唐突に終わる日常
前回後書きでも言いましたが、評価してくださった方ありがとうございます。
今回でプロローグは終了です。
それは梅雨が終わってしばらく経った七月中旬の朝だった。
天気は快晴、蝉がミンミン命を削って求愛中、既に茹だるような暑さで不快指数がグングン上昇中。
冷房が眠る時に一時間タイマーと厳命されていなければ目覚めはもっと清々しい筈と腹の底で愚痴りつつ、されど時計に目をやれば起床するには微妙な午前六時。
寝直すには少々寝苦しく、しかし惰眠を惜しむ程度に睡魔は瞼をチクチク攻め立てる。起きるか二度寝か振れる天秤……そんなアキトの頭上に直列接続された豆電球がピッカピカ。
『冷房の電源を入れ直せば良いじゃない』
脳内に響くのは天使――勘弁しろ縁起悪い。
もとい女神――はっ倒すぞ馬鹿野郎。
もう何でも良いから……響く天のナレーションに従って、リモコンに手を伸ばすと――。
――殺気!?
寝起きでも冴える第六感。ベッドから跳ね起きると、先程まで寝ていた箇所に刺さる三本の千本。
千本――投擲によって標的に突き刺す棒状の暗器。千本が三本て紛らわしいなオイ。
などと、どうでも良い脳内サイレントツッコミをしつつ、部屋の入口を見るとそこには投擲の姿勢で見事な残心を決める老人の姿。
「うむ、見事じゃアキト」
「……爺ちゃん、寝起きの孫を殺りに来るとはどういう了見だ?」
「安心しろ、峰打ちじゃ」
「峰じゃねぇよ、ブッスリ刺さってるよ。ってか千本に峰なんかねぇよ」
大凡、現代の一般家庭で成立する筈が無い日常会話をアキトとやり取りしているのは祖父の竜宮秋道だ。
全く禿げていないが完全に白一色になったやや長めの頭髪をオールバックにセット済みなのを見た所、おそらく一時間前には起床していたと考えられる。年寄りの朝は早いのだ。
「婆さんが朝飯の支度に手間取ってのぅ、暇なんじゃよ」
「暇を理由に孫を襲撃する祖父は日本では爺ちゃんだけだと思うぞ」
「それを普通に回避する孫もお前だけじゃと思うがな」
「八割方は爺ちゃんのお陰だ」
「ふむ、実は心の声でディスられておるのは気の所為かの」
お陰様で眠気は吹っ飛んでしまったので渋々起きるアキト。千本を回避できると言ってもやはり寝起きで重い体を引きずって自室を出ると、そこで更に発生する現代日本での非日常。
視界に入った秋道に気を取られた隙に背後から迫る白刃。アキトは上体を少々反らすと、そのままで居れば首が狙われたであろう脇差の刃を右手の指三本で白刃取った。
「よく止めたね、流石だよアキト君」
「……死角からは勘弁してくんない源一さん、いつか死人が出るから」
「安心しなさい、竹光だよ」
「普通に真剣じゃねぇか。訴えて勝つぞ」
振り返ればそこに居る白井源一……こちらは黒髪を綺麗な七三で整えたナイスミドルだ。中年の朝も結構早く、パジャマ姿で片手に脇差とは中々にシュールだった。
昨晩家飲みしてそのままお泊りした源一。秋道と散々飲み明かしたろうに、二人とも朝から実に元気が良い。
「良き隠形……腕を上げたの源一」
「まだまだですよ師匠」
「殺されかけた孫をスルーすんじゃねぇよジジイ」
至極当然の抗議は「お前なら死なんじゃろ」、「君なら問題無いだろ」の一声で一蹴された。とんでもなく不条理だ。避けるけども。避けれるけれども!
「源一さん、県警本部長でしょうが。頼むから自重して、そこの非常識ジジイに毒されないで」
「アキト君……警察組織の長と言えども、はっちゃけたい時があるのだよ」
なんてことを仰るのだろう、この中年ポリスマンは。日本の法治国家としての未来は暗雲ならぬ雷雲に覆われている。
寝起きから精神的な疲労を閾値まで蓄積しそうになりながら、ようやくアキトは一階への階段を下ることができた。すると鼻腔を満たす朝食の香り……釣られて台所に顔を出すと、部屋の主に朝の挨拶。
「おはよう、婆ちゃん」
「あら、おはようアキト。今日は随分と早いじゃないか」
起床してから三人目にして初めて挨拶を交わした相手――祖母の竜宮春子の質問にアキトは「爺ちゃんが……」とだけ答えると、春子はそれだけで全てを察したようで、まだ階段を下りる途中だった秋道と源一に向かって叱責……ではなく着物の袖から苦無を飛ばした。因みに飛ばした方向に一度も視線を向けずにだ。と言うより入口に暖簾が掛かっているのでそもそも標的を目視できない筈。
いつまでも命中音が響かずにいると、秋道と源一が台所に顔を出した。二人とも、指の間に苦無を挟んでいた。
「夫を殺す気かクソババア」
「春子さん……苦無は危ないですよ」
どの口がほざくと言いたいアキト。しかし口を開く前に春子が先制。
「アンタがこのくらいで死んでくれれば苦労しないよ。源一……組織の長がこの程度を”危ない”なんて言ってたら命が幾つあっても足りないよ」
「……源一さん、常日頃からこれ以上の危険事に晒されてるの?」
「どうだろう? しかし春子さんの投擲術に比べればスナイパーの狙撃なんて可愛いものだよ」
少なくとも狙撃された事はあるようだった。県警本部長……なんてデンジャラスな肩書だろうか。
などと全国の警察官が「ハードル高過ぎ!」と揃って異議を叫ぶ認識をアキトがしている内に朝食が出来上がったようで、四人でテーブルを囲むと春子の音頭で「「「「いただきます」」」」。アキトはの出汁巻き卵を、源一は味噌汁を啜ろうとして……、
「そう言えば……お前ら二人してコソコソ遊んどったようじゃが、どうなった?」
秋道の突然の追及にアキトは卵焼きを租借し損なってそのまま飲み込み、源一は味噌汁を啜る直前で硬直した。慌てて麦茶で喉につっかえたブツを流し込むアキト、続けて源一に視線を送ると当の本人は首を横に振っていた。
アキトの「チクったの?」に対して源一の「してないよ」のサイン。それを見て秋道は得意そうに胸を反らす。
「戯けが、ワシの目を欺こうなぞ十年早いわ。それで? 中年と小僧が共謀した良からぬ企ては上手くいったのか?」
「”良からぬ企て”とは心外だぜ爺ちゃん。俺は源一さんの組織改革を手助けする為に情報を提供しただけだ」
「そして私は見返りに、アキト君の周辺を少~し過ごし易くしただけですよ師匠」
「その結果が、警察署上層部の人員総入れ替えと、アキトの学校の空手部顧問免職という訳じゃな」
秋道爺様がギロリとジト目、それに対して中年ポリスマンと小僧は静かに首を縦に振り、味噌汁ズズズの出汁巻きモグモグ。二人共悪事を働いたとは露程も思っていない為に態度が何とも清々しい。先程のリアクションは報告していないのに勘付いた秋道の洞察眼に慄いただけである。
そんな弟子と孫の振る舞いに爺様はそれはそれは盛大に溜息を漏らす。取り敢えずお茶を一口で落ち着いた。
「やる事が派手過ぎるじゃろ。も少し自重せぇよ」
「アンタが言うんじゃないよ元祖自重しないマン」
「爺ちゃんにだけは言われたくねぇよ」
「全ては師匠の教えの賜物ですよ」
そして年長者として窘めて、春子、アキト、源一の順に三者三様のカウンターを喰らい撃沈した。項垂れた秋道は静かに胡瓜の浅漬けをポリポリしていた。
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簡潔且つ迅速に事の顛末を語ろう。
空手部三年五人衆ジャーレンジャーの協力を得たアキトは、まず部内の情報収集に取り組んだ。具体的にはレンジャー達に指示して部内の至る場所に盗聴、盗撮機器を配備し、レンジャー各々にボイスレコーダーを常備させて顧問の言動、行動を記録したのだ。
当然、悪行を引き出す為にジャーレンジャー達は顧問の矢面に立たねばならず、アキトが警告した通り数々の屈辱に塗れなければならなかった。
しかし、彼らはそれに耐え抜いた。必ず報われる事を信じて幾多の暴行、暴言を甘んじて受け入れたのだ。
その結果、「このハゲ……人間として終わってねぇ、いや人生終わるんじゃね」レベルの証拠を集めたアキト達。因みに使用したツールの殆どはアキトが連絡していた協力者から提供されている。
後はこれを出すとこに出せば顧問を社会的に排除できるとレンジャー達は喜んだが、そう簡単にいけば誰も苦労しない。今まで似たような事態は幾度も発生し、その度に顧問は処分されずに切り抜けているのだから。つまり顧問も剛田と同じく剛田父によって庇護されているのだ。
学校、教育委員会、それこそ警察に相談しても握り潰されるだろうことは明々白々。落胆するジャーレンジャー。それを解決したのがアキト……の話を受けた源一だった。
要は剛田父の息がかかっていない立場の人間に話が通れば良い訳で、まさか県警のトップと個人的に交友のある高校生が居て、それが息子と同じ高校に通っているという予想の斜め上所か真上を垂直離陸する勢いな事実は流石の剛田パパも把握できていなかった訳で……、
めでたく数々の事実が一欠片も揉み消されず白日に晒され、民間企業と癒着した警察署内の幹部連中は源一によって処罰、その所為で諸々の対処に追われた剛田父に顧問を弁護する余裕などある筈も無く、誰からも守られない顧問の社会人生は終焉を迎えた。
ここから事態は更なる展開を見せる。ここまでで救われたのは空手部のみ、ならば残るはアキトの目的の成就――剛田の排除である。
顧問という部内の後ろ盾を失った剛田、更には顧問に同調して剛田に便宜を図っていた幾人かの教員も処罰され、剛田は校内の味方を尽く失った。最大の頼みである父親は警察との癒着問題の対応で息子に構う暇が無く、今まで経験した事が無い無防備を剛田は晒していた。
それを見逃さない……と言うより狙ってこの状況を作ったアキトは今まで溜めに溜め込んだ剛田の悪行――未だに表沙汰になっていないモノ多数――を告発した。学校に残った教員の全てが剛田を問題視していたことでそれらは正当に処理される事となった。
全体の幾らかは空手部顧問の悪事を収集した際の副産物で、実は全体の三分の二程度は協力者から提供された情報だった。その情報量に流石のアキトも慄いた。
中には当然、刑事事件として扱われる事案も多く、それに対応したのは今までの汚職警官ではなく源一の息がかかった者だった事もあり、剛田は退学の上とうとう逮捕される事となった。
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「しかし……空手部の顧問も大概だったが、部員の少年も相当に酷かったよ。何だいあの罪状の数々は? 下手な極道が可愛らしく見えるレベルだよ。アキト君は兎も角、私ならあんな奴が通う学校に子どもを預けるなんて考えられない」
「源一さん……さり気に俺をディスってない? 俺も模範的な至って普通の男子高校生だよ」
ネタバレしているので、二人の共犯作業は平然と朝食の話のネタとなった。そこで源一が如何に剛田が凶悪であるかを揶揄し、それでもアキトなら問題無いとした所ですかさずアキトが反論する。
「いやねアキト君、君が”普通”を装うのは無理があり過ぎるからね。本職の刑事が管を巻くレベルで精査された大量の証拠を揃える高校生を”模範的”とは言わんから。被疑者の少年は論外としても、君も十分”規格外”だからね。……被疑者と違って良い方向ではあるけれど」
「今更だけど源一さん……持ち込んだ証拠で俺が用意できたのは全体の三分の一程度だから。残りは協力者から提供されたモンだから」
「……一応聞くけど、協力者は同級生かな?」
「…………ノーコメントで」
「同級生なんだね…………何だろう、『最近の若い子は怖い』が可愛げあると思える程に寒気がしたんだが」
「うん、俺が言うのも何だけど……あの野郎は底が知れなさ過ぎる」
季節柄、ちょっとしたホラーを体感した源一はアキトの反応でこの話題を忘却の彼方へ追いやる事にした。そして話題変換を図る為に視線を未だに胡瓜高速ポリポリ継続中の秋道に向ける。
「……師匠、胡瓜を端からハムスターみたいに少しずつ齧らないで下さい。ちと不気味ですよ」
「うっさいわい。辛辣な嫁と孫と弟子に対する細やかな反抗じゃ」
「可愛くないですから、それより……道場でまた五人程預かって欲しいのですが」
「……? 何じゃこの時期に珍しい」
曰く、今回の件で汚職に手を染めていた署長以下幾人かを処分した際に、彼らに流された、巻き込まれた、利用された者達が居て何らかの処分を下したのだが、その中で有望そうな若手が五人程存在し、何とか復職させようと手を打ったがそれが難しかった為に、それなら自分の私兵にして囲おうと考えたとの事。
「直に鍛えても良いのですが、まずは基礎を叩きこんで頂きたく思いまして」
「ふむ、別に構わんよ。五人とも残るかは保証せんが」
「……そこはお手柔らかに」
「源一もようやく自前の兵隊を持つ気になったんだねぇ」
県警本部長は私兵を持って一人前という、全国の本部長達が「んな訳あるか!」と心から物申したい誤解をアキトが真に受けた”振り”をしつつ、他にも他愛ない話題で盛り上がりつつ竜宮家の朝の団欒は続いた。
そして朝食を終えて、アキトが制服に着替え終わって登校準備を整えると、同じく出勤準備を整えた源一から一言。
「アキト君、うちのが道場で世話になったら……気が向いたらで良いから君も鍛えてやってくれ」
「俺は構わないんだけど、爺ちゃんが許してくれれば――」
「戯け。こいつは道場出禁じゃよ。源一……悪い事は言わんからアキトに指導を求めるな。……問答無用で若手が潰れるぞ」
「相変わらずなんだね、アキト君」
「非道ぇな、誰が〇ートマン軍曹だよ。それよか源一さん、今から出て間に合うの?」
「アキト君……この世には”重役出勤”という素敵な言葉が――」
「……源一、うちの孫に不良中年の怠惰を教え込むんじゃないよ」
「おっと失礼、春子さん。自重するんでそんな怖い目で睨まんで下さい」
春子の眼光に割と真剣に慄く源一を横目に玄関に向かうアキト。部屋を出る際に三人にはしっかり「行ってきやす」とあいさつを忘れない。
靴を履いて、いざ玄関に手を伸ばそうとして……靴箱の上に飾られた”それ”に目を向けた。
家族写真だ。幼少期――五歳程度のアキトと、今よりやや若い秋道と春子。そして――。
「……行ってきます、父さん、母さん」
呟くように、今は写真の中にしか居ない両親に語り掛けて、アキトは玄関を潜った。
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登校して目に入る光景一つ一つにキラキラ処理が施されているようだ。アキトは夏の日差しの所為ではない眩しさに瞼を細めずには居られない。
校舎内は活気に満ち満ちしていた。
期末テストも終わって、夏休みを目前に控えた夏の朝……生徒達は青春をこれでもかと謳歌している。当然、彼ら彼女らが生き生きしている理由はそれだけではない。
その理由をアキトは教室に入って知る。
「おっはー、竜宮っち」
「……おっす立石、テンション高ぇな」
「竜宮はテンション低過ぎない?」
「眠ぃんだよ」
突発的な早起きのツケを早速堪能しているアキト。登校途中から徐々に眠気に蝕まれてテンションは最下層レベルで低かった。寝癖が治まらないボサボサなウニ頭を掻きながら机に突っ伏す。髪質はオールバックにしても毛先が広がるのを防げない祖父の固い髪質が遺伝したものだ。
故に守の挨拶にはぞんざいに反応し、賢司からは妙な心配をされる羽目になった。
「っつーか校内のテンションがおかしくね? 何かあった?」
「いやいや竜宮ッち、何かも糞も決まってんじゃん。剛田が退学になったからだよ」
悪魔が去って、学校に平和が戻った。これが生徒達が生き生きしている最たる理由だった。因みに生き生きしているのは生徒だけではない。教員達も勝るとも劣らないレベルで生き生きしている。
生徒が刑事事件を起こして退学……これで教員が浮かれるとは不謹慎極まりないが、それだけ剛田が問題児と言うもおこがましい害悪であったという事だろう。
「それでも……皆浮かれ過ぎだと私は思うけど。一部の人間にとっては良い事ばかりでなかった訳だし」
華蓮の言う”一部”とは言わずもがな空手部である。
諸悪の根元である剛田とその後ろ楯だった顧問が排除され、確かに空手部には平穏が訪れはしたが、全く代償が無かった訳ではない。何せ現役の部員が刑事事件を起こしたのだから。
順序が逆とは言え、部の顧問が責任をとった体を整えはしたが、やはりペナルティ無しとはいかず空手部は活動停止処分を受けたのだ。
「空手部の面々は、あのままにしても最悪の未来しか想像できないって……だからこれで良かったって納得はしてるっぽいけど」
「まぁ、告発は部員全員の総意って話だし、華蓮が気にするもんでもないっしょ」
同情する華蓮を守が軽い態度で慰める。それに対して華蓮は眉を顰めるが、実際問題として華蓮が気にする事ではない。
気にしなければならない人物(ただし前世は竜)はここに居る。
裏で糸を引いていたのがアキトと言う真実は岩本らジャーレンジャー達しか知らない。他の生徒達だけでなく、空手部員達ですら岩本が首謀者であると認識していた。
これにはアキトが岩本らに口止めを頼んだからで、理由としては目立つことを避けたのもあるが、それ以上に空手部からの反発を抑える為であった。
事が上手く進んだ場合、空手部自体にも何らかの罰が下されるとアキトは予め岩本達に示唆しており、そうなると部が救済されても憤りを感じる者が出て来る可能性は無視できなかった。
ならば部外者がしゃしゃり出るより、関係者が主体となった方が反発は少ないだろうと、部員からの信頼が厚い岩本を発起人としたのだ。事実、岩本は全員を見事に説得し、部員からの悪感情はほぼ皆無という結果をもたらした。
しかし、真実を知る岩本らジャーレンジャー達はアキトに対して思う所があるのではと、他ならぬアキト自身が覚悟をしていたのだが、当の五人は……、
『後輩達に負の遺産を残す訳にはいかねぇよ。おれらの代でケリがついたと思えば安い代償だ。おれ達三年生の空手部は終わっちまうけど、少なくとも来年は希望が持てるしな』
と、それはそれは清々しく笑っていた。元より罪悪感など皆無なアキトであったが、それを見て少し胸が痛んだのはここだけの話だ。
「空手部の知り合いがさ、少なくとも次の代が憂い無く空手に打ち込めるなら御の字だって……今の三年生が特にそう言ってたって教えてくれたよ。彼らは本心から納得してるから、本当に華蓮が気にする事じゃないって」
「賢司……うん、そうね」
そう言って剣姫様を慰めるイケメン君。彼が岩本らの真意を知っている理由は言うまでも無く、賢司がアキトの協力者だったからである。因みにジャーレンジャー達はアキトに協力者が居た事すら知らない。唯一人、ジャージピンクが察しかけていたが、なぜか彼は震えながら事実を胸の深淵に放棄している。
賢司がアキトに協力したのは無論、剛田を排除する共通の目的の――更に言えば華蓮を守る為であった。
知っている人間はよく知っている事実として、華蓮は剛田に相当な敵意を持たれていた。実力的に剛田が直接に華蓮を害する事は無いと思われていたが、それこそやり方など幾らでもある。間違いが起こらなかったのは華蓮が気を付けていたのもあるが、他ならぬ賢司が対処していたからだ。
今回の件は賢司にとっても渡りに船だったようで、彼は自身が収集していた証拠の数々をアキトに嬉々として提供した。
その質、量にアキトだけでなく現役の県警本部長が戦慄した事実を賢司は知ら…………いや、知っているのではないか? 異世界の元黒竜が素で慄くイケメンの深淵――深い!
さり気に視線を賢司に向けるアキト、それに気付いて笑みを返す賢司。アキトは苦笑いながら頬を若干引き攣らせた。その直後に廊下からバタバタバタと騒がしい足踏み音がしたと思えば勢い良く開く扉、そして響く一声。
「っしゃーギリギリ! 間に合うたで~」
「もう、声が大きいよ美矢ちゃん! だから寄り道しちゃ駄目って言ったのに、何で遅れないよう早めに出たのに着くのがギリギリになるの」
「ははは、堪忍や愛奈。ちょう油断してもうたな」
予冷が鳴る寸前に教室に飛び込む女子二人。栗色のショートヘアをカチューシャで上げたおでこが眩しい関西娘――鷹村美矢と、肩にかかる黒いストレートセミロングの髪をヘアピンで彩った天使っ娘――神子柴愛奈の仲良し二人組だ。
「遅ぇぞ二人共。ってか愛奈を走らせんな美矢」
「ははっ、堪忍やアキやん、それとおはよう」
「おはよう、アキ。それと美矢ちゃん叱らないで、あたし今日は調子が良いから」
そんな二人に随分と気安い態度のアキト。それもその筈、アキトにとっても愛奈と美矢は小学校からの幼馴染なのだから。今日も登校してくるのを知っていたが、あまりに遅いのでそろそろ迎えにでも行こうとしていたのはここだけの話。言い換えればそこまで過保護になれるくらいに親しい相手だ。
「おはよう、神子柴さん、鷹村さん。それより本当に大丈夫なの神子柴さん? あまり無茶しちゃ駄目よ」
「ありがとう藤林さん。でも本当に平気だよ」
「う~ん、相変わらず優しいなぁ~レンレンは。思わず頬擦りしたくなるわぁ~」
「え……えぇ、鷹村さんは相変わらず元気ね。それと、頬擦りは止めてね、汗かいてるわよ。……あとレンレンは止めて」
女子同士という事で割と気安いのが華蓮。しかし今は徐々に距離を詰める美矢からジリジリと距離を取っている。隙あらば抱き着こうとする美矢を牽制する為に。そんな女子達に無遠慮に割り込む勇者――ミスターデリカシーゼロが登場する。
「おっはー愛奈ちゃん。相変わらず可愛いねぇ~、俺っち、愛奈ちゃんの顔を見れるだけで一ヶ月は戦えるぜ」
「う……うん、ありがとう。でも立石君、一ヶ月はちょっと大袈裟だよ」
「いやいや、全然大袈裟じゃないっしょ。現にこうして拝み倒しちゃいたいくらいに有り難いぜ」
そう言って本当に手を合わせる守。しかし拝んでいるのは顔ではなく胸だった。年齢の割にたわわに実った愛奈の双丘……それに向かって拝むその手は徐々に近付き――。
「セェエイヤっ!」
「ゲボォオオっふ!」
しかし禁断の果実に触れる前に、守のやや太めの体は華蓮のリバーブローによってくの字に打ち上げられ、そのまま崩れ落ちた。剣姫様……小柄とは言え肥満児を打ち上げるとは、剣道家とは思えない惚れ惚れする一撃だった。
その一撃と同時にアキトは愛奈の前に立ち塞がっていた。護衛の為でもあるが、愛奈に眼前の光景を見せない目的もある。彼女には些か刺激が強いだろうから。
「この色魔デブ! 朝から私の前で堂々とセクハラかましてんじゃねぇわよ」
「華蓮、女子が使う日本語として著しく語尾が不適当だよ。そして男としてこれでもかってレベルでドン引きだよ守」
「ぐふっ、その膨らみが俺っちの理性を狂わせる」
言動が乙女から逸脱しかけている華蓮を窘めつつ、一八〇オーバーの長身からサラサラヘアーをなびかせて冷凍光線が出るのかと言わんばかりの視線で親友を見下ろす賢司、それらに対して脂肪で膨らんだ腹部を痙攣させつつ最低発言を何か格好良く言ってみる守。幼馴染三人による見事な掛け合い……端から見れば普通に暴行事件ではあるが、教室内でそれを咎める者は居ない。いつもの平穏の一コマである。
「愛奈ばっかり見て、マモルンはイケずさんやなぁ。ウチかて愛奈程やないけどそれなりに膨らんどるんやで」
などと言って、自身の胸部を揉み上げる美矢。愛奈を小振りなメロンとするなら美矢は林檎くらいは膨らんでいる。それを見て愛奈が「美矢ちゃん、はしたない!」と赤面しながら悲鳴を漏らし、アキトは「恥じらえセクハラ関西娘」と冷視線を送る。言われた守はその発言で復活したのか、うつ伏せのまま顔だけ美矢に向けて高らかに応えた。
「いやいや、美矢ちゃんも十二分に眼福だぜ! 普段近くに居る女子は全然目の保養になってくんねぇから――」
「でぇえりゃあっ!」
「へぶればっ!」
そして言い切る前に剣姫様の乙女にあるまじき気合を乗せた震脚により顔面を床にめり込ませた。剣姫様はスレンダー(気遣い表現)体型である。しかし一七〇センチメートルの女子にしては高身長で更にその身長の半分を占める細長い美脚を見れば、普通に羨ましいモデル体型だと言える。実際、愛奈も美矢も羨ましがっている。
例え胸が薄くても問題無く思えるが、やはり女子としては鬼門らしく、逆鱗に触れた守は、懲りずに視線を上げて「水色か」などとほざいた所為で華蓮から追撃の(スカートを抑えた状態での)連続ストンピングを喰らっていた。このままでは守の焦げ茶色の短髪は赤く染まるかもしれない。
煽った当事者である美矢はとっくに愛奈の傍でおしゃべりに興じている。アキトもそれに参加している。賢司は授業の準備を始めていた。他の誰も一切気にしていない。いつもの光景だった。
――あぁ、平和だ。
不意に胸中で呟くアキト……。心からの本心だった。
これが一時の逃避であることは自覚している。いつまでもここに居れる訳ではないと……それでもアキトはこの【地球】での日々を愛おしく感じていた。
この世界は平和だ。平穏をごく自然に享受できる……それが何より素晴らしい。あくまで日本での話であり、日本以外の国が必ずしも同じく平和でないと知ってはいるが、日本でも厄介事や悪人は存在するが、それでも【スフィア】に比べれば【地球】は恵まれているとアキトは実感している。
いつかは自分は【スフィア】に帰還する。誓いを果たす為に、悲願を遂げる為に。その想いは変わる事は無い。だが、いつまでもここに居たいと考える自分が居る事も事実だった。そこに明確な罪悪感が芽生えている事も……。
それならば……今この瞬間だけでも謳歌しようとアキトは決めていた。いつか帰る……それは不変の決意であり決められた運命だ。なればこそ、それまでの時間は平穏に浸っても良いだろう。そう思えば罪悪感も少しは和らぐ。
力を取り戻し、【スフィア】に帰還した時に、この【地球】での生に満足できるように、愛奈や美矢、華蓮に賢司に守と、祖父母と源一らとの思い出を愛おしく想えるように、今この時を満喫しようとアキトは未だ騒がしくじゃれ合っている華蓮と守、それを微笑ましく見守る賢司、そして今語り合っている最中である愛奈と美矢を見て思った。
そんな平穏を突然壊す理不尽――。
教室の外が騒がしい。予冷はとっくに鳴っている。生徒は教室に入って担任が入室するのを気だるく待っている筈。だと言うのに廊下から響いてくるのはどこか恐々とした声……よく聞くと生徒達のざわめきに混じって、アキト達の担任が誰かと言い争っている様子だ。
直後に響く何かを殴打した音、誰かが倒れる音、後に続くは……大勢が木霊する悲鳴だった。教室内の全員の危機感が嫌と言う程に刺激されたタイミングで乱暴に開かれる扉、そこに居たのは……目を血走らせて、手には血に染まったバールを握り締めた剛田太我だった。
誰かが悲鳴を上げた。続いてそれが伝搬して教室内は悲鳴で満たされた。廊下を見ると頭から血を流して動こうともしない担任が倒れている。おそらく剛田を止めようとしてバールで殴られたのだろう。
状況をいち早く察したのはアキトだが、一番に行動を起こしたのは華蓮だった。
「皆逃げて! 教室の外に出てっ‼」
その言葉を殆どの生徒が我先に実行した。正直パニックだ。しかし剛田は逃げる生徒には見向きもしない。この男の視線は徹頭徹尾ある一人に向けられている。
「た~つ~み~やぁああああっ!」
そう、狙いはアキトだった。周囲に認知されていない筈だが、野生の直感か、はたまたただの八つ当たりか、剛田は自分を蹴落としたのがアキトだと認識しているのだ。どちらにしろ間違ってはいない。
「剛田……有罪になって保護観察中の筈だよ」
「こいつに今更常識当てはめる意味なんて無いわよ。人の皮被ったケダモノなんだから」
「この雰囲気……流石にやべくね? いくら俺っちでも笑えない」
既にアキト達六人と剛田を合わせた計七人しか居ない教室に静かに響く幼馴染三人の掛け合い。いつもと違うのは各々差はあれど緊張の糸を張り詰めている点だ。普通に戦り合えば華蓮は剛田に後れを取らないが、今の剛田は常軌を逸している。その上、今の華蓮は丸腰だ。まともに相手して無事で済む保証は無い。
それでも距離を取りつつ最も近い位置で華蓮は剛田と相対していた。すぐ後ろを賢司と守が固めている。愛奈は美矢に抱き締められ教室の端……最も剛田から離れた位置で恐怖に震えていた。そしてアキトは……腰に手を置いて、余裕の態度で溜息を漏らしていた。
――やっぱり来たか。
想定通りと内心で天を仰ぐ。アキトはこうなる可能性まで考慮していた。あの剛田が警察の厄介になった程度で大人しくする訳がない……それを分かる程に、アキトは剛田をある意味で深く理解している。そりゃ散々絡まれたんだもの、したくなくても理解できちゃうし。
ただし、想定と言っても最悪の想定ではあった。こうなった場合、打てる手段は一つだ。即ち、今度こそアキト自身の手で剛田を物理的に排除する事。
実際問題、力尽くで剛田を屈服させるのは難しくない……と言うより容易である。今生にて幾分か前世の力を取り戻しているアキトだ。剛田程度では相手にならない。今までそれをしなかったのは、【地球】で平穏に過ごす為に極力目立たないよう振る舞って来たからに過ぎない。
実を言うなら、今も乗り気ではない。できれば今の面子にはこれからの自分を見せたくはない。愛奈と美矢は勿論、華蓮達にも今更自身へのキャラ評価を修正して欲しくはなかった。”ちょっと他人を弄る事が得意な実は無害な奴”として見て欲しかったのだが、剛田の次の行動がそんな迷いを綺麗に砕き割った。
剛田は視線をアキトから……最後方に居る愛奈へ移すと……血走った目が妖しく光り、口角が嫌らしく持ち上がった。標的とは別に獲物を見つめたようだ。
――あぁ、これは駄目だ。
幼馴染の危機を敏感に察知したアキトは最早一切の躊躇いを捨てて、剛田との最前線に歩を進めた。気付いた華蓮が驚愕して止めようとするが構いはしない。無用な心配だ。
対する剛田もアキトの予想外な態度に一瞬硬直するが、すぐに理性を捨て去った眼力を以てアキトを迎え撃つ。この時点で剛田の命運は尽きた。
尽きる筈だった。
――ピシリっ。
これから起きる筈だった現実を覆したのは、何かがひび割れるような乾いた音。それはそこに居る七人全員の耳に確かに響いた。
「……何? 今の音――」
問うたのは愛奈だ。しかしその問いは最後まで紡がれず……その場に居る全員が眼前の光景に絶句した。
――ピシッ……ビシビシッバキン。
物でも何でもない、”空間”そのものに亀裂ができていた。そして強烈な破砕音の後……砕けた空間の向こう側から虚空が出現する。
それは黒と灰色のマーブル色が螺旋を象るような空間で、開くと同時にそこに居る全員を飲み込んだ。
「ちょっ、何だこれ!?」
「やだ、何なの!」
「華蓮、守! 離れないで!」
「ヤバっ、これ……マジで――」
「あ……う……アキ、美矢ちゃん!」
「……っ! 愛奈、行ったらアカン‼」
誰もが現状の把握などできる訳なく、狼狽えるばかりだった。そう……唯一人を除いて。
――これは、まさか【ゲート】と同じ……空間転移!?
アキトだ。この感覚にアキトは覚えがあった。まるで存在そのものが世界から切り離されるような感覚……前世で霊体の状態で、レイアに【ゲート】へと放り込まれた感覚と同じだったのだ。
つまり、今アキト達は世界を飛び越えようとしていて、行き先はきっと……【スフィア】だ。しかし……、
――おいコラ駄天使、話が違うだろうが‼
呼び戻すのは力を取り戻してからだと言われた。
呼び戻すタイミングは数年前から知らせておくと言われた。
準備は十年、二十年では終わらないと言われた。
――何一つ守られてねぇし‼
そして何より呼ばれるのはアキト一人で良い筈、なのに明らかに無関係な人間が巻き込まれているし‼
既にアキトを含めた七人は空間の割れ目を飛び越えていた。全員の視界に映るのはみるみる離れていく教室の光景。各々が手を伸ばし、声高に助けを求むが声にならない。とっくに周囲には音を伝搬させる物質が存在しない。
願い虚しく、割れた空間は次第に修復され……閉じられた。七人が完全に【地球】から隔絶された瞬間だった。
――レイアめ……着いたら膝詰め説教じゃ済まさねぇ‼
最早声にならない思いの丈をアキトは胸中に轟かせて、渋々転移の濁流に身を任せた。任せるしかなかった。
夏休みを控えたある夏の日、ある高校から忽然と六人の生徒と一人の元生徒が姿を消した。彼らが消える瞬間を見た者は居らず、教室には何一つ彼らの痕跡が残されていなかった。
次回から本編「異世界編」が始まります。
できる限り短期間で書き進めていけるよう頑張ります。




