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リラティヴ・アブソリュート  作者: ヒノミサキ
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第三章 クワルテット

第三章 クワルテット



-1-



 9月。

「あの......好きです。私とつき合ってくれませんか?」

 キャンパスを歩いていると、後ろから近づいてきた見知らぬ女の子——たぶんここの学生だろう——にいきなり手を引かれ、木陰に連れて行かれた。

 僕は特別顔が良いというわけでもないし、講義などで学生と接する機会もほとんどない。悪いとは思ったが理由を聞いてみた。

「一目惚れ......じゃ、いけないですか?」

 彼女は目を潤ませながら震える声で訴えかける。

 そんな恋愛シミュレーションゲームのような展開、にわかには信じられなかった。

 その子は凪原時枝(なぎはらときえ)といった。この大学の1年生だという。微妙な年頃のせいもあってか美人とも可愛いとも取れるのだが、哀しげな表情と人間離れした透明感を漂わせるほっそりとした四肢が印象に残った。

「いきなりそんなこと言われても、すぐには答えられないよ」

 僕は曖昧な言葉を重ねていき、その日は何とかはぐらかした。

 交際なんかできるわけない。僕には麻波が......たとえもう帰ってこないのだとしても......いや、そんな後ろ向きな考えはもうやめよう。それに真魚と七海だって麻波の分身のようなものだ。二人の幸せを見届けるまでは浮ついた気分にはなれない。だとすれば、何故すぐに断らなかったんだろう?

 その日はなかなか寝付けなかった。寝ても起きても、今にも消えてしまいそうなあの子の白い肌を、心の淵から取り除くことはできなかった。



 結局、僕は交際を断った。凪原時枝にどんな思いや背景があろうとも、三人の麻波を見つめる僕に選択の余地はない。時枝は落ち込んだ素振りを見せず、あっさりと引き下がってしまった。

 ところが、次の日から時枝は毎日、大学の駐車場で待ち伏せていた。僕はわざと帰る時間を変えたり、棟と棟の間の狭い隙間を通ってこっそり車に乗ろうとしたが無駄だった。駐車場はサークル棟から丸見えだ。上からの視線が痛い。無視して帰るわけにもいかず、3回ほど駅まで送った。


「優しいんですね」

 助手席に座る時枝は言った。

「そんなことないさ」

 交差点で信号待ちをしているとき、僕はどうしても左に視線がいってしまう。一体どうしたというのか。

「でも、それが命取りになることってあるんですよ」

「何だって?」

 突然、周りの景色が凍りついたように静止した。

「な、なんだ!? どうなってるんだ?」

 横断歩道で人とぶつかり携帯端末を落としそうになっているOL。デートの待ち合わせに遅刻したのだろうか、制服を着た女の子に平手打ちを食らう寸前の少年。翼を広げ首を下に振ったまま空中で止まっている鳩......。

 車内の空間だけが、時の水源とのつながりを許された世界のように思えた。

「どうかしましたか?」

 こんな状況で時枝は微笑みを浮かべている。何もかも溶かす純水のような微笑み。

 だが、僕はその中に一点の濁りを見つけた。

「君の仕業、なんだろ?」

「さすがにドライシュタインのお弟子さんですね。科学者らしい勘の良さです」

「時空管理局かっ!!」

「まぁまぁ、慌てないでください。すべてはあなたの返答次第なんですよ」

「教授は無事なんだな?」

「ええ。ゲルテルを探し当てるまでは重要な鍵ですから」

「ゲルテル?」

「いえ、あなたには関係ないことです。さて、取り引きしましょうか」

「僕は何にも応じないよ。こういうのは取り引きじゃなくて、脅迫って言うんだ」

「人聞きの悪いことを言わないでください。磯崎麻波さんを助けたくはないのですか?」

「何!? 麻波は生きてるのか! 今どこにいる!」

「落ち着いてください。すべてはあなたの返答次第と言ったでしょう? 話の続き、聞きたいですか?」

「当然だ」

「簡単なことです。真魚さんと七海さん、二人のペンダントを外しそれを捨てる。それだけです」

 僕はしばらくの間、黙って考えた。

「なるほど、少しずつわかってきたよ。君たち絶対世界の人間は、二つの石の力と反発し合い近づくことすらできない、ってところだろう」

「そこまで理解して頂けるとは話が早いです。時空バランスの関係で、彼女たちは二人同時でないと回収できません。ですから......」

「つまりは麻波と交換で二人を引き渡せ、ということか?」

「そうです」

「ふざけるな!」

「なぜ? あなたの恋人なんでしょう? 取り戻したくはないのですか?」

「ああ、僕は麻波を取り戻したい。だが、真魚と七海を犠牲にしてまで幸せになりたいとは思わない! だからこのままでいい。きっと麻波なら......解ってくれるさ」

「本当に、いいんですか?」

「たとえ違う世界で生きてきた二人でも、麻波には違いない」

「魂の器が同じでも、二人はあなたが愛してきた麻波さんとは違うんですよ?」

「君は何も解っていない。大事なのはそういうことじゃないんだ」

「理解......できません」

 時枝は小さくかぶりをふった。

「ところで、君は人を好きになったことはないのか?」

「我々の世界では恋愛という曖昧なものは存在しません」

「じゃあ、どうやって結婚したり子供を増やしたりするんだ?」

「シンが決めた日に、シンが決めた男女たちで行われます。人口が増えすぎないように常にコントロールされています」

「そんな事務的な......それにシンって一体何なんだ? 絶対世界の主って......」

「シンは神に限りなく近い全知のコンピューターです。シンは全ての世界を統治する絶対世界の頂点。全ての重要な決定はシンに委ねられています」

「コンピューターだって?」

 人工知能が人間を超えたと言われてから百年以上経つが、それはあくまで論理的なデータ処理能力の話。想像力という点ではまだまだ子供以下という見方が有力だ。

「まあいい。ところで僕の処遇はどうなるんだ? 人質に取って二人を脅迫するような真似だけは許さないからな」

「管理局に授けられた私の作戦は失敗しました。自分の生まれた世界で普通に生きている人、つまり『レギュラー』であるあなたを拘束する権限は我々にはありません。また会うこともあるでしょう。では、また」

「あっ! 待て! それなら教授はなぜ拘束されなければならないんだ!」

 時枝は車を降りると、時が止まったままの街の中へ消えていった。

 僕は追いかけようとしたが、どんなにがんばっても車の周りから先に進めなかった。疲れ果ててシートに身を沈めたとき、街の喧騒が再び動き始めた。



 僕のマンションのエントランスで偶然、七海と会った。図書館バイトの帰りにスーパーにでも寄ったのだろう、両手に大きな袋をさげている。疲れ切っていた僕は持つのを手伝う気にもなれず、早足にエレベーターに乗った。

「何かあったんですか?」

 扉が閉まると、七海が僕の顔を覗き込んだ。

「何でもない......何でもないんだ」



-2-



 10月。単位の半分近くが、ネットのVR空間で自宅で履修できるという時代になっても、学園祭というものは根強く生き残っている。

「センパーイ。ダメじゃないですかぁ。そこの色違ってます」

「やばっ!......しゃーない、適当にごまかしといて。じゃっ!」

「あっ、逃げたー」

 キャンパスでは、学生たちが古風な屋台や看板造りなどに精を出している。学生の頃、僕はサークルに入っていなかったからこういう共同作業に憧れていた。教授がいないとき、実験の合間に窓からときどき下の方を眺めながら、あり得ないようなシチュエーションを夢想したりしていた。

(そうさ、今の僕じゃ誰も誘えないし誘われることもないんだ)

 わかっていたことだけど、二十歳を過ぎたばかりのあの頃は自分を慰めるための言い訳を探すのに精一杯だった。


 学園祭最終日、白衣を着た僕は実験装置を運んでいた。自分の専門分野にはない特殊な装置なので、別棟の研究室から許可をもらって持ち出し、屋外を通って戻らなければならなかった。腕がだるかったし、何よりもはしゃいでいる同級生の間を通り抜けるのは憂鬱だった。

「鱒井君、だっけ? そんなカッコで何してるの?」

 エプロン姿の女の子が、屋台から少し離れたベンチに一人座って休憩していた。講義室で見たことがある同級生。確か......磯崎さん、だったっかな?

「教授の手伝いさ」

 気分が沈んでいた僕はぶっきらぼうに答えた。

「えーっ!? だってまだ2年生でしょ? 研究室の配属にはまだ早すぎるんじゃない?」

「ドライシュタイン教授とちょっと縁があってね。助手をやってるんだ」

「遊ばないの? 学祭だよ?」

「サークルには入ってないし、今日は大事な実験があるしね」

「もぉ、短い青春を無駄にするなよ〜」

「そんなこと言われてもな。あ、ちょっと、それは......」

「実験なんていつでもできるって。だけど、2年生の学祭最終日という日は二度とやってこないんだよ」

 彼女は僕が運んでいた装置を取り上げ、僕の背中を両手で押して、研究室とは逆のイベント会場の方へ連行した。その日のそれからの出来事は一生忘れないと思う。

 学園祭が終わり、次の週あたりから彼女はちょくちょく研究室に顔を出すようになった。研究内容には全く興味を示さなかったが、実験中の僕の姿をいつもじっと見つめていた。

「あのさ......」

「あっ、ごめん。気が散っちゃうよね。また今度ね」

 彼女が部屋から出ていくと、僕は少し寂しい気分になった。気が散るのは僕の集中力が足りないから? それとも......。

 次の日、僕は彼女に言った。

「大丈夫だから。好きなだけここにいていいよ」

 本当は大丈夫じゃないんだけどね。僕は自分の気持ちにようやく気がついた。

「ありがと。あたしね、鱒井君の真剣な感じを見てるのが好きなんだ。下手な講義よりよっぽどおもしろいよ」

「おもしろいって、見せ物じゃないんだからさ」

「アハハハ、ゴメンゴメン。でも、前半部分は本当だよ」

「磯崎さん......」

 磯崎麻波は社交的な人で、友達が多く、僕には縁のない人だと思っていた。僕は口下手だったし、たまに話をしても内容は実験のことばかりだった。なぜ彼女がこんな内向的な人間のところに来たがるのか知りたかった。結局、聞けずじまいだったが。

 麻波は本と実験の虫だった僕をときどき外に連れ出してくれた。半ば拉致される形ではあったけれど。僕といると嫌なことを忘れると彼女は言うのだが、そのときは意味がよくわからなかった。

 その後、僕の方からも時間を作って卒業するまでに幾度もデートを重ねた。大学を卒業し教授の正式な助手になってからもそれは続いた。麻波の方は科学大学出身のくせに普通のOLになってしまったが、進路に関しては人それぞれ思うところがあるのだろう、僕は特に理由を聞くことはしなかった。

 月日は流れ、数年前から秘密裏に進めていた時空転移装置の研究が大詰めを迎えていた。僕は装置が完成してからプロポーズするつもりだったが、どうしても気持ちを抑えることができなかった。完成一ヶ月前、僕はとうとう大学帰りの車の中で告白してしまった。麻波は「はい」と一言だけ口にした。

 幸せな時間を過ごしてきた二人だが、問題が全くないわけではなかった。麻波は時空転移装置の研究についてだけは、どうしても首を縦に振ってはくれなかった。途中から科学者の(さが)ということで半分諦めたようだが、それでも「あの実験は純粋な探求心じゃなくて、何か別のものを感じる」と、何度かうわ言のように漏らしていた。

 そうなんだ、僕が麻波の言うことにもっと真剣に耳を傾けていれば......。そうじゃなくても、僕がもう少し装置や状況に気を配っていれば、あんなことには! 麻波、すまない。僕は取り返しのつかないことをしてしまった。麻波、麻波......。


「麻波、麻波......」

「......さん」

「麻波......」

「......井さん。鱒井さん?」

「えっ?」

「こんにちは。凪原時枝です。覚えてますか?」

 僕はハッとして顔上げた。

 真横に、時間を止めたあの女が座っている。

 背筋が凍りついた。

「なっ!」僕は大声を出しそうになったが、相手が相手だけに周囲のことも気になり自重した。「今度は何をするつもりだ」

「何もしませんよ。私はこの世界では無力に近いですから」

「あのとき、時間を止めたじゃないか」

「あれは、管理局との連携があって初めてできる技なんです。絶対世界を離れれば私はただの出力装置に過ぎません。しかも、時空間に相当な負荷をかけていますから、どんなに無理をしても年に数回が限度ですね」

「そんなことをしてまで真魚と七海を......」

「不完全なるイレギュラーは消去せよ、とシンや管理局の人たちは常に言ってますけど、任務を解かれた今の私には関係ないことです。今はただの凪原時枝、ごく普通の大学1年生ですよ」

「信用できないな」

「それは承知しています。心を開いてもらうには時間が必要ですから」

「それもシンとやらの入れ知恵なんだろう? その手には乗らないよ」

「まさか。シンは個人的な恋愛感情にまでは干渉しませんよ」

「恋愛? 絶対世界には恋愛は存在しないんじゃなかったのか?」

「それが真実なのか確かめるために、私はこの世界に戻ってきました」

「本気で言ってるのか?」

「それは鱒井さんご自身で確かめてください」

 彼女の瞳を見ていると、本当にその中に吸い込まれてしまいそうな感覚に陥る。天使でも悪魔でもない、あえて表現するなら純粋すぎる灰色(グレー)とでも言うのか......。

 

 その後、僕は無意識のうちに何度も時枝に会うようになっていた。

 

 

-3-



 11月。長すぎる残暑が終わったかと思うと、いきなり1メートルの積雪。こんな馬鹿げた気候に僕らはもう慣れてしまったが、時枝は違っていた。彼女は人並みに風邪を引いていた。


「ちょっと出かけてくる」

 僕は自宅の玄関で冬靴を探していた。

「あれ? だって今日は一緒に買い物に行くはずじゃ......」

 真魚が慌ててリビングから出てくる。

「急用なんだ。すまない」

「あの女性......のところですか?」

 遅れて出てきた七海が言った。

「えっ!? なんで知っ......」

「あの女性って誰よ?」

 真魚は、僕と七海を交互に睨みつける。

「私、偶然見てしまったんです。街で二人が仲良さそうに歩いているところ」

 七海は下げた両手に拳を作っている。

「あ、アンタ! 行方不明のカノジョのことは忘れて、他の女に走ろうってワケ? サイテー」

 真魚が足をならして迫ってくる。

「ち、違うって! 彼女は時空......ゴホッ」

「ジクー? なにそれ?」

「とにかく、知り合いが風邪で40度の熱を出してるんだ。一人暮らしだから何とかしてやらないと」

「一人暮らし......ですか」

 七海の眼鏡は光の反射のせいか真っ白で、表情がわからない。マンガじゃあるまいし......でもちょっと怖い。

「ああもう! そんなに気になるなら一緒に来ればいいだろう?」

「当然よ」「当然です」

 僕はそれ以上何も言い返せなかった。

 


 凪原時枝の部屋は、自宅から数キロ離れたマンションの77階にあった。1階エントランスのインターホンを鳴らしたが反応はない。

 三人でひそひそ話し合っていると、強化ガラスの出入口ドアが勝手に開いた。

 エレベーターを降り、僕らは時枝の自宅の前に立った。ほどなく携帯端末に『開いてます』とだけメッセージが入った。

 僕はしばらく真魚と七海の顔色を伺っていたが、真魚にふくらはぎを蹴られ、その勢いでドアノブに手がかってしまった。

 中に入り、キッチンを過ぎ、時枝が寝ていると思われる部屋の扉を開く。室内は小ぎれいに片づいていた。というより、驚くほど物が少ない。

「君らの部屋とは大違いだな」

 僕は前を見つめたままつぶやいた。

「チッ......」「私はちゃんと片づけてますよ」

 誰のせいかは言うまでもないだろう。

「ごめんさい。本当に来てくれるなんて......」

 時枝はベッドから上半身だけ起こした。頬が真っ赤だ。

「熱、まだ下がらないのか?」

 僕は時枝の肩に触れ、枕へ促した。

「ごふっ......は、はい......あれ? そちらの方々は?」

「えっ? ああ、義理のキョーダイさ。どうしても看病を手伝いたいっていうから」

 真魚と七海は僕の言葉に唖然としている。

 僕は咳払いした。

「あははは、兄貴一人じゃ心許なくてさぁ」

 頭を掻く真魚。なかなかいいぞ。

「えっと、その、弟はおかゆ一つ作れないものでして......困ったものです」

 今ひとつ言い方がぎくしゃくしている七海。偽の演技は短くすべきだ。

「はじめからこんな姿ですみません。彼氏だけならともかく、ご妹姉(きょうだい)にまでお手を煩わせてしまうとは......けほっ」

「か、彼氏ぃ?」

 真魚が大声を出す。

「はい。お付き合いさせていただいてます。あれ? 和帆さん、まだ言ってなかったんですか?」

「な! 何をわけのわからないことを!」

 何を考えてるんだ時枝は。僕はまだ、こっちの世界を案内してやっているだけじゃないか。

「こほっ......照れなくてもいいのに......」

 時枝は両手の平を頬に添え、恥じらっている。いい加減にしてくれ。

 すると、真魚はさっさとアイス枕を換え、七海は手際よくレトルトの粥を用意した。

 二人は「これから大事な用があるので、今日はこれで」といって僕を無理矢理外に連れ出し、自宅に着くまで完全監視下に置いた。

 二人による尋問は日付が変わるまで続いた。

 

 

-4-



 12月。

 どうも先日の一件以来、真魚と七海の機嫌が悪い。声をかけても無視されることが多くなった。

 三人分リビングに用意された少し遅めの朝食。一応僕の起床を待っていてはくれたんだろうけど、それにしてもこう重苦しい空気が毎日朝っぱらから続くのは感心できない。このままでは、来たるべき時空管理局の襲撃から二人を守るときに影響してしまう。

「一体僕が何をしたって言うんだ」

「自分の胸に聞いてみたら?」

 真魚はテレビの方を見たまま答えた。

「だから、時枝......ゴホッ、凪原さんは......」

 確かに時枝は妖しくも魅力的な女性であることは認めるが、彼女の気持ちを受け入れるつもりはない。誤解されたまま年を越すわけにもいかないだろう。今が潮時だ。教授に言われたことを気にしてためらっていたが、ようやく決心がついた。

 僕はドライシュタイン教授の消息や絶対世界、そして凪原時枝との出会いから今までのことを二人に話した。


「フィクションとしてはとても良くできていますね」

「おい、七海までそんなこと言うのか?」

 七海は普段、あからさまな皮肉なんて滅多に口にしない。やはり感情的になっている。このままでは話が進めづらい。

「その凪原ってコ、絶対裏がある気がする。アーヤーシーイー」

 真魚はテレビを消した。

 話は聞いていたようだな。ただし、問題の焦点は僕とはだいぶズレている気がする。

「じゃあ仮に、万が一、麻波のことを忘れて凪原さんとつき合ったとして、何で君らがそこまで感情的にならなきゃいけないんだよ」

「......」「......」

 真魚と七海は黙って顔を見合わせた。

 そのとき、インターホンが鳴った。

 こんな時間に誰だ? 午前中の配達を要請した覚えはない。しかもこの音は1階エントランスではなく、廊下にあるボタンの方だ。

「こんにちは、これからデートに行きませんか?」

 突然、玄関のドアが開き、時枝が中に入ってきた。一見するとライダースーツ、あるいは極薄の宇宙服——いわゆるノーマルスーツ——にも見えなくもないが、どうにも形容しがたいデザインの全身服だ。

「どうやってここまで上がってきた!?」

 僕は動揺した。このマンションは標準的なセキュリティとはいえ、エントランス、この階の出入口、自宅玄関と3つのゲートがある。監視カメラやガードロボットも多く、部外者が侵入することなど不可能に近いはずだが。

「玄関の鍵はかかっていませんでしたよ。セキュリティの方は......」

 時枝は続きを言いかけたが、僕の肩越しに真魚と七海をみとめると、口を閉じて微笑んだ。

「アンタ! うちの和帆を骨抜きにしようったって、そうはいかないからね!」

 真魚は右手を脇腹に当て、左手で時枝を指さしていた。そのポーズは深夜アニメで見たことがある。

「では訊きますが、和帆さんはあなたの何ですか?」

「それは、その、あの......」

 真っ赤な顔をして下を向く真魚。何故そこで言葉に詰まるのか。

「凪原さんのことは全て聞かせていただきました。絶対世界のことも」

 七海がすかさずフォローに入った。いつ見ても見事な連携だ。

「そうですか......でも私は任務を解かれていますから、もう関係ありません。個人的に会いに来てるだけですよ」

「そんなこと、にわかには信じられません」

「三人揃っているのでちょうど良かった。みんなで出かけましょう」

「はぁ? アンタ何言ってんの?」

 復活した真魚が噛みつく。

「私は別の世界の人間ですから、最終的には和帆さんと結ばれることはないでしょう。今は(そば)にいられれば、それでいい。それはあなた方二人にも言えることです」

「ど、どういうことですか?」

 七海の顔が青ざめた。

「それを知りたいのなら、一緒に来てください」



 僕らは時枝に促され、ドライブするはめになった。目的地は途中までしか教えてもらっていない。「楽しみが減るから」と時枝は言っていたが、今はそういう雰囲気ではなさそうだ。時枝は助手席に座ろうとしたが、真魚と七海に断固拒否され、結局後部座席に三人並んで座ることになった。時枝は真ん中だ。

 車はハイウェイに準じた広い幹線道路を走っている。小一時間ほど沈黙が続いた。 重苦しかった車内の空気が、時枝の一言で飛び散った。

「お二人は、和帆さんのことが好きなんですね?」

「なっ! ばっ、バカなこと言わないでよ!」「そそそ、そんなことは......」

 思わずアクセルに力が入り、前の車とぶつかりそうになった。

 いきなり核心を突いてくるとは。やはり時枝は侮れない。真魚と七海を全く意識しなかったと言えば嘘になる。麻波と同じDNA......相性とでもいうのか、無意識的なものかよくわからないが、ともかく何らかの縁が僕たちにはある。でも、僕には麻波がいる。理性の方はそう主張しているんだが......。

「好きなら好きとはっきり言えばいいのに。麻波さんの生死がわからない限り結ばれることはないとわかっていても、自分の気持ちを伝えることは大事だと思いますよ」 時枝は言った。

「あ、あたしは別に和帆のことなんか......」「私は、その、えっと......」

 二人は目を泳がせながら下を向いている。

「じゃあ、私が和帆さんを取ってもいいんですね?」

「だっ、だめっ!」「いやです!」

「......だそうです。和帆さん」

 時枝はルームミラーに視線を合わせ、肩をすくめた。

 頭がクラクラしてきた。正直、真魚と七海に対して何も感じてなかったわけではない。何しろ二人とも麻波なのだから。今すぐに結論を出せる問題じゃない。

 それよりも、僕は時枝の言葉に矛盾を感じていた。生死がわからないだって? 麻波の身柄は時空管理局に委ねられているんじゃなかったのか? それとも、事実を隠して僕らを弄んでいるだけなのか。

「別世界の住人の私たちとあなたが、和帆さんと結ばれないという、本当の理由をまだ聞いていません」

 落ち着きを取り戻した七海が鋭い目つきで言った。

「ああ、それですか。皆さんをデートに誘うための、ニセモノの口実です」

「そ、そんな......」

「さぁ、着きましたよ」

 僕は時枝が最後に指定した場所に車を止めた。辺りには建設途中で放置された造りかけの団地が広がっている。老朽化した21世紀型郊外都市、その再開発計画が破綻したという話は大学生の頃に聞いたことがある。

 車を降りると、冷たい風がビルの間を吹き抜ける音がした。むき出しの鉄線や鉄骨、腐食がすすんだコンクリート。工事会社の幕や旗はすでにないが、錆びだらけの鋼壁や資材、小型の重機などは放置されたまま深い雪に埋もれている。

 ふと、風が止んだ。

「デートをするにしちゃ、殺風景な場所だな」

 僕は話を振ったつもりだったが、時枝の耳には入らなかったようだ。

 時枝は8割方完成していたマンションの屋上に目をやっている。

 僕もそっちを見るが、気になるものは何もないし誰もいない。

「こんな薄気味悪いところで何を語ろうってのよ」

 体の震えが止まらない真魚。薄手とはいえ準極地仕様の防寒着を着ているはずなのだが。

「すぐにわかりますよ」

 やがて、全身グレーずくめの大男が廃マンションのエントランスから出てきた。2メートル近い身長、ごつい体に全然似合わない、人民服をツナギにしたような衣装。人工着色料のようなどぎつい紅の髪。

 コスプレ大会のリハーサルでもやろうというのか。

「4ヶ月か......トキにしては意外と早かったな」

 大男が言った。

「意外と、は余計ですね」

 時枝は言った。

「フン、こいつらがあんな狭苦しい街に住んでいなければ、俺が1日で片づけたというのに」

「上の決定は絶対です。スペイシオ、あなたの規格外の能力はこの日本という国には相応しくないですから」

「チッ、下っ端に説教されるとは、俺も焼きが回ったものだ」

「ちょっとちょっと、芝居の練習なら他でやってよね」

 真魚が二人の間に割って入る。

「だめですよ。お二人はちゃんと並んでいてください」

 時枝は真魚を押し戻した。

「お、オーディションでもやるんですか?」

 七海は落ち着かない様子だ。

 時枝は何も言わず微笑むだけだった。

「あれっ?」

 僕は左右に首をふった。大男の姿が見えない。

 気づくと、真魚と七海が訝しげに胸元を押さえていた。がっちり首の下まで締めていたはずのファスナーが少し開いている。

 再び姿を現した大男の足元に、赤と青の貴石があった。

 こいつ......人間業じゃない!

「時空管理局か!」

 僕がそう叫んだときは、もう遅かった。

「真魚っ! 七海っ!」

 いつの間に手をかけたのか、大男は両腕に気絶した真魚と七海を抱えていた。

 僕が男に近づこうとしたとき、辺りからけたたましい轟音が聞こえ、近くにあった作りかけのマンションが崩壊していった。

「リラティヴ・マテリアル......なかなかの曲者でしたね」

「ああ、俺の能力を持ってしても一瞬触れるのがやっとだ」

 二人を抱えた大男の、両手の先が震えている。

「時枝! おまえ......」

 今までのことは全て演技だったのか。多少なりとも心を奪われた自分が許せなかった。僕は両腕が塞がっている大男に一撃を加え、二人を奪い返そうと考えた。

 だが、いくら前に進もうとしても近づくことができない。足は動いているのに、空回りしている?

「無駄ですよ、和帆さん」

「またおまえの力か!」

「普通の人間がこの時停(じてい)結界を越えることはできません。どれほど高速で進んでも私には永久に近づけないでしょう」

「二人をどうする気だ!」

「イレギュラーが存在し続けることは、我々時空管理局の恥、不完全なる者は即刻消去する」

 大男が言った。

「やめてくれ! どんなことでもするから、それだけは!」

 時枝は人差し指を立てた。

「和帆さんがすべきことはたった一つ、忘れることです。本来はあなたもドライシュタインと同罪なのですが......シンはレギュラーへの干渉には非常に消極的ですので、今回はここ1年間の記憶を消すだけにしておきましょう」

「そんな......」

 追い詰められた僕は、話を引き延ばそうと言葉を探した。

「そうだ! 麻波はどうした? 居場所を知ってるんだろう?」

「ごめんなさい。あれは嘘です」

 僕はバカだ。ここまで完璧に騙されるとは。僕は大バカだ。時枝が戻ってきたときに気づくべきだった。いや、そもそも彼女に会っていたこと自体が......。真魚と七海が助かるのなら、僕が代わりに捕まっても構わない。それなのに手も足も出ない。

 僕は頭を抱えた。待てよ? 頭?

(もし管理局の奴らが襲ってきたら、君は体のどこを犠牲にしてでも自分の頭だけは護るんだ。全てを失いたくなければな)

 教授は僕に何を伝えたかったのだろう。でも、こんなときに頭を護って何になる? 二人が連れ去られようとしてるのに!

「さよなら、和帆さん」

 時枝は両手を僕の方につきだした。手の周りの空気が歪み始め、それが時停結界を突き抜け、僕の頭に近づいてきた。もうだめだと思ったそのとき、謎の波動の勢いが急に鈍った気がした。

「え? これはいったい......」

 時枝の頬に一筋の光が走った。

「異物が目に入ったんだろう。不純物の多い世界は俺も好かん。さっさと済ませろ」

「わかっています」

 僕は頭を覆った両手に目一杯力を込めた。何でそうしているのかは自分でも解らない。空気の歪みが僕の頭を取り巻く。これまでか......。

「な!? 時空の力が逆流しているだと!?」大男が叫んだ。「ドライシュタインの仕業か? 姑息な仕掛けを!」

「あぐっ!! 体が......消えかかってる......」

 時枝は両手の平を見て顔をこわばらせた。

「こいつのことはいい! 任務は終わった! 脱出する!」

「りょ、了解」

「......」

 声が出ない。僕は去っていく者たちを見つめることしかできなかった。体の力が抜け、意識が徐々に薄れていく。さっきの攻撃の副作用だろうか。それとも防いだときの? ともかく、頭から手を放さなかったおかげで記憶消去からは逃れられたようだ。

 僕は教授を信じていた。周りの軽蔑を気にしない、常識をアテにしない、そして何よりも障害を持つ僕に優しくしてくれた教授が大好きだった。

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