心、それがどこにあるのか知る者はいない。だいたい太陽も星空もGPSもない世界でどうやって中心を決めるというのか。天も地もよくわからないこの世界は、地球上はおろか僕らの3次元宇宙の中にあるのかどうかも怪しい。

 ゲルテルが管理局からこっそり拝借してきた電子マップが一応あるが、ひたすら白い画面にところどころぽつぽつと建物があり、あとは座標を表す数字が書かれているだけだった。

「このX=0、Y=0のところ、これが中心じゃないんですか?」

 僕は時空管理局がある位置を指さした。

「ああ、それは仮のものだよ。時空管理局の連中が便宜的に決めたものさ」

 ゲルテルは言った。

 僕は携帯端末上のマップの座標や縮尺を動かし、この世界の大きさを確かめようとしたが、いたずらに数字が大きくなるだけだった。海も山もない白いだけの地図がどこまでも広がっている。Xが1.83×10の8乗を超えたところで僕はあきらめた。

「本当に正しいんですか? この地図」

 ゲルテルはうなずいた。

「この世界は今も拡がり続けている。君らの宇宙と同じようなものさ」

「絶対世界が......宇宙と同じ? それじゃ広すぎて探しようがないじゃないですか」

「確かにな。だが、目星はついている」

「それはどこですか?」

「絶対世界の歴史上、シンの姿を直接見た者はいないと言われている。誰も近寄れない場所がもしあるとすれば、この世界のどこかにある最果てだと私は踏んでいる。真の世界の中心はきっとそこにある」

「中心なのに最果てなんですか? さっぱり意味がわかりません。仮にそうだったとすれば、やはり不可能なんじゃ......」

「時を操るエグザムがいればなんとかなるんだが......」

 時を止めることができれば、世界の拡がりも止まるということか。時枝が健在なら......いや、そんな考えはやめておこう。

「やはり時枝(トキ)の復活を待つしかないのか......」

 ゲルテルは言った。

「やめてください! あの子は......時枝はもう充分尽くしてくれました。そっとしておいてやってください」

「そうだったな。すまない」



 僕らは無言のまま歩き続けた。この広すぎる世界では、どこへ向かっているとも言いようがない。ただ、立ち止まっていると不安で仕方ないのだ。

 真っ白だ。どこまで行っても。気力が萎えていく。行動することが、いや生きていることさえ無意味に感じてくる。僕は頭を何度も振った。

「あのぅ......」

 背後から七海の声が聞こえた。

「何だ!」

 僕は肩越しに怒鳴った。

「い、いえ......いいです」

 七海は驚き、目をぎゅっと瞑った。

「ごめん、ちょっと気が立っていたから......ほんとにごめん」

 僕は何度も頭を下げた。それほど大声を出したつもりじゃなかったのに......辺りが静かすぎるせいだ。

「スペイシオさんの最後の言葉......引っかかりませんか?」

 七海は言った。

「遠くて近し。見た目に騙されるな......か。それだけではよくわからないな」

 ゲルテルは言った。

 僕は考えた。遠くて近し、遠方と近所が同意になる場所。ゲルテルが長年の調査の末に目星をつけた、世界の最果てに中心がある、という考えに似ている気がする。

 僕はひらめき、手を打った。

「そうか! この世界は、拡がってはいませんよ」

「どういうことだ?」

「もしこの世界が絶え間なく拡がっているのなら、時枝が時空間を閉じることなんて、できるわけがない。絶対世界は元から閉じた世界だったんです」

「むむぅ......」

 ゲルテルは小さくうなった。

「真っ直ぐにどこまでも歩いていけば、やがて元の場所に戻るでしょう。この世界の3次元空間は、もう一つ次元を加えた球面の上に乗っているはずです」

 球面と言ったが、これは高次元の概念を表現するための便宜で、ざっくり言うと2次元で3次元を表す場合の疑似3Dや透視図法のような考え方だ。

「つまり、この世界はすでに完結した宇宙ということか......」

「そうです。確かに絶対世界は広いようですが、あの地図はまやかしです。シンの要請で偽の地図を作ったのは、おそらく時間と空間を仕切っている奴らでしょう。最も遠くて最も近い場所。世界の中心は......あそこだ!」

 僕は時空管理局を指さした。



-2-



 僕らは時空管理局を目の前にしながら大きな問題に直面していた。たびたび僕らを救ってきた万能の隠れ蓑、ゲルテル半径に綻びが生じていたのだ。それまで半径内に姿を隠せるのはゲルテル本人を含めて四人だったが、能力が低下してしまったのか、今は三人が限度だった。元々は彼に備わっていた能力ではなく教授の怪しい実験の副産物なので、果たして永続的な能力なのかは何とも言えないようだった。

 ゲルテル、僕、真魚、七海、つまりどうしても一人余ってしまう。

「和帆さんがゲルテル半径に入ってください。私は教授と時枝さんのところへ行きます」

 七海は言った。

「何言ってる。能力者が出てきたらどうするんだ? 真魚と七海は一緒でなきゃひとたまりもない」

 スペイシオとグラヴィッツを倒し、時枝を欠いたとはいえ、エグザムはまだ全員登場したわけではない。絶対世界に留まっているのか、別の世界でイレギュラーを追っているのか、そのへんの情報がなかった。

「じゃあどうするのさ。和帆が教授んとこ行く?」

 真魚は言った。

「そんなことできるわけないだろ! 真魚と七海を置いて逃げるなんて......」

「隠れろっ!」

 ゲルテルは僕らを小さな立方体(物置?)の影に突き飛ばした。

 時空管理局の方へ誰かが歩いていく。女が一人......遠くて顔まではわからない。

「な、なによあのコ。素っ裸じゃない」

 真魚は目を細め、謎の女の顔を確かめてやろうとしている。

「えっ?」

 僕が女をよく見ようとすると、七海がさっと手を出して視線の邪魔をした。気持ちはわかるが、今はそんな状況じゃない。柔らかい手をどけて直視する。

 若い女が一糸纏わずひたひたと歩いている。この世界の白い天と見紛うような肌。

「と、時......枝?」

「信じられん。とても起きあがれるような体じゃないんだ。目や耳だって機能しているはずがない。だが、あれは紛れもなくトキ......いや時枝君だな」

 ゲルテルは言った。

「何をするつもりだろう。まさか管理局に帰るつもりじゃ?」

「彼女は反逆者だ。それはあり得んよ」

 時枝がほんの数メートル先の道を通り過ぎた。僕らはすでに物陰から身を乗り出しており、彼女からは見えてるはずなのに、僕には気づいていない。

「時枝っ!」

「......」

 時枝は僕の呼びかけにも反応しなかった。精気が全くないわけではない。誰かに操られている風でもない。ただ、表情を無くした時枝の視線はひたすら前を、管理局の方を向いていた。

「君はここにいるんだ。様子を見てくる」

 ゲルテルは真魚と七海を連れ、時枝の後を付けた。

 身をさらしている僕は、物陰から顔だけ出して時枝の後ろ姿を見守ることしかできなかった。


 しばらくして、腕輪型の携帯端末に通信が入った。これは教授が開発した、単独で交信できるトランシーバーのようもので、この絶対世界の中でしかも近距離でしか使えないが、その代わり傍受される心配はないとのことだった。

『鱒井君! すぐに管理局へ来るんだ!』

 ゲルテルの声があった。

「どうしたんですか?」

『ワケは後だ! 誰かに見られてもかまわん! とにかく早く!』


 僕は前のめりに体勢を崩しながらも必死で走った。運動不足が祟って乳酸の蓄積が早い。膝から下の感覚がなくなっていく。肺が痛い。それでも走った。

 時枝、おまえはそんな体で一体何をしたいんだ......。

 時空管理局の周囲に人影はなかった。人口密度が低いこの世界では特別なことではない。僕は難なく正面玄関へ入ることができた。問題はここからだ。局員には何度か姿を見られている。エントランスホールに入った後はどうすればいいのかわからない。僕は極度に緊張していた。とにかく今はゲルテルを信じるしかない。

 一歩足を踏み出し、自動ドアが開く。

「あれっ!? みんな......止まってる」

 僕は愕然とした。ざっと数えてもホールに三十人はいる局員、その全員が静止しているのだ。

「和帆ーっ! こっちこっち!」

 奥の方で、ゲルテル半径を出て姿を現した真魚が手を振っている。

 あそこは確か、この1階では唯一メインシステムにアクセスできる端末がある場所だ。七海もいる、ゲルテルも......時枝も!? 

 僕は静止している局員たちを避けながら端末の方へ走った。

 時枝は両手の平を前方に突き出すポーズのまま立っていた。時間を操るときの例のやつだ。僕らは何度か呼びかけたが、やはり時枝に反応はない。

 シルクのような艶のある肌にはうっすらと汗が滲んでいる。時枝は生きている。おそらく肉体だけで。彼女を突き動かしているものは何なのだろう? 内なる心?......僕の視線がある場所に釘付けになっていた。

 それに気づいた真魚と七海は、はぎ取った女性局員の服を時枝に着せた。

「そんな名残惜しそうな顔するんじゃないのっ」

 真魚が横目で僕を睨んだ。

 そんなんじゃない!......と言いたかったが、全く違うとも言い切れない。しょせん僕も男だ。

「鱒井君、チャンスは今しかない。世界の中心を探すんだ」

 ゲルテルと僕は端末に向かい、局内マップを隅々まで調べた。エントランスホール、2階総務部、3階開発部、4階エグザム部......999階永久独房。シンが潜んでいそうな場所は見つからなかった。ゲルテルの計算では、シンの演算能力を考えればそのユニットの体積は少なく見積もっても1万階層分はあるはずだという。

「局内に潜んでいるとはとても考えられん。本当に世界の中心はこの中にあるのか?」

 ゲルテルは頭を抱えた。これ以上細部にこだわっていても埒があかない。

 僕はマップを全体図に切り替えた。ワイヤーフレームの正四面体がゆっくりと回転している。正四面体......全ての面が正三角形で構成され、それ以上崩すことの出来ない完璧な立体。一見しただけではそうとしか思えない。

「あの......ちょっと不思議に思ったんですが」七海は言った。「シンが完全を目指すというのなら、この図形って何か足りない気がしませんか?」

 足りない?......何を言ってるんだ、七海は。僕にはさっぱり解らなかった。

 七海は常備のメモ帳に正四面体の図と地面を書いた。四つある頂点の一つが地面に対して上を向いているように見える。まあそれが普通だ。

 七海は紙を逆さに向けた。今度は頂点が下を向いているように見える。

「地面を基準にすると上と下の区別ができてしまうんですよ」

「だから完全ではないと?」

 ゲルテルは腕組みした。

「だとすれば、こうしてみるか?」

 僕は七海の図形に三本の辺を書き加えた。正三角形だけで面が構成される六面体ができあがった。これは正多面体(正六面体はサイコロの形)ではないからある意味完全とは言えないが、なるほど地面を境にすれば上下に合同の正四面体が二つあるとも言える。上下の区別はない。

「つまり地上と同じものが下向きで埋まっているということか。やってみよう」

 僕は管理局の地下部分のマップを要求したが、システムに拒絶された。

「拒絶するということは、あると言っているようなものだ」

 ゲルテルはニヤリと歯を見せた。


 僕とゲルテルはセキュリティーのプロテクトを外そうと何千回もキーを叩いたが、どんなに皮を剥がそうとしてもそれを修復する動きに追いつくことができない。

 やがて、全ての入力が拒否され、あるプログラムが自動的に起動した。

『無駄なことはやめておくんだな。ゲルテル。鱒井和帆』

 モニターからプログラム言語の文字が消え、男のCG画像が映し出された。

「おまえは誰だ?」

 ゲルテルは言った。

『私はエグザムナンバー8(エイト)OS-8(オーエスエイト)

「何だと? エグザムは現在6人しかいないはずだ」

 ナンバー1(ワン)はシンの意向で空位、7(セブン)の時枝が最も下で、全部で6人。それ以上いるという話は聞いたことがなかった。

『フフフ』

「何がおかしい」

『なかなか優秀な弟子がいるようだが、惜しかったな。地下への道を開くことは人間の力では不可能だ。史上最高の天才の能力を100%引き出したとしても、私の防衛能力にはかなうまい』

「それはどうかな」

 背後からしわがれた声が聞こえた。

 僕は真っ先に振り向いた。

「教授!?」

「ふぅ、時枝君にはまいった。どんなに止めようとしても時間を遅らされて近寄れんのだ。今やっと追いついたところだよ」

 教授は白衣の袖で汗を拭いた。

『フフ、老いぼれが一人増えたところで何ができるというのか』

 教授は懐から小さな端末を取り出し、OS-8が映った画面に近づけた。

「ハッハ、やはりだ。バグが多いな。急造プログラムであることは隠しきれまい」

 教授はOS-8がシンの分身であることを見破った。

 教授はシンについて、たった一つだけ確実な情報を持っていた。シンは遥か昔から存在する巨大コンピューターだが、その当時かなりの短期間のうちに作られたことだけはわかっていた。

『何を言いだすかと思えば......私は完璧だ』

「ほほぅ? それならこやつと遊んでみるかね?」

 教授は数キロバイトしかない小さなファイルをOS-8に送りつけた。

『くだらんことにつき合っている暇はない』

「こやつに食われるのが怖いのだろう?」

 それは教授が組んだウィルスプログラムだった。

『よかろう。こんな小物は排除に1秒もかかるまい』

 OS-8はウィルスを排除しようプログラムを読み込んだとたん、フリーズした。男のCG画像が情けない顔のまま静止している。

「おまえが完璧なら難なく排除できたはず。一つでもバグがあるならそこにつけ込むように作っておいたのだ」

 地下空間を守るセキュリティーは消え、全てのマップが明らかになった。


 

 

-3-



 時空管理局の全体図は七海が予想した通りだった。地上にある正四面体、僕らは今その底面である1階にいる。その底面を共有し、頂点が地底の方を向いたもう一つの正四面体が姿を現した。

 僕と教授で端末を操作し地下への入口を開いた。僕らはそれがあるべき方角を見た。何も変化はなかった。ところが、モニター内の簡略図面には確かに入口が映っている。

「自信を持って進むんだ。絶対世界の人間を操っていたシンは人の弱点、心の迷いにつけ込んでくるに違いない」

 教授はそう言うと、自ら見えない壁の中に消えていった。

 続いてゲルテル、真魚、七海の順で姿を消した。

「一緒に行こう。時枝」

「......」

 時枝は相変わらず黙ったまま虚空を見つめているが、僕が一歩踏み出すと後をついてきた。

 

「これが世界の中心?......何もないように見えるけど」

 真魚は足もとを見下ろした。

 地下は完全に空洞だった。あるのは、壁に沿ってどこまでも下へ続く透明色のらせん階段だけだ。空気は塵一つ無く澄んでおり、階段の内側に寄って空洞部分の真下を覗けば、正四面体の尖った最下部まで見える。

「ほ、本当にシンはここにいるんでしょうか?」

 七海はそう言うと、見づらい段差を踏み外して転びそうになった。

「そら、既にシンの術中にはまりかけているぞ」

 教授は七海を背中で受け止めた。

「あ......」

「信念が崩れたとき、我々は敗北するだろう。肝に銘じておくんだな」


 僕らはしばらく無言のまま階段を下り続けた。視界は良すぎるくらいで、確かに最下部まで見えているのだが、なかなか近づいてこない。地上部分と同じ大きさだとすれば地下999階まであるはずだから当然かもしれないが、どうもさっきから距離感や時間感覚がしっくりこない。

「教授、おかしいと思わないか?」

 ゲルテルは言った。

「そうだな、すでにトラップにハマっているのかもしれん」

 教授は皆にいったん止まるように言った。

 僕はそれまで時計を何度も見ていた。もう1時間は歩いているはずなのに、下が近づいてくるようには思えなかった。

 ゲルテルはため息をついた。

「迂闊だった。地上に一人か二人残しておくべきだった。トラップ時空間の外からならサポートできる可能性もあるが、全員が内側に入ってしまっては......」

 シンの居城に入ったと思ったらもうこれだ。僕はこのトラップを無限階段と名付けた。

 真魚は階段に座り込むと、膝を抱えた。

「このまま永久に閉じこめられちゃうのかな。餓死、とかしちゃうのかな......」

「真魚......」

 僕は隣に座り、肩を抱いた。

「みんな一緒だったらいいけど、このままだと一人ずついなくなっていくんだよね......あたし最後の一人になりたくない!......怖い......和帆......」

 僕は手に力を込めて言った。

「人間の力はそんなにヤワじゃないよ。機械は決して人間を越えられないって、昔の偉い数学者が証明までしてくれた。僕はそれを信じたい」

「じゃあ、あたしはその和帆を信じる......」

 僕は真魚の頭を撫でた。

 自然と僕らの口元が緩む。論理では説明のつかない、根拠のない自信がどこからか湧いてくる。

 僕は一つひらめいた。

「教授、ここから飛び降りてみませんか?」

「な、なんだって!?」

 教授は唖然としている。

 ゲルテルも口を開けたまま言葉を失っていた。

「無限階段は、階段の内部でしか有効ではないと僕は見ました。この空間全体に無限トラップを適用したとすればシンの居場所がなくなる。シンは物理的に存在するコンピューターです。必ずどこかに実体があるはずだ」

「しかしな鱒井君......最悪の場合、全員転落死だぞ?」

「餓死とどっちがいいですか?」

「うぬっ......君も言うようになったな」

 僕らは覚悟を決め、透き通った階段の内側に集まった。遥か遠くを見れば、対岸の壁に沿っていつ降りたとも知れない階段が小さく見える。そしてわずか一歩先は、がらんどうの空間と奈落の底だ。

 僕は両脇に真魚と七海を抱え、ゲルテルが教授と時枝を抱え、一斉に奈落に向かって飛び降りた。

 

 

-4-



 ......僕には三人の夫人がいた。夫人が三人? いつの間に法律が変わったんだ? ともかく、誰が第一夫人になるかで毎日ケンカしていた。

 年上の七海は頭が良くて配慮に長けているが気が弱い、年下の真魚は気が強くて丈夫だが家事が一つも出来ない、真ん中の時枝は僕を無視して勝手に手続きを進めようとしている。

「ケンカはよせ」と僕は言った。三人は僕を睨んだ。同じ日に三人別々の機会に一緒になろうって言った僕が悪いと責めた。「そんなこと言ったっけ?」と僕は言った。怒りに震える真魚と七海はペンダントに内蔵されたレーザービームを光らせ、時枝は妖しげな術を唱え始めた。ぐわっ! やめてくれ! ぼ、僕が言ったのは......。


「僕が言ったのはそういうことじゃなくて、みんな一緒に飛び降りようって!......あれ?」

「なに寝言いってんの?」

 真魚は僕の顔を覗き込む。

「あ、頭大丈夫ですか? 痛くないですか?」

 七海は心配そうな顔で僕の頭をさする。

 霧のようにかすんでいた意識が戻ってきた。僕は大の字になって倒れていたようだ。

「ここは?」

「なんだろう? 楽園、かなぁ?」

 真魚が言った。

「ラクエン?」

 僕は体を起こし目をこすった。

 見渡す限り一面の花畑。さっきまで見えていた壁面や階段はない。どうなってるんだ? 僕ら三人は違う世界に飛ばされてしまったのか? 三人だって? あれ、何か足りない気がする......。

「時枝は? 教授は? ゲルテルさんは?」

 二人は無言で首を振った。

 もし別の世界に飛ばされてしまったとすれば、ここがどこなのか確かめなければならない。時計と携帯端末は?......生きてる。何とかなる。

 僕は立ち上がった。

「どこへ......の?」「......行くんですか?」

 真魚と七海は同時に言った。

「う......」

 どこへ行けばいいんだろう? 山も川も森も海もない。あるのは青いだけの空と、どこまでも続く花畑。

 落ち着け! 冷静になれ! シンは自身の哲学に従い、僕らに直接攻撃を仕掛けることはないはずだ。

 僕は左手で頭を何度も小突いた。その左手が疼いた気がした。

「和帆?」「和帆さん?」

「そうか......大丈夫。義手が共鳴している。少なくとも教授は同じ世界にいるはずだよ......いや、時枝もいるな......」

「わかるの?」

 真魚の顔は時枝というワードに反応した。

「う、うーん、なんとなくそう思うだけ」

「ずるいですよ、そんなのぉ」

 七海は僕の肩を揺する。

「時枝は能力者なんだから、特別なことがあってもおかしくはないさ」

「ふーんだ」

 七海はそう言ってそっぽを向いてしまった。


 僕らは義手の共鳴を頼りに歩き始めた。共鳴は微弱なものだった。心を穏やかにしていないと感じ取れない。

 僕らは無言で歩き続けた。だが、どこまで行っても共鳴が強まることはなかった。遠ざかってはいないはずだが、近づいてもいない。

 僕は不意に立ち止まった。

「どうしたの?」

 真魚は言った。

「この場所はたぶん、物質世界じゃない」

「どういうことですか?」

 七海は言った。

「徒歩の時速を4キロとすれば、僕らは少なくとも90分で6キロは歩いた計算になる。でも、共鳴の強さは変わらなかったんだ」

 僕は七海が差し出したメモ用紙を使って説明を続けた。

「教授が僕らと、同じ速度で同じ方向に同じ時間分だけ移動していることはまず考えられないと仮定しよう。草が寝ている道筋を見ればわかるように、僕らは確かに直進してきた。6キロも移動したのに距離関係が変わらないという現象は、静止している教授を中心に円を描く以外は普通はあり得ない。つまり、ここは物理法則が通用しない精神世界だと考えるのが一番妥当だと思う」

「えーと、要するにあたしらはシンが作り出した幻の中にいるってこと?」

 真魚は難しい顔で額に手をやった。

「正確にはシンが作った幻を僕らの精神に送り込んだと見るべきだけど、あたかもシンが物理空間に作った幻の中に取り込まれたように僕らに思い込ませることが目的で......」

「全然わかんない」

「僕もわからなくなってきた」

「さきほどまで私たちを苦しめていた、時空トラップという可能性は?」

 七海の疑問はもっともだ。

「それは否定できない。けれど、何というか、そうじゃないんだ、としか言いようがない」

 僕は歯切れ悪く言った。

 教授の義手との共鳴現象、霊感とでも言うべきなのか時枝との不思議なつながり。どうにも言葉で説明するのは難しかった。

 そのときだった。

(和......さん......)

 どこからともなく、女の声が聞こえた気がした。真魚と七海は......二人でなにやらひそひそ話をしている。

(和帆......さん)

(その声......いやイメージは、時枝......なのか?)

(私は......ここです)

(時枝! 呼びかけているのは君なんだな? 今どこだ? みんなは一緒か?)

(私は......ここです)

 時枝はそれ以上のメッセージは送ってこなかった。

 あれほど脳に障害を受けたんだ、自意識が復活するとは考えにくい。だとすればあの子を突き動かしているものは、やはり......。

 僕は意を決した。二人とも、すまない。こんなことはこれっきり一度だけだ。

「真魚、七海、僕につかまるんだ」

 二人はしばし見合っていたが、すぐに僕と腕を組んだ。

 僕は目を瞑り、時枝のことだけを考えた。君のことは一生忘れるつもりはない。僕は心の世界で一度だけ時枝を抱いた。

 

「うわっ!」

 目が覚めると同時にがばと上半身が起きた。

 教授が驚いた顔で尻餅をついている。

 真魚と七海は?......僕の左右で気だるそうに目をこすっている。

 ゲルテルもいる。

 時枝は?......これまで通り、光宿らぬ遠い目であさっての方角を向いている。

 ありがとう......僕は心の中でそう呟き、時枝の手を握った。時枝は僕の方を見ることはなかったが、ほんの一瞬だけ手に微かな力が込められた気がした。



-5-



 無限階段から飛び降りた後、僕と真魚と七海はシンの精神トラップの網に引っかかってしまったようだ。教授ら三人は難を逃れ、しばらく僕らを探し回っていたという。彼らを救ったのは、時枝の不思議な力によるものなのだろうか。

「それにしてもここ、狭いですね」

 僕は辺りを見回した。バスケのコート半分あるかどうかという広さしかない。

「おそらく最下部だろう」

 教授が見ている方向に無限階段のゴールでありスタート地点があった。といっても、それは見た目だけで、まやかしかもしれないが。

 ここには何もなかった。床は磨かれた黒鉛のようにも見えたが、よく見ると自ら鈍く発光しており、水のような手触りがあった。床下を占めるであろう容積を考えると、ラスボスつまりシンの中枢は最下層にあるに違いないという、僕のゲーム脳じみた単純な予測は外れた。

「おそらくシンの(コア)はあれだ」

 ゲルテルは真上を指さした。

 時枝を除いた皆が一斉に見上げる。円形にくりぬかれた何層もの黒い天井の遙か上方に、巨大な鏡面球体の底が見える。球体の底からは白い梯子が、この最下部の数メートル上空まで延々と伸びていた。

「上から下を覗いたときは何も見えなかったはずだが、これも罠かねえ」

 教授は顎をさすった。

 僕らは真上から落ちてきた。なのに、あのばかでかい球体にはぶつからなかった。この場所の時空間が見た目通りではないことは明らかだった。

「梯子を上っていきましょう」

 僕は言った。

「あえて罠に挑むというのかね?」

 教授は言った。

「あれが罠だと考えるように、シンが仕組んだ罠だったとしたら?」

「ふむう」

 教授はうなった。

「僕らはさんざんひどい目にあって疑心暗鬼に陥っています。もはや何を見ても罠だと思ってしまう。そこで安全そうな道を選べば、たぶんもっと危険な罠に誘い込まれるでしょう」

 教授は笑った。

「この戦いに勝利した暁には、私を君の生徒にしてくれ」

 真魚と七海も僕の考えに同調した。彼女たちはもはや何も信じられなくなっており、僕と心中なら悔いはないといった感じだ。

 一方、ゲルテルは僕の考えに対して慎重論を口にした。とはいえ、安全そうな道が安全という根拠はどこにもなく「科学者としては甚だ不本意だが、ここは賭けるしかないようだ」といって意見を取り下げた。

 そして時枝は......今はそっとしておこう。


 僕らは梯子を上った。行く先は天国なのか地獄なのか、どこに通じているのか、どこにも通じていないかもしれない。それでも不思議と自分の選択に迷いや後悔はなかった。どんな嵐も乗り越えてきた。真魚、七海、教授、ゲルテル、そして時枝。僕は一人じゃない。怖いものはもう何もない。

 息が切れてきた。真ん中がくりぬかれた黒い階層を幾つか越えた気はするが、数までは覚えていない。こんな奇妙な場所でも重力だけはきちんと働いている。僕の体重は標準値のはずだが、垂直な梯子を登り続けるには腕力が足りなかった。それでも、自分の案を通し先頭を行く者が弱音を吐くわけにはいかない。

 僕はしびれる腕を時々振りながら更に上った。

「ま、待ってくれ......」

 最初に根を上げたのは教授だった。僕らはついつい忘れてしまいがちだが、教授はすでに70を過ぎているのだ。僕は梯子から通り過ぎたばかりの床の上に飛び降りると、ここで休むことを提案した。

「すまないね......」

 教授は荒い息を整えながら床に腰を下ろした。

 僕も両手を膝につき肩で息をしていたが、真魚と時枝は平気な顔をしていた。

「だっらしないなー」

 真魚はそう言うと辺りをうろつき始めた。梯子が通っている天井にぽっかり空いた穴から上を覗いている。が、すぐに首を傾げた。

「あ、あれ?」

 目を何度もこする真魚。今度は床に開いた穴から下界を覗いた。

「ああーっ!」

「どうした?」

「う、嘘でしょ?」

「だから、どうした?」

 真魚は泣きそうな顔でひたすら下を指さすだけだった。

「下に何かあるのか?」

 僕は真魚のそばへ行き、一緒に下を覗いた。

「!」

 声が出なかった。今まで僕らが上ってきた最下部からの道筋はなく、そこには鏡面球体(コア)があった。僕はすかさず上を見た。さっきまで僕らがいた最下部が見えている。上下が逆転している!? じゃあ何で僕らは普通に立っていられるんだ?

「梯子から一歩外に出たが最後、というわけか」

 ゲルテルは言った。

「とにかくコアへの手がかりはあの梯子しかないんです。行きましょう」

 僕らは構わず梯子を下りた。()()()()()()()が遠ざかっていく。視覚と重力感覚が混乱するのはあまりいい気分ではない。梯子を下るのは多少は楽だが、一度も休まずに下りきるのは難しいように思えた。かといって、さっきのようなヘマはしたくはい。

 僕らは梯子に手足を引っかけて休むことにした。あちこち痛くなるが仕方ない。

 下を見た。コアは確実に近づいている。あとは体力勝負になるだろう。そう思っていた。七海が口を開くまでは。

「き、気持ち悪い......何ですか? これ」

 七海はこわばった顔で細腕を梯子から離し、虚空をつかもうとしている。

 精神的に疲れて幻覚でも見ているのかと思っていたが、時間が経つにつれてその奇行は他の者にも伝染していった。

 景色の彩度が徐々に落ち、水の波紋のようなものが見えてきた。やがて、物体の色や形は完全に失われ、幾つかの複雑な波紋だけしか見えなくなった。

「これもトラップなのか?......うわっ!」

 僕が口を開くと、同時に大きな波紋が拡がる。

 それに呼応したかのように、上の方でも違う形の波が生み出されている。

 僕はあることに気づき、叫んだ。

「みんな黙って!」

 一つの大きな波紋だけが現れ、徐々に消えていく。

「どうやら、視覚と聴覚が混濁してしまったようだ」

 声がかすれ気味の教授らしき、歪な波が揺れた。

 僕は目を瞑り耳に全てを集中させた。微かに皆の姿は見えるが、誰が誰なのかは判断できない。こちらの感覚の方が仕組みが複雑なのか、慣れるのに時間がかかる。生まれたての赤ん坊の目ってこんな感じなのだろうか?

 このままでは埒があかない。僕らは手探りで()()()()()()()まで探した。そしてようやく1つの階層を見つけ出し、そこへ転がり込んだ。

 ほどなく、妙な感覚は元に戻った。コアは再び上の方に戻っていた。

「あの......私、思ったんですが」七海は言った。「階層で休む度にどこかの感覚がいじられている気がするんです」

「休めば休むほど感覚の狂いが大きくなっていくのかもしれないな」

 ゲルテルは言った。

「コアにたどり着いた頃には皆廃人になっているというわけか。シンの性格がなんとなくわかってきたよ」

 僕は言った。

「性格はともかく、このまま突き進むというのは得策ではないな」

 確かに教授の言うとおりだ。僕らは生まれた世界は違っても、能力者の時枝以外は普通の人間だ。他人(ひと)より多少は我慢強いつもりでも限度というものがある。僕らは考えに考えたが、これといった策は出てこなかった。

 僕があぐらをかいて唸っていると、誰かの手が肩に触れた。振り返ると、時枝だった。

「ん? 何だい?」

 僕は時枝の手に自分の手を重ねた。少し冷たいがちゃんと血が通っている手だ。

(......)

 時枝は何かを伝えようとしている? せめて表情に、身振りだけでも見せてくれれば助かるのだが。

(......)

 何かを伝えようとしていることだけはわかるんだ。

 僕は必死にあれこれと話しかけたが、時枝は反応しなかった。

(......)

 ......そうか、なまじ五感なんかに頼っているからわからないんだ。

 僕は神経のドアを閉じ、心のドアだけを開いた。それは言葉に変換できる類のものではなかった。ただ、そんな気がしただけ。それだけだった。

 僕の足は自然と真魚と七海の方に向いていた。

「どうしたの?」

 真魚は言った。

 七海も僕を見上げている。

「今日は確か真魚だったな。あれ、貸してくれないか?」

「いいけど......和帆が使うの?」

 真魚は懐からAM-マナミウムの石を取り出し、僕に手渡した。石が一つになってからは保管は交代制にしてある。

 閉じられていた絶対世界に僕らを導き、エグザム最強の男を倒した。それでもなお、白い輝きを失ってはいない。

 僕は時枝の手を取り、石を乗せようとして、ためらった。この石は能力者たちを消し去ったものだ。時枝もああなってしまうのか。

「......」

 時枝の指先がピクリと動いた。

「わかったよ、乗せればいいんだろ」

 白い肌が仄かに光った気がした。だが、身体が消えることはなかった。

 不思議だ。この石は真魚と七海だったから強い効力を発揮したとでもいうのか。この石の誕生を遡ってみると、原因は教授が作った僕の義手だった。まったくあの教授ときたら......後で質問攻めにしてやろう。

 時枝はうつろな瞳を斜め上に向けた。

「あそこ......なんだね」

 僕は時枝の両手を背後からつかみ、掌をそちらへ向けさせた。

 すると、階層を形づくっていた黒い天井が次々と崩れていった。周りからすぐに修復しようとする動きがあったが、それもすぐにボロボロになってしまった。あれがどんな材質であろうと考えられることは一つしかない。時枝の掌の先は、時の流れがとてつもなく速くなっている。

 今、僕らが立っている階層から上は再びがらんどうの空間となり、ついに鏡面球体(コア)が完全に露わになった。

 梯子も崩れてしまったので、コアへ通じる道は断たれたかに思われた。ところが、ついさっきまで何もなかった僕と時枝の目の前に、らせん状の坂道とおぼしき実体のない揺らめきが突如として現れたのだった。

 どういう仕組みなのか、僕にはすぐにわかった。時枝がその部分の時間を止めてしまったせいで重力加速度が無効になっているのだ。揺らめいて見えるのはその周りの空気や塵なのだろう。物理学を逸脱しているとしかいいようがない現象だが、今はそれを受け入れるしかなかった。

 時枝は見えざる坂を上りはじめた。僕は真魚と七海の手を引き、後に続いた。

 

 

-6-



 コアはガス会社のタンクのように巨大だった。凹凸一つ無い鏡の球面が僕らの姿を映し出す。入口と呼べそうなものはどこにも見当たらない。

 僕の傍には時枝がいて、時間の止まった透明な足場を維持しようとしていた。ところが、皮肉な歓迎のつもりなのか観念でもしたのか、シンは球面の底に黒い床を出現させた。そこで時枝は能力を使うのをやめ、遠い目で直立不動になった。

「さて、どうしたものか」

 教授は小さくうなった。

 僕と教授で球面を触ってみたが、何も起こらなかった。つるつるしているのがわかっただけだ。携帯端末で材質や密度などを調べようにも『unknown』と表示されるばかりだ。

「これ以上考えても仕方ない。最後は力技で行きますか」

「久々にやるかね?」

 僕の左手と教授の右手を、同時に球面に押しつけた。空いた方の手で能力発動のトリガーとなる親指と人差し指の谷間を押す。

 球面はほとんど姿が消えかけたが、義手への負担も大きかった。

「いかん! 手を切り離せ!」

 教授は叫んだ。

 僕の左手の周りにプラズマのような発光が起こった。

「クッ!」

 僕はギリギリまで粘ってから左手を切り離した。それとほぼ同時に球面は消え去った。

 教授は切り離すのが一瞬遅れ右腕に怪我をしていた。ゲルテルは例の半径内に時枝と教授を隠すと「構わず先へ行け!」と言った。


「あれが......シン?」

 僕は巨大な機械の塊を見上げた。何という姿だろう。僕らはあんなものと戦おうとしているのか。絶対世界の人々はあんなものに支配されているというのか。

「あれは、真空管でしょうか?」

 七海は中に電極のようなものが入った透明色の円柱を指さした。ドラム缶のように大きなそれがいくつもある。

「あ、これ高校の電算室にあった最新のやつ」

 真魚は言った。

 創生期のものから、電卓、カセットテープを使う初期の8ビットPC、今年発表された最新型量子コンピューターまで何でもある。まるで電算機の博物館だ。

 シンの本体はどこにあるのかわからない。僕らはとりあえず、一番近くにあった真空管群に近づこうとした。すると周りから小さな光の粒が集まり、一人の痩せた男ができあがった。

「残念ながら謁見は許されませんよ」

「エグザムかっ!」

 こんな異常な能力を持っている者は奴らしかいない。ゲルテルからの音声通信で名前がわかった。ナンバー3(スリー)スペクトレイ。光を操る能力者だ。

「!」

 真魚と七海の声にならない悲鳴が背後から聞こえた。

 振り返ると、緑髪の女と、鳶色の肌の頑強そうな男がいた。奴らはナンバー4(フォー)ウェーヴェン、ナンバー5(ファイブ)ヒトゥといった。それぞれ波動と熱を操るという。

「おまえらはなぜここを知っている! 絶対世界の中心は誰も知らないはずじゃなかったのか!」

 僕は言った。

「エグザムは既に崩壊した。我らはシン直属の衛士として再構成されたのです」

 スペクトレイは言った。

「シンへの冒涜は許さぬ」

 ウェーヴェンは手刀を振るった。

 AM-マナミウムを二人で握っていた真魚と七海は攻撃を無効化したが、僕の身体は見えない波動に飛ばされ、スペクトレイの足下に頭を打ち付けた。

 一瞬、意識が飛んだ。気づくと僕は仰向けになっていた。

「和帆っ!」「和帆さん!」

「まずは君の光をいただこう」

 スペクトレイは二指をVの字に開き、僕の両目に狙いを定めた。

 僕は朦朧としていて動けなかった。もう皆の姿を見ることはできなくなってしまうのか......。左の頭が痛い......右はそうでもない。なんとか左肩を動かそうとしたが、反応したのは肘から下だけだった。奴の指が光った。しまった......左手はもうないんだった......。

「なんだと!?」

 スペクトレイは後ずさった。

 奴の指の光はなぜか大きくそれて、僕のむき出しの左手首に当たった。そして、手首の中の何かが暴走した。この力は......。

 そうか、思い出した。時枝に裏切られたあの日、雪原、廃墟、記憶消去術を跳ね返した謎の現象、そして......。

 スペクトレイは、僕の左手首から突如吹き出した靄のようなものに取り込まれた。男を包んでいた光が闇に転じ始めている。

「な、何が起きている!?」

 闇の無限の落ち込みに光が追いつかない。まさに光の墓場だった。スペクトレイは悲鳴すらあげる間もなく暗黒の一点に消えていった。

 僕はふらついて起きあがると、手を失った左手首を見つめた。異常な現象はもう跡形もなくなっていた。時空が逆転するとか、光が闇になるとか、なんだかもう魔法みたいだ。まさかとは思うが、これも教授の失敗実験の産物なのだろうか。

「真魚君! 戻るんだ!」

 どこかからゲルテルの絶叫が聞こえた。生の声ではない。皆の通信機からだ。

 真魚が僕を助けようと走り出していたのだ。あの白い石を握っていない真魚は丸腰同然だった。

 赤黒い顔のヒトゥが熱弾を浴びせようとしたが、間一髪外れた。だが、真魚はそれを避けようとして転んでしまった。ヒトゥとウェーヴェンは真魚を挟み撃ちにした。

 僕の身体はまだ消耗から回復していない。七海の足では間に合わない。どうすればいいんだ!

「ゲルテルさ......!?」

 真魚のすぐそばにゲルテルが突如として現れた。

 ゲルテルに突き飛ばされた真魚は、駆けつけた七海が抱き寄せた。

「絶対世界の猛毒め。貴様から始末してやろう」

 ヒトゥはゲルテルに向けて熱の輪を作った。

 一方、ウェーヴェンは波動の矢を床に撃ち、真魚と七海をひっくり返した。攻撃が通用しないなら足場を崩して牽制しようというわけか。

「させるか!」

 僕はヒトゥに食い下がろうとした。

「来るなっ!!」ゲルテルは叫んだ。「君には大事な人がいるのだろう! 命を粗末にするんじゃない!」

「そんな! ゲルテルさん!」

「丸腰の人間が一人でも出てしまう以上、我々には圧倒的に不利な戦いだ。ここで勝負をつける!」

「ゲルテル覚悟!」

 ヒトゥとウェーヴェンは慎重な足取りでゲルテルに近づいていった。いつまた消えてしまうともわからない相手を逃さぬよう、距離を詰めようとしている。

「フフ、いい子だ」

 ゲルテルは微笑んだ。

 熱と波動の至近攻撃がゲルテルに当たる寸前、彼は二人に向けて両手をのばした。

 そして......三人共消え去った。

「ゲルテルさん!! ゲルテルさん!!」

 辺りは静寂に包まれた。いや、シンの機械音だけは微かに聞こえている。

「ゲルテルはもういない......」

 時枝を連れた教授は、三人が消えてしまった虚空を見つめた。

「な、なぜ!?」

「ゲルテル半径はな、主を失えば永久に閉ざされる仕組みになっている。あやつは自らエグザムの始末をつけたのだ」

「自ら?」

「ゲルテルはエグザムの創設者なのだ。エグザムナンバー0(ゼロ)

「ゲルテルさんが......エグザム?」

「元々それは、シンを倒すためにゲルテル自身が作った組織だった。その、まあ......詳しい話は帰ってからにしよう。全部話すと本が1冊書けてしまうからな」

「......」

 僕は口を挟まなかった。きっと教授たちの周りでは、話しづらい複雑な事情があったんだろう。

「ともかくだ、あやつの究極の能力は、自らの命と引き替えにターゲットを永久に隔離することだった」

「初めからシンやエグザムと差し違える気だった?......そんな、そんなのってないでしょ!?」

「我々を信用してなかったわけじゃない。自分が招いた災いのせいで、別世界の人々を不幸にしたと思っていたのだろう。あやつはそういう男だ」

「......」

「鱒井君......」

「行きましょう。最後のケリは僕らがつける!」

 僕はひざまずき、しゃがんで伏せっていた真魚と七海の肩を抱いた。

「真魚、七海。泣くのは全てが終わってからにしよう」



-7-



 静かだった。先ほどまでの戦いが嘘だったかのように。

 シンは僕らを襲うこともなく機械の駆動音だけを立てている。入力装置を探したがどこにもなかった。ビンデージものの電算機や最新のコンピューターもあるにはあるが、よく調べてみると、構成物の多くは過去の集積回路のガラクタが身を寄せ合っているだけだった。

 僕はシンを見上げた。

「あそこか」

 ガラクタの頂上に、人の脳を模したような黄土色の塊と、タブレット端末のような簡素な操作パネルが一つだけ見える。

 僕は失った左手を悔やみつつ、不安定なガレ場を、両足と右手の3点でよじ登っていった。

 頂上に着くと、僕はシンを見つめた。

 なんて小さいんだ。そして、なんてそっくりなんだ、人の脳に。

 僕は操作パネルに右手を置いた。

『なぜ、人の脳に似せるのか?』

 僕はそうインプットした。

 シンは答えなかった。

『機械は人間以上の存在か?』

 僕は質問を変えた。

 シンはイエスを意味する機械語を表示した。

『完全なる機械こそが、次の世代を担うべきである』

『人の作りしものが完全であるわけがない』

 僕はインプットした。

『我は進化した。すでに人の手を離れたのだ』

 シンは表示した。

『ならばなぜ、生身の人間に完全さを要求するのか?』

『不完全なるものは愚かな行為を繰り返す。やがて世界を滅ぼすであろう。我はそれを阻止し我の世界を創ることにした......これ以上問答する必要はない』

 僕はため息をついた。

 結局、最初にシンをプログラムした者の人格が影響した末の我が儘じゃないか。完全な世界を創りたければ勝手に一人で創ればいい。押しつけられるのはゴメンだ。

 僕はインプットした。

『最後に一つだけ聞かせて欲しい。あんたの神としてのシステムは正常か?』

『当然だ』

『ならば自分自身が不完全でないことを証明してみせよ』

『いいだろう』

 僕は目を瞑り深呼吸を一つした。

 再び目を開いたとき、シンは全ての機能を停止していた。シンは自己矛盾に陥り、自ら命を絶ったのだ。

「完璧な機械、完璧なシステムなんか存在しない。僕らの世界ではもう200年以上も前に証明されているんだ」

 僕は冷え切った作りものの脳に、油性ペンで三行のメッセージを残した。

 

 システムSが正常であるとき、Sは不完全である。

 システムSが正常であるとき、Sは自己の無矛盾性を証明できない。

 すべての真理を知る無矛盾な存在を「神」と呼ぶなら「神」は存在しない。

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