第一章 ステレオ
2004年に別のペンネームで発表した作品を改稿したものです。
第一章 ステレオ
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2月。窓から外を眺めると、粉雪が音もなく降り続いている。200年くらい前の今頃は、スノーフェスと呼ばれる世界的なイベントがあったそうだが、そんなお祭りがあったという事実を知ることができるのは、今となっては中学や高校の歴史のテキストくらいだ。
僕は、鱒井和帆。大学の研究室で偉大な教授による偉大な実験の助手を務めている。助手と言っても去年大学を卒業したばかりのほんの駆け出しだ。それでも、大学2年の頃からこの研究室に入り浸っていた僕は、そこら辺の大学院生よりかはキャリアがある方だと思っている。
「いつまでこんなこと続けるつもりなの?」
昼食の約束をしていた僕の恋人、磯崎麻波が実験室に入って来るなり厳しい言葉を浴びせてきた。
PCの時計を見ると1時間も過ぎている。約束を破ったのは悪かったと思うが、それにしても『こんなこと』はないだろう。
麻波とは大学在学中に知りあった。麻波は理系大学でやってきたこととは全然関係のない会社で普通のOLをやっている。一応科学の素養がある彼女は、僕と教授の常識はずれな研究にも理解を示してくれていた。だが、今回だけはどうしても納得がいかないという。僕は麻波の小言をいくつか受け流してから言った。
「もうすぐこのアブソリュート号が完成するからね。楽しみにしててくれよ」
時空転移装置『アブソリュート号』......。
(我々が今生きている時空間とは全く別の世界へ渡ることができる)
そう教授が豪語する世紀の発明、その完成と同時に僕は麻波にプロポーズするつもりだった。だったのだが、どうしても我慢できずに先月、告白してしまった。まあ、今週の最終調整が終われば完成したも同然だから問題ないだろう。
麻波は左右に跳ねた髪の片割れをいじりながらいった。
「そんな胡散臭いマシンなんか作るのやめようよ」
「胡散臭いって......ひどいなぁ」
「今まではおもしろい事やってるなと思ってたけど、さすがにこれは我慢できない。別世界なんてあるかどうかもわからない、存在の証明すらできていない場所へ移動する装置なんて作ってどうする気なの?」
「知りたいことが目の前にある。それを調べて知る。それだけだよ」
麻波はうなだれた。
「ハァ......そうね。科学者ってそうなんだよね......」
「ごめん」
「ううん。あたしはそれが解っていてつき合ってるんだから。でも、これが完成したらちゃんとあたし達の将来のこと考えてね」
「もちろんだよ。式は遅くても年内には挙げるつもりさ」
「和帆ぉ」
麻波が甘えた声で僕に抱きついてきた。彼女はその勢いでバランスを崩し、傍にあった操作パネルのあたりに左手を置いて体を支えようとした。
「あーっ!! それ触っちゃだめ!」
「えっ!?......あ」
すでに麻波は保護用プラスチックシールドを突き破り、赤いボタンを目一杯押していた。
アブソリュート号はまだ未完成だ。試験起動にはそれ相当の準備が要る。なのに、なのに、そのボタンは完成時に使う本起動用じゃないか! この先何が起きるかは想像もつかない。
未完成のアブソリュート号は無数のプラズマを発生しながら暴走を始めた。あらゆる計器が振り切れ、聞いたこともないような高周波と低周波の狂奏が耳を貫く。装置の周辺がブラックホールを模したワイヤーフレームのように落ちくぼんでいく。教授のプリント類や僕の小さな外部記憶チップたちが宙に舞い、暗黒の穴は軽い物体から順に吸い込み始めた。
僕は教授の言葉を思い出した。
(次元崩壊現象が起きたら最優先に行うことは、これだ)
このまま放っておけば世界の滅亡にも繋がりかねない。僕はアブソリュート号の自爆スイッチをためらいなく押した。
辺りは白い煙に包まれた。視界は全くない。大きな爆発物や毒性物質は扱っていないはずだから、麻波が命の危険に曝されるようなことはたぶんないだろう。割れた強化プラスチックの破片で顔が傷ついていないことを祈るばかりだ。
僕はむせながらも光の感じる方をめざし、手探りで這って進んだ。やがて指先にコンクリート壁の冷たい感触を覚えた。僕は立ち上がり、近くの窓から順に開けていった。
7つある窓を全て開け終わった頃、目をくらませていた煙霧は素人がこの研究室を探検できるほどには収まってきた。
「ぺっぺっ......ごほっ。大丈夫か? 麻波?」
今まで感じていた悪寒はなくなっていた。どうやら自爆装置に内包しておいた次元パッチが上手く拡散してくれたようだ。とはいえ、しょせんはその場しのぎの緊急措置でしかない。麻波の無事を確認したら真っ先に教授のもとへ急行だ。
「けほけほ」「けほっ、けほっ」
「え?」
僕は耳を疑った。麻波の声がステレオのしかもユニゾンで聞こえてくるのだ。はじめはアブソリュート号が発していた異常周波数音のせいで聴覚がいかれたせいだと思っていた。
視界が回復すると今度は目を疑った。
「これは夢だ......そうに違いない。そうでなければ僕の頭がおかしくなったに決まってる」
世間からは半狂人扱いされている教授のどんな奇怪な理論も僕は受け入れてきたつもりだ。それなのに、今起きている異常事態は学問では決して説明がつけられない、幻想や幻覚としかいいようのないものだった。
僕の目の前に麻波が二人立っている......。
確かに二人とも麻波だ。だが、何かが違う。麻波は僕と同い年だから23歳のはず......なんだけど、向かって左手の麻波は落ち着いていて年上に感じるし、右手の方はどう見ても幼い。格好からみて高校生くらいだろう。
この不条理にしてリアルな夢からどうやって抜け出そうか、と頭をひねっていたところ、年上風の麻波が辺りの風景を不思議そうに見回しながら言った。
「あのぅ......ここはどこなんですか?」
「どこって、頭でも打ったのか? 麻波は毎週この研究室に来てるだろう?」
年上風の麻波は急に顔をこわばらせて一歩前に出た。
「いきなり呼び捨てにするなんて失礼じゃないですか。あなたは私のこと、知ってるんですか?」
「知ってるも何も、今年中に結婚を控えた恋人同士じゃないか。まさか......」
「私、あなたのこと......知らないです」
僕は頭の中が98%真っ白になった。残りの2%をフル稼働させ、どうにか現状を把握しようと努める。考えられるのは、事故のショックで一時的な記憶喪失になったということ。それなら問題はない。今すぐ医者にでも連れて行けばいい。
それよりも、隣の女子高生風の麻波だ。卒業アルバムで見た高校時代の麻波と瓜二つではあるが、科学者の端くれである僕は、未来へならともかく過去へのタイムスリップなんて信じていない。だとすれば、この子の存在はいったい......。
「ちょっとぉー! ここどこよぉ? 早くしないと3限始まっちゃうしー! っていうか、アンタ誰?」
口調や態度はまるで違うが、顔と声がどうしても麻波だ。そういえば昔はずいぶん無茶をしたとか言ってたっけ。この頃はこんなしゃべり方だったのか?
「あ、あの、磯崎麻波......さん、だよね?」
「はい」「そうだよ」
「え?」「はぁ?」
「私が磯崎......です」「あたしが......麻波だってば」
二人の回答は完全にシンクロしていた。同じ声質で同時に話されると、別々に聞き取るのは不可能に近い。もっとも、内容は同じだから意味はわかるんだけど......。
二人の麻波はようやく互いの存在に気づいたらしく、利き腕の左手どうしで指を差し合っていた。
「わ、わ、私の若い頃がぁっ!」「ありゃ? お母さんに妹なんかいたっけ?」
歳も性格も違う麻波どうしが「誰!? 誰!?」を連発し、互いの奇態な鏡像を理解できず大混乱に陥っている。
収拾がつかなくなってきた。そんなことより、僕の麻波は一体どこへ行ったんだ。とにかく、このままでは埒があかない。
僕は二人に今までの経緯を簡単に説明した。
「ごめんなさい。私の不注意でこんなことに......」「アンタのせいじゃないの! どうにかしてよ!」
二人は再び向き合った。
「ちょっと、あなた。それは言い過ぎでしょ?」「何、わけわかんないこと言ってんのよ!」
「あれ? 私のせいじゃないのかも?」「悪い奴を悪いって言って何が悪いのよ!」
「やれやれ......」
僕は額に手をやるしかなかった。
僕の麻波はどこへ行った? 23歳の同い年の、結婚を控えた僕の麻波はどこへ行った?
事故から時間が経つにつれて不安が募ってきた。だが、目の前にいる二人も紛う方なき磯崎麻波なのだ。性格は麻波の長所短所をかなり強調して二分した形にはなっているが。
失礼と知りつつも二人に年齢をたずねた。年上麻波は29歳、年下麻波は17歳。当然誕生日も同じである。
「ちょうどプラスマイナス6年の間隔か。偶然とは思えないな」
この問題は僕一人では解決できそうにない。僕は研究室の主、ドライシュタイン教授の部屋へ二人を連れて行くことにした。
-2-
「な、なんだ? 麻波君の特殊メイクコンテストでもやっているのか?」
僕らが教授室に入るや否や、ドライシュタイン教授はデスクの上にあった温めのコーヒーをこぼしてしまった。
たとえ月が真っ二つに割れたとしても驚きそうにない教授が動揺している。学術的な事実や現象から逃避することなど滅多にしない教授がくだらない冗談を言っている。よほどのことなのだろう。
ドライシュタイン教授は、20世紀最高の頭脳と言われた某博士とは血縁も故国も何も関係ないのだが、とぼけた顔をしながらも何もかも達観しているような感じが何となく似ていた。
彼の素性は明らかにされていない。いつの間にか客員教授としてこの大学で教鞭をとっていたのだと誰もが言う。それはともかく、教授は物理学において多くの驚くべき発見をしてきたはずなのだが、学会で賞賛されたことは今まで一度もなかった。「実現不可能だ」それがお決まりの批判だった。
それでも、僕は教授を世界で一番尊敬していた。なぜなら僕の......。
「私は熟女やロリっ娘よりも、今の麻波君がいいと思うんだが」
教授はいつになく真面目そうな顔でいった。
「じゅ、熟女なんてひどい......私はまだ20代ですっ!」「ロリって言うな、ジジイ!そういうファッションなんだよ!」
「だーっ!わかったから、二人とも同時にしゃべるな」
僕は二人の麻波をなだめるのに論文の原稿4ページ分の言葉を費やし、ようやく教授に事故の詳細を話すことができた。
「それは困ったねぇ」
教授は他人事のように首を傾げるだけだった。
「真剣に考えてくださいよ、教授。僕の恋人、23歳の麻波はどこへ行ったんです?」
「その話はまた後でしよう」
二人の麻波に聞かれるとまずい、ということか。4年間も彼の下にいると、目尻のシワ具合でわかることも少なくない。
「ジジイ! 説明してもらおうか。あたしら、一体どうやってここに飛んで来たのよ」
年下麻波(長いので以下マナと陰で呼ぶことにする)は、教授の白衣の片襟をつかんだ。
教授がどうやってこの修羅場を切り抜けるのか、今後の参考にさせてもらおう。
「なーに、君らは時空転換によって、それぞれ別の世界からこっちの世界に転送されてしまっただけのことだよ」
「あのぅ、おっしゃる意味がよくわからないんですが......」
年上麻波(以下ナミと呼ぶことにする)は眉をひそめた。
無理もない。業界人の僕でさえ愕然としている。
「事実を言ったまでのこと。専門的な解説をしてもわからないでしょ?」
「はぁ」
ナミは返す言葉を失ったようだ。
参考にならない。教授のことを完全に理解するには、彼の脳細胞をまるごと別棟の分析センターに回すしかないようだ。
「ジクウナントカなんてどうでもいいからさ、あたしらを元の場所に戻してよ!」
マナがもう片方の襟もつかんで教授に迫る。
「戻れん」
「は?」
「戻れないと言っている」
「ざけんなぁ、ジジイ!」
マナに投げ飛ばされそうになった教授は「仕方ない」と言って二人の立場について話しはじめた。
世界は一つではない......誰が最初に言ったか忘れたが、これは科学者や幻想作家の希望的仮説と思われる。
今僕らが生きている宇宙とは別の宇宙が存在するという証明は未だ成されていない......こっちは紛れもない事実。
それなのに教授はあっさりとこう言いきる。
「世界は一つではない。それどころか星の数以上に存在している。ただ、それぞれの世界は互いに干渉できない構造になっているから、互いの存在に気づかないだけなんだ」
「教授はそれを証明できるって言うんですか?」
僕は思わず口を挟んだ。
「できるとも。この世界にとってはまだ時期尚早かもしれないがね」
「この世界にとっては? どういう意味ですか?」
「あ、いや......話が脱線してしまった。つまり麻波君たちは、それぞれの世界のそれぞれ違った歴史を歩んでいる麻波君ということになる」
いつの間にそんな誰もなしえなかった大発見をしたのだろう。時空転移装置は別世界の存在を単に発見するためだと思っていた。それなのに、教授の話しぶりでは既に存在を確信した上で装置を作っていたように思える。
「自分の立場が少しだけ理解できました。違う世界に干渉できないということは、通常の方法では元に戻れない......ということですね?」
ナミは僕の世界の麻波と同じで頭の回転が速いようだ。
「残念ながら、その通り」
「うあああああ!!」
マナが突然、両手で顔を押さえて泣き出した。
それぞれの世界にはそれぞれの家族と仲間がいる。二度と会えないかもしれないなんて言われたら、僕だってそうなるだろう。
時空転移装置は再び作ることができるかもしれない。暴走させれば同じ現象が起きるかもしれない。だが、二人を四人にしてどうする? 通常の方法では戻れない......つまり、たまたま起きた複数の世界の特定人物をつなぐ現象、その逆をやれと言われても、さすがの天才教授でもお手上げということだろう。
ナミは俯き、か細い声で言った。
「私たち、これからどうすればいいんでしょうか?」
「そうだな、とりあえず保護者である鱒井君のマンションで暮らすしかないか」
「な、なんで僕が保護者なんですか?」
「どこから来ようと麻波君には違いないだろう?」
「そりゃそうですけど......」
教授は困惑している僕を部屋の隅に連れていき、肩に手をまわし、ひそひそ声で話しはじめた。僕の恋人、僕の世界の磯崎麻波は、教授ですら今の段階では行方をつかむ手立てがないのだという。
僕の心境は複雑だった。恋人が行方不明なのだから、もっと悲しみ狂乱すべきなのだろう。しかし、マナとナミも放ってはおけない。生まれ育った条件が違っただけで麻波は麻波なのだ。
教授は今の研究を中断してでも麻波の捜索に全力を注ぐことを約束してくれた。ただし、表向きには行動できないから研究室の管理と二人のマナミを僕に預けたい、ということだ。
「ハァ......ダメなものはしょうがない。アンタ、変な気起こしたらぶっ殺すからね!」
マナは拳を突きだした。
「か、和帆君......よ、よろしくお願いします」
ナミは赤くなっている。
いつの間にか僕と教授のすぐ後ろにいた二人。どこから話を聞いていたのやら。それはともかく、二人とも立ち直りが早い。さすがに僕の麻波と同じDNAを持っているだけのことはある。
それはいいとして......。
「ま、まだ、一緒に暮らしていいなんて言ってないぞ!」
麻波とは同棲だってしたことないんだ。でもこの二人もマナミだし......。うれしいような悲しいような、ああもう、どうすりゃいいんだ。
* * *
某所の密室。
「ドライシュタインめ。余計な仕事を増やしおって。永久禁固は免れんぞ」
「彼はあのゲルテルと通じているようです」
「奴のことは後回しでいい。イレギュラーの回収と処分、それが我々の急務だ。失敗すれば我々の首が危うくなる」
「シンの決定は絶対......」
「どうした、怖じ気づいたのか? ナンバー7」
「その名で呼ぶのはやめてください」
「ハッハッハ。貴様が名前にこだわるとは意外だな。本当は下等世界の端くれではないのか?」
「根も葉もないことを......。他の四人が出払っている今、私たちの責任は重大です。それに......」
「わかっている。相手が相手だ。今の一件が片づいたら対策を考えるとしよう」




