[7]
天井の女性の霊は下がってきただけでなく、両手を教科書にのばしてきた。
「うわっ!うわ、手が、手が。」
オッサンは落ち着いている。
「欲しいんだよ。くるよ。」
「はぁ?何、くるって。
あーもう手離していい?」
「そのまま、教科書が霊の求めに応えるから。」
ヤダヤダヤダ、怖いって!限界。
則幸が半泣きで首を振り始めたとき、教科書から黒い筋が線香の煙とともに霊の手に向かっていく。
首の振りもとめ、息を止めて、則幸はまばたきもしないで黒いものを見つめた。
文字がのびたように剥がれて、線香の煙と一緒に空中に放たれる。
はじめは、一文字ずつが、ゆっくりと剥がれていたが、ほどなく勝手に教科書のページが高速でめくられ、文字がふきとばされて部屋全体にまき散らされた。
「うっうわーっ!」
「当たっても平気なはずだよ。大丈夫。」
文字が風もないのに、部屋の鏡を中心にして巻いている。
まるで文字の竜巻だ。
横に置いた算数の教科書もバラバラとめくられ、数字が文字に混じっていった。
ひとしきり、部屋の中で回転していた文字たちが、止まったかと思うと、霊の中に吸い込まれていった。
青白い顔で灰色に近い着物の女性は、中から発光するように光り出した。
「おおぉ満足してくれたよ、則幸くん。
窓開けて、早くはやく。」
霊のほうは見もしないで、則幸は足がもつれたようになりながら立ち上がるとカーテンを開いてサッシも開けた。
線香の煙が窓の外に流れていく。
女性の霊も出口を求めていかたのように外に出て、夜空に高く昇っていった。
「おつかれ、則幸くん。これで安眠できるねー。」
オッサンの弾んだ声をよそに、則幸はその場にへたりこんだ。
そして走った後のような息を整えると
「な、なんなんだよっ!こんな怖い状況になるなんて聞いてないよっ!」
オッサンは、器に盛られたご飯を一粒とると、口に入れた。
「なーに怒ってるの?怪我もしてないし、ちょっと怖いくらいで、そんなに弱虫なの?」
弱虫と言われても平気でいられるのなら、その人は強い人だ。
則幸は当たってるだけに、すぐには言い返せずに下を向いた。
「ハジメテにしては上手にできたし、昇天させたんだから、もっと誇らしげにいばってくれないとね。」
オッサンは褒めてるんだよ、と続けた。
「じゃあさ、このヘンなのが見えるってのは、一生続くわけ?」
「一生じゃない。則幸くんが成長すれば消える、はず。」
成長?
「成長と言っても外見じゃないよ。内面の問題。」
「モヤッとした返事だな。んで、もれなくオッサンも付録でついてくるのかよ。」
「わたしはガイドだから、役目が終われば今日にでも消えますよ。」
則幸は拍子抜けしたようになった。
「んだよ。消えるのかよ。」
「祖先の集合体だけど、力が弱くなっているから身体も縮んでいるのよ。
だから、いつかは子孫を助けたくとも、できなくなるね。」
則幸はオッサンに対して偉そうにしていた事を少し後悔していた。
「うんうん、それも成長だね。」
オッサンは、嬉しそうに笑っている。