童謡に導かれ
「………おい、これはどういうことだ」
アルは唸った。
誰にこの怒りをぶつけていいかわからず、とりあえず「おしりがいたいよう」とさすっている諸悪の根源をぐるりと振り返る。
「なんで俺まで遺跡の中に入ってんだ! 俺はお前らを入口まで送り届けたら帰る気満々だったんだぞ! 遺跡に挑む気なんざ、さらさらねえんだぞ! なのになんで俺はこんなとこにいるんだー!」
「そ、そんなの知らないよぅ!」
「んなこたわかってる! くそっ! 何なんだこの理不尽な強制参加はー!」
涙目のマティアス反論を八つ当たりをしている自覚のあるアルは全肯定し、思いのたけを肺の空気がなくなるまで叫んだ。洞窟のような構造らしく、「参加はー、わぁ、あぁ」と奥へ声が響いていく。余計虚しくなった。
憤りが盛り下がってくると、頭が回るようになってきた。感情の高ぶりは思考を抑制する。冷静にならなければ。
「ごめんなさい……」
カザリンが小さくなって謝った。アドルフも悔しそうな表情で頭を下げる。
「ごめんね、アルお兄ちゃん…ぼくのせいでこんなとこまで……」
更にマティアスまでがぐずぐずと手で目を擦りながら啜り上げた。アルは腰に手を当てて叱りつける。
「謝るな。お前らは俺を逃避行に巻き込んだが、ここに俺を連れて入ろうとしたわけじゃない。悪いのはあの貴族と精霊だか魔物だかだ。会ったら絶対とっちめてやる」
「……じゃあ、たすけてくれる?」
マティアスが濡れた声で尋ねる。アルは憮然と腕を組んだ。
「…俺は外に出る。ついてくるなら勝手にしろ」
「やったー! たすけてくれるんだね! ありがとうアルお兄ちゃん!」
万歳して大はしゃぎし始めたマティアスに、アルは言質を取られたことに気付いた。七つのガキだと思って油断していた。
「おいお前、今の嘘泣きだろ! 騙したな!」
「ちがうよー! ほんとに泣いてたもん!」
「涙は見てない! 出てなかっただろ!」
「デテタヨー!」
「棒読みだ! このマセガキめ!」
後ろからマティアスをとっちめるが、出してしまった言葉は戻らない。
しかもこの騒ぎでカザリンははっきりと、アドルフは僅かにだが目尻を下げた。マティアスは今まで見たことないほど笑っている。アルは仏頂面でマティアスを離した。
(もう少し端折って話させれば良かった…)
そもそも遺跡などに近付くことになったのは彼らに原因があるわけだが、あんなところでぐずぐず話を聞いていたアルも悪い。
三姉弟に会ってから何度か、後悔先に立たずの諺を実感したわけだが、今回が最も痛感させられた。
だが後悔は後から悔いるから後悔であって、そんなものを引きずっていては何も変わらない。そもそも遺跡に入ってしまったからには、乗りかかった船で最後まで突っ走るしかない。
アルは嘆息して切り替え、辺りに視線を配った。
浮遊感の後に放り出されたのは、土中をくり抜いて作ったような空間だった。
屈強な大人でも余裕で十人程は入れそうだ。洞窟というと茶色のものを思い浮かべるが、ここはどちらかと言えば白っぽい。
(…見事な洞窟だな。しかし鍾乳洞じゃないし、どういう材質なんだ?)
壁を拳で叩いてみると、こんこんと澄んだ音が返ってきた。かなり固い。土をただ掘っただけではこうはならない。どちらかと言えば金属類に近いくらいだ。
これでは掘ることはおろか、呪法で穴を開けることもできないだろう。
(……そもそも呪法は使えそうにないな)
自分の中に意識を集中するが、まったく力がまとまらない。結界の中と同じだ。
(人間の力だけで辿り着けってことか。お高くとまりやがって)
呪法は精霊や神々の力を分け与えられたものだ。元来、人間にそのような力は備わっていないのだ。
楕円の空間の先には、細い道が一本あった。壁がところどころ光っている。地上へ繋がりそうな道ではない。
この空間へは、精霊の力で地上からここに飛ばされたのだろう。帰り道はなく、進むしかないというわけだ。
「…入ったのは、ぼくたちだけかな」
「どうだろうな。精霊だか魔物だかは、『複数とは嬉しいことよの』とか言ってたから、あいつらも入ってると考えた方がいいだろうな。こういうときは最悪を想定しとくべきだ」
三姉弟が神妙に首肯する。
空気は充分にある。食べ物はヘンジで買い足せているから、二・三日は余裕でもつ。問題は水だが、耳を澄ますとかなり先の方から水滴が落ちる音が聞こえた。飲めるかどうかは行ってみないとわからないが、水があることは間違いない。
「熊と兎と狼が 仲良く遊ぶ お山で遊ぶ」
カザリンが節をつけた謡のようなものを口ずさんだ。首を傾げてから思い出して確かめる。
「それが例の遺跡についてだっていう童謡か」
「そうです」
「最後まで聞かせてくれ」
頷いて、カザリンは歌い始めた。
熊と兎と狼が 仲良く遊ぶ お山で遊ぶ
ふしぎなお穴 見ぃつけた
ふしぎなお穴 壁光る 三匹手を取り 入っていった
熊と兎と狼が 仲良く遊ぶ お穴で遊ぶ
ふしぎなお宝 見ぃつけた
白い貝殻 青い花 緑のお石 縹のお靴
熊と兎と狼が ふしぎなお穴 ずんずん進む
よく知る赤い実 知らんぷり
銀に輝く水を飲み 金にきらめく肉を食う
熊と兎と狼が 仲良く遊ぶ お穴で遊ぶ
あれあれ誰だ 黒がいる
一緒に遊ぼう かくれんぼ あやとりしりとり 鬼ごっこ
熊と兎と狼が 仲良く遊ぶ お穴で遊ぶ
黒も加わり 楽しいな
だけど狼 恋しがる 明るい太陽 恋しがる
熊と兎と狼の 狼だけが 外へ出た
狼だけが 手に入れた
世界中を 飛び回る 二度とここへは 戻らない
「………よくわからん歌だな」
簡潔に感想を述べ、アルは腕を組んで顎に手を当てた。
単純に解釈するならば、『穴』は遺跡で、『黒』が精霊だか魔物だかだろう。しかし主役が人間でなく、熊と兎と狼なのはどういうことか。
「歌以外に何か聞いてることはないのか。言い伝えとか、昔話とか。特に熊とか兎とか狼とかが出てくる話ならなおいい」
「……あ、白ウサギが竜に嫁入りする話ならあります。山にかかる雲のうえに住んでいる竜にお嫁さんをくれって言われて、山の動物たちが選んだのが山で一番きれいだった白ウサギだったんです」
「嫁入りしてどうなるんだ?」
「最初は大きな竜が怖かったけれど、やさしいところを知って、仲良くしあわせに暮らしました、と……」
「あと、熊と狼が薬草採りに行ったっていう昔話も母さんから聞いた。熊と狼の子どもが病気になって、谷川の向こうにある薬草を採りに行ったけど、狼は谷を飛び越えようとして川に落ちて、熊は丸太橋を作って無事に渡って薬草を採ったっていう…」
「無闇に自分を過信するんじゃなく、落ち着いて行動しろっていう系の説話か」
「たぶん」
「他には?」
三姉弟はしばらく考えていたが、何も出てこなかった。アルは嘆息し、棍に引っ掛けた荷物の袋を担ぎ上げた。
「ここで止まってても仕方ない。進むぞ」
「はーい!」
マティアスが元気よく手を上げ、姉兄もヘンジで買出しした荷物を持って立ち上がる。
楕円の空間を出ると、一本の道が蛇行しながら奥へ続いていた。
壁にはところどころヒカリゴケが群生していて、遺跡内に光をもたらしている。普通のヒカリゴケではこうも松明のように明るくは光らない。これも精霊の遺跡だからか。
何度か折れ曲がったところに、分かれ道があった。
左はヒカリゴケが密集した明るい道、中央は真っ暗で先が全く見えない道、右はうすぼんやりとした道である。それぞれの道の前には、人間の頭ほどの大きさの石が鎮座している。何か彫ってあるようだ。
『知は光なり』
不思議な声がまた鼓膜の奥に語りかけてきた。マティアスが首を傾げた。
「血はひかりなり?」
「怖いわ! そうじゃない。知識は人生を照らす道しるべだっていう諺だ。おいアドルフ、その石何が彫ってある?」
「翼が四枚あるワシ」
「そっちは?」
「…雲に乗った子どもが二人です」
「これは虎に老人だ。ってことは、そこだな」
カザリンが調べた石のある真ん中の道を示した。三姉弟がぎょっとした顔になる。アドルフが突っかかった。
「なんであんな真っ暗なとこ選ぶんだ」
「知は光なり。今見えてるものだけが真実じゃない。いいから行くぞ」
諺を繰り返し、アルはさっさと一人で真ん中の道へ入っていってしまった。その姿が暗闇に掻き消える。
どうしたものかとカザリンとアドルフが逡巡する。
「アルお兄ちゃん、まってよー!」
「あ、マティアス!」
勝手に駆け出したマティアスを追いかけ、慌ててカザリンとアドルフも暗闇の道に突っ込んだ。
と、途端にぱぁっと明るい光が辺りを照らし出した。
驚いてカザリンとアドルフがぽかんと口を開ける。
「雲に乗った二人の子どもは、夜明けの精霊シャヒルとシャカルだ」
だるそうに壁にもたれかかって腕組みをしたアルが、カザリンとアドルフを見下ろしている。
「夕方に西の魔物に喰われて光の粒になった太陽の女神シュンネの体を集め、再び誕生させる役目を持っている。童謡の最初の一節は『ふしぎなお穴 壁光る』だ。あの中で光に関係する精霊はこの二人だけだ。だからこの道なんだ」
「へえ、すごいねアルお兄ちゃん!」
マティアスにキラキラと尊敬に輝く目を向けられ、アルは「これくらい常識だ」とそっぽを向いてすたすた歩き出す。
姉兄は顔を見合わせた後、黙ってついてきた。
多少でこぼこした一本道を進んでいくと、また三叉路があった。道の前には同じような彫刻が施された石がある。
今度は何も言わずとも三姉弟が率先して石を調べに行った。
「にんぎょだ。おさかなさんといっしょにおよいでる。貝がらつけてるよ!」
うれしそうにマティアスが報告する。
次の節は〈ふしぎなお宝 見ぃつけた 白い貝殻 青い花 緑のお石 縹のお靴〉で、順番からいって白い貝殻が答えを示す手がかりなのは間違いない。
「こっちは海亀です」
「……なんだこれ」
アドルフが眉根を寄せた。カザリンとマティアスが横から覗き込むが、二人も首を傾げて、助けを求めるようにアルを振り返った。
やれやれと荷物を担ぎ直して三姉弟のところへ移動する。それを見た瞬間、アルは合点がいった。彫刻というより、図形だった。
十字に斜め十字を重ねたものだけが、石に刻まれている。他には何もない。これは子どもが見ただけではわからないだろう。
「ここが正解だ」
「ええっ! なんで?」
「これは呪法士がでかい術を使うときに書く紋様の一つで、南極星を現す記号だ。南極星の神スースのことは知ってるか?」
「たしか、夜の空から世界に異常がないか目を凝らす見張り役……でしたか?」
「そうだ。南極星は夜空の星の中で唯一微動だにしないから、夜空の要とも呼ばれる。天空の神ヘオフォンの従者だが、蒼海の神ウェタールの侍女である人魚と恋に落ちた。だがスースは夜に役目があるから、会えない。そこで人魚は白い二枚貝の貝殻にまじないをかけて二つに分け、耳飾りとしてスースに贈った」
「どんなじゅほうをかけたの?」
「一晩に一度だけ、互いの目の前に相手の幻影が現れて、一言だけ交わすことができるんだと。…どうせなら一晩中会話できるようにすればよかったのにな」
幻影なんぞ見れば余計に会いたくなっ仕事に集中できないのではないだろうかとアルは思う。もっとも、一晩中会話しても同じ結果のような気もするが。
女とは直接会って触れ合ってなんぼだと思っているので、こういう純愛系の話は肌に合わない。そもそも人魚と人間のような容姿の神とは、どうやって愛し合うのだろう。不思議でならない。
こうやって現実的に考えるから、神話などを聞いていても単純にすごいと思ったり感動できないとわかってはいるが、性格は変えられないアルである。
「……一目でも会えたら、がんばれるからじゃないでしょうか」
ぽつりとカザリンが呟いた。アルは片眉を上げた。
「頑張れるって何が」
「お二人は、スースのお役目が終ったら会えるんですよね。一晩は長いですし、大変なお仕事でしょう。一度でも相手の姿を見て言葉を交わせれば、本当に会うためにがんばろうと思える…のかな、と……」
はっとして顔を伏せたカザリンの耳が赤い。ふーん、とアルは呟いたが突っ込んだりはしなかった。
これ以上深く関わり合うつもりはない。それに相手がどこの誰かは知らないが、恐らくもう二度と会えないだろう。彼よりも弟を選んで、生まれ故郷と永久の別れを告げたのだから。悲恋や失恋の話は面倒くさいだと決まっている。
面倒はもう手一杯だ。
「行くぞ」
「はーい!」
声をかけたアルよりも先に、マティアスが駆け出した。
(…しかし、ちょっと拍子抜けだな)
青い花、緑の石、縹の靴、そして次の節の〈よく知る赤い実 知らんぷり〉。
それぞれ精霊や神々に関連する品々を示す石のある道を選ぶだけで、呪法士は誰でもわかるような問題ばかりだった。
赤い実だけは少し捻ってあった。
サクランボと苺の二択だったが、ベリソルズでは春になればどちらも市場で見かける、よく知られた果物である。
だが野いちごではない苺が普及し始めたのはごく最近であった。虫やカビに弱く栽培が難しいため、かつては栽培法を占有していた教会が僅かに作っていただけであった。苺は天空の神ヘオフォンの好物で、上等な供物なのである。つまり正解は苺である。
これまで問われてきたのは、知識。
童謡の、つまり遺跡についての伝承の知識と、精霊や神々、呪法に関する知識。この両方がなければ解けない問題ではあったが、逆に言えば双方に詳しければ簡単にわかってしまうものであった。
(試練の道だっていうから、もっと鬱陶しいのを想定してたんだがな)
もちろん子ども達だけ、もしくはアル一人だけであったならば、最初の分かれ道で失格になっていただろう。
失格と見なされた場合にどうなるのかはわからない。だが恐らく、永遠にさ迷うか、命を奪われるか、外に放り出されるかのどれかだろう。前の二つの可能性が圧倒的に高そうだが。失格になる気は更々ないので、考えないことにする。
(次は『銀に輝く水を飲み 金にきらめく肉を食う』か……)
なんとなくアルは嫌な予感を覚えた。がりがり頭を掻き毟る。
(こういうのは当たるんだよな、くそ……)
実のところ、フィルグのホーエン家に盗み入る段取りを整えている頃から、胸騒ぎは感じていた。だがどうしてもあの女を落としたくて、夜這いをかけたらこの様である。
この遺跡もそうだ。一目見たときから、絶対入りたくないと感じた。なんというか、いけすかないのだ。入ってみて、その感覚は更に強くなっている。
(…そもそもこの遺跡は、誰が作ったんだろうな)
遺跡や史跡は時代や国ごとに特徴があって興味深いので、アルは旅をする中で色々と見てきているが、ここはかなり変わっている部類に入る。そもそも遺跡と呼んでいいものなのか。
人間が精霊や神々を祀るために造った施設は神代から今に至るまで数多くあるが、それらはもっと人間的に造られている。
たとえばこのベリソルズの中央部にも昔の巨大な神殿がある。山中から切り出してきた石と煉瓦を積み重ねて建築されている。神話を題材にした彫刻が柱や壁を美しく装飾している。そしてこんな風にただ道が繋がっているだけのところなど、存在しない。
この遺跡は、異質だ。
さきほどからずっと同じような、硬くしっかりした洞窟のような道が続いているが、どこか現実感がない。空気も地上とは全く違う。
アルの鋭敏な五感は、ここが精霊によって作られた、精霊のための空間だと言っている。
(…いや、誰がはこの際どうでもいい。ここは、何のために作られた?)
何か造るのは目的があって行われることだ。精霊は、なぜこのようなものをわざわざ作ったのだ。
「のどかわいたー」
お子様はアルが高尚な思考に耽っていることなど全く気付かず、アルの袖を引っ張った。集中ががらがらと崩れていく。
しかし七歳の子どもに無理をさせるわけにはいかない。
少し考え、アルは姉兄が持っているヘンジで買った品々の中から、林檎を取り出して渡してやった。
「とりあえずこれでも食っとけ」
「ありがとう。くだもの、たくさん買ったんだねぇ。すきなの?」
「まあな。あー、葡萄食いたかったなぁ。まだ季節初めだから一房しか売ってなかったのに。くっそー、なんで俺の葡萄をあんなことに使わなきゃなんなかったんだ……干し葡萄も葡萄の菓子もなかったし。ヘンジめ、葡萄酒も造ってるくせになんで置いてないんだ…」
小さな口で林檎を丸かじりするマティアスを横目に、未練がましくぶつぶつ呟く。
蛇顔の呪法士の結界から抜けるために投げつけた葡萄は、アルが食べるために買ったものだった。アルは甘い果物、特に葡萄を好む。
後ろで小さく吹き出す音が聞こえた。振り返ると、カザリンは必死で、アドルフはかなりあからさまに笑いを堪えている。アルは眉を顰めた。
「…なんだ、言いたいことがあるなら言え」
「いや別に。……ブドウ好きなんだな、男なのに」
「好きなものは好きでいいだろうが。男が甘いもの好きで何が悪い」
真顔で開き直ると、二人がまた口を手で押さえた。ますますムカつく。が、アルはこれでも二十三歳の大人なので、仕方なく流してやることにした。
大人の女にはかわいいと思ってもらえるが、昔から男や子どもには馬鹿にされることが多い、要するに子どもっぽいアルの味覚である。こればかりはどうしようもないので、堂々と胸を張っている。
「でも、アルお兄ちゃんってすごいよねぇ。なんでもできるよねぇ」
虫が食べるような速度でもしゃもしゃと林檎を頬張るマティアスが、目を輝かせてアルを見上げてきた。何が『でも』なのかわからない。
アルは面食らって怪訝な声を返す。
「……はぁ?」
「つよいし、いろんなこと知ってるし、ぼくたちのことたすけてくれるし、すごいね!」
「……まあ、大人だからな」
「アルお兄ちゃんっていくつ?」
「二十三」
「そっかぁ。ぼくも二十三さいになったら、アルお兄ちゃんみたいになれるかな?」
我知らず、アルの足が止まった。マティアスが驚いて目を丸くする。
後ろを歩いていたカザリンが慌てて立ち止まろうとしてつんのめり、結局アルにぶつかった。
「すみません!」
「いや悪い。大丈夫か。荷物当たってないか」
「だ、大丈夫、です…」
背丈ほどある棍にひっかけている荷物は、アルの後ろをぶらぶらしている。危なかった。
カザリンは衝突して赤くなった鼻を隠して、ぶんぶん首を振った。マティアスが不思議そうに首を傾げる。
「アルお兄ちゃん? どうしたの?」
「いや。……ま、頑張ればなれるんじゃねーの」
「うん、がんばる!」
無邪気に笑うマティアスから、アルはさり気なく顔をそむけた。
全く、無知というのは幸せなことだ。
アルのことを知れば、アルのこれまでの人生を知れば、絶対にアルのようになりたいなどと言いやしないだろうに。
ぴちゃん。水が滴る音が曲がり角の向こうから聞こえてきた。
ヒカリゴケが密生する角を曲がると、小さな広場のような空間があった。道でない場所に出るのは久しぶりである。
だがその光景を見た瞬間、アルは舌打ちした。
(銀に輝く水に金にきらめく肉ね……豪勢なこって)
三姉弟は呆然と広場を見つめている。
部屋の中央に机のように上を平らにした巨石が一つ鎮座し、そこにはありとあらゆる料理が所狭しと並んでいた。
鳥の丸焼き、牛の炙り焼き、豚の煮物、野菜の揚げ物、果物や菓子、酒、茶。何でも揃っている。葡萄も籠に入って山盛り置いてある。粒が揃ってつややかだ。一目で手間隙かけた高級品だとわかる。
ぐぅ、と三姉弟の腹の虫が鳴った。アルの口の中にも涎が出てくる。
「これたべていい?!」
期待に顔を輝かせてマティアスがアルを振り仰いだ。カザリンとアドルフも物欲しそうな表情をしている。飛びつかないだけ成長したなとこっそりアルは感心した。
アルも腹は減っている。いいと言いたかった。
だがこれは明らかに罠なのだ。腰に片手を当て、厳めしくアルは告げた。
「駄目だ」
「えーっ! なんでなんで?!」
「一生ここから出られなくなってもいいなら、食ってもいいぞ」
三姉弟は横っ面を張られたような表情になった。やがてカザリンが尋ねてくる。
「……どういうことですか?」
「この遺跡は精霊だか魔物だかが造ったものだろう。空気が違うしな。そっちの領域で出されたものを食べると、そいつらに近付く。わかりやすく言えば、体の生命力を削り取られる」
「体の生命力?」
「人間は体と魂でできてる。どちらかが弱るともう一方も弱まる。どちらかが強くなりすぎても、釣り合いが取れなくなって壊れる。つまり死ぬことになる。精霊達はいわば魂だけの精神体だ。精霊が出す食べ物は、魂にしか作用しない」
「……つまり、魂が大きくなりすぎて、体を押しつぶしてしまう、ということですか…?」
カザリンの発言に、アルは肩を竦めた。
「そもそもな、精霊達は誰かをもてなしてやろうとか、そんな人間的なことは絶対に考えない。基本的に自分の好きなこととか役目とか、自分に関することにはしか動かない。自分勝手でお気楽ご気楽な奴らなんだ」
「たのしそうだねぇ」
「まあな。そりゃ例外的に親切なやつもごく稀にいるし、気まぐれもないとは言わん。が、初対面の奴が、こっちが頼む前に親切にしてきたら何か裏があると思った方がいい」
さすがのアルも神々に会ったことは未だにないが、精霊となら腐るほど会っている。
周りに人家のない山の家で、しかも呪法士に育てられたので、子どもの頃は人間の友達はいないのに精霊や半精霊の友達は数え切れないほどいた。
精霊はほとんどが自然の化身だ。大樹や花、巨岩、川、泉、雪、土地そのもの、あるいは動物。ありとあらゆる動植物や自然現象の精霊、半精霊が存在する。ヘンジで助けてくれた雪狼も、普通の人間には動物と認識されているが、半精霊なのだ。
(教会が認知してない精霊の方が多いなんざ、こいつらは知らねぇんだよな…)
人間が造った町や村の近く、あるいは人間に家畜化された動物などの中には、精霊はほとんどいない。普通に暮らしている人間は精霊に会うことなどなく、ゆえに教会の語るもっともらしい言葉に騙される。
そして人間は、精霊や神々を忘れていく。畏れなくなっていく。
彼らに授けられた力を、彼らの力を借りなければ行使できない術を、自分のものだと勘違いし、利用する。
アドルフが眉根を寄せて口を開いた。
「じゃあ、願いを叶えてくれるっていうのは…」
「精霊はただじゃ動いてくれん。母さんからも聞いてるだろ? 『正しき供物を差し出せば』願いを叶えるって。呪法は、自分の魂の力を差し出すから使える。それと同じだ。精霊にとって価値のある、願いに見合った対価があれば、願いを叶えてくれることもあるだろうよ」
「精霊が価値があると思うもの……」
「あとは自分で考えろ。つーか、願いは自分で叶えるもんだ。誰かに頼るんじゃねぇ」
答えを教えてほしそうな三姉弟に投げて、アルは豪勢な食卓に視線をやった。
これでもアルはかなり親切に色々と教授してやっている。いつもの自分らしくない。
アルは精霊達と同じように、自分中心に生きたい。だから他人の面倒事に巻き込まれるのはまっぴら御免だし、するっと逃げてきたことも今まで何度もある。
しかし今回はできなかった。
(……あーもう。人命とか将来とか、人の重たいもんまで背負い込めるほど、俺器でかくないっつーの)
がりがり頭を掻きながら嘆息する。
誰かのことを背負いたくない。だから旅暮らしで、楽しいことするときだけその場にいた奴らと一緒に騒いで、嫌なことがあれば次の場所へすぐに出発して、そうやって自由にやっていた。
子どもの将来と命なんて、この世で一番重いものの一つである。面倒だが、今までのように逃げるわけにはいかない。関わってしまった以上、できることはやっておかないと自分が痛い。それは嫌だ。
ふと食卓の奥の奥、一番端に四つの盃があることに気付き、アルは近寄った。中身を確認し、口笛を吹く。
「銀の水、見っけ」
「………これ、何ですか?」
おそるおそるカザリンが尋ねる。
石をくり抜いた高杯の盃には、どろりとした銀色の液体が入っていた。溶かした金属のようだが、不思議なことに自ら蛍のような燐光を放っている。
味が想像できない以前に、飲めるのかどうか怪しい。が、アルは躊躇なく杯を手に取った。
「何かは知らん。だが童謡に従うなら、こいつを飲むんだろうな」
「さっき精霊の出すものは飲み食いするなって言わなかったか?」
「言ったが、これは試練の一つだ。向こうの指示なら従うほかない」
「…飲めるんですか」
「飲めるだろ」
多分、という言葉は口の中に留めておいた。ここまで来て毒を飲ますようなことはしないはずである。ここの主が、人に悪意のある魔物でないならば。
こういうものは勢いが肝心だ。三姉弟が穴が開くほど見つめる中、アルは覚悟を決めて、中身を一気に喉に流し込んだ。
手の中にある空になった盃を、アルは訝しげに眺める。
「………どうだ?」
微妙なアルの反応にアドルフが堪えきれずに問いかけた。
「味がない」
「…は?」
「だから味がないんだ。飲んでみろ。そしたらわかる」
「毒じゃないんですね?」
首肯すると三姉弟はおっかなびっくり杯を手に取り、口をつけた。
そして三姉弟もアルと同じ顔になった。拍子抜けと驚きと不審が一対一対一で混じった、なんとも微妙な表情である。
「どろっとしてるのに、ぜんぜん味しないよ? へんなのー」
「においもないですね……」
「何かが喉を通ってる感覚はあるけど…」
残りを飲み干しながらアドルフが首を傾げる。こんな奇妙な飲み物には未だかつて出会ったことがない。飲んでいる感覚はあるのに、飲んだ気がしない。
だがアルはふいに、先ほどより食べ物の匂いを強く感じることに気付いた。香ばしかったり甘かったりする香りが鼻腔を刺激し、食欲を掻き立てる。
三姉弟もさきほど説教したはずなのだが、じっと食卓の料理を凝視している。食べたくて仕方がないと顔に書いてある。
(あーくそ、次! 次見つけなきゃ進めんぞ!)
アルは頭を振って思考を切り替えた。子ども達は最初から当てにしていない。自分が生き残るためには自分がしっかりしなければ。
と、カザリンが夢から覚めたようにはっとして声を上げた。
「あれ、『金の肉』なんじゃ…?」
「何?」
細い指が食卓の中央辺りを指す。腹に刻んだ野菜と臓物をぎっしり詰めた七面鳥の丸焼きの横に隠れるように、小さくそっけない、これまた石の皿があった。
その上にたった4切れ、豚の角煮を金色に染めたような、黄金色の肉が載っている。
形は肉のようだが、見た目は完全に金属だ。普通なら食べることなど考えもしないだろう。
しかしアルはずかずか歩いて皿を引っつかむと、肉を摘み上げた。普通の肉のように柔らかい。これなら噛んでも歯が折れるということはなさそうだ。
三姉弟も今度は躊躇わなかった。アルの手の上の皿から、一人一切れずつ取る。
四人は無言で金の肉を口に入れた。途端、頬が落ちるかと思った。マティアスが大はしゃぎする。
「おいしー! ぼく、こんなおいしいもの食べたことないよ!」
「ほんとに……やわらかいのに、全然あぶらっこくない」
「味は豚に近いが、臭みもないし甘みがあって肉汁もうまい。なんじゃこりゃ」
アルは思わず素で感想を漏らした。
調味料の味はしない。肉そのものが本当に美味なのだ。こんな肉が存在していたのか。見た目が恐ろしいこれがこんなに旨いのなら、他の料理はどれほどのものなのか。
自然と視線は誘うように並ぶ食卓の料理に引き寄せられる。
(………阿呆か俺! 危なー、完全に流されかかってた…)
ばちんと音がするほど強く自分の頬を張る。ようやく少し目が覚めた。だが三姉弟はふらりと食卓の方へ一歩足を踏み出した。
ぼうっとして何も考えられないという顔だ。まずい。
「馬鹿かお前ら!」
自分のことは棚に上げ、アルはアドルフとマティアスの頭に拳骨を落とした。カザリンはいくら子どもでも女なので殴るわけにはいかず、襟首を掴んで引き戻す。
「これは罠だ! お前らが食欲っつー欲望に負けるかどうかを奴は見てやがるんだ! 食欲に負けるやつはどんな欲望にだって負けるからな! お前ら、ここで死にたいのか?!」
激烈な叱咤に三姉弟がようやく我に返る。
アルはその勢いのまま、がっと顔を上げて怒号した。
「精霊だか魔物だかしらんが、おい遺跡の主! さっさと次の道を開きやがれ! お前の罠になんかかかってやらねーよ! このアルベール・ハイン様を舐めるなよ!」
威勢よく啖呵を切る。
これほど大きな領域を支配するならば、遺跡の主は精霊の中でも強大な力を持っているだろう。だが退く気は更々なかった。
相手が精霊だろうが魔物だろうが動物だろうが半精霊だろうが勿論人間だろうが、アルは自分を侮った相手を常に叩きのめしてきた。吠え面かかせてきた。
(こんなとこでくたばってたまるか!)
一瞬、間があった。かすかに空気が揺れた。まるで遺跡が笑ったかのように。
ぴしり。ひとりでに石の食卓の真ん中に切れ目が入った。いつの間にか料理が消えている。重厚な音を立てて、石が左右に割れていく。三姉弟が声もなく呆然と見つめる。
やがて石が動きを止めた。
下へ降りる階段が、ぽっかりと口を開けていた。




