第四章 モジュレーション
第四章 モジュレーション
-1-
(和帆......苦しいよ。あたし、一体どうなっちゃったの? 生きてる感触がまるでないの......気持ち悪い......あれ? 体が、あたしの体がない!......いやっ......いやぁぁぁ!)
「麻波!!」
僕は掛け布団を跳ね上げた......つもりだったが何も手にしていなかった。
「......あ......れ?」
夢、か......。僕は意識を失っていたのか?
布団はおろかベッドすら見当たらず、だだっ広い床に寝転がっているだけのように見えた。上体を起こし辺りを見回す。
全く見覚えがない場所。雲一つ無いのに空は白い。どこまでもまっすぐ続く、塵一つ落ちてない一本道。まるで美術の石膏教材を巨大化したような、味気ない立方体や球体が幾つか疎らに立っている。どう考えてもここは日本じゃない。ハリウッド映画のセットにも思えない。第一、これが現実なのかどうかも怪しいものだ。
「僕はまだ夢を見ているのか? それとも、教授の言う別の世界に飛ばされてしまった?」
「後者が正解さ」
「うわっ! 誰だ!?」
背後からの声に、僕は思わず振り向いた。
少し痩せた、白みがかった頭の欧米人風の男が立っている。
「鱒井和帆君だね?」
「は、はい、そうですが。あなたは?」
「絶対世界へようこそ。私はゲルテル。ドライシュタインの親友さ」
「ぜ、絶対世界だって!?」僕は思わず立ち上がった。「あの、僕は一体どうなってしまったんですか? 確か......廃墟で真魚と七海が......あっ! ゲルテルさん! 顔がそっくりの二人の女性を見ませんでしたか?」
「落ち着きなさい。彼女らは今、ドライシュタインと共に時空管理局に監禁されている」
ゲルテルは真魚と七海のことをよく知っていた。教授とは時空を越える通信で常に連絡を取り合っていたのだという。だが、今はそれに感心している場合じゃない。
「でも、スペイシオという男が即刻消去すると言っていました」
「ほぅ? あのスペイシオまで送り込むとは、よほど慌てているらしい。だが、即刻消去なんてあり得んことだ。この世界ではシンの意向によって原則的に死刑は禁止されている。たとえ消去処理を決行するにしても、幾つかの手続きをふむ必要がある。時間はそれほど残されてはいないが、今すぐというわけでもないんだよ」
「あっ、向こうに人が!」
僕は遠くの巨大な立方体を指さした。その中から見知らぬ者が何人か出てくる。
「安心しなさい。君が私の半径1メートル以内にいる限り、誰にも見つかりはしない」
「それはゲルテルさんの能力なんですか?」
ゲルテルは笑った。
「生まれつきの能力だったらカッコよかったんだがね。教授の怪しげな実験につき合わされたときに身についてしまった偶然の副産物さ。ともかく、私から離れないことを約束してくれ。たとえ君の目に、誰が映ったとしてもだ」
「わかりました。ここでは味方が少ないということですね?」
「うむ、察しがいい。教授は良い助手を持ったな」
ゲルテルは自分の住居を持っていなかった。その方が都合がいいのだという。詳しい理由は教えてもらえなかったが、彼も時空管理局に追われている身だった。
僕はゲルテルと共にしばらく歩いた。いったい何時間歩いたのかわからない。どこまで行っても似たような景色だった。空はいつまでたっても完璧な真白で、雲や太陽が存在しているようにはとても思えない。
足がだるくなってきた頃、ゲルテルが立ち止まり前方を指さした。
「時空管理局だ」
「ピラミッド、じゃないんですか?」
ゲルテルは首を横に振った。
確かによく見ると形は違う。正四面体、つまり底辺も三角形だ。
「まずは教授の救出からだな」
「え? 真魚と七海じゃないんですか?」
「気持ちは解るが、彼がいなければ誰も君の世界には帰れないぞ?」
「すみません。私情が入りました」
僕は自分で頭を小突いた。こんなときに優先順位をつけるなんてどうかしてる。
「大事な人を奪われたら誰だってそうなる。気にするな」
時空管理局には難なく入ることができた。ゲルテルと会話をしていても誰も気づかない。僕らは単なる透明人間というわけではなさそうだ。
「教授は999階、つまりこの建物の頂点に監禁されている」
「きゅ、999階?」
そんなに高かったのか? 外からでは全く距離や高低感がつかめなかった。どこからが光でどこからが影なのかも区別できないのだから当然かもしれない。
「局内設備の監視体制が厳しいから作戦は限定される。看守がエレベーターに乗るときを狙って紛れ込むしかない」
僕とゲルテルはエレベーター付近でその時を待った。
ふと、扉の真上の壁に埋め込まれた時計を見た。1時間経っている。この世界では100進法を使っているらしく、つまり100分過ぎた。太陽も昼夜もないのだからその方が都合がいいのかもしれない。
そんなことを考えていると、揃いの白シャツを着た、ゲルテルが最上層専任の看守団と呼ぶ者たちが現れた。三人だ。
「ゲルテル半径、最大の問題を回避しなければならないな」
ゲルテルはそう言って小さなカプセルを僕に手渡した。
「ゲルテル半径?......あうっ!」
「ああ、今君がいる不可視領域のことだよ」
ゲルテルは、そこからはみ出す寸前の僕の背中をつかんで再び中に引き寄せた。
「私たちは五感はもとより赤外線やエックス線ですら見つかることはない。だが、どんなに優れたものでも欠点はある。重さだけはどうにもならん」
僕とゲルテルは看守団に続いてエレベーターに潜り込んだ。
ゲルテルの言うとおりエレベーター内には高性能の重量センサーが付いていた。入退時の発汗などの誤差を考えると、100グラム以上の増減はおそらく感知されるだろう。
ゲルテルにもらったカプセルは重力緩和装置というものだった。最高出力にすれば所持者にかかる重力を1万分の1にできるという。二人合わせても150kgはないだろうから、重くても15グラム、何とかなりそうだ。
『ビーッビーッビーッ!』
ドアは閉まらず、重量オーバーの警告表示が点滅した。
「そんなバカな......」
常に冷静だったゲルテルの顔に初めて動揺の色が見えた。音だけでも心臓が止まりそうだったのに、頼みの綱にそんな表情を見せられては生きた心地がしない。
「あっ、しまった!」
看守団の一人が何かに気づいたらしく懐をまさぐっている。どうやら予備の弾薬カートリッジを一つ余分に持ってきてしまったようだ。
「貴様、たるんどるぞ!」
リーダーらしき男に怒鳴られ、部下は急いで内壁のモニター越しに監視センターを呼び出す。数分後、センターの者が現れ、部下は余分なカートリッジを預けた。センサーの再チェック後、ようやくドアが閉まりエレベーターが動き出した。
「いきなりどうなることかと思いましたよ」
僕はへたり込みたいところを我慢した。半径半径っと。
「危なかった。もし奴が銃の方を忘れていたら、誤差レベルの規定で厳密な調査が入ってしまうところだ」
999階、そこでエレベーターは止まった。僕らは慎重に看守団の後をつけた。さすがに正四面体の頂点部分だけあってフロアは狭い。どんな材質なのかは解らないが、銀行の大金庫を思わせる分厚い鉄扉がゆっくりと開いていく。その中に教授の独房があるらしい。中身まではよく見えない。
「鱒井君、あの独房は君じゃないと破るのは不可能なんだ」
ゲルテルは言った。
「僕にそんな力なんて......」
ゲルテルは僕の話を片手で制すると、銃口のない、おもちゃのような銃を看守団に向けた。
三人の男は気を失い、その場に倒れた。
「私は君が来るのをずっと待っていた」
* * *
某所の密室。
「どうした、トキ。おまえらしくもない」
「......ふぅ。何か得体の知れない、後味の悪い感じが抜けません」
「フン、所詮は下っ端ということだ。情にでも絆されたか?」
「そんなことは......ありえません」
「あの程度のことで能力値が不安定になるようでは、そのうちクビだな」
「私は!......し、失礼します!」
「おい、待て」
「まだ何か?」
「また恥ずかしいものが湧いている。目の洗浄くらいしっかりやっておけ!」
「クッ!......失礼します」
-2-
大きな鉄扉を抜けると、黒い壁があるだけだった。ドアはついていないようだが、そこが教授の独房らしい。
「看守団からセンターへの定時連絡があると見るべきだろう。時間に余裕があるとは思えない。5分以内にロックを破るぞ」
ゲルテルは何もない壁を見つめた。
「ここの特殊なロックは、看守それぞれのDNAを検知するようにできている。クローンでも作らない限り部外者には絶対に破ることはできない。ただ一つの方法を除いては」
「ただ一つの方法?」
「そう、君の義手にはこういう仕掛けもある」
「あっ!」
ゲルテルは僕の背後に回り、僕の掌が壁へ向くように左手首をつかむと、親指で僕の親指と人差し指の間を強く押した。
「壁を消すことだけ考えるんだ! 雑念は入れるな!」
僕はゲルテルの言うとおりにした。
壁の向こうに誰かが見える。いや、そう感じる。
そう思った次の瞬間、黒い壁は跡形もなく消え去っていた。
「うむ、上出来だ」
鏡像のように僕と向き合い、同じ体勢を取っていた老人が言った。
「教授!」
僕は教授をハグした。そのとき背中に強い熱感がして、思わず体を離した。
教授の右手から湯気のようなゆらめきが立っている。
「あれ? 教授の右手って......」
「君と同じだよ。片方だけだがね」
教授は右手の、肌そっくりに模したカバーを外して中身を見せてくれた。
僕と同じ処置をしているのに、今までなぜ気づかなかったんだろう。そういえば、教授は右利きなのに左手でしか握手してくれなかった気がする。
「君がここに来たということは、真魚君と七海君は......」
教授は顔をしかめた。
「はい、時空管理局の二人に」
「そうか。二人も出してきたか......」
「時間がない。話は後にして脱出するぞ」
ゲルテルは言った。
僕らは隔離設備を出ると、さっき乗ってきたエレベーター前に駆け寄った。教授がドア脇のパネルを押そうとしたとき、勝手に扉が開いた。
「そこまでだ!」
中から6人の武装した男たちが飛び出し、あっという間に僕らを包囲した。
「ドライシュタインめ、やはり侮れんな、むっ?」ヘルメットのバイザーを下ろしたままの、正面にいた男が僕を指さした。「もう一人いたか。共謀者だな?」
もう一人だって? ゲルテルには気づいていない?
「あ、しまっ......」
「ハッハ、脳筋と遊んでいる暇はないんだ。またな」
教授はそう言うと、僕の左腕を強く引っ張った。
僕は真後ろに腰砕けになった。
「やぁ、遅かったじゃないか」
ゲルテルは僕を受け止め、微笑んだ。
そこはゲルテル半径内だった。教授も続いてその範囲に入ってきた。
兵士たちは虚空をキョロキョロと探している。
僕らは男たちの間をぬってエレベーターに駆け込み、教授が端末を操作した。
「フフン、私が作った頃からずいぶん経つが、ちっともバージョンアップしてないではないか」
教授は義手をパネルに当て、かすれた口笛を吹いた。あっというまにプロテクトが解除されていく。エレベーターの作動プログラムは中枢制御から切り離された独立モードとなった。
ドアが閉じると、僕らは微笑を向けあった。
1階ホールは騒然としていた。
『ドライシュタイン脱獄!』
局内のモニターのほとんどがその内容で埋め尽くされていた。すべての作業を中断してでも捜索しようとしているのがわかる。
敵の目には見えない僕らは、混乱している局員を避けながら、急いで外に出た。
屋外に出てしまえば、だだっ広いのっぺらぼうな土地と、疎らに立っている建物があるだけだ。ゲルテル半径内にいれば見つかることはまずないだろう。僕は肩越しに時空管理局に向けていた視線を前に戻した。
そのときだった。
「!」
僕はハッと息をついた。あいつだ! 数メートル手前にぼうっと突っ立っているのは、まぎれもなくあいつだ。僕は思わず駆けだした。
「こっちへ来い! 時枝!」
「えっ?」
僕は時枝の腕をつかんで、ゲルテル半径に引きずり込んだ。
「ゲ、ゲルテル......」
時枝は目を見開いた。教授の存在にも気づいて驚いている。
「あっ!」
僕はしでかしたことの重大さに気づいた。時枝に対する怒りのあまり混乱してしまった。今までずっと身を潜めていたゲルテルを、時空管理局の有力者に見られてしまった。
ゲルテルが謎の小型銃を構えようとしたとき、時枝は意外な言葉を口にした。
「また、お会いできるとは思っていませんでした。和帆さん」
「......」
「和帆さん?」
「......」
「あの......」
「おまえ......僕を騙して......何の罪もない真魚と七海を!」
「でも、あの二人はまだ......。ごめん......なさい」
時枝はそう言うと、僕の手を振りほどいて走り去っていった。
僕は絞め殺してやりたい衝動に駆られたが、寸前のところで自制した。あの様子では真魚と七海はまだ生きている。それにしても『ごめんなさい』とはどういう意味だ。
時枝にゲルテルを見られてしまったが、たとえ管理局に報告されても、三人固まって行動すれば発見される可能性は極めて低いはず。問題はこの騒動のせいで、真魚と七海の処分が早まってしまうかもしれないということだった。
-3-
「教授は、絶対世界の人だったんですね」
「すまないね......どうしても言えなかった」
「いえ、それはいいんです。でも、どうしてこんなことになってしまったのか、話してくれませんか?」
「無論だ」
絶対世界......神に最も近いと言われる全知コンピューター『シン』が統治する、無数の世界の中心に位置する世界。シンの決定は全て正しく、常に人々はそれに従ってきた。シンをいつ誰が作ったのか、知ろうとする者はいない。そこで満足している人々にとってはどうでもいいことなのだ。
時空管理局の前身となる小さなラボに勤めていた若き日のドライシュタインは、新進気鋭の研究者だった。彼は革命的な理論や装置を次々と生み出していった。そんなある日、シンからのメッセージがラボに入った。
『下等世界で不完全な人間どもが跋扈している。対処せよ』
シンの指示により、ラボは拡張され時空管理局と名を変えた。
ドライシュタインはそのときまだ四十手前だったが、ベテラン研究者たちを押しのけて、研究部の長に抜擢された。彼は有頂天になり盲目的に研究を続けた。
数年後、彼はついに時空転移装置を完成させた。彼は当時、この装置がこれから様々な世界にどのような影響を及ぼすのかわかっていなかった。籠もりきりだった彼は、視野が狭くなり未来が読めなくなっていた。
その後のある日、一人の若い男がドライシュタインの下に現れた。その男の名はゲルテルといった。ゲルテルはシンの不完全さを説き、時空転移装置による別世界への干渉を危惧した。彼はこうも言った。
「シンや管理局は、あたかも周りの世界を支配しているように振る舞っているが、それは許されることではない。たとえ絶対世界が全ての世界の中心に位置していたとしてもだ」
別世界への干渉が始まって以来、時空管理局では、人の潜在能力を極限にまで発揮できる技術を急速に発達させていった。それは管理局の傲慢を生み出し、シンの完全性を誇張し、時空事故で生み出されたイレギュラーの消去、元凶となった科学者らへの制裁という行為に発展していった。
ゲルテルは何度もドライシュタインを説得した。
「イレギュラーたちに罪はない。彼らは一体何をしたというのか? 彼らを裁く権利など誰にもないのだ」
ドライシュタインは、最初は若造の話など相手にしていなかった。ところが、暴走し始めた時空管理局を通じ、不完全な世界を丸ごと消去する装置の開発を、シンが要求してきた。稀代の研究者に良心がなかったわけではない。心の底を痛めつつも未知への好奇心に打ち負かされてきたのだった。
たまりかねた彼は局長に開発中止を申し出たが即却下され、おまけに反逆分子として局を追放されてしまった。ドライシュタインは意を決し、ゲルテルと手を組むことにした。
ドライシュタインとゲルテルはあらゆる手段を使ってシンの外部端末とコンタクトを取り、開発中止を直訴した。だがシンは、テキストのみで機械的な回答をするだけだった。
『絶対世界が完全に近づくならば、周囲の世界もそれに倣うべきである。不完全分子を生み出す愚か者がいる世界は、世界そのものを消去すべきである』
シンの横暴に辟易したゲルテルは、シンの破壊を画策することにした。
ゲルテルはドライシュタインに言った。
「開発の妨害は私が引き受けよう。あなたは別の世界へ逃れ、シンを破壊する方法を考えて欲しい」
ドライシュタインは管理局の隙を突き、自ら作った時空転移装置で別世界へ渡った。その後、彼はその世界の住人になりすまし、客員教授としてある大学に研究室を構えることになった。
シンを物理的に破壊することは不可能だと悟った彼は、自己破壊プログラムを考案することにした。その研究には20年以上を要した。
プログラムが完成し、次は時空転移装置にとりかかった。この装置はXAMと呼ばれる管理局の特殊能力メンバー以外は、管理局側からでないと動かせない仕様であり、絶対世界に再び戻るためには大規模な改造が必要だった。設計に関しては元々自分で作ったものなので問題はなかったが、装置の完成にはある素材がどうしても必要だった。その物質は絶対世界には大量に存在するが、こちらの世界では超がつくほどの希少物質に分類される。教授は希少物質の収集に頭を悩ませていた。そんなとき教授は僕と出会った。
僕という助手を得た教授は、急ピッチで装置の組み上げを進めていった。希少物質の収集は僕が担当した。僕はなぜか教授よりその方面の鼻がきくようで(両手の義手に組み込まれた怪しい仕掛けのせいかもしれないが真相は謎だ)わずか3年で世界に散らばる希少物質をかき集めることに成功した。といっても、幸運なことにその98%は国内のある無人島に集中していたおかげだが。
装置は『アブソリュート号』と名付けられた。あと少しで最初の試験起動が行えるというときに、麻波が誤って本番用の起動ボタンを押してしまい、あの事故が起こった。
事故を知った教授はひどく動揺したが表面上は平静を装い、あえて捕まるためにゲルテルに居所の情報を流させた。絶対世界に再び渡るためにはその方法しかなかった。埋蔵量がこの地上に1グラムしかないという希少物質をアブソリュート号の事故で使い切り、二度とこの世界では装置を作ることができなかったのだ。
心配なのは時空事故で別世界から飛ばされてきたイレギュラー、つまり真魚と七海のことだった。教授は以前からシンや時空管理局との決戦用に取っておいた、絶対世界に反発する2種類の物質『リラティヴ・マテリアル』の赤と青の結晶を二人に授けることにした。その矢先、タイミング悪く管理局に捕まってしまった教授は、隠しておいた二つの石を僕に託した。
「そう......だったんですか......」
「すまないね、巻き込んでしまって」
「仕方ないですよ。ところで、自己破壊プログラムはどうなったんですか?」
「データを作りどこかに記録しても、捕まってしまっては意味がない。頭に全て叩き込んでいる」
「えーっ! 忘れちゃったらどうするんですか?」
「ハッハ、実は恐ろしいほど簡単なんだよ」
「だって、相手はどんなコンピューターよりも複雑なんでしょ?」
「君の世界の何世紀か前に、ある偉い学者が考えた定理があってな。それをヒントにすればほんの数キロバイトで......ウォッホン、それ以上は後のお楽しみだ」
話はこれですべて終わったかに思えた。だが、1つだけ大きな疑問が残っていた。真魚と七海がエグザムに連れ去られらとき、僕も絶対世界に飛ばされたことだ。
「愛という力は偉大なものだな」
何度訊いても、教授はそれと似たようなことしか言わなかった。
「ちゃんと教えてくださいよ」
「とにかく、今は真魚君と七海君の救出が第一だ」
-4-
僕と教授とゲルテルは、情報収集のため再び時空管理局に潜入していた。もちろんゲルテル半径の中にいる限り見つかることはない。ゲルテル発見の報に局内は騒然としていた。やはり時枝が報告したのだ。許せない、絶対に。
そして、悪い予想は的中した。一連の騒動のせいで、真魚と七海の消去処理執行日が早まっていたのだ。真魚と七海の居場所はトップシークレットになっており、さすがの天才博士二人もお手上げだった。
「このままでは間に合わない」
僕は言った。
「せっかく、局内の時空転移装置へのルートを見つけ出したというのに」
教授は言った。
僕の世界へ帰る方法はどうにか確保できそうだったが、肝心のお姫様たちがいないのでは虚しいばかりだ。
「でも、やるしかないです」
「だが......」
「執行日は明日なんですよ?」
「仮に強奪できたとしても、先に装置を押さえられてはどうにもならん」
「そんなことは助けてから考えればいいでしょ! 二人とも行かないなら僕一人でやる!」
「私はやらないとは言ってないぞ」
ゲルテルは言った。
「腹を据えるしかないか」教授はため息をついた。「この白髪首はシンとの決戦に取っておこうと思ったんだがな。ま、女神たちに捧げるとしよう」
「ただ、一つだけ問題がある」
ゲルテルが眉間にしわを寄せた。
あらゆるものから存在を隠すことのできる彼の特異能力、ゲルテル半径にも欠点はあった。カバーできる質量に限度があり、この中で身を消すことができるのは彼を含めてせいぜい四人までだという。つまり、真魚と七海を保護するためには僕か教授、どちらかが露わにならざるをえない。全員での生還は叶わぬ夢なのか......。
消去処理執行日。
チャンスは僅かだ。真魚と七海が消去装置へ連行されるまでの間を狙うしかない。作戦ははっきりしていたが、予想通りの厳重な警戒で、二人に近づくことすらままならなかった。
真魚と七海はひとまず元気そうだ。これから何が起きるのか知らされていないのだろう。
僕らは装置のある部屋へ向かう一団をしばらく尾行していたが、狭い通路ではどうにも手を出せなかった。警備兵は10人いる。やがて、前方に小さなホールが見えてきた。広場に出て兵士が少しばらけた。今だ!
「あっ! 和帆だっ!」「えっ? えっ?」
僕はゲルテル半径から飛び出すと、彼に借りた奇妙な銃で、真魚と七海の周りにいた3人を気絶させた。そして真魚と七海の手を引き、ゲルテル半径内に押し込む。残りの7人がそれに気づき、反射的に僕を撃とうとした。
反撃しないと......だめだ、多すぎて狙いが定まらない。ごめん、真魚、七海っ!!
「撃つな!」
別の通路からやってきた一人の男が警備兵たちを制した。
「ナ、ナンバー6、グラヴィッツ!」
教授は後ずさりした。そのせいで声も姿も露わになった。
「久しぶりだなぁ、爺さん」
長髪の若い男は目を細めた。エグザムメンバーに共通するひとつなぎのバトルスーツを着ている。
「ばかな! 情報では第四次大戦後世界のモスクワで手こずっていたはず」
「追っていたイレギュラーが現地で自害してしまったんでね。女共はどうした」
「知らんな」
「フッ、ゲルテルはそこにいるんだろう? こいつらを人質にしろ」
グラヴィッツは兵士たちに向かって言った。
「我々を人質にしたところで、どうにもできまい。この世界で無闇に殺人を犯せばどういうことになるか、君も知っているはずだ」
「残念だったな。ついさっき、シンが特例としておまえらの死刑を認めてくれたよ」
「そんなハッタリは通用せんぞ!」
「著しく罪を重ねた者、例外には例外というわけさ」
「例外だと? 本当にシンがそう言ったのか?」
「シンは神に近いが神ではない。長い時を経て神格化されてきただけだ。そのうち俺が破壊してやろう。シンなど所詮は人間が作った機械ではないか」
「もう少し早く君と出会っていれば、シン打倒は現実味を帯びていたかもしれんな。実に惜しい」
「フッ、ほざくな。今はまだその時機じゃあない。任務を遂行させてもらうぞ」グラヴィッツは視線を左右にやった。「ゲルテルよ! 女二人を出さねば、爺さんと若造がぶっ潰れてスプラッターになるぜ? 10秒待つ」
苦渋の選択を迫られているゲルテルの姿が想像できる。この作戦において、何らかの犠牲は避けられないものだと僕は予感していた。圧倒的に不利な立場で僕らはここまでよくやった。ゲルテルが動かなければ二人は助かる。悔いはない。
僕はゆっくりと瞳を閉じた。
「和帆!」「和帆さん!」
突然、真魚と七海が何もない空間から飛び出してきた。
なんてことだ! これじゃ四人とも殺られる!
「バカっ! 引っ込んでろ!」
「丁度いい、まとめて処分してやろう」
グラヴィッツは片手を挙げた。
「うああああ!」
体中に激痛が走る。上の方からとてつもない重力がかけられている気がした。このままでは押し潰されてしまう。僕は真魚と七海が飛び出してきた方向に二人を押し返そうとしたが、二人は必死に抵抗した。
「いやだよ! 和帆とはもう離れたくない!」「死ぬときは一緒です!」
「真魚......七海......」
僕は二人を抱き寄せた。
「フッ、他に言い残すことはないのか? では、ごきげんよう」
グラヴィッツは手をスッと下ろした。
「あああああ!!」
-5-
何も音がしない......何も見えない......僕らはどうなった?......死んでしまったのか?......真魚と七海は?......ほ......ずほ......和帆。
「和帆っ! しっかりして!」
気がつくと僕は真魚に揺さぶられていた。七海もいる。
どうやら、四人のうちで最も体重がある僕が大きなダメージを受けていたようだ。気絶していたのはほんの十数秒だと言われた。
七海が不思議そうに辺りを見回している。僕も視線を追ってみた。残っていた7人の警備兵が微動だにせず固まっている。まるで時間が止まったかのように。時間が止まる?
「フン、落ちこぼれが何の用だ」
グラヴィッツはこちらを透かして見るような目でいった。
振り向くと、通路の出口から時枝が現れた。
「くそっ! 挟み撃ちか!......え?」
彼女の意外な行動に僕は驚いた。
時枝は僕らの脇を素通りし、両手をグラヴィッツに向けた。
「何の真似だ」
グラヴィッツは時枝を見下ろした。
時枝は男を無視し、僕に向かって叫んだ。
「逃げて!」
「時枝? なんで......」
「さぁ、早く! 彼は私より能力が上です。いつまで持ちこたえられるか判りません!」時枝の片膝が微かに折れた。「クウッ!......は、早く!」
「トキ! 落第の次は反逆か! 原子レベルにまで圧縮してやる!」
グラヴィッツは時枝の能力のせいで前には進めなかったが、代わりに時枝の時停結界が少しずつ歪んでいった。
僕は時枝を一瞥したが、教授たちに促され、時空転移装置を目指して逃走した。
僕らはあらかじめ決めておいたルートで時空転移装置に向かった。複雑に絡みあう通路をあちこち行ったり戻ったり、遠回りの道のりだったが、袋小路を回避するにはそうするしかなかった。
それでも途中、何度も警備兵に囲まれた。誰かが一人、姿を見せなくてはならないのだ。僕がゲルテルの謎の銃を乱射し、ゲルテル半径内の教授らが見えない打撃で牽制して、なんとか突破した。
壁際にずらりと並ぶ操作パネル。その部屋の中心にある時空転移装置はアブソリュート号——教授が作っていた機体——と瓜二つだった。形は一般的な深海艇に似ている。この部屋の防衛までは想定していなかったのか、辺りに人の気配はない。
まず真魚と七海を乗せ、僕が続いた。
「教授たちは、乗らないんですか?」
二人の博士はハッチの外に突っ立ったままだ。
「まだやり残したことがあるからね」
教授が言うと、ゲルテルは黙ってうなずいた。今は能力を使っておらず、姿が見えている。
「そ、そんな......」
「なぁに、ゲルテル半径内にいるうちは捕まらんよ。あとは我々、絶対世界人の問題だ」
教授は微笑むと、ハッチから出ようとする僕を制した。
僕らは泣きながら博士たちとの再会を誓いあった。
装置が臨界状態に達し、あと5分で出発という時だった。
「ゲー、ルーテールゥー! 見ぃ、つけた......ぞ!」
壁を伝いよろけながらグラヴィッツが近づいてきた。整っていた長髪がひどく乱れている。時枝はどうなった?......まさか......やはり......。
「まずい。かなり消耗はしているが、それでも、こちらがまとめてかかっても勝ち目はない。ここまできたというのに......クソッ!」
ゲルテルはコンソールに両手を叩きつけた。
一方、教授は脇目もふらず装置の制御を続けていた。だが、グラヴィッツの重力攻撃を受けると、ずるずると床に崩れていった。
「や、やめるん......だ。彼らだけは、元の世界に返してやってくれ!」
「まずはおまえから処刑してやろう」
「ゲホッ......は、肺が潰れ......」
「待......ちなさい......グラ......ヴィッ......ツ」
女の声に、グラヴィッツはハッとした顔で振り向いた。
血だらけになった時枝が息を切らし、両腕で這いながら通路から部屋に入ってきた。脚の様子がおかしい。骨が......潰れている!?
「しぶとい女だ。任務さえなければ平面人間にしてやったものを」
「ううっ、あああっっ!!」
時枝は悶えながらも無残に歪曲した脚で立ち上がり、歯を食いしばって両手の平を天に向けた。能力を出すときのポーズがいつもと違う!?
「内側から完全に時空間を閉じます! これで絶対世界からは誰も出られません!」
「ばっ、ばかな!!......能力はとうに使いきったはず......」
グラヴィッツは消耗と動揺のせいか、顔がひどく憔悴している。
「まさかあれは......最後の力か? シンがその隠された存在を恐れ、空位にしたというエグザムナンバー1の力......時空封鎖」
ゲルテルが言った。
「やめるんだ、トキ! そんなことをしたら君の命が保たんぞ!」
教授は叫んだ。
「そんな......バカな真似はよせ! 時枝!」
僕は転移装置のハッチから身を乗り出した。
「和帆さん......いっぱい迷惑かけて、ごめんなさい。でも......あなたのことが本当に好きだとわかったとき、私はこの力に、世界を護る力に目覚めました......」
「だからって、僕らだけのために君が命を賭けることはないだろう!?」
「好きな人には......幸せになって欲しいと願うものでしょう?」
「時枝......」
自動発進システムがカウントゼロを告げた。辺りの景色が霞んでいく。
「和帆さん......私のこと、忘れないで......」
「時枝ぇぇぇ!!!」




