No 09 リーシャ・クローバ
目を覚まし、最初に見えたのはここ数日で見慣れてしまった暗い石の天井。
起き上がると鈍い頭痛に襲われた。
意識が途絶える前の記憶が脳裏に映し出される。
そうか、俺は・・・負けたのか。
樋口との戦いが嘘だったかのように、あたりは静かだった。
思考はどこかふわふわしていて、まるで夢の中にいるように感じられた。
樋口との戦いも、夢だったのではないか。そんなようにすら思えてくる。
だけど身体中の痛みは紛れもなく本物で、あれが現実であったと自覚させられる。
・・・まぁ、俺にしては良くやったと思う。樋口の無様は観衆に晒されただろうし、邪魔が入らなきゃ俺が勝っていた。
最後に俺は抗ってやった。樋口のやつ、さんざん見下してた俺にボコボコにされて、ざまあみろだ。
だから、満足だ。
・・・・・・・・・違う。
視界が歪む、必死に泣くのを堪え、天井を仰ぎ見る。
勝ちたかった。
悔しい。
あれだけ全力で抗って、それでも負けたんだ。
死ぬほど惨めな気分だ。
俺は、負けたんだ。
相手の数が多いとか、卑怯だとか、そんなのは関係ない。敗者は等しく惨めだ。むしろ、相手が卑怯であれば卑怯であるほど、余計惨めに感じさせられる。
本当は勝ってたとか、そんなのどうでも良い。
俺は、勝ちたかった。
認めさせたかった。樋口に、他の勇者に、国王に、群衆に、俺の周りの全てに。
勝ちだって・・・、俺の勝ちだって認めさせたかったんだ。
だけど、俺は負けた。負けたんだ。
・・・強く、なりたい。
誰にも負けないくらいに
勝ちたい。
もう二度と無力を嘆きたくない。
・・・だけど、俺に次は存在しない。
もう、俺の最後は終わってしまったんだ。
いまさら何を思っても遅い、遅すぎる。
俺は最後まで負けて、負け続けて、このまま終わるんだ。
震える吐息を漏らしながら、俺は両膝を抱えて静かに目を閉じた。
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・・・足音が聞こえる。飯の時間にはまだ早いはずだ。もう処分されるのか?
だけど、その足音はなんとなく楽しげな感じがして、警備兵のそれとはどこか違うように感じる。
「え~と、端から4番目っと・・・あ、いたいた!見つけた!」
目を開けて、顔を上げると牢屋ごしに知らない女の子が立っていた。
印象は、とりあえず可愛い。それも並みじゃなく。
目が大きいとか、鼻とか唇とか輪郭が整ってるとか、そういう次元ではない気がする。
日本にいたころ、可愛いと思っていたアイドルや、女優なんかよりずっと可愛いと思う。
どう表現して良いのかわからないけど、かなり可愛い。
背は165くらいはありそうで、歳は多分俺と同じくらい。
髪はミディアムくらいに切り揃えられている。
俺が無言で観察を続けていると、その子は牢屋の鍵を開けて、中に入ってきた。
なんでこいつ牢屋の鍵なんて持ってるんだ?
楽しげな顔で俺の目の前に立ち、俺をじっと見据える。
「・・・何の用だよ、てかお前、誰だ?」
なんとなく居心地が悪くなり、俺は口を開いた。
「私?私はリーシャだよ。」
リーシャは楽しげに、身体を揺らす。
・・・なんとなく調子が狂う。
「・・・何の用だよ。」
俺の問いに対する返答は、答えになっていないこんな言葉。
「試合、見たよ。」
「ッ・・・!」
瞬間、頭の中に火花が散る。
お前もか・・・!お前も俺を馬鹿にしに来たのか・・・!!
「ナイスファイトだったね!」
「・・・・・は?」
思わず間抜けな声が漏れる。
頭が、真っ白になる。ないすふぁいと・・・?こいつは何を言ってる・・・?
「あの戦力差で、よく頑張ったと思うよ。普通なら諦める。あそこから勝っちゃうんだから、驚いたよ。」
・・・なんだこいつは?意味が分からない。そうやって俺を騙して、また叩き落とすのか?
・・・ほんとになんなんだよ・・・。最後までこれか・・・。頼むから・・・もうやめてくれよ・・・もういいだろうが・・・勘弁してくれ・・・。
「・・・俺は、負けたんだよ。」
俺の言葉に、リーシャは首を傾げ、顔を覗き込んでくる。
「・・・?負けてなかったと思うけど?」
否定したいのに、リーシャの目を見ていると、本気で言っているのだと、思える。思えてしまう。
嫌でも期待が芽生えてしまう。
もしかしたらこいつは・・・
止めろ、やめろ、やめろやめろやめろ・・・やめてくれ・・・!!
なんで今更こんな・・・なんなんだよ・・・!
いきなり現れて俺を揺さぶるな・・・!早く消えろ・・・!じゃないと俺は・・・俺は・・・・・
「お前はっ・・・!いきなり現れて何のつもりだよ!!意味わかんねぇよ!!何なんだよお前は!?俺は!!負けたんだよ!!結局、負けたんだ・・・っ」
我慢できなくなって、涙腺は簡単に決壊した。一気に涙が溢れ出す。
何を言いたいのか、何を思っているのか、訳が分からない。
自分で自分が分からない。
泣き顔を見られたくなくて、視線を自分の両膝に落とし、手の甲で顔を拭う。
いきなり怒鳴って泣き出して、俺は最後の最後まで無様で格好悪い。本当に、どうしようもなくクソだ。
拭っても拭っても涙は止まらない。
こんなことなら、我慢せずに昨日泣いておけばよかった。
・・・・・っ!?
突然、リーシャが俺を抱きしめた。
リーシャは無言で、俺の頭を、背中を撫でる。
俺はリーシャにしがみついた。勝手に思いが口をついて出てくる。
「勝ちたかった・・・!負けたくなかった・・・!」
「勝ってたよ。負けてなんかないよ。」
耳元で、優しい声が囁かれる。
止まらない、今までずっと誰にも口に出来なかったせいか、ダムが決壊したかのように、言葉が、感情があふれ出す。
「ずっと・・・ずっとずっと・・・!苦しかった・・・!!づらがったんだ・・・!!」
「うん・・・頑張ったね。」
リーシャには、俺の言葉が何に対してなのか、何を言っているのか、分からないはずだ。
会ったばかり、俺のことなんてろくに知らない、俺も彼女を知らない。
それでも、リーシャは俺がずっと欲していた言葉をくれる。
何も言わず、俺を受け止めてくれる。
ずっと、ずっと欲しかったんだ。俺を理解してくれる人が、認めてくれる人が、欲しかった。
「ぁぁ、ぅぁぁぁああああ・・・!!」
いつまでそうしていたのか分からない。
全てを出し尽くしてしまったような気がして、身体や、脳内が脱力感に見舞われているような気がする。何も考えられない。
俺が泣き止んでしばらくしてから、リーシャが俺を抱きしめたまま、再び話しかけてきた。
「名前、教えてくれる?」
「・・・相沢、空我。」
「じゃあ空我、私、空我を買ったの。」
ということは、とりあえず死ななくて済むのか・・・。
リーシャの奴隷か・・・それも良いのかもしれない・・・。
「・・・そうか。」
「だけど、空我を何かに縛り付ける気で買ったわけじゃないんだ。だから同時に、空我の人権も買い戻した。」
・・・頭がうまく回らない。人権を買い戻す・・・?
「・・・どういう・・・?」
「簡単に言うと、空我はもう奴隷じゃないってこと。」
・・・じゃあ俺は、奴隷から解放されたのか・・・。
嬉しい、のかな。よく分からない。
俺は、これからどうすれば良いんだろう・・・。
「だからね、ここからは対等な立場からのお誘い。」
「・・・お誘い?」
「空我、私の治めてる国に来ない?」
「私の、治め、てる・・・国・・・?」
「うん。」
・・・俺は、リーシャって名前、どこかで見たことがあったはずだ。
リーシャは抱きしめていた俺から手を離し、俺の目の前に再び立つ。
「私の名前はリーシャ・クローバ。ペスリィトのお姫様やってます。」
リーシャ・クローバ。破天荒で、他国の王族に嫌われている、ペスリィト国の・・・お姫様。
「もう一度言うよ。空我、私の国に来ない?」
この日、相沢空我は、ペスリィト国の国民になった。